鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

横須賀市長選がもたらした自民党自壊への道

2009-06-30 | Weblog
 28日行われた神奈川県横須賀市長選に無党派の新人、吉田雄人氏が初当選したことが中央政界に大きな激震をもたらしている。前市長で自公のみならず民主党推薦の蒲谷亮一氏を破ったこともさることながら、横須賀は小泉純一郎元首相のお膝元で、だれもが現職が負けるとは予想していなかったからだ。既成政党ではない無党派層による革命ともいっていい出来事で、これまで選挙通を自認してきた政治プロの顔色をなきものにさせている。
 吉田雄人氏は33歳の前横須賀市議で、36年続いてきた旧自治省官僚出身者による市政を市民のもの取り戻すべく、オバマ米大統領ばりに「チェンジ」を呼び掛けてきたのが奏功して、投票率を前回より5.03%高い45.22%に押し上げた結果、蒲谷氏に4481票差をつけ、6万8628票を獲得して初当選した。既成の政党にはあきたらない無党派層の市民が勝利した、ともいえる。
 これで吉田氏は全国で3番目に若い市長となったが、この結果に一番驚いているのは小泉元首相だろう。自らの選挙でも地元には来ないのに、4回も蒲谷候補の応援演説にかけつけたにもかかわらず、負けてしまったのだから、そのショックは測り知れないものがある。来る総選挙では子息の進次郎氏に地盤を譲り渡すことに決めているが、この春に突如湧きあがった世襲制限の問題もなんとかクリアーしたのに、今度は思わぬ無党派層の逆襲が待っていたのだ。前回の05年9月の総選挙では自ら作り出した郵政民営化ブームに乗ってライバルの民主党候補に15万票もの大差をつけて圧勝したが、今度の総選挙ではこの横須賀市と三浦市の神奈川11区では苦戦を強いられるかもしれない、と思ってしることだろう。
 小泉首相よりさらに困惑しているのが麻生首相だろう。今月14日の千葉市長選で31歳の民主党推薦の熊谷俊人氏に敗れた際には次週の静岡知事選、そして12日の東京都議会選で巻き返しを図ればいい、と考えていたのが、今回の横須賀市長選で思ってもいなかった無党派層のパンチの直撃を食い、KO寸前となんってしまった。というのも日本郵政の社長問題でも頼みとする小泉元首相の意向を尊重して、西川善文社長の続投を決めてきたのに、その小泉元首相が市民から「ノー」を突き付けられたのだから、司令塔のコンパスがなくなってしまったも同然だからだ。
 当の小泉元首相は29日に一年生議員26人を集めた会合で「今度の選挙はいままで経験したことにないものになる。自民党が野党になってみ仕方がない」とまるで自らに利かせるように語った、という。もともと場当たり的に政治を行ってきた御仁だけに横須賀市長選のような予想しないことが起きるとどうしていいのかわからなくなるのも当然だろう。
 その同じことが僚友の麻生首相にも起きているようで、29日には「党役員、内閣改造人事を一部やる」と言い出し、党内の反発を受けてひっこめたり、修正したりしている。数日前に細田博之幹事長に「党役員人事をするとは言ったことはない」と言明したばかりで、またまた腰の定まらないところを露呈した。30付けの毎日新聞朝刊には先日衆院選出馬を要請した東国原宮崎県知事に東京比例1位をオッファーする、との記事が掲載された。
 そんな状況に業を煮やしてか、中川秀直元幹事長が29日再びかねての持論である「麻生首相は自ら退陣すべきだ」と語り、事実上の総裁選出馬宣言を行った。ここまでくると、もはや自民党は司令塔なき無政府状態に陥っているとしか思えなくなってくる。自民党は総選挙を前に自壊現象を起こしているようだ。
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人間国宝と直に話せて感激の埼玉県小川町「和紙の里」紀行

