鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

賞味期限きれた小泉首相

2006-01-31 | Weblog
昨年末の米国産牛肉の輸入再開にあたって、予め閣議で決められていた現地調査をしていなかったことが判明した。さらに防衛施設庁への納入機器談合事件が起きるなど閣了の責任を問う事件が相い次いでいる。まるで、神様が小泉首相にもう辞めなさい、とでも言っているようだ。
米国産牛肉の輸入再開にあたっては事前に現地の食肉処理施設などを調査することが閣議で決められていた。ところが、実際には輸入再開前に行なわれなかったことが判明し、中川農相の責任問題にまで発展している。また、防衛施設庁が発注した空調設備機器に納入でメーカーの談合事件も発生した。これも額賀防衛庁長官の責任が問われている。
そういえば、一作日のNHKの日曜討論で各党の幹事長が出席することになっていたようなのに自民党の武部幹事長は公明党としめしあわせて欠席した。ホリエモン応援を追求されることを恐れて、逃げたのは明白だ。
このところ耐震データ偽造事件から相い次ぐ小泉首相への逆風はまるで「もうお辞めなさい」とでも言っているかのようだ。はっきり言って,小泉首相の賞味期限はもう過ぎたのだ。
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杜撰な管理、大学入試センター

2006-01-30 | Weblog
 さる21,22日行われた大学入試試験で見るからに役人が行っていると思わせる事件が発生した。英語のリスニング試験でICプレイヤーなるものを初めて導入したのはいいが、装置の不具合で満足に聞き取れなかった受験生が続出し、全国で450人も先週末に再受験する、という失態を招いた。全体の0.07%に過ぎぬとはいえ、公正をもって旨とする大学受験に不明朗な影を投げ掛けたことは間違いない。受験生にすれば、釈然としない感が残ったのは間違いない。いかにもお役人のする仕事である。
 今回の大学入試試験には全国で61万5384人が参加した。肝心の英語のリスニング試験はこのうち4%にあたる2万4千人が「聞こえない」などと訴えた、という。そのなかから、再受験やむなしと判断されたのは450人というのだが、その判断がどう下されたのか、疑問が残る。再受験した450人はそれまで不正に情報をえていないか、どうしてチェックできるのだろうか。さらには他の受験生に公正に採点されるのか、との不安も生じかねない。
 このICプレイヤーなるもの、某メーカーの製造になるもので、大学入試センターと3年の購入契約を結んでいる。総額16億円で、1台当たり2600円と大量生産の割りには高い。受験後はすべて受験生が持ち帰っていいことになっていたという。といっても使い道はほとんどなく、記念品としてか、すでにネットオークションにも出回っている、という。テレビでだれかが語っていたが、「メーカー品で不良品の発生率が4%もあったら、担当者は即座に首だ」。そうした厳しい処置が関係者の間で行われた、という話も聞かない。
 メーカー名は公表しないが、どうせ、名のある国産メーカーに違いない。東証のシステムダウンではメーカーの富士通が社長以下の処分を発表したが、メーカー名が公表されてないのではこうした責任論もうやむやにされてしまう。
 一番の責任は今回のテストのやり方を含め全体を設計した大学入試センターにある、と思う。かつての館内放送と比較して効率、コスト、手間などの面で、果たしてICプレイヤー方式のがよかったのか、もう一度検証してほしいものだ。お役人根性丸出しのやり方だけはやめてほしい。小泉構造改革の実態はこんなものなのだ。
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色あせた?織田信長

