鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

単なる僻み老人のビートたけし

2007-01-31 | Weblog
 宮崎県知事となったそのまんま東こと、東国原秀夫氏フィーバーともいえる現象が民放テレビのワイドショーでおきている。この週明けに中央官庁への挨拶に上京したそのまんま東を各局のレポーターが追いかけた。いまや時の人であり、先週末から始まった国会論戦がかすむほどでもある。昨夕のワイドショーを見ていたら、前日のテレビ朝日の「TVタックル」でビートたけしがかつての弟子、そのまんま東が知事になったのなら、俺は総理大臣になれる、と言った、と報じていた。実際に番組を見ていないので、前後の脈絡がよくわからないが、いつもの驕り高ぶった調子で言ったのに違いない。そんな形でしか、弟子を評価できないのか、と淋しくなるような発言を聞いてあきれた。もとからビートたけしは嫌いだが、ますます嫌いになった。
 ビートたけしはそのまんま東の選挙戦にもふれ、芸能人が1人も応援に行かなかったのは頼んだがみんな断られたからだ、とも言った、という。事実かもしれないが、早くからビートたけしはそのまんま東の選挙には応援に行かない、と宣言していたから、少なくともたけし軍団は行きたくても行けなかったし、たけしの顔色をうかがうような芸能人はみんな遠慮したのだろう。政界進出についてたけしとそのまんま東とどんな話がされたのかはわからないが、絶縁に近い状態になったのは確かだろう。そんな空気を作ったのはたけしだろうし、1人も応援に行けなかった元凶は自分にあることを認識すべきだろう。
 もちろん、いまとなっては、知事選で芸能人の応援演説が1人もなかったことが勝利に導いた要因の1つになっていることは明らかである。改革出直しをキャッチフレーズとする真面目な選挙にお笑い芸能人が登場したのでは、その真面目さが割り引かれてしまう。選挙参謀がいたかどうかしらないが、結果としては芸能人の応援演説が一切なかったことは大正解だったのである。
 前知事が談合汚職で辞任したことと、自民党が2つに割れたこと、それに孤立無援で闘ったことすべてがフォローの風となって時の運を引き寄せたことが知事の座を勝ち取った。そうした空気を知ってかか、知らずか、かつての弟子を見下したような発言をするビートたけしはもうお笑い界の王様でもなんでもない、単なる僻み老人である。以前は毒舌が面白くてよくたけしの出るテレビを見ていたが、ある時から世間なり、視聴者を馬鹿にしている態度が鼻について一切見なくなった。したがって「TVタックル」も見ない。今後も一切見る気はない。
 くたばれビートたけし。そしていまやビートたけしを超えた東国原秀夫知事に頑張れ、とエールを送りたい。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それぞれの法事の意義

2007-01-30 | Weblog
 この休日、おばさんの1周忌があって名古屋へ行った。朝10時から始まるというので、8時10分新横浜発の新幹線に乗った。JR東海のEXPRESSでポイントがたまったので、グリーン車でゆったりと座った。天気がいいせいか、珍しく富士山がきれいに見えた。暖冬のせいか、雪が少なめで、きりっとした姿であった。名古屋駅からタクシーで会場の竹雲寺に向かった。地図で目にした通りの名前を運転手に言ったら、その通りに走って、迂回路を走ることになり、ギリギリの時間となってしまった。1年前にきているはずであるが、具体的なロケーションがあやふやで、少し道を間違えてしまったのだ。
 着いて、出されたお饅頭を食べる暇もなく、法事が始まった。前にはいいお経だ、と思ったが、今回はあまりピンとこない。お経を聞いていて、いつも思うのだが、こうした場合、やはりお坊さんの肉声でないと、有難味がないのだろうか。仮にテープで流したり、素人が勝手にお経をあげることは許されないのかしら、と思う。肝心なのは故人を偲ぶことなのだから、法事にもいろいろな形があっていいのだろう、と思う。単位集まって花を差し上げ、勝手なことを言って、会食するようなことでもいい、とは思うのだが、喪主かだれか、それを考えるのは大変だろう、と思う。それと、法事である以上、どこかで墓とか、慰霊とか、宗教的な匂いがないといけないのかもしれない。
