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鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

年度末雑感

2006-03-31 | Weblog
 今日は3月31日で、平成17年度の最終日である。いま在籍する会社が12月決算で、毎年3月末に株主総会をするうえ、3月1日に主要な人事異動をするので、いつも歓送迎会と親会社の株主総会への出席も加わって、なにかとせわしい気分で送ることになる。今年も親会社から転籍してきた後輩やら、3月末をもって退任する先輩、同期の人の歓送迎会がいくつかあった。今年は同級生のほとんどが満60歳の還暦を迎え、大概の企業では定年となるため、同級生の第二の人生へのスタートも多かった。
 もちろん、役員の交代もこの時期だ。当社も親会社も役員の若返りが急速の進み、一年でガラッと入れ替わる。かつては一緒に仕事をした後輩がどんどん偉くなる。だれも人を見るのに自分を基準にして見るので、どうしてこの人がこの地位に、と思いたくなるような人も出てくる。人が人を100%理解することなんてできない相談なので、どこかに情実、歪曲が出てくるのは仕方がない。ファジーな要素がつきものなのが人事なのだ。あと、人間だから好き嫌いという感情がある。生理的に合う、合わない、ということもある。営業のようにすぐ結果が数字で表れる部署なら評価はすぐわかるが、数字に表れにくい部署の人の評価はどうしても管理者の恣意的なものが入ってくる。そうしたもろもろの集積が人事異動となって出てくる。当社、親会社の株主総会で新役員の顔を眺めながら、そんなことを思った。
 Wさんは厚生年金基金の理事長を今日で退任する。しばらく子会社の社長をしていたが、昨年からいまのポストに移った。つい数ヶ月前に何かの話の際にお互い、いつまで会社に乗っているのやら、と冗談めいたやりとりをしたばかりで、それが現実となってしまった。親会社からの出向でなく、プロパー社員の象徴的存在だっただけにそうした人をそれなりに処遇できない経営環境を物語っている。それでもWさんは淡々と「しばらくは温泉にでも行ってのんびり過ごす」と語っていた。人遣いの荒いことで有名な業界紙の記者から30年以上も前に当社に入り、草創期の当社の発展に貢献していただいた。こうした功労者をも簡単に放り出してしまう企業体質はよくない、と思うが、さりとていい策があるわけでもなし。
 T君、かつて親会社に在籍した時に同じチームの一員として苦労した仲間であったことから、数人で歓迎会を催した。いきなり、当社の局長として転籍してきたわけで、今後の苦労が思いやられる。T君と酒を飲み交わすのは24年ぶり、かつては麻雀をしたり、酒を飲んだりした仲で、ついその時のことを思い出して感傷にひたttりもした。それと、お互い年をとったな、との思いにもひたった。24年前と全く変わらないT君がそこにいた。ただ、変わったのは両人の年だけで、改めて月日の経つ早さを思い知らされる。両人は24年経って、果たして人間として成長、もしくは進化していることかしら、はたまた社会のお役に立つことをしてきたのかしら、とも思ってしまう。人生の老境の一歩手前にさしかかって、これから一体何ができるのかしら、とも思ってしまう。
 さて、当の鈍想愚感子、あと一年はいまの仕事を続けることに決まった。とはいえ、経営トップからは「一年一年が勝負」と言われており、二年先の保証はない。厳しいこの時代に定年を過ぎて、なお仕事があるというのは恵まれているともいえる。その分、社会にお返しするようなことをすることを心がけていきたいものだ。
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生彩ない赤川次郎

2006-03-30 | Weblog
