鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

ジュリー氏の関心はあらぬ方向に向いているようで、これではとてもジャニーズ事務所の経営改革はもたらされないことだろう

2023-09-22 | Weblog

 今月7日のジャニーズ事務所の東山社長とジュリー代表取締役らが4時間強にわたる記者会見を開いてから2週間余経ったが、連日故ジャニー氏の性加害を受けた被害者をめぐるニュースが相次いで報じられ、最終決着までまだまだ時間がかかる見通しである。今週発売の週刊文春で、ジュリー景子前社長が問題の記者会見のあった7日夜に娘を連れてハワイに旅立ち、ワイキキビーチのホテルでゆったりと豪遊した、と伝え、さらジュリー氏がに記者会見で代表取締役に残ると明言したその理由を明らかにした。そんな豪遊の裏にはしたたかな計算がされていたわけで、どこまでジャニー氏の性加害を反省しているのかが疑われ、居直っているジュリー氏の姿が浮かび上がってきた。

 週刊文春によると、ジャニーズ事務所はグループ全体で年間1000億円を超える売り上げがあり、非上場の株式の評価額はジャニー氏が亡くなった2019年7月時点で1株当たり200万円を超える水準にあった、という。その株をジュリー氏はメリー氏と50%ずつ保有する形で分け、さらに2021年にメリー氏が亡くなるとジュリー氏が全株所有することとなった。専門家によると、ジュリー氏が納めるべき株の相続税は860億円になる、という。しかし、国が2009年から中小企業の事業承継を後押しする新たに「事業承継税制」を導入したのを利用するためには、申告期限の翌日から5年間、代表取締役を務め、5年目以降も株を継続して保有しないといけない、とされている。

 つまりジャニー氏が亡くなった際の相続税の申告期限は2020年5月なので、2025年5月までジュリー氏は代表取締役であり続けなければならない、ということとなる。そうすると、860億円の相続税を払わなくても済むということとなる、という。中小サービス業の場合、従業員100人以下、もしくは資本金5000万円以下のどちらかに該当すれば、この恩典に預かれる、という。

 記者会見でジュリー氏が「代表取締役に残る」と明言したのは被害者への補償をするためではなく、相続税を払わなくて済むということが理由だったのである。この段階に至っても税金の課税を逃れるための代表取締役継続であったことが判明したわけである。記者会見でいかにも性被害者の補償を行うようなことが述べられたが、心の中はいかに払うべき相続税を払わずに済ますか、ということだったわけで、こんな人が今後のジャニーズ事務所経営の舵取りをしていけるのか、甚だ疑問に思えてきた。

 いま、ジャニーズ事務所の社名をどうするのかとか、性被害者への補償問題をどうするのか、いままでのスポンサーやテレビ各社との関係をどうしていくのか、など関係者はジャニーズ事務所が相次ぐ難問を捌いていけるのか、関心を持って眺めている状態であるのに、肝心のジュリー氏がこんな状態ではとても関係者が納得いくような解決策を講じていけるのか、極めて疑がわしい。ジュリー氏が後任の社長に据えた東山紀之社長も過去にジャニー氏と同様な行いをしていたとされていて、もはやジャニーズ事務所は一気に解体への道を進んでいるとしか思えない状況にある。

追記(10月2日) ジャニーズ事務所への故ジャニー喜多川氏の性加害をめぐる大企業や各テレビ局の今後一切ジャニーズ事務所のタレントを使用しない、との動きに対して、いち早く10月2日に記者会見を開くとの発表を受けて、この2日行われた記者会見はいまのジャニーズ事務所を「スマイルアップ社」に名称変更し、性被害者の救済、補償に専念させ、終わった段階で会社を消滅させることと、タレントのマネジメントを専門に行う新会社を11月中旬にも設立する、と発表した。新会社名は公募で決める、としている。この日も2時間強にわたり、記者からの質疑の新会社の東山社長、井ノ原副社長、それに弁護士2人の4人が答えたが、発表事実以上のものは出てこなかったうえ、肝心のジュリー景子氏は姿を現さず、心境を綴ったメモを代わりに井ノの原副社長が読み上げただけだった。性被害者に対する補償額についても具体的な数字は全く示されなかった。記者団の中からは「茶番だ」との声もでてくる始末で、今後の経営変革に対する期待はすっかり萎み、無駄ともいえる2時間だったと思った。 

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N響演奏会でワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」のオーケストラ・バージョンを初めて聴いて感動した。指揮者のファビオ・ルイージに絶大な拍手だった