2006-01-29 | Weblog
 過日、東京・新橋演舞場で公演していた「信長」を観賞した。平日のもかかわらず特に若い女性で会場は満員なのにまず驚いた。主演の市川海老蔵は一昨年に新之助から襲名した海老蔵襲名披露公演が終わって初めての出演ということでの人気が高いこと、それに新年早々に小泉首相が観賞したことがマスコミに大きく取り上げられたことで人気がさらに高まったこと、そして、時代が出世の秀吉、安定の家康よりも改革の元祖である信長を求めていることが観客増に結びついているのだろう。
 舞台で波乱万丈の信長の生涯をどのように描くのか、ということと合戦シーンをどのように処理するのか、の二点に興味があった。まず、合戦に臨む馬に乗った武者をシルエットで浮かびあがらせたシーンで幕開けし、かぶき者姿で幼い妹、お市と戯れる信長で海老蔵は登場する。そのまま、父信秀の葬儀の場面から後に義父となるマムシの道三との対面シーン、桶狭間の合戦シーンへと続き、天下統一への道を歩む。
 第二幕は征服した稲葉山城で宣教師、フロイスと対面し、世界への目を開く。そして妹お市を浅井長政へ嫁がせ、比叡山を焼き討ちし、安土城と作り、キリスト教の布教を認め、楽市楽座の制を敷き、改革者としての側面が浮き出る一方で、命に従わない者に対しては平気で切り捨てる非情な面も目立つようになり、最後は本能寺にて腹心、明智光秀に討たれる。で、天に召された信長は冒頭のかぶき姿で己れの一生を回顧して終わる。
 主演の市川海老蔵にとって信長を演じるのは確か2回目とあって肩に力が入らず、淡々と演じて自然な演技のせいか、特に迫力を感じなかった。仲間の歌舞伎役者を動員しての熱の入った合戦シーンは見ごたえあったし、舞台まわしは流石という感じがした。共演のお濃役の純名りさはそれなりの演技かもしれないが、やや年齢的に無理がある気がした。それと、桶狭間合戦前に信長が辛若舞「敦盛」を舞った際に空鼓を打っていたのにはがっかりした。
 小泉首相が観賞した時にはまだ総選挙圧勝の余韻が残っていて、小泉首相に信長をだぶらせて見る向きもあって、格好の話題となった。ところが、その後、ホリエモン・ショック、米国産牛肉再輸入禁止と立て続けに小泉首相の心肝を寒くさせるような事件起きて、小泉首相を信長になぞらえて見るような人はいなくなった。で、この公演「信長」人気も凋んでいるかとも思っていたが、どっこい信長人気は相変わらず高いようだ。考えてみれば、チケットはそんな短期的な変化はまず反映しない。それに庶民は健全というわけだ。
 たまたま、昨28日に発売となった沢口靖子主演の4月公演の演劇のチケットを申し込もうとTELしたところ、希望のスケジュールではすべて完売していた。景気は確実によくなっている、ということか。
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懲りない面々

2006-01-28 | Weblog
 私的なことになるが、今週某所で食べた幕の内弁当にあたり、ひどい食中毒を起こしてしまった。食べた直後からお腹がゴロゴロし、異様な感じがしていたものの、我慢し、やたら寒気がする、と思いながら深夜帰宅についた。家に帰って風呂に入って、横になったものの眠れず、何回もトイレに駆け込み、そのうち頭痛もしてきた。翌朝になって熱を測ると摂氏38.5度もある。風邪かな、と思いがら、様子をみているうちに下痢症状が出て、食あたり、と思いつく。その夜は外せない約束があるため、下痢を押してふらふらの状態で午後から出社し、一時間に一回はトイレにかけこむ始末。約束の飲み会ではやむかく多少のお酒と食べ物に口をつけた。それがたたってか、その後2日間はひどい下痢状態が続いた。
 下痢の最中はいつかよくなる、いつかよくなると思って自ら慰めていたが、丸2日も続くともう限界にきた。で、恨みの標的の件の弁当を出した店にTELして、半ば苦情めいた問い合わせを入れてみた。しかし、そうした問い合わせはない、と見事に交わされてしまった。食中りといっても個人差があるから、そうであるなら、もう仕方がない、と諦めた

