リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

自称他称の「福祉」

2018-01-27 16:07:49 | その他
 こんにちは。お寒うございます。今日はベランダの水槽に薄氷が張って。突っついたり壊したりすると案外面白い。東京地方は月曜の雪がまだ融けず凍りついております。昨日裏道を歩いてましたら幼稚園の送迎用のバスが来て速度を落としたのはいいけれど、ふと下を見たらタイヤが回ってない! すべってやんの。あぶねえじゃんかよ、子供を轢く気か。タイヤ替えろよ。お子様お持ちの皆さま、零細企業の送迎バスにはお気をつけください。
 以上、本日のためになるブログでした。

 早いね、終わりが。頭脳は空いてるんだけどなにかと気苦労で。ともかく繊細だから。
 感想はあれど、役に立つほど深められない。
 
 ま、それもなんなので、役に立たないことも。
 その1 雪の夜、夜中起きましたらいつもの米軍機が飛行する音が。この夜中に飛行機のちっこい車輪で横田基地と航空母艦の雪を掻き分けるんじゃ大変を通り越してると思いましたら、横田基地というのはどんな天候でも稼動可能みたいですね。旅客機も成田が大雪でダメでも横田基地へは降りられる、という。どんな経営でも維持に経費をかける気になるかどうかで成否が決まる。ご苦労なことですが、米軍は人件費ケチってない、ということですね。

 その2 昨日のネットニュース。炎と煙が充満する民家に2回突入し、老夫婦を助け出した会社員六車信哉さん(20)に感謝状 「怖かったが体が勝手に反応した。絶対に見捨てるわけにいかないと思った」(神戸新聞他)えらいねえ。私ならまず、どこが火事だろうが反応しないし。でも子供が目に入ったら反応するかな。

 その3 昨日の朝日新聞に小熊英二が以下の事態を紹介していました。
 「福祉の充実が、貧しい人に支持されていない。嘘(うそ)のようだが本当の話だ。 福祉の専門家である大沢真理・宮本太郎・武川正吾が座談会を行った」(朝日デジタル)
 小熊はただの評論家で嫌いだけれど、ともかくテーマを提出することだけをいえば有意義です。
 ともかくそういうことで福祉専門家諸氏によると「貧しい人々」は「なにが福祉だ、そんなどうでもいいことをいってないで税金を安くしろ」というんだそうな。そりゃそうだ。
 というわけで、そこらの自称マルクス経済学教授の方々を含めて、ご確認いただきたいものです。「福祉だとかいったって、貧乏人には何もしてくれやしない」のが現実なのです。そればかりか政府は貧乏人からどんどんむしり取っていく。
 生保があるだろ、って受けられるのは母子家庭と障害者と年寄りだけさ。そんなもの100年前からそうです。税金とられないだろ、って、国保料の高さといったら! どんな貧乏人からだってふんだくる。しかも、年々どんどん高くなってゆく。その行き先は病院経営者と薬会社と町医者と歯科医だ(=診療報酬といいます。病院勤務の医者にもいきますが、彼らは死ぬほど働いてるからね)。もちろん政府は国民年金もふんだくる気はあるのだが、こっちは払うようなおめでたい貧乏人なんかいないからまだ残った金で米が買えるだけだ。さらには消費税値上げだと? 政府は200万円の消費家計から、さらに4万円ふんだくったる、といってるわけだ。なにが福祉国家だ。大沢真理はまともな学者ですが、こんな事実さえ知らない評論家は山のようにいる。「それで、なにを拡充してくれるって? 賭けてもいいが貧乏な俺の暮らしは楽になんかなりゃしない」。ご明察。
 んだけれども、だから「福祉などない」、といってしまうのが評論家です。
 実は「福祉」なる状態があるから、別の評論家は「福祉国家」だの「福祉の拡充」だのとしゃべれることを忘れてはいけない。
 なんのことだ、って、「高齢者福祉」なる福祉です。しかも波及効果がある。この40年来、次第に増える権力者層・金持層の老人化を基盤として、日本の障害者福祉は支えられてきたのです。
 それらは決して貧乏人あての福祉ではない。貧乏人の福祉は戦後安定後60年、何一つ変わってやしない。相対的に悪くなってさえいる。(もっとも後進国を踏み台に国家全体が「豊か」になってきてるから絶対的には上がってるけどね)
 が、高齢者と障害者の処遇は確実に変わっている。これは押さえておかなければならない。
 ちょうど「売るもの」がなくなった腐朽期資本主義におあつらえ向きの産業予備軍のセット先として、「介護保険」なる新たな収奪システムも生まれた、というわけです。福祉労働者に福祉を与えよ!
 かくして、「福祉の拡充」とは、実は貧困線以下の貧乏な人間あての政策ではない。それは、増え続ける貧困線上の人間にあまり不満を言われては困るからどの辺が落としどころなのかを探り続ける資本主義者の営為のことなのです。「保育師に1万円与えよ」。
 福祉国家だ? マルクス経済学教授が聞いて呆れる。ドアホ。 あ、某日本共産党の元政策委員長も、のたまってることは教えましたよね。 
 
