鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

キラリと光った女優 奈良岡朋子

2008-03-31 | Weblog
 過日、NHK朝の「生活ほっとモーニング」の「この人にトキメキ」に俳優の奈良岡朋子が出演していた。高校野球中継があるので、時間を短縮してのダイジェスト編集版の再放送であったが、舞台生活60年を越える芸歴を感じさせる内容で面白かった。奈良岡朋子はNHKの大河ドラマの 語り手を長く務めてきたベテランで発する一言一言が重みを持って伝わってくる。芸の道を極めた人というのはこういうものか、と感心させられた。
 まずはいまの大河ドラマ「篤姫」の最新放送の番組終了時の篤姫が船上にて故郷の鹿児島に別れを告げる場面で「生涯二度と故郷に帰ることはありませんでした」と運命の厳しさを伝え、場を盛り立てる抑揚を抑え、それでいて凛とした声がいかに録音されているか、をドキュメンタリーっぽく放送していた。まず、おさらいの読みで時間を計り、それが長いか、短いかを本番ではピタリと秒数におさめてしまう。長年の経験でまず狂うことはない、というから凄い。それも2秒短いから長くするために語尾を伸ばしたり、しなくとも自然と収まってしまう、という。本人は「カンでしかない」としか言わないが、長年培ってきた経験から生み出された職人技といわざるを得ないだろう。司会のNHKのアナウンサーはそうしたことに悩まされてきたのだろう、コツを伝授してもらおうと思ったのがあてが外れたせいもあって、本当に驚いた顔をしていたのが面白かった。
 続いて、演劇の話に移り、劇団民芸で同期の大滝秀治と出演した舞台で酔っ払いを演じたのがうまいと誉めたら、奈良岡朋子は「私は飲めませんから、酔っ払いの酔っ払う姿をよく見ているんんです。本当の酔っ払いは自分の姿は見えませんから、演技できなんです」とさらりと言ってのけた。演技者の基本がここにある、と思った。酔っ払いに成りきるためにはよく観察して特徴なり、仕草を真似なくてはならない、酔っ払い以上に酔っ払いに見えるのは演技としかいえないだろう。
 そして、奈良岡朋子は宝物として、薄汚れたトートバッグを取り出した。親友の故美空ひばりが「奇跡の人も公演を何回も見に来てくれた時にこのバッグに包帯とか、絆創膏、軟膏など応急薬品をつめてきてくれた、という。「奇跡の人」はヘレンケラーとサリバンが舞台で組んずほぐれつの取っ組み合いをして、傷だらけになる。それで軟膏などを楽屋に持ってきてくれたのだが、そんな人は初めてで感動した、という。わがまま放題の美空ひばりにそんな側面があったのか、と驚きもした。
 最後にその美空ひばりが1973年の第1回「広島平和音楽祭」で歌った「一本の鉛筆」を奈良岡朋子が朗読した。
 あなたに 聞いてもらいたい
 あなたに 読んでもらいたい
 あなたに 歌ってもらいたい
 あなたに 信じてもらいたい
 一本の鉛筆があれば
 私は あなたへの愛を書く
 一本の鉛筆があれば
 戦争はいやだと 私は書く
 
 あなたに 愛をおくりたい
 あなたに 夢をおくりたい
 あなたに 春をおくりたい
 あなたに 世界をおくりたい
 一枚のザラ紙があれば
 私は子どもがほしいと書く
 一枚のザラ紙があれば
 あなたを返してと 私は書く

 一本の鉛筆があれば
 八月六日の朝と書く
 一本の鉛筆があれば
 人間のいのちと 私は書く
 もうひとつの美空ひばりの意外は一面であった。
 故石原裕次郎が生前最も尊敬した俳優が奈良岡朋子であった、という。充実した26分の番組であった。
 
