鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

株券の電子化の実施に疑問あり

2008-09-30 | Weblog
 来年1月5日から株券の電子化が行われ、市場から印刷された株券がなくなる。インターネット時代に対応したものだが、ここへきてリーマン・ブラザーズの倒産などで証券市場が大きく揺れているのに、果たして大丈夫なのだろうか、疑問が残る。既存の株式会社は対応できるのだろうが、新規に立ち上げようとする企業の場合、物理的な株券を発行せずにやっていけるものなのだろうか。オレオレ詐欺がようやく下火になってきたのに、今度は株券の電子化をきっかけに新たな詐欺事件が発生するのではと懸念されてならない。
 株券の電子化は03年9月の法制審議会で、株券不発行制度を導入するための所商法(現会社法)等の改正案の要綱がまとめられ、04年6月に「株式等の取引に関する決済の合理化を図るための社債等の振替に関する法律等の一部を改正する法律」の改正が成立し、09年6月までに一斉に「株式不発行制度」に移行することが決まり、09年1月から実施の運びとなった。米国などんぼ例にならったもので、国際的には一般的になりつつある制度でもある。
 ただ、欧米など株式会社に永い歴史を持つ国々では株式不発行制度を導入しても混乱はないだろうが、日本の場合、たかだか100年の歴史しかなく、はなはだ心もとない。株券が不発行となれば、既存の株式会社は証券会社への預託をすることになるが、日本の証券会社にそうした貴重な役割を担わせるだけの信頼があるのだろうか。タンス預金ならぬタンス株券を手離さない投資家は結構いることだろう。
 上場会社の場合は証券会社の預託ということで対応できるかもしれないが、未上場会社の場合はすべて電子化されたら、何を以て株式保有されていることを証明するのか、出資者は不安で仕方ないことになる。きちんと株式保有状況が把握されているか、常に不安を抱えていることになりかねない。
 それだけでなく、新規に株式会社を興そうとする場合、株式がないと出資したことを証明するものがなく、単に印刷された紙切れ一枚では公的な証拠になりうるのか、不安がつきまとうことだろう。結局、株券に替わるようなものを発行さざるを得ないのではなかろうか。
 さらには折からのスブプライムローンからみの世界的な金融不安で、いま証券市場が急速に萎んでいる。先進の米国では大手の証券会社が倒産、もしくは統合で屋台骨が揺れている。こんな中で証券不発行制度どころではないのではなかろうか。
 いずれ、株券の電子化は急遽、取りやめ、ほしくは実施を延期することになるに違いない。もともと日本には不向きな制度であるのには違いないからでもある。
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有閑マダムと地味な調停委員をうまく演じ分けた十朱幸代