 藤沢周平の初期の短編が発見されたということで、それを掲載したオール読物を買って、読んでみた。たまに最近の小説を読んでみたくなり、オール読物を買うことがある。すると、思わぬ新人を見つけて、集中的にその新人作家の作品を読むような羽目に陥ることもある。で、藤沢周平の短編はただ、いまはない雑誌に掲載されたもので、それなりの作品ではあるが、それほど感動するようなものではなかった。ただ、久しぶりに赤川次郎の作品「河は呼んでる」が掲載されていて、読み進んだが、少々がっかりした。
 「河は呼んでる」は地方の小都市で、河に飛び込んで自殺する主婦が実は義父の浮気を知り、悲観したうえでの自殺だったが、その糸を引いたのは街の世話人だったという他愛ない小説。何か、一時代も二時代も遅れているような読後感しかなかった。
 赤川次郎といえば「三毛猫ホームズの冒険」など軽いタッチの青春推理小説で、若い女性に人気ナンバーワンの作家だった。常にベストセラーの上位に名を連ね、所得ランキングでも作家部門でトップになったことがあった。
 それがいまだに旧態依然たる推理小説を書き続けているとは、当然といえば当然かもしれないが、まだ作家活動を続けているんだ、という感じは否めない。
 いま、評判の東野圭吾や横山秀夫、石田衣良といった作家はまずテンポが早い、それに携帯、インターネット時代の最新の機器をふんだんに使い、捜査ノウハウもどんどん進化している。登場人物の心理描写も巧みで、読む者にすぐに感情移入しやすい書き方をしている。
 それに引き換え、赤川次郎はいまだに10年、20年前の出来事のようなものを書いている。これでは読者は離れていく一方だろう。
 少なくとも赤川次郎は江戸川乱歩、松本清張のように歴史に残る推理小説作家にはほど遠いことだろう。
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公開処刑にすべき麻原彰晃

2006-03-29 | Weblog
 東京高裁がオウム真理教の元教祖、麻原彰晃に対し、訴訟能力はあると認めたうえで、控訴趣意書の未提出を理由に控訴を棄却した。すでに1審で死刑判決が出ており、これにより異例の公判なしで高裁での死刑判決が確定したわけで、弁護側の異議申し立てが30日までになければ31日午前0時に死刑が確定する。仮に異議申し立てがあっても高裁が異議に理由がない、と判断すれば異議を棄却する決定をする。弁護側はさらに最高裁に特別抗告できるが、憲法違反か判例違反などごく限られた場合にしか認められない、というからまず死刑が確定したといえる。ならば、これだけの大罪を犯した麻原彰晃はぜひともテレビ中継つきの公開処刑とすべきだ。
 高裁は当初、控訴趣意書の提出期限を05年1月11日としていたが、弁護団が「被告と意思疎通ができず、趣意書が書けない」と主張し、期限を8月末に延期した。さらに被告の訴訟能力の有無を判断するため精神鑑定を実施し、2月20日に「訴訟をする能力を失っていない」との鑑定書がでていた。決め手は弁護側が機嫌までに控訴趣意書を提出しなかったことにあり、高裁の出方を読み切れなかった弁護側の作戦ミスとの見方もある。
 麻原彰晃は公判が始まった96年4月当初は教祖辞任の弁を述べるなどきちんと話していたが、半年経ったあたりから黙秘するようになり、訴訟能力があるかどうかが問われるようになった。弁護側は訴訟能力がない、といい、裁判引き延ばし戦術に出ているような感があった。これまでの経過のなかで黙秘とはいいながら、麻原彰晃が発する短い言葉にはとても訴訟能力がないとは考えられない「チキショー」とかいう言葉があって、どうみても演技としか受け取ることができなかった。
 思えば、丁度11年前の95年3月20日午前8時40分に事件は起きた。朝出勤すると、テレビで空襲時の惨劇を実写で見るような光景が写っていた。報道している方も一体何が起きたのかわけもわからずに報道しているような雰囲気があった。地震でもないし、テロリストが毒ガスでも撒いたのかしら、といった感じで、日本中が一大パニックに襲われた。仮に霞ケ関周辺に用事があれば、事件に巻き込まれていたかもしれない、と思うと自身、ぞっとしたことを覚えている。それが、麻原彰晃率いるオウム真理教一派の為す犯罪だったとは被害者でなくとも怒り心頭に達する思いであった。