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空転国会の国会議員の歳費カットをすべき

2008-03-30 | Weblog
 相変わらず国会が空転している。福田首相が局面打開を図るため、懸案のガソリン税を1年後をメドに一般財源化することを骨子とする新提案を表明したが、ガソリン税の暫定税率の即時停止を主張する民主党は一歩も譲る気配を見せないため、福田首相はこの3月末で一旦切れる暫定税率を4月末にも衆院で再可決して復活させる構えで、町のガソリンスタンドでは1リットル25円値下げしたガソリンの価格を再度元に戻さなければならないことになり、国会の不始末で要らざる手間と混乱を招きかねないことになる。国会議員の仕事は立法の立場から国の行政を司ることにあるが、今回のような失態は見たことがない。国会議員の執務を放棄した行為としか思えず、国会議員の歳費をカットしても然るべきだ、と思う。
 今回の事態を招いた最大の原因は昨年7月の参院選で野党の民主党が第一党となったことで、衆院で公明党と合わせて3分の2の議席を持っている自民党といえども参院で否決されれば、衆院での可決後60日以内に衆院で再可決すれば法案は成立する。そんなことは参院選の結果が出た段階で予想されたことで、最悪のシナリオを想定すれば読めたことである。
 それを外部のよからぬ筋の勧めに乗って、大連立構想をぶち上げたりして姑息な手段で乗り越えようとしたことが響いてか、ガソリン税のつなぎ法案を提案しよう、としたり、衆院でしなくてもいい08年度予算、およびガソリン暫定税率を含む歳入法案の強行採決をしたりした結果、野党の態度を硬直化させ、19日に任期切れを迎えた日銀総裁の後継人事を空席のままとしたり、国会は機能不全に陥った。
 このつけを最も蒙るのはガソリンスタンドの経営者をはじめとする一般国民である。日銀総裁が空席(実質が副総裁が代行する)のまま、経済政策がさらに無策になり、諸外国から日本という国に対する評価は下がり、世界のなkでの日本の地位はますます低下し、こんな国に投資はできない、といsて外資は引き上げてしまうだろうし、信頼もおかれなくなる。日本経済は二流どころか、三流になってしまうことだろう。
 こんな事態を招いた政府、および政治家の責任は思い。国民の負託を受けるのが政治家であるが、その負託をきちんと果たしているか、どうかを判定するのは国民である。官僚に対しては行政管理庁や市民オンブスマンといったものがあるが、国会議員に対して職務を果たしているかどうかをチェックする機関、組織はない。こんな事態になるのなら、そうしたものを作るべきであるが、間に合わないのなら、せめて空費した機関の国会議員の歳費をカットすべきだ、と思う。
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大量無差別殺人事件の続発の背景にあるもの

