鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

北京の外交ルートを通じて北朝鮮へ抗議した、というのは明らかな弱腰外交である

2014-06-30 | Weblog
 29日朝、北朝鮮が江原道元山付近から弾道ミサイル2発が日本海に向けて発射された。午前8時からのTBSのサンデーモーニングのなかで緊急ニュースとして伝えられていたが、これに対して日本政府は「事実を確認中」とのコメントが出されるのみで、夕刻になってやっと菅羲偉官房長官が抗議をした、との報道があった。明日1日から北京で日朝局長級協議が予定されており、これについては変更なしとも報道された。ところが、30日になって北朝鮮への抗議は中国・北京の外交ルートを通じてのものと報道され、日本政府の弱腰ぶりが明らかとなった。
 北朝鮮の日本海へ向けての弾道ミサイル発射は中国の習近平国家主席が3日に訪韓するのを嫌って、示威行動に出たというのが大方の見方で、それなのに北朝鮮への抗議を中国ルートを通じて行った、というのは外交の何たるかを全く理解していない素人の挙と取られても仕方がないだろう。1日からの日長局長級会議を前に29日には拉致家族が拉致被害者全員の帰国をめざそうと集会を開いており、ここでは「日本にとって拉致問題の解決が最優先課題だ」と気勢をあげた。拉致家族が核の問題より拉致問題を優先すべきだ、と声高に語るのは理解できるが、日本政府、それに政治家までもがそれに同調するのはいかが、と思われる。
 国際社会のなかでは核拡散を防止することが最優先されるのは常識で、特に北朝鮮に対しては国連決議でも核の廃棄を迫っているなかで、日本だけが北朝鮮にすり寄るような行動は許されない。拉致問題の解決という日本固有の問題を抱えていることは諸外国も理解はしているものの、だからといって今回の弾道ミサイル発射を放置しておいていいわけではない。
 日本は1日の日朝局長級協議を控えているから、何も言ってこないだろう、と北朝鮮が踏んでいるとしたら、問題である。むしろ、北朝鮮の最大の関心は日本(拉致)なんかではなく、中国の動静であるのは確かなことである。ここで、中国から見放されるようなことがあったら、北朝鮮の国家は土台から崩れてしまいかねない。正直、中国の支援がなければ北朝鮮はすぐにでも崩壊してしまうことだろう。
 だから、日本政府がどう思おうとほとんど歯牙にもかけていない、というのが北朝鮮首脳部の考え方なのだろう。日本など拉致問題をちらつかせておけば簡単にしっぽを振ってくる、とでも思っていることだろう。そんな北朝鮮に対して、日本海への弾道ミサイル発射について北京ルートでの抗議、並びに「1日からの日長局長級協議は予定通り開催する」(岸田文雄外相)と表明するなんて、弱腰もいいところだ。そんな姿勢だからなめられてしまうのだし、実際1日からの日朝局長級協議でも大した成果は得られないだろう。相変わらずののらりくらりの北朝鮮外交に振り舞わされるのが落ちだろう。
 ここは日朝局長級協議の開催を蹴飛ばすくらいの気概を示すべきだった、と思うし、少なくとも北京ルートを通じてではなく、直接に北朝鮮へ抗議をすべきだった、と思う。北京ルートといっても北京の日本、北朝鮮の大使館を通じての抗議と思われるが、そんな回りくどい抗議に北朝鮮が耳を貸すとは到底思えない。北朝鮮と国交がないので、直接申し入れるような外交ルートがないのなら、今回の局長級協議開催で築かれたルートがあるだろうから、そのルートを使って抗議すべきだった、と思う。それも拉致問題の解決に差し支えるから、壊すようなことはしたくない、との判断が働いたとするなら、それこそ北朝鮮につけ込まれる源というべきだろう・
 北朝鮮から日本海へ発射された弾道ミサイル2発は500キロ先まで飛んだとされているが、仮に日本の漁船なり、なにかに当たるようなことがあれば、それこそ大きな外交問題に発展していたことだろう。日本海でなく黄海に向けて発射していないことみても日本が軽視されているなによりも証左ではなかろうか。
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正直、一体なにを伝えたかったのか、と思った演劇「19歳のジェイコブ」

2014-06-29 | Weblog
 28日は東京・初台の新国立劇場で演劇「19歳のジェイコブ」を観賞した。芥川賞作家、中上健次の原作を現代風にアレンジしたもので、、演出は大阪の演劇集団、維新派の松本雄吉が担当し、若手の石田卓也らが出演していたせいか、若い人が大勢詰めかけていた。ただ、原作の中上健次の無頼派の若者を忠実に追い過ぎたため、鈍想愚感子のような60歳以上のシニアにとっては見ているのがつらいような感じがした。若手俳優らが一生懸命に演じているのは伝わってきたが、見終わってそれが一体何を言おうとしているのかが正直よくわからなかった。
