鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

JR西日本の体質は親方日の丸の旧態依然たるままであることを示した

2009-09-30 | Weblog
 先週末に05年4月の発生したJR福知山線脱線事故で、事故調査委員会の委員がJR西日本の社長に調査内容や報告書案を伝えていたことが判明した。前原誠司国土建設相が「言語道断、あってはならないことだ」と怒りの発言をしたが、続いてJR西日本の副社長も別の委員に同じような働きかけの指示を出していたことや、中間報告書案も入手していたことなど続々と判明し、会社ぐるみで事故調査委員会の状況なり、動きを掴もうとしていたことが明らかとなるに及んで、改めてJR西日本に対する反省のなさに怒りが広がっている。
 運輸安全委員会によると、事故原因を調査した当時の航空・鉄道事故調査委員会の山口浩一元委員がJR西日本の山崎正夫前社長に働きかけられ、調査状況の情報や報告書案を事前に伝えていたというもの。山口前社長が「現場カーブにATS(自動列車停止装置)があれば事故は回避できた」という記述を「後だしじゃんけんであり、表現を柔らかくするか、削除してほしい」と要望したのに対し、山口委員は委員会でその通り発言したが、通らなかった、という。
 さらにJR西日本の土屋隆一郎副社長(当時取締役)も部下の鈴木喜也鉄道本部技術部マネジャーに命じて、事故調査委員会の鉄道部会長だった佐藤泰生元委員に接触し、なんらかの情報を取ろうとしていたことが明らかとなった。さらに中間報告書案についてもJR西日本側にわたっていたことが判明し、JR西日本がトップから担当者に至るまで会社ぐるみで、事故調査委員会の動静を探ろうとしていたことが明らかとなった。
 これらの情報漏洩をもたらしたのはいずれもが国鉄(旧JR)のOBで構成されていることに大きな要因があり、かつての先輩、後輩の関係で旧交を温めるような軽いノリで情報を入手しようとしたようである。考えてみれば、民営化したとはいえ、JR東日本もJR西日本も幹部はいずれも国鉄に勤めていた国家公務員で、旧知の間柄で、たとえ大規模な事故があろうが、その関係はつながっている。
 事故調査委員会のメンバーに国鉄の技術者が入ってくるのは避けられないことで、人選の段階で情報の漏洩があってはならないとして忌避すべきだったとはそれこそ後だしじゃんけんである。
 JR西日本では今回の情報入手について調査委員会を設けて究明するとともに責任についても明確にするとしているが、トップ自らが手を下している以上、どう釈明しても釈明しきれるものでもない。
 福知山線脱線事故では106人もの乗客の命が亡くなっている。事故調査委員会の情報を入手しようとした不正な動きの心になかには被害者家族に対する気持ちのかけらもなかったことが問題である。いまだに被害者家族に対する謝罪の言葉はあっても具体的な説明は行われていない。監督官庁である国土交通省にはお詫びに行っても、被害者家族に対する行動は取られていないのは国鉄時代の親方日の丸の意識から抜け切っていないことを物語っている。国土建設相からの呼び出しなので、行かざるを得ないとは思うが、それと同時に被害者家族を招いてなぜこんなことをしたのか、をその後の補償状況の報告にまじえてでもして謝罪すべきだった、と思う。
 要は日頃、お客の方を見て仕事をしていないことに尽きる。事故を起こす、起こさない以前からこうした親方日の丸意識が抜けがたく残っていたことが最大の問題である。口では民営化してこれからはお客さん第一である、といっても体質は依然として旧態のままであることを示したのが今回の事件である。
 
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国民目線が欠けていた自民党総裁選のシラケぶり

2009-09-29 | Weblog
 28日行われた自民党総裁選に予想通り谷垣禎一元財務相が選出された。今回の総裁選は谷垣元財務相以外に当然出馬すると目されていた人がいずれれも出馬を見送り、わずかに派閥解消と若返りを唱える河野太郎元法務副大臣とあて馬的に出馬した無名の西村康稔前外務政務官3氏の争いとなり、横綱と幕下の争いだった。派閥解消と出直しといいながら、相も変わらず派閥長老間での暗黙の合意があったのは確かで、変わるべきとされていたにも拘わらず旧態依然たる自民党の体質をみせつけた。