2008-09-29 | Weblog
 28日は東京・初台の新国立劇場で近代能楽集「綾の鼓」と「弱法師」を観賞した。三島由紀夫原作の戯曲を新進の前田司郎、深津篤史が演出したもので、いかにも新国立劇場らしい試み。出演は十朱幸代、多岐川裕美、国広富之らとなっていたのも魅力で、三島由紀夫の世界をいかに現代に甦らせるか、興味があった。十朱幸代の舞台を見るのも初めてで、妖艶なマダムと地味な調停委員をうまく使い分けて演じていた。
 「綾の鼓」は東京・銀座あたりの法律事務所に勤める70歳の小間使いの老人が向かいのビルの洋装店に時々現れる顧客の有閑マダムに一目惚れして、毎日ラブレターを書き、女子店員に頼んで届けてもらっていた。受け取った洋装店の経営者は無視して犬の毛を刈るブラシをぬぐうのに使っていたが、今日はたまたま有閑マダムが来店していたので、居合わせたマダムの取り巻きと一緒に開けて、回し読みをした。みんなで大いに笑ったあと、「怪しからん」ということになり、ひとつ老人をからかってやろう、という話になる。
 取り巻きの一人の役者が持っていた綾の鼓を取り出し、「これを与えてガラス越しに聞こえたら、思いが届いたことになる」と言ってやろう、ということにする。綾の鼓はもともと鳴らないように作ってあり、それを知らない老人はきっと必死になって叩くだろう、という読みだった。果たして、鼓を受け取った老人は何回も鼓を叩くが、音は出ない。それを見た洋装店の取り巻き連中は大笑いした。ところが、からかわれたと知った老人は悲観して窓から飛び降り自殺してしまう。それを伝え聞いた一同は唖然とする。
 それから数日した深夜、洋装店に現れたマダムは窓越しに老人の幽霊に話かけ、もう一度鼓を打つように頼む。幽霊は必死に鼓を叩くが、マダムには聞こえない。
99回叩いたところで、力尽きて倒れこんでしまう。マダムは「もう1回叩けば聞こえたのに」と言って立ち去る。
 老人が自殺する場面までマダム役の十朱幸代は一切セリフを言わず、無言の演技を続け、幽霊と対面する場面で話し出す。すると、マダムどころか、部屋の鍵を盗み取った泥棒であることが判明、その落差もミソとなっている。その十朱幸代が後半の「弱法師」では頼りなさそうな中年の調停委員を演じ、この落差も面白かった。
 「弱法師」は養父母に育てられた20歳の盲目の青年の親権を生みの父母と争う家庭裁判所のやりとりを戯曲化したもので、生い立ちから今日になるまでをお互いの両親が主張した後、青年が登場し、どちらの愛情が深かったかを競う。最後は調停委員が青年と話合うことになるが、夕焼けの赤い空の景色を褒める調停委員に戦争で街中が焼ける景色が離れない、と言って青年はわめき散らす。最後は「お腹がすいた」と言って何か食べ物を所望し、調停委員は舞台を去っていくところで、終わる。何か、尻切れとんぼのような感じが残った。原作に忠実に作ったのだろうが、今風に少しは付け加えてもよかったのでは、と思った。
 能の作品風に現代劇を構成したようで、舞台装置も含め楽しめた作品であった。
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中山成彬国土交通相辞任の裏に拉致問題の影が

2008-09-28 | Weblog
 中山成彬国土交通相が成田空港の拡張が進まなかった原因を地元住民のごね特などと発言した問題の責任をとって28日辞任する。29日から始まる臨時国会で野党からの追及があるうえ、続く解散・総選挙への影響が必至とみて、早めに手を打ったようである。中山大臣は2004年の第2次小泉改造内閣の文部科学相として初入閣し、現在は町村派の事務総長を務め、南京大虐殺は存在しないとのレポートをまとめた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の会長を務める保守派の代表で、日教組に対しては深い思い入れがあるようだ。が、大臣の座をあっさりと投げ出してまでして発言したその心の底には一体何があるのだろうか。
 中山国土交通相は25日の就任の会見のなかで、成田空港に関する「ごね得」発言や、大分県の教育委員会の贈賄収にふれて、「日教組の強いところは学力が低い」、さらには「日本は単一民族国家」と必ずしも管轄の国土交通関係でない分野で問題発言を散発し、翌日に関係する団体から早速に抗儀を受け、直ちに発言を撤回する声明を出した。
 これで、一応ケリはついたか、と思いきや、当の中山国土交通相は27日に地元の宮崎市で開かれた自民党宮崎県連の会合で、「ごね得」と「単一民族」発言については謝罪したが、日教組についての発言については「日本の教育のがんだ。日教組は解体しなければならない」と改めて批判し、聞かれて国土交通相の座にきゅうきゅうとしない」と辞任を覚悟している、との意を示した。
 就任してわずか5日の辞任は戦後2番目の早い記録となるが、明らかに辞任を覚悟しての開き直りである。議員にとって大臣に就任するということはいくら総選挙が近いとはいえ、名誉なことである。その座を放り投げさせたものは単に日教組に対する憎悪ふだけのなのだろうか。
 かつて文部科学相を務めた際の忌まわしい出来事があって、こうした発となttのか。本当に日教組を解体させよう、と思っているのなら、もっと効果的な手法がいくらでもあったろうに、と思われる。
 今回の国土交通相への就任に不満があるのなら、即座に断ればいい。受けた以上はすぐに投げ出すようなことはしないだろう。で、考えられるのは中山大臣の奥さんである中山恭子前拉致問題担当相への処遇である。当初は解任され、新たに河村建夫官房長官が兼任となった。すると、拉致家族支援の会から不満の声が出たためだろう、翌日になって急遽、中山恭子参院議員に拉致問題担当の首相補佐官に任命する、との命が下った。
 拉致問題に対してなんら対策を講じずに中山恭子議員に責任を押し付けて何っもしてこなかった政府、そして単なる人気取りだけのために安易な人事に翻弄されてきた奥さんへの対応ぶりに不満をもっていて、それが爆発したのではなかろうか。
 もっとも今回の辞任により、中山首相補佐官への信頼が揺ぐことまでは計算のうちに入っていなかったことだろう。いずれにしろ、膠着状態にある拉致問題が遠因だった、とはいえそう。
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民放テレビ各局に異変が起きている

