鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

小室圭氏が米ニューヨークの弁護士試験に合格したのは裏口の手によるものなのか、今後それは明らかになることだろうy

2022-10-31 | Weblog

 眞子さまの旦那の小室圭氏が3度目の米ニューヨーク州の弁護士試験に合格した。事前には今度もだめだろうとの予測が多く、鈍想愚感子もそう思っていた。そのことについて友人のB氏と話したら、友人は即座に「裏口だろう」と言い放った。確かに圭氏は眞子の主人で、雇用している米国の法律事務所にとって将来の日本の天皇の義兄にあたるわけで、そんな人が社内にいれば、なにかと便利で、なんとかして合格させ、日本の皇室となんらかのつながりがあれば、仕事のうえで大いにプラスとなる、と考えるのはありうることである。

 ただ、日本とは違って合理的な物の考えが優先する米国社会で、日本の政財界にはびこっているいわゆるコネのようなものが存在するものなのか、疑問に思えるし、これまで米国社会は実力の世界であると思ってきた。だから、およそ弁護士に向かない小室圭氏が米国の弁護士試験に合格することなんてあり得ないことである、と思っていた。昨年はじめの第1回目の試験には落ちたし、ことし2月の2回目の試験にも通過せず、3回目のこの秋に試験でも3回目の受験者の合格率は20%そこそこだといわれ、今回も落ちるのは確実だろう、と思っていた。

 それが一転、合格となったわけで、30年以上前に米国に出張した際に起きた事件を思い出した。日本を旅立ち、ロスアンゼルスからニューヨークに行く飛行機に乗り、コロラド州デンバーで給油のため一時着陸し、1時間ばかり時間があるとのことで、空港内をぶらついて時間になって、飛行機に戻ったところ、飛行機はすでに飛び立ってしまっていた。座席の横にコートやカメラの入ったボストンバッグも置いたまま飛び立ってしまっていた。ロスアンゼルスとデンバーとは1時間j時差があったことを忘れていて、時間を間違えていたのだった。乗っていた飛行機はニューヨークの確かラガーディア空港に行っているはずで、その後のニューヨーク行きの飛行機はジョンFケネディ空港と相成り、ラガーディア空港に着いてからジョンFケネデイ空港にかけつけ、荷物を探したが、トランクは見つかったものの、コートとバッグは見つからず、やむなくそのままホテルにチェックインした。

 季節は秋から冬のかけてで、翌日はアポがあったので、コートもカメラもなく、確か取材先のメリルリンチ社を訪問し、副社長らとの取材を終えた。その間に航空会社に数回電話し、つたない英語でなくなった荷物の所在を確認したが、依然として荷物の所在については確かな回答は得られなかった。それを横で聞いていた副社長の女性秘書が不審に思ってか、事情を聞いてきたので、状況を説明したところ、件の女性秘書は「それは許せない」と言わんばかりに副社長と相談したうえで、直ちに当該航空会社に電話し、代わって直談判してくれた。親切な人がいるののだ、と思ったが、ここはお任せするしかない、と半ば期待もしていた。

 その結果、翌日もメリルリンチ社の取材に向かったところ、失くなったと思っていたボストンバッグが届けられていた。コートも無事に戻ってきていた。女性秘書の説明によると、航空会社の雇っていた子会社の社員が持っていったようで、直ちに取り戻して届けられた、ということだった。1旅行者が必死になって訴えても取り合ってくれなかったのが、一流会社のメリルリンチ社の幹部が申し入れたら、一発で言い分が通り、もちらの要求通りの結果となったわけで、米国でもこうした日本で起きるようなことがありうるのだ、と納得した。

 米国でも特にエスタブリッシュメントの世界では日本の同じようなことが起きている、ということなのだろう。このことを小室圭氏のケースに当て嵌めてみれば、どこかで日本の皇室につながる人である、との判断が下され、ここは弁護士試験に合格させてやれ、との力学が働いたとしてもおかしくないだろう。それが小室圭氏を雇っている弁護士事務所だったのか、日本の宮内庁だったのかは想像の域を超えることではあるが、庶民にはわからない世界のことである。小室圭氏を雇っているニューヨークの弁護士事務所が一時、仮に小室圭氏が弁護士試験に落ちても雇用し続ける、との説が出たことともつながることかもしれない。