 総裁選の結果は議員票が谷垣氏120票、河野氏35票、西村氏43票、地方票もそれぞれ180票、109票、11票となり、全体の6割を谷垣氏が集めて第1回投票で過半票を獲得し、当選を果たした。具体的な名前を挙げて長老は引退すべきだと演説した河野氏は議員の反発をくらって、議員票では無名の西村氏より低い支持にとどまった。しかし、総選挙での惨敗で自民党に出直しを求める地方票では100票を超える根強い支持を集めた。
 仮に河野氏が地方票で過半票を集めて、1、2位の決選投票となって河野氏が敗退した場合には地方票を無視したことになり、問題となるのではないか、と懸念していたが、そうはならなかった。自民党を変えなければならないとの思いはあるものの、自民党解体的な言辞の河野氏を全面的に支持するには至らなかったともいえる。
 今回の総裁選の地方票の投票率は46.65%と50%を割る過去最低級に止まり、改めて盛り上がらない選挙であったことを裏付けた。総裁となっても国政には直結しない内輪の選挙ということもあるが、出馬したのが選ぶに値いしない3人だけで、最初から出来レースであることが見え見えだった。総裁が決まった後のテレビ報道で、なんの実績もない小泉進次郎議員にコメントを求めていたのも不思議なことだった。
 谷垣氏はもともと安倍晋三首相が誕生した3年前の総裁選に出馬して、敗退しているうえ、数々の要職にも就いており、総裁としての識見は十分にある人物である。「麻垣康三」と小泉政権後の後継首相候補の一人とされていたので、この4人のなかで最後の登板となった、いわば遅れてやってきた総裁でもある。
 28日に総裁に選出されて午後9時からのNHKテレビのニュースの登場して「地方の声や痛みに耳を傾ける」などと抱負を語っていたが、司会から当面する温室効果ガス25%削減や八ツ場ダム建設中止などの問題に対する姿勢を問われ、野党の党首としてはいかにも歯切れの悪い応答に終始していた。谷垣新総裁はやはり平時のリーダーであって、難局をきりもりできるだけのリーダーシップについては疑問符を感じざるを得なかった。
 今回の総裁選は消去法で谷垣氏に落ち着いた選択で、自民党の内部事情から選出された党首という感が強い。国民がいま自民党に何を求めているか、をじっくりと考えて、そのためにはだれが一番ふさわしいか、という国民目線が欠けていたと言わざるを得ない。
 谷垣新総裁は即座に党人事を決め、シャドウ・キャビネット(影の内閣)についても発令して、民主党政権に対抗していく構えを見せているが、河野氏が唱えた派閥解消・若手の登用をどの程度織り込むかで、その成果のほどがうかがわれることとなろう。
 自民党議員にとっては本格的な野党議員としての活動は初めてのことで、なにかと戸惑うことが多いだけにちぐはぐな言動も行われることだろう。民主党政権が機能するためにも野党たる自民党のチェック・アンド・バランスが必要なだけに期待したいのはヤマヤマなのだが……。
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優良な中小企業に対する金利免除に異議あり

2009-09-28 | Weblog
 27日、テレビ朝日の「サンデープロジェクト」を見ていたら、亀井静香金融・郵政担当相がゲストとして出演し、議論を呼んでいる中小企業に対する融資について持論を展開していた。が、司会の田原総一朗はじめ解説陣から金融制度の根幹を揺るがすものだ、として総反撃を受けていた。亀井大臣によると、金利が払えなくて四苦八苦している優良な中小企業に対して金利免除の救いの手を差しのべるもので、日本の産業の体質強化に欠かせない、としている。夕方にかけて、NHKはじめ民放テレビでニュースとして流していたが、金利免除のやりようによっては不正なお金の使い方となり、問題が残りそうである。
 亀井大臣は中小企業に対する融資について、財務内容もしっかりしていて、将来性のあるところに対しては向こう3年間金利免除をする方向で検討する、と言明した。ただ、実際の方法については今週にも大塚耕平内閣府副大臣らと協議したうえで決めたい、と付け加えた。金融機関側にはただでさえ、金融機関の体力が弱っているいま、中小企業への融資から金利がとれないとなると、平成の徳政令にもなりかねないとして警戒する向きが多く、金融株は一斉に下落し始めている。