 こんな極悪人は死刑が確定したら、公開処刑をすべきだ、と思う。日本では公開処刑は法律で認められないとしたら、法律を変えてでもぜひそうしてもらいたい。東京ドームかお台場かで、参加する人が石をぶつけるか、一発ずつ殴るか、できるようにしてもいいくらいだ。
 考えてみれば、麻原彰晃から謝罪の言葉を一回も聞いたことがない。罪を犯したと思ってなく、自らが神だというなら、キリストに倣って磔にでもしたらいい。まあ、よきに計らえスタイルの小泉首相では所詮、無理な相談か。
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心温まるファミリーコンサート

2006-03-28 | Weblog
 過日、近くの高津市民館で「世界を巡る音楽の旅」と称する無料のファミリーコンサートを聴きに行った。たまたまかみさんが所属している合唱団の演奏をしてもらっているピアニストの山口昌子さんが2005年度の国際芸術連盟音楽賞」を受賞し、その記念の演奏会だ、というので、予め往復ハガキで申し込み、当選して夫婦そろって参上した。会場へ一歩入ってまず驚いたのはいつもの舞台があって観客席のあるホールが全体に観客席があり、その真ん中に演奏席が作ってあることだった。観客の輪の中で演奏する文字通りファミリーな感じを出している。後で聞いたら、こういう設営をしたのはホール始まって以来初めてのことだ、という。
 演奏は山口さんと隣の宮前区のアマチュア音楽団体の宮前ウインドオーケストラで、クラシック音楽の「コバルトの空」、「パガニーニのピアノ狂詩曲」、「組曲カルミナ・ブラーナ」の演奏から始まり、次いでフルート、オーボエなどの木管楽器、トランペット、ホルンなど金管楽器、それにティンパニ、など打楽器の楽器の紹介があった。
 次いで、参加者による指揮の実演のあと、「ポップスを楽しもう」と「スカイハイ」、「追憶のテーマ」、「サバの女王」、「アメージング・グレース」、「ストレンジャー・イン・パラダイス」、「恋のカイニバル」を演奏してくれた。過去一年、読売交響楽団の会員になって一流の演奏を聞いてきて耳が肥えているはずの自称音楽通にとって、それなりに聴けたいい演奏会であった。ところどころ、あれっと思うような箇所もあったが、一生懸命演奏に取り組んでいる姿に感銘を受けた。彼、彼女らは多分平日は一定の仕事を持ちながら、休みに演奏の練習をし、たまにはこういう市民コンサートに出かける生活を送っている、いわゆるアマチュア音楽家なのだろう。なかには演奏がうまくいって、最後に腕を突き上げてガッツポーズをする演奏者もいて微笑しい場面もあった。こうした草の根的な音楽家が日夜努力していることによっていい音楽が演奏される土壌が育まれていくことになるのだろう。日本の音楽はこうした人たちによって支えられているのだろう、と思った。
 全体の司会は指揮者の箕輪響さんがもちろん指揮のかたわら進めた。時にジョークを交え、軽妙なタッチで会場の雰囲気を盛り上げ、演奏者の士気も高めながらの名司会者ぶりであった。考えてみれば、交響楽団の指揮は会場全体の状況をみながら進めるので、司会などはお手のものなのだろう。指揮者というのはそうした場の状況をつかんでいないと、できないものなのだろう。
 日本にはこうしたアマチュア音楽家はそれこそいっぱいいて、無料で演奏会を開いていい音楽を聴かせてくれている。いつかはNHK交響楽団や読売交響楽団の一員となり、そしていつかはソロ演奏家として音楽会場の満場の喝采を浴びることを夢見て、練習に勤しんでいるのだろう。音楽家の卵を指導し、いい才能を発掘するのも指揮者の役割なのかもしれない。
 無料のコンサートとはいえ、三つ折りのパンフレットには演目のほか曲の解説、楽器の紹介、炎症者の略歴など必要最低限の内容がきちんと盛り込まれている。文責をみると指揮者の箕輪響となっており、指揮者のワンマンショーであることがわかる。実際、こうした音楽会の開催にあたっては指揮者のリーダーシップがことの他重要なことなのだろう、と実感した次第。たまには街のコンサートを覗いてみるのも一興である。
