鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

京都時代祭を観覧し、これで京都三大祭を制覇したものの外人観光客の多さにうんざり

2014-10-26 | Weblog

 この6日間、久しぶりに京都へ旅行した。一番の目的は22日の時代祭を見ることだった。京都へ観光に来るようになって約15年になるが、最初のうちは金閣寺や龍安寺など有名な神社仏閣を訪れ、複数の日にまたがる場合は京都を拠点に大阪や神戸、奈良、それに遠くは有馬温泉や高野山に足を伸ばして広く関西を訪れていた。が、ある日肝心の京都のお祭りである祇園祭や葵祭、時代祭のいわゆる三大祭りは見たことがなかった。これら三大祭はいずれも日にちが決まっていて、サラリーマン生活時代には休みをとらないと見ることができなかった。それで、引退した6年半前から順次、見てきて、時代祭が最後となった次第である。

 ホテルを通じて京都御所内に設けられた観覧席に陣取って、正午発の行列をじっくりと観覧した。まず明治維新時の維新の志士たちの行列に始まって、江戸時代、戦国武将、源平時代、平安時代と遡って、往時の衣装を纏った一団が順番に通り過ぎていくのを見守った。馬に跨った戦国武将の豊臣秀吉、織田信長の雄姿はそれなりに見ごたえふがあるが、やはり華があるのは皇女和宮に始まり、淀君や、静御前などきらびやかな女性に立居振舞いで、思わずカメラノ4シャッターボタンを押した。

 臨時に設けられた観客席に陣取るのはほとんどがバスツアーの一団で、地元の人はほとんど見かけない。考えてみれば毎年同じような時代行列が繰り広げられるわけで、一度見たらもういい、ということになるのだろう。それに行列のコースは予め決められており、なにも一人2000円強のお金を払って観覧することなく、烏丸通りのいずれかでちらっと見る程度で十分だろう。

 見ていて、行列のなかに加わっていた正装した若い女性にツアー客が大声で声をかけ、それに笑って恥ずかしそうに応えていたのが印象的だった。まさか地元の人がツアーで来ているわけはなく、たまたま知り合いの京都在住の女性が出演していたのだろう。そういえば時代祭に出演するのはみな京都在住の人たちで、恐らく手弁当ではせ参じているこだろう。衣装から馬や太刀など小道具を取り揃えて保存しておくことは並大抵の労力ではないことだろう。鈍想愚感子のように全国から見にくる人たちのためにこうした努力が積み重ねられているわけで、本当にご苦労さんなことである。

 時代祭を見た感想はなるほどと感心させられたが、やはり一度みれば十分というのが正直な感想で、三大祭のなかでは祇園祭が一番見ごたえがあると、思った。京都に観光に来る人は年間5000万人と言われているが、そのうちの数パーセントはこうしたお祭りで吸引されていることを思えば、貴重な観光資源といえるのだろう。今回はたまたま後半は雨にたたられてしまい、関係者のご苦労はより増したことだろうが、偉大なる伝統を今後とも引き継いでいってもらいたい、と思った。

 今回は時代祭に合わせて前後の丸6日間、京都、奈良をたっぷりと観光したが、どこへ行っても修学旅行生と外人がいて、どこか一人で静かに瞑想できる場所はないものか、とつくづく思わせられた。

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演劇「ブレス オブ ライフ」で、永年ファンの若村麻由美の熱演を真近に見られて幸せだった

2014-10-13 | Weblog

 12日は東京・初台の新国立劇場で演劇「ブレス オブ ライフーー生命の息吹」を観賞した。英人作家のデイヴィッド・ヘアの作品で、ひとりの男に捨てられた妻と愛人が夫をめぐってお互いの存念をぶつけ合う2人だけの芝居で、若村麻由美と久世星佳が熱演した。最前列の席だったので、思い切り美人女優を眺めることができたが、内容がきわどいセリフの連続で、息がつまるような思いもした。終演後、たまたま演出家の蓬萊竜太氏と芸術監督の宮田慶子女史を交えて4人のシアタートークを今度は最後部の席で聴き、初めての女2人芝居に取り組む関係者の意気込みを聞き、二重に楽しむことができた。

 「ブレス オブ ライフ」は英国南部の小さな島、ワイト島に住むマデリンのもとを愛人の妻だったがいまは別れて流行作家となっているフランシスが訪れる場面から始まる。戸口で応対するマデリンは予め電話で萊訪を告げられていたとはいえ、唐突な訪問に戸惑い、どうしたらいいのかと訝りながら、ひとまず中へ入ることを進めてしまう。以前にあるパーティで顔を合わせただけで、ほぼ初対面の2人が手探りながら、相手の反応を確かめながら、なぜ訪問に至ったのかという話から対話を始めていく。

