リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

滝沢克己への好意的修正(その2)

2018-12-15 10:52:12 | その他
 こんにちは。東京地方も突然寒くなってしまいました。体感気温は真冬。でも朝の最低気温は真冬にはさらにあと数度下がります。通勤の方はごくろうさまです。
 
 さてニュースは、「カローラが3ナンバーに」。何言ってんだ、って、それこそ戦後50年、ずうっと残っているチープな高級車、軽自動車を除いて下から2番目に安いレベルでそこそこな質を提供する、という日本自動車会の誇りであるあのカローラが、ブルジョワの3ナンバーに! 3ナンバーって「でかい」って意味だけだけど。わたし的には自分の文章内で、セルシオと比較して貧乏人の車の比喩で使ってたので、もう昔の本は意味不明になるし。賢明な若人は自動車など買わないから爺仕様になるんだろうね。高齢者はみなさんお金持ちで結構なことさね、オレはまだ50歳だ? はい、じゅうぶん高齢者。戦後は遠くなりにけり。この流行言葉さえ遠いね。
 
 ニュース話題は、社会的影響では辺野古埋め立てなんだろうけど(辺野古、MS-IMEで変換されるほど影響があるんだ。IMEの基体はアホなくせに)、わたしゃ左翼なんで言っても意味ないので。けど、県単位で反対しているのに強行とは地方自治の否定だね。それでいいのかね民主主義信奉者の諸君は。
  
 次はちっこいけどおったまげの社会情報。東京に西東京市、という市があって、ま、田舎の合併村だけど、そこの「図書館の駐輪場を有料化するという前代未聞の計画」「共産党市議団が、市議会では唯一、値上げ・有料化計画に反対」(赤旗)
 駐車場じゃないぜ、バス代も出ない人間が使う駐輪場。びっくりぎょうてん、どんな脳天パーの市だろうか。この市にはグーグル地図上、駅前スーパーのある駅なんか1駅(半)しかないから貧乏なんだろうけど、市長の月給99万円、ボーナス500万円だぜ。たこ。まあそんな住民しかいないんだろうけど。共産党議員も定数の15%じゃね。
 (と、共産党もこんなとこで応援されてるとはご存知あるまい)
 なお、図書館法上、図書館は無料で開放しなければなりません。ま、法の趣旨だけどね。法を作った戦後も遠くなろうとしている。
 
 次。漫画の代わりに借りた田川建三「キリスト教思想への招待」。相変わらず合理的な論で心良い。
 しかし驚いたことにあの狂犬のような人がすっかり丸くなって、ああもう68歳(執筆時)だったんだね。これなら昨今の喧嘩を知らない若人でも読めそう、教養のためお薦めです。若人が『批判的主体の形成』(1971)なんて読んだら驚いてひっくり返っちゃうからね。
 もっとも田川が「古代資本主義」を資本主義だ、と言い張る箇所はいただけない。言い張るだけならまだしも定義の問題ともいえるが、「それは違う」という経済学者を本書で根拠もなく馬鹿にしているのはブーメランだぜ。これじゃ江戸時代後期も資本主義だ、って話だ。本人はそれでよかろうが、何の意味もない。本件は山のように批判展開してもいいのですが、本日は先週の続きがあるのでパス。山になるし。来週でもやろうか。田川の良い点は日常行為の合理性追求であって、社会科学に関わる点ではないのでご注意。

 さて、役に立つ情報がないね。前回の続き、オタク系だけど、別に難しくないので行ってみましょうか。
 
 本題は【原点における「歴史」の認知】 
(その2)ったって(その1)の題と違う、というわけだけど、何しろ題に字数制限があるもので。
 
 前回は、「神が我とともにある」と心に決めると必ずいわゆる「良心」が発生すると言って、その意義について話したところ。宗教教義は全部デマだけど、「神が我とともにある」と思うかどうかだけはただの決断、というわけで。で、そこにもうひとつ発生するものがあります。「個人における歴史観念」です。これによって、人生に豊かな意味が生ずる。「私が死んでも彼がいる」「彼女が死んでも私がいる」。死んだ彼らの生は引き継がれ、私の生も引き継がれる、という認知関係の成立です。
 
 人は、誰でも死というものの存在にたじろぎながら、その事実を受け入れざるを得ない、かと思われます。さてそこで、その人が神がいると思えば、この死の認知はそのままでは終わりません。人間は、基本、納得してないし。かくて、宗教はその将来に、「神の審判」だの「極楽と地獄」、要するに「あの世」を組み込んで成立します。要は、死をなんとか合理的にする、というわけです。
 いわゆる宗教でなくとも、神は心に共にある、と思った場合、死の認知は、宗教と同じく、「既にその概念の中に将来を組み入れた」事実認知とならざるをえません。これが個人の内部に生ずる歴史観念です。
 自分は歴史の中で生きている、という自覚。
 ”友よ 君の涙 君の汗が 友よ むくわれる その日が来る”(牧師・岡林信康)。(わたしゃ自称左翼もクリスチャンも信じていない)
 それこそが被支配人民と同じく生きているというイデオローグ、すなわち俗流唯物史観の果たした歴史的役割なのです。
 
 (ちょっと余談) ところがやりすぎたんだね。世界では人民を率いる前衛が一番偉い、と、めいっぱい学的組織で権力をふるってしまうもんだから、「ちょっと待てよ、本当に生きて歴史を作ってきたのは被支配人民だぜ」とアンチテーゼが起きる。網野史観だね。まあアンチテーゼの出現理由はいくらでもあるが社会的にはそれがどう社会の本流となるか、というわけで。あちこち起源のこれが、俗流唯物史観と権力が組み合わさった諸国(アメリカはもとから埒外(らちがい))では全世界的に勃発するわけで、しかも起きただけではすまない、国家の武力減少と資本主義の緊張の激化で、すっかり学術組織の主流を取られてしまう。網野はマルクス主義に立ったアンチテーゼだったのだけれど、アンチテーゼにジンテーゼができるヒマもない。ジンテーゼは極東国日本の一在野の一社会学徒が『「上部構造」の社会学』で確立はしたが、この時代、上部構造である学会の流行は、学者の賞賛しか求めることはなくなった。テーゼのないアンチテーゼに意味はない。かくて、歴史学は無意味の巣となった。ま、ドキュメンタリ-テレビ番組は意味などなくても面白いからね。しかし、じゃあドキュメンタリを見て終わる一生に意味があるか、といえば、神は「意味などない」とのたまうわけだ。見るだけで、自分の行為に関わらないからね。というわけで、もう歴史学も人材不足でおしまいさ。年寄りがこたつで読んでくれるかどうかが最後の糧秣(りょうまつ=食料とマグサ)のゆくえ。歴史学者は自分の仕事の人間的意義をちょっとは考えたらどうかと思いますが、ここまでは余談。
 
 元に戻って、俗流唯物史観にも、人々に人生の意味を提示するという大きな役割があったんだ、ということですが、そうしたことを考えさせるきっかけは、神(であれ仏であれ)が自分と共にあれば、必然的に生ずる、というわけです。(その1)と同じ。それは宗教教義の如何を問わない。キリスト教であれ仏教であれ同じ。ただ、神(あるいは仏)がいることにするか、いないことにするか、この2択の個人内の決断の結果です。 
 
 役に立たない? でもさ、若人は、こういう感覚はわかんないでしょ? 私は若いときわかんなかったなあ。何しろ居並ぶ左翼理論家が、みんな「歴史」「歴史」ってわめくのさ。実存主義者さえ「人間は歴史内存在だ」とか言うのさ。ほんと意図不明。だけど、みんな年寄りか、クリスチャンか、マルキストだったんだね。そう思うと不思議さが解けませんか?

(P.S. ただ、滝沢克己はこんなことは思っていない。彼は「明日が来るなんて幻想だ」派。ね、前回も言いましたが他人にお勧めにくい人間。要は彼は本質的に西田幾多郎の正統の弟子なのですよ。正義を聞くのも無駄、キリスト教を聞くのも無駄。西田と同じ存在論的無の哲学なのだから。瞬間と永遠の哲学。「正統な弟子」と「正統の弟子」の違いってわかりますか? 「正統な弟子」は権威に裏付けられた外見。「正統の弟子」とは、「知らないだろうが彼こそ、他にはいない本当の弟子」の意。)


コメント

滝沢克己への好意的修正

2018-12-08 11:34:53 | その他
 こんにちは。日々気温が乱高下する東京地方ですが、トータルとしては暖かいもよう。
 最近、暮れに忙しい職業を知りました。税理士と古本屋。税理士はそんなものでしょうが、古本屋さんも大掃除で本を大量に片付けるから出張だらけなんだそうで。風情のある話ですが、古本屋も少なくなってね、目黒区なんか10軒足らず。それでもいいほう。150万人都市川崎市に至っては全店舗数8件。ブックオフは別だけどね。ここに引っ越す前に行ってた古本屋も今年ウェルパーク・ドラッグストアになってしまった。
 