2009-06-29 | Weblog
 28日は春夏恒例の中学時代の東京組4人による遠足で、埼玉県小川町にでかけた。今回の幹事がテレビを見ていて、和紙のふるさと、小川町に行くことを思い付いた、という。溝の口から渋谷、池袋と行き、急行で70分かけて小川町に着いた。駅近くの観光案内所で鄙びた街に似合わぬ立派な地図を手に入れ、放蝶会が行われているという仙元山見晴らしの丘公園を目指して国道を歩き出した。手頃な乗り物も見当たらなったので、歩くしかなかったのだ。
 途中、標識に「和紙の里 八宮神社」とあったので、その方向に進むと1833年に創建された神社があった。本殿の裏手に回ると、中国風の仙人が居並ぶ立体の彫刻が施された見事な造りとなっていた。江戸時代後期の石原常八が作った社殿彫刻で、神社仏閣の多い京都ででも見たことのないものだった。
 標識の和紙の里なるものを探したが、見当たらず、次に目にした標識にも上に「和紙の里」と書いてあり、小川町一体を和紙の里と称していることが判明し、一同大笑いとなった。考えてみれば、和紙の里なるような施設があるわけではないのはすぐにわかる。
 次いで、国道沿いに歩くと、「久保昌太郎和紙工房 体験もできます」との看板が目に入り、掲示の看板に沿って田舎道を歩いていくと、民家のなかで和紙の液をモーターで撹拌している30代とおぼしき女性がいたので、見学させてもらった。撹拌がなったところで、すだれのような台を液の中へ浸し、5、6回前後上下に揺すって、和紙の層を作り、ある程度溜まったところで、後ろの台にひっくり返していく。
 ある程度仕上げたところで、重なったまま乾燥させて、そのあと染色する、という。原料の楮、みつまたはいまは東南アジアから輸入している、という。水は地下水をくみ上げている、などこちらの質問に嫌な顔ひとつせずに丁寧に答えてくれた。かつては700軒あった和紙の工場もいまでは数軒になってしまった、という。後継者難と市場の衰退で伝統産業も風前の灯となってしまったようだ。
 お礼を言って、元の道に戻ろうとしたら、入口のところに和紙のみやげもの販売コーナーがあり、物色していたら、帳場に座っていた老人がやおら立ち上がって、手に自分で描いた和紙をちぎって貼り付け、絵とした作品の配色について、「このあたりをどうしたらいいのでしょうか」と尋ねてきた。絵心があるわけでもないので、適当に相槌を打っていたら、「絵の先生についていないわけではないが、いろいろな人に聞いて描いている」などから始まり、和紙のことや地元の殖産施策などについて滔々と語り出した。販売コーナーにちぎり絵も置いてあり、「久保昌太郎作」と書いてある。どうやら、店主でもあり、ちぎり絵の作者でもあるようで、年齢は91歳だ、という。
 2階に作品の展示がしてある、というので、拝見させてもらうと、久保昌太郎さんは和紙職人の人間国宝でもある、としてあった。人間国宝なる人と直接話すのは初めてのことで、気さくで飾らぬ人柄には好感が持てた。一瞬、ちぎり絵での人間国宝かな、と思ったが、よく考えれば和紙職人としてであることは明らかで、その割りには床の間にデンと構えて重々しい雰囲気のまるでないところがよかった。
 その久保昌太郎さんには評判の悪かった埼玉県伝統工芸会館を見た後は仙元山見晴らしの丘公園へ登った。途中、「カタクリとオオムラサキの林」なる施設があり、全世界の蝶と昆虫が展示してある館があり、充実したもので、驚いた。山道を登るさなか、放蝶された黒い蝶々が飛びかっていたのも感激だった。
 見晴らしの丘公園は曇り空のなか小川町一体が一望でき、絶景であった。折からの雨で、早々に小川町まで引き揚げたが、今回の旅は人間国宝に遭えたことが最大の収穫だった。
 いつまでもお元気で、人間国宝の久保昌太郎さん。
 