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外国勢に乗っ取られた大相撲

2006-03-27 | Weblog
終わってみれば朝青龍の優勝という順当な結果に終わった大相撲春場所は殊勲。敢闘、技能はおろか十両優勝に至るまですべて外国人力士が獲得するというまさに相撲の国技ならぬ国際化をまざまざと見せつけられた場所であった。モンゴルなど首相のエンフボルド氏まで相撲観戦に訪れるほどの熱の入れようで、偽メール問題で空転するどこかの国会の議員先生に見習ってもらいたいくらいだ。
 千秋楽の相撲で疑惑の一番が2つもあった。一つは白鵬と負ければ大関を陥落する魁皇戦、制限時間いっぱいで待ったをした白鵬がなんらなす術なくあっさりと土俵を割ってしまった。どうみても負ける要素のない戦いを負けたのは八百長が仕組まれていたとしか思えない。白鵬は12日目にもそれまで万全の相撲で全勝街道を驀進していたのにすでに3敗して横綱の目がなくなった栃東にこれも攻めることなく負けてしまった。この時も制限時間いっぱいで3回も待ったをした。八百長を言われていて、どう負けるか考えあぐねての待ったであることはみえみえであった。
 もう一番は朝青龍と栃東戦。これも朝青龍が持ち味を全く出すことなく、敗れさった。栃東が負けるようなことがあると、もう横綱への希望がなくなってしまうから、八百長が仕組まれた、としか思えなかった。
 白鵬、朝青龍とも負けても、2敗で並び、優勝決定戦に臨むことができる。しかもお客さんももう一番取り組みを見ることができ、喜ぶ。なんら実害はない、と協会の誰かが考えそうなことである。両力士が1敗で並んで優勝決定戦をすれば、ますます日本人力士の影が薄くなる、とでも考えたのだろう。
 白鵬、朝青龍の優勝決定戦は力の入った大一番だった。こんな力強い両力士だどうしてつい数分前に魁皇、栃東に負けてしまったのか、と疑問が湧くくらいの素晴らしい相撲であった。一瞬のスキをついて下手投げに出た朝青龍が勝って、優勝となったが、白鵬には序盤で見せていた腰の低い万全の寄りがなかった。それだけ勝負をあせったのだろう。白鵬の父はムンフバトといいモンゴル相撲の大横綱だという。夫婦、および姉がそろって千秋楽の相撲観戦に来ていたようだから、それだけでももう白鵬の負けが見えていた。
 モンゴル勢は幕内に7人いるそうだが、いずれも勝ち越したし、十両で43年ぶりに史上通算4人目の全勝優勝した把瑠都はエストニア出身だという。今場所は足を痛め、振るわなかった琴欧州は来場所は復帰してくるだろうし、お情けで勝ちをもらっている日本人力士の影はますます薄くなることだろう。
 そういえば、優勝賜杯をもらった後のインタビューで朝青龍は「どうも声援ありがとうございます」のあとに「毎度大阪」と絶叫して、会場の笑いを誘っていたのが印象的だった。とっさにこうした茶目っ気のある言辞が出てくるというのは、凄いことだ。朝青龍についてはいろいろ批判もあるようだが、モンゴルから異国へ一人で出てきて、頂点を登りつめるだけのものを持っていたのだろう。八百長相撲で動揺して待ったをして心を見透かされる白鵬とは現時点では差がありそうだ。
 相撲に限らず、スポーツで強くなるには強い人の胸を借りてぶつかっていくしかない。身近にいいお手本があるのにどうして立派な日本人力士が育たないのか。協会はじめ親方衆の日本人力士の育て方に問題があるのだろうか。このままでは確実に大相撲は衰退していくことだろう。 
    
 追伸 と書いてきたら、週刊現代に「朝青龍 大阪キタのホステスに場所中に暴行」との記事が目に飛び込んできた。海千山千の世界にはまだ25歳の若造ではつぶされてしまうだろう。以前朝青龍に関する不祥事があり、その対応に元朝潮の高砂親方も手を焼いているとも伝えられていたが、基本的には親方、協会の教育に期待するしかないだろう。それも改革の一環といえばいえる。