 問題は財務内容がしっかりしていて、将来性のある中小企業とそうではない中小企業とをどこが、どう見分けるのか、といったことである。金融機関が貸し出しを決める際には審査部門でそうしたことをチェックするのは当たり前のことで、まず担保のないところには貸し出しすらしないことだろう。財務内容の健全な中小企業なら借り入れなどしないことだろう。財務内容に瑕疵なり、不安があるから借り入れをするのだろうから、最初から自己矛盾に陥っているといえなくもない。
 しかも金融機関からの貸し出しに対して政府が金利免除を要請するのは民間企業の存立基盤をないがしろにするものである。企業たるもの借り入れをしたら、その金利を払うのは当然だし、苦しいからといって免除されるというのでは貸し出ししている金融機関の経営を脅かすことになりかねない。
 だから、民間に金利免除を強いるのは間違っている。となると、金融機関を経由するのでなく、金融庁なり、地方自治体が直接、中小企業に対する特別融資なり、金利猶予といった処置で中小企業の救済を図るしかないだろう。過去に中小企業の高度化資金、近代化資金として補助金を与えてきた手法に近くなるのかもしれない。その場合、金融庁や地方自治体に個々の中小企業の経営実態なり、事業の将来性をチェックできる能力があるのか、どうかが問題となってくる。将来性などというファジイなところを判断するのは一日や二日のつけ焼き刃的な対処で判断できるものではない。
 ここは経験豊富な民間の金融機関の審査部の力を借りざるを得ないことだろう。
お金は金融庁が工面し、実際の運用にあたっては民間の金融機関の力を借りるようなことで、中小企業救済という形をつくるしかないだろう。民間の金融会館が融資したものの金利分を補助するようなことも考えられるが、主体は国なので、お金に関しては金融庁が責任を持って出す仕組みのがすっきりするだろう。その場合、猶予なり、免除する際の基準をだれが見ても納得できるようなものを明示して、ガラス張りとすることが欠かせないのはいうもでもない。 
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華麗に国際デビューした鳩山首相に石原都知事が実質的なエール送る

2009-09-27 | Weblog
 鳩山由紀夫首相が国連での温室効果ガス排出量25%削減を宣言し、諸外国代表から喝采を浴びるという日本の首相としては画期的なデビューを果たし、27日にも帰国する。国連での華々しいパフォーマンスに加えてオバマ米大統領、胡錦涛中国主席ら各国首脳のの会談も無難にこなし、民主党政権に代わって日本も変わるということを国際的にも印象づけた。日本の首相が国連総会で演説し、脚光を浴びた例はかつてないことで、鳩山民主党政権は素晴らしいスタートを切ったことになる。
 温室効果ガス排出量を2020年までに1990年比255削減するということは国連に行く前に鳩山首相が国内で表明していることであったが、改めて各国首脳の前で率先して宣言することは国際的にも公約したことになり、意味が違ってくる。しかも米国はじめ欧米各国とも1997年に決められた気候変動に関する国際連合枠組条約の京都議定書すら守っていない状況で、日本がいち早く20020年に向けての削減目標を打ち出したことは大きな意義がある。鳩山首相としては事務局と慎重に協議したうえで、環境技術の関しては世界の最先端を行く日本として実現可能な目標であると決断したのだろうが、国連総会でここまで評価されるとは考えていなかったようだ。実際、演説の途中で起きた拍手に戸惑いの表情が浮かんだことでも見てとれた。
 鳩山首相に続いて国連の演説に立ったサルコジ・フランス大統領は鳩山首相の25%削減への決意を讃えたし、途上国への支援を内容とした鳩山首相の提案である鳩山イニシアティブについても大方の賛同を得た。
 また、国連演説のなかで鳩山首相が核不拡散のついて呼びかけたこともあって、その後に行われたCTBT(包括的核実験禁止条約)促進会議に米国が10年ぶりに出席し、CTBT批准に向けて動き出したことも鳩山外交の目に見えぬ成果といえなくもない。
 続いてのオバマ米大統領ら各国首脳との会談も外交デビューとしては無難なスタートを切ることができた。オバマ大統領も今年1月に就任したばかりで、欧米各国とも政権交代はよく行われており、政権交代すれば政策も変わるということが当たり前と思われていることも預かったようだ。
  鳩山首相に同行した幸夫人の歯に衣着せぬ大胆な言動も米国メディアから好感を持って受け止められたようで、夫婦そろっての国際舞台へのデビューは掛け値なしに成功といっていいだろう。