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「バギー優先」エレベーターの行き過ぎた接客サービス

2009-06-27 | Weblog
 28日午後のことである。かみさんとお中元でも出そう、ということで、駅前の丸井溝の口店に向かった。11階に高津図書館の借りた本を返すボックスが置いてあるので、1階からエレベーターに乗ろうと4基並んでいるエレベーター口の前で待っていたら、丁度一番左手のエレベーターが来たので、乗り込んだところ、2組のバギーを引いたお母さんも乗り込んできて、案内の男性が「2階からもバギーが乗り込みますから」と言ってエレベーターがしまった。
 そして、溝の口のJR線と東急田園都市線の改札と同じ平面で結ばれている2階に止まると、果たして3組の若いバギーに子供を乗せた親子が待っていた。エレベーター内にはとてもその3組が乗り込めるスペースはない。どうするのかな、と入口に近い表示盤の前に並んで立っていると、案内の丸井の制服を着た若い女性が「3つのバギーが乗り込みます。隣のエレベーターがすぐ来ますから」と目でかみさんに合図する。どうしろ、というのかな、と思っていると、かみさんはさっさと降り始めた。
 「えっ」と思ったが、かみさんは降りることを促すので、やむなく降り、3組のバギーの親子連れは無事に乗り込んで、扉が閉まり、エレベーターは上に上がっていった。バギーを押す母親だけならともかく、一緒にいた夫ろ思われる若い男性までが乗り込んでしまった。子供と母親はともかく、夫まで乗り込んで、なぜ先に乗っている人が降りなくてならないのだろう。納得がいかない、とかみさんにぶつぶつ言うと、かみさんは「このエレベーターはそういう決まりなの」と言う。かみさんは12階にある市民ホールや会議室をよく利用しているので、いつもそういう目に遭うのか、平然としていた。一旦降りて隣のエレベーターが来るまで待ったが、待つ間も納得がいかなかった。、
 言われて表示を見ると、確かに一番左のエレベーターは「バギー優先」となっている。同じ階で乗り込む際にはバギー、お年寄り優先なのはわかるが、一旦乗った人を降ろしてまで優先的に乗せるとは書いてない。それをするのなら、「バギー専用」とでも掲示すべきだろう。
 丸井溝の口店は7階だかに子供用の遊園地みたいな施設を設置しており、子供連れの来店を歓迎していて、バギーの貸し出しも行っている。エスカレーターで移動するのは危険が伴うので、エレベーターでの移動を奨励しているのはわかるが、こちらだって60歳を越したシニアである。
 少子化社会に入って、子供、および子供を連れた夫婦を優遇するのはわかるが、必要以上にいたわることはない。ある程度の年齢になったら、歩いて身体を鍛えることも必要なことである。
 丸井の接客サービスのマニュアルに「バギー優先」のエレベーターでは先に乗っている人を降ろしてまでバギー客を乗せるべし、と書いてあるかどうか聞いてみようかな、とも思ったが、そこまですることもないと思ってやめた。
 何事も行き過ぎると不愉快を催すことになる見本であるようだ。
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個人株主が経営にモノ申す開かれた株主総会には程遠い

2009-06-27 | Weblog
 今週は株主総会の開催がピークで、24日から3日連続で大企業の株主総会に出席した。24日は東京・赤坂のホテルニューオータニで開かれた新日本製鉄、25日はホテルオークラでの野村証券、そして開催集中日の26日はプリンスホテル赤坂での電通の3社の株主総会で、いずれも初めての株主総会出席だった。新日鉄はともかく昨年秋のリーマンショック以来の不況の影響で業績が悪化し、株主総会は大荒れが予想されたが、いずれも大した波乱はなく、2時間程度で無事終了した。数日前にNHKニュースでは今年は個人株主がクローズアップされる株主総会だ、と報道していたが、3社の株主総会を見る限り、そうした開かれた株主総会には程遠い感じがした。
 新日鉄は株主数44万9500人と日本で一番株主数の多い企業で、さぞかし出席者が多いか、と予想したが、ホテルニューオータニ鶴の間の広い会場もせいぜい6分の入り。女性の声によるスクリーン画面に映し出した業績報告のあと、議案説明があり、質問に移ったが、ありきたりの質問が多く、しかもほとんどが想定質問の範囲内のものなのか、副社長以下の役員に任せっきりで、社長である議長が答えるものはなかった。わずかに最後になって、関係者と思われる男性が度重なる事故の責任を追求して、議長不信任と役員の選任に対し反対する動議を提出したのが波乱といえば波乱だった。質問時間を数度にわたってさえぎって、動議を否決し、議案の決を取る際に委ねる、ということで裁定した。
 質問に及んだ男性はマイクの声を張り上げて、「まだ質問は終わっていない」と事故による具体的な損害額や裁判による課徴金の金額をあげて首脳陣に迫ったが、会社側は最後に動議打ち切り、他の質問に切り替えてその場をしのぎ、議案の採決に入り、賛成多数で可決し、株主総会を終えた。
 ホテルオークラ平安の間はじめ7会場に3230人と過去最高の株主が出席のもと開かれた野村証券の株主総会も業績報告、議案説明はスクリーンによる説明で、その後はじまった質問には数多くの株主が質問に立った。最初にのうちは海外戦略を聞く穏当な内容のものが多かったが、時間を経るにつれ、かつての総会屋を思わせるようなものになっていった。下関支店で鈴木自動車の株式を借り株した際の手数料がゼロだったとか、信用取引をするのに2000万円必要といわれ、用意したら今度は3000万円だ、といわれたとか、具体的な取引に対する苦情が寄せられ、「個々の取引に関することはこの場では掴んでおりません」とかわし、議事進行との声のもとに議案の賛否を問い、総会を終了した。
 26日の株主総会集中日には電通の株主総会がどんなものか、興味があったので覗いてみたが、人気が分散したのか、プリンスホテル五色の間の半分程度の入りだった。以前に会ったことのある高島達佳社長はめっきり白髪が増え、声も酒焼けしただみ声で、別人のような感じだった。ここもスクリーンによる業績報告のあと、高島社長が議案の内容を説明(といっても招集通知書の内容を読み上げるだけであるが)した。続いて、質問に移ったが、意外や質問がほとんど出なくて、忘れた頃にポツリポツリと手が上がる程度で、いずれも広告業界関係者による半分ゴマすりの内容だった。電通さんになにか気に障るようなことを言ったら、あとで何を仕返しされるかわからない、とでも恐れているような感じだった。結局、最後まで総会屋らしき質問は出なかった。総会屋の元締めみたいなところと電通がつながっているような感がなきにしもあらずなので、だれも恐ろしくて質問できないのだろう、と思った。全企業の株主総会を取り仕切っているのが電通ではないか、とも思っていたので、期待したのだが外れてしまった。
 3000社くらいある企業の株主総会をたった3社見た程度で、口はばったいことはいえないが、個人株主が経営にモノ申す開かれた株主総会にはまだまだ遠いという印象を受けた。
  