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今頃なぜ拉致事件で

2006-03-26 | Weblog
 原ただ晃さん拉致事件で、北朝鮮元工作員シンガンス容疑者が在日朝鮮人総連合会の関連団体「在日本朝鮮大阪府商工会」の元会長ら複数の人物に活動資金を提供するよう強要していたことが明らかになった、と報道された。こんな以前からわかっていたことがさも最近わかったとでもいうように報道されるのか、不思議といえば不思議だ。
拉致事件が明らかになってから間もなく4年もたとうとしている。にもかかわらず、ここ2年ばかりは一向に進展がみられない。何回も6カ国協議なるものが開かれているが、成果らしきものはない。拉致家族を救う会からは北朝鮮への経済制裁をとの声が強くあがるが、政府はなかなかそれにふみきろうとしない。
頼みの国会は3馬鹿大将の1人、永田寿康民主党議員の懲罰問題で肝心の政治がお留守になっている。おかげで小泉政権の支持率は持ち直してしった。一時は9月の任期前にも退陣し金ない、と言われていたのに”永田議員さまさま”である。
小泉政権にとっては靖国神社参拝をめぐる対アジア外交が八方ふさがりとなって
いるのに加え、対北朝鮮の拉致問題が一歩も前へ進まないのが数少ない弱点となっている。それだけにこうして時々、拉致問題も忘れていないぞ、とのポーズをとるために材料を小出しに」しているような気がしてならない。
 どうせ、自民党筋のだれかが書いたシナリオなのだろう。
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腰の定まらない経済産業省

2006-03-25 | Weblog
 PSEマークなしの中古家電製品の販売が当面認められることになった。突如ふって湧いたような家電製品の安全問題は家電中古販売業者が街頭で署名活動を展開し、消費者を巻き込んで市民運動とすることで、法律の施行を阻止することができた。しかし、本来の法律の趣旨である家電製品の安全性確保についての議論、措置はそのままで、問題を先送りしただけの解決ともいえる。
 そもそもこのPSEマークは5年も前の01年4月に家電製品などの安全確保のための電気用品安全法で、メーカーや販売業者が製品に付けることを義務づけた国の安全基準に適合していることを示すマークのことで、テレビ、冷蔵庫、洗濯機など250品目についてはこの31日でマークのない製品販売の猶予期限が切れることになっていた。5年近くもほとんど誰もそのことを知らずに来て、ようやく先月になってまず家電中古販売業者が死活問題だ、として騒ぎ始めた。で、新聞、テレビも取り上げるようになり、当の経済産業省も5年間ほったらかしにしていた責任を感じてか、まず音楽用の製品についてはビンテージものである、として対象外とし、次いで漏電などの安全性の検査体制が確立するまでの期間、4月以降もPSEマークなしのでも販売を認める旨の発表をし、全面的に譲歩した。
 5年前にPSEの法律を制定した際にも問題点についての議論を深めた形跡が見られないうえ、法律の趣旨を周知徹底する努力もしてこなかった、として非を認めた形で、以前なら官庁がこんなに譲歩することは考えられなかった。それだけ官庁が謙虚にあんったのか、官庁と民間の距離が遠くなったのか、わからないが、行政側が至らなかった点を素直に認めて、改めるのはいいことだ。
 ただ、5年前にPSE法を制定した際にメーカー、販売業者、消費者など関係先への調査をきちんとしたうえで、猶予期間後に施行しても問題が生じない、との確信を得て、制定すべきだったとの反省は残る。それと、今回の決定にあたっても家電の中古業者の手になる家電製品の販売シェアはどのくらいあるものなのか、といったデータをきちんと把握したうえでのことなのか、若干の疑問が残る。つまり、家電製品の流通、および使用についての実態を明らかにしたうえで、家電製品の安全性を位置づけてほしいものだ。
