リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

こどもには分からないことと

2014-02-22 21:48:32 | その他
 こんばんは。東京地方の大雪は、当家の前の森の最前線の桜の木の枝を折ってしまい、今年の桜見が思いやられる今日この頃。もっとも、その他の桜は大丈夫でまだまだお花見景色十分ですが。
 
 さて、世の中、まだ冬季オリンピック、報道がなんでもかでも感動物語にするんで、こちらもああそうかしら、とか思ってしまいます。メディアの影響といったら、危険。
 だいたい、わたしなんか、フィギュア・ペアと旧大回転とジャンプだけがみたいだけなのですが、やっとジャンプがみれただけ。
 
 そんな中では、キムヨナというんですか、あれなかなかでしたね、将棋のハブを思い出しました。
 言うこと読んでても、「わたしだって浅田みたいな、1. プラプラした(みーはーみたいな) 女の子になりたい。だけど 2. わたしは韓国人、3. わたしには韓国の大衆がついている。
 でも、わたしはそれだけじゃないわ、わたしは人間よ。
 みたいな。
 りっぱ。
 
 ま、最後までぶきっちょな浅田のほうがかわいい、という見方もできます。
 将棋でいうとハブより山崎のほうがかわいい、みたいな。わたしはどっちも興味ないですが。
 
 で、あと潔いのが鈴木明子、さん。
 潔くて気持ちはいいのですが、それだけにかわいそうなのが彼女の周りの人間のセンス。
 この何年か、ずうっと思ってましたが、浅田の衣装はいいとしても、この人のはひどいねえ。まるで伊藤みどり。
 鈴木氏のあの赤い衣装を
 1 もう少しくすんだ赤さで7割
 2 そこに白系統を2割
 3 最後に〆の黒色を1割位未満
でこさえたら、2位分は点数アップしたと思うんだけれど。
 具体的には
1 バラ色=鈍色の赤
2 白とも思えるごく薄いベージュ=結果的に金色かとも思える=鈍色にしたときに加えた色で白を加工
3 黒
 で作ったらということなんだけれど。ぴかぴか光る生地でね
 って、錦鯉の一種か。
 決して馬鹿にしているわけではなく、生物ってそういうもんじゃないかね。

 ま、どうでもいいや、わたしが茶々いれたいのはそんな20代(ないし30代)の方々の努力と、そこらのお子さん達の金銀メダルが同列だなんて話はなかろう、ということで。
 
 「おんなじじゃねえか、このじじい差別すんのか」 とお子さんにいわれるのには興味ないですが、本日は、そうかな、なんて思う、おじさんおばさんあての役に立つブログ。
 
 お子さん方の努力にないのは、20,30ともなれば自分の人生を見ながら努力しつづけなければならない、というハンディなのですね。ただ肉体的に努力するとか、いやだけど、「ちくしょう」と思うから努力するとか、25過ぎた人間というのはそんなものではない。
 25ともなれば、もうそれが人生の最後の努力です。本当はあと何度かあるのだけれども、自分ではこれが最後になると思ってする努力。毎日毎日襲ってくる「これでいいのか」という自問自答に応答しながら自分の人生として努力していく日々。
 わたしには他人事ですが、これを曲芸がうまいお子さんたちのパフォーマンスと比べられたくありませんな。まあ体育会系の基準というのはそんなもんなんでしょうが。
 一方、それだけに、それをどんなかたちであれクリアした人間は、お子さん達が得られない人間となっていく。
 
 なんででしょかね?
 大人のメダルは他人に貰うからです。
 25の大人は一人では毎日苦労などできはしない。なぜなら、25歳の人間は金メダルを取ればいいのではない。26歳以降の人生をなんとか食いつないでいかなければならないから。毎日毎日その問いのなかで、自分ひとりで生きているわけではない現実を知っていく。
 
   ほんと、なんの人生の鍵も手に入れられないこどもが金メダルを取るのは感心しませんぜ。

 (それはそうと、浅田氏、SPはだれにもいわない(いいたくない)ことがあったんだよ。顔をみればわかるさ。)
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「人間にとって」という思想

2014-02-16 20:13:58 | その他
 こんにちは。東京地方、ニュースどおりになかなかの雪で。わたしとこのような郊外ですと、まだまだタイヤの跡の上しか歩けません。もっとも先週の雪も今週の雪も土曜日でしたので。電車は動かないのですが、辛い実害はありませんでした。まあ出勤した方々にはもうしわけないこと。
 こういうのはわたし的には「お天道様が見てくださっている」 ということと思いますが。「じゃあ、出勤した俺は何だ」といわれると、それはまあ。

