鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

30年ぶりの甲子園出場ならず

2007-07-31 | Weblog
 29日は選挙を終えた後、横浜スタジアムに神奈川県高校野球大会の決勝、東海大相模高対桐光学園戦を見に行った。その前日、三男が所属していた東海大相模高は準決勝で、宿敵の横浜高校をここ20年来初めて夏の大会で破り、30年ぶりの甲子園出場が見えてきたからで、かみさんと勇躍出かけた。試合開始の1時間前に球場に着き、入場券を買って、一塁側の東海大相模高の在校生の応援団の上に席を確保できた。昨年は横浜との決勝戦で、超満員で、外野の上の方の席しか取れなかったことを考えると、相手が桐光学園なので、まだ席には余裕があった。
 注目の東海大相模高の先発投手は前日、横浜高相手に180球余投げ、9回完投した菅野智之君で、疲れが心配されたが、初回は3者凡退に討ち取る無難な立ち上がり。対して、東海大相模高は1回に4番の2ランホームランであっさり2点を先制する勝ちムードに入った。ところが、すぐに足をからめた攻撃で同点にされ、3回表に2点追加され、逆に2点のリードを許してしまった。それでも今大会ヒットのなかった菅野君がレフト前へヒットを打って、打線が活気づき、3点をうばい逆転し、打撃戦の様相が濃くなってきた。投手がヒットを打つと投球内容もよくなる、と言われるが、その通りに東海大相模はさらに1点を追加し、6対4とした。
 しかし、5回裏にヒットと3塁打を放ちながら、盗塁失敗で追加点をとれなかったことが響き、じりじりと追い上げられ、7回には遂に8対8の同点とされてしまった。桐光学園は5回から投手交代しているのに対し、東海大相模高は菅野投手が投げ続けた。終盤には前日からの投球数が300球を超えたであろうし、何よりも中盤からそれまでなかった四球が目立つようになってきた。
 で、9回表の桐光学園の攻撃で、2死までは難なくいったが、この日センター前ヒットを2本打っている4番バッターを迎え、慎重に投げて四球を出したことが命取りとなった。5番に遊撃への内野安打を打たれ、6番にも四球、そして控えの捕手にライト前にヒットを打たれ、決勝点を奪われ、負けた。
 最後の攻撃が前にランニングホームラン寸前の三塁打を放っていた好打者の1塁ライナーでダブルプレーとなって試合終了となった。
 なんとか、30年ぶりの甲子園へ行ってもらいたい、と応援団と一緒になってうちわをふり、手を叩き、声を出して、必死に応援したため、気がついたら、上半身汗びっしょりとなっていた。お茶のペットボトル3本を飲み干し、それがみんな汗となってしまったようだ。昨年は外野でそんなに応援しなかったので、汗もかかなかったが、今回はそれだけ熱が入ったのだろう。
 夏の大会では常に横浜高校に負けていたので、今回はいけると思ったのだろう。横浜とは80年以来夏の大会では8連敗していた、という。でも考えてみれば、桐光学園とは5年前にも決勝であたって負けている。つまり、この5年間で3回、決勝まで進んで負けているわけだ。東海大相模高野球部の門馬敬治監督が試合後、「あと何か一歩足りなかった」と語っていたが、その通りだろう。横浜高校に勝ったのも振り逃げによる3点があったからで、実力で勝ったわけではない。先発投手をもう1人養成して、1点を確実に取りにいく手堅いチームつくりをしないと、甲子園への道は開けないだろう。
 30日に大阪大会で超高校級の中田翔選手を擁する大阪桐蔭高が金光大阪に破れる大波乱があった。高校野球に限らず、勝負に絶対ということはない。
 東海大相模高校には、来年こそ夢を実現してほしいものだ。
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安倍首相の首が曲がっている