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現実規定の始元とは

2018-01-20 14:00:50 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。いよいよ大寒。冬も峠を迎えます。私などはいつも1月29日が一番寒いと知識化しておりますが。 wikiによると29日は鈴木奈穂子アナの誕生日とか。夜7時のニュースアナ。昔は明るかったのになんであんなに短調声になったんでしょうかね。本人気づいてないのかしら。まあいいか。記念日的にはポーの「大鴉」の発表日だとか、こっちのほうが冬っぽくてよいか。
 
 前の土日はセンター試験でしたね。朝日新聞には問題の折込みが入るのですが、相変わらず虚しい問題ばかり。ちょっと目を通してみると、日本史、地理、社会はいいとして、世界史なんてせいぜい70点。自分の大学受験では日本史と世界史でしたが、その知識はまったく無意味。今解答できるのはいつも受験参考書を読んでるから。世界史参考書もいつも2冊読んでるのですが、アジア史んとこなんて見ないから世界史はダメ。あんな虚しい勉強を続けられるのが条件だから有名校にはアホしかいない。翻訳すると、高校生に大人のような主体的な勉強ができるはずもない、といっているのですが。詰め込んだ知識など使わなきゃ半年で消える。
 ところで、ムーミンはウケ狙いですね、ムーミンに国などあるはずもない。(注:センター試験地理に、ムーミンその他の漫画の住居国を当てる問題が出た。)
 と思って問題を見たら、まあ漫画に関係なくできる問題ではありました、が、私など義憤を感じて次の問題ができなくなりそう。

 地理の受験参考書もよく見ますが、地理は簡単でよいね。昔からそういう定評だけど。でも覚えても何も頭は良くならない。昨今驚いたのが、平野克己「経済大陸アフリカ」という本。アフリカはすでに80年代くらいの本を10冊くらい読んで概要を一通り押さえたかと思ったのですが、とんでもないね。90年代以降、鉱産物(石油)資源で、あちこちの国家で、1国内部で局所的に大金持ちになっていました。これがまずいんだよね、一部のやつだけが儲かる構造が。平野という人(たち)も憂えておりましたが。
 で、この私に生じた知識の断絶ですが、昔はアフリカは人文系の知識だったんですよね。文化人類学系というか、民俗学とか、民族学とか、大使館員とか。そんなんでないと需要がないし。
 これに対して、私が驚いた平野氏グループというのはアジア経済研究所の開発経済担当なんだって。アジア研っていうのは、昔は東南アジアの人文研究所だったのだけれど、今はジェトロに一緒にされて後進国貿易開拓の尖兵となっているもよう。で、現代アフリカというのはここの人たちだけが研究してるのだって。以前このブログで、後進国経済で「マルクス系の研究者はなにやってるんだ」、とけなしたことがあったけれど、アフリカ経済は何の資料も入手できないから、事実上他の機関員には研究できないんだって。現代アフリカ論の大学教授にはここの中堅研究員が派遣されるんだと。
 まあ平野という人は良心的なのですが、それにしても政府偏向してますからそんな人たちばっかりで押さえられる研究分野というのも困ったものです。
 ということは他国も同じ、というわけで、地球のためにアフリカの出生率を下げさせてやるとか言った米国研究者がいたようで、平野氏も怒っておりました(たしか。以前に読んだので)。出生率など、子供の単純労働力がゲンナマに化ける時代には下がるはずもない。たとえゴミ拾い仕事だろうが。 
 