 こうした成功に着目してか、石原慎太郎東京都知事は10月2日にデンマーク・コペンハーゲンで行われるIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2016年夏季五輪開催都市が決まるのに、ぜひ鳩山首相にアピールに行ってもらいたい、と言い出した。いまのところ、東京、米シカゴ、ブラジル・リオテジャネイロ、スペイン・マドリッドの4都市で競っており、米シカゴが有力と言われている。4都市とも首脳が最後のアピールに馳せ参じるといわれており、国連総会で名を挙げた鳩山首相に着目したようだ。
石原知事は8月末の衆院総選挙の際には鳩山民主党代表にはぼろくそにけなしていたのに、2016年オリンピック開催地候補決定の土壇場に及んで、党を越えて鳩山首相のリーダーシップに頼るしかない、との判断に至ったようだ。皇太子に出馬を要請したが、どうも感触はよくないと見て方向転換したようだ。たとえ、負けても鳩山首相に出馬してもらってもダメだったとの弁解が成り立つ、との読みもあったようで、もうあとは都知事の椅子を子息の石原伸晃元国土建設相に譲ることしか頭にないのだろう。
 もっとも26日に成田空港を立った石原知事は「ここまできたら、人事を尽くして天命を待つ」と半ば鳩山首相にゲタを預けた格好。当の鳩山首相はスケジュールで調整がつけば出席する方向で検討に入っているが、あえて火中の栗を拾うのか、ここは人のいい鳩山首相としては出席することとなりそうだ。
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新聞チラシのネット化も新聞社経営を大きく直撃している

2009-09-26 | Weblog
 最近、新聞のチラシが少ないことに疑問を持っていたが、佐々木俊尚氏の「2011年新聞・テレビ消滅」のなかに新聞のチラシを集めたインターネットのサイト、Shufoo!に食われてしまったと書いてあるのを読んで、なるほどと思った。新聞のチラシはスーパーや商店の特売商品をアピールするのに有効なツールといsて長く使われてきたもので、新聞販売店にとっては貴重な別収入源として経営を支えるものとなっていた。それがネットの普及で一挙に崩壊してしまったわけで、新聞社の経営の柱ともいうべき販売代理店が消えていく大きな要因ともなりそうだ。
 「Shufoo!」は大手印刷会社の凸版印刷が2001年からスタートさせているもので、全国で新聞販売店を経由して各家庭に配布されていた新聞チラシをインターネットのサイトにイメージ情報として収録して、家庭にいながらにして一覧できるようにしてしまった。凸版印刷は全国にくまなく支店・営業所を持っているので、刷り上がったチラシを集めるのは苦もなくできる。おまけに従来のように配布数だけ印刷して、新聞販売店に持ち込み、新聞販売店では早朝に届く新聞に折り込み、各家庭に配布する作業もなくなり、CO2排出など環境改善にも役立っているメリットもある。凸版印刷がスーパー、商店からどのくらいの料金を取っているのかわからないが、従来より格安であることは確かである。
 試しに、Shufoo!サイトを開いてみたら、日本地図から関東を選び、住んでいる川崎市高津区をクリックすると、周辺地図が現れ、スクロールすると自然と地域にあるスーパーの枠が現れ、当該チラシが表示される。郵便番号を入力するとと地名が出て、該当するチラシは173枚あり、その内容が業種ごとに表示される。しかも特売品に応じて「今日のレシピ」といったコラムや、冷蔵庫のなかの余り物を「マイ冷蔵庫」に登録し、余り物を組み合わせたレシピを検索するようなこともできる。
 従来届いた朝刊からチラシを一枚一枚めくって特売商品やマンションの価格などをチェックしていたのに比べると、便利だし、しかも一覧性があるうえ、ゴミも出ないので、環境にもやさしい、といいことずくめである。これでは新聞折り込みチラシが駆逐されてしまったのもうなづける。
 鈍想愚感子の家では毎日新聞と日本経済新聞を購読しているが、最近新聞チラシの数がめっきり減ったのと、以前は日本経済新聞のチラシのが毎日新聞のそれより多かったのに最近は逆に毎日新聞のが多くなっているのでどうしてかな、と思っていた。それとつい最近、毎日新聞をい配っていた新聞販売店が朝日新聞の販売店と一緒になってしまっていたのに驚いた。
