こんばんは。東京地方の大雪は、当家の前の森の最前線の桜の木の枝を折ってしまい、今年の桜見が思いやられる今日この頃。もっとも、その他の桜は大丈夫でまだまだお花見景色十分ですが。
さて、世の中、まだ冬季オリンピック、報道がなんでもかでも感動物語にするんで、こちらもああそうかしら、とか思ってしまいます。メディアの影響といったら、危険。
だいたい、わたしなんか、フィギュア・ペアと旧大回転とジャンプだけがみたいだけなのですが、やっとジャンプがみれただけ。
そんな中では、キムヨナというんですか、あれなかなかでしたね、将棋のハブを思い出しました。
言うこと読んでても、「わたしだって浅田みたいな、1. プラプラした(みーはーみたいな) 女の子になりたい。だけど 2. わたしは韓国人、3. わたしには韓国の大衆がついている。
でも、わたしはそれだけじゃないわ、わたしは人間よ。
みたいな。
りっぱ。
ま、最後までぶきっちょな浅田のほうがかわいい、という見方もできます。
将棋でいうとハブより山崎のほうがかわいい、みたいな。わたしはどっちも興味ないですが。
で、あと潔いのが鈴木明子、さん。
潔くて気持ちはいいのですが、それだけにかわいそうなのが彼女の周りの人間のセンス。
この何年か、ずうっと思ってましたが、浅田の衣装はいいとしても、この人のはひどいねえ。まるで伊藤みどり。
鈴木氏のあの赤い衣装を
1 もう少しくすんだ赤さで7割
2 そこに白系統を2割
3 最後に〆の黒色を1割位未満
でこさえたら、2位分は点数アップしたと思うんだけれど。
具体的には
1 バラ色=鈍色の赤
2 白とも思えるごく薄いベージュ=結果的に金色かとも思える=鈍色にしたときに加えた色で白を加工
3 黒
で作ったらということなんだけれど。ぴかぴか光る生地でね
って、錦鯉の一種か。
決して馬鹿にしているわけではなく、生物ってそういうもんじゃないかね。
ま、どうでもいいや、わたしが茶々いれたいのはそんな20代(ないし30代)の方々の努力と、そこらのお子さん達の金銀メダルが同列だなんて話はなかろう、ということで。
「おんなじじゃねえか、このじじい差別すんのか」 とお子さんにいわれるのには興味ないですが、本日は、そうかな、なんて思う、おじさんおばさんあての役に立つブログ。
お子さん方の努力にないのは、20,30ともなれば自分の人生を見ながら努力しつづけなければならない、というハンディなのですね。ただ肉体的に努力するとか、いやだけど、「ちくしょう」と思うから努力するとか、25過ぎた人間というのはそんなものではない。
25ともなれば、もうそれが人生の最後の努力です。本当はあと何度かあるのだけれども、自分ではこれが最後になると思ってする努力。毎日毎日襲ってくる「これでいいのか」という自問自答に応答しながら自分の人生として努力していく日々。
わたしには他人事ですが、これを曲芸がうまいお子さんたちのパフォーマンスと比べられたくありませんな。まあ体育会系の基準というのはそんなもんなんでしょうが。
一方、それだけに、それをどんなかたちであれクリアした人間は、お子さん達が得られない人間となっていく。
なんででしょかね?
大人のメダルは他人に貰うからです。
25の大人は一人では毎日苦労などできはしない。なぜなら、25歳の人間は金メダルを取ればいいのではない。26歳以降の人生をなんとか食いつないでいかなければならないから。毎日毎日その問いのなかで、自分ひとりで生きているわけではない現実を知っていく。
ほんと、なんの人生の鍵も手に入れられないこどもが金メダルを取るのは感心しませんぜ。
(それはそうと、浅田氏、SPはだれにもいわない(いいたくない)ことがあったんだよ。顔をみればわかるさ。)
さて、世の中、まだ冬季オリンピック、報道がなんでもかでも感動物語にするんで、こちらもああそうかしら、とか思ってしまいます。メディアの影響といったら、危険。
だいたい、わたしなんか、フィギュア・ペアと旧大回転とジャンプだけがみたいだけなのですが、やっとジャンプがみれただけ。
そんな中では、キムヨナというんですか、あれなかなかでしたね、将棋のハブを思い出しました。
言うこと読んでても、「わたしだって浅田みたいな、1. プラプラした(みーはーみたいな) 女の子になりたい。だけど 2. わたしは韓国人、3. わたしには韓国の大衆がついている。
でも、わたしはそれだけじゃないわ、わたしは人間よ。
みたいな。
りっぱ。
ま、最後までぶきっちょな浅田のほうがかわいい、という見方もできます。
将棋でいうとハブより山崎のほうがかわいい、みたいな。わたしはどっちも興味ないですが。
で、あと潔いのが鈴木明子、さん。
潔くて気持ちはいいのですが、それだけにかわいそうなのが彼女の周りの人間のセンス。
この何年か、ずうっと思ってましたが、浅田の衣装はいいとしても、この人のはひどいねえ。まるで伊藤みどり。
鈴木氏のあの赤い衣装を
1 もう少しくすんだ赤さで7割
2 そこに白系統を2割
3 最後に〆の黒色を1割位未満
でこさえたら、2位分は点数アップしたと思うんだけれど。
具体的には
1 バラ色=鈍色の赤
2 白とも思えるごく薄いベージュ=結果的に金色かとも思える=鈍色にしたときに加えた色で白を加工
3 黒
で作ったらということなんだけれど。ぴかぴか光る生地でね
って、錦鯉の一種か。
決して馬鹿にしているわけではなく、生物ってそういうもんじゃないかね。
ま、どうでもいいや、わたしが茶々いれたいのはそんな20代(ないし30代)の方々の努力と、そこらのお子さん達の金銀メダルが同列だなんて話はなかろう、ということで。
「おんなじじゃねえか、このじじい差別すんのか」 とお子さんにいわれるのには興味ないですが、本日は、そうかな、なんて思う、おじさんおばさんあての役に立つブログ。
お子さん方の努力にないのは、20,30ともなれば自分の人生を見ながら努力しつづけなければならない、というハンディなのですね。ただ肉体的に努力するとか、いやだけど、「ちくしょう」と思うから努力するとか、25過ぎた人間というのはそんなものではない。
25ともなれば、もうそれが人生の最後の努力です。本当はあと何度かあるのだけれども、自分ではこれが最後になると思ってする努力。毎日毎日襲ってくる「これでいいのか」という自問自答に応答しながら自分の人生として努力していく日々。
わたしには他人事ですが、これを曲芸がうまいお子さんたちのパフォーマンスと比べられたくありませんな。まあ体育会系の基準というのはそんなもんなんでしょうが。
一方、それだけに、それをどんなかたちであれクリアした人間は、お子さん達が得られない人間となっていく。
なんででしょかね?
大人のメダルは他人に貰うからです。
25の大人は一人では毎日苦労などできはしない。なぜなら、25歳の人間は金メダルを取ればいいのではない。26歳以降の人生をなんとか食いつないでいかなければならないから。毎日毎日その問いのなかで、自分ひとりで生きているわけではない現実を知っていく。
ほんと、なんの人生の鍵も手に入れられないこどもが金メダルを取るのは感心しませんぜ。
(それはそうと、浅田氏、SPはだれにもいわない(いいたくない)ことがあったんだよ。顔をみればわかるさ。)