鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

一夜明ければ、日中両国で衆院解散より「高倉健死す」報道一色だった

2014-11-19 | Weblog

  国民的大スターである高倉健が10日に亡くなっていたことが18日に明らかとなった。丁度、安倍首相の衆院解散会見と重なったが、翌19日の民放のワイドショーは解散にはひほとんど触れずに高倉健の回想に終始していた。TBSテレビなどは午前7時過ぎkらずっと高倉健のこれまでの足取りを含めた回想を流し続けており、午前8時から始まったフジ、テレ朝のワイドショーも冒頭から高倉健を流し続けた。大義なき解散について報道することなど少しも面白くない、と民放テレビの関係者はこぞって判断し、高倉健一色でいくことにしたのだろう。

 とりわけ驚いたのは先週のAPEC首脳会議で習近平主席と安倍首相の会談を冷ややかに扱っていた中国の国営テレビが高倉健の死亡について、大々的に放送していたことだった。いつも日本のことを厳しい表情で報道する中国の洪磊報道官が穏やかな表情で「偉大なスターが亡くなって残念だ」と本当に哀悼の意を込めて報道していた。まるで中国では安倍首相より高倉健の方が人気が高いのだといわんばかりであった。いままで、日本人が亡くなって中国がこんな反応を見せたことがなかっただけに意外な感じがした。

 高倉健はこれまで205本の映画に出演しているが、昨年文化勲章を受章した際に「これまで出演した映画のほとんどで前科者の役を演じてきたのに、こんな評価をしていただいていいのかな、と思っている」と語っていたのが印象に残っている。そして、「日本人に生まれてよかったと心底思っている」と受賞の喜びを語っていたのも高倉健の素朴な人柄を物語っていた。

 フジテレビで報じていたが、映画人で文化勲章を受章したのは高倉健を含めてこれまで4人いるが、そのうち森繁久弥、森光子、そして高倉健の3人が奇しくも11月10日に亡くなっている、という。11月10日は文化勲章受章日の1週間後であり、たまたまというしかののだろうが、文化勲章は日本人が受賞するなかで最高位のもので、受賞することで心のなかでホッとしてしまうのではなかろうか。最高の位を登りつめれば、もうし残したことはない、と心身とも緩みが出てしまうのだろう。高倉健の場合は文化勲章を受章して丁度1年と1週間後だった。

 高倉健は生前、お別れの会などしなくていいと言っていた、という。それでいて、密かに鎌倉の方だかに自らの墓を造っていた、という。フジテレビが報じていたその写真にはもうひとつ墓が用意されていた。その墓は江利チエミとの間にでき、流産した子どもの墓だ、という。それらの墓は40年以上前から手配していた、という。たった一人で40年余生きてきた高倉健にとって、その水子の魂が心の支えだったのかもしれない、と思わせられた。

追記 高倉健の人気にあやかってか、政府のなかに国民栄誉賞を授与しようとの声が上がってきた。森光子、森繁久弥にも与えているので、バランスをとったともいえるが、昨19日のマスコミ報道を見ていてそう思わざるを得なかったのだろう。総選挙モ-ドを一挙に変えてしまった高倉健の人気を改めて認識したのもさることながら、このままでは総選挙が極めて低調なものになってしまう、との危惧から出たは発想なのだろう。いくら策を弄しても、安倍首相の支持率が上向くことはないだろう。

 

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大義のない総選挙は安倍政権への弔鐘となるのは間違いない

2014-11-17 | Weblog

 APEC首脳会議やG20サミットなどに出席した安倍首相は17日夕に帰国し、そのまま公明党の創立50周年大会に顔を出し、その後山口那津男代表と会談した。会談の中身は午前中発表となったことし7-9月のGDP成長率が予想をかなり下回る年率1.6%のマイナスとなったことから、消費税の来年10月からの2%増税を1年半遅らせ、そのことの信を国民に問うため、衆院の総選挙を実施に踏み切る決意を固めたようである。正式な表明は明日18日になり、来月2に公示し、14日に投開票となる見通しである。この間、前日に行われた沖縄知事選の結果については一切言及がなく、総選挙の断を下したのは沖縄知事選の敗退をを払拭するため、と言われても仕方がないだろう。