 「19歳のジェイコブ」はおそらく都心のジャズ喫茶にたむろする19歳のジェイコブとその仲間たちがジャズ、酒、セックスに溺れ、みずからを失っていく様をテンポよく描いていく。仲間のなかには金持ちの息子が左翼思想にかぶれてイデオロギー闘争に加わり、爆弾を投じて家族を死に至らしめたうえ、自らも死へ旅立ってしまう。親友を失くしたジィコブも途方に暮れてかつては一家皆殺ししてしまおうと思った恩師のもとにはせ参じるが、頼りの恩師もかつての輝きを失っていあみゃペンキ塗りに勤しんでいる始末で、益々追い詰められたジェイコブは結局、沼に飛び込んでいく。
 中上健次の影があまりにも大きすぎて、脚本も演出もどう料理していいいかわからないまま、取り組んだ感じで、その迷いが出演している俳優にも影響したようで、見ている観客も無頼派のこれでもか、これでもかという叩きつけるようなアクションにばかり目がいって、肝心のその精神を読み取るような余裕は全く生まれてこなかった。休憩のない2時間の幕あいだったが、見ているのがしんどくて途中何回も時計を見た。演劇を見ていて、こんなに時計を見たのは初めてのことだった。最前列で、演者の熱気が直に伝わってきたせいもあるが、これで一体なにを伝えようとしているのか、わからなくなってきたせいもあった。
 考えてみたら、2時間ずっと緊張が続いていて、途中笑いを誘うようなシーンが1回もなかった。普通、演劇のなかでは舞台回しを務めるような老婆とか、女中もたいな役回りの出演者がいて、なんということのないセリフをしゃべって観客にホッと一息つかせるようなことがあるものだが、この「19歳のジェイコブ」に限ってはそんな役者は見かけなかった。だから、見ていて疲れたというのが正直な感想である。
 戦後まもなくの演劇を現代風にアレンジしたのだが、いまだに赤電話というのは納得がいかない。いまは携帯電話の時代である。場面転換や、登場人物の感じていることをスクリーンに映る文字で表現しているのはいいが、それが演技のうえで生かされていないような気もする。主人公のジェイコブの魅力のようなものが全然伝わってこないのもそのせいかもしれない。
 土曜日で昼の部で、夜の公演も控えていたせいか、終了してだれ一人カーテンコールに出てきなかったのも符に落ちない。熱演で拍手くらいしてもいい、と思っていたのにあてがはずれた。観劇で終演後に出演者が一人も出てこなかったのは初めてのことだ。見ている観客が疲れてしまったのを感じ取ったのか、自ら疲れてしまったのか、どちらなのだろうか、と思った。
 それとタイトルの「19歳のジェイコブ」は現代風にアレンジするのなら、せめて「19歳の太郎」と日本風にしてよかったのではと思ったが、それでは観客動員ができないし、原作者の意図なり、著作権を損ねることになる、とでも判断したのだろう。
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古屋大臣のような政治家のセンスではとてもいまの舵取りを任せておけない、と思った次第

2014-06-28 | Weblog
 24日夜、東京・池袋であった乗用車の暴走事故は運転者である37歳の男性が脱法ハーブを使用して酩酊状態で自動車運転に及んだためという信じられない原因であったが、このことを受けて古屋圭司国家公安委員長が「脱法ハーブという言葉が問題で、呼称を変えることで、厚労省と協議している」と発言した。ことの始まりが脱法ハーブを飲用したことにあるのは間違いないが、それが脱法ハーブという言葉の問題であるという問題意識に政治家としてセンスのずれていることを感じざるを得ない。こんな政治家を抱えている安倍内閣に政治の舵取りを許しておくわけにはいかない。
 東京・池袋の自動車暴走事故は何の罪もない市民が死傷事故に巻き込まれた痛ましいものであるが、それを引き起こしたのが脱法ハーブだった、と聞いて犯人そのものの自己管理能力のなさにあきれるとともに、そんな脱法ハーブが野放しになっていることに憤りを感じる。飲酒も過度になれば同じような症状になることで、飲酒状態での自動車運転に対しては即免許停止になるうえ、事故を起こした場合は重い刑罰が科せられることとなっている。