 さて、本日のニュース。
 「水道法改正法案成立」。えーー! 常に事前コメントを心がけているのに、どこに隠れてやがった。しかも審議なしで可決だと。アベ、やりたい放題だな。
「事業の運営権を民間企業に売却する「コンセッション方式」を導入」(産経)だとさ。
だから、どうやって利潤出すんだって。人減らしと水処理の手抜きしかないだろうが。そんな水飲めるか。俺らミネラルウォーターなんか買う金ないぞ。とまで書いたら、水道料金、値段を上げるそうな。あ、さいですか。
 しかし公明党はどういうつもりなんだ。そんな経営に片足突っ込んだ人間なら誰だって知ってることもお経読んでると分からないのか。
 片足突っ込んだ、っちゅうのは私ね。でも「片足」っていうのは、アタマのことだよ。アタマは突っ込まないと組織と話が合わなくて排除されるからね。その結論を実行するかどうかが残りの片足さ。私は残りの片足を踏み出したことはないぜ。
 そんなの左翼なら当然? いやいやいや。若人にはもう一回リフレインしておかないといけないね。「いやいやいや」。
 というわけで本日の若人に役に立つブログ。就職しても経営に突っ込むのはアタマだけ、を心がけましょう。
 そんな標語なんの役に立つんだ、って、そりゃ良心というもののありようの知識だね。良心のない人間は、ただの資本家だよ。もちろんそれがいい人はこのブログには決して来てはないからね。ここに来るぐらいの人はだいじょぶ、これからも良心は失わないはずのところ、両足は突っ込まないように、という老爺心。その一方、隈は片足だけは突っ込むことを期待するよ。年寄ると悪い社会でも子供がなんとかうまく生きてって欲しい気になるから。

 というわけで、あとのニュースは、ついで。
 「低所得者を対象に保険料を最大9割軽減している特例措置を、来年10月にも廃止する方向で検討に入った。年金収入が年168万円以下の高齢者約740万人が対象になる。法令で定める軽減幅は7割だが、現在は税金を使ってさらに安くしている。」(共同)
 試算しましょう。9割減額は基礎年金収入のみの家庭だから、老夫婦2人で160万円で生活している農家は、1人8000円、2人で年額16000円の保険料増で、消費税が8%から(10%ではなく)11%に上がったのと同じことになります。賛成の方は御覚悟を。公明党も助けてくれません、
 と、このくらいには事前報告をするのがいつもなんだけどなあ。
 なお、記事の見出しが「医療費軽減廃止」とありますがこれは「保険料」のこと。医療費ではありません。

 次、「防衛省は、陸海空3自衛隊を一元的に指揮する「統合作戦室」(仮称)を設置する方針を固めた」(産経)。まあ上ばっか見てる口先野郎では戦争ができないと気づいたんでしょうね。現場と密着した人間が偉くない組織はつぶれる。国会(議員)が良い例だ。
 
 さて、今日の本題。滝沢克己のインマヌエル。宗教の話なので、興味のない方は、また来週。もう気温は平年並みで落ち着く(=寒いまま)のようです。お風邪など召しませぬよう。
 
 で、昔、滝沢克己という哲学的(・クリスチャン的)宗教者がいまして、良心的な上に、行為主体の主体性をよく理解している人なので、敬意を持って遇するわけですが、(なので「好意的修正」は「行為」の誤変換ではありません)、借りた本の後ろの出版社PRに田川建三批判本があるというので面白そうなので借りてみました。題:「聖書のイエスと現代の人間-田川建三「イエスという男」の触発による-」。中身:う~~む、なんだかねえ、という感じ。これだから滝沢は普通の人には勧められない。
 話は変わるようですが、滝沢克己をウィキペディアで引くと、大変優れたまとめが書いてあります。彼は神と人間は下記のような3つの関係にあると考えた、そうです。 
 ・不可分 神がこの世界でまぎれもなく働いている。
 ・不可同 人間と神は同等ではありえず、神の前では人間は無に等しい。
 ・不可逆 神は絶対的主権を持っており、神から人間への啓示はあっても人間が自分の意志で神へと至ることはできない。
 えらい、よくそう断言できました。私がウィキペディアを褒めるのはこの10年で2回目でしょうか、このまとめはとてもよい、といっても本当かどうかは知りませんが。なにしろ彼の著書は、読んでいくとすぐに聖書に紛れ込んで、どうみたってクリシチャン主義。 
 ところで上記まとめの3点は別に宗教ではありません。「神がいるとしたら」の論理的あるいは合理的結論です。まあ、神がいるなんて主張だから宗教でもいいや。で、彼氏、なんでも「唯一普遍の宗教」を唱えたそうな。ところが、「それで終わればいいのに」、結局キリスト教にいってしまうんだよね。だから、そっから先はわれわれ一人ひとりには関係がない。
 ところで、問題は「それで終わ」ってよいか、という点で。
 
 「論理的結論であるのなら、それは論理じゃね? 論理など人間の生に意味があるはずもない、=行為論的意義があるはずないしょ。それで終わったら意味ゼロ」という、いかにももっともに聞こえる疑問があるでしょ?
 ところがそれは違うんだなあ。神がいる、と言った瞬間に、同時に行為の正しさという概念が生ずる。まあ良心だね。崇高なものからの賞賛、強いものへの畏怖、なんだっていいのですが、次の将来の行為には「正しさ」が関わらざるをえない、ということになる。かくて、人は各人の各人にとっての正しさの下で、それに従うかどうかは別として、自分の生を生きることになる。
 めでたしめでたし。
 キリスト教であれ仏教であれ、そんなものは誰かが勝手に作ったものだ。うそだと思ったらカトリックの教義の変遷といったら舌が千枚あっても足りない。同じくプロテスタントのセクトの多さといったら新左翼なんか逃げ出すほど。どれか一つが正しいということはその他の全部は神の名を騙って(かたって)人民を惑わす、神をも恐れぬバチ当たり共だ。もちろん実はその全部が神の名を騙っているのだが。それ以外に論理があるのか?
 さて、それではならない。人が神の名を騙らずに神とともにあるためには、宗教教義ではなく自己の命ずるままに行為をしなければならないのだ。自己には、神が出現した瞬間に、原点が発生する。
 ほら、そこでとどまれば、滝沢の正しさのままに「唯一普遍の宗教」が発生している。
 
 というわけでさ、滝沢が田川建三とやりあうだとかは、ただの趣味の論評合戦。「あの雲は羊の群れに見える」「バカだね、あの雲はイワシの群れだよ」。それだけの話。もちろんヒトは他人とバカ話をするのが楽しいからね。
 再度、めでたしめでたし。
 
コメント

人によって役に立つかも。

2018-09-22 14:18:49 | その他
 こんにちは。秋ですねえ。夜には虫がキョロロロロと鳴いています。エンマコオロギでしょう。ネットで鳴き声を聞くと可愛いですが、相当うるさい。そういえば、夏の初めに「6月からこんなに蝉が出たらお盆までには生まれすぎてもういなくなるのでは」という懸念を呈しましたが、そこそこ持ちましたね。でもうちの方では朝夕のうるささは平年より減ってました。朝夕はカナカナ(ヒグラシ)くらい。それももう終わりですが。
 
 さて、相も変わらぬ不愉快なニュース群。樹木希林氏が「楽しいことなんかない。けど、面白がれ」と言い残されたそうですが、人間ができてらっしゃるんでしょう、なんも面白くねえ。
 それより前回は完璧に役に立たなかったので、ちょっと意識して2題。

 一つ目。「国内第2位の健康保険組合、解散を決定 51万人が加入
 派遣社員や家族約51万人が加入する「人材派遣健康保険組合」が21日、組合会を開き解散を決めた。加入者数は国内第2位の健保組合。企業と従業員が折半する保険料率が9・7%まで上昇し、負担を軽減するため。」(朝日新聞デジタル)
 だってさ。そこでお知らせ。解散はいいけど、その後は、それぞれの会社で政府管掌健保というところに入ら(せ)ないといけないんだよ。各会社の派遣社員の皆様、そこのところをよく把握してくださいませ。とぼけて「社員の皆さん、みんな国保に入りなさい、保険料は会社でもってやるよ」なんていうやつらがいるからね。国保じゃあ医者にかかる費用は同じでも、厚生年金加入が消えちゃうんだよ。厚生年金と国民年金は、貰える年金額が倍以上違うからね。お気をつけください。次に入る(べき)なのは会社ごと政府管掌健保(=政管健保)。それぞれの会社が引き継ぐんだよ。そうでないと法律違反だよ。とりわけ家族持ちはよく把握するように。
 というわけで、一般常識。
 健康保険組合(=組合健保)でも政管健保でも、どちらかにはいっていれば、年取って厚生年金が出ます。なんで年金が関係するの? と聞かれれば、国でそうゆう取り扱いなの。
 で、「わかった、でもどうせ何らかの制度のお金を払うんでしょ?」 といわれればそうじゃない。
 派遣社員くらいの給料なら、年金は自分の分を払うくらい取られれば、国民年金で妻の分がタダになるくらいしか払わないで済む。日本語難しいね。あとでまとめるね。ついで、健康保険料も、国民健康保険で妻や子供の分がタダになるくらいしか払わないで済む。
 言い換えましょう。片働き夫婦と子供2人の家族で、会社が政府管掌健保に違法に入らなければ、本人は、本人以外の費用として、奥さんの年金料に20万円と、奥さんと子供2人の国保代、年に10数万円(地方自治体で違う)、計、年に30数万円は余分に払わないといけない。
 おおごとでしょ。失礼ですが致命的な額では?
 なぜそんな違うって、組合健保・政管健保加入なら年金料は半分は会社が払ううえに妻はタダだから。子供の保険料もタダ。さらに、健康保険は、会社の健康保険は構成員が若い奴しかいないので、病気の支出が少ない=保険料額も少ないから。
 かたや、国民年金は半分は国費だけど、残りは全員が払うから。さらに国民健康保険は、半分以上国費は出るけど、何しろ構成員が年寄りばっかで医療費が出る一方=保険料が高いから。
  