2008-03-29 | Weblog
 茨城県土浦市の常磐線荒川沖駅構内で無差別死傷事件が起きれば、今度は岡山駅で大阪の18歳の少年がホーメに入ってきた電車の直前に並んでいた岡山県の職員を突き落とし、死亡させてしまった事件が起きた。痛ましいのは加害者、被害者の父親が会見し、悲痛な思いを語っていることで、普通なら加害者の親までマスコミの前に現れることはないのにこの場合は加害者が未成年ということで、引っ張り出されたのか、自らかはわkらないが、カメラの前で「なんといってお詫びしていいか」と涙にくれた。無差別殺人事件がなぜこんなに続発するのだろうか。
 土浦の事件の24歳の犯人は78歳の老人を殺した罪で警察から指名手配され、逃亡中に逃げ切れないと思ったか、地元に戻ってJRの駅で行き交う乗客8人に30センチのナイフを振り回し、無差別に切りつけ死傷にいたらしめた。当時、駅周辺には警察官20人前後が張り込み、警戒中であったが、そのなかを通り過ぎ、白昼の大量殺人事件となった。で、捕まった犯人の言い草がまた、恐怖のものだった。最初の殺人については「だれでもよかった」といい、その後の死傷事件については「7、8人殺すつもりだった」と怖ろしいことを言い切った。最初は家族を殺そうとし、だれもいなかったので、今度は学校を襲おう、といsたが、見知った教師がいたので、やめ、駅で一般大衆に切りかかった。社会学者によると、「これは家族との断絶、次いで友人との断絶、そして最後は社会との断絶を表している」という。
 そうした志向が伝わったのか、2、3日置いて、岡山駅のホーム突き落とし殺人事件が起き、18歳の犯人が全く同じ「だれでもよかった」と語った。その理由が「刑務所に入りたかった」というのだから、被害者にしたら、やりきれない。
 被害者の父親は犯人に対する怒り、憎しみを面に出さず、「刑を終えたら、世の中の役に立つようなことをしてほしい」と言った。そんなことが伝わってか、加害者の父親は息子に成り代わって頭を下げた。
 他人事だからこうしてテレビを冷静に見ていられるが、関係者にしてみたら、まさに地獄だろう。こうした事件が起きる背景には生きることに対する取り組みがなっていない、ことを痛切に感じる。この2つの事件の犯人はこの世に生を享け、生きていく、ということはどういうことなのか、を全くだれからも教わっていない。そんな基本的なことは言葉でもって言うのでもいいが、一番いいのは身近な人がその見本を身体で教えることだろう。それは幼い時は母親であり、父親であり、育った後は教師であり、友人であろう。ある程度の常識が備わる年代になれば、本や映画、テレビなどを通じてその一端を感じたり、学ぶことができるだろう。そうしたことを学ばずに自らの命を絶つのではなく、外に向かって爆発し、他人を傷つける行為に至る、というのはまた別の因子が能に働きかけるのだろうが、これも広く言って教育の問題にたどりつく。
 ところが、いまの世の中はそんな基本的なことは飛ばして、すぐに楽しい、面白いことに走ってしまう。コツコツ真面目に生きていくことが報われないし、馬鹿らしく思えるようなことがある。この犯人2人にとって周りにきちんと基本的なことを教えてくれる人がいなかった、ということが最大の不幸だったのだろう。
 つまり、教育、そしていきつくところ政治の問題になってくる。福田政権のお粗末な体たらくではこんな不様な事件が起きても仕方がない、ということだけは言えるだろう。
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ハッピー・リタイアメントに乾杯!