 法事が終わって、近くの八百彦本店で会食となった。今回は16人で、4人ずつの席に分かれ、姉と魚屋を営む従兄夫婦と同じ席になり、それぞれの子供の話やら、身内の昔の話、商売の話をして、たくさんあった料理をほとんど平らげてしまった。
 で、手提げの腕が痛くなるほどの引き出物をいただき、車で名古屋駅まで送ってもらい、発車まで時間があったので、姉と喫茶店で小1時間談笑した。聞けば、昨年は顎関節症と捻挫で散々な1年だったとか、そういえばいつまでも若いな、と思っていた姉の表情にも老いが感じられるようになっている。昨秋、上京して初めて墓参りした時に泣いていたのはひょっとしたらこれが今生のお別れになるかもしれない、と思っていた、と大袈裟な姉らしい告白をしていた。
 考えてみれば、今回は席が離れていた「せいか、肝心の喪主家族とはほとんど会話をしなかった。代わりに姉と従兄夫婦とはじっくりと話ができた。法事というのはこうして毎年1回くらい集まって、親族が近況などを話し合って、仲良くしなさい、と故人が思っている「集まり」なのかもしれない。また、来年、今度は喪主家族とお話することとしたい。
 人それぞれ、法事もそれぞれ、である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥深いキルトの魅力

2007-01-29 | Weblog
 先日、テレビを見ていたら、東京ドームで開催していた「キルト・フェスティバル」にひっかけて、キルト評論家なる女性が画面に映るキルトを紹介していた。他に面白そうな番組もなかったので、そのまま見ていると、米国の南北戦争時代のキルトの由来を語ったり、制作者がどんな人であるか、どのように使われたか、などを実物を例にしながら解説していた。これまで単に民芸品としてしか見ていなかったキルトが庶民の歴史の沁みた貴重な作品であることがよくわかった。
 解説によると、欧米では女性はお嫁にいくまでに13枚のキルトをつくることになっており、昔は布は貴重なものだったので、衣類や布製品のきれっぱしを綿入りのキルトに縫いこんだ、という。出来上がったキルトは敷物や、毛布、装飾品、包装資材など生活の様々な側面で使われた、という。
 1840年代の米国のモンタナかで作られた制作者の名前の入ったキルトは調べてみると、当時の13歳の女の子が思いを寄せる牧師さんに贈ったものであることがわかった、という。また、米南北戦争時代のキルトには血痕が残っており、負傷した兵士を移送するのに使われたものだ、という。
 キルトには使いふるした布が編みこまれているが、当時のキャンベルだかの食品メーカーがキルトの素材に使われることを想定して、花柄の袋を作っていたことがわかっている。
 評論家によると、キルトは親子代々に引き継がれるもので、ボロボロになったキルトは最後は燃やして土にかえすのだ、という。
 この番組を見て、キルトの魅力がよくわかったので東京ドームに行こうかな、と思っていたが、結局時間の都合がつかなかった。ネットのWikipediaを索くと、キルトは米国と日本で人気がある、と書いてあった。以前、渋谷の東急百貨店本店でキルト展を見たことがあるが、確かに中年の女性が大勢つめかけていて、どうしてこんな布のきれっぱしを集めただけのものに人気があるのだろうか、と不思議に思ったことがある。今回、テレビを見てその理由の一端がわかったが、それにしてもキルトの値段は高すぎる。
 それと、日本には昔から伝統的な和服という格好の素材がある。キルトにかぶれる前に、和服の良さを見直し、和服の素材を生かしたものがいろいろ考えたらいいと思う。キルト以上に歴史があり、楽しめ、面白いものがもっともっといっぱいできる、と思うのだが‥‥。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンコールのないN響コンサート

2007-01-28 | Weblog