 ただ、これで小室圭氏は万々歳であるわけではない。本当に弁護士試験を合格したのかどうかが問われるにのは今後、実際に司法の世界でそれを証明していかなければならないわけで、真価が問われるのはこれからだろう。茨の道は続くということだ。

追記 小室圭氏のニューヨーク弁護士試験合格の報を受けて、ニューヨーク在住の日本の新聞テレビの記者が外出する小室氏を捕まえて、合格のお祝いを述べ、眞子さまの反応を伺おうとマイクを向けても何の反応もせず、黙って通り過ぎようとしている姿をテレビで流していた。いままで詳細は知らなかったが、5年前から小室氏はマスコミの記者に対してずっとそうした態度をとっていた、という。いままで通りといえばそうだが、一般の人には通らないことである。少なくとも今回の合格の報を受けてお祝いの言葉を投げかけてきているのだから、いままでと違って普通に応対した方がいい、と思われる。なのにこれまでのバッシング報道のようなつれない態度をとる、ということはいわば戦線布告をしているようなものであり、今後のことを考えると、小室氏、眞子夫婦にとって決して好ましいことではない。そのうちに何が起きても小室夫婦はマスコミから無視される、ということにもなりかねないことだろう。普通に生活していくうえでは決してあっていいことではない、と思われる。

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旧統一教会との関係にあくまでもシラを切る山際議員に神の鉄槌が下された、ということだ

2022-10-28 | Weblog

 今週になって、旧統一教会との関係でかねて国会で追及を受けてきた山際大志郎経済再生担当大臣が3年前に名古屋で開かれた会合で、韓鶴子総裁と並んで写真に写っているのが暴露され、岸田首相に諭されるような形で、「国会審議にこれ以上迷惑をかけられない」との名目で辞任した。山際議員は神奈川18区選出の衆院議員で、地元民としては恥ずかしい限りの不面目な代議士で、だれしも早く辞めてもらいたいものだと思ってきた議員で、やっと胸のつかえがとれた感じがした。

 で、最近近所に住むAさんと話したところ、Aさんは毎朝近くをジョギングしていて、曜日ごとにコースを変えているが、確か金曜日のコースでは山際議員のポスターが道際に10カ所くらい貼り出してあり、旧統一教会の問題が明らかになって以来、ずっと気になって、なんとかポスターの貼り出しを阻止し、代議士本人に地元民がどういった考えを抱いているののか、示したいものだ、と思っていた。そして、最初は手持ちのボールペンでバツ印をつけていたが、目立たないので、黒のマジックにし、つい最近は赤のマジックでバッ‥テンをつけてみた、という。

 そうしたら、その効果があったのか、今週始めの朝日新聞に山際大臣の地元で「軒先に貼ってある大臣のポスターをはがしてほしい」との声が大臣の事務所に寄せられた、と書かれてあった。大臣の地元で居直り、瀬戸際大臣に対する明らかな反発の声が届けられたわけで、これが本人の耳にも届けば、相当なボデーブローになるのは間違いないところだろう、とAさんは思った、という。これが本人の大臣辞任につながった、というわけで、Aさんのねらい通りに事が進んだ、と見ることもできる。

 Aさんはどちらかといえば、現政権に批判的な正義感の持ち主で、自民党の為す施策にはかねてから批判的な意見を語っていた。とりわけ、安倍元首相の事件以来、自民党と旧統一教会の関係がズブズブなことに怒りをあらわにしていた。それが地元選出の代議士にも及んでいるのが明らかとなって、その怒りをぶつけたのだろう。考えようによっては器物破損ということで、軽犯罪にでも問われかねない事象ではあるが、だれかわからない第三者が行ったこととして、目をつぶってもらうしかないだろう。

