週刊文春3月4日号に「トヨタプリンスの真実」と題してノンフィクション作家の佐藤某なる人物が6ページにわたって、米議会の公聴会に出席した豊田章男社長の人となりを書いている。豊田社長がマスコミ嫌いで記者の夜討ち朝駆けも受け付けない経営者で問題だ、と指摘しているのはいいとしても、後半は自分がかつてのトヨタ経営者の財界進出にいかに力を貸したか、の自慢話に終始しており、トヨタの受難に乗じて大物ぶりを誇示したいだけの噴飯ものとなっていて、そんな記事を掲載した文芸春秋社の見識が問われることとなりそうだ。
「トヨタプリンスの真実」は2週にわたって掲載されたようで、前週は豊田社長の幼少期のエピソードを中心に書かれ、後篇では豊田社長は就任以来、記者会見に対してつとめて避けるような姿勢が目立っており、トヨタで恒例となっていた年末年始の記者会見をとりやめてしまったほか、アナリスト向けのIRセミナーも担当役員を控えさせて答弁させたり、海外でのIRセミナーの開催についても否定的で、これではトヨタを率いるには疑問が残る、と指摘している。
ここまではいいとして、後半では筆者が過去のトヨタ経営者の財界への進出にあたって、紹介の労をとり、めでたく豊田章一郎氏が経団連会長になることができた、といかにも自分の功績であると自慢たらたら、の文章が続く。しかも日本航空の会長に豊田英二氏が就任していれば、JALはいまのような事態に追い込まれていなかっただろう、とも書いており、財界の首脳の間のメッセンジャー的な役割りを果たし、さながらフィクサーだった、とも言わんばかりで、鼻につくことおびただしい。
名古屋財界からも置かれた豊田市のトヨタ自動車の経営トップが日本の財界のトップになるには政財界はじめ数々のルートをたどったうえでの結実で、佐藤某なる人物の紹介したルートはそのうちのほんのわずかの貢献をしたのに過ぎないことだろう。一般に人にものを頼むのに他にも多くのことを依頼していることなど明かさないだろうし、頼まれた本人にはあとでうまくいった場合にはそれなりのお礼をして謝意を示す。頼まれた本人は自分だけが頼まれたと思っているが、頼んだ方は他にもいくつか頼んでいることなどおくびにも出さない。佐藤某はそんなことは考えもしないで、俺がやったのだ、と思いこむ。さしずめ、佐藤某は自己顕示欲が強いから、他にもいくつものルートがあったなどとは考えもしないのだろう。おめでたいのは佐藤某である。
仮に財界への橋渡しをしたにしても普通はこうした話を公にしないもので、増して自慢めいて話したり、さらには一般に販売される週刊誌に公然と書くようなことはしないものである。そっとしまっておくのが礼儀でもある。この意味で、佐藤某の神経は変わっている、としか思えない。そんな神経がないからこそ、世に評論家づらして顔をさらしていられるのかもしれない。
佐藤某なる人物はトヨタ、GM提携のニュースを報じ、新聞協会賞を得た特ダネ記者であり、その縁でかトヨタに関する著作を数冊も書いており、一時はトヨタ御用記者として有名だった。そのイメージがあるせいで、今回のトヨタ車のリコール問題で、NHKテレビやTBSテレビにコメンテイターとして出演するなどトヨタ関連で名が売れているのは事実。ただ、中国関係の取材で現地の企業の未公開株式を譲渡され、奥さん名義の株式を所有していたとして、その不見識ぶりがマスコミで取り沙汰されたことがあり、ダーティなイメージがある。
今回の論文でわかったことはいまのトヨタ首脳からは佐藤某がかつてのように重用されていないことで、佐藤某は「俺の言うことを聞かないからこんなことになるのだ」と暗に脅かしているのだろうが、いかにもその手法は古い。そんな前近代的な手法に易々と乗ってしまったのが週刊文春で、乗らなかった豊田社長を改めて見直した。トヨタの苦難に乗じてまた甘い汁を吸おうとしている佐藤某のような輩がのさばるから日本のマスコミは信用されないのだろう。
「トヨタプリンスの真実」は2週にわたって掲載されたようで、前週は豊田社長の幼少期のエピソードを中心に書かれ、後篇では豊田社長は就任以来、記者会見に対してつとめて避けるような姿勢が目立っており、トヨタで恒例となっていた年末年始の記者会見をとりやめてしまったほか、アナリスト向けのIRセミナーも担当役員を控えさせて答弁させたり、海外でのIRセミナーの開催についても否定的で、これではトヨタを率いるには疑問が残る、と指摘している。
ここまではいいとして、後半では筆者が過去のトヨタ経営者の財界への進出にあたって、紹介の労をとり、めでたく豊田章一郎氏が経団連会長になることができた、といかにも自分の功績であると自慢たらたら、の文章が続く。しかも日本航空の会長に豊田英二氏が就任していれば、JALはいまのような事態に追い込まれていなかっただろう、とも書いており、財界の首脳の間のメッセンジャー的な役割りを果たし、さながらフィクサーだった、とも言わんばかりで、鼻につくことおびただしい。
名古屋財界からも置かれた豊田市のトヨタ自動車の経営トップが日本の財界のトップになるには政財界はじめ数々のルートをたどったうえでの結実で、佐藤某なる人物の紹介したルートはそのうちのほんのわずかの貢献をしたのに過ぎないことだろう。一般に人にものを頼むのに他にも多くのことを依頼していることなど明かさないだろうし、頼まれた本人にはあとでうまくいった場合にはそれなりのお礼をして謝意を示す。頼まれた本人は自分だけが頼まれたと思っているが、頼んだ方は他にもいくつか頼んでいることなどおくびにも出さない。佐藤某はそんなことは考えもしないで、俺がやったのだ、と思いこむ。さしずめ、佐藤某は自己顕示欲が強いから、他にもいくつものルートがあったなどとは考えもしないのだろう。おめでたいのは佐藤某である。
仮に財界への橋渡しをしたにしても普通はこうした話を公にしないもので、増して自慢めいて話したり、さらには一般に販売される週刊誌に公然と書くようなことはしないものである。そっとしまっておくのが礼儀でもある。この意味で、佐藤某の神経は変わっている、としか思えない。そんな神経がないからこそ、世に評論家づらして顔をさらしていられるのかもしれない。
佐藤某なる人物はトヨタ、GM提携のニュースを報じ、新聞協会賞を得た特ダネ記者であり、その縁でかトヨタに関する著作を数冊も書いており、一時はトヨタ御用記者として有名だった。そのイメージがあるせいで、今回のトヨタ車のリコール問題で、NHKテレビやTBSテレビにコメンテイターとして出演するなどトヨタ関連で名が売れているのは事実。ただ、中国関係の取材で現地の企業の未公開株式を譲渡され、奥さん名義の株式を所有していたとして、その不見識ぶりがマスコミで取り沙汰されたことがあり、ダーティなイメージがある。
今回の論文でわかったことはいまのトヨタ首脳からは佐藤某がかつてのように重用されていないことで、佐藤某は「俺の言うことを聞かないからこんなことになるのだ」と暗に脅かしているのだろうが、いかにもその手法は古い。そんな前近代的な手法に易々と乗ってしまったのが週刊文春で、乗らなかった豊田社長を改めて見直した。トヨタの苦難に乗じてまた甘い汁を吸おうとしている佐藤某のような輩がのさばるから日本のマスコミは信用されないのだろう。