鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

「500円玉預金」の効用

2009-02-28 | Weblog
 かみさんが以前から愛用している健康食品の在庫がなくなったので、買いたい、と言ってきた。一般の薬局では売っていないものなので、販売員をしている友人に注文しており、一度に大量に買うと割引率が大きくなる仕組みとなっており、10万円を超えると割引率が20%になる、という。以前なら2つ返事でOKを出していたのだが、退任後は右から左へお金を動かすようなわけにはいかないので、2、3日渋っていた。で、ふと「500円玉預金」が10万円以上あることを思い出して、それを充当することにして、使うように言った。
 「500円玉預金」はもう10年くらい前から行っているもので、いまは郵便局でもらった赤い郵便ポストに、財布に入った500円玉を入れており、いっぱいになると、皮袋に入れている。大体、5万円くらいに貯まるともう入らなくなるので、移し替えるようにしているが、退任後は外でお金を使うことが減ってきたので、ペースはがくんと落ちている。それでもここ2、3年で皮袋の500円玉は合計15万円にはなっていた。
 以前は玩具屋で売っていたブリキ製の10万円預金箱に500円玉を貯金し、もう入らないくらいいっぱいになるのに何枚入るのか、と思って入れていったら、13万円近く入ったことがあったし、貯まったお金でビデオカメラを買ったり、子供の単車に充てたこともあって、何を買おうか、楽しみにして貯めていた。会社や、外出先から帰ってきて、家で財布を抽斗に仕舞う時に財布にある500円玉を貯金箱に移すことにしているだけだが、お釣りをもらう時になるべく500玉をもらうようにして、「500円玉預金」が増えるようにしている。なんとなく「500円玉預金」が増えていくのが楽しい気持ちになってくる。
 理屈的には毎日500円なり、1000円なりを貯金箱に入れていけば、1年に18万円なり、36万円貯まることになるが、それでは機械的で面白味がない。消費行為につながり、たまたま500円玉が財布の中に落ちた場合に貯金する、ということにすれば、偶然が加わるので、予期せぬ貯金ということになる。それで、いまだに続けている
 ところが、最近はこれといって目的もなく、ただ単に貯めるのが面白いだけで惰性的に続けていて、随分前に15万円貯まったところで、これといった使い道が見つからず、タンス預金化していた。
 それが、かみさんの申し出で健康食品の代金に充当させることになったわけで、健康はお金には変えられない、という神様の思し召しということなのだろうか、これも「500円玉貯金」の効用と考えるべきなのだろう。
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感動の映画の祭典、米アカデミー賞受賞式