 そもそも消費税増税を1年半先延ばしにするため、国民に信を問うため総選挙を行うというのは大義になるのであろうか。民主党政権下で自公民3党の間で消費税を10%に2段階で上げるというのは合意されていて、そのうえで2年前に総選挙が行われ、民主党から自民公明党へ政権が移った。消費税増税については景気後退などの場合には政権の判断で実施遅らせることができる、との景気条項がついていた。

 だから今回の1年半先送りについてはいまの政権の判断でできることとなっている。それをいかにも国民に信を問うというような表現のもとに総選挙を実施するというのは他に理由があるからと言わざるを得ない。まずはデフレから脱却し、年率2%の成長をめざすというアベノミクスが予期した成果を生み出さずに崩壊しつつあるのを隠そうというねらいがあるのは間違いない。それと沖縄知事選の敗退の印象を払拭したい、との思いもあるのはもちろん、9月の第2次改造内閣のうち女性活用の名のもとに起用した小渕経産、および松島法務大臣がそろって辞任し、代わりに指名した宮沢経産大臣がSMバーでの飲食費への政務費使用などで野党の追及に遭うなど不祥事続きでつまづいたのをリセットしたい、との思いもあるようだ。

 安倍首相はオーストラリアで記者の質問に答えてか、2年前の総選挙で民主党が消費税増税を掲げて選挙に臨まなかったことを非難しているようだが、それを言うなら衆院の定数削減、および議員報酬のカットを野田代表と約束したのをなんら果たしていないことこそ責められるべきである。民主党に対してそう言うのなら、自民党こそことし4月の5%から8%への消費税増税の際に国民に信を問わなかったではないか。2年前に自民党は消費税増税を旗印にして戦ったとは言えない。安倍首相は自らの言は自らに向けるべきである。しかも衆院の定数削減と議員報酬削減にはなんら手をつけていない、重大な公約違反と言わざるを得ない。

 総選挙には700億円もの費用がかかるという。そんな巨額な費用をいまここで投じるべきか、安倍首相は胸に手をあててじっくりと考えてほしい。加えて、アベノミクスの失敗については野党のみならず自民党内にもそれを指摘する声が出ている、というではないか。

 選挙には思わぬ風が吹く、という。安倍首相がなぜいま総選挙に思いが至ったのか、全くわからない。明日18日にも言明するという児戯に等しい釈明など聞きたくもない。国民はそんな釈明をまともに受け取るほど馬鹿ではない。沖縄県民は安倍首相の考えを見事に見抜き、しっぺ返しをしたではないか。安倍首相はいま総選挙をすれば、野党の足並みがそろわないので、それほど議席を落とさずに引き続き安定政権を維持できる、とでも思ったのだろう。だが、先ごろのNHKの世論調査で安倍内閣の支持率は44%と過去最低の水準となった。なのにわけのわからない総選挙に踏み切って、さらに支持率は低下するのは間違いない。安倍政権は自ら墓穴を掘って、崩壊への足取りが始まった、とみるべきではなかろうか。その意味で今回の総選挙は安倍政権への弔鐘となることだろう。

追記 18日の安倍首相の解散・総選挙へ向けての記者会見は思った通りの自分のご都合を延々と述べるだけのもので、とてもなぜいま解散かとの疑問を解消できるものではなかった。特に記者からの質問に答えて、持論の「民社党は消費財導入をマニフェストに入れて前回の総選挙を戦わなかった」と、まるで消費税増税実施後不況の責任は民社党にある、といわんばかりの主張をしたのはいかがなものか、と思われた。自民党こそ今年4月の消費税増税について国民の信を問わなかったではないのか。責めている民主党の乗っかって増税を果たしたのは公約違反ではなかろうか。聞いていた内閣記者会の諸兄はこの点についてそれ以上突っ込まずに聞くだけに終わったのには重ねてがっかりさせられた。大義なき解散について、安倍首相にもっと迫るべきなのに黙って聞くだけでは内閣記者会の看板が泣くというものだ。

 それと安倍首相は自公で過半を割れば、責任を取るといったが、議席を100近く(実際には98議席)も減らすまで総裁の場に居ることが許されると思っているのはどう考えてもおかしい。日大の岩井奉信教授が言うように「勝敗ラインは自民党の294議席維持」とすべきだろう。自民党が294議席を割ったら責任を取って、安倍首相は自民党総裁の座から退く、というのがもっともふさわしい。こんな時期に大義なき解散に踏み切り、国費のムダ遣いである総選挙を敢行するのだから、それくらいの気概を見せてほしいものだ。 