2008-03-28 | Weblog
 27日に鈍想愚感の務める会社の株主総会があり、退任とあいなった。入社40年にしてめでたくサラリーマン生活に終止符が打たれた。後輩が社長になるため、先輩はお引取り願いたい、ということで、まるで役所みたいな順送り人事が行われている、と外部の人に言われたが、サラリーマンである限り、否とはいえない。「謹んでお受けしまう」と辞任の形をとらざるを得ない。最後に在籍したのは子会社だが、親会社から出向して、戻り再び同じ子会社へ出向し、1往復半し、都合22年間を子会社で過ごした。アッという間の40年間であった。特に後半の20年間は風の如く過ぎ去った。光陰矢の如しである。
 現会長である社長から内示されたのは1月30日で、社長の言を聞いて遂に来るべきものが来た、と思った。これまで諸先輩の退任を見送ってきたが、いざ自分がその立場に立たされてみると、なんとも言えないさみしい気になってくる。いまの役職は会社法では4年が任期なのになぜ3年でチョンか、という割り切れない気持ちはあるし、まだ62歳で十分働けるのにどうして会社はそれを認めてくれないのか、という気にもなってくるが、そこはサラリーマンの習性で、ぐっとこらえて、最後には「はい、わかりました」と答えるしかなかった。
 その日は丁度、キャラクターが好きな倖田来未の新しいアルバム「Kinngdom」が発売になった日だったので、溝ノ口のレコード店」で購入し、ついでに梅酒を買って、家でかみさんと乾杯した。乾杯した後、かみさんから「どんな気分」と聞かれたが、なんとも答えられなかった。
 以来2カ月、着々と退任の準備を進めてきた大した仕事ではなかったが、一応区切りをつけないといけない。それと40年間お世話になった人への挨拶も順番にしていかない、といけない。対外的に発表されたのは先月の19日だが、それを見たり聞いたりする人はそんなにいるわけではない。重要な人物には手みやげを持って、口頭で挨拶に出向いて「40年間お世話になりました」と挨拶した。遠方の人には挨拶状をつくり、合い間を見てせっせと宛名書きをして、退任と同時にポストに投函した。
 だから、あれやこれやじっくり感慨にひたっている余裕はなかった。でも退任の準備をしているうちに「これも運命」と悟りの境地のようなものも開けてきた。人事を尽くして天命を待つというか、全力で事を成したあとのことは神様の思し召しと思うことで、納得させるのもひとつの人生処方なのかもしれない。
 27日はやっとひと区切りついた、と思って仲間と最後のランチを摂ったあとは1人で神保町の古書店街を歩いた。時間がたっぷりあるので、じっくりと古書店を見て回った。岩波書店の一角に児童書のコーナーがあるなんて初めて知ったし、この古書店にはこういう本が置いてあるのだ、と発見したりした。いつもは時間に追われて決まったお店の決まったコーナーしか見ない。こんなにゆったりと神保町界隈を歩いたのは学生時代以来のことである。
 そして、桜の開花宣言の点検地点である靖国神社がすぐ側にあることを思い出し、桜見物に出かけた。28日から桜祭りが開かれる、と掲出してあったが、桜はもう満開で、境内は平日にもかかわらず大勢の人で満ち溢れていた。軍国主義者ではないが、折角来たので、お参りし、いつもはお賽銭は縁があるように5円と決め手いるが、今回は奮発して賽銭箱に入れ、健康の家族の幸福をお祈りした。で、ふと横をみると、掲示板に昭和天皇が昭和43年に稚内に行った時の和歌「樺太に 命を捨てし たをやめの 心を思えば 胸せまりくる」と書いてあった。なぜか鈍想愚感子が社会人となった昭和43年であり、これもなにかの縁かと思って手帳に書き留めた。帰りにお守りでもと思って、社務所の売店を見ると、プラスティックに桜の花を埋め込んだ透明の絵馬がったので、記念に購入した。
 午後6時半から目黒の八芳園で、新旧役員の懇親会があり、冒頭、会長から退任する役員に記念品が授与された。退任といっても少し机の位置がずれるだけの人もいたが、それでもイニシャル入りのウオーターマンの時価ウン万円の万年筆は嬉しかった。察するに会長としても任期4年を3年で退いてもらうことに多少忸怩たる思いがあったのかもしれない。でもお礼は会長に素直に申し上げたい。
 ともあれ、ハッピー・リタイアメントである。このブログのショルダーもこれを機に「40年間うんぬん」に改めたい。
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大物タレントに配慮した「ちりとてちん」

2008-03-27 | Weblog
 NHKの朝の連続テレビ小説「ちりとてちん」が今週末の29日で最終回を迎え、師匠の夢であった落語の常置小屋を大阪に誕生させるところで終わるだろうが、2、3週前のアレッと思う筋の展開があった。主人公の女性落語家が生まれ故郷の小浜の公民館で落語会を開くことになるが、遊び人の兄が密かに地元出身の大物歌手、五木ひろしを呼ぶことを計画する。で、出場するばかりとなっていたのにキャンセルとなってしまうが、その後、主人公の自宅で開かれた2次会の場に五木ひろしが現れ、2曲も歌う。現実にはありえない話であるが、最近のNHKの朝ドラはよくこうした視聴率稼ぎの荒業を展開する。
 従来なら、これだけで終わりであったが、今回の朝ドラは続編があった。1週間くらいして、ふとした会話で家族から「よく五木ひろしが来たものだ」と聞かれた兄は実は結婚資金とするはずだった宝くじで当たった200万円を使った、と白状した。五木ひろしを呼ぶにはそれくらいかかるものだ、ということを多分五木ひろしの事務所から言われて、ストーリーに織り込んだのだろう。これで、視聴者は五木ひろしの日建ての出演料が200万円だ、と理解してくれることだろう。
 ところが、さらに1週間くらいして、今度は主人公が師匠の遺志の常置小屋を建てることになったことを聞きつけた兄が地元の小浜市の知り合いから寸志を預かってきたなかに、大枚200万円をもぐりこませ、五木ひろしが出演料を返却してきたことを打ち明けた。これも五木ひろしの事務所からの申し入れで挿入したのか、どうかはわからないが、少なくともあこぎなタレントのイメージだけはなくなったことは確かである。
 いずれもNHKサイドの配慮によるものとしたら、手の込んだことをしたものである。結果としては五木ひろしのブランドイメージはアップしたのは確かだろう。
 「ちりとてちん」は視聴率としてはそれほど高位にはないが、落語に対するちょっとしたブームを招来するなどそれなりの成果は上げているようだ。女性の落語家を主人公にしたのと題名を「ちりとてちん」という意味のあるようなないようなタイトルにしたことが安定した視聴率をもたらしているのだろうが、その陰では五木ひろしに対するのと同様に様々な配慮がされているようだ。