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なりふり構わない自民党は戦う前から負けている

2009-06-26 | Weblog
 東国原宮崎県知事に続いて、25日橋下徹大阪府知事に対しても自民党の衆院選に対するラブコールが行われた。今度は中川秀直元幹事長が上京した橋下知事を昼食に招き、連携を求めたもので、直接の立候補要請ではないにしても民主党など他党からの立候補を食い止めようとのねらい。東国原知事へのラブコールといい、いよいよ自民党は末期症状を呈し始めたと見る向きが多い。
 間近に迫った総選挙へ自民党はじめ民主党など与野党ともその準備・対策に余念がないが、ここのところの自民党首脳の動きはあせりを感じさせる以外のなにものでもない。東国原知事への立候補要請に続いて、全国的人気のある橋下知事に対し連携を呼びかけたのも何を考えているのか、疑問を感じさせる。橋下知事は就任1年4カ月しか経っておらず、大阪府知事をなげうって衆院選に立候補するにはまだ早い、さりとて放っておいては民主党寄りとなってはまずい、とでも判断したのだろう。
 そこで、連携というわけのわからないオッファーとなったのだろうが、確かに橋下知事は中田宏横浜市長ら20人と衆院選に向けて地方分権を進める話し合いを進めている。そのなかで橋下知事は「支持政党は明確にする」とも言明しているので、ぜひ自民党を支持していただきたい、との要請とも受けとめらえないこともないが、東国原知事への出馬要請の直後だっただけに半ば立候補への打診もあったのではないか、とも勘繰られている。
 それもなぜ中川元幹事長が行うのか不透明なところもある。中川元幹事長は麻生おろしの頂点にも立っている人で、いまは党内の中枢の立場にはない。党をあげて総選挙への対策を講じているときに少なくとも中心的な位置を占めているとは思えない。
 26日付けの毎日新聞は「自民なりふり構わず」と題してここ数日の自民党内の動きを報じているが、まさにチグハグの司令塔なき戦術である。このまま総選挙に突入すれば、確実に自民党は大敗する。だから、なんとしてでも食い止めなければならない、と考えだされたのが東国原、橋下知事へのオッファーである。
 しかし、考えてみると、傘下の自民党現職の衆院議員の気持ちになってみれば、明らかに東国原、橋下知事より下に扱われたことになり、決して気持ちいいものではにあだろう。しかも党内でコンセンサスを得たうえでの要請ではなさそうで、場当たり的に実行されたことのようである。
 いま自民党がなすべきことは総選挙に対しての自らの政策を織り込んだマニュフェストをきちんと立案することである。ただでさえ、官僚に丸投げしていると批判されているのを自らの頭で考え、国民の支持を得られるような政策を打ち出し、そのあとで立候補者の顔ぶれを決めればいい。
 そんな基本ができていない現状では戦う前から負けている、と言われても仕方ないだろう。
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東国原宮崎県知事の発言で、お笑いの世界に負けた政治の世界