2007-07-30 | Weblog
 参院選で自民党は獲得議席37議席に止まり、友党の公明党の9議席と合わせても46議席と参院の過半数確保ははるか彼方へ去った”歴史的大敗”を喫した。予想通りというか、予想を大幅に上回る敗退ぶりで、事前の新聞各紙の予想がここまで当たるとは国民に怒りが強かったことを裏付けている。開票が始まり、すぐに出口調査で傾向は出ていたが、自民党首脳は「開票の結果を見守る」と語るのみで、その段階では一縷の望みをつないでいたのだろう。ただ、29日夜、9時半頃に開票速報のNHKテレビにテロップで「安倍首相、続投の意向」と流された。で、その通り、会見に現れた安倍首相は「反省すべきは反省する」と首相を辞任する考えはないことを表明した。ただ、テレビに映るその姿は迫力がなく、首が右側に傾いていて、あたかも首を切られる寸前、といった感じで、人間こうはなりたくない姿そのものだった。
 自民党が大敗したのは1人区でわずか6つしか勝てなかったこと(逆に民主党はじめ野党が23勝)が響いており、特に岡山全県区で、参院自民党の幹事長を務める片山虎之助元総務相が民主党の姫野由美子さんに敗れたことが象徴的なことである。それと多くの複数区で民主党が2人当選したことも民主党の大勝をもたらした。
 なのに、安倍首相がいち早く続投を決めたのは参院選が政権を担うかどうかを決める選挙ではない、との観方があり、早くから自民党執行部が責任論を回避する議論として表明してきた。負けることが予想されていたためであるが、こんなに大敗するとは思っていなかったことだろう。
 だから、想定外のことが起きたわけで、リスクマネジメントとして考えていなかったのだ。組織を運営していく上でお粗末なことこの上ない。負けても新党日本から離党した議員を自民党に抱き込んだり、場合によっては国民新党と連携することで参院の過半数を確保できるだろう、と読んでいたのだろう。それらの姑息な手段をとってもどうにもならない大敗では打つ手がない、といのが正直なところだろう。
 で、安倍首相の居直りを決めた、というか、そうせざるを得なかったのだろう。自民党あげて安倍晋三に代わる人をすぐには指名できない、ということなのだろう。頼みの麻生太郎外相はアルツハイマー失言で資格を失っているし、一部に小泉前首相を推す声があるが、すでにアルコール依存症のようで、とてもその任には耐えない状況であろう。
 となると、消去法で、安倍首相の続投しかない、ことになるが、29日の会見ですでに首が曲がっていては大丈夫か?、といいたくなってくる。
 ここは自民党に人材がいないわけではないのだし、首の曲がった輩に一国の行政の任を任せるのはいかがか、と思うし、総裁選をして新首相を選んだらいい。こんな状態でのんびり外遊に出て、安倍首相が諸外国の首脳に「日本の首相でござい」と挨拶するようなみっともないことだけは止めてほしいものだ。

追記 総務省によると、今回の参院選の投票率は選挙区で58.64%で、前回より2.07ポイント、比例区で58.63%で同2.09ポイント、それぞれ上昇しただけであった。参院選の投票率の60%割れは92年以来で、過去6弁目に低いものだった。選挙前には高い投票率が予想されたのに好天に恵まれたせいか、それほど高くならなかった。にもかかわらず与党、とりわけ公明党の不振につながったのは、国民の現政権に対する不満、怒りが爆発した、と見るより他ない。30日正午現在、続投の姿勢を変えていない安倍首相はこの事実を何と思っているのだろう。もはや、正常な判断力を失っているとしか思えない。
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安倍首相に最後の審判を下せ