2009-02-27 | Weblog
 第81回米国アカデミー賞の授賞式をWOWOWに録画して、見終わった。毎年新しい試みがされていることと、この不況期にも拘わらず、映画関係者最大のイベントとして盛大に取り行われたことに改めて感心した。なかでも最大のトピックは短編アニメ賞に加藤久仁生監督の「つみきのいえ」と外国語映画賞に滝田洋二郎監督の「おくりびと」の日本作品が同時受賞したことで、昨秋のノーベル賞受賞時のように日本中がその話題で沸騰した。両作品とも日本文化の良さが評価されての受賞として喜ばしい限りである。
 受賞のスピーチで加藤、滝田両監督とも用意していたのか、英語でスピーチしていたのと、滝田監督が「おくりびと」の英語のタイトル、デパーチャーにひっかけて「この受賞は私にとってもデパーチャーです。また、この場に戻ってきます」と意気がっていたのが印象的だった。
 米アカデミー賞では注目の主演男優賞、助演男優賞、主演女優賞、助演女優賞では過去に受賞した5人の俳優が檀上に登場し、ノミネートされた5人の候補者のそれぞれの演技を讃えるスピーチをして、最後に受賞者を発表する、という新しい試みをしていたのが面白かった。目の前で推薦理由を述べられ、同時にその表情が画面に映し出されるのはアカデミー賞ならではの映像で、俳優個々のキャラクターも出ていて興味深かった。
 直前に見た「ベンジャミン・バトン」が事前の評判にも拘わらず、「スラムドッグ$ミリオネア」に作品、監督賞などほとんどの賞をさらわれた他、主演女優賞は確実と思った「チェンジリング」のアンジェリナ・ジョリーが賞を逃したのが残念だった。
 日本の「つみきのいえ」と「おくりびと」がダブル受賞したのは死や孤独と向き合い人間の心を描いた作品として評価されたようで、ノミネートされた作品のなかには戦争やアラブ・イスラエルの紛争を題材にした作品がいずれも敬遠されたことも大きく預かったようだ。
 ただ、「おくりびと」については有限会社編集プロダクションの季刊誌「映画芸術」の09年冬号による2008年映画ベストテンによると、134位にしかランクされていなかったことが気になった。同ベストテンは41の映画評論家・グループが10点満点で採点し、逆にワーストども同じようにマイナス点をつけ、その合計点でランク付けしている。それによる「おくりびと」はベストでは42点、ワーストでは57点で、総合マイナス15点となっている。4人もの評論家がマイナス10点をつけているのが不思議だった。
 ちなみに同ベストテンの1位は「ノン子36歳(家事手伝い)」(84点)で、「崖の上のポニョ」は22点で21位にランクされていた。
 「映画芸術」なる雑誌があるのも初めて知ったが、少なくとも「おくりびと」にワーストテンのマイナス10点をつけた評論家は頭を丸めて然るべきだろう。 
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柳家喜多八の古典落語を堪能し、落語ブームを実感した

2009-02-26 | Weblog
 25日は東京・銀座の博品館劇場での「喜多八膝栗毛 冬の陣」なる寄席に出かけた。知人のTさんからいただいたチケットで、どんな落語家が出演するのか予備知識は何もなく赴いた。開演10分くらい前に会場に入ると、結構空席があり、そんな程度の会かな、と思っていたら、真打の柳家喜多八の場になると、ぎっしり満員となった。どうやら「喜多八膝栗毛」のタイトルで年に2回くらい公演しており、固定ファンの多い落語家のようで、会社帰りのサラリーマンに混じって若い女性もチラホラみられ、落語がブームになりつつあるのを感じさせてくれた。
 最初は入船亭遊一なる若い落語家が嫉妬をテーマとした軽い落語をして、注目の柳家喜多八が登場した。枕に出身の大学の落語研究会からのお祝いの品を届くのだが、柳家の「家」を「屋」と書いてくるのには困ってしまう、と語り、自らの出自をサラリと紹介しながら笑いをとる。年の頃50から60歳くらいで、インテリっぽい顔で、声や仕種はメリハリがついていて、面白そうな落語家である、との印象を受けた。そのうちに気の短い江戸時代の商屋の旦那がどういうわけか、気の長い友達と話し込みむうちに余りにも動作の遅い友人にいらいらして、キセルの吸い方を指導するうちに、火のついた煙草をたもとに入れて、焦がしてしまう件を面白おかしく語った。
 それで引っ込んだので、1部はこれで終わりか、と思ったら、また出てきて、「目の前に水を置いとけばいいのですけど」と言って、今度は大道見世物の話からガマの油売りの口上を一気にまくし立てた。すごいもんだな、と思っていたら、このガマの油売りが酔っぱらったら、という前提で酔っ払い口調で口上が始まった。しどろもどろで、刀を取り出し、切れないことを確かめるため腕に切りつけると、切れてしまう、そこで血を止めるためガマの油を塗るが、酔っているため血が止まらない。そこで、何回もガマの油を塗りたくるが、止まらず、あふれ返ったところで、チョンとなる、大いに笑わせられた。
 15分の休憩ののちはロケット団の漫才のあとに再び柳家喜多八が登場し、今度は古典落語の左官屋の長兵衛が博打ですっからかんとなり、娘が吉原の置き屋に駆け込み、今後一切博打に手を出さないことを条件に50両を貸してもらう。が、その帰りに大川に身投げしようとしている簪屋の若い手代に同情して50両そっくり与えてしまう。ところが、手代が失くしたと思った50両は手代の勘違いで、出てきて、感激した簪屋の主人が長兵衛のところへ出向いて、お礼をして、娘を身請けして戻してくれる。たっぷり50分、古典落語の良さを十分に聴かせてくれた。
 帰りに地下鉄・新橋の駅で情報誌「metro age」を手に取ると、「落語のススメ」をタイトルに落語ブームの一端を紹介していた。家に帰ってgoogleで柳家喜多八を検索すると、49年10月生まれの59歳、学習院大落語研究会出身、柳家小三治門下の真打で、古典落語の侍の描写がうまく、中堅落語家として玄人筋の評価が高い、と出ていた。
 なるほど会場が満員だった理由がよくわかった。新宿末広亭などの寄席だけでなく、こうして定期的に都心の劇場へ出張って、落語家個人の芸をじっくりと聴ける場ができている、ということは相当な落語ブームになっている、と思った。
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虫歯とヘルニアの意外な関係が証明された?