2009-06-25 | Weblog
 東国原英夫宮崎県知事に自民党の古賀誠選挙対策委員長が来る衆院選に出馬要請し、東国原知事が自民党総裁選の候補として認めてくれるのなら出馬する、と答えたことが波紋を呼んでいる。一介の地方知事がいきなり総理の座まで登りつめてしまおう、というものだから要請した自民党内のみならず政界あげて大騒ぎとなっている。総選挙で負けるのが確実視されている自民党がここまで追い詰められていたのか、とあきれる声がしきりである。
 古賀選対委員長が東国原知事に衆院選出馬要請をしたのは23日、それも自らが会長を務める遺族会の沖縄での戦没者慰霊の催しをなげうってまでの宮崎訪問で、真剣さをうかがわせた。この要請に対し、東国原知事は全国知事会で直轄事業負担金の廃止など地方分権に関する要望を党のマニュフェストに織り込むことと、自民党総裁選候補者としてしてほしい、と要請した。地方分権に関する要望は国と地方の税源配分を現在の6対4から5対5にすることや国の出先機関の廃止・縮小を求めたもので、地方から国を変えていくスタンスの東国原知事として譲れないところである。
 それよりも驚いたのは自民党総裁選候補者に名乗り出たことで、それを聞いた自民党の大森理森国対委員長はしばらく絶句した、という。400人近くいる自民党の衆参国会議員のいずれもが国会議員になる以上はいつかは総理の座に座ってみたい、と一度は考えたことがあるだろうし、いまでも大半の議員はそう思っているに違いない。それをまだ、国会議員にもなっていないし、少なくともローカルの宮崎県の知事を2年ちょっと務めただけのほやほやの人が「総理になりたい」と言いだしたのだから、二の句がつげなかったのはわかる。
 東国原知事は北野たけし軍団の一員だったお笑いタレントから政界に転じた人で、最初、夕刊紙でその見出しを見た時はお笑いタレント一流のジョークか、とも思ったが、その後の新聞テレビの報道を見ていrくうちにどうやら本音であることがわかってきた。
 面白いのは24日の朝のフジテレビの「とくダネ!」で、東京・銀座の街頭で「次の総理にだれが一番ふさわしいか」との問いで、麻生首相と鳩山由紀夫民主党代表、それに東国原知事3人の顔写真を並べて、投票を募ったところ、なんと全投票数の半分を占め、圧倒的に東国原知事が1位となってしまった。一般の見るところがこんなものであるとは考えもしなかった。こんな世間の受け取り方を見てだろう、日を追って東国原知事の意向も本音も固い決意に変わってきつつある。本人も最初は軽いジョークがなきにしもあらずだったと思うが、意外と国民に好意をもって受け止められているようのので、これはいける、と思っているに違いない。
 自民党筋には「まだ知事の任期を残しているのに怪しからん」といった声もあるようだが、これについては東国原知事は「地方の政治をよくするには国の根本から変えていかないとなんともならない」とのかねての主張があり、一貫していて、宮崎県民の支持を得るのになんら問題はないことだろう。
 考えてみると、小泉純一郎元首相以来、自民党の総裁は安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と4代続けて評判を落としてきた。このつけが東国原知事の「次期総裁候補云々」の発言につながっている。自らの手で総裁の椅子の価値を下げてきたといしか言えない。
 2日経ってから、自民党は東国原知事に総務大臣の椅子を用意したことが判明したが、東国原知事は総裁の椅子を逆提案することで事実上これを蹴っ飛ばしたことになる。もちろん、政治の世界にはお決まりのドンデン返しやら、天の声という妙なものがあるので、この顛末がどう決着するか予断は許さないし、まず実現はしないと思う。仮に東国原知事が総裁の座に近づくということになれば、米国のレーガン大統領に次ぐタレントから大統領になった稀有な例ということになる。となると、東国原知事のかつてのお笑いの世界の師匠は北野たけしであり、北野たけしでも総理が務まるということになる。
 政治の世界がお笑いの世界に取り込まれたどころか、負けたことにるのかもしれない。そうなると、少なくとも子供たちの世界で政治家になろう、と思う子供はますますいなくなることだろう、
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川崎・溝の口にニュータイプの書店「カルチャー・エージェント」がお目みえ

2009-06-24 | Weblog
 川崎市溝の口の東急田園都市線溝の口駅南口に先週末、「カルチャー・エージェント」と称するユニークなお店がお目みえした。同じ溝の口に本社を持つ大手書店チェーンの文教堂がパイロット店舗として出店したもので、不振が続く書籍売り上げの低下をなんとか打開しようとの新たな試み。書店のあり方のひとつの方向を指し示すものといsても注目されている。
 「カルチャー・エージェント」は改装なった東急・溝の口駅の2階の改札を出たところにあり、下りエスカレーターのステップの右手に入口がある。一見、コンビニか、と思えるくらいの自動ドアを入ると、まずいま売れ行きナンバーワンの村上春樹の「1Q84」が縦置きに並べてあるのが目に入る。その横がレジとなっており、鉄パイプの格子状のブースの周りと周囲の壁に商品が並んでいる。
 間口4メートル、奥行き7メートル程度の店内は本・雑誌を中心に文具、CD&DVD、それに新聞が並んでおり、本屋とコンビニを足して2で割ったような品ぞろえである。入口には祝儀袋や傘、筆記用具なども置いてあり、ちょっと出がけの忘れ物を買いそろえるのに便利な商品構成となっている。本・雑誌はベストセラーや話題の用品を中心に取り揃えており、さながらファースト書店といった感じ。東急電鉄が渋谷駅などに展開しているベストセラー商品を中心に品そろえをしている「RanKING RanQUEEN」の本・文具版といった感じ。
 営業時間は平日が午前8時から午後10時まで、土日が午前10時から午後10時までとなっている。ブース内には常時2人の店員が待機しており、朝はともかくサラリーマンやOLの帰宅時の夕刻には結構な人が入っていて、滑り出しは上々のようだ。
 東急・溝の口駅南口は1年くらい前からずっと工事をしており、以前あったコンビニの「ampm」が1階に完成し、その2階部分に「カルチャー・エージェント」が出現した。文教堂は溝の口には大型店舗とショッピングビルのノクティ内にテナントとして出店しており、溝の口では3店舗目となることもあって、新たな試みに乗り出したものとみえる。
 文教堂は東急田園都市沿線を中心に全国に214店ものチェーン展開、年間512億円(08年8月期)も売り上げている全国有数の大型書店チェーンで、最近は文具店も展開しだしている。そのノウハウが貯まったところでの複合書店「カルチャー・エージェント」の展開に乗り出したわけで、その名もカルチャー・エージェント、文化を引っ張るとした意気を買いたい。「カルチャー・エージェント」が全国に続々とチェーン展開されることになることを願いたいものだ。
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やれば出来ることを証明したテレビ朝日の大作「刑事一代」