 ここは鉄面皮に旧統一教会との関係を隠し通してきた山際議員にそれだけのことをされてもやむを得ない側面があった、というしかないだろう。あくまでもシラを切り通す山際議員に神の鉄槌が下された、ということであるまいか。正直にいえば、Aさんに拍手を送りたい心境である。もっとも、自民党を旧統一教会の関係にメスを入れて、多くの被害者に国として救いの手を差し伸べることが最終的な解決の道であることを忘れてはならないことは言うまでもない。そして、自民党と旧統一教会の関係についても国民の前に真相を明らかにしてもらいたいものである。でないと信者2世の小川さゆりさんはじめ多くの人が浮かばれないこととなってしまう。

 

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日本の「安さ」を変えるには年功序列制度、終身雇用制度の変革が必要である、しかし、それへの道は相当に厳しいものがある

2022-10-17 | Weblog

 17日朝のテレビ東京の「モーサテ」を見ていたら、伊藤隆敏米コロンビア大教授が「日本の円をはじめ物価が安いのは日本の企業の年功序列制と終身雇用制度にある」と語っていた。伊藤教授によると、日本の企業は永年、年功序列制度を保ってきており、いまの急変する社会の変化についていけなくなっている、ということで、これを打開するには仕事、および成果に応じた賃金制度に改めないといまのグローバルに繰り広げられている産業界の競争に勝ち残っていけなくなる、という。確かにいまの円安は日本経済を直撃する構造変化を求めてきているので、日本の企業は大幅な改革を求められている、といえよう。

 日本の年功序列制度と終身雇用制度は明治以来の日本の産業界を発展を促してきた制度で、それなりの役割りを果たしてきたことは事実であろう。しかし、伊藤教授によると、いまや日本の賃金は諸外国に比べ上がらないだけでなく、30年以上勤めて退職後の生活を保障するような制度となっており、根本的に機能不全なものとなり果てている、という。この30年日本の労働者の手にする賃金は諸外国と比べ、ずっと劣るような伸びとなっており、これが国民の生活水準を低いままにしているでけでなく、ひいては円安という結果を招くことにつながっている。

 だから、伊藤教授はいまの賃金を成した成果に見合ったものの切り替えていくことが重要で、終身雇用制度と年功序列制度にも大幅なメスを入れることが必要だ、と説いている。企業が仕事を行っていくには社内の年功序列に囚われず、それなりの能力を持った人を外部から採用し、成果に応じた賃金を払う、米国の企業が行っているような制度に切り替えていくことが必要だ、としている。日本の賃金制度はいま働いている賃金を向こう30年間にわたって保証してもらった形で、半ば積み立てているようなもので、いまの企業が置かれた状況からみて決してふさわしいものではない、ともいう。そんな積み立て金のようなものは即刻、取り崩して労働者に配分するほか、他の必要な経費に回すべきだ、ともしている。

 確かにそうなると、企業と社員の関係は常に流動的な関係になり、仕事、およびその成果で社員が評価され、果たした労働の成果でその時の賃金が決まることになり、合理的なものになるうえで、望ましいものと言えるだろう。欧米の企業はそうした体系を造り上げてきており、日本もそうした体制、制度に移行していくべきである、ということなのだろう。

 しかし、それを見ていて、果たして、日本の企業にそうしたことが一挙にできるものなのか、という疑問が湧いてきた。日本の場合は企業内でひとつの事業を行う場合、それを決定するのに合議制で決められ、遂行や成果配分などについても合議制で進められ、だれが最終決定するについてもわからないような体制で進められてきたのが当たり前だった。それを即断即決のような形で果たして進められるのか、それにし遂げられた事業の成果をだれが評価するのか、という問題が残る。それは賃金を決めることにまで及ぶことである。

 さらには事業をだれに担当させるか、ということも簡単には決まらないようにも思える。然るべき人を外部から採用するについても人事部が行うにしても最後は役員面談とか、社長面談などの手続きが必要ではないか、とも考えてくると、いろいろ問題がでてきそうである。こいう考えてくると、企業内の組織、意思決定の仕方など従来の構造も大幅に変えていかないといけないようなことになってきそうでもある。100年以上にわたって築きあげられてきた日本の企業・産業界の構造を一大変革しない、といけないのではなかろうか、とも思えてきた。ということは日本の「安さ」を変えるのは並大抵のことではない、と思った次第である。