2009-02-25 | Weblog
 数年前から左鼠径部にヘルニア症状が出て気になっていた。特に寒い冬の時期には結構な大きさになり、時には痛みが出て歩きにくくなってくるようなこともあり、医学書を見て切った方がいいのかな、とも思っていた。ところが、1、2週間前に歯医者で、右下奥の金冠をかぶせてある歯の金冠をとったところ、ひどい虫歯になっていることがわかり、治療を開始したところ、ヘルニアが治まったような感じがしてきた。右下奥の虫歯と左鼠径部のヘルニアがどうつながっているのかわからないが、なんらかの因果関係があるのだろうか、不思議な気がした。
 鼠径部のヘルニアは大腸が垂れ下がってくるもので、最初は何だろうと思っていたが、そのうちに徐々に大きくなってきて、それとともに痛みを伴うようになってきた。考えてみると、亡くなった親父もヘルニアだったので、遺伝的要素もあるのかな、とも思っていた。普段は気にならなかったが、今年は疲れが出ているせいか、なんとかしないといけないのかな、とも思い始めていた。
 ところが、右下奥の虫歯の治療を開始した途端にヘルニアの症状がよくなり始めた。よく右腕と左足がつながっているようなことがいわれるが、それと同じことがいえるのかな、とも思い始め、それまで左足の運動を重点的にしていたのを右足も同じようにするうちに段々症状が治まってきた。以前は一旦腫れるとなかなか元に戻らなかったのが、最近は手で患部を温めると凹むようにもなってきた。
 で、先週、毎年罹っている人間ドックで最後に内科検診があったので、思い切って「ヘルニアが目立つようになったのですが」と最近の状況もあわせて報告して、聞いてみた。いつもは若い看護婦がいるので、恥ずかしい思いもあって、聞けなかったのだが、今年は返答次第では手術も辞さない気構えで聞いてみた。そしたら、「押さえて凹むうちは大丈夫です」と言われたので、余計にホッとした。
 金冠をかぶせてあった虫歯は相当前からやられていたようで、歯自体はとっくに神経を抜いてあったので、痛みは全くなく、ずっと気付かないでいた。レントゲン写真をとったところ、歯の部分がぼやけていたので、なんらかの処置をした方がいい、との歯医者の判断で金冠を取り去った。取ったところ、なかは真っ黒になっていて、歯医者の判断が正しかったことが証明された。歯医者もまさか、虫歯がヘルニアとつながっていた、とは思いもしなかったことだろう。
 最近はヘルニア症状も以前ほど出なくなり、手術しようなんて気はさらさらなくなってしまった。医学的に立証されていることとは思わないが、民間療法としてヘルニアに悩む人にはこっそりと教えてやりたい事実である。
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広告冬の時代の始まり、根本から広告が見直される