 これらの疑問が一挙に氷解した。新聞各社は日本経済新聞を除いて全国に自前の新聞販売店網を築いている。従来は新聞販売店の経営の委譲には多額のお金が動くといわれ、配達戸数の多寡によって決められていた。その基盤となっていたのが、新聞購読料と新聞チラシの売り上げだった。かつて大手新聞社の経営者が「わが社の新聞は大量の新聞チラシを包み込む包み紙だ」と半ば自嘲して語っているのを聞いたことがあるが、それほど新聞チラシ配布による収入は貴重なものだった。
 それが一挙に崩壊しつつあるわけで、先の文芸春秋10月号の「大新聞が潰れる日」の予言がさらに切実さを増して胸に迫ってきた。永らく新聞社経営を支えてきた広告と販売の両輪のいずれもがネットの直撃を受けて揺らいでいるわけで、この立て直しはちょっとやそっとの手直しでは持ちこたえられないものだ、というのがよくわかった。
 
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後世に残る歴史的なスクロヴァチェフスキの「ブルックナー」読響演奏会

2009-09-25 | Weblog
 24日は東京・赤坂のサントリーホールでの読響の名曲シリーズ演奏会に行った。常任指揮者のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの指揮で、前半はアンドレ・ワッツをピアニストに迎え、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」が演奏された。滑らかなピアノの弾き方で、柔らかい音色を出しており、なかなかの腕前と見受けした。演奏が終わって、すぐに指揮者と2、3回抱擁を繰り返して、お互いに感激し合っていたのが印象的だった。
 この日のコンサートマスターはデヴィッド・ノーランで、演奏終了後からヴァイオリンの弦を上下に振って、ピアノの名演を讃えており、その他にも読響の団員が拍手して讃えていたので、プロも認める名演奏であったことがうかがえた。カーテンコールが5回ばかり続いたが、最後には舞台の袖に出てくるだけで、引っ込み休憩となった。で、正面ロビーのいつものCD売り場へ行って、アンドレ・ワッツのCDでもあれば買ってみようかな、と思って覗いたが、販売していなかった。
 後半はスクロヴァチェフスキお得意のブルックナーで、「交響曲第9番」が演奏された。ブルックナーが1887年8月から7年かけて作られたが、なんと第3楽章までで、未完に終わったいわく付きの交響曲である。それでも演奏時間はたっぶり63分と一時間強もある。それをスクロヴァチェフスキは楽譜も見ずに一気に指揮した。
 舞台の上には総勢90人もの団員がぎっしりと並び、荘厳、かつ神秘的にヴァイオリンやチェロなどの弦が同じ方向に一斉に動いて音楽を奏でている様は壮観だった。ブルックナーといういかにも難しそうな名前の作曲家の交響曲を空で指揮することは素晴らしいことなのだろう。そういえば、休憩時間にロビーで、同じスクロヴァチェスキのブルックナーの交響曲第7番の特別演奏会のチケットを購入するのに列をなしていたから、音楽通にとっては至福の演奏なのだろう。
 会場の2階の両隅にいつもは見かけないテレビカメラが据えられ、演奏の模様の一部始終を収録していた。帰る時に掲示を見たら、後日、日本テレビで放送するために収録する、と明記してあった。来年3月には読響の常任指揮者の座を降りることが決まっているスクロヴァチェフスキにとって最後のブルックナー演奏になるのかもしれない、その意味では後世に残る歴史的な演奏といえるのだろう。
 などと思って舞台をみていると、いつもより読響の演奏ぶりにキレがあるような感じがしてきた。指揮者の熱意が伝わっているのか、団員にもそれだけ気合いが入っているのか、N響にも負けない演奏ぶりに思えてきた。
 ただ、如何せん、未完の交響曲なので、第3楽章で終わるということは、他の交響曲の第4楽章の劇的な終わり方でなく、まだこれからという感じで終わってしまい、なにか物足りないものを残した。終了してからの拍手が一拍遅れたのもそのせいだろう。
 カーテンコールは5回に及び、最後にはスクロヴァチェフスキがコンサートマスターを連れて楽屋に引っ込むことで幕となった。4回目のカーテンコール後に、チェロ奏者の一人が楽器を置いて、花束を取り出し、一番端にいた若いチェロ奏者に渡していた。おそらく海外留学するために団員を辞めるのだろうが、そんなことはプログラムや掲示にもどこにも紹介されていなかったハプニングであった。
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キリンビールの車内広告に登場した田中博さんって一体誰?