 

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止まらない岸田首相の支持率低下。我が家では岸田首相がテレビに登場すると、「バカボン!」との」声が飛ぶ。そんな首相にもう信頼は置けない。一刻も早く退陣願いたいものだ。

2022-10-13 | Weblog

  岸田首相の支持率低下が止まらない。先日、NHKニュースを見ていたら、見出しに「岸田内閣を支持する、しない逆転」と出ていたので、注目していたのだが、ずっとNHKの世論調査では「支持する」が「支持しない」を上回っていたのがやっと「支持しない」が「支持する」を上回った、ということだった。他のメディアの世論調査ではもっと早くから「支持しない」が「支持する」を上回っていたのに、どういうわけかNHKだけが「支持する」がメインとなっていた。岸田内閣が唯一の頼みとしていたNHKまでが叛旗を翻したわけで、これで、ほとんどすべてのメディアの世論調査が岸田内閣に「ノー」を突き付けたことになる。

 実際、このところの岸田内閣はやあることすべてがおかしな方向に向かっている。今月初めに国会を開催したと思っていたら、今週は鈴木財務相がG20の財務相・中央銀行総裁会議に出席するとかで海外にでかけたので、お休みということで、野党各党が手ぐすね引いて国会の予算委員会に臨もうとしているのにさっさと休会を決めてしまった。統一教会問題やロシア・ウクライナ問題や現下の円安などで政府の対応を厳しく追及しよう、と構えていたのに、まるで逃げたとしか思えないような処置である。首相が海外出張するのならともかく、財務相がいなければ副大臣なり、政務官、もしくは事務次官なりが代弁すればいいものではないだろうか。

 岸田首相が開催を決めた先の安倍元首相の国葬についても開催2週間経っても、いまだに国葬そのものの経費なるものが全く明らかになっていない。そもそもこの国葬についてどう評価するかの議論も進んでいない。あまつさえ、岸田首相はこの1週間これまで歴代の首相が足を運んでいなかった三重県の鈴鹿サーキットへ出かけてF1グランプリを観戦して挨拶をした後、自動車業界首脳と会談したり、鹿児島県霧島市で開かれた「全国和牛能力共進会」に出席して総理大臣杯を授与したりしている。あまつさえ、国として和牛の輸出促進に力を入れ、飼育に必要な餌の輸入に緩和措置をとるなど一国の首相としていささか踏み込んだ発言しているのに違和感を感じた。

 そもそも岸田首相は我が国がどんな状況に置かれ、国民が一体何に苦しんでいるのか、が全く頭に入っていないのではなかろうか。こんな観光気分でいま国の行うべきことをたまたま接した人たちにだけ現時点の糊塗策をいかにも「やってます」といいたげに発表する姿勢そのものが全くなっていない、と思われる。一体、岸田首相の周りにはそうしたことを窘めるようなアドバイザーなり、ブレーンとも言う人が控えていないのだろうか。最近の岸田首相の動静を見ている限り、そうした人が全くいないような感が深い。いてもその機能を果たしていないのだろうか。

 歴代の首相は自らの考えを発信する際には、こうしたことを言うなり、行うことについて自ら考えて、周りの然るべき人に打診し、「よし」との感触を得たうえで、発信したのに岸田首相にはまるでそうしたことを行っているようなふしがうかがえない。自民党なり、首相官邸ではもう岸田首相を見限ってしまっているのではなかろうか、とも思えてくる。こうなると、もう裸の大将で、行くところまで行ってしまって、自爆するしかないことだろう、とも思えてくる。つい最近、岸田首相は自らの長男を首相秘書官に任命し、これを国会で追及されて、「適材適所」と答えたが。これなどももはや末期症状というしかないだろう。だれが見ても「不適材」な勝手な人事であるのは間違いない。

 最近我が家ではテレビに岸田首相が映し出されると、即座に「バカボン!」との声が発生される。岸田首相はもう、そんな状態に陥っている、ということだろう。そんな首相にはもう信頼は置けない、一刻も早く退陣してもらいたいものだ。

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