 飲酒に比べれば脱法ハーブはより強いダメージをもたらし、そんな状態で自動車運転に至れば飲酒運転よりさらに重大な事故につながるのは火を見るより明らかである。なのに脱法ハーブが市中に野放しとなっているのは明らかにおかしい、と言わざるを得ない。なのに古屋大臣は「脱法ハーブという呼称が問題だ」と指摘する。呼称そのものがいかにも正当な印象を与えるかもしれない、という考え方があるかもしれないが、ことはそんなことにあるのではない。脱法ハーブを栽培、もしくは輸入して、販売し、市民が街中で簡単に手にすることができるのが問題なのである。脱法ハーブのなかで違法として販売、もしくは取扱いを禁止するものを規定することがまず大事なことである。そのために脱法ハーブを分類し、違法なものと違法でないものを取捨選別する必要があるだろう。そのために脱法ハーブの定義付けをしなければならない。まず古屋大臣がすべきことは法律の制定で、そのなかで脱法ハーブの呼称を考えればいいのであって、呼称から変えるというのは順序が間違っている。
 大体、政治家が世の中で使われている言葉を云々するのはおかしなことである。政治家そのものにそんなセンスがあるとは思えないし、委員会でも作って検討させたうえで、決めたとしてもその通りに世の中で流布していくとは限らない。センスがよければ透るであろうし、時流に敵わなければ消えていくものである。そうした流行のようなことに政治家が口ばしを挟むことな愚の骨頂である。古屋大臣は政治家のはしくれかもしれないが、そうしたものの道理がわかっていない政治家であることだけは確かなようである。
 もうひとつ、この事故で唯一、犠牲となって死亡したのが中国から留学してきた30歳の女性であることが判明したが、このことで日本政府の関係者が中国側に哀悼の意を表したということがないのが、いまの日中関係を象徴しているきように感じられた。直接は日中の外交関係に関係はしないことであるが、こんな日中関係であるが故にそうした配慮をするような人が一人くらいいてもいいのに、と思われた。
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成長戦略に女性登用の義務化が盛り込まれ、民間企業をも対象とするのはどう考えてもおかしい

2014-06-03 | Weblog
 3日の毎日新聞一面脇に政府の成長戦略の全容なるものが掲載されたが、そのなかで「女性の登用を義務化する」と盛り込まれているのが気になった。主に官公庁での女性登用の目標を設定するようだが、民間企業にも女性役員の広津の記載を義務づけるなどが盛り込まれるようで、それがどうして成長戦略になるのか疑問が湧いてくる。安倍首相のお声がかりで、単に女性票を取り込みたい一心からでた施策としか思えず、民間企業の経営意欲をそぐような施策で、果たして日本経済が成長軌道をたどることができるのか。
 毎日新聞のよれば、政府が月内にとりまとめようとしている成長戦略の全容は、国や地方自治体、企業に対し、女性登用の目標や行動計画の策定、公表の義務化を検討するもので、具体的には公務員への女性職員の採用・登用拡大のため、「国家公務員が率先して取り組む」とし、全府省の次官級からなる「女性活躍・仕事と家庭の調和推進協議会を設置し、目標の設定や進捗状況を公表し、取り組みを進めることにしている。また、企業に対しては、有価証券報告書に女性役員の比率の記載を義務づけるほか、コーポレートガバナンスに関する報告書に役員うや管理職への女性登用促進に向けた取り組みを記載するように求めることにもしている、という。
 女性の登用を官公庁で率先して行うことには異論はないが、こと民間企業に対しても女性登用を義務化するのは行き過ぎの感がぬぐえない。民間企業は女性だからといって人員を採用するわけではなく、厳しい競争条件のなかで最適の人材を採用し、それが男性であろうと女性であろうと気にはしない。たまたま、いままでは男性を採用することが多かったに過ぎない。総じて女性が優秀であれば、今後は女性の比率が高まっていくことになるころだろう。政府が女性の登用をしなさい、と奨励するから女性の採用が増える、というものでもない。企業経営を進めるうえで、いろいろなファクターを検討しながら、様々な意思決定をしていくだけのことである。
 それを政府がああしなさい、こうしなさい、と言うのは間違っているし、民間企業の活力をそぐようなことにもなりかねない。女性が優秀なら放っておいても女性の比率は自然と高まっていくことだろう。欧米先進国に比べて幹部社員の女性の比率が低いという理由だけから女性登用を奨励する、というのは間違っている、と言わざるを得ない。