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大義のない総選挙を断行する自民党をボイコットすべきだ

2014-11-12 | Weblog

 衆院の解散が年内に行われることがほぼ確実となってきた。関係者は公式には「安倍首相の専決事項だから……」と言葉を濁すが、腹のなかは「解散やむなし」といった感じである。当の安倍首相はこれまで解散について問われると「考えたこともない」と一蹴していたが、11日に北京で行われたAPEC首脳会議を終えての記者会見では解散について問われると、「タイミングは何ら決めていない」と少しは検討していることを匂わせた。そこで、言い過ぎたと思ったのか、続いて「私自身、解散に言及したことは一度もない」と強調し、すでに解散を検討していることを伺わせた。

 安倍首相はAPEC首脳会議のあと、ミャンマーなど東南アジア諸国を訪問して、帰国は17日になるという。17日といえば、来年10月からの消費税2%増税を決めるうえで、最大の焦点となっていることし7-9月のGDP成長率が発表になる日で、安倍首相はその結果を見て決断するとされている重要な日である。もちろん、渡航先へデータを送ってもらっていて、帰ってくるまでにすでに結論は出ている、と思われ、単なる外向けのスケジュールに過ぎないのはいうまでもない。ただ、世論の動向や周辺の情勢から見て、安倍首相はここは消費税増税は一時見送った方がいい、との判断に傾きつつあるようである。また、一部に16日に投開票が行われる沖縄知事選に自民党が推薦する仲井真弘多知事の敗色が濃厚で、そのダメージを薄めるため総選挙に踏み切る、との説もある。

 しかし、いま消費税増税を見送ると、野党からアベノミクスが失敗であると攻撃を受けることになるだろうし、国会の風向きは小渕、松島両女性閣僚の辞任以来、押され気味である。そううえ、頼みの景気動向も株価を除いては芳しくない。しかも先日のNHKの世論調査によると、安倍内閣の支持率は初めて44%と発足以来最低となった。仮に消費税増税を見送ることになれば、法律を改正しなければならないので、改めて国民に信を問う意味で、総選挙を行うことも選択肢のひとつとしてもいいのではないか、と判断したのだろう。

 昨日あたりの政治評論家の解説では「いま総選挙をすれば議席をそれほど落とさずに自公で過半数を維持できる。野党が結集して選挙対策を講じてもそれほど議席を伸ばせないだろう」(田崎史郎)とのことだった。まだ安倍首相がそう言ったわけではないが、仮にそんな理由で総選挙を行うこtになるとすれば、こんなに選挙民を馬鹿にした言いぐさがないだろう。総選挙をすれば1000億円近いお金がかかることになり、厳しい財政事情のなかで1000億円もの無駄遣いを公然と行うことなど、選挙民としてとても認められない。

 「いま総選挙を行えば勝てる」から総選挙を行うなんていままで聞いたことがない。政治家である以上、国民に信を問うにはそれなりの大義があるべきである。自公政権はいまだに最高裁から憲法違反と指摘された国会議員の定数削減について応えていないし、歳費についてもなんらカットしていない。国民に消費税増税を押し付けておいて、自らはなんの犠牲も払っていない。こんな議員諸君に1票たりとも投じることは決してしてはならない。

 国民はあげて大義のない総選挙を断行する自民党をボイコットすべきである。

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習近平主席に完全に胸の内を見透かされた安倍首相

2014-11-11 | Weblog

 10日、安部首相は北京の人民大会堂で中国の習近平国家主席と25分間会談した。日本側の熱い希望にこの日から北京で始まったAPEC首脳会議のホスト国である中国側が応えたもので、3年ぶりの開催にしては冒頭からおよそ友好的なものではなかった。日本側は日中両国の首脳が会談したことは今後の日中関係を改善していくのに大いに成果があった、と手放しで高く評価しているが、中国側は今後安倍首相が靖国神社参拝問題はじめ過去の歴史的な問題に対してどう対応していくかにかかっている、と醒めた見方をしていたのが対照的だった。

 会談に先立ってまず安倍首相を人民大会堂のロビーで出迎えた習近平主席は安倍首相の差し出す手を握るものの目は安倍首相の方を全く見ることなく、安倍首相の言っていることにもなんら答えようともせずに何かうさんくさいものでも見るような、というかむしろ見下したような目付きで、およそ友好的な感じが漂ってこなかった。習主席の方が背が高いせいか、上から目線が感じられた。世界第2位の経済大国が世界第3の国をもてなしてやっているのだ、という雰囲気でもあった。