2007-07-29 | Weblog
 ここ数年の最大の政治決戦である参院選が29日行われる。ガバナビリティのない安倍首相に最後まで神さまは味方しなかったようで、安倍首相は遊説最終日となった28日は都内で演説を締めくくったが、党首が最終日に都内だけの演説で終わったのは初めてのことという。それもあまりにも人気のない党首に地方からお呼びがかからなかった、というのだから、さもありなんといった感じである。選挙終盤になって、参院選は国政を問う選挙ではいのだから、仮に大敗しても安倍首相は退陣する必要はない、と責任を回避する議論が自民執行部の間からもれ伝わってきたが、一軍の将たるもの自らの進退は自分で決めるべきものだろう。
 それにしても安倍首相は最後の最後まで運のない人である。事務所経費問題で渦中の赤城徳彦農水大臣の事務所経費の2重計上が発覚して、出張先の北京にまでテレビクルーに追い掛け回され、挙句の果てに重病で帰国を1日遅らせ、北京、成田空港で、その是非について追及され、しどろもどろになっている体たらくを逐一報道された。
 さらには安倍首相が政権担当10カ月の成果として自慢する経済の回復も土壇場ともいえる27日の東京株式市場は日経ダウで前日比418円28銭安の1万7283円81銭と下落し、年初来安値を記録した銘柄が今年最多の415にのぼった。ニューヨーク株式市場の下落を受けたもので、ニューヨーク市場の下落はさらに続いているので、週明けの東京株式市場も下落が予想されている。日本経済の回復は専ら民間企業の自主努力によるもので、なに自民党・安倍内閣の功績でもなんでもないが、安倍首相はさも自分がやってきた、言わんばかりの口ぶりだった。それも底の浅い回復ぶりであることが露呈されたわけで、安倍内閣の手柄でもなんでもない。仮に安倍内閣の手柄であったとすれば、いまは汚点となっているわけである。
 安倍首相が演説で「我々は負けるわけにはいかないんです」と言っているのも聞いていて、本当にこの人は政治をきちんとしてきた人か、と疑いたい気持ちになる。全く、しらける言葉である。そんなこと我々は知ったことではない、逆に「あなたは何をしてくれたのですか、そして何をしてくれるのですか」と聞きたい。
 もうこれ以上、お坊ちゃまの政治ごっこに付き合ってはいられない。
 選挙結果の如何を問わず、安倍首相は退任してもらうのが日本国民にとって一番いい。

追記 朝10時半ころ、近くの小学校へ選挙に出かけたら、やけに人が多い。地方区、比例区とも投票するブースがいっぱいで、待たなければならなかった。こんなことは初めてのことだ。校庭の外でどこかのテレビ局と思しき男性が出口調査なるものをしている様子であった。いつもは昼前後に行くことが多いので、印象による比較でしかないが、今回の参院選の投票率は相当に高い、と感じた。年金問題と格差に国民は怒っている。その怒りが投票にでかけることで表されているのだ。安倍首相よ。首を洗って深夜の退陣表明の記者会見に臨め、と言いたい。
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日本経済に地殻変動が‥‥

2007-07-28 | Weblog
 以前の会社に勤めていた女子社員が3人そろって辞める、と挨拶に来た。8月末で退社するが、同業の会社へ移っていく、とのことである。いまの会社もそうだが、新入社員以外に途中入社も適宜行っているので、その代わりに途中で辞める人も出てくる。が、パラパラと辞めていくことが多く、3人そろって辞めるのは「何かあるのでは」と勘ぐりたくもなってくる。確かにグループ全体で成長が止まってきており、従来のように将来に明るい展望がある、といった感じでなくなってきただけに若い従業員を惹きつけるものがなくなってきているのは否定できない。それと、業況が全般に良くなってきて、人材の流動化が起こり始めたようでもある。
 日本経済はバブルがはじけた1990年以降、ずっと低成長を続けてきた。賃金も横ばい、もしくは少ししか増えない状況で、とにかく職にさえありつけばいい、と労働者もあきらめていたふしがある。いまの職場を変わっても賃金を含めいまよりいい条件のところはない、と半ば諦めてもいた。つまり、「ここしかない」ではなく、「ここでもいい」との心境で職場が選択されていた。
 ところが、日本経済の上向きで、ばらつきはあるものの、いい給料で優秀な人材を求める動きが好調企業の間で出始めたことから、人材の流動化が出始めたようである。これまでも外資系企業中心にそうした動きがないわけではなかったが、最近は業績好調な日本企業の間でも今後の成長路線を敷くうえで、人材確保に乗り出すことが必要、ということで、高条件での人材の募集に入り始めた。ということで、人材の流動化が始まったようである。
 まず、影響を蒙っているのがこれまで低賃金で若年労働者を多数確保して、業容を伸ばしてきたグッドウイル、ライブドア、イーオンのような急成長会社である。低賃金でいいように若年労働者をこき使ってきたビジネスモデルが崩壊しつつある、というわけだ。単に低賃金ベースの経営構造だけでなく、経営ビジョンそのものが社会に受け入れられるものでなく、心ある従業員からもそっぽを向かれていた側面もあったのだろう。ライブドアの堀江貴文元社長のようにお金を儲けることだけの経営理念では崩壊するし、なによりも心ある従業員から見放されるだろう。
 経営者たるもの、まず自身の周りをきれいにし、次いで家庭を、さらには会社を、そして最終的には社会への貢献をすべきだろう。セルフ・ガバナンス、ファミリー・ガバナンス、コーポレート・ガバンンス、そしてソーシャル・コントリビューションである。それのない企業は従業員から見放される、ということだ。
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いまが旬の中幸介