 なんて、今日もオタク本の話です。
 マンガの代わりではなく、本気で借りた本、榎原均『「資本論」の復権』(1978)なる本。たくさん情報があるようなのに、ぜんぜん意味不明。題材は宇野弘蔵批判なのですが、悪口は分かるが、本人がなにをいいたいのかわからない、分厚いのを見終わって、疲れてぼんやり題を見てひらめきました。ああ、「復権」ね。戻れというのね。やっと分かった、宇野経は資本論の趣旨と違う、といっているだけなのだ。 
 どっと力が抜けました。そんな話のために、二段組、ちっこい字で373ページ。
 そんな話は想定もしてませんでしたよ。宇野本人が俺はマルクスとは違うといってるんだから、それを違うといったってなんの意義もないではないか。そんな話だけなら共産党系でもう何十冊も読んだ(=目を通した)。しかもふつうは、「ほらこのとおり、何々で違う」、と書いてあるのに、これは全編悪罵で埋め尽くし。そりゃそうだ。「宇野には階級支配の視点がない」といってるだけなんだから他に書くこともない。そりゃ実際そうだから正しいさ。だからどうする? 「資本論を見よ」それだけなのだ。自分で分かりやすく原論を書けよ。なんのための学問的営為か。チャーシュー入りの五目日本蕎麦を食べて、宇野が「いやこれはどうも蕎麦の味が分からない」、と努力して「究極のかけそば」を作ったのに、「いや、これにはチャーシューが乗ってないから栄養がない」、とけなしてるようなものだ。そんなことのために本はいらない。要するに党派の政治活動に使えないものはみんなダメなんだ。呆れた。
 で、あなた、今は? (この本を書いた)40年前は穏健派にはずいぶん悪口を言いたい放題でしたぜ? 考えが変わったって、HPにはこの本の宣伝は載っていても自己批判は載っておりませんが。
 まあ右端まで転げた人間たちよりはまだましというべきか。

 で、引き続き、本気で黒田寛一「宇野経済学方法論批判」を借りました。こっちはずいぶんと良い、これはこうだからこう悪いと書いてある(しかし悪かあないぞ)。もっとも昔見た時の感想のとおりで、あまり自分に進歩がないなあ(謙虚)、と思いましたが、今回、増補版で長い「あとがき」が増え、これがよかった。いちいち分かりやすい。他人への非難も当を得ている。悪いのは突然無根拠の「すべき論」が入ることだけ。まあ、これが哲学だと思ってるんだからしょうがない。基本、黒田も年取ってまともになったか、と思いましたが考えてみるに、これはセクトの部下による聞き書きだよね。なんでも人にわかるようにするには他人に語ってみせる、というのはとてもよい。講義録の最好適条件ものということなんでしょうね。 

 そんなことをいってもためにならない。ポイントを書いておかないとね。
1 「労働力の商品化は資本主義の基本矛盾にはならない。労働力商品は資本の反照規定であってこの両者は矛盾的自己同一をなす」から論。これは黒田派のおハコのようですが、違いますね。武市弁証法の示すとおり、論の始元は片側でよい、あるいはそこからでなければ動きようもない。自分でやったことがないからわからないだけ。

