リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

小生産者の疎外

2012-02-26 16:49:42 | 行為
 こんにちは。東京地方の2月は曇り続き。ひたすら春が待たれます。

 さて本日は辛気臭く「経哲」の話。
 といって分かる人は私より1歳下までのはず。
 マルクス、経済学・哲学草稿、たとえば岩波文庫 城塚・田中訳のことで、わかんない言葉を使ったのはそういう昔話の類だからですが。
 昔話といっても1,2年前長谷川宏(という世間では評価されている、はっきりいってこの時代でしか評価されない取るに足らない哲学者)の新訳が出てはいます。

 この本を簡単に紹介すると、「疎外」という言葉を有名にしたごく若いマルクスの著作、というわけで、1960年代に日本で流行りまして、私などは高校1年の春休み、クラスで行った高校改革学習菅平旅行(ナンじゃそりゃ、みたいなもんですね。活動家の合宿のようですが、それにしてはクラスの3割が行きました)に、上田行きの急行列車内で読みふけったものです(読んだのは疎外の節ではなくて、ヘーゲル法哲学批判の章でしたが)。

 で、何をいまさら、というところですが、要するにケチ付けでして。
 いえ、虚心に読めば第1章、出だしからくだらないことは分かるはずですが、不思議なことに良心的に見える人ほどこの本を褒める。
 まあ良心的といっても見えるだけで、ほんとうはどうだか怪しいもんですが(ほんと評論家(的学者)には騙されつづけて数十年)。
 あげくは、疎外革命論といいまして、労働者は自己疎外を克服するために革命をする、という話まで出ます。つまり、資本主義社会では資本家と労働者も疎外されますが、資本家の疎外はたいしたことがなく労働者の疎外は救われないので労働者は革命を起こして社会を変えるしかない。ところで、この革命は疎外の根源である資本主義社会を変えて自由な社会主義社会にするものだから資本家を含んだ人類一般の解放の革命である。これを遂行する歴史的役割を負った者がプロレタリアートである。かくて労働者は決起せよ。という筋書きです。 これは一見論理的ですが、中身を伴っていないので、どうにでも変えられる話で。要するにこの筋立ては「マルクスの言う疎外」でなくていいんですね。資本主義社会が悪く社会主義社会が良ければ、すべての社会構成素について成り立つ論理で。たとえば「疎外」を「貧乏」という言葉に代えてもこのストーリーは成り立つ。更にいうと、私は「貧乏」という言葉に代えたストーリーのほうが好きです。「ぬくぬく暮らしやがって何が「疎外」だ」、という気がしますから。
 
 などというと、疎外革命論者からは「疎外され切った哀れな男よ」なんていわれるでしょう。
 アホかいな。
 
 隈の読者はご存知なように、本来「疎外」とはそんな「貧乏」と取り替えられるような概念ではあってはなりません。「疎外」とは、人間行為が達成できない、という状況を表現した言葉です。したがって、資本主義がなくなったところで、行為の十全な実現が確保されるわけではない。
 マルクスとマルクス主義者の労働疎外論などというものが想定しているものは、幻想の原始共産制にすぎません。
 私たちの社会が原始共産制社会に戻ればいいかどうかなど、戦前生まれならいざ知らず、共同体的紐帯(=束縛的きずな)から離れたことがある私たちには問題にする必要もないことでしょう。
 私たちは、自分の行為の達成のために「共同体権力さえない時代」に戻る必要がある。あるいは、それでは状況のイメージがつかめなければ言い換えて、われわれ一人一人が階級社会の最高階級まで達する必要があるのです。 それが本当の人間の「自由」であり、「解放」なのです。

 でも今日は、その話が本体ではなく、小市民階級の疎外について、で。
 
 旧社会主義モザンビークで、魚の安定供給に、一律「重さ」で価格を決めて漁師から魚を買い取ったら、漁師が苦労してうまい魚を捕るのをやめた、という話(どんな魚でも同じカネになるならわざわざ苦労はしない)を読んで。
 