 3日目になってやや好転した、というよりやっと外へ出ても大丈夫、という状態になったので近くの病院へ行ったところ、碌な診察もせずに「尿検査の結果をみても異常値は出ていないので、薬処方でOKです」と宣い、「下痢のみなさん、よくなってから来られます」と笑いながら言う。言われてみれば、そうだ。ひどい状態のまま病院などには怖くて行けない。
 それで、安心したのか、ずっとお粥など流動食しか口にしていなかったので、昨晩は鰻丼を食べた。で、夜中、寝ている時にややお腹が張って苦しくなってきて、数年前に一週間毎日、鰻を食べ続けて、ダウンしたことを思い出した。鰻は高エネルギーで胃が驚いてパンクしたのだ。それを忘れていたのだ。折角、回復しかかっているのに、飲み会で酒を飲んだり、食べてはいけないものを食べたり、本当に懲りていない、と大いに反省した次第である。
 懲りない、といえばホリエモン騒動で批判されている連中もそうだろう。東証株価は27日に日経平均で前日比569円高で昨年来の高値、1万6460円をつけ、いわゆるライブドア・ショックを脱し、少なくとも株式市場の単なるバイ菌、ホリエモンを退治した。政界では小泉首相に続いて、武部幹事長、竹中大臣が昨年の総選挙でホリエモンを応援そたことに対して反省の弁を述べた。しかし、これについて、昨秋の総選挙で郵政法案に反対した自民党非公認候補を支援したとして離党勧告処分を受けた自民党岐阜県連前総務会長らが処分に不服があう、として総裁小泉純一郎あてに再審査請求書を提出した。同書では、「ホリエモンを応援した党幹部の責任は極めて重い。党幹部といえども処分は公平・公正に行われるべき」と問題提起している。言われてもれば、確かにそうだ。犯罪者を持ち上げ、政争の具にした罪は重い。
 ホリエモンというバイ菌は消えても、播いた毒は残っている。懲りない面々も一掃してもらいたいものだ。
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異才セゲルスタム

2006-01-27 | Weblog
 読売交響楽団の定期演奏会でフィンランドの作曲家兼指揮者、レイフ・セゲルスタムの演奏会を聞きに行った。舞台の手前両端に2台のピアノが置いてあり、パンフレットに指揮者として載っている人物が左のピアノの演奏者席に座ってしきりにピアノの調整をし出し、他の演奏者が揃ってもそのまま、「あれ、指揮者はどこに」との声をよそにセゲルスタム作曲の交響曲第91番”ノスタルジック・ナンバー”の演奏に入ってしまった。舞台の端のピアノ演奏席から、なおかつ自らピアノを演奏しながら指揮するコンサートなんて初めて見る光景であった。
 セゲルスタムは1944年生まれで、ヘルシンキのシベリウス・アカデミーで学び、現在はストックホルム王立歌劇場とヘルシンキ・フィルの首席指揮者を兼任している。白髪の巨人で、その大仰な身体に似合わず、繊細な音楽を奏でる。自身110近くの交響曲を作曲しているが、この交響曲第91番は世界でも初の演奏という。革をなめしたベルトを叩くことで音を出したり、大きな杵で板を打ちつけて音を出したり、通常の演奏会で見られないような楽器がふんだんに登場し、目でも楽しませてくれた。
 なによりも日本で初めて演奏してくれたことに大感激でらう。いつもの演奏会なら、手前に座っているバイオリン、チェロ奏者が目立つのだが、今回に限っては最後列の打楽器奏者が八面六毘の活躍をしていたのが面白かった。
 今年はモーツアルト生誕250周年で、モーツアルト人気が高まっているが、ベートーベンにしろ、バッハにしろ、せいざい200年か300年前のもので、コンサートの定番となっているが、これから200年、300年したら、ベートーベン、モーツアルトに代わってセゲルスタムが大人気の作曲家になっているかもしれない。そんな感じを思わせる演奏会であった。
 続いて演奏したラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」は天才ピアノ演奏家アレクサンダー・ガヴリリュクとの調和が素晴らしく、最後の十八番ノシベリウス「交響曲第5番」もフィンランドの音楽を感じさせてくれた。
 後日、この演奏会を新聞紙面で取り上げ、誉めていたのは読売新聞でなく朝日新聞であったのは意外であった。記事では「つかもどころのない旋律が螺旋状に繰り返され、とてつもない大宇宙へと成長してしまう曲をセゲルスタムが右手の円運動を次第に大きく膨らませながら、悠然と振り、オーケストラがそれによく反応する。若木がいつの間にか巨木となっている。まるで作為が感じられない稀有の音楽体験だった」と絶賛し、「音楽は理屈で作るものではない。おのずと生まれるものだ。そのことが心ゆくまで実感された一夜だった」と結んでいる。全くその通りの演奏会であった。
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テレビ経営者の不思議

