2回目の第九も終わってしまった。目標は半分ほどの達成だったかな。やはり第九は興奮して、舞い上がるね。
第一興奮 目の前にお客さんがいて、こっちを見てる。
第二興奮 マエストロが汗してオケ、合唱団をのせようとする。
第三興奮 オケが抑揚つけて美しいメロディーを奏でる。
第四興奮 ベートーベンの精神性が伝わってくる。
第五興奮 隣のおじさんが興奮で頑張りだす。
最終興奮 1~5に負けてられるか で自分が興奮する。
冷静な気分で歌ってほしいなんて作曲者は考えてなかった。「友よ、舞い上がって歌え」が第九の主題では?
公演前のGP(本番同等の最終練習)風景。ここに客がいて、オケは黒づくめで、整然としてる。それが本番時。ご想像を。
第一楽章から登壇し椅子に座って出番を待つスタイルの公演になった。前回の座間は第2楽章の後でソリストと一緒に登壇だったが。
新ホールが小さい故に2,3楽章の間の短時間では100人の入場が不可能 というのが理由じゃないだろうか。おかげでこっちは退屈な、でも緊張感を漂わせながら小一時間じっといしてなきゃいけない。歌う前の大いなる苦痛でした。それに3楽章は「子守歌」みたいに美しい旋律。第九地獄でした。
11時に集合してちょっと声出しをやってからGPに臨ぞんだのだが、この時突然「楽譜はこっちの手でこう持って入場」なんて言い出した。「えっ聞いてないよ」「楽譜は持っても持たなくてもいい」と言ってたじゃないの。僕は自分の楽譜(自分のは座間で仕込まれた時の注意書きいっぱいのもの。今回のはそれともちがってた)さえ持って行かなかった。持ってこなかった人が僕をいれて3人いた。正規の楽譜の表紙だけカラーコピーして、当日のプログラムに貼り付けて持ち込んだ。歌ってる時も「こうもって開いてください」というからプログラムをひらいてた。ぼくの隣の紳士も同じだった。彼はこれから年内にまだ3回歌うらしく、「他では楽譜無しが当たり前ですよ」と言ってた。僕もそう思う。
GPが終わって、ホール前に出てみると今日の客が長蛇の列。ラッキーなことにチケットを買ってくれた知人には1人を除いて皆さんにあえた。励まされながらも、「楽しんでください」とだけ挨拶をしておいた。普段着で「このおっさんだれだい?」という印象与えておいて、舞台を見た時「えっ、あの人さっきの彼?」というこの不連続、段差を演出するのって面白いなと思ってるんです。
そうこうして本番がスタートしたのですが、やはり3楽章までの小一時間は長かったね。やることはベートーベンを聞き込みに行くか、観客観察するかなんです。前者をマジでやってると眠くなる。ついつい後者で暇潰し。真ん中前列から7,8番目の最高席にお座りのご婦人お2人 3楽章ではもう抵抗できなかったのでしょうね。天井見て、口開けて寝てました。これを発見した時は思わず吹き出しそうに。我慢しましたよ。観てたかみさんが「笑ってたでしょう」と僕を観察してた。理由を話すと「合唱団でも寝てる人いたわよ」だって。えっそんな不謹慎なやつがいたの。まずいね。品が下がるじゃないか。
歌い終わって何回かのカーテンコールもやって、お客さんも席を立ちだした。とたんに客席から舞台に向かって、おそらく合唱団員の関係者でしょう、手を振るのですよ。何人もがです。この時は「さすがに田舎の第九」だなと思いました。