2 かたや、武市先生のコメントも載っていて、宇野の原論は使用価値の原理が無視されているので、資本主義の全体に至らない、と苦言を呈されております。これも社会科学を知らない人の言で、まあしょうがない、哲学者だし。始元というのはそれを含む全体を構成する端緒です。まあ釈迦に説法。したがって、そこに現れるのは資本主義の仕組みである。ところが人間の「現実」は実は仕組みではない。歴史なのだ。あるいは時間なのだ、といったほうが本質的である。お釈迦様方は、この辺は「思い出した」でいいかね。マルクス主義者ならそんなことは誰でも知っている、はずだ。もっとも「はず」でしかないことも当然。だから歴史の始元が労働力商品であるはずもないのだ。もちろん、商品でもない。宇野に密着して言えば、それは労働力の商品「化」である。「商品となること自体」が資本主義社会の全体を明らかにし、その生成と発展と腐朽を明らかにするのである。すなわち究極的に「商品とならない事態」の直前までを明らかにするのである。「化」を始元として「化」にかかる原動力が展開されるのである。
 分かったかね、弁証法の威力を。誰も知りゃあしないからお笑い種だ。ヘーゲルにそんな規定はない? しるかバカ者。

 しかし、「ああなるほど、事的世界観ですね」 なんていわれたらどうしよう。桑原桑原。

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「労働力商品化」の実質的意味

2018-01-13 13:48:03 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。日本、どこもかしこも寒そうですね。前言いましたっけ、東京地方、なぜか北からの夜風は1年中おんなじ匂いがする、あるいは同じ香りがする。何の匂いなんだろうかね、私にとってはとてもアットホーム。

 さて、今週はなんだかぼろぼろと聞き捨て、じゃない、見捨てならない情報が。ま、余裕というかヒマというか、現状、次回用に資料知識を詰め込む段階なので、頭脳がフリー。でも、ただの感想だけですが。

1 満員状態の信越線普通電車が15時間半も立ち往生。冗談じゃない、トイレ溢れてない? そんな目にあうのは御免こうむりたい。NHKニュースでは、日中除雪もしてないうえに除雪車の到着にも基地発車から(ほんとは15分のところ)9時間以上かかったそうな。どうせ人員切り詰めだろうが。JR幹部は「なんかあったら時が解決」とか思ってたに違いない。と思って、労組広報を見ましたが、東日本ユニオン新潟地本(=JR東日本労働組合新潟地方本部)、何の意識も持っていない。恥ずかしいぞ。それとも労働者がたるんでたのか。もっともここは国労でも動労でもないもよう。鬼の新潟地本はどこにいってしまったのかね。
 ちなみに動労千葉は及ばずながら反合理化宣伝をしている(ある程度検索すると目に入る)。すなおに褒めておきたいことです。
 
2 ネットで見たら渋谷大盛堂書店が移ったそうな。おや、あの辺は旭屋書店があるところでは、と思ったら旭屋もうないんだって。青春の思い出書店なのに。
 大盛堂書店は思春期の思い出書店。現状をネットで見れば見る影もない、バッタ屋的書店ですが。バッタ屋というのはバタ屋のことと思いますが、若人はバタ屋も知らないんでしょうね。昔、大盛堂闘争なんてあったよね、って誰に言ってんだろう。外から見えるようになったのはまだ40年前。あれが最後の花火だろうけど。

3 明治神宮奉納土俵入り、白鵬に拍手まばら。(スポーツ報知)
 もうやめちまえよ、白鵬。相手してるこたあない。くずの相撲ばら、やめて相撲の歴史に刻みつけていついつまでも思い知らせてやれ。お前が日本の恥だ、相撲評論家。どこが日本人だって? 韓国以下だぜ。ネットウヨ以下。いや、失礼しました、同じでした。
 