2006-01-26 | Weblog
 ライブドア問題は粉飾決算の実態が明らかになるに連れ、ホリエモンの罪人としての事実がはっきりしてきて、興味本位にライブドアを取り上げることがやっと少なくなってきた。犯罪人を大きくとり扱うわけにはいかない、というのだろう。今日26日の衆院予算委員会で小泉首相は民主党の原口一博議員の質問に答えて、「昨秋の総選挙で堀江氏を支援した責任があるよいうのなら甘んじて受けます」と初めて責任を認めた。当のライブドアはホリエモンが取締役も退任、新しい執行体制も整い、再出発の構えをみせている。そこで、注目されるている日枝久フジテレビ会長は「ライブドア支援も選択肢のひとつ」と発言した。どういうやり取りのなかでの発言か、詳細は明らかでないが、これまで散々ライブドアに煮え湯を飲まされてきたのに呆れた発言である。民放経営者の程度はこの程度なのかもしれない。
 もとを質せば、企業買収に備えをしていなかったフジテレビである。不備を突かれ、後手に回って、青二才でいまや犯罪者のホリエモンにいいようにやられ、渋々提携して、買いたくもないライブドア株を大量に買わされ、いまや数百億円の含み損を抱えている。だから、発言の裏にはライブドア株が紙屑になってしまうことを避けたい、との思いもあるかもしれない。だから、なんとかライブドアちう企業を存続させるのだ、と思っていることだろう。
 本当に支援する気があるのなら、提携交渉の時にその内容まで踏み込んで話し合いがされたはずだ。そんな気がなかったからこそ、表面的な株式の持ち合いに中身のない共同事業で終わったのではないか。
 テレビ会社というのは広告代理店と同じく、まず自らの主義、主張を持っていない。NHKを含め民放各社は新聞の論説に相当するものがない。報道番組はあっても予算の関係で報道すべきニュースと報道時間とは比例関係はまずない。新聞が書いているから、NHKが報じたから、ということでカメラマン、記者を送るというケースがほとんどだ。ニュース解説番組も外部の専門家や学者を連れてきて言わせる、といった具合いで基本的には傍観者に過ぎない。お金を払ってくれるクライアント、スポンサーの言うことはまず聞く。体質がそうだから、経営者とて同じだ。まずはお金ありきで経営を考える。その点ではホリエモンと同じだ。
 フジテレビの場合、ホリエモンの被害者なのだから、本来、徹底してホリエモン、およびライブドアに対処すべきだ。大体、ライブドアが今後、企業として立ち直る可能性は極めてゼロに近い。ライブドアのホムページに広告を出したり、支援しようとする企業がハイエナのような米国の投資ファンドは別にして日本企業ではないだろう。
 仮に本気でライブドアを支援しよう、と思っているのなら、話し合いを終えた後にきちんと何故支援するか、を説明したうえですべきだろう。それを話し合う前からフジテレビ首脳がぬけぬけと支援しよう、というのだから、そんな経営者を抱くフジテレビの将来も危いのではなかろうか。
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往生際の悪いホリエモン