 「分かったよ、でも会社が入ることだろ、俺関係ねえや」って。そうじゃないんだな、これが。会社は持ち出しが出るんで政府管掌保険には入りたがらないの。上の記事でも、だからやめた、って書いてあるでしょ。(「企業と従業員が折半する保険料率が9・7%まで上昇し、負担を軽減するため。」)。入らなきゃ。その分、名目上、給料も上げられるし。なので会社は隙があれば、「後は社員お前らで勝手にしろ」って話になるの。そうでないのがほんとだよ。でもあなたのとこ、そんな立派な会社じゃないでしょ。それ違法だからね。そんな場合は労基署に言いつけたほうがいいよ。ほんとうは健保協会・厚労省とかの仕事だけどね、奴らもグル、、、失礼しました、「必ず味方になるわけじゃない」のでご注意。なら実態に即してるでしょ? 「うん」といわれちゃおしまいだが(この辺ただの悪意です)。(労基署は管轄が違いはします、が信用できる。)
 こんな話初耳? 10年前ここで書いた気はするけどね。しかしそんな生き死にに関わることは高校で教えろよ、バカ教師共が。(実は教えている、全国でごくごく何人かの社会科の教師様だけには失礼いたしました。)
 
 長かったですね。学生その他の正社員(予定)等の方には関係ないかもしれませんが、世の中思うとおりにはいきません。
 もひとつ、一般向けに役に立つ話。
 魚焼きグリルの窓の焦げ付きが余りにもひどく、お掃除。あなたなら何を使う? 洗剤? 落ちやしません。ネット情報だと効果があるのは、1温水で重曹。2塗料はがしを塗る。というもの。もっともめんどそうなので私は試してはいませんが。
 じゃあどうする?
 ここでお役立ち用品。ステンレスのペーパーナイフ。洗剤で汚れを緩ました後、これで削る。「それは金属ヘラってこと?」いいえ違います。ポイントはカーブ。刃がついてないのに封筒の紙を破るため、ナイフにはカーブがあるはず。そのカーブを焦げ付きに当てて、その接点に力を集中させる、というわけです。私は昔のプラス・ステンレスペーパーナイフS型だけど、今のプラス製品はギザ刃付とか書いてあるんで傷が付いてダメかも。つるつるの刃のないペーパーナイフでやってください。ちなみにこれは他の什器も焦げ全般に適用可能。洗剤で浮かして、焦げを削る。当然少しづつ削るわけで、ぞんざいな人はダメです。ぞんざいな人は重曹系漬け置き1時間をお選びください、できるかどうか知りませんが。あと神経質な人もダメかも。「削ったら微妙に傷が、、、」とか言わないように。私は神経質でもぞんざいでもないめんどくさがりやです。
コメント

豚塊肉の茹で時間について

2018-07-10 20:55:12 | その他
 お前、発狂したか、といわれそうですね。
 でも答え知ってます? 知らないでしょう。
 知らないのが何だといわれればそれまでですが。
 
 とりあえず次回も「埋め草」では、しょうもない野郎だということになるかと思い今日は火曜日ではありますが、隈のお料理教室。
 ちなみに今週定例土曜の予定は、、、ほら忘れた、すぐ書かないと忘れるんですねん。「歴史学方法論選択の必然性」。
 
 ま、ともかく。
 そこらのレシピブログでは、豚塊肉を茹でる時間が何時間とか、それぞれ勝手なことを言いたい放題。そんなに自分の意見を言いたいかねえ、って、てめえのことか。
 ともかく、誰かほんとのこと書けよ。
 ってことで書きます。
 
 1 角煮または豚バラ大根:豚バラを1時間半煮て、さらにどこかで1時間以上の放置状態。(それ以上)
 
 ま、こんなの普通ですね。圧力鍋のある高級アマチュアは当ブログの対象ではありません。
 普通とはいえ「3時間煮れ」ってのもザラですな。やるな、っていうんじゃなくて、初心者はどれだけすべきか、ということです。
 
 2 チャーシュー:肩ロース・ロース・モモ肉で、1時間煮て1時間以上の放置。
   これ以上いりません。これが豚肉タンパク質組織が崩壊する時間です。
   どう違うかというと、角煮では脂身をゼラチン質に変え、しかも箸でホロホロ崩れる、という場面が起きないといけません。1時間半ではホロホロはムリですが、年寄りでも歯茎で食べられるくらいにはなります。
   対して、チャーシューではホロホロ崩れたら食えません。そこで1時間です。もちろん歯茎では食えませんが、虫歯がいくらあっても食えるのが、火で1時間、さらに放置1時間です。
   ここに豚バラが入っていないのは、脂肪の加工には時間が足りないからです。脂っぽい。その意味では肩ロースも不満ですが、脂量が少ないのでそういうもんだと思うこともできます。っていうか、脂がいやなら、ロースかモモ肉にすべきです。
   
 これ以上は当ブログの関知するところではありません。
 が必要にして十分の知識と心得ます。

 ところでおまけですが倹約家のあなた。チャーシュー煮る時にしょうゆその他は不要ですぜ。初めに表面を焼いておけば、その焦げた自然香料で、あとは煮終わってしょうゆと砂糖をいれたビニール袋で半日漬ければオーケー。ここでみりんだとかいうのは間違い。薄まってうまかあない。(煮るときは、焼いた鍋で。一緒に煮るくず野菜もあったほうがよい) あと、肉以外原料ないので、「当日限り3割引」は臭いですぜ。
 さらにできればしょうゆは高いものを。1リットル200円のやつは、中身、塩ですぜ。普段使いにはしょうがないにしても。1リットル400円、お勧め。ちょっと使うだけだし。
 
 以上、ふらっと寄られたあなた、またどこかで会いますでしょうかしら。

コメント

「コピペ:枝豆の茹で方」なる「食べ方」

2018-07-07 20:34:18 | その他
 なんだこの題。なにいってんだよお、ってすいません、今日もこの間の継続処理で忙しくて。
 なかなか世間というのも忙しいものです。20世紀イギリス階級構成者の知識を勉強しても世間では一歩も進めません。
 こんな折は埋め草で。

 というわけで、枝豆の茹で方は、コピペで、日本全国、
 塩は「ゆでる水に対して4%の塩加減」、1Lで40g、500ccで20g、20gとは粗塩で小さじ4杯、、、 と決まっております。

 が、コピペ種族の知らないことには、枝豆をどうやって食べるかの規定がない。
 それは、フライパンがテフロン加工か否かで「レシピ」情報がウソに変わるのと同じ。

 40歳越えた方々はここには来ない予定ですが、若い方も父ちゃん母ちゃんが同居してましたら考えてくださいませ。一般に枝豆ごときにそんな塩分はムダ。あるいは、怖い。そんなに塩分を摂って体に良いわけがない。
 「一般」以外とは、莢(さや)に口をつけずに、豆だけぷちぷち口に放り込む人。ま、どっちが一般かは知りませんが
 しかし、それじゃあ塩豆じゃないか? 
 そもそも塩豆がよいならまず莢から外して茹でて、箸でつまんででも食べたらよいではないか。すぐ煮え、塩も最低限使ってお好みの塩辛さが実現する。
 さて、それが日本の枝豆か?
 枝豆は鞘があっての食べ物であろう。といって、子供のぷちぷち遊びではなく、鞘の塩加減と豆の甘みの対比を楽しむもののはず。

 もちろんどうでもいいのですよ。誰が日本人だって、自分が日本人ならそれが日本人。上記はただのレトリック。自分には自信を持ちましょう。
 ではありますが、ここで「一般」のレシピを開陳。

 枝豆は莢の端を切ったり(中に茹で水を入れようと)しない。そもそも塩豆を食べようとは思わないのが良い。
 まず、塩小さじ半分で皮に揉みこむ。これはおまじない。いちおうそれでいいこともあるかもしれないので。
 次、そのまま茹でる。茹で時間はコピペだと4、5分だが、どうかねえ、いまどきの人には固いであろう。5、6分にしときたい。。
 5分半茹で、ガスを止め、30秒後湯を捨てよう。100度の湯は流しの(合成樹脂の)排水管に悪いとのことなので、流しのステンレスで冷やしながら捨てよう(私はまな板の上にザルを置いてゆっくりと流す)。
 さて、枝豆をザルに空けてから、そこに小さじ8分目ほどの塩を振りいれて、熱いので菜箸でよくかき混ぜる。これで15分後には塩味の不満がないはずである。
 まめに塩味がつかない? 当然である。塩味は皮から身を(歯で)出すときに必要なだけ感ずる。豆自体は甘いはずである。甘いから良い、と考えよう、それが日本料理の滋味というものである。
 結局、本日使った塩2.5+4=6.5g。そのほとんどは、皮と一緒に捨てられるのが正しい。

 お年寄りにはお勧めです。
 
 以上、隈のお料理教室。
 いつものことですが、ここはお料理ブログではありません。それではまたいつかご縁があれば。
コメント

(お知らせ)

2018-06-02 23:19:51 | その他
 こんばんは。今週は身内の事情により、アップを休ませていただきます。あしからずご了承ください。
コメント

武谷三段階論(その2)

2018-03-24 16:35:12 | その他
 こんにちは。いよいよ1年に一回のお花見の季節。たしか去年は、東京地方、土日休み派にはあいにくだったような。今年は明日が絶好の模様ですね。今日は寒いわ、まだ赤茶色のつぼみだわ、ですが。
 