2009-02-24 | Weblog
 電通が23日発表したところによると、2008年の国内広告費が6兆6926億円で前年比4.7%減と5年ぶりに前年を下回った。世界金融危機で100年に一度の大不況が到来し、広告どころではない状況となったのが最大の理由である。NHKテレビの午後7時からのニュースに電通の担当者が記者会見している姿が映ったうえので発表だったのがいままでにないことで、一番衝撃を受けているのが当の電通など広告代理店ののだろう、と思われた。
 08年の広告費のなかで最大のトピックは新聞が8276億円で前年比12.5%減、雑誌が4078億円で同11.7%減、テレビが1兆4078億円で同4.4%減、ラジオが1549億円で同7.3%減と、マスコミ四媒体がいずれも前年比大幅な減少をしたことで、あわせて3兆2995億円で同7.6%減となり、広告全体に占める比率も49.3%と初めて50%を割った。
 代わりに伸びたのがインターネット広告費で6983億円で同16.3%増と大きく伸びたが、全体をカバーするのは至らなかった。内訳はキーワード検索連動型広告が1575億円で同22.9%増、携帯電話向けモバイル広告が913億円で同47%増と大きく伸びた。
 これまではインターネットの広告が雑誌広告を追いぬき、注目されていたが、いまや新聞広告を抜くところまで伸びてきたようで、08年の広告で新聞と雑誌が過去最大の落ち込みとなっていることでもそれはうかがえる。
 世界金融危機で企業業績が最大のピンチを迎えているなかで、企業は広告どころではない、というのが正直なところで、今年2009年の広告費はさらに落ち込むことが予想される。
 企業は売り上げが伸びないなかで、いかに経費をい削るかに腐心しており、交通費、交際費と並んで広告費のいわゆる3Kが削られるのは過去の通例である。今後とも既存の四媒体への広告出稿は減少していくのは間違いない。インターネット広告が伸びているように見えるが、四媒体への広告をインターネット広告へ振り向けているだけで、全体として広告が減少していることには変わりはないだろう。
 企業は広告について根本から考え直し、ゼロベースで取り組むところが増えてくるのは必定で、広告冬の時代は当分続くことだろう。

追記 24日付け日経産業新聞に講談社の08年11月期決算が載り、78億円と過去最大の赤字となったことが明らかとなった。売上高は1350億円と前年比6.4%減となったが、うち広告は148億円で全体の10%強を締めるに過ぎない。ただ減少の幅は17億円弱で同10.2%と大きく、収益の足を引っ張ったのは間違いない。広告はある金額以上は利益なので、赤字幅の拡大にはそのままストレートに効いてくる。講談社に限らず、今後マスコミ四媒体各社の決算で赤字決算をするところが続出すると思われるが、その最大の理由は広告にあるといっても過言ではない。
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ストアーブランドまで傷つけてしまった米サックスの誤算