2023-09-16 | Weblog

 16日は東京・渋谷のNHKホールでのN響定期演奏会に行った。N響演奏会には年に数回出かけることにしており、つい3カ月前にチケットを取ったばかりで、その時は指揮者がN響の首席指揮者のファビオ・ルイージであることを確認しただけで、演目についてはほとんど気にしていなかったので、席に着いてからリヒャルト・ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」であることに確認し、道理で珍しく満員であることにも納得した。同時にこれまでワーグナーのオペラ「ニーベルングの指環」は新国立劇場で2度ばかり見ているが、演奏会で拝聴するのは初めてのことで、演奏前から胸を膨らませて大いに感激した。

 実はN響演奏会には20数年前から定期会員となり、NHKホールの1階席に席を確保して、毎回演奏会に足を運んだ。その後、読響にも定期会員となって足繁く通って、クラシック音楽に耳を傾けてきた。N響でも読響でも年末のべートーベンの第九交響曲演奏会にも行って、さながら音楽通のような顔をしていた。ところが、シニアになってからは必ずしも会員にならなくて、1回限りのチケットで聴くことでもコンサートを楽しむことができる、と思い、専ら3カ月に1回程度、NHKホールの4階席でコンサートを聴いてもそれほど変わらない、思うようになり、そうしている次第である。実際、1階席で聴く音と一番上の4階席で聴く音との間にはそれほど差はない。むしろ4階席の方がよく聞こえるような気がしなくもない。しかも上からN響の演奏者が演奏している姿がよく見え、指揮者の動作もよく見える。

 一方、ワーグナーの「ニーベルングの指環」については「ラインの黄金」と「神々の黄昏」と題したオペラを観賞したことがあり、いずれも主役のジークフリート、ヴォータンは欧州のトップクラスのオペラ歌手が演じていた。オペラにそれほど馴染んでいたわけではないので、見ていてもそれほど理解していたわけではなく、筋を追うのが精一杯だったが、それでも楽曲の覚えだけはところどころ記憶に残っている。

 その楽曲が今回、オーケストラ・ヴァージョンとして聞けるのだ、と思うと、胸が一挙に高まってきたのである。今回の演奏はフリーベルという音楽家が約15時間に及ぶ超大作を1時間強にまとめたものだそうで、NHKが事前に来場者に配布したパンフレットによると、前奏曲からワルキューレの騎行、英雄ジークフリート、ジークフリートのラインの旅、葬送行進曲、ブリュンデヒルデの自己犠牲に至る14節にわたっている。聴いていて、オペラ鑑賞の際に聞いた1節が奏でられるとその時の感激がよみがえってきて、興奮させられた。

 演奏が終わって、会場は満場の拍手に包まれ、感激は一層高まった。指揮者ファビオ・ルイージに対するもので、カーテンコールは5度、6度にもわたった。まさに会場は興奮に包まれ、大いに盛り上がった。こんなに感情の渦が高まったN響の演奏会は見たことがない。天国のワーグナーも大いに感動していることだろう、と思わせた。

 今回、席はC13列で一番後ろの席で、丁度指揮者の正面後ろの席だった。2つ置いた席に座った女性が途中で、椅子席を後ろに上げてその上に腰かけて会場を俯瞰するような姿勢で見ていたので、それにならって席を上げてその上に腰を掛けて、演奏ステージを眺めてみたら、会場を上から俯瞰しているような感じがして、こんな見方があるのだ、と実感できた。会場の一番後ろの席だからできることで、うしろに立ち見の人がいるわけではないので、できることだ、と納得した。ただ、いかにも上から目線で見ていて、演奏者から気が付かれたら気分を害するのではないか、とも思われたので、数分してやめた。ともあれ、いままでにない感動を与えてくれた演奏会であった。

 

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史上初めての任命された副大臣、政務官54人はすべて男性だったことに驚いた。岸田内閣の本性ここにあり。

2023-09-16 | Weblog

 第2次岸田改造内閣が発足して3日経ったが、16日朝のネットニュースを見ていたら、どこかの世論調査で、次の内閣総理大臣に誰がいいか、を聞いたところ、なんとトップは小泉進次郎元科学技術庁長官がなっており、次いで現デジタル庁長官、以下石破茂衆院議員となっており、現首相の岸田首相は6位となっていた。現職の総理大臣が組閣したばかりの世論調査で、次の総理大臣のランクに6位に落ちているなんてことは聞いたことがない。いかに不人気な内閣であるかということを象徴しているではないか。今回の第2次岸田改造内閣は一体、どうしていまの時期にやらなければならなかったのか、が改めて問われている。岸田低飛行内閣の行く末がもう見えている、と見る向きも多い、といえる。

 そもそも岸田第2次改造内閣は内閣支持率の低迷を打開しようと先月終わりごろから画策されていたようであるが、いざふたを開けてみると、安倍派、麻生派、茂木派の3大派閥の意向を組んだおざなりの改造で、まるで新味も特徴もない改造であった。大臣20人の平均年齢は63.5歳とほぼ2年前の第1次岸田内閣の時と比べ1.2歳も年取っている。主要閣僚を留任させたためとも思われるが、すべては来年秋にある総裁選をにらんで、再選を果たすための布石という岸田首相の意図が見え見えであったことがうかがえる。