2007-07-27 | Weblog
 26日はいつもの「題名のない音楽会」公開番組収録で、三軒茶屋の昭和女子大へ出かけた。前半はハンカチ王子にはいっけたクラシック界の作曲家を○○王子、××王子に仕立てて、名曲のさわりを聞かせるもので、題名のない音楽会初登場の山形交響楽団の演奏でハンガリー狂詩曲第2番など5曲を聴いた。派手な衣装の女性演奏者を望遠鏡で見ると、結構お年を召した人が多くて、さすが山形といった感じ。指揮者の飯森範親氏が常任指揮者を務めているそうで、N響を聞き慣れた耳には若干、切れがないような感じを受けた。それでも一生懸命演奏していて、ムソルグスキーの「禿山の一夜」は良かった。
 後半は徳永英明といま注目の忠幸介両氏による「大人のためのJーPOPラブソング」で、男性にしては珍しい高音の歌手の競演が聞かせた。出だしはそれぞれの持ち歌の「壊れかけのRadio」と「花」を歌い、観衆を魅惑した。徳永英明の歌を」聞くのは初めてで、高くて甘い声のいかにも女性にうけそうな歌手であることを実感した。
 一方の中幸介は1年くらい前にこの「題名のない音楽会」に登場し、沖縄の民謡のような透き通った高い声で歌うのにいいな、と思っていた。その後、テレビにもちょくちょく出演するようになり、つい1,2週間前にもテレビ神奈川の朝の歌手が出演するバラエティ番組にも出演していた。この11日に発売したアルバムがヒットチャートの4位にランクされ、人気急上昇中でもある。
 今回は女性歌手らのヒットしたラブソングを2人がカバーして歌う企画で、徳永英明が石川ひとみの「まちぶせ」を、中幸介がRUIの「月のしずく」などを歌ったが、中幸介にとってはやや早すぎた試みようような感じがした。中幸介の高音の良さが出ないように思われたのだ。ただ、最後に2人でデュエットした高橋真梨子の「桃色吐息」は絶妙の味を出していて、抜群に良かった。ゲスト司会の錦織健も絶賛していたが、「題名のない音楽会」ならではの試み、といえよう。
 山形交響楽団もクラシックより、POPSの演奏の方がお得意のようで、団員も興に乗ってか、楽しく演奏していたようだった。地方ではクラシックよりPOPS、民謡のが人気があるのだろう。
 帰りに中幸介のCDを¥3059円也で購入した。中幸介氏はいまが盛りのような気もしたからだ。
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あっけらかんとした現代若者気質

2007-07-26 | Weblog
 先日、ハーベスト伊東へ行った折りのことである。午後3時過ぎにテェックインして、プールでひと泳ぎし、ゆっくり温泉に浸かったあとに、外で食事をしようかな、エレベーターでフロントのある2階で降りて、エントランスへ向かおう、としたところ、エレベーターで乗り合わせた親子連れがフロントの係員から人数分の傘を借りていた。当方は折り畳み傘を持参していたので、借りる必要はなかったので、そんなサービスもあったのか、と思ってエントランスへ行くと、前を歩いていた10人くらいの若いグループの全員がホテルの傘をさしていたのに唖然とした。
 いつもh-ベスト伊東に来る時はホテル内のレストランは敬遠して、外へ食べにいくことにしている。それでも行く時には多少、遠慮勝ちにそっと出ていくことにしている。だから、外へ出る時にはベランダから手を差し出して、雨が降っているか、いないかを確かめながら、降っている時には必ず傘を持参する。
 それをグループのうち1人も傘を持たず、なおかつ堂々とフロントで備え付けの傘を1人1本づつ借りてくるなんて、全員どういう神経をしているのか、疑う。ホテルの収容能力からして、相当の数の傘を備えてはいるのだろうが、一度にこんなに借りてしまって大丈夫か、と思わないものなのか。せめて、2人で1本の傘にするとか、考えなかったのだろうか。集団で行動すると、とかくこういうことになりかねない、とはいえ、ちょっとお粗末である。
 最近の若者は日頃から、およそ、周囲からどう見られるのか、相手がどう思っているのか、を考えもしないのだろう。こんな傍若無人ぶりな行動をしているようでは、知らず知らずに周囲で迷惑を蒙っている人がいることだろう。だれかが、そうした配慮、思いやり、といったことを言わないと、ずっと知らないままに人生を過ごしていくことになることだろう。
 こんな連中と行こう、と思っている料理屋で鉢合わせするのはかなわないな、と思っていたら、途中で、反対方向へそれていったから、ホッとした。
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判りにくい参院比例代表制