2008-09-27 | Weblog
 民放テレビ各社の経営が苦境に陥っている。主たる収入源である広告が落ち込んでいるためで、各社とも番組制作費のカットなど経費削減に走っている。売上が落ちると経費を削減し、利益を確保するのは企業経営の常道ではあるが、テレビの場合、番組は看板の商品であり、悪循環になる可能性もあり、ますます民放各社の経営は苦しくなりそう。
 民放各社の今年4-6月の決算によると、売上高は日本テレビが694億円で前年同期比3.7%減、TBSが697億円で同1.45増、フジテレビが889億円で同2%減、テレビ朝日が565億円で同2%減、テレビ東京が269億円で同4.1%減で、TBSを除いて前年同期比マイナスとなっている。ただ、営業利益は日本テレビが19億円で前年同期比67.5%減、TBSが45億円で同48%減、フジテレビが84億円で同12.6%減、テレビ朝日が26億円で同10.65減とマイナスになっており、テレビ東京に至っては4億円の赤字になっている。
 これはテレビ広告が大きく落ち込んでいるためで、特に収益の高いスポット広告が各社とも前年比10%前後落ちているのが響いている。これまで新聞、雑誌の広告がインターネットの広告に食われて落ちているのは言われてきたが、テレビに関しては年間2兆円を保ち、比較的堅調さを誇ってきた。
 それが、明らかに変調をきたし始めた。折からの不況で広告費が絞られているのに加え、企業サイドにもテレビ広告に対する見直しの風潮が出てきたようである。
テレビに広告を出しても効果がわからない、つまりコストパーフォーマンスが測れない、との議論は昔からあるところで、そうした議論がまた出てくることだろう。
 テレビの報道番組やワイドショーの制作を含め、行き過ぎた取材や安易な姿勢はこれまでも度々問題とされてきた。センセーショナルでありさえすればいい、との視聴率第一主義にも疑問が投げかけられてきた。
 25日付けの朝日新聞によると、今年度上期のゴールデンタイム(午後7時~午後10時)の平均視聴率(関東地区)で、民放を抜いてNHKが第1位になることが確実になった、という。3月31日から9月23日までの関東地区のゴールデンタイムでNHKの平均視聴率が13.6%を記録し、2位のフジテレビの13.2%を上回った。9月28日までの残り5日間でフジテレビが逆転するのはまずない、という。NHKが半年間のゴールデンタイムの視聴率で1位になるのは初めてのことともいう。動きの激しい社会でニュース7が好調だったのと北京オリンピックの中継がもたらしたようで、民放各局関係者に大きなショックを与えている。
 さらに05年以降、インターネットの普及で、テレビ総世帯視聴率の低下傾向が目立っており、テレビ離れ現象が起きている、と指摘する声もある。テレビ関係者はこれまでの番組制作のあり方を含め反省すべき時に来ているようだ。
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小池百合子の総裁選惨敗が小泉元首相の引退の引き金に