田舎であってもこれだけのオケを構成でき、これだけの合唱を作れたという実績と企画できる人がいて、力があるということは証明できた。オケが60人位いたかな。実際今回の主催団体の団員は10名ほどだそうです。要は助っ人の寄せ集めオケだったのですが、ここまではできたことが大きいと思います。合唱団も初めて見る方が数名いらっしゃいました。いいんです、これを続けていって、少しづつ人を増やし、力をつけて行けばいいのですから。やらなきゃ始まらないんです。
疑問も簡単に。 「この近辺、第九をやる団体が多いのですが、今の小さい単位でやっていくのがいいのか、もう少し大きい単位で(合併してということだが)やった方がいいのか」 ここはいろんな議論があるのだろう。
終了後簡単な打上げがあった。ソリストさん、オケの人、合唱団の人 いろいろ話ができた。ここで今回の公演の実態がいろいろ解ったのだが、それゆえにだろうおもしろい話が聞けた。オケのロシア人女性 茅ヶ崎在住、日本は永い。日本語問題なし。ロシアでは第九をほとんどやらない。自分も初めて第九を弾いた。ステキ。自分は第2楽章が気に入ったと感想。今回ロシア人が5人いました。別のオケ助っ人 大学4年生 教授から話をもらった。「行け」でもなく「手伝ってやってくれ」でもない。「こんな演奏場所があるがどうだ」と話しがくるんだそうです。自分たちも学校だけの授業じゃ足りないのが解ってる。だからこういう場を武者修行と思って参加するんだそうです。そこで知り合う人達からたくさん学べるんだそうです。卒業しても演奏で食べていくなんて絶対無理。演奏の指導者(家庭教師みたいな小さいやつ)で食い扶持を得ながら、今回のような武者修行の場を見つけて勉強していく。そんな道を考えてるとのこと。楽器演奏も声楽もたいへんな世界ですね。
帰りの電車でバリトンソロの大槻さんと一緒になった。話してるうちに家が近いらしいということになって驚き。夜道を2人で歩いて、僕の家はこの道の右側奥から2つめだよ。あっ 木の門がある家ですか? うんあそこ。じゃ君の家を確認しておこうとさらに一緒に。彼の家の前まで言って、えっここかよ。やたら近いじゃん。中学はここから? そうです。じゃ鶴中? そうです。 今何歳? 30です。 そうか、うちの子供達も鶴中なんだが、いっしょじゃないんだ。うちの3人が先輩だな。 こんな所帯じみた話まで進んだ2人でした。ほんとに近い。直線距離で150mないですよ。いや~奇遇でした。
今朝朝飯食ってるところに前のマンションのおばさんがやってきて(今日は資源回収日で資源を出しにきたついで)「昨日は良かったわよ。感激しちゃったわ。涙出ちゃってさ」だって。 そんなに感動していただいたんならチケットを売りつけた僕としては嬉しいかぎり。近所にまだ数人のおば様たちにも売ったんだが、どんな感想も持ってくれたのやら。今朝一番にこの感激ならいい話がかえってくるのかな。
これはこれで続けていく努力を関係者にお願いしたい。「来い」と言えば「また参加しますよ」。新春8日に正式の合唱団打上げ会が予定されてる。その場で3/10の公演内容がしらされるとのこと。
ぼくとしては座間でも大和でもいいんです。おもしろそうなプログラムに参加して、新しい歌を覚えたいのです。早く決めないともう歌予定がなくなってるのです。
第一興奮 目の前にお客さんがいて、こっちを見てる。
第二興奮 マエストロが汗してオケ、合唱団をのせようとする。
第三興奮 オケが抑揚つけて美しいメロディーを奏でる。
第四興奮 ベートーベンの精神性が伝わってくる。
第五興奮 隣のおじさんが興奮で頑張りだす。
最終興奮 1~5に負けてられるか で自分が興奮する。
冷静な気分で歌ってほしいなんて作曲者は考えてなかった。「友よ、舞い上がって歌え」が第九の主題では?
