リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

気になる話

2016-09-24 11:14:43 | 断片
 こんにちは。最近お日様見ないですねえ、涼しくて助かりますが。関東地方は貯水率もぐんぐん上がり、名瀑も綺麗なことでしょう。さっき外にでてきたら、オレンジ色のヒョウモンチョウ系が何匹も飛んで。ただ、ふと気づかされてしまいましたが、秋の花粉の季節の始まりでした。忘れてた。昔はもっと後の花粉にやられたんですが、既にもう。 困ったもんだ。
 
 さて、なにかれと家庭器具に不具合の出る時節。そんな時節もないのですが、うちの物は大方が古いもので。今回の給湯器買替えはいまいちだったので後悔しないように該当物品には十分な情報を得ようとしてて思ったのですが、なんで器具の仕組みぐらい学校で教えないんだ? 何のための家庭科であろうか。家庭科って今ないのかな? なきゃ作ったほうが良い。地理なんて子どもにいらない(わたしはこの2ヶ月でアフリカ国家を相当覚えた)。地理って高校は選択かな? いまどきの子は何を勉強してんだろうねえ。まあどうでもいいけど。
 トイレのロータンクの構造なんて40年も勉強したってやっと7割しかわからない。その資料探しがほんとに無駄。トイレは全員が使うんだから教えとけよ。まあ冷蔵庫は直せないにしても、換気扇清掃やクーラー掃除の仕方とか。ヒューズの取り替え方とか、蛇口パッキングの取替えとか、、、今ないか。味噌汁作りや雑巾縫いばかりが家庭科じゃないだろう。そんなことしてない? そうか。
 ともかく、ロータンク。基本的過ぎるのに情報なさすぎ。何時間もかけて調べてようやく補助水管というものが8割わかった。それでも全部は分からない。
 
 雨の合間を縫って図書館にいって、いつもマンガの代わりの本じゃ人生が細くなるので、ちょっと心豊かにアサヒカメラ(というポピュラーな写真雑誌)を借りてきました。
 ら、「追悼」で2015年に死んだ人というんで、大竹省二、大倉舜二、中平卓馬、丹野章、木之下晃、、、 ひょえ、という気がします。わたしなどの時代にはカメラマンの代名詞のような人たち。そのころ30代、40代。40歳なんて昔はじいさんだと思ったけど、やっぱり「働き盛り」というものなんだよね。が、それも昔。ほんと時代が終わっていくのね。
 といってもわたしは写真集などほとんど見ないので、それこそアサヒカメラ(やカメラ毎日、日本カメラ、フォトアート)などの写真雑誌の記事・特集で小さな写真をみるばかり。それでも十分感動的な写真を撮って、すごいよなあ、カメラマンだったよね。(ちなみに今回の号にはあんまり感心しない)
 知らない人たちだからお悔やみは申し上げませんが、おつかれさまでした。
 
 ところで、昨日の夕刊でどなたか様の署名記事で、この前のシリア難民で海で溺れた小さな子の写真とかに言及して、(戦場の残酷な写真よりも)自分たちの生活に突きつけられるような写真は価値がある、みたいなことをおっしゃってました。
 で、それはそうだけど、「んん?」
 みなさまそう思いますよね、だいたいこんなブログへいらっしゃるような誠実な方ほど。なので、記者のお名前も消したところですが。
 とはいえ、突きつけられる生活って、一瞬なんだよね。ちと次元が違う。
 たとえば目の前で一人遊びの幼児が転んで泣いて起き上がれなさそうだったら、たいていは近づいて様子を見たり抱き起こしたりするやね。それはそれで人間的なんだけど、泣き止んで駆け出して行ってしまえば、まあ覚えていても1日。そういう生活も人間の生活。ただ、それは眼前の生活。いっちゃ悪いが評論家的生活。それと「自分のこと」とは次元が違う。
 それが「自分のこと」になるためには、人生に組み込まれないといけないんだよね。
 仕事にするということでもなく、それで生活するなどという庶民には無理なことをいっているんじゃなくて、生理的条件の確保以外のところで、消費物資を買うための労働、以外のところで、自分の行動の源泉の一つにならないといけない。
 庶民て、その「それ以外のところ」が自分じゃないかね。
 その「それ以外のところ」で、物事を組み込んで、初めて自分の人生だろう、と。
 
 たかだか新聞の写真の見方でぶつぶついわれるのもなんだろうけど、やっぱり評論家が何か(えらそうに)いうのはとても気にかかる。記者さんとか、ほんとうに自分の生活に組み込めているんだろうかしら?? 
 わたしの仕事の参考図書って、基本、1980年代以前の出版なんだよね。社会科学の評論本の著者たちのこの30年の間の「変遷」(変節)に、なんでそ知らぬ顔をしてころころ変われるんだろう、といつもいつも不思議に思っている隈でした。