 マデリンはフランシスのことをずっと前から知っていたが、フランシスがマデリンの存在を知ったのは夫のマーティンと結婚してだいぶ過ぎてからのことで、話はそのことから始まる。次いでなぜ訪問することになったのかになり、書いてみたくなった、と打ち明ける。それで、お互いがマーティのことをどう思っているかから始まっていまの心境にと話は延々と続いていき、遂には夜も更けてフランシスはマデリンの家に泊まっていくことになる。初めて訪れた家に意気投合したわけでもないのに一人の女性が見知らぬ女性、しかも夫の愛人だった女性の家に泊まっていくことなんてことはありえない、と思いながら、思わず見入ってしまった。

 翌朝になり、お互い気まずい気分になることもなく、再びマーティンの思いで話に花を咲かせることとなる。初めて聞くような話に思わず引き込まれ、「その時、どう思ったの」とか、「「それでなんと言い返したの」とかで話は尽きることなく続いていく。終演後の「シアタートーク」で、演出の蓬莱竜太氏が「女性だからこういうことが起きるが、男性の場合、お互いが愛した女性の話で夜を徹して語り明かすことなんてない」と語っていたが、本当にそうだと思った。だからこんなテーマで女性の2人芝居が成り立つのだ、と納得した。

 見ながらどういう結末にするのかな、と思っていたら、終盤にほぼ話尽きて、帰ろうとしてマデリンの部屋のあと片づけをsいていたフランシスが机の上にある写真立てを見つけ、そこに若い時のマーティンとマデリンが写っているのを発見し、驚き、フランシスに確認する。フランシスはその時の経緯を詳しく語って聞かせると、フランシスは納得したkのように「もうここことを書くのはやめにした」と言い切る。この訪問の目的は終わったと思わせるかのようにマデリンの家を立ち去り、フランシスが送っていくところで、芝居はあっけなく終わる。このあと2人はどうなるのか、ということが気になった。

 舞台の両面には高い天井までぎっしりと本棚に詰まった本があったのと床に立てかけてあった動かない古びた時計が置いてあったのが気になった。多くの蔵書でメデリンの学究肌が想像できたが、大きな時計が何を意味するのか、わからなかった。「シアタートーク」で質問してみたい、とも思っていたが、その機会がなかったのが残念なことだった。それにしても永年ファンだった若村麻由美をこんなに真近に見られて幸福なひと時であった。

 

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気象庁の職員は御嶽山の山小屋の管理人の爪のアカでも煎じて飲むべし

2014-10-10 | Weblog

 御嶽山噴火から2週間が経ち、いまだに8人の安否が不明のままとなっていて、最終的な火山噴火対策の再点検は手がついてない。そんななか9日夕のフジテレビのワイドショーで御嶽山の山小屋の管理人が逃げ込んできた登山者をすべて受け入れ、面倒を見ながら勇気づけ励まして、噴火から約1時間後の噴火の収まった頃合いを見て下山することを決意し、全員を無事に麓まで送り届けたことを再現ドラマ風に報じていた。噴火当時約300人強の登山者が頂上近くにいたと思われるが4、そのうち50人もの命を救ったのはいまから考えると素晴らしい快挙である、と思った。

 フジテレビのドラマでは管理人は初めて経験する噴火の生々しい惨状のなかで、自らも不安のなることはあったものの、登山者の怯える姿を目の前にして、強気の風を装い、登山者を介抱し、萎える気持ちにハッパをかけながら、「大丈夫、大丈夫」と言い続けた。水を求める人にはミネラルウォーターを与え、全員にヘルメットを手渡し、まずは真っ暗のなかで屋根や壁に降り注いでくる噴石の音にもめげないように耐え忍ぶこととした。噴火がいつまで続くのか読めないなかで、噴石が屋上の貯水を直撃し、電気がつかなくなってしまった。これまでテレビで度々流されてきた登山者が撮影した動画によると、真っ暗な山小屋のなかで噴石が激しい音を立てて屋根や壁にぶつかる音を耳にして「キャー」と悲鳴をあげる姿が映されていて、まさに地獄を思わせるような状態だったろう、と思われた。

