リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

不愉快にめげず次回作へ(その3)

2023-06-03 14:16:55 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。ストレス性腸炎もやっと消えて穏やかな日々に戻る今日この頃、
 昨日はすごい雨でしたねえ、といって分かる方も多そうなこの日本、外働きの方はご苦労さま。私は自転車外勤を3年しましたが、さいわい「本降り」はあっても「土砂降り」にはあわず、それだけでもラッキーだったな。
 家にいると、蝶々やシジュウカラや、が、軒下で休めばいいのにと思うのですが、葉っぱの下に隠れてんでしょうね。我慢の人生。カラスのハンガー製の巣でもひたすら耐えるばかりでしょう、カラスも子は悪くないのに。
 人間は亡くなられた方がいらっしゃるのであまりいえませんが。
 
 さて、日常に戻りまして、ニュース。 
 今日は朝日新聞に大きく、”運転手不足はこんなきつい仕事を低賃金でやってられないからだ”、と書いてありました。
 マスコミが言う「人手不足」なんて、実態は全部そういうもんです。きつい、安い、捨てられる。反省しろよ朝日新聞。取り上げたのはいいが。
 で、運輸資本家が言うには、2024年にこき使うのが規制されるので、それまでに稼げるだけ稼いでから会社をたたんじまう、とのこと。なにをかいわんや。 
 
 つぎ。
「「医師の業務を看護師も」範囲拡大へ 規制改革推進会議の答申案判明」(朝日新聞デジタル)
 おおこれはよい。とにかく医者が偉そうすぎて、奴隷制度。看護婦は自立して仕事しなきゃ。じっさいは看護婦でひとくくりは無理だけどね。そんなことを言えば、医者だってひとくくりは絶対無理だろう。無理を承知で働いてるか。

 つぎ。
「食料安保強化へ、輸入作物の増産拡大を推進…政府対策案の全容判明」(読売新聞)
 これがほんとわけのわからぬ。たとえば牛乳はどうするつもりだ? つい4,5日前、いつまでも補助金は出せないとか口走ってたじゃないか。
 ほんとに右手と左手でやることが違う。どうせ全部官僚の机上の作文で、政治家の方針なんてゼロなのだろう。
 
 というわけでお待たせしました、次回作品予定の3  書名発表 
 
 「反国家の政治経済学」 
      ー体制内視点の学的論理を突破するために

 ”「資本論」といいマルクス(主義)経済学といい、人々が反体制の拠点と崇めてきたものは、結局、自分たちの体制内での賞賛確保の努力でしかない。われわれはこうした意図せざるボルシェビキたちの経済理論の根底的な誤謬を乗り越え、アナーキズム政治経済学の大綱を、ここに著す。”

 2025年、堂々公開予定!

 って、予定が遠い? 
 ま、半分くらいはできてるんですが、なんといっても今回作の評判が悪くて。不愉快で早々にホームページの宣伝を変えたので、ブログの方も同期させようと。
 そりゃね、今回作は製本も適当でお茶を濁そうかと悩むくらい世間様に受けるなんて思ってなかったけどね、目論見通りだから面白いか、といえばそんなこたあねえ。 
 わからん奴らの相手をしてる時間はわたしには残されていない。次進むぞ、ってなわけで。

 ちなみに(その2)は、「一閃して「政治」経済学批判」(2023-02-18 )です。
 と、これを見てみると、4カ月経ったのになにも進んでいないじゃないか、と。題が変わっただけ。
 まあまあ。
 あと2年だから。
 
 話としてはですね、まず資本論、冒頭。
「資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は一つの『厖大な商品集成』として現象し、個々の商品はかかる富の原基形態として現象する。だから、吾々の研究は商品の分析をもって始まる」長谷部文雄訳。
 アウトぉ。
 だめだめ。一発目でだめ。だから純粋商品社会さ。どこにもない架空社会。そこに誰が住んでいるというのかね? 俺りゃぁ住んでねえ。勝手に何でも書くがいい。そんなものは私の社会とは何の関係もない。
 理屈だろ? 
 そうさ、誰もが頭をかすめながら見ないようにしてきた理屈。
 しかし商品の動きはわかる?
 そうさ、誰もが真理だ、とか、資本家さえ認める理論、とかいって、さもそれが科学でございといって喜んできた評論だ。
 馬鹿言ってんじゃねえよ。真理も科学もその視座によるのだ。これは言ったね。そんな資本家の「科学」がプロレタリアートの科学になるはずもない。そんな「マルクス主義」の基本が「マルクス主義者」がなぜわからないのだろう?
 (ここ。悪口3文、下品だから削除。われながら偉いねえ。しかし、今に見ていろ。)
 
 こんだけ言やあ、少しは目が覚めるか?
 もちろん覚めやしない。それは彼らにとっては、自分の生活であり生活の糧であり誇りだからね。行為論的に、覚めるはずもない。必死に目を背けるしかない。
 かくして、本論はボルシェビキのそれではなくアナーキストの科学と言わざるを得ないのだ。
 
 まあ、さ、150年間誰もできもしなかった営為は、提出しないで分かるはずもないからね。 
 で、そこでだ、(の3)と(その2)との違いは構成の「国家」の章の位置づけ。
 その2では国家は人民の身近から順番に流してきた場合の位置で、それが一番わかるだろうかと思ったのですが、国家を初めからもっと人民の身近に書いておかないとヘーゲルの上向の道をたどれない。わたしゃヘーゲリアンだからね。
 というわけで、さて、国家。擬制であることはもっと近いところでバラして、再度「国家」の「節」を通って、3度目の「国家」へ繋げないといけないようです。
 
 以上、ご報告でした。

 雨はやみましたがベランダの花はぼろぼろ。沖縄のハイビスカスは、スコールと台風の中、なぜ咲いていられるのだろう?
 

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