公演前のGP(本番同等の最終練習)風景。ここに客がいて、オケは黒づくめで、整然としてる。それが本番時。ご想像を。
第一楽章から登壇し椅子に座って出番を待つスタイルの公演になった。前回の座間は第2楽章の後でソリストと一緒に登壇だったが。
新ホールが小さい故に2,3楽章の間の短時間では100人の入場が不可能 というのが理由じゃないだろうか。おかげでこっちは退屈な、でも緊張感を漂わせながら小一時間じっといしてなきゃいけない。歌う前の大いなる苦痛でした。それに3楽章は「子守歌」みたいに美しい旋律。第九地獄でした。
11時に集合してちょっと声出しをやってからGPに臨ぞんだのだが、この時突然「楽譜はこっちの手でこう持って入場」なんて言い出した。「えっ聞いてないよ」「楽譜は持っても持たなくてもいい」と言ってたじゃないの。僕は自分の楽譜(自分のは座間で仕込まれた時の注意書きいっぱいのもの。今回のはそれともちがってた)さえ持って行かなかった。持ってこなかった人が僕をいれて3人いた。正規の楽譜の表紙だけカラーコピーして、当日のプログラムに貼り付けて持ち込んだ。歌ってる時も「こうもって開いてください」というからプログラムをひらいてた。ぼくの隣の紳士も同じだった。彼はこれから年内にまだ3回歌うらしく、「他では楽譜無しが当たり前ですよ」と言ってた。僕もそう思う。
GPが終わって、ホール前に出てみると今日の客が長蛇の列。ラッキーなことにチケットを買ってくれた知人には1人を除いて皆さんにあえた。励まされながらも、「楽しんでください」とだけ挨拶をしておいた。普段着で「このおっさんだれだい?」という印象与えておいて、舞台を見た時「えっ、あの人さっきの彼?」というこの不連続、段差を演出するのって面白いなと思ってるんです。
そうこうして本番がスタートしたのですが、やはり3楽章までの小一時間は長かったね。やることはベートーベンを聞き込みに行くか、観客観察するかなんです。前者をマジでやってると眠くなる。ついつい後者で暇潰し。真ん中前列から7,8番目の最高席にお座りのご婦人お2人 3楽章ではもう抵抗できなかったのでしょうね。天井見て、口開けて寝てました。これを発見した時は思わず吹き出しそうに。我慢しましたよ。観てたかみさんが「笑ってたでしょう」と僕を観察してた。理由を話すと「合唱団でも寝てる人いたわよ」だって。えっそんな不謹慎なやつがいたの。まずいね。品が下がるじゃないか。
歌い終わって何回かのカーテンコールもやって、お客さんも席を立ちだした。とたんに客席から舞台に向かって、おそらく合唱団員の関係者でしょう、手を振るのですよ。何人もがです。この時は「さすがに田舎の第九」だなと思いました。
田舎であってもこれだけのオケを構成でき、これだけの合唱を作れたという実績と企画できる人がいて、力があるということは証明できた。オケが60人位いたかな。実際今回の主催団体の団員は10名ほどだそうです。要は助っ人の寄せ集めオケだったのですが、ここまではできたことが大きいと思います。合唱団も初めて見る方が数名いらっしゃいました。いいんです、これを続けていって、少しづつ人を増やし、力をつけて行けばいいのですから。やらなきゃ始まらないんです。
疑問も簡単に。 「この近辺、第九をやる団体が多いのですが、今の小さい単位でやっていくのがいいのか、もう少し大きい単位で(合併してということだが)やった方がいいのか」 ここはいろんな議論があるのだろう。
終了後簡単な打上げがあった。ソリストさん、オケの人、合唱団の人 いろいろ話ができた。ここで今回の公演の実態がいろいろ解ったのだが、それゆえにだろうおもしろい話が聞けた。オケのロシア人女性 茅ヶ崎在住、日本は永い。日本語問題なし。ロシアでは第九をほとんどやらない。自分も初めて第九を弾いた。ステキ。自分は第2楽章が気に入ったと感想。今回ロシア人が5人いました。別のオケ助っ人 大学4年生 教授から話をもらった。「行け」でもなく「手伝ってやってくれ」でもない。「こんな演奏場所があるがどうだ」と話しがくるんだそうです。自分たちも学校だけの授業じゃ足りないのが解ってる。だからこういう場を武者修行と思って参加するんだそうです。そこで知り合う人達からたくさん学べるんだそうです。卒業しても演奏で食べていくなんて絶対無理。演奏の指導者(家庭教師みたいな小さいやつ)で食い扶持を得ながら、今回のような武者修行の場を見つけて勉強していく。そんな道を考えてるとのこと。楽器演奏も声楽もたいへんな世界ですね。
