リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

悪口の歴史的意義

2011-04-27 23:16:40 | 歴史への視角
 こんばんは、で昨日の二の句。
 すいませんが眠いもので簡単に。

 つまり、誰が口にしても、悪口なんて言うのは真理から見れば何の意味もない、ということで。
 悪口なんてイデオロギーですからね。宗教と一緒です。

 福島がなんだ、東京がどうだ、なんていうのは、現実を解釈する言葉に過ぎない。
 一方、現実というのは厳然として存在する。歴史の中で、歴史の構成素の総体として必然的に存在する。これは誰にも動かすことはできない。
 福島の現状も東京の現状も、けなそうがほめようが、そんな人間の評価にかかわらず、現実として存在する。

 だから私の悪口が黙ってしまうのも当然で、真理からすればどうでもいいことなんでね。
 
 ただ、そのことに関して語る言葉は無意味なのかといえばそうではない。
 言葉を語るのは人間であり、人間というのは常に将来に向けて(のみ)存在する。次の瞬間になにをしようか、と常に自問自答を続けていくのが人間(生物)です。
 人間はそれまでの現実の中から次の自分の現実に関する要素をかき集め構成し、次の自分の行為を成功たらしめようとする。
 その手段が、悪口のようなイデオロギーです。それは自分にとって正しい。しかし、状況の違う他人にとっては正しくない。それが悪口というものですね。

 イデオロギーは真理ではありません。それは常に他人に対する闘いの方策です。
 であるがゆえに、常に他人と共通の土俵を持ちます。
 
 戦闘にはイデオロギーは存在しません。「それがどうした」死ね。戦闘の中では「それがどうした」、という言葉で消されてしまう。
 しかし、日常の中ではイデオロギーは常に共通の価値を持つ。正しく言えば、賞賛と優越的自由を共有する。

 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。そんな親鸞の言葉がありますね。宗教などはせいぜいそういう(くだらない)ものです。
 いったい、世の中に善人も悪人もいるものか。
 多少の性格の違いと、生きる状況だけが違う人間達しかいやしない。そんな人間の間で、なにが差別があるものか。
 仏教もキリスト教も、規範宗教などというものはそうした人間の真理を否定するでくのぼうたちのお経です。
 しかし、宗教はイデオロギーではある。
「悪人なんか人間ではない」と主張するおめでたい地主達に対抗するには、人間はそういうものではない、と真理を言ったところで何の力にもならない。人間の将来を構成しない真理は、道端の石ころに等しい。
 人間の将来を構成する、したがって個人の賞賛と優越的自由に関連する言辞、それが宗教のバリエーションなのです。
 善人と悪人を対置させる。そのことで自称善人に、悪人の賞賛剥奪の感覚を思い知らせるのが、真理などではないイデオロギーの、しかし、真理を告げるのに匹敵する役割なのです。


 、、、という、まあ、歴史の見方ですね。
 
    では、目が眠いので。


(P.S. 2016.8.6の記事で、親鸞の評価を追加しました。一部ばかにしていることの訂正です。)
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通電しました

2011-04-26 23:25:26 | 断片
 こんばんは。長らくのご無沙汰でした。
 光からADSLに変わったもので、引越し後、ようやくネットが通じました。
 わたくしのところは2000なのですが(コンピューターのOSの話)、ここんとこMSDOSコマンドを使うことが多く、今回も客観的には絶望的なところ、これで切り抜けました。マイコン時代の古い人間でして。
 「なんじゃ、へろへろコマンドって」 と思われそうですが、やっぱXPとかって、まあ進歩なんだろうなあと思うわけで(古いか。「Vistaって」にかえます。「7」のことは知りません)。

