ここ数日、腰に違和感があって、妙にだるいような感じがしていた。ぎっくり腰の前兆のような感もあり、軽くジョギングをしていても歩きたくなるような感もあった。何か重いものでも持ったのか、とも思ったが、思い当るふしもなく、どうしたものか、とずっと思っていた。さりとて、医者にかかるほどの重症でもなく、こんな時にはどうしたのか、と過去を振り返ってもなかなか思い出せなかった。
昔から比較的、腰は強くて、それほど腰を痛めたような記憶もないが、10数年前にぎっくり腰をやって起き上がれなくなり、2、3日寝ていたようなことがあった。あとは慢性的な腎臓結石を抱えていて、寒い冬の折りに結石が尿管を下りてくる時に腰を引っ張られるような感触がある。痛いわけではないが、後ろへ引きづられるような感じがあり、しばらくすると、結石だ、とわかってくる。
それが30日になって、ふと気がついたことがあった。それは一週間くらい前にいつものようにテーブルの椅子で本を読んでいて、そのまま寝込んでしまったら、かみさんが頭を乗せるのにちょうどいい真ん中をくりぬいた枕を首にあてがってくれたことがあった。それがずれ落ちて、腰のあたりにひっかかり、腰のまわりを保護してくれ、いいクッションとなった。気持ちもよかったので、以来その枕はずっと椅子の背もたれの下に鎮座して、腰を保護するような役割りを担ってくれた。それが、却って腰によくなかったことがわかったのだ。
たまたま、テレビで市川海老蔵の健康法なるものを紹介していて、第1条に「ソファに座らない」ことを掲げていた。ソファなど柔らかいのに座りつけると、逆に腰を養護し過ぎて腰を痛めることになう、というのだ。知らず知らずのうちにそれと同じことをしていて、腰を痛めることになってしまったのだ。市川海老蔵は常に固い椅子に座ることを心掛けている、という。柔らかいソファに座りつけると、腰を養護しているようで、腰の骨なり組織を鍛えることなく、弱くしてしまう、ということなのだろう。
イギリス人は若いうちからソファベッドでなく、固い木のベッドに寝ることにしている、というのも同じことなのだろう。人も過保護な環境に育つと却って、健全に育たないことがあるようで、厳しい環境に置くことも時には必要なことなのだろう。
腰も生き物である、ということなのかもしれない。
昔から比較的、腰は強くて、それほど腰を痛めたような記憶もないが、10数年前にぎっくり腰をやって起き上がれなくなり、2、3日寝ていたようなことがあった。あとは慢性的な腎臓結石を抱えていて、寒い冬の折りに結石が尿管を下りてくる時に腰を引っ張られるような感触がある。痛いわけではないが、後ろへ引きづられるような感じがあり、しばらくすると、結石だ、とわかってくる。
それが30日になって、ふと気がついたことがあった。それは一週間くらい前にいつものようにテーブルの椅子で本を読んでいて、そのまま寝込んでしまったら、かみさんが頭を乗せるのにちょうどいい真ん中をくりぬいた枕を首にあてがってくれたことがあった。それがずれ落ちて、腰のあたりにひっかかり、腰のまわりを保護してくれ、いいクッションとなった。気持ちもよかったので、以来その枕はずっと椅子の背もたれの下に鎮座して、腰を保護するような役割りを担ってくれた。それが、却って腰によくなかったことがわかったのだ。
たまたま、テレビで市川海老蔵の健康法なるものを紹介していて、第1条に「ソファに座らない」ことを掲げていた。ソファなど柔らかいのに座りつけると、逆に腰を養護し過ぎて腰を痛めることになう、というのだ。知らず知らずのうちにそれと同じことをしていて、腰を痛めることになってしまったのだ。市川海老蔵は常に固い椅子に座ることを心掛けている、という。柔らかいソファに座りつけると、腰を養護しているようで、腰の骨なり組織を鍛えることなく、弱くしてしまう、ということなのだろう。
イギリス人は若いうちからソファベッドでなく、固い木のベッドに寝ることにしている、というのも同じことなのだろう。人も過保護な環境に育つと却って、健全に育たないことがあるようで、厳しい環境に置くことも時には必要なことなのだろう。
腰も生き物である、ということなのかもしれない。