 昔から社会主義の悪口に使われますが、小生産者というのはこういうものなんですよね。
 「疎外」というものは、マルクスやマルクス主義者がなんといおうが、本来、私有財産にも共有制にも関係がない。行為にはその結果が必要なのに、その結果がついてこない、ということ、これが本来の疎外状況です。
 苦労した結果が同じなら、それは行為の疎外です。
 
 小生産者というのは、分業生産者(労働者)のように自分の行為結果を組織上で得ざるをえない人々、ではない生産者(労働者)のことを指します。自分の手で行為結果を入手できる人々ですね。といっても商品経済社会ではそれをいったんカネに変えるわけですが。

 もちろん、行為の結果がカネにしかならないことは、(ヘーゲルがすでに言った気がしますが、まあマルクスがいってもよく) それはそれでそれ自体疎外状況ではあります。
 ただし、その状況の中では、カネを媒介として行為と行為結果とは2次的に直結(?)しているのです。つまり、労働行為の結果の売上金の多さは、妻のドレスを生み、子供の学費を生む。
 どんな体制であろうと、結果と直結しない労働は、娯楽的労働以外には、行為の意義がない。
 遊んで仕事ができるなら、それはそれでいいですけどね。
 
 で、じゃあどうするんだ、って。
 行為の「結果」の意義を変えるんですね。
 
 生産物の交換が必要な社会では、生理性の側面上、生産物の量(ばかり)ではなく、質に意義を持たせるようにする。 生協の世界ですな。
 あるいは、賞賛や優越の側面上、生産することにまつわる賞賛や優越に意義を持たせる。 野球、サッカー、将棋指し、ボランティアの世界ですな。
 いずれも、生産力の裏づけが必要ですが。
 
 
 本稿での問題は、現実にどうこうするということではなく(どうせ資本主義社会ですからあーだこーだいうのも無駄でして)、人間というのはそういうものだ、ということを認識しなければならない、ということでした。
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十日町雪まつり

2012-02-19 20:01:24 | その他
 こんばんは。今日は東京地方は個人的に寒くなく。


 一昨年、「妻有 大地の祭り」に連れて行ってくれた人が、昨日、今日と「第63回十日町雪まつり」に連れて行ってくれました。
 なんでも全国の雪まつりの元となったまつりだそうで。
 十日町の各種団体が、大きいところだけでも十箇所を越える地域で、巨大な雪像(など複数)を作るイベントです。巨大といっても札幌ほどではないですが、その代わり自衛隊もこないし。
 私の気に入ったのは上から2位(1位は2ケ)となった上の写真。
 
     題   <瞽女唄(ごぜうた)が聞こえる>

 大きさは、写真に見える立て札が人間の背くらいです。
 もっとも、前日の夜に審査をしてその後雪がじゃんじゃん降ったので、雪をかぶってフワフワの白カビが生えたようで、言ってみれば残念でした。

 で、ともかく寒くって、帰った東京は寒くない、という。

 昨夜は当地のその人の実家に泊めていただいたのですが、2階から出入りするという小学校で習ったとおりの雪国で、2階の窓といっても地面から5メートルくらいあるのですが、ほんとにすぐ雪。空から降るのが3メートル以上降って、あと屋根の雪下ろしの雪もたまるからこうなるんだそうです。その上を歩かせてもらいましたが(まだ雪がフワフワなので、実家の人が歩いて固めて道を作ってくれた)いやはや東京生まれの東京育ちには得がたい経験でした。
 あれやらこれやらどうもありがとうございました。

 とにかく地域振興に頑張る地域ですね。
 今年の雪まつりは終わってしまいましたが、この他にも地域おこしイベントがたくさんありますので、妻有、十日町、皆様も応援していただければ幸いです。 お米も水もおいしいですよ。

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人民の言葉の民主的な扱い

2012-02-12 21:12:46 | その他
 こんばんは。先週は熱が下がらずひどい目にあいました。まだ引きずってますが。
 わたしは健康なだけがとりえでしたが、やはりそろそろお年頃のようです。

