鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

原告 被告の言い分が真っ向から対立した損害賠償裁判は棄却の見通しか

2015-10-28 | Weblog

 28日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。午後1時半からの613号法廷での女医さんが夫の不倫相手に対し起こした損害賠償請求裁判を傍聴した。最初から被告席にはそれらしき人もいず、壁側には被告が証言台に立った際には傍聴人から被告を見えなくするためであろう折り畳み式のブラインドがたてかけてあり、原告側の証言中に被告はテレビにも出演したことがあるちょっとした有名人でもあるとの発言が飛び出し、さらに興味をそそる展開となっていた。

 まず証言台に立ったのは原告の夫で国立がんセンターにに務める医師で、秘書であった被告と被告の歓迎会を行った際に自らの家庭環境を打ち明けられた、と証言した。その後、頻繁に被告からプライベートメールが送られてきて、なかには誘うような内容のものがめだつようになってきた、という。で、知り合ってから半年後に食事をした後に肉体関係を結びに至った。その関係は病院内でもオーラルセックスをするようにもなり、その後月に1~2回会って、そうした関係になるようになった、と証言した。そうした関係はいずれも被告から求められて行ったもので、応じないを仕事に支障をきたすようになっていった、ともいう。

 その後、被告は辞めるといっては大騒ぎしたり、架空請求事件を起こしたりして、病院を辞めざるを得なくなったが、辞めたあとも復職を迫ってきて、「復職が叶わないのなら、先生との関係を病院内に広言するし、先生からパワハラを受けたとして訴える」とも言ってきた、という。それを宥めるため、被告との関係を継続してなんとか被告の復職に尽力しているようなふりをしてきた、という。ところが、被告は病院にセクハラとパワハラを受けたと訴えたため、病院側では調査委員会を作って事の真偽の解明に乗り出した、という。当然原告の夫も事情聴取を受け、調査の結果、「そうした事実はなかった」との調査結果が出た、という。

 続いて証言台に立った原告は代理人の尋問に答える形で、夫の不倫を知った経緯を話し、夫に事実を確かめるとともに病院の調査委員会の事情聴取にも応じることで、夫の潔白を証明し、家庭の平和を維持していくことに心血を注いできた、と語った。その過程で、我が家に大きな迷惑をかけた被告の行為が許せなくて、今回の裁判を起こすことにした、とも語った。

 ところが、最後に証言台に被告が立って、「先生と肉体関係を結ぶに至ったのは先生から不倫関係を断るのなら仕事を辞めるしかないと言われたからだ」と原告側の言い分とは180度反対の内容を証言した。最初の関係を結んだ時に先生は「君の身体がきれだから裸の写真を撮った」と言い、「これをご主人にみせたらなんというかね」と半ば脅すようなことを言った、とも言った、という。そして「先生と関係を持ったのは4回だけで、それも担当替えを人事に申請しているのを先生に認めてもらうためにやむを得ず応じたものだった、と打ち明けた。一連の騒動で10キロ体重は減ったし、いまもPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされている、という。

 どちらの証言を信用するか傍聴人として判断に苦しむところであるが、証言を終えて法廷からさっさと退出した原告の夫よりも、傍聴席の旦那にせっせとメモを走らせていた被告の方に軍配が挙がる。裁判長は3人の証言が終わったら、すぐに12月中旬に判決のスケジュールを言い渡したあたり、棄却する可能性が高そうだ。

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安倍首相よ、民間企業のふところに手を入れる前に国会議員の歳費カットをまずやるべきだ

2015-10-27 | Weblog

 安倍首相の「携帯電話の料金が高過ぎる」との発言を受けて、政府は検討委員会を作ってあるべき携帯料金について論議を始めた。マスコミはその発言を受けて、検討委員会の論議の詳細を報道しているが、どうして国が民間企業の決める料金の中身にまで首を突っ込んであれこれ指図するのだろうか、不思議でならない。携帯電話会社は携帯料金について管轄の総務省に認定をしてもらわなければならにのならともかく、いまや民間企業となっている携帯電話会社が携帯電話の料金体系の決定を政府から指図される筋合いはないはずである。