2009-02-23 | Weblog
 米ニューヨーク5番街の高級専門店、サックス・フィフス・アベニューが存亡の危機に瀕している。日経ビジネス2月23日号に掲載されたウオール・ストリート・ジャーナル紙が最近報じた記事によると、サックス・フィフス・アベニューは昨年末のクリスマス前に高級デザイナーブランド商品を一挙に70%値下げする暴挙を敢行し、米消費者市場を大きな混乱に陥れた。景気低迷に伴う急速な需要減に対処するためだったが、その後は一挙に消費者からそっぽを向かれ、たちまちのうちに経営苦境に追い込まれてしまったのだ。
 サックスの70%値下げはセール初日の11月25日、ニューヨーク店8階の靴売り場には数百人が列を作るほど買い物客が殺到し、店頭で商品を奪いあう姿が目撃された、という。同社のスティーブン・サドーブCEOはこの値下げを「会社を確実に存続させるために必要な処置だった」と説明する。サドーブCEOは昨年の世界金融危機で既存店の売上が9月には前年同月比11%減、10月が同17%減と同時多発テロ以来の落ち込みを見せたため、急遽大幅値下げを決めた。
 ところが、当初の消費者の反応は良かったものの、ライバルのニーマン・マーカスやバーニーズ・ニューヨークらも直ちに値下げに追随したのと、多くの高級デザイナーブランドから猛反発をくらい、なかには人気商品を百貨店から引き揚げるところも出始めて、戦略の見直しを迫られる点も出てきて、必ずしも期待したほどの効果が出なくなった。
 消費者も最初は飛び着くが、値下げが常態化すれば、そのうちにそっぽを向き出すのは目に見えていることで、09年1月のサックスの売り上げは前年同月比24%減となってしまった。おかげで、サックスの株価は07年には22ドルだったのが、2.72ドルまで低下してしまった。1月中旬には従業員の9%にあたる1100人の削減に踏み切り、店舗を閉鎖する可能性すらある、という。
 米国の小売店は日本の委託販売制と違って、自らのリスクで仕入れ、販売するので、最終的な値付けの決定権は小売り側にあるので、理論的にはサックスが値下げしよう、とすればいくらでも値下げできる。しかし、高級デザイナーブランドの商品はサックス以外の店舗でも売られており、そうしたライバル店での価格を無視しては暴走になりかねない。しかも仕入れにあたってはなんらかの契約があって、値付けについてもなんらかの取り決めがあるはずである。
 仮にその取り決めに従ったとしても、サックスの大幅値下げにあたっては高級デザイナーブランドだけでなく、自らのストアーブランドも傷つけてしまったことに思い至るべきであった。70%もの値下げをするということは当の商品のブランドだけでなく、サックスに対する信用も崩壊させてしまいかねない暴挙であった、ことに経営者は気付くべきだったろう。
 一旦、サックスに対するストアーブランドを失くしてしまった消費者はもう2度とサックスで買い物をしよう、とは思わないだろう。日本の百貨店もいずれ、サックスの二の舞いを演じるような気がしてならない。
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期待通りの面白さ「チェンジリング」