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一味違ったアニメ映画「魔法にみせられて」

2008-03-26 | Weblog
 過日、いま話題の映画「魔法のかけられて」を観賞した。新聞広告で、意外などんでん返しがあり、従来のアニメとは一味変わった映画である、と出ていたので、一体どんなものなのか、見てみよう、と思ったのだ。朝10時からの上映ながら、春休みとあって子供連れの観客が多くて、場内が暗くなっても子供の話し声や嬌声が止まず、このまま上映になってしむのか、との不安を感じさせるほどだった。
 「魔法にかけられて」は森に棲むヒロインが王子さまと恋におちる通常のアニメで始まるが、愛する王子さまに会いに行く途中で魔女によって、生きていることを後悔する世界へ行け、と井戸の底に放り込まれる。そこから、アニメではなく、実写となり、ニューヨークのタイムズスケアのマンホールの蓋を跳ね除けて現代にヒロインが登場する。ニューヨークの街で、王子さまを探すが、いるわけがない。たまたま通りかかった離婚朝廷専門の弁護士父娘と知り合い、その家に転がり込む。
 森の美女だから、動物たちとコミュニケーションを取れるし、魔法でカーテンや絨毯からドレスを作ってしまい、弁護士をびっくりさせる。一方、アニメの世界ではいなくなったヒロインを探して王子さまが同じようにニューヨークにやってくる。さらに魔女である王子の母親が従者ととに同じくニューヨークの街の現れる。現代に王朝風のファッションで現れるが、少し変わったコスチュームと見ればすんなりと街に溶け込んで、違和感はない。
 なんとかヒロインを殺してしまおうと策を練る魔女とヒロインを探しまくる王子がドタバタを繰り広げる。公園やレストランで追走劇を繰り広げ、遂には王子とヒロインはめぐり会い、共に王宮へ帰ろうとするが、弁護士が舞踏会に行っているのを思い出し、その場に行くが、魔女も追いかけてきて、ヒロインに毒りんごを食べさせてしまう。その毒を消すには午前12時前に恋人がキッスをすると、溶けると聞いて、王子が3回も接吻をするが生き返らない。代わって弁護士がキッスをすると、目がぱっちりと開き、本当に愛する人は王子でなく、弁護士であったことが露見する。そしてヒロインは弁護士父娘と仲良く暮らし、王子はかつての弁護士の恋人を連れてお城へ行く。
 確かにいままでのアニメとは一味変わった現代のおとぎ話に仕立てているところに新鮮味があった。ヒロイン役のエイミー・アダムズは34歳とややトウがたっているような感じがしないでもなかったが、可愛らしく演じていた。見たのが日本語吹き替え版だったので、英語表現による臨場感が伝わってこなかったのが残念だった。それでも娯楽作としては大いに楽しめた。