 改造の直後の各紙の世論調査によると、今回の岸田内閣改造について評価した結果はほとんど出ていない。岸田首相はインドネシア、インドで開かれたAPEC首脳会議やG20首脳会議に出席した最後にインド・ニューデリーでの記者会見でことし5月に広島でのG7首脳会議から始まった一連の外交成果を強調し、その成果をもとに党人事と第2次内閣改造を行うことを明言し、華々しい結果がもたらされるものと期待した。

 ただ、国内ではガソリンはじめ食料品の価格は上がる一方で、国民の生活への不安は増すばかりで、懸案のマイナンバーカードの健康保険証との一体化についてはなんら前進が見られていないし、収まったはずのコロナウイルス感染拡大の兆しが出てくるし、一方では防衛費の膨張は留まる様子は全くないうえ、少子化対策の詳細は相変わらずブラックボックスのままである。昨年来の旧統一教会への対処についても腰の定まった策は出てきていない。こうした点に対する政府の方針はほとんど進んでいない。

 16日の朝刊を見ると、昨日決まった政府の副大臣と政務官計54人すべてが男性と史上初めてのこととなった。先日の第2次改造内閣では過去最高の女性閣僚が5人誕生したのに、これでは帳消しとなってしまうこととなる。すべて周りのだれかが決めたことを承認しているだけの岸田内閣の施政では避けられないことだったとはいえ、これでは到底国民の支持を得ることはできないことだろう。

 もうひとつ鈴木淳司総務相は昨年7月の参院選前に世界平和統一家庭連合の会合に出席したほか、秘書が別の統一教会関連団体の会合に3回参加し、会費を支払ったことが判明したほか、15日に決まった副大臣、政務官54人のうち11人の副大臣、15人の政務官が教団側と接点がったことを朝日新聞が報じている。官邸は「当該団体との関係を持たないことを引き続き徹底する」としているが、果たして徹底できるのか、疑問なしとはしえないところがある。いずれにしろ、過去のやりとりも見ても岸田内閣の言うことはいまいち信用できない。

 

 

 

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裁判につきものの弁護士費用の請求をめぐって、お互いの弁護士がジャブを繰り出したが、最後は痛み分けとなりそうだ

2023-09-13 | Weblog

 13日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。午後1時半からの712号法廷での三喜不動産なる会社が顧問弁護士であるとみられる弁護士事務所に対して債権不存在確認請求している裁判を傍聴した。裁判に弁護士はつきもので、その裁判に欠かせない弁護士事務所に対し、債務不存在の確認を訴えている珍しい事件なので、一体どんな内容なのかとの野次馬的興味が湧いてきて、傍聴席に座った。

 まず原告の不動産会社の社長が尋問を受け、まず訴訟の内容を代理人である弁護士からの質問に答えた。それによると、原告は「被告である弁護士事務所から3年前に総額9700万円もの弁護士料の請求を受けて、高いと思った」と語った。「それには費用見積り計算書なる書類がついていて、説明を受けたが、あまりにも高いと思ってか、どんな説明を受けたのかも定かには覚えていない」とも語り、その場ではそれが適正なものであるかどうか判断がつかなかった、とも言った。

 被告の弁護士事務所とは20年に及ぶ付き合いがあり、それまでも要所要所で、いくばくかの顧問弁護士料は払ってきたが、その時の提示額はあまりにも高額で声も出なかったほどだった、という。それで知り合いの弁護士に相場を聞いたら、「1000万円程度が適当だ」とも言われたし、他にも相談してみたら、「根拠が不明朗だ」とも言われた。当該請求書に対しては「同意します」とか、「払います」とは言っておらず、さらに他の弁護士とも相談して、それ以降は役員報酬の形で、分割してなにがしかの顧問弁護士料を払うことにしてきた、とも語った。

 で、今度は被告の弁護士が尋問に立ち、おそらく経営する弁護士事務所の所員である弁護士の尋問に答える形で、9700万円の請求書にはこれまでグループガバナナンスが効いていなかった経営体制を変革するための業務や、不動産会社として契約を結ぶ際の法的なチェックを行ってきたこと、ガバナンスを徹底するための取締役会のあり方などについてのアドバイスを進めてきたことなどの費用が含まれていることなどを述べ立てた。ただ、いかにも叩き上げのワンマン弁護士である被告に対し、部下である一弁護士が尋問に立って質問するのは精細を欠いて、いまひとつの尋問に終わった感は否めなかった。