2009-02-22 | Weblog
 21日は東京・渋谷へ映画「チェンジリング」を見に行った。クリント・イーストウッド監督、アンジェリナ・ジョリー主演のアカデミー賞主演女優賞候補作で、子供を誘拐されて戻ってきた子供は別人だった実話に基づいた映画ということで、面白そうな感じがしたので、公開初日に行ってみた。事前の宣伝がうまくいってか、300席くらいある劇場はほぼ満員で、期待をもたせた。
 「チェンジリング」は1920年代の米ロスアンゼルス郊外のある家庭で、アンジェリナ・ジョリー演じる主婦が目を覚ますところから始まる。ウオルターという名の子供を起こし、仕度して学校に送り届け、電話交換手の管理者として働く平凡な母子家庭の姿が描かれる。明日の休日には遊園地へ連れていく約束をするが、急遽仕事が入り、子供を1人残して働きの出て、夕方家へ帰ってくると、子供がいなくなっている。方々探し回るが、どこへ行ったのか、見当たらない。警察に電話するが、こうした子供の行方不明は24時間経ってからしか受け付けてくれない。翌日になっても帰らず、誘拐事件として捜査に乗り出すが、杳として掴めない。直前にあった昇進話も宙に浮いてしまった。折りから、ロス市警には汚職や不当逮捕などの悪評もあって、市民の警察に対する不満も高まっており、教会の神父も解決に向けての支援を惜しまない。
 そして、5カ月経って、ロス市警からウオルターが見つかった、と連絡があり、指定された駅に向かうと、見知らぬ子供が誘拐されたウオルターだ、と名乗る。どうやら、汚名挽回に躍起なロス市警が砂漠のレストランで浮浪者から置き去りにされた孤児を誘拐された子息に仕立てあげて、芝居を打ったものだったが、とりあえず家へ連れて帰ってくるが、身長も7センチ低いし、してなかった割礼をしていたのを発見するに及んで、ウオルターではない、と警察に申し立てるが、警察は医師に見たてさせ、「母親が混乱している」と言いたて、取り上げようとしない。あげくの果てに「邪魔になって、子息でないと言い立てている」とマスコミに発表する始末。
 で、遂には警察に申し立てに来た母親を精神病院に送りこんでしまう。その精神病院には警察に盾ついた患者がたくさん収容されており、母親の申し立てを取り上げようとはしない。母親と一緒になって、警察に抗議しようとしていた神父も今度は当の母親が行方不明になり、途方に暮れてしまう。
 そんな折り、砂漠の一角でカナダからの不法滞在の少年が見つかり、刑事が引き取りに行き、連れてくるが、取り調べているうちに大変なことが露見する。少年が身を寄せていた叔父の家で誘拐してきた子供を飼い殺しにして、20人近く殺した、と自白したのだ。そのなかに例の誘拐されたウオルターが含まれていた、とも自白した。
 ここから場面は急展開し、精神病院から釈放された母親は神父、およびゲイリー・クーパーに似た弁護士の協力を得て、ロス市警がいかにひどいことをしていたかを告発し、まず精神病院に閉じ込められていた女性たちを釈放する。そして、子供たち20人を殺した殺人犯の裁判と同時並行で、ロス市警の本部長と誘拐担当の部長に対する査問委員会が開かれる。
 で、ロス市警の本部長と部長は職を解かれ、殺人犯は絞首刑と決まる。殺人犯は絞首刑の前に2年の禁固となって、処刑の前日に「母親に会いたい」と言ってきて、会いに行くが、気が変わってか、何も応えてくれない。母親は何度もウオルターの生死を確かめるが、頑として口を割らず死んでいく。
 それから7年後、殺人犯に囚われていて、脱出して生きていた少年が発見されて、実の父母と一緒に警察に行き、ウオルターが脱出の際に助けてくれたことを聞く。ウオルター生存か、と期待をもたせるが、結局、ウオルターは生きて帰ってこなかった、と字幕が出て映画は終わる。
 実話に基づく話なので、結論は最初からある程度わかっていたのだろうが、最後までどうなるのだろう、と手に汗握るストーリー展開で、期待通りの面白さだった。主演のアンジェリナ・ジョリーは好演で、23日(日本時間)のアカデミー賞表彰では栄誉を勝ち取ることだろう、と思った。
 ただ、日本でこのような事件が起きれば、まず父母とか、兄弟姉妹に相談することだろう。主人公の周りにそうした人が一人もいなかったのだろうか。それとも米国では身内に頼るようなことはないのだろうか、やや気になった。
 直接関係ないが、日本のアカデミー賞が20日発表されたが、昨秋モントリオールの国際映画祭で賞を獲った「おくりびと」が優秀作品賞はじめ10冠に輝き、ほとんどの賞を総ナメにした。モントリオールで賞をもらうまではそんなに評価が高くなかったのに、海外で評価されるとガラッと変わってしまう。確か黒澤明の「羅生門」もそうだったし、いまだにそうした傾向がある。日本の映画評論家の馬鹿さ加減にはいい加減うんざりする。
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売れ残り弁当を処分したいのなら、どこかお店の外でこっそり売るしかない

