3日はかみさんを連れて、かねて行こうと思っていた55年前の大学時代に下宿していた東京都中野区江古田の哲学堂あたりを散歩することにした。渋谷から山手線の高田馬場経由の西武新宿線の新井薬師前駅から北へ約1キロ歩いて、新青梅通りを渡って少し行ったところを左折した辺りにあった筈で、午前11時頃にそのあたりに着いた。ところが、駅から哲学堂通りを歩いていくと、すっかり道の両側は一変していて、当時はなかった東亜学園が建っていたり、新築のマンションが立ち並んでいて、まるで新しいところを歩いているような感じがした。
それでも往時の下宿屋らしきアパートがあった辺りに辿り着き、家主らしき表札をみると、間違いなく当時の大家さんの名札が掛かっていて、かみさんに「玄関すぐの階段を上がった2階に4つ部屋があり、奥の一室に住んでいた」と説明した。大家さんは当時はおばあさんで、同じ姓の苗字の女性の名前があったが、どうやら娘さんらしい。同じ名前を目にして懐かしい気持ちが湧いてきたが、だからといって呼び鈴を押して、「50年以上前にお世話になっていた者です」と名乗るのも見ず知らずのに訪ねられても迷惑だと思われるだろうと思って、思いとどまった。そこまで考えていなかったので、手土産も用意していなかったこともあって、立ち去ることにした。
で、折角のセンチメンタルジャーニーなので、手前にあった哲学堂公園に足を踏み入れることにして、中に入ってみることにした。哲学堂は東洋大学を創立した井上園了氏が明治39年に造ったもので、各所にはキリスト、老子など世界の4人の哲人を示した四聖堂はじめ、六賢台、三学亭、宇宙館、絶対城など園了翁が定めた独特の施設が配置されているほか、園了翁が所蔵していた図書が図書館として保存されているほか、園了氏の生涯を解説するビデオが流されていたり、園了氏の足跡が一望のもとにうかがえる立派な展示となっていた。55年前にはこうした設備は整っておらず、その後整備された、という。
哲学堂公園がそんなに整備されたのだ、と感激の面持ちで、新井薬師前駅に戻って、電車に乗ろうとしてポケットを探ったところ、持参していたPASMOカードが見当たらない。上着の胸ポケットに入れていたのだが、途中で暑くなり、脱いで2つ折りにして腕にかけていたので、ポロリと落ちてしまったようだった。電車に乗る前にチャージをしたので、3000円以上の残高があるはずだった。しかも残高が1000円を切るとオートチャージすることになっているため、悪用されると、被害額はどんどん積み上がっていってしまう恐れもあった。
そこで、探しに戻るにしても、まずは警察に届けようと思って、丁度駅の目の前に交番があったので、紛失届を出すことにした。そこで、書類に記入して、出てきたらよろしく、と言って手続きをしていたら、受けつけていた警官が「ちょっと待って下さい」と言って、「哲学堂公園の近くの交番にPASMOカードを拾ったという届け出があったようです」と言って、しばらく向こうとやり取りをしていて、「PASMOカードのお客さんの名前が記名されているそうです」と言った。それにはびっくりし、そんなことがあるのだ、と正直驚いた。
早速、届けられた西落合交番に行き、拾われたPASMOカードを受け取った。その後、拾得者にお礼の手紙でも出そう、と思って、交番に拾ってくれた人の名前を聞いたところ、「聞いていない」ということだった。本当に世の中には親切な人がいるものだ、と思った。本当、匿名の拾得者の方には感謝しかない。それにしても届け出たそ場で、失くした筈の遺失物が見つかるとは驚いた。聞けば、警視庁管内の都内の遺失物は届けられたら、即座に一斉にその情報が伝わるようになっている、という。これも55年前にはなかったことで、センチメンタル・ジャーニーは意外な結末となった。
それでも、この間、新井薬師前駅と哲学堂公園までを2往復し、夕方に家に辿り着いて、かみさんのスマホを見たら、この日はなんと1万6782歩も歩き、12.9キロを歩行し、過去最高を記録した。55年前のセンチメンタル・ジャーニーにとんだ結末が待っていて、大いに感激した。こんなことがあるから、世の中は回っていくのかもしれないし、今度はなにかで世の中にお返ししなくてはいけない、とも思った次第である。