昨27日は新年初のNHK交響楽団コンサートへ行った。いつものマチネーは行けなかったので、前日の夜となり、席はいつもの前から2列目でなく1階の後ろから2列目で舞台がよく見渡せる。本日の指揮者はシャルル・デュトワで、プログラムを見ると名誉音楽監督となっている。テレビではよく見るが、実際に見るのは初めてで、意外と大柄な体であることにやや驚いた。
 演奏曲目はモーツアルトの交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」から始まった。モーツアルトの晩年の作品だとかで、モーツアルトにしては珍しく地味な感じがした。続いてはベルリオーズの叙情的情景「クレオパトラの死」をメゾソプラノ歌手、デニス・グレーヴスが熱唱した。歌というよりクレオパトラのシーザーに対する愛の思いを詩にして朗読したような感じで、40歳で脂の乗り切った歌声は良かった。クレオパトラが死んで、余韻が残るところをチェロとベースで荘重に奏でるところはその悲しさが満ち溢れていた。
 休憩をはさんで、最初はサン・サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」作品47--デリラのアリア「あなたの声に心は開く」をデニス・グレーヴスが歌った。今度は黒の宝石を散りばめた華やかな衣装で、優雅に歌い切った。ブログラムを見ると、彼女のおはこの曲である。歌っている間に会場を眺め渡す余裕すら見せた。
最後はサン・サーンスの交響曲第3番ハ短調作品78で、オルガン奏者ギラン・ルロワが加わった。今時オルガンか、と思ったが、奏者が上のパイプオルガンの前に座り、納得した。N響の演奏会でパイプオルガンの演奏を目にするのは初めてで、これは楽しみだと思った。期待通り、第2楽章のオルガンの強奏がなり響くなか楽団の高い調子の演奏が繰り広げられるところは迫力十分だった。
演奏が終わって、カーテンコールが何回も繰り返された後、指揮者のデュトワはコンサートマスターの堀正人と相談し、いよいよ期待のアンコールをやるのかな、と気を持たせたが、結局はしなかった。N響の演奏会にはもう5回か、6回くらい来ているが、いままで一度もアンコールに応えてもらったことがない。以前に会員だった読売交響楽団の場合は2回に1回くらいはアンコールに応えてくれていたのに、と思う。
N響楽団員は高給をとっている、と聞いているが、それと同じくさぞかしプライドも高いのだろう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜかホッとする「ぶらり神保町」

2007-01-27 | Weblog
 しばらく足を向けていなかった神田神保町へ行った。家で読んでいる「志賀直哉全集」、「水上勉全集」がほぼ終盤に」さしかかり、次なる個人全集でいいのはないか、とあさろう、と思ったからで、地下鉄の都営三田線の神保町駅を地上は出たところで。交差点を右に回り、まず大雲堂書店で書棚の上に積んである個人全集を順番に眺めていく。持っている「三田村鴛魚全集」がやっと買った価格の3万円となっていた。買おうかな、とずっと思っている「バートランド・ラッセル全集」は相変わらず2万9千円である。目ぼしいものが見つからず、そのまま小宮山書店へ行き、同じように書棚の上に積んである個人全集を順番に眺めていく。
 そういえば、会社が白金高輪へ移ってから、神保町へ来る回数がめっきり減った。以前はランチの約束の場所を神保町にしたり、かかりつけの歯医者がお茶の水にあったので、結構神保町を訪れ、こうして古本屋をめぐったりしていたのに、目的を持って来ないと古本屋めぐりもしなくなってしまった。
 古本屋めぐりはなにか面白い本はないか、と思って順番に見ていくのだが、見ていると、以前に興味を持っていたが、ずっと忘れていたのにひょいとそうした本に出会って買ってしまう、ということがよくある。意識の底に隠れていた読書欲が意外なところでぬっと頭をもたげてくるような”出会い”があるのが、古本屋めぐりだ。まだ、会社に縛られている身分なので、そうそうぶらぶらしているわけにはいかないので、自然と足が遠のいていた。