2009-02-21 | Weblog
 コンビニエンス最大手のセブンーイレブン・ジャパンがまた加盟店に対する値引き販売を不当に制限していた、として公正取引委員会から独占禁止法違反の疑いをかけられていることが判明した。加盟店が消費期限が近づいた売れ残り弁当を値引き販売しているのを制限した、というものだが、消費期限切れとなった弁当の廃棄費用は加盟店持ちとなる契約のため、売れ残りをなくすため値引き販売しているもので、そもそもそうした契約の妥当性が問われることとなりそうである。
 セブンーイレブン・ジャパンは2年前にも加盟店との間で、チェーンの商標や経営指導への見返りとして、コンビニ本部にロイヤリティを払う契約となっているが、このロイヤリティの算定に売れ残った弁当の原価が入ったりしていて加盟店に不利である、として訴訟の対象となっていた。この時には契約内容の合法性が認められ、セブンーイレブン側の勝訴が確定している。これでいくと、弁当など商品廃棄の費用は加盟店の負担となっている。
 このため、負担を減らすためおにぎり、サンドイッチなど売れ残り食品を値引き販売する加盟店が出始めたので、セブンーイレブン側がFC契約の打ち切りを匂わしたり、値引き販売を制限しているのに公取委が疑いをかけている。確かに独禁法違反の疑いが濃いが、契約にそう謳ってある以上、今回もセブンーイレブン側に軍配が上がる可能性が強い。
 セブンーイレブンのコンブニエンスストア戦略は仕入れの数量、価格の決定は棚卸管理システムといって商品の売れ行きをコンピュータ管理して自動的に本部に情報が流れる仕組みとなっていて、加盟店はそうしたマーチャンダイジングをすべて本部任せにしていて、単にレジを打って、売上金の管理さえしていれば経営が成理立っていく仕組みとなっている。だから、売れ残った弁当類だけを自主管理しようとすると、全体のシステムからそれだけ外れることになり、齟齬を来たすことになる。
 だから、加盟店が弁当の価格を勝手に値下げできるようにするには加盟店を脱退するしかないだろう。すべての商品の仕入れから値付けまでを自主的に行うことにすれば、いかようにも値段を下げようと自由になる代わりに、加盟店としてセブンーイレブン・ジャパンから脱退しない、といけないことになるわけだ。セブンーイレブン側がFC契約を打ち切りを匂わさなくても、自然と脱退せざるを得なくなるわけである。もちろん、そうなるとセブンーイレブンの看板は下ろさざるを得なくなるし、自分で市場へ買い出しに行かなければならなくなる。
 セブンーイレブンの加盟店契約がそうなっているのだから、いかに公取委といえどもそれを変えろ、とは言えないだろう。売れ残りだろうが何だろうが、弁当に限らず加盟店が勝手に商品の価格を左右できるようなことになったら、チェーン店の意味がなくなってしまう。
 もしどうしても加盟店が売れ残った弁当を売りたいのなら、店内でなく、どこか場所を変えてこっそりとでも売るしかないだろう。もちろん、それがコンビニ本部に知られればなんらかの制裁を受けることとなるだろう。
 
 
 
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大卒採用中止の意味するものとは

2009-02-20 | Weblog
 大手出版社のB社が来春の大卒採用を中止することを決めた。業績不振でそれだけの余裕がない、というのが理由だが、マスコミの一角を占める出版社が新卒採用を中止するのは致命的なことになりかねず、疑問を呈する向きも少なくない。昨秋の世界金融危機でほとんどの会社が業績低迷にあえいでおり、採用を見送るところが続出しているのは事実であり、やむを得ない面があるものの、企業が存続していく限り、新たな人材を採用するのは社会的な使命でもあり、それを放棄するのは自らの首を締めることにも等しい。
 世界金融危機はトヨタ自動車を筆頭にこれまでの経営の屋台骨を大きく揺さぶっており、採用面でも従来の方針を大きく見直すところが出てきた。マンション販売の日本綜合地所が採用内定した学生53人の採用を取り消し、大きな社会問題となり、1人当たり100万円の取り消し迷惑料を払うことにしたが、結局、会社更生法の手続きを申し立て破産したのは記憶に新しいところである。
 直撃をくらった日本綜合地所は別として採用を手控える企業が続出しているのは確かだが、当面する不況がいつまで続くのか見定められないので、様子を見ているのが正直なところで、いまのところ採用数は未定とする企業が多い。こうしたなかで、ここ数年1000人を超える採用を続けてきたホンダも2010年春入社の新卒採用は09年に比べ40%減の890人にする、と発表した。
 B社の場合もいち早く中止を決めたわけだが、B社はここ数年一ケタの採用しかしてこなかったし、中途採用も止めるわけではないので、それほど影響はない、としているが、果たしてそうなのだろうか。
 かつて毎日新聞社が大卒の採用を見送ったことがあり、後々になって採用ゼロとすることが広く情報を収集しなければならないマスコミにとっていかに致命的なことになるのか、を思い知らされた、と言われている。日本の社会は年次でネットワークが形成されており、同年次の間で情報が行き来している側面があり、ある年次の人がいなくなると、その情報が欠けるようなことがある、という。かつては官庁が年次で構成されていることが大きく影響していて、いまはそれほどでもない、と見る向きがあるが、些細なことでもマスコミにとって重要なことがあり、その積み重ねが紙面に差となって表われた、といわれている。ライバルの朝日、読売2社に決定的な差をつけられたのは大卒採用を中止したからである、のが定評となっている。
 B社のトップはいまはそれどころではない、と思っており、降りかかる火の粉を追い払うのに躍起となっているようである。もうひとつの側面はマスコミは多くの読者によって支えられており、大卒を採用するのは社会的な使命を果たすかどうか読者がじっと見守っていることだろう。
 