2009-09-24 | Weblog
 先日、JR新木場駅から京葉線に乗って、シルバーシートに座り、ふとドア横のポスターを見たら、見たことのない中年男2人がビールジョッキを片手に乾杯し、談笑している写真が載っていた。どうやらキリンビールの宣伝らしく、周りを見渡すと車内吊りから窓上まで車内のポスターはすべてキリンビールの宣伝で車内ジャックされていた。そうなると、ポスターに写っている人物は一体誰なんだろうか、と近寄って見ると、左側の白髪の中年の人物には「田中博」との名前が出ている。そんな俳優はいたんだっけと訝っていると、その上に父と書いてあり、右側の人物の名前の上には子と書いてある。
 横のかみさんが「楽天の田中投手よ」と言って、ようやくプロ野球、楽天イーグルスのエース、田中将大投手であることが判明した。そういえば、背景には仙台フルキャストスタジアムらしきものが写っている。よくみれば田中投手であることがわかるが、いつもはユニホーム姿でしかお目にかかっていないので、私服姿ではすぐには見分けがつかない。
 楽天イーグルスは今シーズン野村克也監督の好采配で24日現在パリーグの3位につけ、4位の西武ライオンズを3ゲーム離し、初のクライマックスシリーズ進出が濃厚となっている。その最大の立て役者が田中投手であるのは間違いない。だから、キリンビールが目をつけ、父子のCM出演と相成ったわけだろう。
 時期もペナントレース終盤でプロ野球人気も盛り上がり、楽天イーグルスへの注目は高まっているので、田中投手が生ビールをアピールするには絶好のキャラクターと見られたのは当然だろう。ただ、如何せん、なにぶんにも田中博さんの知名度が関西ではともかく、関東では低い。鈍想愚感子はそれほどテレビを見ないし、見てもCMはすっ飛ばしてしまうので、いままでこの田中投手親子のシーンを見たことがない。だから、一瞬、なぜ見知らぬ中年男性がニコニコして登場しているのか、と訝られてしまう。
 着眼点はよかったのかもしれないが、父親を引っ張り出したのはどうか、との疑問が残る。田中投手は神戸「宝塚ボーイズ」のエースとして名を馳せ、北海道の駒大付属苫小牧高校のエースで夏の高校野球で準優勝し、全国区の人気を得た。その陰に父親の野球人としての英才教育があったことが想像されるが、米大リーグで活躍するイチロー、松井秀喜選手の父親ほどの知名度はなく、今回の起用には疑問符が残った。
 スポーツ選手や芸能人などで有名になると、バラエティ番組で家族が前面に出てくるケースが多いが、あくまでも主人公の引き立て役としてであり、独立したキャラクターといsて取り上げられることはまれである。その選手なり、芸能人をいかに育てたかという点に興味が集まり、子育ての参考にでもなればという観点にスポットがあてられる。
 考えてみれば、今回の田中投手のポスターは右側の田中投手より左側父親の方が手前に感じ、大きく写っていて、まず父親の方に目が行ってしまったことにも誤算があったようだ。
 いま未曾有の不況の影響で、企業の広告が激減し、こうしたポスターの制作費なども大幅に削られていると聞くが、いままで働いた気配りも効かないようになり、広告戦線も乱れている、ということなのかもしれない。
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新境地開いた、文句なしに面白い東野圭吾の「新参者」

2009-09-23 | Weblog
 東野圭吾著の「新参者」を読んだ。雑誌の小説現代に04年8月号から5年にわたって計9回間欠的に掲載されたのを一冊にまとめたもので、9回の短篇がそれぞれ独立した話となっていながら、全体としてはミステリーを形成しているというもので、川上弘美がよく恋愛小説らしきもので行っている手法で、ミステリーでは横山道夫が「半落ち」で用いたのが有名だが、舞台を日本橋人形町の商店街にとっているのが珍しい。東野圭吾としては新境地を開いた面白い推理小説である。
 日本橋署に新しく赴任した加賀恭一郎なる刑事が人形町のさるマンションの一室で起きた殺人事件の捜査の乗り出すことで、話は展開していく。第1話は煎餅屋「あまから」の一人娘、上川菜穂が店番をしているところへ退院したばかりの祖母、聡子が帰ってきた場面から始まる。そこへ保険会社の営業マン、田倉がやってきて、診断書を受け取りに来たのだった。その翌日、日本橋署の加賀と名乗る刑事がやってきて、昨日田倉が来た時間を確認しきた。なんでも殺された女性の部屋に田倉の名刺が置いてあり、そのアリバイを確かめに来たのだ、という。時間がはっきりしないので、日を置いて加賀刑事と菜穂と話した結果、祖母の病気を本人に知らせないように父親の文孝と田倉が示し合わせて一芝居打った事実が判明し、田倉への疑いが晴れた。