2007-07-25 | Weblog
 先日、参院選の各戸に配られる公報紙を見ていて、旧知のOさんが参院比例代表に立候補しているのを見つけた。しかも黒川紀章氏率いる共生新党の若尾文子の次に名前が出ているのを見て、びっくりした。24日朝、NHKテレビの政権放送で自民党の比例代表選に立候補している35人が安倍首相の司会のもと、1人20秒づつ次から次へと登場しているのを見て、気になり、たまたま手元にあった公報紙を見てわかったのだ。もう選挙終盤で、いまだにOさんからは何の連絡もないので、それほど親しい仲ではないことがはっきりしたわけだが、それにしても参院の比例代表選は意味合いのわかりにくい選挙である。
 Oさんはかつて米国大使館商務部に勤めていて、仕事の関係でお世話になり、よく会って話を聞いていた。Oさんは国際政治に関する著作を書いたこともあり、米国大使館を辞めたあと、国際政治関係のコンサルタント会社を設立していたが、数年前に選挙に出ると言って、衆院選、しかも縁もゆかりもない埼玉県から無所属で立ち、あえなく敗退した。その後、しばらく温和しくしていたが、またぞろ政治への嗜好が頭をもたげて、立候補する、との噂が聞こえてきた。
 で、つい2カ月前、渋谷の映画館で「バベル」を見終わって、廊下に出たところ、バッタリOさんと何年ぶりかで会った。そこで、思わず、「また、選挙に出るのですか」と聞いたら、「いやあ、お金がないから出れませんよ」と言っていた。
 ところが、それから、数週間して、日経に今回の参院選の立候補予定者一覧が掲載されたら、東京地方区にOさんの名前が出ていた。そうなのかな、と思って公示の際に注目していたら、東京地方区にはOさんの名前はなく、今回は見送ったのかな、と思っていた。
 今回もOさんの当選の可能性は少ないだろう。それでもOさんの政治への傾斜は止まらないのだろう。何がそうさせるのか、政治には常人には量り知れない魔力が潜んでいるのだろう。
 いつからか知らないが、参院比例代表制は党の名前を書いても、候補者の名前を書いていいことになった。従って、名簿の順位は関係ない。党に投じられた票は候補者が獲得した票数に応じて案分されることになっているようだ。いずれにしろ、個人である程度の票を獲得しないと、当選はおぼつかない。
 各党の比例代表制の候補者を見ていて、どうしてこの人がという人がチラホラいる。たとえば、国民新党の関口房朗氏など、どう考えても国民新党の党是・政策に同調しての立候補とは思えない。いわゆるタレント候補の多くがなぜ、自民党から、なぜ民主党から、なぜ新党日本から、と思わせる。
 この困惑は政党名でもいい、としたからではないだろうか。以前のように個人名だけでの投票にした方がすっきりする、と思うのだが‥‥。 
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タイピンが失くなった