4 「前橋市で乗用車にはねられた自転車の女子高校生2人が重体となった事故で、、、車を運転していた同市の男(85)を逮捕した。」(共同通信)
 なにをいうかは常連様ご存知のとおり。おめえのおかげで若人が何十人も死んでるぞ、国会議員。早く道交法を改正しろ。
 
5 中国河南省済源市の観光地「五龍口」で8日、降りしきる雪の中カメラを構える男性。人間に慣れた猿たちは望遠レンズに興味津々、まるで写真をレクチャーをしているかのようだ(アフロ)。えーーニホンザルじゃん。人間もサルも、日本とおなじな河南省。

6 「名探偵コナン」ボスの正体は烏丸蓮耶? なわけないだろ。商売人だね、青山先生。

7 着物の販売・レンタルなどを手がける「はれのひ」(横浜市中区)が突如店を閉じ、予約していた新成人客が8日の成人式で晴れ着を着られなくなった。(朝日)
 でも、もう晴れ着なんてやめたら? ネットの着物評論家も、金儲けだからやめろといってるよ。着物文化がよけりゃふつうに普段着をきればいいじゃん。金持ちの道楽に付き合う必要なんかない。
 ちなみに俺らの上なんて、女も普通にスーツだぜ。スーツは普通じゃないか。
 ちなみに俺らの頃なんて、成人式なんて誰も行きゃしないさ。me too。

8 正月ぶとり、なぜすぐ太るのに苦労しないと痩せないんだろうか? 家人いわく「せっかく飢えに備えて太ったのに、すぐ痩せたらまるで無駄じゃない」。まったくそのとおりで。

9 「北海道白老町の踏切で乗用車がJRの特急列車に衝突する事故がありました。列車に乗っていたセンター試験の受験生は、警察のパトカーで会場に送られました」(ANN)。よかったね。で、この受験生の担当教師って佐藤君そっくり。(誰にいってんだろ)。実家に帰ったのかね。お兄さんかな? そういう偶然で捕まる人もいる。(佐藤君は立派な人です。)

 というわけで、感想だけなので多少は役に立つように、「労働力の商品化」の行為論的意味とは。
 例によって漫画の代わりに柴垣和夫教授「マルクス=宇野経済学とともに」。柴垣という人はわたしほどの昔は社会党系の学者だったのですが、昨今は「宇野派」などと呼ばれていて、しかし、いかにも宇野価値論を知らない。どこが宇野派なんだろうといぶかしく思っておりましたが、(宇野の受容者の)大内力の指導の下で金融資本段階論をやったということのようだとわかりました。で、その昔話の中で、労働力商品化について、 ”これは
1 労賃の市場での他律的設定
2 労働力が売れなければ失業し、生存の危機になる
3 労働過程が資本家の指揮命令下で行われ、労働の疎外が生ずる。
 ことが問題である。
 ところで、現代資本主義においては、
1’ 賃金決定は労使交渉によって行われる
2’ 生活保護がある
3’ 仕事を生きがいにしている労働者も多い。
 この日本の事態こそ資本主義の社会主義への世界史的移行の時代だからである”、と。まあ読んで呆れてウサ晴らし。

