今日は3月31日で、平成17年度の最終日である。いま在籍する会社が12月決算で、毎年3月末に株主総会をするうえ、3月1日に主要な人事異動をするので、いつも歓送迎会と親会社の株主総会への出席も加わって、なにかとせわしい気分で送ることになる。今年も親会社から転籍してきた後輩やら、3月末をもって退任する先輩、同期の人の歓送迎会がいくつかあった。今年は同級生のほとんどが満60歳の還暦を迎え、大概の企業では定年となるため、同級生の第二の人生へのスタートも多かった。
もちろん、役員の交代もこの時期だ。当社も親会社も役員の若返りが急速の進み、一年でガラッと入れ替わる。かつては一緒に仕事をした後輩がどんどん偉くなる。だれも人を見るのに自分を基準にして見るので、どうしてこの人がこの地位に、と思いたくなるような人も出てくる。人が人を100%理解することなんてできない相談なので、どこかに情実、歪曲が出てくるのは仕方がない。ファジーな要素がつきものなのが人事なのだ。あと、人間だから好き嫌いという感情がある。生理的に合う、合わない、ということもある。営業のようにすぐ結果が数字で表れる部署なら評価はすぐわかるが、数字に表れにくい部署の人の評価はどうしても管理者の恣意的なものが入ってくる。そうしたもろもろの集積が人事異動となって出てくる。当社、親会社の株主総会で新役員の顔を眺めながら、そんなことを思った。
Wさんは厚生年金基金の理事長を今日で退任する。しばらく子会社の社長をしていたが、昨年からいまのポストに移った。つい数ヶ月前に何かの話の際にお互い、いつまで会社に乗っているのやら、と冗談めいたやりとりをしたばかりで、それが現実となってしまった。親会社からの出向でなく、プロパー社員の象徴的存在だっただけにそうした人をそれなりに処遇できない経営環境を物語っている。それでもWさんは淡々と「しばらくは温泉にでも行ってのんびり過ごす」と語っていた。人遣いの荒いことで有名な業界紙の記者から30年以上も前に当社に入り、草創期の当社の発展に貢献していただいた。こうした功労者をも簡単に放り出してしまう企業体質はよくない、と思うが、さりとていい策があるわけでもなし。
T君、かつて親会社に在籍した時に同じチームの一員として苦労した仲間であったことから、数人で歓迎会を催した。いきなり、当社の局長として転籍してきたわけで、今後の苦労が思いやられる。T君と酒を飲み交わすのは24年ぶり、かつては麻雀をしたり、酒を飲んだりした仲で、ついその時のことを思い出して感傷にひたttりもした。それと、お互い年をとったな、との思いにもひたった。24年前と全く変わらないT君がそこにいた。ただ、変わったのは両人の年だけで、改めて月日の経つ早さを思い知らされる。両人は24年経って、果たして人間として成長、もしくは進化していることかしら、はたまた社会のお役に立つことをしてきたのかしら、とも思ってしまう。人生の老境の一歩手前にさしかかって、これから一体何ができるのかしら、とも思ってしまう。
さて、当の鈍想愚感子、あと一年はいまの仕事を続けることに決まった。とはいえ、経営トップからは「一年一年が勝負」と言われており、二年先の保証はない。厳しいこの時代に定年を過ぎて、なお仕事があるというのは恵まれているともいえる。その分、社会にお返しするようなことをすることを心がけていきたいものだ。
もちろん、役員の交代もこの時期だ。当社も親会社も役員の若返りが急速の進み、一年でガラッと入れ替わる。かつては一緒に仕事をした後輩がどんどん偉くなる。だれも人を見るのに自分を基準にして見るので、どうしてこの人がこの地位に、と思いたくなるような人も出てくる。人が人を100%理解することなんてできない相談なので、どこかに情実、歪曲が出てくるのは仕方がない。ファジーな要素がつきものなのが人事なのだ。あと、人間だから好き嫌いという感情がある。生理的に合う、合わない、ということもある。営業のようにすぐ結果が数字で表れる部署なら評価はすぐわかるが、数字に表れにくい部署の人の評価はどうしても管理者の恣意的なものが入ってくる。そうしたもろもろの集積が人事異動となって出てくる。当社、親会社の株主総会で新役員の顔を眺めながら、そんなことを思った。
Wさんは厚生年金基金の理事長を今日で退任する。しばらく子会社の社長をしていたが、昨年からいまのポストに移った。つい数ヶ月前に何かの話の際にお互い、いつまで会社に乗っているのやら、と冗談めいたやりとりをしたばかりで、それが現実となってしまった。親会社からの出向でなく、プロパー社員の象徴的存在だっただけにそうした人をそれなりに処遇できない経営環境を物語っている。それでもWさんは淡々と「しばらくは温泉にでも行ってのんびり過ごす」と語っていた。人遣いの荒いことで有名な業界紙の記者から30年以上も前に当社に入り、草創期の当社の発展に貢献していただいた。こうした功労者をも簡単に放り出してしまう企業体質はよくない、と思うが、さりとていい策があるわけでもなし。
T君、かつて親会社に在籍した時に同じチームの一員として苦労した仲間であったことから、数人で歓迎会を催した。いきなり、当社の局長として転籍してきたわけで、今後の苦労が思いやられる。T君と酒を飲み交わすのは24年ぶり、かつては麻雀をしたり、酒を飲んだりした仲で、ついその時のことを思い出して感傷にひたttりもした。それと、お互い年をとったな、との思いにもひたった。24年前と全く変わらないT君がそこにいた。ただ、変わったのは両人の年だけで、改めて月日の経つ早さを思い知らされる。両人は24年経って、果たして人間として成長、もしくは進化していることかしら、はたまた社会のお役に立つことをしてきたのかしら、とも思ってしまう。人生の老境の一歩手前にさしかかって、これから一体何ができるのかしら、とも思ってしまう。
さて、当の鈍想愚感子、あと一年はいまの仕事を続けることに決まった。とはいえ、経営トップからは「一年一年が勝負」と言われており、二年先の保証はない。厳しいこの時代に定年を過ぎて、なお仕事があるというのは恵まれているともいえる。その分、社会にお返しするようなことをすることを心がけていきたいものだ。