 そもそも資本主義社会では民間企業が市場へ売り出す商品の価格をいかように設定しようが自由なはずで、時の政府があれこれ指図するなど行き過ぎた行為である。商品の価格は市場において受給次第で上げ下げされ、自然にあるべき水準に落ち着くものである。価格が高ければう売れないので、企業は値段を下げざるを得ず、市場で妥当な評価を得る水準にまで下がるはずである。逆に低ければすぐに売り切れてしまい、商品の供給が追い付かなくなり、値上げして調整せざるを得なくなるだろう。そのあたりは競合企業との駆け引きもあり、そうした競争で価格は妥当な水準に落ち着いていく。それば資本主義市場の法則というものだろう。

 そんな経済の基本を知らずに安倍首相が言ったとしたらさらに問題だが、どうやら政治的意図があるとしか思えない。第一次安倍内閣の日本経済立て直し政策の消費者物価2%アップの目標に対し、消費需要が伸びていかないことの理由に携帯電話の料金が高すぎて、他の消費に回らないのではないか、と周りの経済学者が進言でみして、それを安倍首相は我が意を得たりとばかりに丸のみでもしたのだろう、と推察される。でもよく考えてみてほしい。消費が底堅ければたとえ携帯料金に回るお金を上回って全体にお金が回っていくはずである。消費そのものが低調だから携帯料金に食われてしまうのである。

 確かに携帯電話の料金は高いのかもしれないが、そんな資本主義の市場ルールに反して行政介入をするより先に政府、内閣として手をつけるべきことがあるだろう。それはまず自らの足元の国会議員の歳費をカットするとともに国会議員の定数を削減し、さらには国の行政機関の各省庁の経費削減をこそ行うべきだろう。そして国民から召し上げる税金を少なくして国民の消費に回るお金をふやして消費を上向かせるべきだろう。

 市場の自由な競争に任せておけば、利益のありそうな業界なり、分野には企業家精神あふれたベンチャー企業が進出し、活発な競争が行われ、価格競争を活発になり、暴利と思われた利益も収まるべきとこおrに収斂していくことだろう。そうなれば消費者の消費もそこへ向かい、結果として消費全体も上向くことになりかねない。資本主義の精神である企業家精神を失わせるようなことを政治が行うべきではない。 そんなことをするのは資本主義のなんたるかを理解しないヴィジョンのない政治家の行うことだろう。

 だから、政治家たるものはむしろ、行政改革をもっと積極的に進めるべきだろう。GDP600兆円、出生率1.8%などというできもしない目標を掲げる前に足元で行うべきことがもっともっとあるということだ。今回の改造内閣で行政改革担当大臣に河野太郎氏を起用したが、以前には原発の稼働再開に声高に反対していたのに大臣になった途端にすっかりおとなしくなってしまった河野太郎氏に行政改革に力を注いでほしい、と望むのは空しい期待なのかもしれないが。ここは初心に帰って議員の果たす役割りを今一度考えてもらいたいものだ。

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土壇場で意外なオチがついて報われた愛を高らかに歌い上げたミュージカル「パッション」

2015-10-25 | Weblog

 25日は東京・初台の新国立劇場でミュージカル「パッション」を観賞した。開演30分前に中劇場へ向かうと入口入ったところに長い列ができていて驚いた。劇場に入るとなんと一番後ろの席で、会場内はほぼ満員で、中劇場がこんなに満員なのは珍しい。パッションというタイトルが知っている会社と同じなので、見なくちゃと思って観賞することにした当方としては思いがけなく若い女性を中心に大入り満員なのに驚いた。そういえば、8月末に予約したときに受付開始時になかなか電話がつながらなかったのを思い出した。

 幕が開くと舞台中央で主演の陸軍大尉ジョルジオ役の井上芳雄と愛人クララの和音美桜がベッドで戯れているシーンから始まった。イタリア・ミラノでのことだが、ジョルジオはほどなく辺鄙な田舎への転属を命じられ、任地に赴く。着任し、上官リッチ大佐の家で食事を摂っていると突然、2階から大きな叫び声がするのを耳にしたジョルジオは何事かと驚く。仲間に聞くとリッチ大佐の従妹のフォスカで、病に伏せっていて、時々こうした叫び声をはっするのだ、という。仲間はそんな音には慣れっこで、なんら反応を示さない。