2008-09-26 | Weblog
 25日は、夕方から小泉純一郎元首相が引退する、とのニュースがかけめぐった。そんなに大騒ぎすることはないのに、NHK午後9時のニュースではまずそのニュースから始まった。後援会での会合で語られたということであるが、次回の総選挙には出馬しない、ということで引退ということになった。テレビカメラが車に乗って後部座席にいる小泉元首相に確かめている姿が映り、本人も認めていた。年齢はまだ65歳と政界ではまだまだ若い方で、引退には早いと見る向きが多いが、首相の時と同じように我流を貫いた、ということなのだろう。
 小泉元首相は1972年12月の総選挙で30歳の若さで衆院議員に初当選して以来、12回連続当選している。88年の竹下内閣時代に厚生大臣として初入閣するが、何といっても01年4月に第87代首相に就任し、06年9月まで5年5カ月、首相在任日数といsては佐藤栄作、吉田茂に次ぎ戦後第3位に記録を作った。在任中は「聖域なき構造改革」を掲げ、規制改革を推し進め、自らの持論であった郵政民営化を推進し、05年8月の総選挙では郵政民営化を旗印に戦い、自民党296議席を獲得した。
 しかし、在任中の構造改革で様々な歪みが生じ、功罪相半ばといった感じで、バトンタッチした安倍晋三、福田康夫と2代続けて政権を放り出したのも小泉改革の負の遺産に押しつぶされた、と見ることもできる。続いての総裁選には小池百合子を推して、影の総理として活躍しよう、と思ったが、予想を上回る惨敗で、一部にあった小泉待望論も潰えた、として引退を決意したのだろう。
 もちろん、引退の真相は本人の心の中にしかないので、推測の域を出ないが、小泉改革を前面に押し立てた小池百合子の惨敗が大きくこたえた、のは間違いないところだろう。それと、小泉首相時代には飯島勲という名秘書がいて、本人以上にうまく立ち回ってくれたが、お膝元を去ってしまっては手足をもがれた蟹のようにやること成すこと、時を得ず、ピントはずれとなっていたことも引退へのレールを敷いたのかもしれない。
 様々な規制改革もさることながら、郵政民営化総選挙で初当選したいわゆる小泉チルドレンの面々は梯子をはずされたような気持ちでいることだろう。刀を持って方々を切り崩し、そのままにして自分1人だけ格好よく去っていくのは、どう考えても身勝手、無責任としか見えない。
 加藤鉱一元幹事長がインタビューに答えて「あの人は政治をやっていたというより、人生ドラマを演じていたのだろう」とうまいことを言っていたのが印象的だった。神奈川11区の選挙区は現在秘書であり、次男でもある進次郎氏に地盤を譲るようであるが、松沢成文神奈川県知事が「派閥政治を否定し、政治を変えようとした人が世襲政治をするのはいかがなものか」と皮肉っていた。
 26日付けの新聞では日経、毎日とも1面トップは麻生内閣に対する世論調査の結果で、それによると麻生内閣の支持率は日経が53%で、毎日が45%となっていて、小泉元首相引退の記事はその脇になっている。朝日新聞も同48%、読売新聞も同49.5%と似たりよったりの数字で、小泉元首相の出番はない、ということを物語っている。
 本人は「政治家はやめても政界は引退しない」と言っているようだが、残された道は評論家か、タレントくらいしかないだろう。
 
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児童が健やかに成長していける社会をつくれ

2008-09-25 | Weblog
 福岡と千葉で相次いで児童の殺害事件が起きて、いずれも似たような経緯をたどっている。最初は変質者か、狂人による犯行か、と思わせたが、どうやら犯人は被害者の身近な人物に絞られたようで、本格的な無差別殺人時代の到来を思わせた事件も終わってみれば、家庭内のいざこざの延長であったことで関係者は胸をなでおろすこととなりそうである。東西で似たような事件が相次いで起きたが、どうしてこうした事件は続けて起きるのだろうか、事件の報道が犯罪心理に影響するものなのだろうか。
 福岡の6歳の男児殺害事件は当初からおかしかった。母親がトイレに行っているうちに男児がいなくなり、結果としてそのトイレの脇で死体となって発見されたのはどう考えても不思議だった。トイレにいて、犯行の際の物音なり、悲鳴を全く聞いていないことになり、見知らぬ人が児童に近づいて殺そうとしたら、そうした音なり、声が聞こえないはずがない。それに最初から、我が子を殺された母親の映像なり、声が全くテレビなり、新聞で伝わってこなかったことも異例だった。普通の母親だったら、何の罪もない我が子が殺されたのなら、あたり構わず泣き叫ぶ、そうした映像なり、声が電波や活字に乗らないはずがない。取材している記者としては犯人に対するメッセージとして届けよう、とするからだ。男児の葬式でも当の母親は現れなかった。そう思っていたら、数日経って実は母親が殺したことで、自供し、逮捕された。最初は育児ノイローゼと伝えられたが、どうやら男児に身体のことでなじられ、カッとなって殺したというから、男児にとっては憐れなこととなった。
 千葉県東金市の5歳の女児殺害も似たような展開となっている。病院に勤める母親のもとを去って、外出した女児が日中、しかも雨の降る住宅街の路上に全裸死体で放置されて見つかった。目撃者によると、わずか10分の間に殺され、全裸にされて放置され、その間、誰も悲鳴も物音らしきものも聞いていない。現場から100Mくらいの距離の駐車場に女児の着ていた着衣と靴が近くのスーパーのレジ袋に入れられて捨ててあった。という。死体の腕には強く掴まれた痕があった、というので、どうやら女児と親しい人が関わったのは明らかである。この事件も母親の肉声が少しも伝えられていないのが不思議である。
 報道によると、警察は周辺での聞き込み捜査をほとんどしていない、という。犯人のあたりがついていて、証拠固めに入っているようである。こちらはまだ、葬式はしていないようであるが、福岡の事件のように犯人が身近にいて、参列者があとで苦い思いをしないようにしてほしい。事件が判明したいまとなっては男児が通う小学校で校長先生が犯人にメッセージを発したり、登下校時の警備を強化したことなどが要らざることであった、と思えてくる。
 いずれ、判明することだろうが、犯人は女児の近親者のような気がしてならない。どういう事情があったにせよ、何の罪もない児童の命を奪うことは許せない。
他人が奪うのはもちろん、そうした極悪犯罪から児童を守るべき立場にいる近親者が手をかける、というのは世も末である。政治、経済の動きが激しくて、人々の関心の片隅に追いやられている感があるが、子供が健やかに成長していける社会をつくることこそ、政治の大きな目標であることを忘れてはならない。