 管理人の凄いところは2回目の噴火が収まった頃合いを見計らって、下山することを決意したことだった。登山者のなかには再び噴火が起きる恐怖で、下山を渋る人もいて、説得に時間がかかったことが容易に想像できた。管理人は50歳くらいで、山小屋の経験はせいぜい数十年で、その間噴火に直面したのは数えるほどしかなく、それも今回のような大規模な噴火は初めてで、下山して再び噴火に遭遇することもありうることだ、と思ったことだろう。ただ、このまま山小屋に留まっていても見通しがあるわけではない。いずれ水も食料も尽きてしまい、救助がいつ来るのかさえわからない。となれば、噴火の収まったいましかチャンスはない、と決断したことだろう。

 で、全員下山することとなり、山道をよく知っている管理人の案内のもと比較的安全なルートを辿って、無事に全員下山することができた。管理人の案内がなければ、途中で道に迷ってしまったことが想像された。9日現在55人が死亡し、いあmだに行方不明者が8人いることを考えると、この管理人の決断によって50人もの命が救われたということは素晴らしいことだったことがわかる。

 当初、御嶽山噴火が報道された際にこの山小屋の管理人が無事に下山してきて、「これからどうすればいいのか」と職を失って途方に暮れていた姿が映されていた。脱出した際にはそこまで考える暇がなく、必死に生死の堺をくぐる抜けてきたのだろう。 ネットで見てみると、御嶽山にいくつかある山小屋のなかで、この管理人以外にも登山者の救出にあたった管理人がいたようで、同じ日本人として誇りに思いたい。

 それにつけても今回の惨劇をもたらしたのは御嶽山の地震活動が噴火の1カ月前から観測されていたにもかかわらず何の警告、対策もとらなかった気象庁の火山課の職員の責任は大きい。せめてこうした献身的な行為を成し遂げた人々によって救われたが、気象庁の職員は山小屋の管理人の爪のアカでも煎じて飲んだらいい、と思った次第。

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4時間20分もの長丁場のオペラ「パルジファル」の最大の魅力は斬新な舞台装置だった

2014-10-06 | Weblog

 5日は台風が首都圏に接近するなかをおして、東京・初台の新国立劇場へワーグナーのオペラ「パルジファル」を観賞に行った。ワーグナー最後の神聖祝祭劇となにやら難しそうなタイトルのついたオペラで、新国立劇場としては初めての上演とあって、悪天候にもかかわらず満員の入りだった。いつもこうした観賞にはぶっつけ本番で臨むことにしているので、来てみて上演時間4時間20分もの超大作と知った次第で、覚悟を決めて観賞しなくては気合いを入れた。ところが、持ってこようと思っていたオペラグラスを忘れてきてしまったので、3階席からは舞台の両脇に表示される歌の日本語訳がさっぱりわからず、もっぱら雰囲気だけを楽しむ観賞となってしまった。

 以前にもオペラを歌と演技だけを見て楽しもうとしたことがあったが、結局は歌の日本語訳を読みながら舞台の動きを追って観賞することに戻ってしまった。増して、ワーグナーのオペラは恋をめぐって男女が逢瀬を繰り広げるイタリアオペラと違って、宗教や哲学を織り込んだ硬いドイツオペラなので、歌唱の意味そのものがわからないことにはストーリーの展開を理解できず、まことに味気ない仕儀となってしまった。

 それでもパンフレットと解説を読むことで、大まかなあらすじだけは頭に入れて、舞台を見ることに集中したところ、いわゆる宗教をテーマにしたオペラである感じはわかってきた。スペイン北部にティトゥレル王が神から授かった聖杯と聖槍を守護するため、聖杯城を築き、そこでのお祈りをめぐって、ティトゥレルの息子のアムフォルタス、老騎士のグルネルマンツ、神聖な白鳥を撃ち落とした若者のパルジファル、異教徒の妖術使いのクリンゾル、それにキリストを嗤った永遠のユダヤ人のクンドリーが聖杯騎士団や花の乙女らを伴って壮大な叙事詩を繰り広げる。主役のなかでは唯一の女性であるクンドリーを演じるソプラノ歌手が最初からくすんだ色の衣装をまとい、ほとんど美声を披露することなく終わってしまうのがいかにもドイツオペラらしいものの、見ている方としては物足らなかった。

 全編を通じて、舞台装置は稲妻を思わせるとがってらせん状の通路が左から中央にせり出していて、それが細切れに上下左右に動き、しかも場面によって下から模様も色も変化していくのが新鮮な感じがした。しかもその上に大きなナイフのような形の帯状の回転する装置がせり出してきて、その上に正体を失った王が伏せていて、何事かと思わせて物語を展開していく手法は斬新さをうかがわせた。さらには半透明な舞台全面にわたる幕を組み合わせて、効果的な場面を作り上げていたのも見事な演出であった。

 

 

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