 もちろん、神保町には新刊本屋さんもある。ショセ書泉グランデや三省堂本店、それに東京堂本店は話題の新刊を1階のロビー売り場に平積みに置いているので、いま何が売れているのかが一目瞭然で、傾向を知るには便利である。また、一部の評論家には評判の東京堂本店の平積みコーナーは店員さんの独特の目が感じられて楽しい。また、東京堂の別館かには新刊本屋なのに掘り出し物コーナーがあり、古本を売っているのが面白い。
 で、駅へ戻る道でいつも駐車場でやっていた小宮山書店のガレージセールが閉店していたのが残念だった。仕方ないので、信号を渡って、岩波書店1階の本屋をのぞいて、岩波文庫、岩波新書をひとわたり見て、帰途についた。
 結局、一冊も本は買わなかったが、久し振りに神保町をぶらり散策したせいか、気分がすっきりした。本というのは実際に目で見て、手にとってパラパラめくってみて、奥付けや発行日、あとがきなどをさらっと読んで品定めをした上で買うのが一番いい。その意味で、たまには神保町へ行き、新古本をあさってみることも必要だ、と思った。
 岩波書店が毎月出しているパンフレット誌「図書」1月号に神保町のサイトが出来た、と書いてあったので、早速アクセスしてみたら、古本のデータベースが出来ていて、ためしに「水上勉全集」を検索してみたら、3万円となっていて、昨年買った価格より上がっていた。世の中は多少インフレ気味になってきているのかもしれない、と思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこかおかしい給食費未納

2007-01-26 | Weblog
 25日付けの毎日、読売新聞がそろって一面トップで「文科省全国調査 給食費22億円滞納」と大々的に報じた。他の新聞、テレビも大きく取り上げたが、滞納の額の大きさもともかく、滞納の理由として「給食が不味い」とか、「学校が勝手にやっていることだから」としている家庭が少なからずあったことに大きな衝撃が走っている。終戦直後の貧困な時代ならともかく、およそ市民として正常な感覚を持ち合わせていない親がこんなに多くいることに誰しも驚いた。教育のいじめ問題が話題となっているが、いじめの前に親の教育をしなければいけないことが浮き彫りとなってきた。
 調査は国会などで給食費の滞納が増加しているとの指摘を受けて、文科省が全国の給食を実施している国公私立の小中学校3万1921校、1003万3348人を対象に行ったもので、それによると、滞納の児童・生徒のいる小中学校は全体の43.6%にあたる1万3907校。滞納者数は全体の1%に弱あたる9万8993人で、金額の合計は05年度で22億2963万円にものぼることが明らかとなった。学校給食法では「施設設備費や人件費以外の食材費は保護者が負担すること」と決められている。この分は他の教材費や設備費が削られるか、税金で賄われていることになる。
 小中学校の教育は義務教育で税金で賄われるが、給食費まで面倒をみるんなてことは聞いたことがない。保護者に学校給食法の規定を伝えて、なんらかの理由で、給食費を払わないのならその児童への給食は行わなければいい。本当に貧困で払えないのなら、そうした事態に対応した措置がとれるようになっている。
 社会で生活していく以上、決められたルールは守ってもらわないと社会が成立しない。自分勝手な理由で給食費を払わずに我が子に給食を食べさせている保護者がいたら、教室に名前を貼りだして自省を促すようなことをすればいい。そんあことをすると、すぐにやれ人権に関わるとか、いじめにつながると心配する向きが出てくるが、気にすることはない。給食費を払わないことが、回りまわって他の児童・生徒だけでなく他の市民に迷惑をかけることになる、ということを知らしめるしかないのだ。
 そうした毅然とした姿勢を学校、教師がとることによって、児童・生徒に社会のルールを教え込むいいチャンスだ、と思う。全国の1万3907校の学校の教室で直ちにそうした断固たる措置をとれば、一挙に解決に向かう、と思うが、いかが?
 給食費滞納に悩む全国の小中学校の校長、教頭、教師の皆さん、いまから立ち上がってあるべき社会ルールの徹底に努めましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベッカムは顔でボールを蹴る?