 第2話は料理屋「まつ矢」のおかみ、頼子が旦那の泰治が銀座の飲み屋の女給に入れ込んでいるのにお灸を据えようと女給の好物の人形焼にワサビを仕込んで渡したところ、実は女給は甘いものがきらいで、同じマンションに住む殺された女性にあげてしまった。容器についていた指紋から、おかみの企みが判明したが、殺人には関係ないことも証明された。
 第3話は瀬戸物屋「柳沢商店」の嫁姑が商品の陳列からぞうきんの作り方までことごとく対立することに殺された三井峯子なる女性は友人に贈るために夫婦箸を買いに来たことから、嫁の麻紀と知り合い、頼まれてキッチンバサミを買っていたことが判明する。姑が伊勢に旅行へ行くのに好きなアワビをそのキッチンバサミで刻んで食べられるようにとの配慮からだった。
 第4話は時計屋の主人が追いだした娘の妊娠を知って水天宮にお参りし、三井峯子と触れ合う、第5話は三井峯子が離婚して、友人から子供を水天宮近くで見かけたと伝えられ、そのお嫁さんが喫茶店に勤めている、と知らされ、勝手に洋菓子店の店員と思い込んだ、第6話は殺された女性を発見した翻訳家、第7話は離婚した夫が清掃会社を経営していること、第8話はまた人形町に戻って凶器に使われた独楽の紐を売っている玩具店、「ほおづき屋」、そして最後は離婚訴訟に関与した税理士事務所の所長の話とつなぎ、いずれの話にも加賀刑事が登場し、犯人を突き止め、めでたしめでたしとなる。
 推理小説にありがちな謎解きで、犯人を追いつめていくような感じではなく、それぞれの話が人情味あふれるホロッとさせる小話となっていて、徐々に包囲網を狭めていき、犯人をあぶり出す。ミステリーに慣れた東野圭吾ならではの筆致で、一気に読ませた面白い小説であった。
 最後に同僚の刑事から「あんた、一体何者なんだ」と問われた加賀刑事は「何者でもありません。この町では、ただの新参者です」と答えたところで終わっており、タイトルの新参者はここから取っているのだろうが、読んだ後味も爽やかだった。
 
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懐かしのSL列車に乗って感激

2009-09-22 | Weblog
 21日は近畿日本ツーリストのバス旅行「汽笛を鳴らして走る懐かしの大井川鉄道SL列車 日本一新しい富士山静岡空港と駿河湾ミニクルーズ」に参加して日帰り旅行した。SLという言葉に郷愁を感じたのと、午前7時40分に溝の口集合という地の利があったのも参加を決めた大きな理由だった。5連休の真っ只中で高速道路の混雑を嫌って、国道246号線を走り、横浜インターから東名高速道路に乗り、清水インターで降りた。
まず、清水港に赴き、港内一周のミニクルーズをした。天気が良ければ、富士山が眺望できたのだろうが、生憎の曇天で単なるミニ航海に終わった。そして、近くのわさび工場を見学した後は付属の土産物屋で買い物チアーとなった。目の前でわさび製品が作られているのを見たせいか、売られているわさび漬けにしろ、わさび煎餅にしろ新鮮な感じがして、異常な売れ方をしていたのが可笑しかった。鈍想愚感子とて例外ではなく、わさびシューなるケーキを買って食べたが、それほどわさびの味がしなかった。
続いて訪れたのは海産物店で、店頭で穫れたばかりの魚を水槽からすくい上げ、そのまま計り売りするいかにも海産物市場らしい雰囲気を出していた。静岡という土地柄、海産物は定番ではあるが、これから観光に出かけようというのに要冷凍の品物にはさすがに手が出なかった。
で本来の観光となり、石垣イチゴで有名な久能山の1156段の東照宮を横目に見ながら、ことし6月4日に完成したばかりの富士山静岡空港に、これも開通したての真新しい道路を通って赴いた。見るからに新しい建物に見学者がまさに鈴なり状態で、展望台には一時間に一回くらいしかない飛行機の発着をいまかいまかと待ち構えていた。よそ目には静岡なんかに飛行場は必要ないと思われるのに、地元民にとっては格別なものがあるのだろう。国内では札幌、小松、福岡、熊本、鹿児島、那覇に直行便が出ているほか、海外ではソウルと上海と結んでいる。これまでは羽田なり、成田経由で行き来していたのが直接行けるようになったわけで、便利になったことは確かだろう。あとはどこまで持続できるかで、経済力にかかっている、といえそう。