2006-01-25 | Weblog
 24日付けの毎日新聞夕刊によると、ホリエモンは東京地検特捜部の調べに対し、容疑を全面否認し、逮捕直後に弁解を聞く「弁解録取書など調書への署名も拒否している、という。すでに同時に逮捕された宮内亮治らは大方の容疑を認めているのに、である。ホリエモンにしてみれば、ここで容疑を認めてしまうと、フジテレビから予想される損害賠償の訴えや、株主からの株主代表訴訟に負けてしまい、再起不能となることを恐れてでもいるのだろう。
 しかし、会社の業務執行で社長が知らなかったとか、結果として違法行為に手を染めた場合、罪の認識がなかった、では済まされないだろう。どの道、損害賠償の裁判は10年、もしくはそれ以上かかるだろう、その間にライブドアにおいてホリエモンが復活することはあり得ない。だとしたら、容疑を認めて、すべて精算し、出直した方がよくはないだろうか。
 まあ、一旦犯罪者になってしまうと、日本の社会では浮上するのは難しい。だから、徹底抗戦しよう、ということなのだろう。ただ、いかにも勝ち目はない。このあたりの見通しを相談できるような人はいないのか。いれば、ここまえ暴走しなかったことだろう。ホリエモンは広さ3.5平方mといわれる独居房のなかで一生懸命、地検への対応を考えていることだろう。家賃月220万円という六本木ヒルズとの落差を噛みしめていることだろう。
 新聞、テレビは引き続き、ホリエモンを大々的に取り上げている。マスコミで以前から大きく取り上げたことが、ホリエモンを増長させたわけだが、まるで贖罪しているかのようにホリエモンの生い立ちを含めなぜこんな事態を引き起こしたのか、を克明に追っている。
 視聴率がとれるテレビはともかく、新聞はもう、ホリエモンを取り上げるのを止めてほしい。取り上げれば取り上げるほどホリエモンは増長する。ホリエモンは普通の人の神経を持ち合わせていないんだから。
 日本で二番目に嫌いな男、ホリエモンが凋落して、ざまあ見ろ、と思っていたら、昨日食べた幕の内弁当で食当たりを起こし、おかげで今日は散々だった。他人の不幸をそんなに喜ぶものではない、ということか。


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国家の品格

2006-01-24 | Weblog
 ホリエモンが遂に逮捕された。号外が出たほか、テレビが護送を生中継するなどまるで極悪人扱いだった。藤原正彦著の「国家の品格」にまさにホリエモンが行った昨年のフジテレビ買収や小泉首相の進める改革を国を売るものとして糾弾している。「国家の品格」というタイトルに魅かれて、一気に読んでしまったが、ホリエモン逮捕で改めてこの書籍はいいことを突いている、とい思った。現在、43万部売れているとのことだが、多分昨年爆発的に売れた「バカの壁」に迫るんぽではなかろうか。と思って、日本経済新聞を見たら、なんと2面の下全5段広告で「国家の品格」の広告が出ていた。発売元の新潮社には目ざとい担当者がいるものだ。
 「国家の品格」は国柄をなくした日本は「孤高の日本」でなければならない、と説く。論理だけでは世界が破綻する、ともいい、自由、平等、民衆主義は欧米が自らの王国を築き上げるために編み出した概念で、日本はそれにのせられてはいけないという。欧米各国に滞在した経験のある筆者は四季の移り変わりに対する感受性、もののあわれを感ずる感性などは世界に誇れる日本人の美点である、とも説く。そして家族愛、郷土愛、祖国愛、人類愛の4つの愛が重要であるとし、真のエリートの条件として第一に文学、哲学、歴史、芸術、科学といった何の役にも立たないような教養をたっぷりと身につけていて、大局感や総合判断力を持っていること、第二にはいざとなれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることの2つをあげている。このエリートが日本からいなくなってしまった、と嘆く。ホリエモンと小泉首相に言って聞かせたいくらいだ。
 要するに明治時代に武士道精神を説いた新渡戸稲造を礼賛しているわけで、 美しい国土、自然が豊かな人間性を育むことを強調していたのも新鮮な感じがした。最後に世界を救うのは日本人だ、としているのはご愛敬だが、論理展開もしっかりしていて、説得力もある。固い内容の割には、具体的なエピソードも随所に織り込まれていて、読み物としても面白かった。
 筆者は現在お茶の水大学教授、作家の新田次郎と藤原ていの次男で、恵まれた環境で育ったことがこうしたいいものを書けた理由か。なかで平等に触れた箇所で自身のことを小さい時から女性にもてたことがなかったこと、それに絵と体育の評価が5段階の2であったことを告白している。また、どこかで「世界中にぶん殴りたくなる女性は女房を筆頭に山ほどいる」と書いている。講演録をもとに書き起こしたというが、筆者の強いコンプレックスがこの著作を生んだ原動力だったのかもしれない。
 いずれにしろ、ホリエモン・ショックで混乱しかかっているいま、この「国家の品格」を読むことを心ある人には薦めたい。また、筆者にはこれに続いて「人間の品格」、「会社の品格」、「社長の品格」等の著作を著してもらいたいものだ。
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残酷なテレビ