 (p.s. 「それはまあ」 なんだって、という話が出たとして、常連の方が見終わって、追伸、たまたまいらして事情の知らない方に言うと、じゃあ、運の悪いあなたはそういう矛盾を片付けるために何かしてきましたか? という話で。
 お天道様はすべてお見通し。努力なしでお天道様の恩恵をこうむろうなんて、そりゃまずいやね(わたし? わたしは左翼だよ。ここでもすでに「土日休みにしようよ」 って訴えたでしょ)。土、日は、みんなで休もうよ、そうすりゃ友だちたちといろんなことができるよ。正論だろ? 土、日働かなきゃ制度上日本人が飢え死にすんのかい? 「消防士・警察官さんは」 って、そういうあなたは初めからケチつけようとしてるだけでしょ。そんな中で、じゃあ消防士さんたちにどれだけ頑張ってもらおうか、それの代わりに何をしてあげようか、って、そう展開するのが『主体的立場』というものですよ。
 なんてことを素直に言わないのがAB型。鹿児島県人に嫌われんだよね、あきらめてるけど。
 そこで微妙なのが熊本県人。なんかちょっと違うよう。おとなりさんで仲悪くないのにねえ(西南戦争でも人民的にはお友だち)、まあなんとなくはこういうのも幸い理解の範囲内のようで。)

 さて、今日は、今日も生きてますぜ、というだけの記事。
 まずは葛西41歳、よかったよかった。
 20歳前で取れる金メダルなんて「なんだそりゃ。ガキの遊びか」としか思いませんが(そこまで心が狭いわけでもありませんが)、41歳でなきゃ取れない銀であればそれはすごい。
 腑に落ちないのが、船木が葛西をぜんぜん褒めてなくてね、船木なんて人は善さそうなのに。
    いろいろあるんだろうねえ、ああゆう狭い世界も。
 
 の2。
 休日とかに会社の暗い使われてない会議室とかいって、ふと、あれここはずっと昔みんなでお祭り騒ぎした場所じゃないか、なんて思ったりしません? 場所は残っているのにそこにいた人たちはもう誰もしない、そんなときなんか、「ああ人生って人間だなあ」 って寂しく思ったりします、んですが、逆に、おとといは、ふと用で普段は関係ない部署に社内電話かけたら、ずっとずっと昔、高卒で入った子がその部署の責任者やってたりして、しかも幸いなことに相変らずの人柄で、「ああ人生って人間だなあ」 ってうれしかったです。
 だからなに、って、それだけ。 
 どうも長期間1日一回は熱発して、どっかしら炎症があるんだよね。調子悪。
 
 で、こんだけの無内容さというのもねえ、、、
 そこで、役に立つブログ。『「人間にとって」という思想は』。
 
 昔っから「人間にとって」という設定は、社会に対抗する思想として存在しつづけてきました。
 のにもかかわらず、資本主義的爛熟期においては、反体制思想としてはこの論題は否定されます。『それは亡霊のような「類としての人間」論だ』 というレッテル貼りです。
 もっとも今の世の中では、「人間」とかいえば「左翼」の部類になっちゃうんでしょうが、まあ今のことは忘れてもらって。

 さあて。
 本来こうした『人間として』の価値的立場は、その社会にある支配と被支配の関係を否定しようとする平等性において、共通の規範を求めようという立場から出されたものです。
 この意味で、資本主義社会で述べられる『人間一般』という立場は、確かにブルジョワ市民革命を発祥の基盤としたものではあります。
 ただし、にもかかわらず、あくまでそのブルジョワ的視点は、平等の規範との接合にあっただけなので、人間は人間なのだから、この一般化自体に誤りが内在しているわけではない。
 さらに、人間一般の概念は支配被支配の関係を超えるものなのだから、巣灰社会においては必ず「反体制」の思想でもありつづけるのです。
 