 先日も田村憲久厚生労働相がある会合で、「課長補佐クラスの時間外労働について賃金を支給すべきでない」と発言していたが、これなども民間企業からしてみれば大きなお世話である。社員への賃金支給について、厚労省からあれこれ指示を受けることなど放っておいてくれ、と言いたくなる。労働基準法に定められた労働賃金を支払っている限り、国からとやかく言われたくない、というのが本音だろう。ブラック企業で時間外労働賃金が適正に支払われていないのならともかく、個々の賃金規定にまで国が口ばしを差し入れてくるのはいかがなものか。
 こんな大臣がいるから、政府の成長戦略に女性登用の義務化なるヘンテコな規定が登場してくるのだろう。企業経営のなんたるかを全く理解しない安倍政権にまともな成長戦略の策定を望むことなど覚束ない、ということなのだろう。
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沖縄美ら海水族館などこの15年で目に見えて豊かになった沖縄を見て思ったこと

2014-06-01 | Weblog
 5月27日から31日までの5日間、阪急交通社の「沖縄デラックス5日間」というツアーで沖縄を旅行した。デラックスとは名ばかりの総額3万9900円という沖縄までの往復航空運賃より安い料金が最大の魅力だった。沖縄への旅行は15年ぶりで、以前には見かけなかった那覇のモノレールが開通していたり、沖縄万博の跡地にあった海洋公園がなくなり代わりに新たに美ら海水族館が出来ているなどすっかり様変わりしていた。バスの車窓から見る風景も都市部には中高層ビルが立ち並び、地方でも4階建ての家があちこちで見かけられ、どこもきれいな街並みで豊かになっている沖縄に驚かされた。
 だから2回目の訪問ではあるが、どこへいっても全く以前の面影をとどめない全く初めてのような感じがした。今回は沖縄中北部が中心の旅で、そのなかで最も感激したのは沖縄美ら海水族館だった。体長8メートルものじんべえ鮫とナンヨーマンタが4匹いる水槽での餌やりは見ていて迫力十分なものだった。ちょっとしたビルのような巨大な水槽の正面は縦8.2メートル横22.5メートル、厚さ60センチの2002年の完成当時は世界最大のアクリルパネルに驚かされた。
 その前に訪れた琉宮城蝶々園は温室のなかで咲き誇る花に大きなアゲハチョウが群がって花の密を吸っているさまは壮観で、秘密の花園に迷いこんだような気にさせる。小さいころ、蝶々を捕ろうと追いかけた記憶がある者にとってはこんなに蝶々がいることなど信じられない気にさせられる。近くに寄ると、飛んできて、カバンや衣服に停まってくれるのは感激で、思わずかみさんに写真を撮るように頼んだくらいだった。あと首里城公園の守礼の門や新装なった正殿や勝連城跡など世界遺産となった観光施設がたくさんあるのも沖縄の大きな魅力といえそうだ。
 今回は5日間の観光だったので、沖縄本島北部の辺戸岬や茅打パンタなども訪れたが、途中行き交う車もなく、トンネルを抜けたあたりからあたりの全く様相が変わって低木ばかりとなって、まるで北海道みたいな感じとなった。辺戸岬は沖縄本島市北部に位置し、欧州ポルトガルの最西端のロカ岬を思い出させたが、建設中の休憩所らしきものがあるだけで全くの無人というのも面白かった。
 ただ、沖縄のどこへ行っても目につくのは米軍の施設で、嘉手納基地などは基地の周辺にかろうじて民家があるといった感じで、どちらが主人か、と思わせるほどだ。沖縄が戦後しばらく米国に属していたという事情もあるが、日本の米軍基地の70%余を受け持っているおいうのはどう考えても不自然なことである。いずれ出ていくかもしれないにしてもそんな負担を沖縄県民に強いてきた日本政府というのは狂っていたとしか思えない。いままた、普天間基地を名護市辺野古に移転するというのも間違っているとしか思えない。
 この10数年、沖縄が豊かになっているのは確かだが、その背景で進んでいるのは米軍基地があることによる政府なり、国からの援助で社会インフラが整えられてきて結果として豊かになった、という感がしてならない。そのことは沖縄にDFSショップがあり、日本からの観光客にも利用させていることに象徴されるようにどこかいびつな向での豊かさなのではないか、と思えて仕方がない。沖縄の人々が地に足のついた形で開発を進めるのならもっと違った形で目に見えてくるのではなかろうか。わずか5日間の滞在で、沖縄の姿がどこまで見えたのか、自信はないが、沖縄が魅力ある地域として多くの企業が参入してきて、経済が活性化し、沖縄に多くのお金が落ちるような仕組みが出来上がらないと豊になった、とはいえないのだろう。沖縄が本当の意味で地域振興がなり、日本本土と同じように豊かにならないと沖縄の戦後復興がなったとは言えないのではなかろうか、とも思った。
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