追記 事件発生から2カ月半後の12月6日になって、千葉県東金市の女児殺害事件は近くに住む21歳の男性が死体遺棄容疑で逮捕され、解決をみた。捕まってみれば、他愛ない事件だったが、なぜスーパーのレジ袋についていた指紋があるのにこんなに時間がかかったのか、不思議である。犯人が裸の女児を抱えている姿が目撃されていたというから、ますます理解に苦しむ。慎重に捜査を進めたとはいえ、もっと早く逮捕してしかるべきだったろう。
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50年ぶりの再会で思うこと

2008-09-24 | Weblog
 23日は名古屋で50年ぶりの小学校のクラス会に出席した。昨年に隣の組のクラス会への参加を求められ、同時にクラス会を開催することを画策したが、なにせ遠隔地からの働きかけで功を奏せず、来年、つまり今年は小学校を卒業して50年という記念すべき年であることから、ぜひ開催しよう、と呼び掛けて実現した。名古屋市立旗屋小学校も創立100周年を迎えるというおめでたい年でもある。同学年には3つのクラスがあったが、幹事の都合で2つのクラスの合同クラス会となった。
 20年くらい前に学年全体の同窓会があり、その時に会った人もいるが、大方は50年ぶりに会う人ばかりで、顔を見ただけでは記憶が甦って来ない。じっと見て、当時の話をすると、うっすらと記憶が呼び醒まされる。だが、女性陣はなかなかそうはいかない。仮に街ですれ違っても名前すら思い出さないで、せいざいどこかで会ったかな、という程度で別れていくことだろう。考えてみれば、面と向き合って話をしたこともないような人がいて、単に名前だけがメモリーに刻まれているような人とは話の糸口すら見つからない。
 50年ぶりに会うということはまずは当時の思い出話から始まる。そして、いまの生活について話が及ぶが、家族構成や消息までにはいかない。2クラスで総勢30人近くが集まり、入れ替わり立ち替わり話を交わすと、ついつい最初の往時の思い出で終わってしまう。
 その中でもH先生とは忘れられない思い出がある。3年の2学期から当時先生の成り立てで担任となったばかりの先生は当時としては型破りの授業や4年生で生徒会の役員に立候補するなど革新的なことを次から次へと打ち出し、大いに刺激を受けたことを覚えている。先生のお宅には何回もお邪魔をしたし、宿直の時には宿直室に行って夜遅くまで遊んだ。76歳のいまでも名古屋市の小学校の放課後の校庭で児童が地域の人や他の学年の児童と交流するトワイライトスクールの教員として活躍している、という。
 もうひとりは中学校から私立のお嬢さん学校へ行ってしまったNさんで、長身で華麗な出で立ちはいまも群を抜いている。思い出としては学芸会で乙姫さまを演じたことと、屋外の写生会で、通りかかった人がNさんの絵を見て、「300円で売ってくれ」と言ったことで、いまも語り草となっている。
 こうしたクラス会はタイムスリップして往時の童心に戻る面で楽しいものである。もちろん、出席するメンバーのなかには数年に一度は会って飲んだりしている人もいるが、そうでない人とはこうした集まりで思い出話をするだけにとどまっている。いままでサラリーマン生活にどっぷり浸かっているうちはそれでよかったが、これから時間を持て余す生活になっていくなかで、もう少し考えてみてもいいのかも知れない。昔の仲間と改めて付き合いの深まるような仲が生まれてくるものなのか、自身の今後の身のふり方も含めてどうなっていくものなのか、興味はつきない。
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政局の混迷が新聞業界にも波及か