 今回の経済産業省の方針転換についての報道もNHKでは輸出に限って容認する、と報道していたが、日経、毎日など新聞各紙では輸出うんぬんの表現は見当たらず、レンタルとみなす、となっている。当局にも多少の混乱が見られるよぷで、このあたりにも場当たり的行政の趣がうかがえる。
 経済産業省はかつて米国など海外の企業に伍していくためのは産業界をなんとか育てていこう、ということでいくたの産業振興策を立案したりしえt深くコミットしていたが、最近はg逆に米国からの市場開放要求に応えることに関心が移って、ろくに国内産業界に置かれた状況も知らずに国際標準に合わせるためにやっていることが多く、こんなチグハグな結果となるのだろう。もっと視点を産業界の育成、そして消費者のためのものとして、腰を据えた行政をしてもらいたいものだ。
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腐っても鯛?岩波書店

2006-03-24 | Weblog
 昨夜、NHKのクローズアップ現代、略してクロゲンともいうそうだが、で「超ヒト新書の秘密」として新書ブームを放送していた。ソフトバンク出版が新たに新書を刊行し、これで30もの出版社が新書を出版することになる、という。昨秋出版された藤原正彦「国家の品格」はすでに100万部を突破したし、養老孟司氏の「バカの壁」は300万部を越える売れ行きを示した。かつての丸山眞男のロングセラー「日本の思想」でも何十年かかってたかだか100万部ちょっとの売れ行きというから、瞬く間に100万部を超えるのはすごいことである。
 その理由をブックコメンテイターなる松田哲夫氏は「総合雑誌がつまらないから」とつまらない解説をしていたが、やはり手頃で、価格が安いからだろう。手に持ってひょいと出かけられるし、ポケットにも入る、満員電車の中でも広げて読める、いまのモバイル時代に合っているのがいいのだろう。
 ヒットする秘密として3つのT、テーマ、タイトル、タイムリーをあげていた。これでいくとテーマに含まれるのかもしれないが、誰が書いているのか著者が大事だ、と思う。それなりに説得力のある人が執筆していないと、読む気がしないだろう。「バカの壁」だって大脳生理学者で東大名誉教授の養老氏が書いているから買って、読んでみようという気になるのだろう。
 確か米国ではペリカンブックスなるペーパーブックなる新書が昔から有名で、高校時代の夏休みに大学受験の英語力をつけるため、誰かに薦められサマーセット・モームの「OF Human Bondage」、邦名「人間の絆」をペーパーブックで読んだ記憶がある。と考えるとペーパーブックは日本での新書と文庫を合わせたようなものなのかもしれない。日本でもいずれ、文学書を新書で読むようになるかもしれない。
 番組の最後で、いかにもNHKらしく新書の老舗、岩波書店の岩波新書を取り上げていた。出版点数が1万点を超えたかで、改革を図るということで、キャッチフレーズが「かわりますが、変わりません」といかにもお固い岩波らしいが、これではいまの若い人にアピールしないだろう。岩波書店のらしさを知らない世代にとっては何のことかさっぱりわからない。岩波の看板、ブランドを捨てきれない発想だとこうなるのだろう。それこそ、第二岩波か、イワナミなる出版社としてやらないと、対抗できないだろう。岩波の限界ここにあり、と見た。

追伸 朝日新聞のPR誌、「一冊の本」を見ていたら今秋にいも朝日新書を創刊する、という。朝日新聞の記者連中を総動員して、毎月5冊ずつ出していく計画とか。しかし、朝日新聞は記者の気位が高く、新聞より雑誌・書籍を一段低いものと見ているきらいがあり、出版局の事業に協力しよう、としない。テレビ朝日のニュースステーションを見ていても決して一流の記者をテレビに登場させない。いつまで経ってもテレビを馬鹿にしている証明に他ならない。出版についても同じことが言える。新聞第一と思っているから、ととえ社命であっても一切、出版に協力しよう、としない。だから、朝日新聞の手がける雑誌、事業は成功しない。世の中の流れといかに逆行しているのか、を上から下までまるでわかっていないのだ。ここに朝日新聞の悲劇がある。
 