2006-01-23 | Weblog
 ホリエモンは21日の野口英昭さんの通夜に参列しなかったが、翌22日の告別式にも当然顔を出さなかった。行けばマスコミに追いまくられ、会場が混乱しかねない、ということからだ、というが、これまでマスコミを混乱させることなどお構いなしにマスコミに登場していたくせにそれはないだろう。23日の朝刊も各紙ともライブドアの粉飾決算からみの記事を一面トップで扱い、相変わらずマスコミの注目を集めている。
 昨日のテレビも報道番組は耐震データ偽造事件と並んでライブドア・ショックを取り上げていた。テレビ朝日のサンデープロジェクトではライブドアショックの一連の騒動を報道した後に司会の田原総一朗がカメラに向かって「ホリエモンさん、何か言いたいことがあったら、いまからでもいいから連絡してくれ」と呼びかけていた。日本テレビの「バンキシャ」でも司会の福沢アナウンサーが「電話してきて」と呼びかけた。もちろん、ホリエモンは何の音沙汰もなかった。そんなタマではないだろう。
 「バンキシャ」では日本テレビのプロデューサーがこの一週間、携帯電話でホリエモンと連絡を取り合っていて、その一部始終を克明に流していた。野口さんが亡くなったことを伝えると、泣きそうな声で「俺、どうしたらいいんだ」とホリエモンにしては珍しいうろたえる姿を伝えていた。日本テレビとしてはなんとか、テレビ出演うをしてほしい、ということで追っかけたわけだが、当然こんな状況で出られるわけがない。単なる出演交渉の舞台裏なのだが、テレビ側にすれば格好の素材になってしまうところが怖い。生の姿が浮き彫りにされてしまうことになる。ホリエモンとしても、まさかこんな形でテレビ報道される、とは思っていなかったことだろう。最後は「何も悪いことをしていな」といつものホリエモンに戻っていたが、野口さんが死んだ時の電話でのやり取りは明らかになにかあるに違いない、と思わせるものだった。ホリエモンも並みの人間であることも見せてくれた。実際、テレビは正直に写し出してくれる。
 「バンキシャ」は番組の一時間をほとんどこのホリエモンとのやり取りで済ませてしまった。テレビ番組制作としてはこんな楽なことはないだろう。素材としてホリエモンはまだ視聴率をかせげる、とでも踏んだのだろう。テレビ人の「視聴率さえとれれば……」といういやなところでもある。視聴率の前には品性、正義などといった観点はみんな二の次になる。それこそ、「金さえ儲かれば……」というホリエモンと全く同じ理屈である。ホリエモンとテレビは同じ穴の狢で、時代の申し子でもある。まだ、犯罪人と決まったわけではないので、ホリエモンはテレビに取り上げられることだろう。同類として。
 「バンキシャ」のなかでもいま現在、ホリエモンはどうしているか、話題になっていたが、実際ホリエモンの心はどんなものなのだろう。本当はどうでもいいことなのだが、ちょっと気になる。まともな人なら悪あがきをせずに真摯に法の裁きを受けるだろう。漫画家の倉田真由子が「反省して、立ち直ってほしい」と言っていたが、どう見てもそんなタマではない。最後まで口では潔癖を主張し続けることだろう。野口さんのように自殺するような心境にはならないだろう。だからこそ、ショックを受けたのだ、と思う。どっちの番組か忘れたが、ホリエモンが数日前の映画試写会で「何かに追っかけられている夢を見た」と言っていた。正夢だったわけで、その程度の霊感をもっているようだ。
 冷静に考えれば、ホリエモンにとって最適の解は自殺で、少なくともホリエモンに対する追求すべてが不問にふされ、ベンチャーの雄として歴史に残る存在となる。名(歴史)をとるか、実をとるか。まあ、いままでのホリエモンの行動パターンからいけば、実をとるだろう。
 23日午後に検察のホリエモンへの事情聴取が始まるようで、展開は意外と早いようで、テレビからホリエモンの顔が消える日は近い。
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げに凄まじきもの歌舞伎役者