 これは一方で社会に求める「思想」でもあります。
 が、他方で、個人が自己を律する「倫理」でもありえます。 
 人を説得する思想である一方、私という個人の動因としての人倫が存在する。そんなものが意味あるか、って、人は24時間「消費物を生産して」いるわけではありません。人倫とは関係ないブルジョワ予備軍もたくさんいるけどね。それは、そんなブルジョワ趣味など生まれてから無関係のプロレタリアがいるのと同様。
 いずれにしても、それは社会の道徳に非常に似ているので誤解されやすいけれど、個人がもつ「人間として」という心は、左翼右翼以前の人の心の問題であり、それだけに、政治主義の入りえない善良さを持ち、そしてその行動的表明として、人間一般に理解し得る美しさを持つものなのであります。
 
  例は、杉原領事ね。
  それにしても自分で言って気がついたけど、「今」の判断基準てばひどいね。
  逆にいうと、ほんと昔は鋭かったよね、一面的だけど。

 
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都知事選雑感

2014-02-10 21:14:58 | 歴史への視角
 こんばんは。まだ残る雪の都会の道を自動車が飛ばし、ママチャリの中高年婦人を脅かす今日この頃。誰が事故ったってそうそう運転者に同情はできませんやね。

 さて、隣国東京都では知事が決まりまして、メンシェビキ桝添、桝って違うか? 変な名前ばっかだね。
 「メンシェビキって、左翼じゃねえ、自民党だ」 って?
 だからそういう理解じゃ何もわかってない。
 世の中というのは常に、『世が世なれば』 ということなのよ。
 彼氏はなかなか人民に従順なものさ。地方権力的にはうってつけ。
 前のやつ、なんつったっけ? 論外。根性悪くて誰にも味方されないやつなど追い落とされて権力の座にはつけやしないさ。
 
 ますなんとかなんか、昔、厚生大臣の頃に、ここでも書いたけど(このブログも長いね)、ほんとに何も知らんくせにいいかっこばっかしてね、しかし口先じゃなく無知でも頭と体使ってやってたことを断然評価してる左翼隈。こんなに頭と体使って民衆側で政治してたやついないよ、(これも名前を変換できない)某総理大臣が体だけは使ってることは認めるけどね。
 
 それにつけても田茂が見、いや、これもひどい、変換できねえ、ボルシェビキ田母神、60万票。
 いやもちろんナチス田母神でいいんだけれど、それじゃあリクツが見えてこないから、あえてね。
 朝日新聞なんか無視しくさって、「どうせわたしゃ流れの笹舟」ってゆう正しい自己認識がありありだね。もう10年もたちゃ「田母神先生」だよ。
 投票した若いやつの率を上にひきあげてきゃ、あと10年たちゃ第1党じゃねえか。
 もちろん現実は第2党どまりだけどね。
 この第2党というのがまたリクツでね、社会というのは最後の一瞬までは、資本家直結派が第1党にいざるをえないからね。
 要は、「今は先のない人々がウサ晴らしにウサを晴らせる対象に票を入れる。しかし、第1党になるにはその時代の資本家の意向を汲まなければいけない」 というあまりに当たり前な話をしてるんだけどね、それにしてもボルシェビキ60万票は、もうそこまできたか、という感慨があります。
 
 左翼諸君、わかる?
 死んだブントの人たちはわかるよね。昔から人間てそういうもんだよね。 
 
 革共同はわかってるかねえ、君たちの理論だと、極右に鈴木の100倍も票が入る国はもう絶望したほうがいいんじゃないかね。
 「いや我々はこれからだ」 って、だって君ら、50年の歴史を誇ってんだろ、何も起こらなかった50年の長い歴史。これ以上何年待てと。
 まあ、別に君たちに期待もしていない。そもそも君たち政治主義者がそれを分かる瞬間が、ナチス田母神がボルシェビキ海父仏に代わる一瞬なのだよね。歴史というのはそういうものなのさ。
  
 まったく、思い出しゃあ、口先だけの御都合主義者ばかりだね。
 というわけで、若人は歴史の見方を勉強してください。じゃ、ここんとこ3回も書いたから来週は飛ばしね。
 
 ついでに感想、小泉進次郎。
 かっこはいいが、みんなに受けることを覚えてしまってしかもポリシーにしてしまって、親父はちょっと失望してると思うがな。そのへん、次男だよね。メンシェビキにもなれん。
 「お前だって栄二郎」 ってすんませんな、これはHPに載せたようにアナグラム。
 わたしは長男。
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政治革命・社会革命の概念

2014-02-09 21:00:59 | 歴史への視角
 暖房だけが頼りの零下の1日が過ぎ、東京地方、また太陽の暖かさがうれしい日が帰ってまいりまして。ほんと申し訳ない。
 