2007-01-25 | Weblog
 元イングランド代表主将のサッカー選手のデビッド・ベッカムが米プロリーグMLSのロサンゼルス・ギャラクシーと5年契約を結ぶことになり、その契約金額が300億円といわれ話題となった。松坂大輔が米レッドソックスに入団することになり、6年で総額120億円支払われるになり、注目を集めたが、それを大幅に上回る契約金額で、世界的にはやはりサッカーのが野球より人気が高いのか、と思わせ、野球好きな鈍想愚感子といsてもがっかりしていた。もちろん、米大リーグにはベッカム級の高給をもらっている選手もいないわけではないが、松坂の記録をあっさりと忘却させるかのようなニュースではあった。
 ベッカムの契約金額300億円には裏があった。週刊新潮の1月25日号によると、年間60億円のうち、実際の手当ては12億円に過ぎない、という。残りはユニフォームなどグッズ販売などの営業収入が12億円、CMなどスポンサー契約が30億円、さらに入場者が増えればその分収益が分配される出来高払いが6億円となっており、年俸そのものは松坂とそれほど差はない、という。
 ベッカムはスペインの強豪チームレアル・マドリードの花形選手ではあるが、年齢は31歳で、ややピークを過ぎた感がある。しかし、人気だけは相変わらず高く、米国でのサッカー人気をなんとか引き上げようと考える米ギャラクシーのオーナーが獲得に動いたようだ。ベッカムの入団で、一気に女性のファンを大幅に増やしたい考え、のようだ。
 サッカーの実力ではベッカムより上と見られる同じレアル・マドリードのロナウドも移籍の噂が出ており、米国のチームからオッファーを受けた、とされているが、こちらはスポンサー料が上乗せされることなく、5年で120億円程度の契約金額だった、と言われている。
 サッカーにしろ、野球にしろ、チームが勝つための貢献度が選手の年俸を決める最大の要素であるのは間違いがないが、バッカムやロナウドなど国際的な有名選手ともなるとオーナーから見て、この選手は客が呼べるか、さらにはCMなどでスポンサーがつくのか、などを考慮して契約する、ということになる。となると、実力プラスアルファで契約金額を決めることになる。間に交渉上手な代理人でも入ると、さらにアルファ部分が跳ね上がることになる。
 選手も実力だけでなく、政治力も容貌も大きな要素となってくる。特にベッカムの場合は足だけでなく、顔でプレイする側面が大きいようだ。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短期政権に終わるか、安部政権

2007-01-24 | Weblog
 そのまんまショックが政界を襲って、その余波が参院選まで続きそうであるが、昨日付けの毎日新聞に安部首相が今回のそのまんま東・宮崎県知事について「再チャレンジに成功した。再チャレンジは自分がやっている政策なんだ」と語った、という短い記事が載った。自民党はじめ政界に大変な衝撃をもたらしているはずなのに、自らの政策である再チャレンジが少しも機能していないのにその無策ぶりをさらけ出すことになるとは思わずに再チャレンジというあたり、安部首相の頭の中はおかしい。少なくともそのまんま東氏にとって知事への挑戦は再チャレンジなんかではなく、本格的な挑戦であったはずだ。人を見下したうえに、自らの治世がうまくいっていないのにも気がつかず、勝手に素材として扱ってしまうセンスにいい加減、嫌気がさしてきた。
 そうした安部首相の無能ぶりを察知してか、マスコミ各社のこのところの世論調査ははきいりと安部政権の支持率低下を示している。まずフジテレビが18日行った1000人を対象の世論調査によると、「支持する」が41.2%なのに対し、「支持しない」が48%と初めて「支持しない」が「支持する」を上回った。朝日新聞が20、21日に行った世論調査(有効回答1915人)では「支持する」39%に対し、「支持しない」37%と支持率が急速にダウンしている。なかでも注目されるのは安部首相が憲法改正を参院選の争点とする、としているのに対し、「妥当だと思う」とするのが32%なのに対し、「そう思わない」は48%とはっきりと批判のが多くなっている。