 さて、本日のニュースは何にしましょう。
 先週までの番外ですが、パラリンピックが「いつのまにか」終わってしまったのが残念。何もニュースに乗せなかった(も同然の)NHKは視聴料を取る資格があるだろうか。と、書こうとしたんだけど、みんな納得済みではしょうがないんでやめたことをくやしいんで書いておきたいです。
 
 さて、今週。憲法改正は、「自民党の憲法改正推進本部は、、、戦力不保持を定める2項を維持して「自衛隊」を明記する方向で取りまとめる方針を決めた。新たに9条の2を設け、「(2項は)必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織」と位置づけて自衛隊を保持する案が軸となる。」(朝日デジタル)だそうで。 
 おやおや。わたし的には、「国防軍」化→経済の軍事化→日本経済崩壊→経済組織内2分裂→統制経済の流れを見る予定だったですが、「自衛隊」だってさ。資本主義者、余裕じゃん。それではもう一回憲法改正しないといけない。右翼的にはこのまんまじゃ半歩の進展しかならない。これでは国外戦争ができないし、といって次の改定では憲法改定の大義名分が消えてノンポリが賛成しなくなる。いいのかねえ。国家権力のお世話にならなくともまだだいじょぶだ、ということなんだろうね。まあ実際そうだけど。
 そうか、まだ余裕かあ、、、

 次。趣味の将棋で藤井聡太という人がいまして、ってすでに「例の藤井君」くらいでいいか。去年は連勝とか言っても腕はせいぜい中の上と思ったので記事にしませんでしたが、あれよあれよ、と1年で、もしかして今はベスト3の棋士がみんな負けても不思議はない、くらいまで来てしまいました。ほんと、ドラゴンボール状態。これは将棋にもコツがあるんだろうなあ、と思いました。
 たとえば、試合としての剣道は、第1に竹刀の早さ。これはコツも何もない。若さと練習。これで5段。第2に相手の構え(動き)と対応のセットの瞬間の肉体的把握。これで7段。第3に、気合。これは真剣ではない試合剣道では8段でも持てない人がいる。と、喝破したところですが、この伝でいけば、将棋は第1に、読み。これはできて4段。第2に、相手の形への瞬間的対応。これはできて7段、というところですが、頭脳労働ですからね、さらになんかがありそうです。1年で読みが早くなったわけではないだろうし、1年で全ての局面に対応力がセットされたわけもあるまいし。
 井山という囲碁の日本の7冠王も、若いくせに、中国の囲碁者にころっと負ける。やはり、何かがあるんですね。なんなのか知りたいものです。もっとも、年取ったら把握できない何かなのでしょう。頭脳労働ですからね。、

 さて、本日のテーマは題のとおりオタクもの。
 お手数ですが、ここから先お読みの方は時間等のエコのため(その1)と(その1.5)を見てもらって。その1が 2009-08-26 で、間に、自然科学的には一通り2017-02-04の広松批判中に書いてありますもので。 
 
 元に戻って、イギリスの近世農業を確認したくて題で借りた、常行敏夫という人の「市民革命前夜の市民社会」。見たら農業者のことはほとんど書いてないのですが、大塚久雄を補完したい、という著者の意図がいかにもずれてるので気になって書こうかと。
 著者の趣旨は、師である大塚が近世(近代)の歴史を産業資本と前期的資本の利害抗争の歴史にしてしまったが、そうではなく、絶対王政の政策の趣旨は必ずしもそうはいえない。なので、もっと社会史的、文化史的、政治史的領域を検討してみよう、というもののようです。
 でさ、問題は上記の「なので」の一瞬前。そこまで把握したなら素直に絶対王政の政策意図を展開すべきなんじゃないかねえ。それが武谷の3段階論というものです。
 唐突だね。
 現象論、実体論、本質論の武谷の3段階論は永遠の弁証法です。
 大塚氏なり常行氏なりが近世(近代)史は産業資本と前期的資本の対立だと把握したとしましょう。それはそれでいいや。しかし、それが真実だと思ってはいけない。この本質を頭においてもう一度実体を見つけに行ったら、その自分の頭から出てくるはずの現象と合わない事実があった。その事実はどうして出てきたのか、その契機はなんなのか。その契機と自分の理論との齟齬を組み込んで新たな本質論ができる。これにより全体としての理論が一段階螺旋を上がるわけです。そこを押さえずに、やみくもに自分が何の枠組みも持っていない事実を並べてみても、それはなんら本質に寄与しない。その事情は残念ながら本書で現実化している。
 ここでポイントは、自分が本質と思う枠組みを持っていて、かつ、問題の事象がそこに関わっているかどうか、です。 
 という意味では、こういっちゃあなんですが、大塚なんて一段下と思っていたけれど、さらに下から見ると(注)そこそこ上で、ということはマルクスなんてずいぶん上だな、と思ってしまいます。
 常行氏の著書中の展開も間違ってはいなそうですが、だからといってそれは歴史学ではあっても社会科学からは遠ざかるだけ。社会科学とは、余計な歴史の事実を取り除いてやっと手に入れることができた行為者に使用可能のテーゼなのですから。取り除く前に戻ることは退化といいます。まあこの人も馬鹿ではなく、それは分かっているもよう。師匠への遠慮じゃなく分かっているのなら、歴史学への寄与ではなく経済学理論の発展を心がければよかったのに。
 話は変わるようですが、そこでネットに現れるのが常行氏を批判している寺尾誠氏。ご自分がクリスチャンとしては立派なのでしょう、おかげで常行氏(もクリスチャンのもよう)の最大限善意的な資本家擁護もぜんぜん理解できないらしい。こうなってくるとほんと誰が悪いのか分からない(みんな個人の主観の反映)。歴史学は到底科学にはなりえませんね。

(注:常行氏がまとめたウェーバーのことです。常行氏は大塚のウェーバー理解が間違っていると思っているようですが、決してそうではありません。私も大塚とはもう40数年の理論的付き合いですし。初めて思いましたが、そうか、大塚は自分のほうがウェーバーより偉いと思ってたのか、と理解しました。
 誰も知らないでしょ。常行氏も知らないと思うんだ。違うよ常行さん、大塚は絶対自分が上だと思っていたから。もちろん私もそれに賛成です。)
 
コメント

現代の芸術的風潮

2018-03-17 11:32:45 | その他
 こんにちは。東京地方、昨日は桜がみるみる膨らんでいきました、ようです。私には遠くて見えません。今日は十分寒いですが。

 さて、ニュースは森友書換えなんでしょうねえ。なんだか関係ない財務省やら麻生やらが非難されて、よくわからない様相を呈しておりますが。ばかばかしいからケツまくっちゃえばいいのにね。
 今は関連情報が溢れてるね。ちょっと前メモとっといたのが、『赤羽一嘉衆院議員(兵庫2区)は「削除されたのは本質的な部分ではない」とし』云々。(神戸新聞)。ここが本質だから書き換えて、人まで死んだじゃないか。他にどんな本質があるというんだ。まあ「文書の『偽造』じゃない」、という趣旨かね。
 若人に解説しましょう。
 そもそもこの決定文書は、「なんだよ、こんな契約、イレギュラーだぜ。決定にハンコ押せったって会計監査院に指摘されちゃうよ。、、、あ、事情がほんわかと書いてあるや、そうか首相肝いりだっけか。経過は変だけど監査でも通すしかないと分かるだろう。数億円くらいなんてこともない。俺ら近畿の地方役人風情のせいじゃないからね。」と読ませるように書いたんだよ。で、上から「なんてことをしてくれたんだ、こんな文書を残して。お前らのせいだから書き換えろ」ってわけだ。と、ここまでは火曜日記載。すぐ遺書メモでこの文が正しいことが証明されてしまいました。(私は関係者ではありません、が、組織人間なら誰だって正しく分かることです。もちろん会社幹部のお詫び記者会見と一緒。みんな議員も官僚も新聞記者も全員が知ってて空しい言葉の応酬)。
 私は記事の詳細など読まないけれど、ネットで足立とかいうバカ議員の支離滅裂な記事で知ったところによると、実際もそう推移したんだとさ。会計監査院は指摘をご遠慮した、ってわけだ。そりゃそうするさ。それは誰のせいなのかね。捕虜を銃剣で刺した二等兵は戦犯で死刑になるべきか、って話だ。そりゃ本人ではなく命令者のせいで、命令者をたどっていけば天皇のせいで完結する理屈だがね。正当防衛という理論構成はそのために存在する。
 したがって、財務省も麻生も「やめたやめたぜ、ばかばかしい。アベ、一人で勝手にやれよ」と対応するのが正しい。
 
 と言ってるそばから、また議員による恫喝だよ、前川・中学校講演問題。どうせ議員が国の教育局長に「こんなのあいつにやらせてていいの。おかしいんじゃない? どういうこと?」とかねじ込んだに決まってるし(私は見ちゃいない)。で、局長は課長に「前川さんなんかやってんだってさ。議員うるさいから調べといてよ。答えない? 生意気だね、ちょっと脅かしといて」てなもんさ。これはシンプルだけどね、何も構造は変わりゃあしないさ。官僚が悪いわけなんかねえよ、政治家がそういう構造を作ってるのさ。
 
 ここんとこウサ晴らしが続いてるので、ニュースはやめ。
 本日は文化芸術。国立新美術館は至上の印象派展。朝日新聞を見ましたら、記事にルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」が載ってました。で、この15歳のかわいいイレーヌちゃんは、その記事だと19歳でブルジョワ貴族と結婚したようでその19歳のふんぞり返った写真が載っていて。げ。いかにも、という。
 金目当てのルノアールの腕も偉いが、この写真を撮った写真家も偉い。くわばらくわばら。
 もっともその記事にはなかったと思いますが、今ネットを見たところ、イレーヌちゃんはユダヤ人で、その後、身内はどんどんナチの犠牲者になってしまったようです。あまり悪口もいえなくなります。
 