 さて、話は古いでしょうか、富岡原発。
 えらそうな野次馬が、東京は福島のおかげで繁栄してるんだから、力もカネも出せとかいいくさるのに腹を立てて、ばかやろう、人の反対も聞かないで誘致したのは自称地方自治主権者だろうが。自分においしいときだけ主権者などと、ありうるものか。主権者は主権者として自分で責任を取れ。
 と主張したら、そこは話し相手の中高年者はだてに年を食っていない。

 そうじゃないんだ。
 原発以前の富岡を知っていたらそんなことはいうまい。
 戦後安保の高度成長のとばくち、富岡小学校では裸足通学だ。
 給食などありはしない。東京人が脱脂粉乳の悪口など、そりゃ笑い話だ。
 弁当を持ってこれない子はじっと机に座るばかり。
 そのうち、識者の努力で味噌汁だけつくようになったのが、どれだけ助かることだったか、、、原発の誘致が悪いだなんて、そのことを知っていたらいえないね。

 なんていわれちゃ二の句もつげないというところですね。

 てなわけで、二の句はみょうにち。明日も仕事で遅いので。
 睡眠不足は致命的ですが、なんといってもふとみればたくさんのお客様、恐れ多くて。
 まずはご挨拶で。


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理想について の2

2011-04-13 23:13:16 | 歴史への視角
こんばんは。今日は政府で雇用対策費1兆円の予算を組むとか。

 こういうときはフリードマンに、お墓を訪ねてインタビューしたいものです。
 あなたさまならどうするんですか? って。
 もちろん答えはわかっていて、
「君達みたいに短期的な成果を出そうとしてはいけない。結局それは君達の国を破壊するだけだ。じっと我慢して産業が回復するのを待ちなさい。」
「へえ、先生それはいかほど待つと」
「だからそれは状況次第だ。」
「だからそれは2ヶ月ほどですか?」
「キミはバカかね。もっとだ。」
「じゃあ、2年」
「バカと話す気にはならん」
   実は100年でさあ。
 
 わたしも若い時分、マルクス経済学者たちが近代経済学者の悪口をとりたてていわないのを不満に思っていたものですが、この10年くらいでやっとそこのところが分かりました。
 バカと話す気にはならん。

 さて、今日は水曜日。話題2分割の水曜日というのは、わたくしあさって引越し予定だからでして。引越しはよいのですが、行った先に光ケーブルがなく、契約換えで、ネット接続に1,2週間かかるとのこと。その間更新できず、その区切り更新、というわけで。
 
 引越し、と思って山のような荷物を整理しますと、すくなくとも私の荷物に限っては、使うものは、パソコンとシャツ、下着とスーツ、そして通勤バッグ、
 みたいなもんですな。あとはほとんど思い出用品だけ。
 私はサラリーマンの息子で知りませんが、純粋な農民の持ち物というのは、とてもシンプルなんでしょうね。
 思い出は自然の中にある、、、
 そうでもないんでしょうか、、、


 てなわけで、理想 その2。
 
 資本主義を生きる上では理想など出てはきませんが、人間、自分と社会を生きる中で必ず「理想」がでてくる。
 それは時代の中でいろいろとお化粧をして現れるわけですが、有名どころでは、フランスその他の三色旗ですね。
 自由、平等、友愛。なかなかよくできていると思います。
 なに、右翼なら右翼でもいいんで、右翼もヤクザでなければ必ず理想がある。
 こちとら理解不能なので例には取りませんが。
 
 そうした「なんでもよい」人間の理想は、実は現実の中で日々敗北にさらされている。
 「自由、平等、友愛」こんなブルジョワ民主価値でさえ、日々の勤労生活で貫徹させることはできない。
 
 理想は敗北する。
 敗北することがわからない人間は、ありもしない幻想を振りまくことで、被支配者の賞賛を取り去り、そのことで被支配者の力を拭い去り、その結果、支配者に加担するのみだ。
 「資本主義は自由社会だから、自由も平等も友愛も実現されているのだ」
 さすがにそんなバカは大学の経済学部にしかいないが、それに近い人間は会社の社長にはいる。
 自由や平等を思う人間は、首にされたり給料を減らされたりしないため、じっと我慢の子だ。
 