2006-01-22 | Weblog
 昨日は雪の中、東京・池袋サンシャイン劇場での公演「獅子を飼う」を観賞に行った。秀吉と利休の対立を描いた演劇で、兵庫県立芸術文化センター企画による山崎正和作。20年くらい前に初演され、今回は主役の平幹二郎と坂東三津五郎の顔合わせは同じである、という。数日前の夕刊で秀吉役の坂東三津五郎が「前回は30代で50歳の秀吉を演じたが、今度は年齢がほぼ同じになった」と再演に賭ける意気込みを語っていた。昨日は公演初日で、会場中央のいい席には坂田藤十郎の奥さんである扇千景らしき観客もいたし、入り口にはたくさんの花が並んで大物役者が出演するんだ、と思わせ、会場の外で降りしきる雪とは関係なく華やかな雰囲気を盛り上げていた。たまたま座席が最前列だったこともあり、幕開けから坂東三津五郎の熱気がびんびんと伝わってきた。主役の利休役の平幹二郎はなんか顔色も冴えず、ずっと食われっ放しだった。
 筋書きは秀吉が小田原城攻めをする前後で、千利休が天下の茶人ともてはやされ出し、秀吉の不興を買ったとして、自宅静養を申し出るところから始まる。明国攻めや武将に対する褒賞の授与など次から次へと己の権力を誇示する秀吉に対し、なんとか取り入ってかつての茶匠としての地位を取り戻したい、と思う千利休とのすれ違いを豊臣秀長、ねね、南蛮人の側近ロペス、側用人石田三成、愛人於絹などを交えてエピソード風に綴っていく。最後に2年ぶりに秀吉と利休二人だけの茶会が催され、旧交を温めることになるが、そこへ秀長と鶴松の死の報がもたらされ、折角元に戻りかけた二人の絆が崩れ、利休は死を命ぜられる。利休が為政者、秀吉の心の中にまで踏み込んだことが不興を買ったのである。
 秀吉と利休の葛藤はこれまで多くの小説、映画、演劇で取り上げられている。単なる庶民の楽しみであった茶道が武士の嗜みとして政治の道具にまでなった最初で、最後の出来事であったからなのだろう。政治にはいろいろなことが絡んでくる。茶の世界でのことは茶の世界に留めておくことが肝心で、利休はその一銭を超えてしまったところに悲劇があった。千利休が秀吉という獅子を飼ったような気になり、思うように動かしてみたい、と思った、と秀吉が感じた、ということなのだろう。
 その為政者、秀吉の有能、かつ気まぐれな人物を坂東三津五郎は見事に演じきった。南蛮服を着て、ダンスを踊る姿なんか、秀吉になり切っていて、見ている方が惚れ惚れとした。さすが歌舞伎役者である、と思った。昨年のNHK大河ドラマ、義経で後白河法皇を演じ、最近始まったテレビドラマ「けものみち」で得体のしらない金持ち老人役で好演を見せていた平幹二郎も半ばまで坂東三津五郎に食われていた。一体、どちらが主役だったか、とパンフレットをめくったほどだった。
 わずかに終盤、利休が秀吉との茶会の場が持てるのが決まった場面からやや顔色に精気が戻ってきたが、それでもいつもの平幹二郎らしさには至らなかった。公演終了後のカーテンコールで中央に並んだ笑顔の坂東三津五郎が「良かったね」とでも笑いかけたのに
平幹二郎あ固い表情を崩さなかった。おかげでか、盛大な拍手にもかかわらず普通は2-3回はやるカーテンコールが1回きりだった。平幹二郎の心中は煮え繰り返っていたのだろう。
 枕草子流にいえば、げに凄まじきもの、歌舞伎役者ということにでもなろうか。いくら演劇で経験を積んでも、時代ものは歌舞伎役者に敵わない、ということだ。発声から所作、踊り、何をとっても基礎の鍛え方が違う、ということなのだろう。テレビではいくらでも誤魔化せるが、生の舞台ではそうはいかないのだろう。

 [別件] 沖縄で自殺したとされるエイチ・エス証券副社長の野口英昭さんの通夜が昨日、東京・芝増上寺光摂殿で行われたが、ホリエモンは参列しなかった、という。どんな事情があるにせよ、一番その場にいなくてはならない人がホリエモンである。まさに噴飯ものである。いくら報道陣を避けたい、といっても人間として行うべきこともしないホリエモンは最早、人間失格である。これだけで万死に値する。
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