 というわけで昨日いった「政治革命」と「社会革命」問題。
 いいかえると、政治権力の変更と社会経済体制の変更は
1 どちらが先か、
2 または社会経済体制の変更のみで足りるか
3 または政治権力の変更があればなんとかなるのか
という問題。
(ま、その他に遊びの議論はいろいろと。しかし、観念用語の弄言。意味なし。)

 ここで、
1 どちらが先かでは、日本マルキストが「政治革命は経済体制革命より先」、構造改革論者が「経済体制の変更が大きな役割を果たし得る」
2 アナーキストが、「社会体制の変更のみで足りる(のと同時に政治権力を滅す)」
3 スターリニストが、「政治権力の変更があれば、「経済体制変更は何とかなる」。
 という区分けになっております。

 で、『お前は、アナーキストだというから、「2」なんだろう』という展開が想定されますね。

 で、要は、こんな区分けがそもそも間違い。
 『あ、きたねえ』 てなもんでしょうか。
 
 全人民にとっては

1 まずは現在の支配をなくすには政治権力に勝たなければならない。
2 といって支配権力に勝っても、その先に衣食住が確保できる生産力が保証されていなければならない。
3 この2つの絶対的必要条件の下で、確保された状態から、
4 さらに、この状態の確保をし続けつつ、
5 支配権力も、
6 さらに生産に抜きがたくひっつく共同体権力も、
7 二つながら無力化していく
これらの一連の過程、これが論議の前提です。したがって、

 第1に、高度な生産力の前提のもとに
 第2に、政治革命を起こし
 第3に、その政治権力の下で意思的に
 第4に、諸権力を廃止する「社会制度を構築する」。
 
 これがアナーキストの枠組みであり、当然に、マルキストがこれを聞いて拝跪しなければならない革命原則です。

 じゃあなんでロシアがあんなに、って。あるいは中国があんなに、って。
 それは簡単な事情なのだよね。要するに、いったん間違った状況に入り込んでしまえば、誰が考えようが、その道への答えは一つ。ただ、その答えに色合いのバリエーションがあるだけ。
 スターリンだトロツキーだといったところで、大同小異。
 役人の首を切ることが自称民衆の味方の首長やその取り巻きが唯一できる行為であるのと同様に、バリエーションとして権力者が趣味でできるのは粛清と、他国(=他地域)の犠牲だけ。
 そりゃ、「ロシア資本主義が日本より進んでた」とかね、そんな話したがるやつもいて。笑止ではないけれども。じゃあそいつらってどんな意味でそんな発言をしたんだろうね、くたばりぞくないの元教授のおっさん(悪口じゃなくて、基本、年齢的に死んでるんだよね)、グルジアにも資本主義が席巻してたのかい? いや、いまでも誰とかの教授連はそういつと同様に判断してるんだろうけど、そんな文章が目に入る機会がないから。
 なにがいいたいのかって、そんな日本の経済学教授の認識と同様に、ボルシェビキも全帝国の必要物資をロシア地域に集中強制運搬したんだよね、ってことで。モスクワ、聖ペテロ地域こそ、全世界が認める「ロシア」なんだよね。

 それが唯物史観というものです。

 もちろんそんなことはトロツキーはわかってたし(わざわざ参考文献書くかね、どうせみんな読んじゃいねえよな、「裏切られた革命」)、スターリンだって=スターリンの取り巻きだって分かってた、(参考文献はないの。利益本位の国民文庫が絶版にしちゃったからね)。わかってねえのは日本の自称理論家と、欧米のあかんぼ社会理論家だけね。
 かわいそうなんだよ、現実に翻弄される、っていうことはね。それは指導者だって同じこと。とうてい自称理論家の口先「批判」などとは次元が違うの。もちろん、それで虐殺魔となればその責めを負うのは当然だし、本人も当然そう思っているだろうしね。毛沢東みたいなもんだ。心ならずも天安門の御真影になっちまったけどね、当人はそんなもんであろうとしたはずもない。自分の「罪」はじゅうじゅうご存知だったろうさ。