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休刊誌が多いのは編集者の勉強不足

2008-03-25 | Weblog
 07年の雑誌の休刊点数が過去最高を記録した。出版不況がここまで及んでいるようで、08年に入っても休刊誌の勢いは停まらず、さらに新記録を達成しそうな勢いである。ネットとフリーペーパーに押されて、雑誌の売れ行きは相変わらずパッとしない。株価の低迷で個人消費の動向が芳しくなく、雑誌・書籍はますますじり貧傾向を辿っている。出版業界に明日はあるのだろうか。
 出版業界の団体でつくる出版科学研究所が発行している出版月報3月号によると、07年の雑誌の休刊点数は218点で前年より51誌増え、同所の統計記録上、最多となった。休刊誌のなかには分冊百科や出版社の倒産によるものも含まれているが、「ダカーポ」、「月刊少年ジャンプ」、「SAY」、「知恵蔵」など有力誌も結構含まれている。
 この勢いは08年も同様で、すでに「主婦の友」、「NIKITA」、「LUCi」、「Title」、「ワールドサッカーマガジン」などが休刊している。学習研究社は昨年の「GET ON!」に続いて、「おはよう赤ちゃん」、「Cotton&Print」、「四季の写真」を休刊する、という。
 同研究所によると、いま現存する雑誌の多くが赤字である、という。一部の儲かる雑誌が赤字の雑誌の存続を支えてきたが、出版不況でそれも限界にきている、ともいう。
 ここ10年連続して、雑誌の販売金額は減少してきている。インターネットの普及で消費者は雑誌を読まなくなったのと、リクルートの「R25」に代表されるフリーペーパーの普及で、雑誌離れ現象が起きている。フリーペーパーのなかには下手な雑誌より紙面が充実しているものがあり、これではとてもお金を出して雑誌を買おう、という気にならないだろう。
 しかも所得が伸びないなかで、携帯電話の通信料に食われて、娯楽教養費のうち雑誌の購入に回される部分はますます減少の一途を辿っている。世の中がなんとなくせわしいのに落ち着いて、雑誌など読んでいられるか、という気分もその傾向に拍車をかけているのだろう。
 しかし、冷静に考えれば、こういう時だからこそ、人々が求めている情報があるはずで、それをきちんと押さえて企画を立てれば、読まれる紙面ができるはずである。要は雑誌の編集者の勉強不足である。出版社の経営者よ、まず編集者の頭をもっとクリアにすることをするべきだろう。
 
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とても桜見物などしている状況ではない

2008-03-24 | Weblog
 22日、気象庁から桜の開花が発表された。そろそろ開花かな、と思ってこの土日は近くの桜の名所、津田山霊園と西梶ケ谷公園に朝見に行ったが、いずれもまだ蕾の段階で、開花というにはまだといった感じであった。それにしても例年この時期になると、新聞、テレビが桜の開花予想で喧しいのに、今年はいつになく冷静で、開花が発表されてもそんなに感激もしない。考えてみれば、やれガソリン税の一般財源化だの、日銀総裁が空席で株価は下がるだの、それに海の向こうでは相変わらずイラク戦争が続いているし、お隣の中国ではチベット自治区で紛争が起きており、いつになく内外とも騒然といsており、落ち着いて桜見物などにうつつを抜かしているような状態ではない。
 そんな状況を反映してか、気象庁の桜開花予想も今年は控えめで、今月中旬になって東京で26、7日頃と発表し、つい一週間くらい前に23日に早まった、と2度目の発表をした。そして、22日になって新宿区の新宿御苑や千代田区の靖国神社の桜が開花した、と発表した。とはいってもほんの一部の蕾が花を開いたに過ぎず、華やいだ雰囲気はとてもうかがえない。
 つい2週間前に伊豆の伊東に行ったが、線路脇の斜面の日当たりのいい場所に植えてある桜はもう満開であった。伊豆半島の先っぽの河津では早くから桜が咲くので有名なところもあり、暖かい地域ではとっくに桜は咲いている。都心でも港区・三田の慶応大学の構内では桜が咲いているのを1週間前に見かけた。日当たりがよく、ビルの谷間で風が当たらないところにある桜は開花が早いようだ。
 桜が咲いた、といって喜んだり、楽しんだりするのはやはり心なり、生活にゆとりがあってのことだろう。鈍想愚感子の育った昭和20年代は食べるのがあやっとという状態で、桜なり、紅葉がどうだ、という話も聞かなかったし、世間もそれどころではなかった。もちろん、生活に余裕のある一部の上流階級の貴族は桜を楽しんでいたことだろうが、一般庶民はとてもそんな余裕はなかったことだろう。
 いまの日本の社会の状況を考えると、当面の差し迫った問題をどうするのか、といった難問が山積しており、とてものんびり桜見物しているような状況でない。そうした世相を反映してか、テレビ、新聞の桜の開花予想の報道も及び腰である。
 とはいうものの、四季折々の自然の織り成す花鳥風月を楽しむのは日本人の世界に誇れる資質である。外国人にとって日本人が桜が咲くのを愛でる気持ちはわからない、とも聞いたことがある。論理の世界を超えた情緒の世界にこそ人類が平和に語り合える場を生むことができる土壌がある。その意味では桜見物は必要であるのである。
 ということで、今年も桜見物には出かけるつもりである。
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美人ヴァイオリニスト前橋汀子の深謀遠慮