2007-07-24 | Weblog
 ある日、気がついたら、気に入っていたグッチのタイピンがどこかへいってしまっていた。幅広ネクタイ用のもので、ちょっと緩かったので、知らない間に落としてしまったらしい。今年のバレンタインの時に週刊誌の広告で見て、いいなと思って買ったもので、わずか半年で紛失してしまった。我ながら情けないことで、悔しい。
 グッチのタイピンはガラスの周囲が金メッキで縁どりがしてあり、ネクタイの柄がガラス越しに見られ、右隅下に英語でグッチと書いてあるしゃれたもので、2、3のグッチの専門店を見て回ったところ、なくて、最終的に新宿・伊勢丹の男の新館のグッチの専門店にあるのを見つけた。ウィンドウのショーケースに飾ってあるのを出してもらい、身につけてみると格好いい。でも、ちょっと留め金のところが緩そうだったので、同じものは他にないか、と聞くと「現品限り」といい、「他のチェーン店から取り寄せることもできます」と言ったが、すぐに欲しかったので、それを買うことにした。ところが、奥へ引っ込んだ店員がなかなか出てこなくて、おかしいな、と思っていた。
 それでも購入して、1週間後くらいに身につけてみて、やはり留め金が緩いのと、上から見てガラスの下が赤く、なにかゴミが溜まっているようなところがあるのが気になった。後から考えると、店員が包装に手間取ったのは留め金が緩いのを直そうとしていたのと、やや不良品っぽいので、売るのを止めようか、と検討していたのだろう、と思った。
 鈍想愚感子は以前から伊勢丹のアイカード会員となっており、食料品以外の商品は割引価格で購入できる。だから、というわけではないが、伊勢丹で購入したものについてはついつい粗末に扱うようになってしまっているのかもしれない。以前にも伊勢丹で購入したばかりのネクタイ、下着をそのまま、電車の網棚に置いて忘れてきてしまったし、今回もタイピンの置き場所を決めているのに、失念してどこかに失くしてしまっても数日気がつかなかった。
 昔ほど物を失くさなくなったが、小さい頃はよく物を失くしたり、盗られたりした。買ったばかりのトランジスターラジオを落としたり、自転車をカギをかけずに盗られたりした。そういえば、評論家の小林秀雄氏はよく物を失くしたそうで、文人仲間とエジプトに行った際にカメラを失くしたが、帰国して写真を現像したら、石の上にそのカメラが写っているのを見て、そこへ置いたままにしていたのだ、と得心した、と書いていた。
 小林秀雄氏でも物を失くすのだから、凡人の鈍想愚感子が失くすのは当たり前、とでも思って慰めることとしよう。
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”政治ごっこ”しているボンボンの安倍首相

2007-07-23 | Weblog
 新潟県がIAEA(国際原子力機関)に東京電力刈羽原子力発電所の安全確認調査を依頼した。新潟県中越沖地震発生以来、うそに次ぐうそで信用できない東京電力、および政府は頼みにならない、としてIAEAにきちんとした調査を依頼したもので、東京電力と馴れ合いの政府に対しても不信任状を突きつけたこととなった。これで、もっとも立場を失くしたしたのは新潟県中越沖地震発生後直ちに現地入りし、刈羽原発にも立ち寄り、安全確認したはずの安倍首相である。参院選目当ての単なるパフォーマンスであることがはっきりした安倍首相はこの責任をどうとるのだろうか。
 安倍首相は今回の地震が発生した時は長崎県にいた。応援演説を早めに打ち切り、予定していた熊本、宮崎入りを替えて、東京に戻り、その日のうちに現地入りし、新潟県柏崎市、避難所、そして問題の東京電力刈羽原発を視察し、早期復旧を指示して東京へ戻った。刈羽原発は安倍首相が帰った後から、火災の発生、および低レベル放射性廃棄物タンクの倒壊、放射能の海底への流出などの問題が相次いで発生した。
 刈羽原発の事故はトータルで63件にも及ぶとされており、数日前に報道陣に公開された発電所内の状況でも所内道路で1メートル近く陥没している箇所や、黄色いタンクが倒壊している箇所が放映されていた。刈羽原発の想定していた地震は震度6.5までで、今回の地震はそれを超えていた、ともいう。さらに今回起きた海底側に地層調査はしていなかった、ともいう。恐らく、安倍首相が視察した際にはあたり障りのないところだけを選んで案内し、適当に説明していたのだろう。
 22日のTBSの「日曜討論」でも加藤紘一自民党元幹事長、堺屋太一元経企庁長官2人とも「トップが真っ先に現地入りするのは情報管理上、いかがなものか。担当大臣が行くのがベスト」と指摘していた。加藤議員は「選挙中でなければ、行ってないだろう」とも皮肉っていた。
 大体、長崎での演説で「これから新潟へ行かなければならない」と公然と言うものなのか、疑問である。いかにも「私はこれだけみなさんのために奮闘している」と広言しているようなもので、男たるものやると決めたら、黙って実行するものである。お坊ちゃん首相だから、いかにもやってます、ということを周りに吹聴したくてしたくて仕方がないのだろう。それにVIPは動静を少なくとも事前には明らかにしないのが鉄則である。国の危機管理どころか、自らの危機管理さえできていない。さぞかし、警護しているボデイガードも困惑したことだろう。自衛隊のヘリコプターが用意できなくて、当日1、2時間ばりスケジュールが遅れたと伝えられているようだが、問題は警護をどうするか、ということだったのではなかろうか。
 安倍首相は参院選どころか、政治そのものを”政治ごっこ”の気分で行っているのではなかろうか。そうとでも思わなければ理解できない。
 