 会談の内容は冒頭のやりとりから予想されたように日本側が原点に戻っての戦略的な互恵関係の構築をと力説しているのに対して、中国側は日中の歴史的関係から見ての話に終始したようで、すれ違いに終わったようだ。中国側にすれば、安倍首相に会ったのはAPECのホスト国としての儀礼的なもので、日中関係を友好的なものにしようなどという気持ちはひとかけらもなかった、と言っていいだろう。

 このことは同じ日にプーチン・ロシア大統領や韓国のパク・クネ大統領らと会談している習近平主席の表情は安倍首相との時とは違って、笑みを浮かべ友好的な表情をしていて、別人かと思えるほどであった。まるで安倍首相とにこやかに握手でもしようものなら、中国の人民が黙っていない、、とでもいうようだった。それほど日中関係に対する中国人民の思いは厳しいものがある、ということの裏返しでもある。

 安倍首相は自らの信念である戦争放棄を明記した憲法を改正するにあたって、かねて中国を仮想敵国であるとして、世論を導いてこよう、としてきたが、そうしたことの象徴として日中首脳会談を極力避けてきた。ところが、左右を問わず国の内外から日中両国がいつまでもいがみ合っていてはよろしくない、との声が出てきて、APEC首脳会議が北京で開催されるにあたって、日中首脳会談を行うことで打開を図ることとなり、重い腰をあげざるを得なくなってしまった。こうした安倍首相の思いを習主席も察知しての冷たい仕打ちと相成ったものと思われる。だから、こんな局面は安倍首相が自ら招いたことと言ってもいいだろう。

 安倍首相の胸のうちには日中関係をかく構築していこう、などというものはないのだろう。いまは握手でもして恰好をつけておけばいい、とでも思っていたことだろう。そんな胸の内など習主席にはすっかり見透されてしまっていたことだろう。

 だから、同じ日に発表されたNHKの世論調査で安倍内閣の支持率は前回より8%も下がって第2次安倍内閣発足以来最低の44%に下がったのだろう。アベノミクスはじめ安倍内閣の成してきた施策のほとんどが効を奏さなくなってきたことが明らかとなったのである。自民党のなかににわかに衆院解散論が出始めたが、そんなことで局面を打開しょう、とする前に行えわなければならないことがあるのにと思うのは鈍想愚感子だけではないことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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塩野先生、日本の国会議員にユーモアのセンスを求めるのは無理な注文です

2014-11-10 | Weblog

 文芸春秋12月号の巻頭コラムに塩野七生が「日本人の意外なユーモアの才能」と題して、主に日本の国会議員のユーモアのなさを皮肉ってとりあげている。塩野氏は、日本の一般大衆はユーモアにたけているのに、国会の予算委員会のやりとりを見ていると全くユーモアのセンスのなさに驚かされる、と言っている。この原稿が書かれたのは10月17日とされているので、小渕、松島両女性閣僚がそろって辞任した以前なので、その後の野党の政治とカネをめぐる攻勢は織り込まれていないようであるが、いつもながら海外からみると、日本のアラがよく見えるようだ。

 塩野氏は欧米諸国と比べて日本の国会議員のやりとりが面白くないのはなぜか全員がクソまじめになってしまうからだ、という。それはフザケているという同僚議員やマスコミからの非難を恐れているからだろう、そしてフザケルナという非難がツイッターやブログで寄せられるのを予防防衛している、とも見る。氏はユーモアや冗談は刺身のツマや煮物についてくる山椒の葉のようになくても構わない存在であるが、あれば化学反応を起こし、活きてくるのものだ、という。お得意の古代ローマ時代の哲学者、キケロはユリウス・カエサルの演説を「どんな深刻な内容であっても、常にユーモアとアイロニーで味付けすることを忘れなかった」と紹介し、日本の政治家はカエサルに学ぶべきだ、と説く。

 確かに塩野氏の言う通りであるが、日本の政治家の素養をいま一度じっくりと考えていただきたい。小泉元首相の郵政民営化総選挙の時にサラリーマンにもなれない青年がんあいを思ったか一年発起して政治家を志し、見事に当選してしまい、本人もびっくりし、テレビさ散々放映され、そうした小泉チルドレンと称する未熟な政治家が100人近くも誕生したことを覚えている人も多いことだろう。ことほど左様に以来、日本の政治家の質はぐっと低下してきているのである。いまの自民党のなかにもそうした議員が少なからず存在するのは否定できないだろう。大体、ユーモアのセンスを持ち合わせ、それを縦横に発揮できるのは本人にそれだけの心の余裕がないと無理なんです。