2008-03-23 | Weblog
 22日は横浜・青葉台のフィリアホールで開かれた前橋汀子の「ヴァイオリンと朗読の午後」と題するコンサートを聴きに行った。つい一週間前にフィリアホールのホームページを見ていたら、公演が出ていたので、空き状況を聞いてみたら、端っこなら余裕がある、とのことだったのでで申し込んだ。早めに行って、チケットも引き取り、会場にあるポスターを見ると、フィリアホールはオープンして15年になり、それを記念して前橋汀子はじめ女性音楽家のコンサートを企画しており、続いて今後中村紘子、佐藤しのぶのコンサートが予定されており、順番にチケット料金が高くなっている。3人のなかでは一番の格下ではさぞかし本人も気を悪くしないか、とも思ったが、人気はそうしたものののだろう、とも思った。
 定員450人程度の会場に入ると、端っこも端っこ、2階の舞台の左横で、演奏者の後姿しか見えない席だった。前半はヴィターリの「シャコンヌ ト短調」とフランクの「ヴァイオリン・ソナタ イ短調」のヴァイオリンの曲としては名曲であろう曲を演奏した。上から見ているせいか、前に後ろに身体を揺すってダイナミックに力強い演奏であった。
 15分の休憩をはさんで、暗くなった舞台にピアニストの加藤洋之氏と現れた前橋汀子はテーブルの横に置かれた椅子に座り、持ってきた大判のノートを広げ、ピアノの伴奏に続いて、プーシキンの「エウゲーニィ・オネーギン」を朗読し始めた。ヴァイオリニストがロシアの作家の小説の一節を朗読するのはコンサートの新趣向ではある。落ち着いた声は朗読に適してはいるが、前橋汀子だから聞けるが、並みの音楽家では様にならないだろう。「エウゲーニィ・オネーギン」はドンファンのオネーギンが小娘のタチアナに熱烈な恋を打ち明けられ、相手にしなかったが、数年経って伯爵の妻となって見違えるような貴婦人となったタチアナを見たオネーギンが逆に恋するようになるが、今度はタチアナが袖にする、というお話である。
 聞いていて、先週発売の週刊誌に萩原健一のことが載っており、その中でかつて前橋汀子とも関係があったようなことが書いてあった。うそか、本当かわからないが、噂になったことは事実で、それに近いことはあったのだろう。会場に来ている何人かはそれを読んで華麗にヴァイオリンを弾いている前端汀子の姿を見て、萩原健一とのことを思い出す人がきっといることだろう。今回のプログラムはずっと前に決められていたのだろうが、そうした噂を帳消しにしてしまいたい、との意図から盛り込まれたのではないか、とも思った。と考えると、前橋汀子も相当の策略家であり、この朗読もなかなか面白いものだ、と思った。
 後半はチャイコフスキーの「メランコリックなセレナーデ」やヴィエニフスキの「モスクワの思い出」など小品ばかり4曲が演奏され、アンコールとして珍しく2曲演奏された・演奏が終わって、舞台の左袖の控え室に下がる時にチラッと顔が見える程度ではあったが、写真通りの美人である。年齢は50歳は超えているだろう、とは思って家路につき、帰ってネットで調べたらなんと64歳であることが判明し、改めて力強い演奏に感銘を深くした。