追記 22日付けの朝日新聞によると、政府は刈羽原発の調査を申し入れてきたIAEAに対し、「その余裕がない」といsて断った、との記事が掲載されていた。新潟県のIAEAへの調査申し入れがこれを受けてのものかどうか、は定かではないが、ここ一連のドタバタを見ていて、新潟県に分があるのは確かなことである。事前の地震への対応をなおざりにしてきた東京電力、およびそれを容認してきた政府の罪は重い。

追記2 そういえば、1カ月くらい前から7月20日に北朝鮮から拉致家族が生還するサプライズがある、との噂が流れていた。万景峰号が新潟かに寄港するので、それに生存している拉致家族を乗せてくる、とのもっともらしい解説がついていて、それが安倍首相の失地回復につながる、とのお触れだった。新潟県中越沖地震でそれもすっ飛んだのかもしれないが、もともと単なる噂だったのだろう。もう安倍首相にフォローの風が吹くわけがない。考えてみれば、安倍首相が日頃キャッチフレーズで使っている「美しい国、日本」の美しい国、美国はベトナム語か、中国語で米国、アメリカを指す言葉である。ベトナム戦争の時にミー(美)はアメリカを指す言葉として言われた記憶がある。日本を米国の属国として位置づけているわけで、とんでもない人である。仮に戦争中なら、敵国のスパイとして処刑されてもしかるべき人である。そんなキャッチフレーズで総裁に選ばれた人を首相に抱いている国民は哀れなことこの上ない。
 
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老いてなお盛ん、Kさん

2007-07-22 | Weblog
 知人のNさんから書籍「知多半島」が届いた。愛知県知多半島の東浦村に育ったKさんの生い立ちを綴った自伝である。いま流行りの自費出版で、最後に知多半島の観光がPRしてある300ページ余の力作である。Kさんとは約30年前に外資系コンピュータ会社の広報課長をしている時に知り合った。お互い愛知県出身ということで、話が合い、こちらが仕事を変わってからも付き合いが続いてきた。Kさんは1934年生まれであるから、72、3歳である。いまなお、現役で会社経営に携わりながらの本の執筆で、老いてなお盛んなことである。
 Kさんはいまも東京・千代田区麹町にオフィスを構え、コンサルティング会社の代表取締役をしている。「知多半島」はその事務所に突然やってきた幼な馴染が故郷へ戻って死んでしまうところから始まる。そして、幼少時の思い出から自伝へとつながっていく筆のさえを見せる。もちろん、世間的には無名の人なので、読んで感動するような場面があるわけではなく、淡々とエピソードが綴られていく。
 パラパラと読み進みながら、Kさんは確か以前に「企業広報の心得」みたいな本を書いていたことを思い出した。リスク管理上、企業にとって広報は重要な戦略を構成している。
 かつて、Kさんと共通の知人と一緒にKさんの事務所を訪れた際に結構、立派なオフィスを構えていて、右腕と称する人が出てきて、企業経営について流暢に話したのを聴いて、驚いたことがある。企業広報を経験したこと武器に堂々たるコンサルティング会社として活躍していることに若干の違和感を抱いたのだったが、その背景としてあの本があったのだ、と改めて納得した。
 鈍想愚感子はよく、人に企業にとって広報の大事さをアピールするのに「広報は社長と同じ目線で社内外を見て、発言するのが必要」と言い、某一部上場企業の現社長、N氏が広報を担当した時にそう言ったら、20年後に社長になってしまったことを例にあげている。これからはKさんもこの例に加えよう、と思う。
 70歳を超えて、現役で、なおかつ本を書くなんてなかなかできることではない。今後とも頑張ってほしいものだ。 
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