最後はお茶の販売店に立ち寄り、大井川鉄道のSL列車に乗り込むべく、大井川上流の家入に向かった。一日に上下4本しかないSL列車が白い煙りを吐きなからホームに入ってくるのを見ると確かに感動する。写真を撮ろうと携帯電話を向けたが、一瞬遅くシャッターチャンスを逃してしまった。列車に乗り込んでしまうと、見えるのは煙りだけで、SLの勇姿は 拝めない。聞けばこのSL列車は80年前に作られたもので、新金谷までの25分の乗車はあっという間に過ぎてしまった。ホームに降り立って先頭の蒸気機関車のところまで走っていって、写真を撮ったが、周りを見渡せばいい年をしたおじさんばかりで、子供さんの姿はほとんど見られなかった。考えてみれば、昔を知らない子供がSLを見て懐かしがるわけがない。子供連れで来ているお父さんはどいやら自分が見たい一心できているようだ。
 とはいえ、SLに郷愁を覚え、感動したのは事実で、いい思い出を胸に帰途に着いた。が、行き以上の渋滞で、東名高速道路牧之原インターから川崎まで2度の休憩を入れ約6時間もかかり、溝の口に着いたのは当初予定の午後7時10分をはるかに過ぎた午後11時となった。自公政権の最後のツケを意外なところで払わされた思いであった。
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大井町線の溝の口延長で等々力渓谷へ行く気になった

2009-09-20 | Weblog
 20日は溝の口から大井町線に乗って、等々力駅まで行き、玉川神社例大祭を見に行った。東京急行電鉄のPR小冊子、「HOTほっとTOKYU」9月号に紹介されていたのを見て行く気になったもので、東京都の地図で等々力駅からの行き方を憶えて、駅を降りて大井町線と直角の方向へ歩きだしたら、駅前通りの拡声器から祭りの曲が流れ、街路には提灯など飾り付けがされていて、街全体が祭り気分に浸っている感じがしてきた。少し行くと、祭りの神輿を前に多くの人がたむろしていて、どうやら出陣の用意をしている様子だった。
 ちらっと横目で眺めて、とにかく玉川神社に行こうと歩き出したが、行けども行
けども高級住宅街ばかりで、それらしきところにぶち当たらない。かみさんも「地元のお祭りには見向きもしないのに……」と言い出し、渋々付いてくる。そういえば、地元の久本神社のお祭りにはまず顔を出したことがない。往きあった奥さんに玉川神社の所在を聞いたところ、方向違いの場所をめざしていたことが判明した。軌道修正して、ようやく玉川神社に行き着くと、丁度5台のお神輿が神社に入ってくる時刻となり、一番いいところが見られた。浅草の三社祭りのそれとは比べものにならないスケールだが、このあたりでは一番の威勢の良さはうかがえ、来た甲斐があった。
 祭りのサワリをみた、ということで、等々力駅前で適当なお店でランチをと思って物色したが、大概のお店はお神輿の担ぎ手に駆り出されてか、休業の様子で、かろうじて駅南の「そば処ぎんや」なるお店を見つけ、入った。コーヒーからとんかつまである駅前食堂の趣きだったので、懸念したが、出てきたそばはどうしてどうして美味しかった。窓から等々力渓谷の森も眺められ、お薦めの店といってもいいくらいだった。
 で、もうひとつの目的の等々力渓谷を散策した。ゴルフ橋から渓谷に沿って、玉沢橋、を経て等々力不動尊までの全長約1キロメートルを川の流れに沿って散策し、ゆったりとした気分を味わうことができた。渓流の上は鬱蒼と茂った緑に囲まれ、これが都会の一角にあるとはとても信じられない。途中、木道あり、横穴式古墳ありで、季節の折りにはサクラや紅葉を楽しむこともできそうで、生息する野鳥の種類も多い、という。
 狭い川沿いの道を結構な人が行き交い、年中通じてお客が多そうな感じを受けた。環状八号線に沿って300メートルくらい行ったところに野毛大塚古墳なる遺跡もあり、古墳の周りにはいかにも古墳から出土した大型の甕が点々と配置してあった。
 手近なところにこんな観光名所があったとは前から知ってはいたが、来るのは初めてで、等々力の駅に降り立つのも初めてのことだった。電車では何回も通っていたのに、一回も降りたことがないのは考えてみれば不思議なことだった。たまたま、玉川神社例大祭に行く気になったからついでに等々力渓谷に寄ったのだが、これも大井町線が溝の口まで伸びたことがその気にさせたのかもしれない。
 鉄道の開通が街なり、人の流れに変化をもたらし、新たな風を起こすことになることを実感した。
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