2009-06-23 | Weblog
 19、20日とテレビ朝日の開局50周年記念と銘打ったドラマ「刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史!吉展ちゃん誘拐、三億円事件、伝説の取調室10日アリバイの壁3000キロの捜査」を見た。サンケイ新聞の記者の書いた実録をもとに上下のドラマに仕立てたもので、まれにみる感動の面白いドラマだった。主演の渡辺謙の好演もあるが、テレビドラマにしてはお金をかけた大作で、らればできることを示してくれた。
 「刑事一代」はサンケイ新聞の記者が退官した平塚八兵衛の自宅をカメラマンとともに訪れ、回想記を聞き語りで掲載することを頼みこむシーンから始まる。当の記者は平塚八兵衛を現役の頃から夜討ち朝駈けで追い回した記者だったが、八兵衛は容易なことで応じようとはしなかった。ところが、一緒に訪れた若い女性のカメラマンが父親も同じ刑事だったことを告白し、その父親が八兵衛を尊敬していた、と話したことから、回想記の掲載に同意する。
 そして、八兵衛は昭和の戦後まもなくからの鬼刑事と言われた自身の捜査を話し始める。まず、手がけたのは帝銀事件といわれる銀行に押し入って、並みいる銀行員を予防のためといって毒入り溶液を飲ませ、大金を奪った事件で、八兵衛は捜査の方法で文句をつけ、犯人が残していった名刺を追いかける名刺班に送り込まれる。名刺に書かれた当の人物が配った先を1軒1軒当たり、名刺を持っていない人物を順番に捜しあてるという大変な作業を積み重ねたうえ、東北青森に住む平沢貞通なる人物につきあたる。犯行当日のアリバイを丹念に調べ、うそがあることを突き止め、逮捕に至る。
 次いで、有楽町のそごう守衛室であった強盗殺人事件で、当初ねらった犯人と目される人物を追い詰めるが、刑事のカンで犯人ではないと対象からはずすが、捜査会議の場でそのことをなじられ、あくまでも犯人ではないと主張し、犯人らしき言動をしたその友人に目をつけ、追いまわす。で、証拠の当日着ていたレインコートを入手し、血液のルミノール反応をするが、鑑定にはシロと出る。そんなはずはない、と悩んだすえ、当のレインコートが防水であることに思い当り、実験の結果、防水だとルミノール反応を通過してしまうことを突き止め、犯人逮捕に至る。
 そして、最大の事件である昭和38年の吉展ちゃん誘拐事件で、捜査開始後2年も経ってから、捜査班がシロと断定した小原保の捜査を命じられる。郷里の福島へ行き、完璧と見られた小原保のアリバイをひとつずつ崩していく。関係者に順番に会っていくうちに以前の捜査では会っていない事実が判明し、足取り捜査の重要性が改めて浮き彫りとなる。
 そのうえで、別件逮捕で、あと10日間の事情聴取期間しかない小原保を取調室に呼び込み、当初の腕時計の詐欺事件の状況から聞いていく。ところが、小原保も用心深くなかなか本音を吐かず、難航する。のらりくらりと事情聴取を重ね、かねてのアリバイ崩しの尋問もしないうちに10日間を過ぎてしまい、警察上層部から人権侵害との世論配慮して事情聴取の打ち切りを命じられる。そこで、米国へ脅迫電話で録音された声と小原保の声を声紋判定するため、ひそかに録音することになり、再度小原保を取調室に呼びこみ、雑談を始める。いつになくリラックスした調子に小原は4月2日に日暮里の火事を見かけたことをポロッとしゃべり、当日は福島にいたはずの自らのアリバイを崩してしまう。
 それを聞いた八兵衛はここを先途とばかり、福島で調べてきたアリバイのうそで攻め立て、最後は小原の母親が雨の中、八兵衛に土下座して、「足の悪い保をかばって育て損なった。罪を犯しているのなら、厳重に罰して下さい」と頭を下げたことを暴露して、小原保の琴線に触れ、見事、誘拐事件の自供をもたらした。小原の心の底に母親に対する申し訳なさがある、と見抜いた八兵衛の勝利だった。
 その後、八兵衛は同じように3億円事件の捜査に加わり、捜査のキャップにまでなるが、時代の変化もあって以前のような足による捜査では解決に至らず、時効の半年前に捜査班からはずされる。捜査中に仙台の刑務所からの電話で小原保が死刑になったことをしらされ、小原から「真人間になって死んでいきます」との伝言を受ける。
 それでも定年までずっと捜査一課の刑事として全うし、引くまで警視総監賞を含め96回もの表彰を受けていたのは脅威である。最後に福島小原保の実家を訪れ、小原の墓に参り、ドラマは終わる。死亡は66歳と若かった。
 ドラマとして誇張や創作はあるのだろうが、テレビドラマとしては面白く、充実したものだった。帝銀事件はその後、平沢貞通が冤罪であると主張していたし、吉展ちゃん事件も誘拐のところなどの場面がなかったなど不満なところもなきにしもあらずだったが、総体として満足のいく作品だった。上下5時間弱と映画より長く、下手な映画より見ごたえがあった。スポンサーもトヨタ自動車、新日本石油、花王など6社がついていたが、おそらく高い製作費をカバーするだけのスポンサー料はもらっていないことだろう。テレビがこんな大作ばかり作っていたのではもたないのは確実だが、やれば出来ることを証明したのは事実だ。
 