 さて、芸術の季節、土門拳賞も木村伊兵衛賞もうまいとは思うけど賞の趣旨として納得いかず、中原中也賞。相変わらず賞の趣旨として納得できないなりにこれはよい。
 マーサ・ナカムラ「狸の匣」。これは久々のヒットとしか言いようがない。
 いつもの谷内修三氏のブログによりますと

     「許須野鯉之餌遣り」その後半。

   見ると、池の底には、本物の池が沈んでいたのである。
   そこには無数の鯉が棲んでおり、ありとあらゆる罪の形を丸い麸にして食べてしまうと見物客は言っている。
   江戸時代の人、いつの時代の人か分からない人、もちろん虫や犬に至るまで、鯉に餌をやりに訪れている。

   「許須野鯉之餌遣り(ゆるすのこいのえさやり)」という立て看板がある。

   地上では若いころの身体に似せて化粧をする。
   水の底では、何もかも終わりがない。
   池の近くの公園では、老婆が若い頃の姿のまま、恋人とブランコに乗って永遠に遊んでいた。
   鯉は、口元に寄せる麸にひたすら口を動かし続けている。


 相変わらず中也ではありませんが、これは抜きんでている。東大生の作品ですね。別に東大生が抜きんでているとはいわないが、自由に言葉を操る能力が焦点だ、という比喩です。昔でいえば、長谷川龍生賞でどうだ。あ、長谷川先生はまだご存命か。
 そうなのだよね、土門も木村も中也も古すぎ、今の時代にその賞があるということ自体がおかしい。そんな現代の風潮・思潮の呼び方がないかと探しましたが、ないようで。
 もちろん天才アラーキーや鳥居氏のような生まれつきの芸術家が途切れることはないとして、それ以外の頭脳派。これを『自己保全的日常加工主義』、と呼びたいと思いましたよ。キャッチ・コピー的には零点ですが、私は評論家じゃないんで。
 そういうわけで、たとえば林忠彦賞とか植田正治賞とか谷川俊太郎賞とか大岡信賞とかにしたらどんどん該当者が出るであろう。そしたら私はもう一瞥もくれないけどね。(植田先生は良いですが。今年の木村賞の人たちは植田賞でしょう。でもそしたら検索しない)。

コメント

次回論究の情報訂正

2018-03-03 16:33:32 | その他
 こんにちは。東京地方、あと3日間だけ春で、目がかいいですが、この温かい日差しには代えられないところ。外に出て、あれ、家の近辺にこんなに梅があるのか、と思いましたが、考えてみると、晩冬・早春にヒマなのは今年が初めてでした。

 さて、ニュースは?
 「働き方改革関連法案を巡る不適切データ問題で、野党6党が厚生労働省の担当者を呼んで説明を求めているヒアリングについて、牧原秀樹厚労副大臣が「全面テレビ公開で、公開リンチのようにやる」と批判した。」(朝日新聞)。
 いやあ、こうゆうのは提出元に同情しちゃうなあ、どっちにしたって裁量制の勤務時間データなんて取れっこないんだからね。上司にいわれてつじつま合わせただけなのにねえ。
 お前は誰の味方だ、って、庶民の味方です。生活者の味方です。「味方」というと聞こえが悪い。その「同じ立場」です。政治屋の、あるいは「被害者」の、味方をしたことは一度もありません。死んだ後もしません。普通に生きている人間が普通に生きていられることが一番重要で、それが当然なのです。
 もっとも、誰でもわかるばかげたデータを出して正当化しようとしたのが悪いんだけどね。この辺は上司の質の問題でしょう。

 次、國分功一郎というフランス文学者が朝日新聞で言うには、今、憲法を語る者の言葉に「物語」がない。これではダメだ、とか。
 まずは、物事というのはそれに近いものだ、とちょっと褒めておきましょう。何せ、今、引用しようかと思って検索したら、早速「真面目な」人間に批判されていて。こういうの聞くと、理性的な人はおいやなんだよね、普通。しかし、いやでもなんでも、すべてイデオロギーというのはそういうものです。指摘している現象は正しい。
 で、戻って、しかし、國分氏の議論は根本的に間違い。憲法を語る者の言葉に物語が無いのではなく、評論を聞く者の心に物語が無いのだ。今だって口の利ける年寄りはいっぱいいる。(、、と思って9条の会のwikiを見たら、ほとんど死んでた。ま、理屈ね。) いくらそんな年寄りが自分の物語を語ろうと、われわれ以下の年齢の人間はどこ吹く風。その話を受け取る者自身に物語が無いのは自明です。
 ダメダメね。
 「聞く者の心は物語ではない」と言うか? ま、そりゃそうさ。本当は「憲法にフィットする物語の構成的契機を持ち合わせていない」、というのが正しい。だからといって、大衆の側の問題であることには変わりは無い。
 
 次。yahooニュース、題【「そだねー」本当に北海道弁?】
 私も親戚等で知り合いの北海道人の頭数は多いので『そだねー』ってすごく親しい言葉なんですが、私の山形の知り合い二人は、「あれ北海道? 俺らもンダネーっていうよな、って話してまして、それ違うし、と聞いてましたが、昨日のネット情報では、北海学園大学の菅泰雄教授菅教授は「彼女たちも、会見で『そだねー』と言った時は、標準語の『そうだね』と同じく頭高のアクセントが出ていました。改まった場面だったということもあり、無意識のうちにそうなっていたのでしょう」「一方で試合中は、緊張感はあったとしても、仲間同士のカジュアルな打ち解けた発話ですから、典型的な浜言葉の『そだねー』になっていましたね」(BuzzFeed)
 ああ、「んだねー」とアクセントが一緒なのか、と納得。そういわれないと他の地方人にはわからない。でも「そだねー」とはちがうんだけどなあ。

 さて本日のテーマは個人的お知らせ。
 懸案の次回(=次々回)論究。想定どおりの細テーマをつぶして全体の6割くらいきたところ、どうも 納得がいかない。
 総合テーマの想定内容は、「資本論が国家にも世界にも至っていないのがマルクス主義者諸君には不満のようなので、それなら私が至らしてあげようではないか」というもの。だから、『経済学批判』ないし、(悪口ではなく)クリティークという意味での『「資本論」批判』となる予定だったのですが、どうもくだらない。そんなちっぽけなことで余生を費やしていいんだろうか、という気持ちがふつふつと湧き始めてきました。諸学の帝王は社会学なのに、なぜ経済学如きに人生を費やさなければならないのだろうか。いいやそんな必要はない。それは初めからそうなのですが、これまでで社会学の本体は一応全て片を付けたので、余技に時間を割こうかと思ったわけで。
 しかし、それはやっぱり人生の筋が違う。私は社会科学の王としてこの世に生まれてきたわけで、それが余技などやっているようでは、死んだ方たちに申し訳がない。
 というわけで閃き直し、理論内に位置づけるべき経済ファクターをマルクス主義から取り戻します。いわく『「下部構造」の社会学 ―経済的拘束とは何か』。これは標題ではなくテーマね。どんくさいし。
 もっともやることは一緒なのだけれど。
 資本主義の生成・発展・没落・崩壊の変遷と人間の行為について。「崩壊」までね。
 
 もちろんそれは根本的には経済学と社会学との領域争いではなく、(私は別に社会学から恩義を受けた覚えはありません。アカデミストでもないし) そうではなくて、根本的な溝は、マルクスの「弁証法的観照主義」にあります。そういわれて何か不満のある方は私の既存の著書へどうぞ。そうしたヘーゲル主義的観照に追随した議論を私が展開しても、「あ、見方の違いね」で終わってしまいます。マルクスが終わるのはかまいませんが、そのために私の人生の一部が無意味になるのはごめんだね。「あ、こんなの見方の違いだよ」。ば~~か。でもそういわれても仕方のないところがある。
 人間に大事なことは「見方の違い」ではありません。見方を違えたときに、それを見終わった人間に何を残すか、が問題なのです。マルクスのように労働者に味方がいない時代の議論は、見方の提示だけでよかった。おかげさまで、恐れ多いインテリゲンツィア様が労働者風情の見方をしてくれたってわけだ。しかし、それから150年、恐れ多いマルクス様に私が見方の違いを突きつけたところで、それだけでは当然に、私という論者の立場はただのブルジョワ自由主義者と何も変わらぬハメに陥る、というわけです。
 というわけで、次々回論究が提示すべき条件は、イデオロギー的アドバンテイジから、根本的に平等な科学の仕切る場所へ変えます。すなわち、どれだけ行為者の行為の「遂行のための」事実認知に貢献できるか。被支配人民の行為のための事実認知を正しく整序できるか。
 
 で、「余技なので身内でのお披露目」(=ネット配信)というつもりだったけど、公刊もありうるので、ちょっと訂正しておきます。

 p.s.家人とリニアの談合問題ですれちがいました。私は生活派ですから、ぎりぎりの「談合」は当然で、もちろん法もそれを認識して作り終わっている、はず派です。とはいえ本来ではないからぎゃあぎゃあいわれると法の趣旨もつぶされる。
 おかしいやね、人が生活しているのにあーだこーだと。誰が裏で動かしているのか私には不明です。
コメント