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屋台骨揺らぐ?朝日新聞

2006-03-23 | Weblog
 朝日新聞の経営が苦境に直面している、という。確かめようがないのだが、経常利益が5億円そこそこにまでなってきている、という。数年前にもそうした噂が流れたことがあったが、単なる噂に止まった。今回はどうもそれ以上のものがありそうだ。NHKとの従軍慰安婦報道問題は相変わらずケリがついていないし、昨秋には長野支局員の架空会談記事があって、記者が懲戒免職となった。首相の靖国神社参拝報道ではまるで中国の新聞か、と思うような姿勢は変わらない。永年培ってきた朝日の進歩主義体質の報道がいまや時代遅れとなっていることに経営幹部は気づいていない。産業界の広告主はとっくに朝日離れを起こして、朝日新聞に広告を出そう、としないことが深刻な経営難をもたらしている。
 先日、ある若い人と話していて、新聞のなかで朝日新聞を頂点に考えていないことを知り。愕然としたことがある。日本経済新聞と朝日新聞では日本経済新聞のがイメージがいい、というのだ。40年近く前にジャーナリストをめざして就職試験に臨んだ際には100倍を超える競争倍率の朝日新聞は憧れの職場であった。試験会場には某私立大学の講堂が充てられた、と記憶している。朝日、毎日、読売、それにNHKが同じ試験日で、翌日が日経と産経の試験日であった。で、朝日と日経を選ぶ人を多かったのは当然だろう。
 朝日新聞の競争率が高いのは年齢制限が28歳までで、あとは大学卒、もしくは卒業見込みでありさえすればだれでも受けることができる門戸開放制をとっていたからで、当時狭き門だった女子学生がこぞって受けたことも競争率を上げた。田舎で家業の塗料インク屋を継ぐことが決まっていた友人が朝日新聞社を受けるというので、その理由を聞いたら「常識問題がどのくらいできるか、試してみたい」と言っていたのを憶えている。その友人は試験当日、前夜の酒が効いて寝過ごしてしまい、結局受けなかった落ちまでついていた。
 ともあれ、学生には絶大の人気を誇っていた朝日新聞ではあるが、その朝日新聞が経営難に陥っている、としたら、一重に広告が集まらないことに理由があるだろう。新聞経営は大きく言って新聞の購読代金収入と広告収入に依存している。朝刊1部130円だけではとても経営は成り立たない。販売代金の3分の1は新聞販売店のものだし、印刷、紙、輸送にもコストがかる。なにがしかの広告収入があって始めて経営が立ちゆくことになる。広告を集めるために新聞を製作するなんてことは朝日新聞が最も嫌うことだろう。新聞記者は国家正義のために記事を書く、経営なんてことはだれかがやればいい、というのが記者の基本スタンスである。朝日新聞の場合、伝統的にそうした傾向が強いことだろう。ビジネスのことを考えるなんて記者の風上にも置けない、との風潮が特に強いことだろう。
 おまけに若い人を中心にインターネットで情報を収集すれば十分という新聞離れ現象が起きている。こうるさい理屈を並べ、進歩主義を気取る朝日新聞はうざいと感じるのかもしれない。販売部数も減るだろうし、何よりも偏向を嫌う企業から敬遠され、結果として広告が集まらなくなっている、としたら経営難は深刻だ。
 もとより、新聞そのものは絶対的に減少しつつあり、日本に総合一般紙は3つも4つも要らない。
 昼に駅ビルにある本屋で雑誌を買い、持って帰ってきて、袋の中を見ると、朝日新聞7日間無料試読キャンペーンのチラシが入っていた。昔はプライドが高く、そんなことはしなかったのに、これも経営難のなせる業か。頭デッカチな朝日新聞の経営者がこの難局にどう立ち向かうのか、みものだ。
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初代チャンピオンとなった日本

2006-03-22 | Weblog