 この裁判そのものも終わった後に弁護士費用をどうするか、の問題が出てくるわけで、弁護士費用そのものが法廷の場で正面からあれこれ論議されるのはおそらく初めてのことで、裁判長以下、原告、被告ともあまり正面から切り込んでいきたくない面があり、いまひとつ歯切れが悪かった。原告の不動産会社も昔ながらの家族経営で、原告の母親や奥さんらしき人が取締役に名前を連ねており、ガバナンスもさることながら、不明朗な経営ぶりがうかがえるような状態で、お互いにどこまで突っ込んでいいのか、決めかねるような面も見られ、どこまでメスが入れられることになるのか、検討がつかない側面もうかがえた。

 裁判長は原告、被告の証人尋問が終えた段階で、審議の終了を宣し、12月早々に判決を下す意向を決定し、具体的な日時を決めたが、その一方で原告、被告両方に対し、和解の可能性を打診した。和解となることはないと思われ、おそらく被告の請求を半分くらいにすることで決着をつける意向のように感じられた。

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介護施設へのお見舞いは安易に行う前に多角的な視点からいろいろ考えて臨むべきである、と思った

2023-09-03 | Weblog

 今週はじめにこの春に大学時代のクラス会の幹事をした際に仲良しだった友人のM氏が3年前から老人介護施設に入室していて、そのことを他の友人に伝えていいものか、を奥さんと話した際に有志でお見舞いにいけないものか、を聞いたところ、いいとの返答を得たので、秋にも数人でお見舞いに行くことを約束していた。それで、先月末に奥さんに電話したところ、留守電になっていて、伝言でそうしたい旨を伝えていた。ところが、数日経ってもなんの返事もないので、そういえば先回の電話の際、6月にも奥さんが手術をする、と聞いていたことを思い出し、ひょっとしたら手術の結果が思わしくなったのかもしれない、と思いあたった。

 で、2,3日置いてから、奥さんから聞いていたM氏が入所している施設の電話番号に電話し、大学時代の友人で、奥さんからお見舞いに行く了解をもらっていて、その奥さんが入院しているかもしれないけれど友人としてお見舞いできるものなのか、を問い合わせたところ、問題ないということだった。それで、かねてお見舞いに行くことを同意してくれていた2人の友人にメールし、10月の初旬あたりで、都合のつく日時を聞いて、9日(月)の午後にお見舞いに行くことで、施設に連絡した。奥さんには経緯について書いた手紙を出していたので、その反応があったら、お見舞いの詳細を連絡すればいい、と思っていた。

 奥さんからは住んでいるJR吉祥寺駅駅から車で行けば近いので、車でお送りします、との提案も受けていたので、待ち合わせ場所、時間については変更があれば、同行の友人に再度連絡すればいい、と思っていた。ただ、奥さんの身体の具合いがわからないので、とりあえず直接、施設に近い西武新宿製の武蔵関駅改札に集合ということにしていたが、これも変更すればいい、と思っていた。この春に4年ぶりのクラス会を終え、一段落したが、もうひとつM氏のお見舞いという約束の件がセットアップできてよかった、と少し気も晴れてきた、と思っていた。

 ところが、昨2日の昼ころにM氏の奥さんから電話がかかってきて、「返事が遅れたことをお詫びします」との挨拶に続いて、「実は主人と話し合ったところ、お見舞いを受けるには気が進まないということで、今回の件はお断りしたい」とのことだった。主人の了解を取るのに時間がかかったので、返事が遅れてしまった、と説明してくれた。実は奥さんんはこちらが想像した通り、術後の経過が思わしくなくて、自動車の運転はできなくなってしまい、施設に来るのにも娘さんに運転してもらっている、とのことでもあった。

 ということで、折角決めたお見舞いの訪問もあっさりと振りだしに戻り、同行をOKしてくれた友人にもその旨メールして了解してもらった。奥さんは「お見舞い取消の件は施設にはこちらから連絡します」ということだったので、お願いしたが、そもそもはこちらが独走して、設定してしまったわけで、「済みませんでした」と重々謝った。先方の事情をあまり考えずにこちらの都合で独走してしまったわけで、もう少し慎重に事を運ぶべきだったのかな、とも反省した。

 考えてみれば、施設に入所して、車椅子にでも厄介になっている姿などあまり見てもらいたくない、との気持ちになることは十分に想像できる。かつては会社の社長として華々しく活躍していたM氏にとっては耐え難いことでもあろう、と察せられた。そこまで思いが至らなかったのは当方のミスでもあるかもしれない、とも思った。こうした介護施設の中がどうなっているか、との野次馬的な関心もなかったとは言えず、一方では施設側もいろいろな人にみてもらって理解を深めもらおう、との考えからお見舞いは積極的な姿勢で臨んでいるという事情もあるのかな、と思った。ともあれ、お見舞いをするにあたっては多角的に思考を馳せたうえで、臨むべきだった、思った次第である。

 

 

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