 この間、お酒もほとんど飲まず。やはりわたしはお酒が好きなわけではないようで。
 って、サントリーレッド4リットルボトルを買ってる人間が言っても説得力はありませんが。

 で、飲まないと記憶力のためにはよさそうですがパトス(激情的推進力)が湧かない。
 理論にパトスは要らないようですが、どうしてどうして。
 パトスがないとやる気にならないのはそれとして、理論を書くにも何のために書くかが明確にならないので、読んでるほうでポイントをつかめなくなるんですね。

 てなわけで、これは今日の文の気合のなさの言い訳。

 本日は、「つぶやき言葉の称揚は、人民のためになるか」という話。

 なんだかこの頃は、ただの腹いせや対抗権力者へのおべんちゃら・金魚の糞でしかない無責任論議でも、それは民衆が言う言葉だから偉い、なんて話が多くて。
 言いたい放題の自称政府批判や橋本へのお追従のことですが。

 それって、偉い?
 偉かあない。

 だいたい、人民が発言すれば偉いだなどとそんなバカなことがあるか。戦争を起こしたのは日本人民だ、という自覚が誰一人ないまま過ごしてきた報いだ。
 ほんとは何ごともそんな理由でないのはわたしの本を読めばわかることだが、倫理的にはそういうことなのだ。天皇や軍部のせいにするんじゃねえ。人民が天皇を称揚し、軍隊を称揚し、戦勝の凱歌に涙を流し鼻水を垂らして喜んだのだ。
 要するに無責任。今だって自分の言葉に誰一人責任を取る奴などいない。
 ほんとはいるけどね。1万人に1人。

「お前に気に入らなくとも、それが民主主義だ」って?
 おお、上等じゃねえか、国家主義者め。おりゃあ気にいらねえぞ。

 民主主義とはただの国家権力の伝達方策のことであって、個人行為者にとっては何も賞賛すべきものではない。ただ、貴族主義よりもまし、というものである。
 どんな姿をとろうが、それは国家権力に過ぎない。
 ましてや他人の意見など自分に正しいはずもない。
 正しくない上に「言いたいことをいうのが良い」、と世間で吹聴されるのは、アナーキストとしてはこの上なく不快だ。

 いいたいことをいう、これが修正主義者の好きな大衆資本主義というもので。要するに「消費者の立場」ですな。いいたいこといってお買い物して日々を暮らす。
 
 一方、バチ当たりな無責任な「批判」を受けるほうは、必死に生きているものだ。毎日をなんとかして必死に生きた結果がこの現実なのだ。
 要するに、「生産者ないし労働者」の立場ですな。これは若人には説明しないとわかんないかね? 分からない人は説明を聞くよりも、働いたほうが良いと思うのだが。
 
 大事にしなければならない人民の言とは、当然に自分の利害に立脚した「つぶやき」だ。そしてそれだけだ。
 もちろん、それは大事にしようがしまいがどちらにせよ、現実に自由の歴史の推進力となる。
 
 じゃあ、いいだろう、って?
 よかあねえ。無責任の言は人民法の刑法に抵触する。ってわたしが決めたのだが。
 さらに、橋本のごとき歴史の操り人形の言は、人類への冒涜だ。自由の歴史は必ず闘争の歴史だけれども、人々の味方のフリをして敵対するというのは無責任をとうに通り越した所業だろ。

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本日休業

2012-02-05 19:19:56 | 断片
 本日は風邪のためブログはお休みです。

 風邪なんかアレルギー以外引かない丈夫な子なのに、今日は(仕事)朝から夜まで一日中寒くて。
 3日前の肉体労働で張り切りすぎたのが悪かったのか(すぐには身体の疲れが反映しない)。
 電車の暖かさがとても救いでした。

 これからわたしも病気になったりするのかねえ。さみしいねえ。
 というわけで、風呂も寒いので入らず寝ます。

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