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袋小路に入った鼠のような麻生首相

2009-06-22 | Weblog
 2、3日前の毎日新聞朝刊の1面脇に4段記事で、注目の日本郵政社長人事について佐藤勉総務相が西川善文社長に辞任を打診していた、と報じていた。毎日新聞だけの報道で、16日に就任したばかりの佐藤総務相への挨拶に訪れた西川社長に打診したというもので、12日に鳩山邦夫前総務相を事実上更迭したことに対して国民の反発が強くて、その修正を図るのがねらいとしていた。いかにも定見のない麻生内閣らしい動きで、西川社長の続投を声高に主張していた田原総一朗、高野孟ら評論家陣の立場さえあやうくするものとも言えた。
 毎日新聞によると、佐藤総務相は西川社長は会長となり、後任の社長といsてトヨタ自動車出身の北村憲雄郵便事業会社会長か三菱商事出身の古川恰次ゆうちょ銀行会長を充てる人事案を提示した。これに対し、西川社長は金融庁長官を務めた高木祥吉日本郵政副社長の就任を求めたが、佐藤総務相は「官僚出身者は認められない。民間人の就任が条件だ」として改めて協議することになった。
 ところが、この特報は一政府高官が放った観測球だったようで、1、2日置いて日本経済新聞が「西川会長案は古い話だ」との報道をして、実質否定し、毎日新聞の記事は他の新聞テレビの追うところとならず黙殺された。
 マスコミ報道によると、今回の日本郵政社長人事は土壇場で小泉純一郎元首相と菅義偉自民党選対副委員長の郵政民営化の本丸ともいえる2人が麻生首相に西川社長の続投を激しく迫り、当初西川社長の更迭を考えていた麻生首相も応じざるをえなくなったようだ。20日のTBSの朝の時事放談にパネラーとして出席した鳩山前総務相は「麻生首相はとりまきが吹き込んだことに唯々諾々と従っている」と皮肉っぽく語っていた。
 確かに鳩山前総務相は西川日本郵政社長の更迭を言いだした4月は小沢民主党前代表の政治資金規正法違反問題のい敵失で内閣支持率が一瞬上昇し、麻生首相も自信を持っていた時期だったので、同意したが、その後鳩山由紀夫新代表の就任で元のように支持率は降下して、”とりまき”の意見に耳を傾けざるを得なくなったようだ。
 鳩山前総務相の辞任以来、連日、日本郵政の社長人事は新聞テレビを賑わしており、正義を貫いた鳩山前総務相の株は上がりっぱなしで、逆に麻生首相の内閣支持率はさらに低下している。だから、日本郵政の社長人事のい修正を図ることもありうることだ、と思わせたが、逆に修正すれば定見のない麻生首相として評価を下げることは間違いない。
 いずれにしろ、麻生首相は袋小路に入った鼠のようで、右に行こうが、左に行こうが、定見のないことは明々白日で、残された道は総選挙に踏み切って華々しく散るか、総選挙前に前任者と同じように政権の座を投げ出すしかないだろう。
 麻生首相を担いだことが自民党の命取りとなったようで、自民党弔鐘の音はすでに鳴り始めている、ということだろう。