帰りの電車でバリトンソロの大槻さんと一緒になった。話してるうちに家が近いらしいということになって驚き。夜道を2人で歩いて、僕の家はこの道の右側奥から2つめだよ。あっ 木の門がある家ですか? うんあそこ。じゃ君の家を確認しておこうとさらに一緒に。彼の家の前まで言って、えっここかよ。やたら近いじゃん。中学はここから? そうです。じゃ鶴中? そうです。 今何歳? 30です。 そうか、うちの子供達も鶴中なんだが、いっしょじゃないんだ。うちの3人が先輩だな。 こんな所帯じみた話まで進んだ2人でした。ほんとに近い。直線距離で150mないですよ。いや~奇遇でした。
今朝朝飯食ってるところに前のマンションのおばさんがやってきて(今日は資源回収日で資源を出しにきたついで)「昨日は良かったわよ。感激しちゃったわ。涙出ちゃってさ」だって。 そんなに感動していただいたんならチケットを売りつけた僕としては嬉しいかぎり。近所にまだ数人のおば様たちにも売ったんだが、どんな感想も持ってくれたのやら。今朝一番にこの感激ならいい話がかえってくるのかな。
これはこれで続けていく努力を関係者にお願いしたい。「来い」と言えば「また参加しますよ」。新春8日に正式の合唱団打上げ会が予定されてる。その場で3/10の公演内容がしらされるとのこと。
ぼくとしては座間でも大和でもいいんです。おもしろそうなプログラムに参加して、新しい歌を覚えたいのです。早く決めないともう歌予定がなくなってるのです。
最初からのって聞いていれば、これはわかります。歌が始まれば壮大な音楽ですが。この歌が始まる前に、一斉に立つ、さあやるぞがいいですね。
最初から座らせて参加させるのは正解です。途中でぞろぞろ入場させるのは興ざめです。それに、歌だけ歌っていれば良いというものではないのです。
私は前から6列目中左側の通路から入った2人目だから、10番か11番かな。終了後も舞台前の最前列に出て手を振ったのに、こんな美女に気がつかないとはね。そうか、老眼鏡を掛けてないからしゃあないか。
ロシア美人ですか、マエストロの右手方向かな。左手方向にも一人いましたね。
これから暮れにN響の第9もありますが、退屈することなく聞いてください。ソファーで横になって聞いていると寝るかも知れませんが睡眠学習法で頭に入ると思います。ききながら寝ることも贅沢な味わい方ですね。
バリトンソロさんとは、今後の財産ですね。同じ声の歌い手として話しが合いますよ。
御近所のおばちゃんも大切に。ファンを増やしましょう。ババ連のネットワーク恐るべし。
次回のコンサートもがんばれっし。
席に座った瞬間、そんなに早かったかなではありますが、それくらい早く貴女は確認。「あれっ、遅くなってどうにか第4楽章から」なん言ってたじゃないか。そんな思いと、驚き。
逆にほかのチケット売りつけおばさん達は1人も見つけられずでしたよ。開演前に会った人と、第1楽章前に見付けてしまった人と合わせて「全員」を見定めたってことでしょうか。
わざわざステージ前まで来たのも知ってます。本文に書いてますよう、「田舎の第九」にはしたくなかったので。
これこそ、連帯と共生です。
商業第9は音楽的にはパーフェクトで、それなりの感動もありましょうが、人間的な暖かさを感じるかの所では、田舎の第9の方が、遙かに凌駕するものがあります。ですから、私としては田舎の第9の方が好きですね。
逃した第一部と休憩時間があったため、第一楽章から聞けたこと、一階は満席状態で、こりゃあかんと思いきや、紫のコートを座席においている女性が、もう友人が来ないからと、その席を空けてくれた事が幸運でした。私の友人たちは会場前の外から並んで13列だったから、いかに席取りが大変だったかと想像が付きます。