P.S.役に立ちませんね。 
   そこでおまけ。マンガの代わりの竹村公太郎氏「日本史の謎は「地形」で解ける(文明・文化編)」からご紹介。
   なんでも、日本の乳児死亡率が劇的に下がるのは、シバリア出兵時の秘密兵器、液体塩素を(余ったので)東京の水道に入れたからだそうです。それまでの30年間は細菌だらけの水道水だったのですって。主役は「医師」後藤新平。へ~~、じゃありませんか。   
   ピラミッドは肥沃土の土留め用で、例外はギザの3つのプラミッド。これは九州よりも広いナイルデルタ干拓時の、太陽光利用の昼間灯台だ、なんてのもあります。
   ご紹介まで。
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感服

2016-09-17 11:11:11 | 断片
 こんにちは。ふと気づけば、もう蝉の声が、、、まだ聞こえるやん、たくさん。とはいえ、9月も半ばを過ぎればミカンの最盛期です。青い青い、どこまでも青い、正確に言うと緑色のミカン。これがおいしいんだ、おいしいのは。
 しかし、めったにない。都下では入手不能に近い。あるのは甘くも酸っぱくもない、要は味がしない。
 昔飯田橋に勤めていた頃、富士見の八百屋、八百武で(歯科大の裏の角っこ。今調べた)でほんとに美味しいのを買って感動! まさに蜜柑。とても甘くて酸っぱい。みんなにあげたので2個しか残らなかった。翌年、飯田橋の別のとこで買ったら屁でもない。翌年を楽しみにしてたら転勤になってしまった。それ以後、どこでも入手できない。だいたいミカン売ってるのなんて、いまどき東京近辺じゃ安さ優先のスーパーしかないし。八百武さんもなんの商売してんだろうね、一等地の小さな店で。お近くの方はぜひお求めください、別に高くないし。
 ちなみにお堀の反対側の丘、神楽坂の八百屋は平井ね。場所が住所ではわからない。2丁目のほうね。居酒屋竹子とか入ってってその先の路地を右に上がる。ここが神楽坂料亭御用達の八百屋さん、八百武より3倍ぐらい大きいけどやっぱりそこらの八百屋さん、味が全然違うそうです。そんなに高くはありません、蜜柑があるかはわかりませんが。お近くの方はご存知でしょうが、隣町にお勤めの方は昼休みにでもどうぞ。
 
 以上、一部の方に役に立つブログでした。
 いや、ささいな話ですが、今まだあるかとか調べてたらとても時間がかかってしまって。
 
 さて、では個人的なウサ晴らしね。
 例によってマンガの代わりに佐藤優を借りたら、『ルイ・ボナパルトのブリュメールの十八日』をやけに褒めている。政治家は利害者を代表するだのしないだのと書いて、「マルクスがこの本ですでに述べた」とかっていうんだね。なんじゃそりゃ、と思いながら、ま、借りるかと図書館蔵書情報を見て氷解。平凡社の新訳に柄谷行人の付録がついてるんだね、佐藤が好きそう。いわく、『表象と反復』。何だ、代表と表象を掛けた冗談本かな、と思ったけれど、世の中に自分の知らんことがあるのも気持ちが悪いので借りてみました。
 たら、柄谷ただの一行もわかんねえ。わたしは理解力には絶対の自信があるのだけれど、これは冗談か象徴文学のどちらかだね。まったく理解不能。で、代表とかってなんだ? たしかにマルクスは政治家の口先三寸のことは書いているが。
 そもそもブリュメール18日は18歳のみぎりに読んで、たまたま同時期に田川建三がその頃の左翼月刊誌「構造」に、2回にわたってたか、大塚久雄の悪口を書いてて、批判の一方で、”ブリュメール18日をよく読め”とか書いてあったのさ。何をいいたいかといえば、だからわたしも「よく」読んだの。で、いえば、田川の論も説得力不足だったけれど、もう一度いうと柄谷のは論外だ。文学者や宗教家は文の読み方が社会科学徒とは違うんだろうね。二人同じようにエンゲルスの「ドイツ農民戦争」をバカにしてるところも一緒(佐藤は知らない)。即物的だからいやなんだろうね、文学者的にオサレでないからね。そんな理由でバカにされて可哀想。 
 というわけで、無駄な時間を使ったのでここを埋めました。
 ブリュメール18日自体はシンプルに唯物史観を具体的に書いてある、マルクス的に普通の良書ですので若い人には薦めますが、旧訳のほうがいいね。
 (なお、「構造」はwikiで「総会屋系雑誌で」とだけある。計7文字。バカが。読んだこともないんだろう。というより読んだってわかんねえだろうが。総会屋が資本を出した、というだけのことが雑誌の説明になるのかね。裏情報でバカにすれば大したことを言った気になる最近のガキだね。なお、「構造」71年に廃刊だけど、ウニタ(という左翼本屋)とか古本屋にバックナンバーで並んでたんだよね。)
 