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新銀行東京のツケをトヨタ自動車におっつけた石原都知事はセコい

2009-02-19 | Weblog
 東京都が経営不振の新銀行東京の旧経営陣に100億円規模の損害賠償を請求することを発表した。04年に創業して以来業績不振が続いており、昨年3月に400億円もの追加出資をしたにも拘わらず一向に経営改善の兆しが見えず、創業時の仁司泰正元代表執行役に損害賠償することにしたもので、世論の追及をかわそうとのねらいのようである。仁司元代表執行役はトヨタ自動車自動車出身で、59年ぶりに赤字決算となるトヨタ自動車にとっても追い打ちをかけられた感じである。
 新銀行東京は石原慎太郎知事が中小企業向けに無利子・無担保で融資することを謳い文句にスタートさせた金融機関であるが、当初にかき集めた金融専門家が玉石混淆であったためか、杜撰な融資をしたこともあって、大幅な不良資産を抱え込むことになり、またたく間に資本金を食いつぶし、昨年3月には都議会の反対をなんとかクリアーして400億円の追加出資をした。それでも08年4-12月期決算は最終赤字が73億円、12月末での不良債権残高は353億円に達することが明らかとなった。このままいけば、この3月期も間違いなく赤字決算になるのは明白で、またぞろ都議会で経営責任が追及されるのは避けられない。
 そこで、東京都というか石原知事は先手を打って、設立当時の経営者である仁司元代表執行役と丹治幹雄元執行役の2人に対し、損害賠償することにした。デフォールト(債務不履行)が危機的に発生していたにもかかわらず、抜本的な対策を講じず、融資拡大路線を続け、業績を悪化させた、というのがその理由で、損害額を112億円と算出した。実際の損害賠償の請求額は今後詰めるとして明らかにしていないが、刑事責任については十分な証拠がないことから見送る、という腰の座っていない訴訟となった。
 石原知事の胸中はこのまま放置しておけば、経営責任、ひいては任命責任として知事に追及の手が及ぶと見て、先手を打ったということだろう。創業当時の経営責任を追及するのなら、もっと早くに行うべきだろうし、今頃になって損害賠償とは法的にも成立するのかどうかは判断に苦しむところである。
 仁司元代表執行役はトヨタ自動車出身というキャリアが買われて起用されたのだろうが、当時は飛ぶ鳥を落とす勢いのトヨタ自動車だったので、でれも異論をさしはさまなかったのだろう。ところが、5年経って、世界のトヨタが59年ぶりに赤字決算に陥るなどメッキが剥げた感があり、トヨタ出身者必ずしも名経営者でないことがわかってきたとして、訴訟に踏み切ったふしがうかがえる。
 世界金融危機でトヨタ自動車といえども盤石の経営ではなかったことが露呈したわけで、モータリゼーションという波に乗って経営をしてきたのが実態であった、ということなのだろう。
 それにしても石原都知事のやることはせこい限りである。
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