 議員にそんなユーモアのセンスと心の余裕を求めるのは土台無理なことではなかろうか。ユーモアが生まれてくるのはその場の状況を冷静に見極めたうえで、攻めるべき相手議員、およびその周辺の派閥なりの性格、心理を深く読んで、的確な言葉を選んで発せられなくてはならない。特に相手議員の成り立ちから背景を理解したうえでないと逆効果となりかねないことも生じてくることだろう。いまの議員は今回はたまたま当選したものの、時の流れが変われば次回は果たしてどうなるのか、確信の持てない議員がほとんどだろう。相手のことより、まず自らの存立基盤を固めることしか考えられないののではユーモアセンスを持て、というのがそもそも無理なお願いであるのは言うまでもないことだろう。

 大体、組閣の時の身上調査すらいい加減な状況なのに、相手議員の心のうちを押し図ることなどできるわけがない。交渉術のイロハである「こう言えば、相手はどう考えるだろうか」という初歩の手順さえ踏もうとしないのに、その場の雰囲気を読んだうえでの戦術をこなせ、というのも無理筋というものだろう。塩野先生、日本の国会議員に欧米並みのユーモアのセンスを求めるというのはそもそも無理というものです。

 

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東日本大震災がもたらしたものに深く考えさせられ、東大の研究者に頭が下がる思いがした

2014-11-09 | Weblog

 9日は東京・本郷の東京大学弥生講堂で開かれた「第10回放射能の農畜水産物等への影響についての研究報告会」に参加した。6日の川崎市民アカデミーの講師だった東京大学大学院農学生命研究科の中西友子教授が世話人をしている関係で聴講を呼びかけ、興味深そうだったので急遽参加した。3年半前の東日本大震災以降、東大農学部の生命科学研究科として震災の復興・救援への取り組みとして数々の調査研究を進めてきており、これまで3カ月ごとに報告会を行ってきて、今回は記念すべき10回目ということで、大々的に参加を呼び掛けている、という。福島原発に関してこの種のイベントに参加したことがなかったこともあって、いままでにないためになることを聞かせていただいた貴重な体験となった。

 冒頭、まず東大の理事であり、東大の被災地支援ネットワークの代表者でもある似田貝香門名誉教授が基調報告を兼ねて「科学技術といのち」と題して東日本大震災のような災害に対して科学技術の果たす役割りとは何かについて講演した。同教授は阪神淡路大震災の時に167万人のボランティアが活動したが、こうしたボランティアが個々の被災者に寄りそっていく際に科学技術に携る者としてなしうることについて考えさせられた、ということを枕にして、科学者として持つ専門智を被災者にいかにして伝え、そこで起きた事態にこだわり、研究者として、かつ人間としての応答責任を持つことの重要性を訴えた。

 似田貝教授は科学技術はいのち、自立、共立に役立つものでなければならないとして、具体的には現代人間社会の生態系の危機やあらゆる「知」の形態の危機などに対して持続可能性をもって対応することが重要である、と語った。また、科学技術の役割りは具体的な問題について、知識の共有と相合理解を図り、豊富な全体像が見えてくるような整序の仕方を人々に提示することだ、とし、現実の施策について意思決定をする政治家にはそれに伴う責任が課せられて然るべきだ、とも語った。

 続いて演壇に立った松本三和夫・東大大学院人文社会系研究科教授が「福島原発事故の背景にある”構造災”を考える」と題して、東日本大震災発生以来これまでのわが国の対応についてユニークな見解を示してくれた。松本教授はこうした大災害を起きると得てして、サイエンス・リテラシーを高めようとか、科学技術一辺倒の文明の在り方を転換しよう、との議論が巻き起こるが、必要なのは他人事にしないこととあと知恵を避けることだ、と力説し、今回の事故は構造災であると指摘する。東日本大震災の前に東北地方で273回のサイエンス・カフェなるものが開催されたが、そのうち原子力をテーマにしていたのはわずか1回だけだった、ということをあげ、制度の設計責任を問う仕組みが欠かせないと述べていたのが印象的だった。