 そんなフォスカに関心を持ったジョルジオは同情を示すが、フォスカはジョルジオを一目見て気に入り、すっかりのぼせてしまい、以来なにかにつけてジョルジオに付きまとい、それに対してジョルジオはミラノに愛する人、クララがいることを告げ、距離を置くようにする。しかし、フォスカはジョルジオを一方的に愛し、あれこれ用を作ってはジョルジオに言い寄ってくる。それに対し、ジュルジオは上官の従妹で、病の冒されているので、最終的には突き放すことができない。で、長い休日をもらったので、ミラノへ帰ることにするが、フォスカはその列車にまで乗り込んでくる。ジョルジオは思い余ってフォスカに帰るように説得するが、それでもフォスカはジョルジオに愛を打ち明け、たとえ報われなくて構わない、と告げる。

 すっかり参ってしまったジョルジオはミラノへ帰って、クララに愛を打ち明け、一緒に夜逃げしよう、と持ちかけるが、クララは夫と子どもを捨ててはいけない、とジョルジオをそげなく振ってしまう。二重に打ちのめされたジョルジオは休暇を4日で切り上げて駐屯地へ戻ってくると、リッチ大佐からローマへの転属を告げられる。それを聞いたフォスカは茫然とし、2階へ行ってしまう。その姿を見て、初めてフォスカの真実の愛を知ったジョルジオは夜中にフォスカの寝室に忍びこんで愛を打ち明け、やっとフォスカの愛が報われることとなる。

 ところが、リッチ大佐は数週間前にジョルジオがフォスカに頼まれて無理やり書いた恋文を見つけ、ジョルジオがフォスカを騙していたことを悟り、ジョルジオに決闘を申し込む。で、翌朝、リッチ大佐とジョルジオは決闘を果たし、リッチ大佐は瀕死の重傷を負う。数日後、多少の負傷から回復したジョルジオのもとに決闘の日から3日後にフォスカが病で亡くなった知らせが届いたところで、幕となる。

 真実の愛を貫いたフォスカの情熱を讃えた作品ということなのだろうが、ずっと純愛だと思い込まされていたクララへの愛が不倫で報われない愛だったというオチがついていたのが意外で、土壇場で報われた愛ということになる。それにしてもこれだけの人気を呼んだのは主演の井上芳雄なのか、宝塚出身の和音美桜なのか、いまだにはっきりしない。ただ、わかり易いミュージカルだったことは確かで、これも人気を呼んだ理由なのかもしれない、と思った。

 

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安倍首相よ 安保法案に次いで憲法違反をして”トップセールス”行脚は許せない

2015-10-25 | Weblog

 25日朝のTBSの「サンデーモーニング」を見ていたら、野党の臨時国会開催要求を尻目にさっさとモンゴルはじめ旧ソ連諸国の外遊にでかけた安倍首相は出発前に羽田空港での記者との囲みインタビューで「地球を俯瞰する外交の一環で、トップセールスの時代だ」とのたまっていた。トップに立つ人が自らの行動を自画自賛して「トップセールス」というのもいかがか、と思うが、野党の臨時国会開催の要求に対し、トップセールスのが優先されるという感覚もおかしい。トップセールスをするのは国民より経済界に重きを置いている、ということにならないか。

 しかも安倍首相の行為は国会議員の4分の1以上の要求があれば臨時国会を開かなければならないおいう憲法53条にも反する、安保法案の決議に次ぐ憲法違反の行いでもある。TPP合意に基づく関税の引き下げや、第3次安倍内閣の発足で新しい大臣も誕生してその所信表明も行わなければならないし、沖縄の普天間基地移設問題についても討議を深めなければならないテーマが山積している。なのに与党が臨時国会を開催したがらないのは新たに閣僚となった大臣のなかに政治資金法違反が疑われたり、公職選挙法違反に問われる大臣が続出していて、それを避けたい、という考えがあるからだ、という声もある。

 安倍首相の外遊日程が立て込んでいるというのは単なる逃げでしかなく、先の国会で可決した安保法案の審議のなかでも安倍首相の外遊日程は組み込まれていて、それを避ける形で審議を進めてきた事実がある。それにどうしても外せない外交というのなら、安倍首相自身が外遊に赴くのではなく副総理なり、代わりの大臣が行くという手法もあるだろう。モンゴルを訪問した時のモンゴル首脳との会談で安倍首相は冒頭「モンゴルに2度訪れた首相は初めてだ」と語っていたが、そんなこと相手側にすれば自慢するようなことなのか、と見識を疑われるのではないか、との印象を持った。