 また、読売新聞が20、21日に3000人対象(回答率59.3%)に実施した世論調査によると、「支持する」が48.4%に対し、「支持しない」が38.9%となり、これも支持率の急降下ぶりをはっきりと示している。
 いずれの調査も宮崎県知事選前のものであり、明日25日から国会が開かれるが、安部首相は「事務所経費問題は大した問題ではない」と言い切って野党の追及をかわす考えのようで、早くも紛糾が予想されている。再チャレンジ発言といい、事務所経費の不透明問題を重視しないセンスのなさからして、安部内閣の支持率はさらなる低下が予想される。
 この17日に開かれた自民党大会で、奇しくも阪神淡路大震災12周年の日と重なったのに哀悼の意を示す言葉は一言もなくて、ただ参院選に勝とうとだけ言った安部総裁に世間の風もわからぬ朴念仁との声すら出ている。そんな安部政権の風前の灯を尻目に日経ダウは久方ぶりに1万7500円台を回復した。兜町はもう政権交代を見越して、先の好転を期待しているのかもしれない。
 米CBSによると、ブッシュ大統領の支持率は28%そこそこだ、というが、安部内閣の支持率はそこまでいくことは十分に考えられる。となると、参院選を前にして、安部首相の退陣もありえる見通しとなってきた。史上最短命の内閣として歴史に刻まれることもある、と見る向きも出てきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温泉ケチケチ旅行もまた楽し

2007-01-23 | Weblog
 この週末はポッカリ空いたので、かみさんとハーベスト伊東へ行った。家で簡単な昼食を済ませ、JRで伊東へ向かった。初めて伊東へ行った時は特急踊り子に乗って行ったが、それほど早くもないことがわかったので、以降はずっと鈍行、各駅停車に乗っている。アクティとかいうのに乗れば、熱海までは結構早く着く。熱海で伊豆急行に乗り換え、伊東まで約20分強で到着する。スイカで乗降車できるので、通勤をちょっと延長した感じである。空模様があやしく、寒そうなので、伊東駅を降りて、ハーベストなでの途中にあるスーパーで夜の食事を購入した。鉄火巻き、おこわご飯、それに惣菜、イチゴ、デザートなどをたっぷり買い込んで、合計3324円也。食中毒を恐れてか、部屋に持ち込むのは厳禁となっているので、こっそりと運び込んだ。
 まずは饅頭とお茶で一服したあと、プールでひと泳ぎした。50肩でずっと右手が思うように漕げなかったのが、ようやく回転できるようになってきた。クロールで息むつげるようになった。99%くらいのところまできた。子供が多いのと、横に広がって歩行訓練するご老人たちが邪魔になって、なかなか真っ直ぐ泳げなかった。プールでのエチケットが守られていないのは遺憾なことだ。
 それでも500メートルくらいは泳いだので、そのまま隣の温泉にゆっくり浸かった。伊東の場合は屋上に温泉hがあるので、露天風呂の湯船に浸かって海と空を眺めているのは最高の気分にひたれる。風呂から出たあとは脱衣場に置いてあるマッサージ器に座って、身体をゆっくりほぐすことにしている。そして、自動販売機でミネラルウオーターを買い、水分を補給する。以前に2回も温泉に入った後、十分に水分を補給しなかったために脱水症状を起こし、ダウンしたことがあるので、もうしない、と慎重にしている。
 部屋に戻って、先ほど買ってきた食材で”豪華”なディナー。いろいろ買いすぎたかな、と思っていたが、食べて見ると、スッとお腹の中へ入っていった。ハーベスト伊東には直営のレストランがついているが、何回も来ていると、飽きてくる。たまにはこうした買い込みのディナーも悪くない。夜はNHKBSで放映していた「青江三奈」の回想番組などを見て、楽しんだ。
 翌朝はいつも行っている駅前の喫茶店「エル・グレコ」でモーニングサービスの朝食を食べた。コーヒーの味もよく、伊東へ来る度に必ず寄るようにしている贔屓のお店である。