助言2件

2018-02-17 15:54:03 | その他
 こんにちは。東京地方、あちこちで梅の花が咲き出しました、が、昨日お邪魔したブログによると福井では雪かきを超える速度で雪が降り積もり、疲労困憊とのこと。まずは体が大事。といって屋根の大雪は怖いですよね。せめて、心だけはゆっくりされますよう。
 
 さて、本日のテレビでは羽生氏が金メダル、おめでとうございます。個人的にはフェルナンデスの昨日のSPよかったなあ。アナウンサーが「これぞフィギィア!」って叫んでましたが、おっしゃるとおり。スペインにはとてもいい文化があります。
 
 さて、本日はまずばらばらっと新聞ネタ感想。

・いい忘れて終わるのもくやしい、小型核問題。河野洋平の息子がいけしゃあしゃあと全面的に賛成とかいった件。昔「絶対認められない」などとこいていた野郎がどうやったらもう一枚舌を生やせるんだろうか。ご存知、大嫌いな裏切り下郎がまた一人増えた件。まあ初めから信じやしないが。しかし洋平の息子なのにねえ。

・池澤夏樹。朝日新聞月曜の写真は痩せて、親父福永武彦そっくり。今更ながらだね。痩せているべき人間はそもそも太っちゃいかんな。

・なんとかいう皇族の婚約問題。この辺のタイミングで宣言しておきます。「だから言ったこっちゃない」。人生経験の豊富な人間は、顔を見ただけで全てが分かる。年取ってりゃ誰もが分かるというわけにはいかないが。ともかく私の言うことは聞くものだ。

・「小学生に朝食無料提供へ 来年度から公民館などで」「広島県は来年度、小学生に朝食を無料で提供するモデル事業を始める。県の調査で生活が困難な世帯の児童が、朝食をとらず、学習面でつまずく傾向がみられたため。貧困の連鎖を断ち、学力向上につなげる取り組み」(朝日新聞)。朝飯とか言う前に、なんかするべきことが違うんじゃねえか、と思う。役所は善意のボランティアとかじゃねえだろ。何か思えよ、広島県。

・新政。ここんとこ朝日新聞に2回も出て。あんな酢っぱい酒飲ませてごめんもいえないような酒造じゃあどうしようもねえ。悪かったら、「ごめん。もうしません」が、何をおいても基本だろうが。「普段」どんな「すばらしい」酒を造ろうが話しにならない。。

 等々。ウサ晴らしの次に、ともかく本日の役に立つブログ。

1 今日の朝日新聞によると「不本意入学」とかいう言葉があるんだって。大学の第3希望とかへの入学みたい。まあ学歴の欲しい人は知りませんが、勉強したいけど有名大学を落ちた人は嘆く理由なんてありませんぜ。どんな大学でも先生はまともだし、さらに先生には友人知人というものがいるんですぜ。授業に出たら先生にどんどん質問しなさいな。どんどん教えてくれるし。専門が違ったら先生が適切な(他の大学の)先生を紹介してくれるったら。それで単位は貰えなくともどんどん授業なりレポート指導なりを受けたらいいし、まともな学者ならケチはいわんぜ。それに学問で大事なのは同僚。その(他の大学の)先生の弟子とかの研究会に入れてもらったらいいのさ。学問に学校の塀なんかないぜ。
 ま、学歴の欲しい人には、浪人をお勧めしますが。
 なお、学問で商売したい人は
 (1)外国語文法をきちんとやって(最低、博士課程で要る。)
 (2)卒論を必死に書いて
 (3)自分とこの教授とよく話して、有名大学院の教授とコンタクトをよく取ること。
 で、大学院は有名大学院にいきなさいね。いい先生1人狙いだと、その先生が消えたときに自分の未来も消えちゃうからね。
 
2 ついでに、大学は入ったけれど文系で、人付き合いが悪くて就職できないと思う人。だいじょぶ。キミでも営業マンをやれる。世の中一生懸命な人間はちゃんとお客さんにも評価されるって。もちろん、それ以外の仕事でも一生懸命すればなんでも大丈夫。一生懸命仕事をする人なんて2割くらいだからね。ただし、取り柄は一生懸命なだけだから、調子のいい他人より評価されなくて当然、その辺は誤解なきよう。あと、数回は人にだまされるのでその辺はめげないように。そのうち顔を見ただけで信じちゃいけない人間は分かるようになるし。
 なお、まだ若い高校生で人付き合いの悪い君は、進学するんなら理系に行きなさいね。悩まずにすむから。

 と、これらは対象者が狭すぎなので、オマケをつけよう。一口知識、「ブタはなぜ忌避されるか」。
 森誠という静岡大学名誉教授によると、ブタは草を消化できないんで、イスラム人やユダヤ人はそもそも家畜にできないんだとか。無理して飼っても乳も少ししか出ない。毛も使えない。荷物も運べないし乗れもしない。ただの役立たず。だからそんなものは飼わない。飼わないから食べない。さらに困ったことに、汗腺がないので暑くて付近に水がないと自分の糞尿に使ってでも暑さをしのぐ。で、砂漠には水はない。かくて、ブタに近寄ってはいけない。ブタはタブー。
 なんだそうです。(最後の「かくて」はつけたりですが。)
 後進国問題用に借りた知識本より。
コメント

思想小説の組み上げ方、その1

2018-02-10 15:01:58 | その他
 こんにちは。ひどい大雪の地方の方々はおさまりましたか? 今日は雨でしょうか、融雪注意、というやつですね。お気をつけください。
 さて、全国的にはオリンピック開幕。開会式見れました? 再放送は今日の朝しかやらないそうで。たいしたもんでもないのでダイジェストがあっても意味はなさそうな。
 驚いたことといえば、踊りの動員が全部女なの。人数だけは多いので異様。北朝鮮番組かと思ってしまう。まだまだだねえ。原始的。韓国旗の人文字とかするんだけど、青いとこくらい男がやれば顔が立つじゃん。赤いとこだっていいけど。
 なお、ここのお客様たるもの、原始を讃えちゃいけません。原始なんか差別の根源です。
 それと、ネットで今日広がっているところの「人面鳥」。人面鳥って、朱雀だよね。ネットの写真を見れば青龍もいるでしょ。画面には虎も映ったと思うぞ。東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武。これもびっくり、高松塚古墳じゃん。現物で見せられてちょっとショックでしたぜ、天皇家は朝鮮人なんだよね。ネットウヨはなんか言ったらどうだ。皇居前で「在日帰れ!」とかガナるのがいいぜ。
 ちなみに私は南方の原住民です。
 その他、私は個人的に「ため」になることを直感しました。中欧の分裂後国家の行進を見て、「国家の分裂なんて、なんてこともないな。話し逆だし」と閃きました。「分裂して困るようならはじめから分裂しない」という。そんなこと分かんなかったのか、といわれますと、まあ分かんなかったというか考えなかったというか。実際、世の中、全て、インテリだの大学教授だのといい、考えてないんですわな。他人事にしちゃいかんですが。まあカタロニアもスコットランドも自由に分裂すればいいのです。
 それはそれとして、夏のオリンピックもそうだけど、ニュースが日本のことばかりね。昔はキリーとかステンマルクとかナディヒとかミッターマイヤーとか、(金持ちの遊びの)スキーなんて(その頃は)しなかったけど私でさえ知ってたけどねえ。それだけマスコミが話題にしたってことで。いまじゃスポーツニュースじゃなくて政治番組のネタだよね。そんなにつまんないなら世界大会なんてやめて自分たちだけで勝手にやればいいのに。カネもかからなくてずっとよい。結局「世界一」の名刺だけ欲しいんだよね。貧しいもんだ。「心貧しきものは幸いである」。幸いかね? 「幸せなやつだ」という嫌みは分かる。

 ニュースです。「中央区立泰明小学校が、高級ブランド「アルマーニ」がデザインした約8万円の新制服導入を決め」(日刊スポーツ)。小学生が制服なんてきちゃって、それがアルマーニだって。「和田利次校長」独断とのこと。アルマーニって退職したときに若人(男)にネクタイを貰ってしまった。発狂するほど高い。私の自前はほとんど9百円。
 泰明小というのは、そもそもいわゆる銀座そのものの地区(が本体)の小学校なので、われわれのような下々が同情するようなPTAは2、3人しかいないと思うけれど、そういうことじゃなくて、こいつどうも教師上がりなんだよね。そもそもそういう「教育から超絶した理念」を持つ教師が存在し、周りも何も言わない、というところが日本の闇だね。日教組のような民主教育主義者たちは好きではないが、好きでないなりに、(普通の教育)理念のある組織が強いということは、児童には必要だと思うね。もう組織率2割ちょいじゃあ、キチガイもはびこるさ。まあそのうち「大日本教祖」といって国家意識で燃えるんだろうが。

 その2。「衆院予算委員会で志位和夫委員長は削減計画の撤回を迫り、生活保護法を「生活保障法」に改めるなどの提案をしました。」(赤旗)そうそう、そうやって明るい未来を設定して人民に見せるのがよい。自分たちの明るい未来を設定するのはいいやつで、つぶすのは悪いやつだからね。悪いやつも言い訳には困るものです。仲間内で共産党の悪口をいってストレスを発散するのがせいぜい。
 しかし、こういうのを聞くと、政党の実体は思想ではなく党組織だと思いますね。赤旗の論議の展開は世が世なれば社会党愛国派と名づけるべきなのに、前衛党のリゴリズムだけが変わらず存在する。ま、ゴリゴリ主義、言い換えるとスターリン主義ですが。まあだから「党」なんですが。
 