 というわけで、ご覧のあなた、14歳の生徒さん、いわゆる厨房? なにバカにしてんだよね、自称若者たち。自分はなんも考えてないくせに。で、中学生のあなた。隈の理論はあと20年経たなきゃ流行りませんが、10年くらいで一応市民権を得ます。そこであなたがほかに研究することなかったら、これお奨めね。『後進国資本主義革命(あるいは「離陸」革命)の世界資本主義的視座』。ロシアであれ諸後進国家はすべて、首都地域だけがマネッジの対象であり、後進国でもそれならなんとか格好がつく。
 それは革命家という上流支配層の、当該支配システムに対する世界的な視座からの賞賛と優越の帰結でもあった。そして現実もそうなったし、そうなり続けている。もちろん、飢餓と虐殺との引換えにだが。
 なんてことの原理は、隈の基礎理論に加えて、近々の応用理論に出しますし。それを基礎にあなたも立命館とか大阪市大とかの教授になってください。わたしに限っては純学問的努力には興味ありませんのでそれ以上展開しませんし。(と書いてから、あれ、まだあるのかね大阪市立、そういえば統合が、、まだ女子大までか、、、)

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よもやま話

2014-02-08 21:03:27 | 断片
 こんばんは。今日は東京地方、都会的大雪。去年のプチ大雪日は勤務日だったようで、ビルの中にいて知らないのですが、今日は家で雪見見物。といっても出かける用があって電車の運行を気にしつづけ一日が終わりました。認知症初期の中高年は一度に2つも3つも考えられず。(あと、ひいきの将棋、渡辺9段の決勝戦ネット中継が。いくら負け続けてもそこはひいきの弱みですね。)
 結果、渡辺某は負け、電車も止まって出かけられず。くだらん日だ。
 
 さらにくだらん話ですが、先週、靴底が減って、取り替えようかな、と隣町にいって靴修理屋へ。1500円か、よしよし、それにしてもこれでいくらもうかんのかな、大変だね、と待った出来上がり。見れば靴の甲に10センチの掻き傷が。
 なんだこりゃ、こんなのあったか、と思いながらも知らぬそぶりの靴修理屋。
 私は認知症といえども頭の回転と決断は超速いので、しょうがねえ、これで貧乏人に靴代8000円払えとはいえねえ、とぶすっとしながらも、はいおせわさま、といって帰りました。
 家で家人に確かめましたら(靴磨いてもらってる)そんな傷などない、と。
 下手っくそめ。
 ちなみに靴底けずりもへたくそでした。
 これなら生意気でも2500円でミスターミニットに頼めばよかった、と、、、思わないけどね。8000円の靴で4ミリの靴底替え部分、2ヶ月で取替えなんだよね。だれが2500円も。(靴は通販で買ったから靴底の厚みまで見えない)
 結局、靴屋さんに頼めばいいんだけどね、うちの近くないんだよね、つぶれちゃったし。
 
 悲しい。こんなのばっかだね。
 といって、靴修理屋は昔もあってね、結婚式に履いた靴、前のマンションにバンで来た修理屋で直そうとしたらかえってぼろぼろにされてね。それも、頼むとき、ああこのひと、いいかげんだよね、生活、苦労してんだろうね、と思った(ベテランなので見りゃ分かる)1時間後だから文句も言えないし、、、そんなつきあいばっか、、、
 
 つまんねえ人生だ。カネのある人はこんな人生知らないんだろうね。リーガルだってそのまま履き潰して捨てたりするのが中流階級だよね。今は若い貧乏人もそうしそうだけれど。
 
 等々。不愉快だから、他人をけなして今日は終えよう。
 大阪の橋下(こんな名前あるかい、はししたと心では発音、とまで書くと、おまえさべつしてんのかともいわれそう。かえって迷惑だ。ひとにきらわれるやつは弱点は持つな)
 ともかく、さすがに大阪人も、もう支持しないしょ。わたしだってそのくらいには大阪の人を評価してんだよね、嘘つきだと悪口はたびたび言うけど。
 大阪人なんて権力にいかれたやつもいるしそれはたくさんいるのだろうけれども、しかし、いくらわたしがその嘘つきさに悪口を言っても、基本は同じ人民、あんな目の色変えて「正論」で(あるかのようなことを) 権力者でござい、「だから俺の言うことを聞け」みたいなこというやつに票が入るはずもあるまい。大阪人はたんに『面白いからいれる』が信条だろう。『えらぶるやつはきらい』だといってるぞ。それを忘れるのもどうも千葉県民てとこだね(大阪人の気を知らない、の意。わたしだって知らないけどね)。いえ千葉人はみんな必要以上には嘘つきじゃないだろうからけなしてるわけじゃないけどね。