 その後、東大農学部の研究者が実際に被災地に入ってイネの放射能や、家畜や畜産物への放射能の影響などについて報告があり、夕刻までおそらく被災地からの受講者と熱心に質疑応答し交流を図った。アカデミズムがこうした調査研究、および報告に力を入れていることを肌に触れて改めて東日本大震災がまたらしたものについて深く考えさせれ、研究者の労に頭が下がる思いがした。その意味で実に有意義な1日であった。

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「ご臨終」2時間強の出演で、わずか12のセリフしかなかった江波杏子の熱演に拍手

2014-11-08 | Weblog

 8日は東京・初台の新国立劇場で、演劇「ご臨終」を観賞した。新国立劇場の今秋の2人芝居第2弾で、カナダの現代劇作家モーリス・パニッチ原作を温水洋一と江波杏子が好演し、終わってみて人生をホロリと感じさせる味わい深い演劇であった。新国立劇場の会報のインタビューで江波杏子が「わずか5、6のセリフしかない」と言っていたので、数えていたが、それよりは多かったものの、確かに少ないセリフを目と演技でカバーしていて、こんな演技もあるのだ、と教えてくれたユニークな演劇でもあった。

 「ご臨終」は瀕死の重病でベッドに横たわる叔母グレースのもとを甥のケンプが訪れるシーンから始まる。ケンプによれば、勤めていた銀行を辞めて、看病に訪れたとはいうが、なにせ40年ぶりに会う叔母はケンプのことをまるで覚えていないのか、とんと反応を示さない。そんな叔母を尻目にケンプは叔母の最後を看取ると決めてかかって、やれ「土葬がいいか、火葬がいいか」とか、「遺産はどうするのか」といった質問を次から次へ浴びせかけてくる。それでも一切答えようとしないグレースに業を煮やしてか、ケンプは自らの生い立ちから、叔母との思いだ話を次から次へと話し出す。

 それでも叔母の世話をせっせとしながら、月日は過ぎていく。最初は死にそうだったグレースは息を吹き返して、いまでは外へ買い物に行こうとすらし始める。そうはさせじとケンプは叔母を再びベッドに押し返して、ひたすら世話を焼く。しかし、いつまでも世話をするわけにはいかない、と気づいたケンプはある日から、地下室にこもって電気ショックとハンマーを組み合わせた装置を造り、ベッドの上に組み立てた。それに気づいたグレースはとっさの機転で、ケンプに害が及ぶように仕向け、見事に逆転に成功し、ケンプが自ら仕掛けた罠にはまり、それを見たグレースはたまたまクリスマスだったことから、初めて「メリークリスマス」と声に出して叫ぶ。

 後場の幕が開き、ケンプは叔母を追い込むのはやめて、今度は自らの首にロープを巻き、自殺を図ろうとするが、グレースは「やめて」と叫び、押し止める。そこへ呼び鈴が鳴り、警察がやって来たことを知らせる。ケンプが出ていくと、向かいに住む老婆がひっそりと亡くなっていたことを告げられ、気がつかなかったか、と尋ねられたが、知らなかったと言って、追い返した、と報告する。その後、ケンプは警察が向かいの家の後片付けをしているの見ながら、ふと自分が尋ねるべきだった家は向かいの家で、死んだのは叔母だったことを悟る。

 ということはいままで叔母だと思っていたのは赤の他人であったことに気づき、グレースに目をやるが、当のグレースは平然としている。「なぜ黙っていたのか」と聞かれたグレースは「お客が来るのは珍しかったから」と答え、それ以上言葉を濁した。堪らず、ケンプは家を出るが、出たものの家の外でじっと考え込んでいて、ほどなくしてグレースの家に戻ってきて、また元のようにグレースの面倒を見ることになる。

 ところが、久しぶりに温かい人情に触れたせいか、グレースはしばらくしてから永遠の眠りに就くこととなる。まさか、こんな形でグレースを見送ることとなるとは思わなかったケンプは悲しみに泣き崩れ、「なぜ人は順番に死んでいくのだろう。一辺に亡くなれば見送ることもなかっただろうに」と語りながらグレースの家を去っていき、空から雪が降ってくるシーンで幕となった。

 江波杏子のセリフは12あったが、2時間強も出ずっぱりにしては極めて少ないセリフの数で、機関銃のようにしゃべりまくった温水洋一とどちらが大変だったのか、ご両人に聞いてみるしかないのだろう。

 

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