 さて、しばらく月日が過ぎたので、都内の見識ある図書館に行って、名探偵コナンの予約切れになった準新刊を借りてきました。川崎市図書館はケツの穴が小さいので漫画を置いていないのです。別にコナンとはいいませんが、図書館たるもの有名漫画の300冊くらい置いておくもんじゃないですかねえ。わたしみたいな教養溢れる人間だって1年暮らしていくために必要なんだから。
 まあ、というわけで半年振りくらいに2冊借りましたが、前の話を忘れてしまったのでよく理解できない。(コナンというのは90冊分の過去ストーリーを引きずって構成されております。だから人気が続くんですね)。しょうがないのでネタバレにならないように気をつけて話の筋をネット検索したら、あるわあるわ、いろんな「謎の解釈」ネットが。びっくり。資本論フリークたちもかなわないのでは? こういう国民的文化の担い手は図書館必置にすべきですね。
 
 というわけで、なんか(また)ストーリーを紡ぎたくなりました。そこで標題です。おめえが小説? って、なに、おいらだって経験は豊富さあ。
 コナンですと、現状、関係ない少年団と大阪のアベックのテーマを除いて、小説にすると文庫本2000ページ目くらいかねえ。映画のノベライズがある? もっと長い? 映画は映画。もちろんいくらでも伸ばせるが、見てるほうが持たないの。大きく言えばひとつのストーリーでなにを描くか、に合わせて切り捨てるものもでるの。
 で、どうやるか、というと、「序破急」だね。序破急を3セットで1冊にするのがお勧め。弁証法だね。偶然だけど。偶然でもギリシア哲学2000年の歴史は伊達じゃあない。それで330ページの本を作って、それを7セットも描けばたいてい書くほうも読むほうも飽きます。その辺でお開きにしましょう。なお、本のトータルでも大きな序破急ね。この場合、急は短く。ダレちゃうからね。 
 あのどうしようもない「戦争と平和」は今は全6巻? カラマーゾフも4巻? え~~、本1冊が厚いんだよね。ま、ともかく2000ページ強がいいとこ。計算上、1冊3セット21ストーリー、63展開ね。と思えば、コナンは書きすぎって分かるでしょう。感動を21個以上作っちゃいけないの。で、ひとつの感動を作るのに3ケの展開。これが最長。思想を詰めたい人は序に入れますから、21思想のみ入れられます。「破」や「急」にいれちゃあだめ。「破」に入れれば盛り上がるリズムがそげるし「急」に入れれば感動がそげる。おめえは入れてるだろ、って私のは小説じゃないもの。それにそんなにいいたいことないでしょ? ふつう。
 このように、本など簡単。問題はほっといても動いていくキャラクターを見つけられるかどうか。
 素人さんなら、キャラクターは自分の人生で見慣れたものにしましょう。どう動くか知ってるからね。「キャラクターが動く」なんて言葉のあやさ。実は自分が実生活上知っている生き物が、自分の潜在記憶に沿って行動していくだけ。
 で、1冊の本ならシンプルだけど、1冊を超える場合は、必ず全体像が必要です。真ん中などどうでもいいが、最後でどう落とし前を付けるか。逆に言うと、最後の収束の思想さえ決まっていれば、後は何十冊でも描ける。歴史に残りたい人はやめたほうがいいけどね。飽きるったら。

   さて、その1といってもその2は2年後かなあ。
 
コメント

自称他称の「福祉」

2018-01-27 16:07:49 | その他
 こんにちは。お寒うございます。今日はベランダの水槽に薄氷が張って。突っついたり壊したりすると案外面白い。東京地方は月曜の雪がまだ融けず凍りついております。昨日裏道を歩いてましたら幼稚園の送迎用のバスが来て速度を落としたのはいいけれど、ふと下を見たらタイヤが回ってない! すべってやんの。あぶねえじゃんかよ、子供を轢く気か。タイヤ替えろよ。お子様お持ちの皆さま、零細企業の送迎バスにはお気をつけください。
 以上、本日のためになるブログでした。

 早いね、終わりが。頭脳は空いてるんだけどなにかと気苦労で。ともかく繊細だから。
 感想はあれど、役に立つほど深められない。
 
 ま、それもなんなので、役に立たないことも。
 その1 雪の夜、夜中起きましたらいつもの米軍機が飛行する音が。この夜中に飛行機のちっこい車輪で横田基地と航空母艦の雪を掻き分けるんじゃ大変を通り越してると思いましたら、横田基地というのはどんな天候でも稼動可能みたいですね。旅客機も成田が大雪でダメでも横田基地へは降りられる、という。どんな経営でも維持に経費をかける気になるかどうかで成否が決まる。ご苦労なことですが、米軍は人件費ケチってない、ということですね。

 その2 昨日のネットニュース。炎と煙が充満する民家に2回突入し、老夫婦を助け出した会社員六車信哉さん(20)に感謝状 「怖かったが体が勝手に反応した。絶対に見捨てるわけにいかないと思った」(神戸新聞他)えらいねえ。私ならまず、どこが火事だろうが反応しないし。でも子供が目に入ったら反応するかな。

 その3 昨日の朝日新聞に小熊英二が以下の事態を紹介していました。
 「福祉の充実が、貧しい人に支持されていない。嘘(うそ)のようだが本当の話だ。 福祉の専門家である大沢真理・宮本太郎・武川正吾が座談会を行った」(朝日デジタル)
 小熊はただの評論家で嫌いだけれど、ともかくテーマを提出することだけをいえば有意義です。
 ともかくそういうことで福祉専門家諸氏によると「貧しい人々」は「なにが福祉だ、そんなどうでもいいことをいってないで税金を安くしろ」というんだそうな。そりゃそうだ。
 というわけで、そこらの自称マルクス経済学教授の方々を含めて、ご確認いただきたいものです。「福祉だとかいったって、貧乏人には何もしてくれやしない」のが現実なのです。そればかりか政府は貧乏人からどんどんむしり取っていく。
 生保があるだろ、って受けられるのは母子家庭と障害者と年寄りだけさ。そんなもの100年前からそうです。税金とられないだろ、って、国保料の高さといったら! どんな貧乏人からだってふんだくる。しかも、年々どんどん高くなってゆく。その行き先は病院経営者と薬会社と町医者と歯科医だ(=診療報酬といいます。病院勤務の医者にもいきますが、彼らは死ぬほど働いてるからね)。もちろん政府は国民年金もふんだくる気はあるのだが、こっちは払うようなおめでたい貧乏人なんかいないからまだ残った金で米が買えるだけだ。さらには消費税値上げだと? 政府は200万円の消費家計から、さらに4万円ふんだくったる、といってるわけだ。なにが福祉国家だ。大沢真理はまともな学者ですが、こんな事実さえ知らない評論家は山のようにいる。「それで、なにを拡充してくれるって? 賭けてもいいが貧乏な俺の暮らしは楽になんかなりゃしない」。ご明察。
 んだけれども、だから「福祉などない」、といってしまうのが評論家です。
 実は「福祉」なる状態があるから、別の評論家は「福祉国家」だの「福祉の拡充」だのとしゃべれることを忘れてはいけない。
 なんのことだ、って、「高齢者福祉」なる福祉です。しかも波及効果がある。この40年来、次第に増える権力者層・金持層の老人化を基盤として、日本の障害者福祉は支えられてきたのです。
 それらは決して貧乏人あての福祉ではない。貧乏人の福祉は戦後安定後60年、何一つ変わってやしない。相対的に悪くなってさえいる。(もっとも後進国を踏み台に国家全体が「豊か」になってきてるから絶対的には上がってるけどね)
 が、高齢者と障害者の処遇は確実に変わっている。これは押さえておかなければならない。
 ちょうど「売るもの」がなくなった腐朽期資本主義におあつらえ向きの産業予備軍のセット先として、「介護保険」なる新たな収奪システムも生まれた、というわけです。福祉労働者に福祉を与えよ!
 かくして、「福祉の拡充」とは、実は貧困線以下の貧乏な人間あての政策ではない。それは、増え続ける貧困線上の人間にあまり不満を言われては困るからどの辺が落としどころなのかを探り続ける資本主義者の営為のことなのです。「保育師に1万円与えよ」。
 福祉国家だ? マルクス経済学教授が聞いて呆れる。ドアホ。 あ、某日本共産党の元政策委員長も、のたまってることは教えましたよね。 
 
コメント

幅広耳ラスク

2018-01-01 09:56:53 | その他
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 
 お正月になっちゃいましたね。去年から1年。今年はアルバイトがないので、この冬は四十年ぶりにヒマな冬、何してもいいなんてすごいもんです。もっとも最近は思う存分寝てるので、「今日も会社行くのか」と暗くなることも少なかったですが。皆様も疲れたら寝る時間を早めるのがよいですよ。
 ただ、この付近でも最近アメリカ軍用機の轟音が夜中に聞こえて。横田基地と横須賀空母の通り道。夜間訓練のストレスでいやがらせ低空飛行をしてやがんのではないかと思うのですが。

 昨年は年越しそば失敗。辛すぎ。
 でも銀座藪蕎麦は死ぬほど辛いですぜ、35年前しか知らないけど、、、銀座藪って知らない?、、、ない! ネット情報がない! 4丁目交差点の奥(海方向)ですぜ。地図にはそのあたり竹葉亭とか書いてあるなあ。藪だったら。ただのビルの藪。信じらんない、他人事とはいえ。親戚やお友達はたくさんいるはずなのに、相撲協会のような魑魅魍魎。関係者、誰か情報残しとけよ。そんなに嫌われとったのか。下町文化は「人間的」で恐ろしい。