 労働者だったことのない人に教えてあげましょう。この思いつきの列挙の中で、2つは別の話。
1” 労賃は誰が決めようが、まともな額が入ればいい
3” 労働過程は自己の選んだ想定どおりの結果が確保されればいい
 で、日本がどうだって? 賃金は大学教授の5分の1だけど、君はいくらだっけ?
 労働過程が生きがい? 生きがいというのは、仲間や他社を出し抜いたり陥れたりしないと手に入らないのだけれど、それが好きか? 人間、知らないことに口を突っ込むものではない。
 ま、それはいいとして問題は真ん中の2。これのみが「労働力の商品化」の一部をなす。
 一部というのは、労働力の商品化は、これを扱う「資本家」の存在をも規定するからである。知らんかった? 
 労働力の商品化の行為論的翻訳は、
(1) 賃金をこれだけしかもらえない労働者ばかりでなく、賃金を「残念ながらこれだけしか」払えない資本家や、同様に「嫌々これだけは」払わなければならない資本家をも含むのである。
(2) 同様に、勤勉であっても首になる労働者と、「残念ながら首にするしかない」資本家や、同様に「首にしてせいせいする」資本家をも含むのである。
 当たり前。資本主義は、これに関わる行為者から行為を取り上げカテゴリーとなす。この人間行為の拘束性が労働力の商品化なのであり、これこそが資本制社会の根本なのです。と宇野が言ったし、わたしも思う。
 本来、支配社会における労働力の使用は権力者の専用事項であり、被支配者はその我慢の範囲内でこれに従うしかない。この資本主義での従属被支配形態が労働力の商品化である。このとき、支配権力者ではなく権力者から私的所有権を分与されたに過ぎない資本家は、その私的所有権の範囲内でこの労働力を使うしかない。資本主義国での労働者奴隷は、奴隷ではあるが、制限せられた奴隷なのであり、この労資に課せられた制限こそが「労働力の商品化」なのである。では、資本家は? 資本家は儲けることしか許されない。儲けるのをやめたとき、彼は「人間」に戻り、そして飢えて死ぬ。そう宇野は言ったし、わたしもそう思う、これが柴崎の知らない宇野経済学の世界なのだ。
 
 実際、「労働力の商品化」というのはいい切り分けだと思います。
 ただし、こう切り分けてしまったので、宇野弘蔵が口を閉じてしまうことがある。それがソ同盟経済です。この切り分けの中でソ連社会主義は決して資本主義ではない。そこには労働力の商品化はない。かたや、いかに我が同盟とはいえソ連社会主義を容認するわけにはいかない。
 イコール、「人間社会は労働力の商品化を止揚しただけであってはならない」ことがバレてしまう。それでは折角の自分の名声が崩れてしまう。
 かくて、宇野弘蔵は、ソ連の評価をすることはなかった、というわけです。
 じゃあ、「労働力の商品化」という切り分けはまずいではないか? そんなことはない。「労働力が商品化されなくとも国家がある限り人間は収奪される」と自分の理論のままに大声をあげればよかったのだ。自分がそれに殉じなくて、何の「理論」か。
 ま、そういうことです。

 別件。柴垣氏、自分で武蔵大学を(無言で)けなしていたけど、武蔵ってネット口コミがひどいねえ。昔はほとんど一流大学だったけどね。少人数だと世間に知られないから、知らないやつが言いたい放題して、悪循環に陥るんじゃないかね。
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本年のオカルト他1件(人間に向かっての祈り)

2018-01-06 15:57:31 | オカルト(途中から)
 こんにちは。お正月休みはいかが? 今年は11連休の会社もあるんだって、すごいねえ。そんなにどうすんだろ、もう会社に戻れないんじゃ。私は6連休くらいでいいや。それ以上休んだことないし。今かんけいないけど。
 