終了後のホワイエで、バリトンソロの彼が、知人たちの祝福に囲まれて挨拶をしていましたね。私の友人たちがスタバ前で待っているので、かき分けて通りましたが、彼氏は上背があるので、OPAではタイトルロールの役がもらえそうです。50代になったら、ホヴォロストフスキーみたいになっているかも知れません。
私の第9の合唱指導の先生は、ベルリン大学を主席で卒業するも背が低いため、OPAでは役がもらえないと見切りを付けて合唱指導者になりまして、バイロイトやびわ湖ホール、新国立と活躍しています。先日のボエームでのカーテンコールで久しぶりにお目にかかりましたが、ずいぶんじいさんになったなと、自分のことを棚に上げて、昔の私の田舎の第9(そのときはこの言葉を知りませんでしたが)に思いを馳せました。
愛すべし、田舎の第9。
ともあれ、確認してくれてありがとう。
そうだね、僕の想いにもちょっと矛盾があるかも。
みんなが努力して、力出し合って「大和第九」を継続してもらいたいと言いながら、出演者としてそこだけ「高尚な雰囲気」を求めてはいかんな。「へたなの解ってるけど、行ってあげよう」というお客さんの集まりなんだもんな。継続するのに大事な力に「聴衆の力」も有りでしょう だな。
8日の打上げで「今年も年末に歌います。今年は暗譜ですよ」の宣言があることを期待しましょう。
座間の時は、目立つ女性を無意識に探してしまっていて、睡魔がどうしても来てしまう。おじいさんは観客失格でした。
結婚前のおっととさんの舞台や、友人の舞台を観る場数を踏んで、暗譜が常識の仲間に入れたわけですが、大和第9は団体として生まれたばかりで、暗譜にするには敷居が高かったのでしょうね。
オーディエンスも一緒に成長してくると思いますが。
それにしても面白かったのは、マエストロもソリストの何回かのカーテンコールが終わったのに、合唱団だけおいてかれたというか、退場指示が遅れたのか、いつまでも整列していたから、田舎の第9現象が起きたのですね。まあ、よかよか。私も携帯カメラで写真撮れば良かったのでしょうが、今までも第9ではそんなシーンがなかったので、とっさに気がつかなかったし、貴方の反応もなく、あるいは迷惑をしているかもとか、私らしくなく怯んじゃいましたね。写真を撮ってランチ会でみんなに見せて上げるのも、余興でしたが、おしいことでした。でも、記念の舞台写真はあるのかな。
いつか、お孫さんたちとホールを訪れるとき、ジイジはここで開館の時に歌ったんだよ、と自慢できるではないですか。冥土の土産は多い方がいい人生です。まだ早いけれど。こりゃ、ごめんやっしゃ。
むかし、騒いでる人に、「出て行っていただかないと演奏ができません」ときっぱり言ったコバケンこと、小林研一郎マエストロ。かっこよかったなあ。
出て行け、と言われない限り、観客失格なんてないんですよ。
僕の単純な性格を褒めてくれてるようですね。民間の厳しい会社環境の中でいつの頃からか「頑張らない。過度に引き受けない。〇〇ぶらない。」が楽だし、永い目で見たら会社のためになることを知っていったような。ありのままでいるのが一番楽ですよ。ただそうやって生きてようとこの歳になってますます思うね。
明日二次会で会いましょう。どうか無事家出できますように。
そうなんだよ、第九を公演する土地の文化そのものがあの会場を満たしてるんだな。それ以上でもそれ以下でもない。「田舎第九」もそれなりにその地に根差した文化。
淋しく思う事ではない。「来年はもう一歩前へ」とみんなで想うことが貴重なんだろうね。
でも暗譜の件では。 120%マエストロを見て歌うのは一歩前進の大きな手段だと思うな。「楽譜無いと・・・」と思ってる団員さんもほんとは20%も見てないはず。精神安定剤みたいなもののはず。半年前から「暗譜です」と宣言してしまえば、それはそれでついてきますよ。120%マエストロ見てたら「興奮度」が倍になることを保証するね。違った第九が見えてくると思うけど。座間だってしろうと、しかも初めてっていう人は大和より多かったはず。でも先生は最初に「暗譜です」と宣言したからね。僕はあれでよかったと今思ってる。