追記 24日、目黒駅の有隣堂書店で「ショーケン」なる題名で萩原健一の自伝が出版(講談社刊)されているのを見て、週刊誌の記事がその宣伝であることがわかった。前橋汀子との件は1980年のモスクワ五輪の時に出場を逃したシングルスカルの選手のことを映画にしよう、と思って主人公の姉がヴァイオリニストだったので、萩原健一は前橋汀子のところに出演交渉に行き、意気投合したした、と縷々書いてあった。年は前橋汀子36歳、萩原健一29歳の時であり、お互いの家を行き来し、親しい関係になった、と書いてある。本は3月14日刊で、すでに二刷りとなっている。これだけ露骨に書かれれば、黙ってはいられないだろう、と改めて納得した次第。 
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いつになく結末は甘い「流星の絆」

2008-03-22 | Weblog
東野圭吾の最新作「流星の絆」を読んだ。週刊現代に連載したもので、直木賞作家、東野圭吾としては白夜行、幻夜に連なるピカレスク路線。両親を殺された3人の兄妹が仇に出会い、なんとか警察に逮捕させようと策を労するが、最後にとんでもないどんでん返しがあって、一気に読ませる。発売後、数日にして22万部を超え、早々とベストセラーの仲間入りしたようで、流石売れっ子作家といった感じである。ただ、本格的ミステリー作家としては甘い結末にやや不満が残った。
「流星の絆」は横須賀の洋食屋の3人兄妹が夜中に家を脱け出してペルセリウス流星群を見に行くところから始まる。3人並んで、夜空を見上げるが、期待した流れ星は一向に見えない。あげくの果てに雨が降ってきて、ホウホウの態で家に逃げかえる。ところが、家では父母が何者かに惨殺されており、次男がその犯人らしき男と玄関ですれ違う。それと犯人が忘れていったビニール傘が重大な証拠となるが、真犯人を挙げるまでには至らない。
施設に預けられた3人の兄妹はいつしか成人を迎え、父母を殺した犯人も依然として見つからないまま、時は過ぎ去り、3人は詐欺師の生活を送っている。長男がこれはと目をつけたカモを次男と妹が色仕掛けで詐欺にかける。施設出身の身としてはやむを得ない仕儀であり、3人ともいつまでも詐欺師を続ける気はない。で、最後の仕事としてターゲットに選んだのがとある洋食屋チェーンの御曹司。巧みに近づいた妹が新規に開店を控えたお店に招かれ、そこで売り物と目論むハヤシライスの試食を勧められ、一口食べたところで泣き出してしまう。
 幼少の折り、食べた実家の洋食屋のハヤシライスの味とそっくり同じだったからだ。ここから、話は急展開する。御曹司の父がなんらかの手段を使って実家の秘伝の味を盗み、その時に父母を殺したに違いない、と踏んだ兄妹は御曹司により近づき、殺人の証拠を得ようと画策する一方、警察にも動いてもらおう、といろいろ策を労する。
ところが、色仕掛けで御曹司に近づいた妹が御曹司に恋心を抱き、土壇場でしくじってしまい、御曹司にすべてを白状してしまう。 困った長男は御曹司に事実を打ち明け、真犯人逮捕への協力を求める。自分の父親が犯人かどうか、確かめたい気持ちもある御曹司は話に乗り、一緒になって父親を追及する。しかし、父親は動じることなく、刑事を呼び、14年間とっておいた新証拠を取り出す。ここが東野圭吾の真骨頂で、長男が忘れていた事実を思いだし、意外な犯人を割り出す。
そこで終わるのが、東野圭吾のミステリーだったのが、今回は改心した兄妹が以前に騙した被害者にお詫びをし、騙しとったお金を返却する。さらに妹は御曹司とよりを戻し、なんとハッピーエンドで終わる。いかにも青春小説といった感じで、いつになく筆を曲げた感がなきにしもあらずである。売らんかなの商業主義に屈したのだろうか。疑問の残る結末であった。
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