 初詣でとか行きました? 私は近くの神社系へ。最近は知ったかぶりのマニュアル世代が多くて、賽銭箱の隣に手の叩き方とか書いてあって不愉快。おめえは神様か(ただの兼業会社員だろう)、って気がするのは中高年だけか。教えてあげよう。お祈りっていうのは心でするもんだよ。
 ところで正月なので、例によってオカルト。
 ふと思えば、苦しみも苦しみからの脱却の祈りも、みんな人間たちがこさえた仕業ですよね。もちろん、戦争やその類の苦しみも、飢饉の苦しみも同様。神様も仏様も誰も戦争なんてしろとは言わない。人間が勝手にしている。飢饉ったって、そりゃ自然の結果じゃあない。人間のこさえたものだ。ウソ? じゃあなんで飢饉で死なないやつがザラにいるんだ。100年前、松方デフレで飢え死にした人をよそ目に見て、今だってわれわれ子孫は生きているんだから。
 あるいは、なんで祈る? 自分の親や、あるいは時には上の上の支配者の人間が助けてくれた経験があるからです。親も人間、支配者も人間。みんな人間の世界をぐるぐる回っているだけ。
 神様が人間並みであれば、「知らねえよ、そんなもん」と発言して当然です。「なにやってんの、手を合わせて。おりゃ領主でもアベでもないよ。お願いする相手を間違えてるよ。かわいそうなやつは究極的に助けてやるんだからだいじょぶだよ。苦しい? そんなこと、お前らで何とかしろよ。お前らの世界だぞ」
 私など心が狭いので、このくらいの応対とかしか思い浮かびませんね。
 神様に直談判したら、「俺ら、お前ら人間のおかげで、豚や牛や鶏からの陳情がひっきりなしだよ。子供が生まれるはしからいなくなっちまう、あれは人間に殺されたんでしょうか? って。お前らのことなんか知らねえよ。頭良いんだから自分たちでなんとかしろよ。じゃあね。バイバイ」とかいわれて当然。そう思いませんか、宗教家の方々。
 だからなんだって、って、現世利益のお願いは間違いだって。宗教自体はいいよ、信じようが信じまいがどっちだって。でも宗教家も現世のことは自分たちでなんとかするしかない。神様はそういってますよ、とわたしゃ思うね。自分たちのことは自分たちのこと。
 それとは別に、お祈りは心でするんだよ。2度手を叩いて頭を2度下げるだあ? 幼稚園児かね。お祈りは自分の存在について、他者の存在について、感謝したり、お任せしたりするんだよ。それは神の領域だからね。ほら、おいら、すごいだろ? プロテスタント以上。本質的だね。だってそれしかないじゃん。
 というわけで、分かったら宗教家、キミ。吾が隊列に加わって呉れ給え。

 でさ、これだけではいかにもテーマが特殊。わたしは基本ふつうの人間なので、つけたり。
 次回論究の世界資本主義(いつも題が変化してるよね。テーマがでかいのさ)。で共産主義社会論をするので(ほんとでかくて)、疎外論を(図書館が正月休みで)ネットで見たら、神奈川大学旧教授の沢田幸治氏が『類的存在と人間的解放の「完成」』ていって、類的存在=社会的存在論の論陣を張っていました。類的存在論っていうのは文章上は、唯物論的な認識=存在理論 にすぎないんだけれども、昔はよく「人間の望ましい共生社会的あり方」って意味で使ってたものです。で、沢田先生は、「実際そういう理解が正しい」というわけ。ま、マルクスがどう言おうといいんだけど、そしたら、神奈川大学の後輩教授のはずの山口拓美という人が、これを全面否定してるのがおかしかった。沢田先生が福島大学から引っこ抜いてきた人っぽいのにねえ。
 別な話、ネット情報の見てお得度は、神奈川、専修、立命館、福島の各大学が四天王だね。
 元に戻って、人間の共生社会的本質というのは、実はすでに隈理論が明らかにしております。共生のないアナキズムなんて自家撞着(じかどうちゃく)だかんね。
 「人は自分のことしか考えない」なんて、中学生までだとよくいうじゃん。
 ほんと子供だよね。
 実は「人は自分のことなんか考えない」。ご飯食べさせてもらっている子供にはわかんないんだよね。
 人は他人のことしか考えない。もちろん生きている人間は食べ物が優先だけれど、さて生きていけると思ったときには考えるのは他人だけなのです。自分のことなんか考える必要はない。もう生きてるんだから、「生きてるけどじゃあ何を行動しようか」、っていったら人間は他人のことを考えるしかない、これが人類の逃れようもない存在形式です。
 逃れようもないことを、存在形式として「取り返す」んだみたいな論陣を張っちゃあいかん。といって、その本質的形式を「そんなものは疎外とは関係ない」、と論じてもいかん。この形式は本質なんだからね。
 疎外の論議が存在するというのであれば、それはこの形式の内実にある。ま、理屈だよね。
 なお、そっから先の展開はあっちこっちで書きました、わかりにくいけどね。
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幅広耳ラスク