 で、本年は、去年から毎日その日暮らしなもので抱負が湧いてきません。何かと事情で第二の人生に踏み込めないので、このままずるずると体力が消えていきそうな気が、、、ま、それでもご覧のとおり第1の人生の半分は継続中ですのでいいんですが。

 さて、本日の役に立つブログ。テレビ見ないし、正月早々ニュースもなく、昼からお客さんだし、で、お料理講座。パンの耳ラスクは電子レンジとフライパンで。
 おせちも3連チャンでは食べ飽きますでしょう。そんな日のランチはサンドイッチで。
 耳付きサンドイッチも美味しいものですが、フライパンでホットサンドにするとどうしても耳がジャマ。他方、耳ラスクはギリギリで切った固耳だけだとどうにもチープ(ま、どうやったってチープな食べ物ですが)。そこで少し幅広く切り落としましょう。そのほうが、ホットサンドもハムやスライスチーズと大きさが揃います。耳は半分とかに切りますよ。さて、で、ラスクは?
 1 油で揚げるのは脂肪分が恐い
 2 トースターじゃ一本一本いちいちマーガリン(バター)何かつけてられない
 それならフライパンで一気に油焼き、というところですが、幅広ラスクはうまく焼けません。柔らかい部分が広すぎる。なぜか耳が下になって全体に焼けない。
 そこで、まずは電子レンジ。パンの湿り気しだいで違いますが、総計4分前後(私は1分ずつ湯気を払いながらやりましたが)。このぐらいでぱりぱりしてくるので、それからフライパン弱火でマーガリン等で焼きましょう。私はけちなのでサラダオイルで油まし。砂糖は上から適当に振りかければオーケー。シナモンもあれば適当に振りかけて菜箸で全体を混ぜればオーケーです。むずかしい「なんとか糖」はいりません。砂糖で十分。マーガリンから味が移ります。
 で、色がついたら終了。4分前後でないかな、火加減によるけど。
 半分(や1/3)に切ってあると一口で食べられるから多少味付けにムラがあってもいいの。土井善晴が言ってます。日本の料理は、味付けを全体一律にするのではなく、部分部分にするもんなんだそうで。そうすると味に奥行きがでるんだそうな。
 
 では、お休みで体がなまります、お体に気をつけて。
コメント

短歌とはいえ文学もある

2017-12-02 16:05:27 | その他
 こんにちは。師走ですね。12月、暮です。どういっても一緒。なんとか1年が終わりそうで、ほっとしませんか?
 昨晩は、勤めてたときの人たちと8ヶ月ぶりに会って忘年会。8ヶ月の合間なんてなんてこともありませんが、人の人生はそれなりに色々あるんですよね、当たり前ですが。飲み会は好きじゃないけど、人とは1年に1回は会いたいね。飲まない会があるとすれば、そりゃ息が詰まっていやですけど。(なに、要するに飲み会が好きなんだろう、って、そこが酒好き的に微妙なところで)
 
 さて、最近はニュースが作れなくてテレビも困ってるようですね。意味不明の相撲話ばかり。相撲っていつからそんなにメジャーになったんだ? まあ相撲の悪口じゃなくて、朝も夜もその類いのマイナーな題材ばかり。あちら(テレビ)は生活がかかっているので大変です。
 
 きょうはなんとか他人の悪口は避けようと、いうことで、努力。
 先週の朝日新聞、雲嶋聆という短歌作者に、短歌は「純粋読者のいない斜陽文芸」だ、といわれて怒って投評した大辻隆弘という短歌作者の話。
 少し説明すると雲嶋という人がいうには、今の短歌は短歌作者がお互いに見てるだけでほんとの読者はいない、って、その通りの話。
 そしたら大辻という人は、”歌集を見るだけの純粋読者はいらない。歌は実作者同士で楽しむものだ”とのこと、すごい、ケツまくっちまって。作者がそんな根性だから短歌なんか第二芸術なのにね。
 こういうのはいきつくところ技術論。文学は技術などでどうにもならんということが同好員会には分からない。まあ、いいんだけどね。俳句だってそうだし。というか、俳句はそこに意義がある詩形だけれども、短歌も俳句になりたいようだ。でも名前は変えて欲しいね。短歌はやめて老人歌とか道楽歌とか。図書分類も「文学」の911はやめて、790(諸芸. 娯楽)に分類を作ってもらうのがよい。もっとも文学でもない現代短歌は図書館にはおいてないけどね。だって、誰も読まないんだもんね。
 というわけで、もろ悪口。しょうがないね、ほんとのことを言ってるだけだし。
 わたしは、短歌の味方なのですよ。文学たる短歌のね。
 私だって文学なら読むことは読むのさ。図書館にある(短歌コーナーの)河野裕子や永田和宏や寺山修司や、ちょっと落ちるけど道浦母都子とか。文学だからね。文学は技術ではないんだ。
 たとえば「サラダ記念日」。そんなもんより技術が確かなものになった今の俵万智のほうが、大辻先生にはよっぽど満足だ、という理屈だよね。
 普通の人はそんな馬鹿な話があるか、と思う。そういう普通の感性がないところに住むのが同好員というわけだ。左翼に対する過激派セクトみたいなものだ。戦争を内乱へ。いくら冗談だとは言え、ふつうはそんな人間たちとは付き合いたくないわな。え? 冗談じゃない?
 ともかくも、どんなに稚拙だろうが、時代の感性を捉えた「サラダ記念日」は、柔軟な感性の持ち主には、普遍的に立派な日本文学なのだ。その時代にその感性とともに登場した俵万智の勝利とはいえる、が、それ自体は才能ではないのだからいつまでも続くわけではない、ともいえる。若き道浦にしても同様。しょうがないね。
 ただ、両名の名は残らないかもしれないが、「サラダ記念日」(俵)と「無援の抒情」(道浦)は、文学史上に残る。それは短歌作者の好みの問題ではないのだ。
 
 まあ、まずは、技術論とかいってる人と文学とは、住む世界が違う。お互いやり過ごすしかなかろうに。
 わたしはわたしの琴線にふれる歌を、のみ、認めます。
 
 なお、論者の見本をあげておきましょうか。
 
   雲嶋
   
     あきかぜに秋桜ゆれて思ひ出は真夏の雨のにほひを醸しぬ
     一面にひろごる緑のまぶしくてふつと目をとづ 八月の景

   大辻
   
     畦道を歩める猫の横腹が伸び縮みして夕陽に当たる
     父のなき息子となりて花桃のひえびえと咲く白に逢ひたり
       (読みカッコ付きの歌が多すぎて選びづらい)


 で、おまえは努力してないって? いやいや。ぼろくそにいうしかない人のことを載せるのをやめた、ってことで(それが努力)。少しマシな大江という人と、村岡某という人(左翼系と、マルキスト)。まあなんでもアンチモデル、日本語でなんていったっけ、反なんとか。、、、やっと思い出した、反面教師。

コメント

素人のギョウザの焼き方、の2

2017-10-23 08:49:05 | その他
 こんにちは。昨夜の下品さを避け、さっそくですがトップページ変更。
 無難なお料理番組。
 
 以前、「ギョウザを茹でてから焼いたら皮がひっついてしまって、結果パリパリであるべき底が剥がれて失敗した」という話をしたところで、その後は底をきっちり焼いてからおもむろに茹でる方法をしてたんですが、どうもあのお湯を入れたときのジャッツという飛び散りが精神的に悪い。後片付け的にも悪い。というわけで、底をきっちり焼いて、「ギョウザを外して」24個なら24個。全部底を焼いて別置きして、さてそこから茹でる。という方式にしてみました。これはネットにはないでしょ。微妙な違いですが。
 具体的に言うと、
 1 フライパンに油を落として、ギョウザをつまんで油をフライパンに広げながら並べる。このときギョウザの落ち着きを確保する(上から押し付ける)。
 2 並べてからおもむろに火を点ける。
 3 底が満足するまで焼けたら火を止め、ギョウザを使わない皿に移す。普通に置いても皿はそんなに油汚れはしない。
 4 これを繰り返す。
 5 残りのギョウザが焦げ終わったら、最終回は火を止め、全部の底を確認後(この時点でフライパンはある程度冷える)お湯を注ぐ。ジュワッ位になり、弾けたりしません。
 6 仕上げに油を入れて焼き直すのはご自由に。仕上げ油はしたほうがメリハリが出ます。
 7 はがした後は、フライパン上のこびりつきはある程度こそいでください。
 
 A 次2回目はギョウザを即並べる。
 B 並べ終わったらお湯をいれ火を点ける。油と混ざりますが問題ありません。
 C 以下同様。繰り返す。

 焼いてからジャッツとお湯を入れるよりも、この方が2回目以降のギョウザの底が綺麗にいきます。2回目以降って、フライパンが汚れて油が回りにくいのか、小麦粉のカスとギョウザの底がくっついたり、底が剥がれやすいでしょ? あ、だから、これまで2回目以降いちいちフライパンを洗ってた方は、それは不要です。下水が汚れるしね。
 もちろん、「初めから茹でるのでだいじょぶだよ」という方には無用の作り方です。特にテフロン加工が効いてる間のフライパンなら無用かな。これは鉄系フライパンで、誰がやっても失敗しないやり方、ということで認識ください。
 
   というわけで、このブログはお料理ブログではありませんので他のページには行きませんように。また何かのご縁でお会いするまで、さようなら。
コメント