追記 21日夜に佐藤総務相と会った西川日本郵政社長は混乱を招いた責任をとる、として自らの報酬を30%、3カ月返上する処分案を報告した。あわせて業務毎前命令に対する報告書の最終案を提出し、社長続投も決まった。鳩山前総務相の辞任に形を合わせたことになるが、辞任と報酬30%カットでは見合わず、国民の納得を得るには無理がある。これで、決着すると見通したとしたら、甘いといわざるを得ない。最終的なツケは麻生首相の事実上の更迭となるのは間違いないだろう。
 
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FOREVER21効果で原宿が世界のファッション特区になった

2009-06-21 | Weblog
 20日はちょっとした買い物をしようと東京・新宿の伊勢丹に出掛けた。男の新館で肌着を買おうとしたら、レジの前はいつになく長蛇の列で、聞くと「明日が父の日だから」という。なるほどと思ったが、すっかり父の日なるものを忘れていた。家に帰ったら、留守電に1人住まいの長男から父の日のメッセージが入っていて、ちょっぴりしんみりとさせてくれた。
 伊勢丹の帰りに地下鉄副都心線の「北参道」で降りて、原宿をぶらつくことにした。お目当ては先日オープンして以来、マスコミの話題をさらっている「FOREVER21」で、明治通りを行くともう人混みの列で、行き交う人で列が思うように進まない。「H&M」の横にめざす「FOREVER21」の看板が見えたが、お店の前は警備員が列を崩さないように指示していて、30メートルほど先まで列が出来ている。流れに沿って、列の最後尾に並び、やっとのことで店内に入ることができた。
 店内に入っても混雑ぶりはそのままで、陳列台に掛かっている商品もろくに見られない。流れに沿って奥へと進むが、どっちへ行っても人、人ばかりで、品定めをするのも難しい感じだった。いざ気に入った商品が見つかってもレジの前は長蛇の列で、躊躇してしまうほどの人気ぶりだった。それでも人並みを押しのけて、エスカレーターで順に4階まで登り、出来る限り陳列商品を見ていった。若い人向けなので、これはという商品がばかなか見当たらなったが、それでもおやっと思う商品の値札を見ると、いずれも2000~3000円程度で、確かに安い。1万円で上から下までトータルファッションがそろってしまう、というのは本当だ、と思った。
 「FOREVER21」は1984年に米ロスアンゼルスで誕生したファッション小売業者で、いまでは全米で460店舗、世界10カ国に進出している。年間売上高は1800億円とそれほど巨大ではないが、商品を企画してから店頭に並ぶまで3週間というスピードを売り物としている。日本のファッション企業はこれまで中国を生産基地としていたが、「FOREVER21」を見習って米国西海岸のメーカーに切り替える動きが出始めている、という。
 予想を上回る人の入りと4階には男性ものも扱っているのに驚いた。たまたま、他の客が買おうとして、適当な場所に放置していたキャミソールが250円だったので、かみさんが気に入って購入した。その間、窓際の空いたスペースで休んでいたが、ほんと気の休まる場所がない店内だった。
 「FOREVER21」を出た後、原宿のメインの竹下通りを歩いたが、店内の混雑がそのまま駅まで続いている感じで、「FOREVER21」効果でか、原宿の街全体が湧きあがっている感じだった。期待していた「ロリータ ファッション」の女の子はチラホラくらいしかお目にかからなかったが、若い男女が集まってくるこの熱気はすごいものだ、と思った。
 疲れて、原宿駅近くの喫茶店で休んだが、店内はもちろん、竹下通りを行き交う人々を見ていて、その生態を飽かず眺めていた。前に原宿には何回も来ているが、こんなに活気のある状態だったのは記憶にない。もともと原宿には足の速いファッションを生み出すファッションメーカーが密集していて、独特の雰囲気を漂わせていた。それが米国発の「FOREVER21」が上陸するに及んで、改めて再認識され、新たな原宿ブランドとして花開いたのではなkろうか。原宿竹下通りには黒人はじめ外国人の姿も結構見られたが、ここだけは日本ではなく世界の「ファッション特区」とでもいう地区なのではないか、と思われた。
 
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