 これは権力に染まったはししたの悪口です。それだけ。

 というわけで来週ではなく明日のお題は、政治革命と社会革命。普通の方は明日はパスしてくださいませ。

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世間知らずの天国

2014-02-01 21:29:21 | 断片
 こんばんは。東京地方もうしわけないほど暖かく。これなら仕事もはかどるはずですが、どっこい、体調不全。先週からいいとこないですが、どうも不顕性インフルエンザのような。どこも悪くないのに微熱等が。ま、それだけですけどね。

 さて、明日の休みは半分つぶれなので、今日は手のかからず、ばい菌も残らない「バンビ・ドカン焼き」風夕飯にして時間を稼ごうかと写真を確認しにいったら(ベテランなので姿を見れば作り方が分かる)、なんと「バンビ」御茶ノ水店閉店と!
 う~~ん、時代がめぐる、、、
 わたしなどは根がケチなので学生の頃はバンビランチ系480円定食などよほどのことがなければ食べませんでしたが、御茶ノ水店は就職後の懐かしさが、、、なんでかねえ、いまどき山手線内の昼飯としたら安くてカロリーあって(2回目以降コーヒー付だった。あ、もうないの?)、、、それだからだめなのかねえ、、、
 話によると最近の人々は一人じゃ昼飯に行かないとのこと、二人以上ならまあ、ファミレスの方が多少安いし、なんたって明るいし。
 しかし、一人で、本物に近いハンバーグ食べたかったら、バンビランチのほうがお勧めだけどなあ、、、ただ、暗いんだろうねえ。
  ともかくまだいくつかバンビの店は残っていると思われます、今のうちにどうぞ。

 (p.s. どうも風邪引いてると悪酔いしまして。以下は、怒ってばっかりで意義なしですね。それではまた来週)


 というわけで忙しくすべき今日明日、つまんない話を1,2。
 
 その1 万能細胞STAP報道、研究者の「もう報道やめてね、研究できないし」という誰でもわかる要望に一言言いたい奴がいるようで。藤代 裕之。
 いわく「かっぽう着の写真を撮らせ、デートやファッションというプライベートの質問を認めた、理化学研究所の広報担当はこのような騒ぎになることを想定していなかったのか、疑問が残ります。もし、メディア受けしそうなエピソードをアピールし、ニュース性を高めようとしたなら、マスメディアだけの責任というわけにもいかないでしょう…」
 ばかいうんじゃねえよ。
 そりゃ「男にいい顔したんだから振って殺されたって、そいつのせいもあるでしょ」といってるのと同然の、リクツ、ってそれ理屈かよ。ばあか。どこの教授だって? 恥かしい。教授が聞いて呆れる(ブンヤもできずに逃げ出した関西大学教授男です)。
 世間の評判になった論文の執筆者として「わたしこういうひとです」、ってしゃべんのがなにが悪いんだ。
 「そんなこというのは、もっともっとゴシップ探してね、っていってるのとおんなじだ」って?
 マスコミ関係者がそんなヤクザ同然の人間だなんて普通の、しかも学者世界の人間にわかるものか。あなたなら知っているかね、読者の方(わたしは知っているが)。まったくぬすっと猛々しいとはこのことだ。恥を知れ、藤代。
 いや、わたしは朝日新聞記者の悪口は言うけど、彼らは当然そんな恥は知っていると思うんですよ、若人は日々私のような読者やデスクに文句を言われ、朝日新聞の過去の悪の歴史も知っている。もちろん中堅以上はすでに戦術的対応に終始し。
 そんな中でこの中途半端男が教授だかの名目でなんも責任もなく他人(ブンヤ)の仕事に応援であるかのごとく口を出す。
 これこそが、前衛主義者幹部の血を流すほどの傷だらけのウソ表明とはまったく次元の異なる、口先男イデオローグの本体です。
 許せん。
 
 と、頭に来てしまうと他のことが飛んでしまうのが中高年。
 もうやめた。
 こいつ40歳かそこらったってもういいかげんな大人だろうかと思うんだけどね、何も世間しらんやつとはほんとつきあいきれねえ。

   (あ、ごめん、頭に来つつ確認入れたら、関西大学は特任教授だって(=非常勤講師の美名)。本職は法政の助教授。ま、このへんネット情報なので、違うということでしたらすぐ訂正いたします)

 
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