 さらに安倍首相が先月に国連を訪問した際に内外記者団と会見し、外人記者から「難民問題についての日本の対応」を聞かれ、「それより女性の活用」というトンチンカンな回答をし、外人記者団の失笑を買ったことがあった。欧州でシリアなどからの難民が大挙押し寄せ、大きな問題となっている火中に難民を受け入れることより女性の活用をというおよそ国際情勢を知らない発言をする日本の政治家がいるのだ、との認識を持たれたのは間違いない。あとで聞くところによると、安倍首相は国内の記者会見でも予め質問内容を事務局に提出させたうえ、模範解答を準備して会見に臨むことにしており、海外でも同様の手法を採っている、という。国連での記者会見ではオープンな形でしか記者会見ができなかったようで、予定されていた質問ではない質問が飛び出てかような不様な失言になった、という。

 安倍首相がトップセールスというのなら、相手国首脳とのやり取りから記者会見に至るまで、オープンな場で自らの頭で考え、自ら決めた発言をしてこそトップセールスといえる。事務方がなにかtらなにまで至れり尽くせりのシナリオを描き、そのルートの上を乗っていくだけのトップセールスなど何物をも生み出すものではないことを心すべきだろう。

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見事な舞台装置で魅せたワーグナーオペラ「ラインの黄金」

2015-10-04 | Weblog

 4日は東京・初台の新国立劇場でリヒャルト・ワーグナーのオペラ「ラインの黄金」を観賞した。楽劇「ニューベルリングの指輪」の序夜と位置づけられているオペラで、日本では3度目の上演になる、という。予約した席はB席ではあるが、舞台に向かって右側の階段状の一番左側の席で、セリフが映し出される壁面の正面で、舞台も上から一望できる絶好の席で、快よく観賞できた。今回はフィンランド国立劇場のプロダクションを演出した故ゲッツ・フリードリヒ氏の演出を生かしたもので、出演者の歌いっぷりもさることながら舞台装置の見事さが際立っていた。

 幕が開くとライン川の川底で娘たちがラインの黄金の周りで戯れている場面から始まる。そこへ通りかかったアルベリヒは愛を呪う言葉を吐いて、黄金を奪い取り消えてしまう。場面変わって神々の長、ヴォーダンは巨人族のファーゾルトとファフナーに居城ヴァルハルを建てさせるが、その報酬として青春の女神フライアをよこせ、と要求してくる。それに代わる策が浮かばないヴォーダンは火の神、ローゲに策を命じる。それでもこれといった策のないローゲはアルベルヒがラインの黄金を盗み去り指輪を作ったことを思い出し、それをヴォーダンに告げ、巨人に差し出すことにする。

 で、ヴォーダンはローゲとアルベリヒのいる地底の国に行き、アルベリヒを見つけ出し、言葉巧みにアルベリヒに魔法をかけさせ、カエルに変身したアルベリヒを難なく捕え、黄金と指輪をせしめてしまう。しかし、アリベリヒは去り際にヴォーダンに指輪の呪いをかけていく。そうとは知らず、ヴォーダンは巨人族の兄弟に黄金を差し出すものの、指輪については頑として差し出すことを応じなかった。が、突如現れた巫女が指輪には呪いがかかっており、早く手放すことをアドバイスする。そのアドバイスに従い、巨人族の兄弟に指輪を渡した瞬間、兄弟は財宝の取り分について争いを始め、弟が兄を殺してしまう。

 ヴァーダンは妻たちとヴァルハル城に入場しようとするが、ライン河から財宝を失った娘たちの嘆きが聞こえてくるところで幕となる。その前に舞台の上では雲が湧きおこったり、突如世界が開けるような壮大な絵巻が展開され、これぞオペラの舞台といった見せ場が次から次へと登場し、生の舞台であることを感動させてくれる。これがゲッツ・フリードリヒの演出といった感じで、最後になって華々しいオペラであることを実感させてくれた。

 それと観客席から舞台前の交響楽団のボックス席が見渡せたが、いかにも狭いところにぎっしりと詰まって窮屈そうに演奏している姿が目に見えて、もう少しゆったりと演奏しないと可哀想な気がした。オペラの魅力は生の歌と音楽が一度に聞けるところにあるのだろうが、もう少し広いスペースをとった方がいいのでは、と思った。

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