 しかし、現実とはいつもいつもそんな絶望的なものかと思えばそうではない。
 
 人間が実現しようとするマグマのような理想は、地表の割れ目につけ込み、いつか必ず姿を明らかにする。
 理想は、集団的な賞賛体系の力を得、
 命知らずには命をすてる力を。
 家族持ちには、最後的な決起を。
 しらけた人々にはそうした状況の容認を結果させる。
 それが革命です。
 革命は理想が起こすのではなく、状況が地表を薄くする過程の結果ではあるが、そのマグマの根源は理想と呼ばれる表現の基体なのです。
 
 ところで、残念ながら話はそのまま終わらない。
 マグマの噴出は、その経済的システムの取り繕いでふさがれる。
 後に残るものは、いつまでも自由と平等を把握せんとする人間の、屍です。
 
 世界とはそういうものです。
 
 理想は敗北しつづけるが、いつか勝利の原動力となる。
 が、その勝利は長くは続かず、一段上の階梯で、また敗北を続けていく。
 が、それはあくまで一段上ではある。
 
    ま、若い人への訓示ですね。


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挿入話

2011-04-11 22:00:10 | 断片
こんばんは。

 昨日は選挙で、民主党が負けて
 今日、家人がいうところでは、「全部自民党のせいなのにね」
 おや、そのとおり。
 世間じゃそんな正しい話は意識なんかしてないから、本日は予定外に一言入れておこうかと。
 
 ほんと菅なんて原発反対派だったろうにいい迷惑さ。
 こういうときは政権を自民党に返して、なんでもやってもらったらいいさ。
 わたしは政治思想を越えて、無責任が一番嫌い。
 自民党が、左翼の意見を聞いて、原発建設後からでも、特に危険な原発にはきちんと手当てしとけばここまでのことにはならなかったのに。

 ま、そんなこんなで、都知事選。後期高齢者の老いぼれ石原がまた知事だと。ばかな都民。
 一方、イデオロギーは違えど、わたしが敬する小池晃が60万票、まあよしとしますか。
 投票者が60万人いても、共産党員を除けば、小池晃なんて知らないよね。
 かたや、知らない人だけど票が入って、かたや顔だけ知ってる人だからどこの政党でも受かる(神奈川県知事の話)。
 ほんと、選挙なんざくだらんもんです。

 とゆうわけで、今日のためになる話。
 ひとびとは、原発事故など天災と考えている、という事実。「しょうがないじゃん、誰も悪くなんかないさ。ばかな政治家も一般人民と同様、思ってもみなかったことなんでしょ」、って。わたしゃ不本意ですが。おれら散々教えてやったろうが、って。

 ま、そういうもんなの。人のうわさも75日。
 きちがいや政治主義者がいくらあおっても、多数派の人たちは、「しょうがないね」と思うだけ。政治家なんて存在には、自分の経済環境への貢献以外、もとから誰も期待してないしね。

   ただの、若い人への人生訓です。
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理想について の1

2011-04-10 22:01:39 | 歴史への視角
 こんばんは。今日は自粛もせずに井の頭公園に花見、しようと思いましたが、自粛しない人々のあまりの多さにすごすご帰りました。
 ここ10年ほど井の頭公園の花見には行ってなかったですが、この先10年、また行かなそうです。花見は石神井公園がいい(だろう)。これが今日のためになる情報。

 さて、ためにならない今日の情報は、理想について、その1
 その1、っていうのは、ちょっとづつ、っていう意味で。

 で、「理想」とはなんぞや。
「人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態」
yahoo辞書によると、こうだそうで。