 これで今回の温泉旅行は2人で交通費も入れて2万円弱であがることになる。交通費が結構高いので、学生時代の無銭旅行にようなわけにはいかないが、たまにはこうしたケチケチ旅行もいいものだ。
 帰りがけに伊東駅の近くのお店のシャッターが閉まっていて、貼り紙がしてあるので、何事かと思って見てみると、いま話題の不二家のフランタイズ店で、「休業
しまう」と書いてあった。いままで不二家のお店があるとは気がつかなかった。フランタイズ店そのものには何の責任もなく、専ら同族の藤井一族の経営の不備によるもので、テレビでは見ていたが、実際に見るとこんな湯の町にも波及して可哀想にと思ってしまう。
 
 風呂
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方の反乱そのまんまの宮崎県知事選

2007-01-22 | Weblog
 宮崎県知事にタレントのそのまんま東が当選してしまった。事前の世論調査で優勢と伝えられていたが、誰しもまさかとおもっていた。ところが、昨夕に投票率が前回を上回る、と報道されて、ひょっとしたら、と思わせた。昨日付けの毎日新聞をひっくり返して見ても、どこにも宮崎県知事選挙のことは出ていない。午後8時から開票で、今夜中には判明と出ていたので、明日の朝刊でも見よう、と思っていた。午後8時から、NHKの「風林火山」を見ていたら、ものの5分も経たないうちに画面上部に「宮崎県知事にそのまんま東氏当選確実」とテロップが出て、びっくりした。番組が終わって、NHKニュースになり、開票状況が流れたが、この時点ではそのまんま東は2位につけていた。同日に行われた山梨県知事選挙でも現職の知事が敗れる、という番狂わせがあった。このところの各県知事の一連の不祥事といまの安倍政権の低空飛行ぶりに地方の民が「ノー」をつきつけた、といえる。
 宮崎県知事選はそのまんま東が26万6807票で、保守系の川村秀三郎の19万5124票、自民・公明推薦の持永哲志の12万825票を圧倒して、勝利した。投票率が61.85%と前回を5.51ポイントも上回ったのと、保守系の票が分裂したこと、それに前知事の安藤忠恕氏が官製談合事件で退き、既成の政治家間に対する不信感が広がったことが勝因といsてあげられる。自民党だけでなく民主党もすべての政治家がだらしにない状況に選挙民はもううんざりしているのである。
 それにしても浮動層の多い都会ならともかく、土着の人が多い地方で政治に全くの素人のタレントが当選するなんて、当初は誰も予想しなかった。そのまんま東は北野武率いるタレント軍団で名を売ったお笑いタレントで、わずかに宮崎県出身であることと、直前に早稲田大学で地方政治を学んだ、というだけの即席候補であった。
 それでも勝ってしまった、ということはいまの政治の利権、談合、なれあい構造に国民がいい加減うんざりしている証拠、といえよう。国会議員、大臣が事務所経費を無茶苦茶に使って知らん振りをしている、いもの政治状況に国民は怒っている、ということだ。極端なことを言えば、そのまんま東氏でも誰でもいまの政治家でない清新な人だったら、誰が出ても宮崎県人は一票を投じたのだろう。
 そのまんま東氏はそうした状況をわかってか、「宮崎県の夜明け、大変な重責をひしひしと感じている」と語っている。かとうかずこという最愛(?)の奥さんと離婚してまで初志を貫いて、宮崎県知事という金の的を射抜いたのだから、今度はフォローの風を実力に変えるべく、あるべき知事とpして県の行政改革に取り組んでほしいものだ。既成の政治家にはできないことをやって、初志を貫徹してほしい。
 かつて東京、大阪で起きた選挙民の反乱が、数年前に長野県でも起きたが、結局は田中康夫はピエロになってしまった。そのまんま東が田中康夫の二の舞いとならないことを望みたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする