兵庫県議会は19日、斎藤元彦知事に対する不信任決議案を提出し、全会一致で可決したが、斎藤知事は29日までに議会を解散するか、自身が辞職・失職するかを明言せず、淡々と「熟慮する」と語った。それも何ら感情を表すことなく、まるで他人事のように冷静に語っていたことに大きな疑念が湧いた。これまで全国の都道府県議会で知事への不信任決議が行われた例は岐阜、長野県などで4例ある。うち2県では知事が辞職を選択し、残り2県が失職を選んで出直し選挙に臨み、1県だけが再選されている。斎藤知事のように対応を濁した例はなく、様々な憶測が飛んでいる。
ひとつ奇妙なのは当の斎藤知事がひどく冷静で物事に対応していたことで、普通こうした事態に追い込まれた場合、こんなに冷静でいられる筈はない。斎藤知事の生い立ちとか、これまで歩んできた道はよく知らないが、東大を卒業した後に総務省に入省した中央官僚OBで、3年前に自民党にかつがれ、地元の維新の会からも推薦されて兵庫県知事に初当選した過程で、多くの人から支持されていまの知事と言う立場に立っている。そうしたなかで、困った時に相談するような人がいて、いまのような難局にぶつかった際に相談したことがなかったのだろうか、という点が気になる。普通はそうした相談できる人を周りに少なくとも1人や2人いるはずの人が多いと思われる。でも斎藤知事にはそうした人はいないようである。
最近の週刊誌報道によると、斎藤知事の親戚のなかには一切、関係を絶っているような親戚が1,2ある、と言われている。そして、最も身近な奥さんからは県議会、お役所の官僚には断固とした態度をとるように言われている、ともいう。そうしたことから、兵庫県庁内ではいくら強く責められてもいつものような曖昧な受け答えを続け、結局いまのような県議会から総スカンを食うような羽目に陥っている、といえるのかも知れない。
もうひとついまのような対応を繰り返していくと、結局、いまの知事という職を終わった後は最終的に斎藤知事の味方は一人もいなくなってしまうのは目に見えている。そして未来永劫にわたって、なんの意味もない人生が待ち受けている、ということを覚悟しなくてはならなくなることだろう。そんな人生を送ることに一体、何の意味があるのだろうか、ということまで果たして考えているのだろうか、ということまでに思い至った。
と、そこまで考えてきて、19日の兵庫県議会の全員一致の不信任決議の後の斎藤知事の冷静な記者会見ぶりを見ていて、「彼はもう地獄を見た気分になっているのではないか」という気がした。と考えて、ひょっとしてもう斎藤知事は地獄へ落ちる気になっているのではないか、と思った。でないと、あの冷静な表情はできないのではないか、とも思った次第である。つまり、常識では図れないことを考えてもいる、ということではなかろうか。
過去、鈍想愚感子の周りにはこのような形で去った人はいないので、あくまでも推測に過ぎないが、この問題の最終的な決着の着き方が悲劇でつけられるのではないか、としか思えなくなってきたのである。いずれにしろ、斎藤知事は政治の教科書からは消え去っていく人物であるのは間違いないようだ。
追記(9月26日)斎藤知事は記者会見し、辞任し、知事選に出馬する、と発表した。全然、知事といしての所業を反省することなく、白々と知事選に出馬することを決めたわけで、世間の受け止め方と全く異なる手を打つことにしたわけであるが、選挙民たる兵庫県民が今回の所業をいかに判断しているかを全く理解することなく、恥の上に恥を塗る所業に出ることとなったという次第である。全く、がっかりしたとの一語に尽きる。どうあっても当選する見通しがないのいにあえて破れかぶれの知事選に臨むということは政治家として悪路を選んだ、というしかない。必ずや落選して、今度こそ地獄へ落ちるしかないことだろう。身近に相談する人が一人もいなかった、ということだ。