2018-01-01 09:56:53 | その他
 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 
 お正月になっちゃいましたね。去年から1年。今年はアルバイトがないので、この冬は四十年ぶりにヒマな冬、何してもいいなんてすごいもんです。もっとも最近は思う存分寝てるので、「今日も会社行くのか」と暗くなることも少なかったですが。皆様も疲れたら寝る時間を早めるのがよいですよ。
 ただ、この付近でも最近アメリカ軍用機の轟音が夜中に聞こえて。横田基地と横須賀空母の通り道。夜間訓練のストレスでいやがらせ低空飛行をしてやがんのではないかと思うのですが。

 昨年は年越しそば失敗。辛すぎ。
 でも銀座藪蕎麦は死ぬほど辛いですぜ、35年前しか知らないけど、、、銀座藪って知らない?、、、ない! ネット情報がない! 4丁目交差点の奥(海方向)ですぜ。地図にはそのあたり竹葉亭とか書いてあるなあ。藪だったら。ただのビルの藪。信じらんない、他人事とはいえ。親戚やお友達はたくさんいるはずなのに、相撲協会のような魑魅魍魎。関係者、誰か情報残しとけよ。そんなに嫌われとったのか。下町文化は「人間的」で恐ろしい。(後日:書物にて調べました結果、「銀座更科」でした。竹葉亭の2軒有楽町寄り。平成7年閉店の模様。伏してお詫び申し上げます。ネット情報がないことには変わりないけど。俺馬鹿だけど、いちおう更科でも調べたさ。))

 で、本年は、去年から毎日その日暮らしなもので抱負が湧いてきません。何かと事情で第二の人生に踏み込めないので、このままずるずると体力が消えていきそうな気が、、、ま、それでもご覧のとおり第1の人生の半分は継続中ですのでいいんですが。

 さて、本日の役に立つブログ。テレビ見ないし、正月早々ニュースもなく、昼からお客さんだし、で、お料理講座。パンの耳ラスクは電子レンジとフライパンで。
 おせちも3連チャンでは食べ飽きますでしょう。そんな日のランチはサンドイッチで。
 耳付きサンドイッチも美味しいものですが、フライパンでホットサンドにするとどうしても耳がジャマ。他方、耳ラスクはギリギリで切った固耳だけだとどうにもチープ(ま、どうやったってチープな食べ物ですが)。そこで少し幅広く切り落としましょう。そのほうが、ホットサンドもハムやスライスチーズと大きさが揃います。耳は半分とかに切りますよ。さて、で、ラスクは?
 1 油で揚げるのは脂肪分が恐い
 2 トースターじゃ一本一本いちいちマーガリン(バター)何かつけてられない
 それならフライパンで一気に油焼き、というところですが、幅広ラスクはうまく焼けません。柔らかい部分が広すぎる。なぜか耳が下になって全体に焼けない。
 そこで、まずは電子レンジ。パンの湿り気しだいで違いますが、総計4分前後(私は1分ずつ湯気を払いながらやりましたが)。このぐらいでぱりぱりしてくるので、それからフライパン弱火でマーガリン等で焼きましょう。私はけちなのでサラダオイルで油まし。砂糖は上から適当に振りかければオーケー。シナモンもあれば適当に振りかけて菜箸で全体を混ぜればオーケーです。むずかしい「なんとか糖」はいりません。砂糖で十分。マーガリンから味が移ります。
 で、色がついたら終了。4分前後でないかな、火加減によるけど。
 半分(や1/3)に切ってあると一口で食べられるから多少味付けにムラがあってもいいの。土井善晴が言ってます。日本の料理は、味付けを全体一律にするのではなく、部分部分にするもんなんだそうで。そうすると味に奥行きがでるんだそうな。
 
 では、お休みで体がなまります、お体に気をつけて。
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