 も一つ、西欧語だと同じ単語が「理念」
「ある物事についての、こうあるべきだという根本の考え」
大辞泉   てね。

両者 どう違うかって、「理想」は人が望むもの、しかして行為の原理原則の適用範囲、すなわち、世の賞賛が通行するわけですね。
一方、「理念」は、というと、ただの意志しかない。(人民)百万人といえども我いかん。個人の勝手な妄想ですな。
西欧人というのは西欧国家に居住する人民の、その上流階級のことですから、単純素朴な国家人、キリスト教人。彼らには自我なんかありません。国家のロボットなので、両者の間に矛盾はないのです。

さて日本の話。
去年の11月に、民主党が
「民主党は武器輸出三原則で、すべての国への武器輸出を『原則禁止 』としていた1976年の三木内閣の見解を見直し、輸出禁止対象国を限定する案をまとめた
(gooのasahi.comニュース)
わけですな。

自民党が古いって、「古い」という言葉を使うというのは、日本人が共通に思うだろうという観念からすれば古いだろう、というわけですね。要するに理想が古い。ただし、古いけれど、あった。

さて、民主党はというと寄せ集めで理想なんかバンラバラ、さすがに政権当座は理想のヌシ、鳩山をおみこしして、新しいんだよ、みたいな顔をしてましたが、党でおみこししたのは新しさだけ。もう鳩山さんも忘れ去られまして、さて残ったのが、上記のごとき本音。
『資本主義理念』
というわけで。
恥知らずな話でさあ。

資本主義には理想はない。なんせ競争社会ですから。人々が共通して持ち上げて運び得る「理念」などは、「頑張って生きる」ことだけ。 そして人々が共通に望み得る『理想』などは、武力権力が持ち出す国家主義しかない。
 自民党は古いだけ共同体社会の美しき理想を持っていた、というわけで。

だからなんじゃね、って、そこは、その1だから。
後はこんど水曜日に。ちょっと個人的な事情がありまして、小出しに。

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大阪で津波?

2011-04-03 23:00:36 | 断片
 こんばんは。ここのところちょっと忙しくて、だけど1週間空くのもなんなんでみなさまにご機嫌伺い。
 若い人的にはちょっとしか忙しくないんですが、そこは中高年。とにかく8時間の睡眠時間が必要なのに6時間しか寝られない=通勤電車中の知的活動をなくす=電車で眠る、という経路をたどりまして、あまり表現意欲が湧かない。

 さて、今日の昼飯ラーメン屋のテレビは、くろがねひろしが出て、アメリカやらフランスやらの原発事故処理援助問題。
 なんで黒鉄なのかね、とは思いますがそれはおいて、ほんと今回驚いたのが、「世界一の原発国」の日本の技術のなさ。
 なにが世界一か。「ゼロ戦」の時代とおんなじなんだね、子供の自慢。(注:世界一のゼロ戦と宣伝したって、飛ぶだけ。基礎部品の工業技術のレベルが子供と大人。撃たれりゃ火を噴く。メンテもできない)。って、自分がそれに巻き込まれていたことに気づけてよかったです。
 こんなお粗末なレベルとは、知識の豊富さを誇る私でさえ、知らなかった。
 なさけないね。自分のことですが。反省反省。
 それにしても、世界一が恐れ入る処理技術。

 さて今日のためになるブログ。
 
 大阪の府議会議長がこの地震に「大阪にとってラッキー!」といったとか言いますが、平成19年、て西暦に換算できないなあ、4月号の「歴史読本」によりますと、1854年、安政南海地震の津波で大阪全土は壊滅し、数千人の犠牲者がでた、ということです。
 しかも液状化。人知れずともちゃんと立派な碑が立っていて、「津波は沖より汐こむばかりにあらず。」海底、川底、田畑の中から泥水あまた吹き上がる、と記述されているそうです。 
 それ以来現在まで、埋め立てた大阪湾は、広さ11,600ヘクタール、ってどんだけ?
 
 どこもあぶない日本列島。みなさま自分のことだけよかろうと思っても無駄です。


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