2008-09-23 | Weblog
 22日の自民党総裁選は大方の予想通り麻生太郎幹事長が圧勝した。地方の票の95%を獲得したことが大きく、来月にも行われる総選挙の顔として支持を集めた。ただ、議員票では予想を下回る56.5%を集めたに過ぎず、支持基盤は必ずしも磐石とは言えず、今後の手腕に期待がかかっている。ともあれ、5人もの候補者が立った自民党総裁選は茶番劇であったことが判明したわけで、山積する政治課題への早急な対応が望まれる。
22日午後、東京・永田町の自民党本部で開かれた自民党総裁選の開票結果は麻生幹事長が351票(うち地方票134票)、与謝野馨経済財政担当相66票(同2票)、小池百合子元防衛相46票(同0票)、石原伸晃元政調会長37票(同1票)、石破茂前防衛相25票(同4票)となった。事前の予想とは3位の小池百合子と4位の石原伸晃が入れ替わったくらいで、ほぼ予想通りの得票結果であった。与謝野と石原の地方票各2、1票は東京都の、石破の4票は地元の鳥取県の票が入ったと思われるが、逆に小池が1票の地方票も入らなかったのは出身地の兵庫でも嫌われたことを証明しており、小池の政治生命に微妙な影を投げ掛けることになりそう。
それを意識してか、戦前には「入閣要請が来ても断る」と意気軒高だったのが、総裁選が終わった途端に「これから」と言葉を濁し、微妙な心の揺れを示していた。総裁選を終えて、新総裁に選ばれた麻生氏を囲んで他の4人の候補者と福田首相が壇上に並んだ際に、小池だけが妙に遠慮していたのが目立っていた。
麻生新総裁は選出された後の挨拶で、一緒に戦った4人の候補者とはもうわだかまりはないことを強調した後で、いま戦うべき相手は民主党である、と宣言した。そして、祖父、吉田茂が生誕してこの日で丁度満130年を迎えることをさりげなく触れて、自らがこの壇上に立っていることを天命と語った。
22日夕、クラス会で名古屋駅に降りたったら、改札を出たところで新聞の号外が配られていた。手に取ってみると、「麻生新総裁誕生」を伝えるもので、読売新聞のものだった。名古屋は中日新聞が本拠を構えているうえ、駅前にはかつて毎日新聞の名古屋本社があり、毎日新聞の牙城であるはずなのに、そのいずれでもないライバルの読売新聞が号外を配っていたのが意外だった。混迷を深める政局の影響で、新聞業界も異変が起きているのかも知れない。
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身障者に対するケアは社会全体で