 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝戦で、日本は強敵のキューバを10対6で破り、世界一の座に就いた。祝日だった21日の午後は新聞の号外まで出て、日本中が初代チャンピオンとなった日本プロ野球チームを讃える声で埋まった。地獄から這い上がった日本は準決勝で宿敵の韓国を6対0で圧勝し、その余勢を駆って、頂点へ登りつめた。過去日本チームはオリンピックなどでキューバチームと36回戦って、かったのはわずかに4回だけという戦績だが、今回は流れからして日本チームに分があった、といっていいだろう。
 試合は1回表の日本の攻撃で1死満塁で死球、四級で2点が入り、その後中前安打で2点と、セーフティリードの計4点を先制する楽な展開、しかもキューバは先発投手を代え、3人目の投手まで繰り出す苦しい状況。かつて九連覇時代の巨人の試合展開のようで、相手が勝手にこけてしまった感じで、この段階でもはや勝負ありだった。それでも強打のキューバチームはホームラン攻勢で中盤に1点差まで追い上げたものの、最後はイチローの巧打などで差を広げ、先行逃げ切りを果たした。
 最高殊勲選手には決勝戦で先発好投し、勝利投手となった松坂大輔投手が選ばれたが、真のMVPはなんといってもイチロー選手だろう。大会前にイチロー選手が「王監督に恥をかかせるわけにはいかない」と言ったという。いろいろ物議をかもした発言もあったとはいえ、終わってみれば33打数12安打で3割6分4厘もの高打率を残し、終始チームの先頭に立ってチームを引っ張り、当初の宣言通り世界初のチャンピオンの座をもたらした。
 もともとこのWBCは米国がオリンピックで野球の競技種目がなくなったため、3年に1回世界一のチームを決めるべく始めたものであり、米国チームが初代チャンピオンとなるように仕組まれていた大会でもあった。ところが、ふたを開けてみれば、米国チームは各チームの4番バッターばかりを集めたまるで巨人軍のようなチーム構成となってしまい、チームプレーに欠けるところがあって、2次予選であえなく敗退した。米国チームの全選手の年棒は170億円ともいわれている。日本チームもプロ12球団のすべてがこぞって協力したうえでのチーム構成ではなかった。それでも始まってみれば、そんな愚痴めいたことは言ってられない。それを押し殺してチームをまとめ、世界一となった王監督はイチローと並んで讃えられていいだろう。まさに王監督とイチローがWBC日本チームの華であり、核であった、といってもいいだろう。
 19日の対韓国の準決勝の視聴率が36.2%(関東地区)と驚異的なもので、決勝戦はさらに高い43.4%(同)、瞬間では最後の場面で56%と驚くべき数字を記録した。それだけ注目を集めたという何よりの証拠だろう。21日のテレビで世界一を伝える報道のなかで、ヤクルトの古田監督、オリックスの清原選手、楽天の野村監督、原巨人監督、それに長嶋元巨人監督らのコメントを伝え、一様に祝福のメッセージを流していたが、つくづく時代は変わった、との印象は否めなかった。
 で、この世界一の次に来るもpのは一体何だろうか。第2回チャンピオンの座を守りにいくのだろうか。これで、ますます米メジャーへ行く日本人選手が増え続けるのだろうか。米国メジャー選手になっても松井タイプの唯我独尊タイプもいれば、イチロー選手のように日本人選手である誇りを持ち続けるタイプもいる。今後は米国メジャーへいくだけが野球選手のめざす道ではない、と思い至るのか。野球というスポーツのあり方が今後どう変わっていくのか。日本のプロ野球をリードする人々が改めて野球の面白さ、楽しさをどう伝えていくかにかかっている。ひょっとしたら、この世界チャンピオンになったことが、野球に対して人々の持つ野球観を変えるものになるものになるのかもしれない。その意味では日本のプロ野球は転換期に立っているのかもしれない。
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