2008-09-22 | Weblog
 21日は名古屋でクラス会があるので、かみさんと連れだって新幹線に乗るべく溝の口から新横浜行きのバスに乗ることにした。いつもはひとつ先の高津高校前から乗るのだが、雨が降りそうだったので、始発の溝の口から乗ることにした。発車時間間際になって、ようやくバスが来たと思ったら、降車口を開けたまま運転手がバスから降りてきて、降車口の段から長さ2メートルくらいの金属の板状のものを引き出した。並んでいる列を見ると、車椅子の人がいる。どうやら、降車口の脇にある身障者席に乗り込むようである。金属板をスロープにし、上がり込んだ車椅子を運転手が押して、漸く無事に乗り込んだ。そして運転手は身障者から運賃を受け取っていた。ワンマンカーに身障者が乗り込むのを初めて見たが、すべての業務を運転手一人でこなさないといけないから大変だ。
で、一般乗客の乗車が始まった。始発だからスムーズにいったが、これが途中の停留所で雨でも降っていたりしたら大変である。日頃、身近に身障者がいないため、こうした光景を目にして改めて身障者に対するケアが必要だと思った。ただ、そうした周囲の思いを当たり前と平然としている当の身障者の態度を見ていると、そうした考えが普及しつつあるのかな、とも思った。
 バスに乗り込んで、さて件の身障者が降りる時も同じようにするのでは運転手もご苦労さんだな、でも終点だったら、今度は最後に降ろすのかしら、と思っていたら、終点の2つ前の「横浜スタジアム前」で降りた。もちろん、今回も運転手がスロープの金属板を引き出した。そんな周囲の思惑に関係なく、降りたった車椅子の身障者は携帯電話を取り出し、誰かと話し始めた。
よくよく考えると、身障者本人、もしくは保護者が溝の口午前10時40分発のバスに乗り、横浜スタジアムで降りるという情報を事前にバス運行会社に連絡しないとこうしたことにならない。健常者なら要らない作業が必要になる、というわけだ。以前なら、こうした作業は保護者なり、介護者が行ってきたが、社会に身障者に対するケアが大事との意識が普及して、身障者が一人で動けるようになってきたようだ。
そのうちに運転手が行ったことを一般市民が行うようになるのかもしれない。
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一流ブランドのファッションショーの舞台裏

2008-09-21 | Weblog
 20日は東京・新宿の伊勢丹本店で開かれたシャネルの「2008秋冬プレタポルテ コレクション ショー」を見に行った。この春にシャネルの時計を買ったことから招待状が来たようで、欧米の一流ブランドの本格的なファッションショーなるものを見るのは初めてとあって、夫婦ともども胸をわくわくさせながら会場に赴いた。会場は伊勢丹の屋上としてあり、折からの台風13号の影響でどうなることやらと心配したが、午後までには千葉県沖に去ったようで、無事に開かれた。
 開場の午後3時半過ぎに招待状を手に持って会場へ行くと、もう最前列はいっぱいで、2列目に案内された。座って周りを見渡すと、思ったより普通の人が結構多い。テレビや映画などで見ているトップブランドのファッションショーには映画スターや業界関係者が着飾って現われるが、それらしき人はほとんど見かけなかった。考えてみれば、今頃2008秋冬ファッションショーとはいかにも遅すぎる、招待されて言うのも癪であるが、日本の並みのお客を招いたのではなかろうか、と思えてきた。
 それでも開演の午後4時過ぎに場内は暗くなり、大音響のビートの効いたBGMが流れ、正面の袖からシャネルのファッションを纏った外人モデルが登場し、注目のファッションショーは始まった。20mくらいの中央の絨毯の敷かれた舞台を少し後ろにそりながら闊歩していく様はまさに女王さまといった面持ち。3列にひな壇のように座るざっと300足らずの観客席を無視するかのようにロードを進み、先端のテレビの前で1回転し、戻ってきて、真ん中あたりでくるりと回って、満足した顔で出てきたところへ戻っていく。
 日本でのショーだから日本人モデルも登場するのか、と思ったが、いずれも金髪の外人モデルばかりで、シャネルのきらびやかなファッションが身についている。すらりとした長身に格好いい靴下と踵の高い靴がよく似合っている。次から次へと出てくるモデルは皆同じように見えてくる。
 そのうちに拍手が起きたので、何事か、と思って中央を見ると計10人のモデルが並び出し、ショーの終わりがきたことがわかった。ざっと20分足らずで、アッという間に終わってしまった。シャネルだけのショーならそんなものかもしれない。場内に「3階のシャネルブティックに本日の商品がありますので、ご覧下さい」とのアナウンスが流れた。
 帰りに3階のシャネル・ブティックをのぞくと結構人が入っていて、30点ばかり見たなかでいいなと思ったスーツの値段を見ると、上着、スカートあわせて150万円くらいで、とても手が出ないな、と思った。途中で、かみさんが「彼女を連れてくればよかった?」と冗談口で言ったので、「うん、みどりちゃんか、幸ちゃんか……」と指を折りながら言い返したが、仮に彼女でも連れてきていたら、帰りに150万円を支出することになるのかしら、とあらぬ思いにとらわれた。本当のお金持ちはともかく、こうした高額な一流ブランド品が売れる背景にはそうした色仕掛けの仕組みがあるのだろう、とも思った。華やかな舞台の裏にはとんだ愛憎劇が繰り広げられているのかもしれない。
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