 ついで、これはまじめ。
 ネット遊びをしていたら、鈴木大介氏という立派な人がいるんですね。普通の生活を送れない人をなんとかしようとがんばってらっしゃる。で、ネット東洋経済にいろいろ書いてるんだけど、『貧困に喘ぐ人と「支援者」がすれ違う根本理由』という題で、たとえばキャバクラ嬢で彼はDVという状態から「いわゆる」「更生して」周りの人が安心した状態に移ったんだけど、「やっぱりこっちのほうがいい」と元の環境へ帰ってゆく、それをみる切なさが述べられております。
 そうなんだよね、だれだって仲間のところで安心して暮らしたいさ。20歳を越えりゃあもうてすでに自分の人生を持っているんだから。ただ、現実は安心できないだけで。
 それはしょうがないよね、人は一人が誰でもを助けられるわけじゃない。人は隣に来た人を助けられるかも知れず、やってみると100人来たうちの1人を助けられるかもしれない、くらいのもの。
 わたしなどがいくら授業料免除制度のことを書いたところで、本ブログを見て検討する方は、お金のない高校生100人のうち1人にすぎない。もともと99人には関係のない話。もちろんお金のあるその10倍の人にはほんとに無用。しかし、人間の使命とは、100人が100種類の仕事をすることで社会が動く、そのことで成立するんだよね。人間にはそれぞれの仕事がある。たとえば、テロリストにはテロリストの。良心的リベラリストにはリベラリストの。
 それで納得できなければ、これは総体として助けようとするしかない。仲間から一人を引き剥がして助けられるはずもない(とはいえ、いろんな人がいるから中には助けられる人もいる)。そういう考慮の結論は、仲間全部として助けることができるかどうか、ということになる。しかしてテロリストも発生するわけさ。
 なんだけど、すごいね、こういう人には感服。水谷夜廻り先生とかね。
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一番下が本題

2016-09-10 11:29:53 | その他
 こんにちは。暑かった。おりゃ何もせんぞ、って一人ですねてもしょうがない、がいろいろあって昨日は人生の無駄な一日。
 「暑くて耐えられない、ってじゃあ、耐えられなきゃどうなるんだ?(先月のHP)」 の答え、わかりました、ストライキ。とぼけてやらない、です。やれないことはしないぞ、ざまあみろ。って損するのは自分ですが。損するのが自分だからできるというのもあります。
 ま、ともかくも暑く。
 世間の一部はパラリンピック。昨日は柔道の広瀬さんという人の赤ちゃんの応援が可愛かったです。ついでに新しい障害者施策が閃きまして、わたしは学習能力が高いので忘れないように反芻したのですが、日常業務後、結局忘れ。ざんねん。
 ただわたしは施策提示などはしないことにしているのでどうでもいいのです。そんなことはどんな転向左翼でもできる。せっかく生きながらえて転向左翼と一緒ではなんの命か。
 
 というわけで本日の施策提示は奨学金。
   、、、まったく言ってる端から。
 ま、転向左翼と同じレベルで話すだけですが、昨日web赤旗を見たら、これから自民党がおためごかしに出そうという給付奨学金の対象が、「非課税世帯以下」とか許せない話が。
 奨学金というのは、理屈上、それまでの生活にプラスされる金銭負担ですから、その手前の状態が承認されていればこれを引き続くのが当然です。
 プラスされる金銭負担たる授業料は、国立で60万、私立で140万。
 ここで例として都立高校授業料は年12万なので、従って、高校までの所得段階保障から、国家の責任では、入学金以外で、月4万円が、給付されなければいけないわけです(あと、県内国立大までの交通費額相当分か。交通費大きい)。
 具体的には、18歳までの児童扶養手当の所得制限について、その延長の事態と同等の給付があって、やっと現行の資本主義社会的福祉となる。何だ、非課税世帯って。それじゃ貯金のある生活保護だ。
 まあ、どうでもいいか。わたしの仕事じゃないね。 仕事ではありませんが、赤旗に対案がないので一言。
 もちろん革命政党が国費をおもんばかって対案を出す必要はないのですが。
 このレベルの案は民主党の出番。民主党って機関誌・紙がないことに今気づきました。それじゃ「党」の体をなしてないね。
 どうするってブルジョワ蓮舫じゃわかんないね。 岡田もブルジョワ、奨学金なんてわかんないね。だいたい奨学金自体安すぎ。物価の安いわれわれの時でさえ、低所得対象で4万5千円ほどあったぞ。みんなそれで飯食ってたし(国立授業料は年額36000円)(特に理学部はバイトしないでオンボロ寮と学校を往復して食えた、とのこと。寮費も交通費ほどだったし)。飯代もださないで偉そうに「給付」とかいうな。
 ともかく、わたしの仕事は貧乏な人に授業料免除の学校の存在を教えればいい。 その学校が2流とか3流とかは、それを気にする人間のバカさ加減の問題ですので。 職場に該当の優秀な人間がいたので自信を持って言っちゃう。
 
 で、ネットの赤旗見てふと思うに、高江って、新旧左翼、みんな応援してんだね。いいことだね。人民にとっては自称前衛諸君がどんなパラサイトかわかるよね。我こそは「前衛」なり、って、どこも力がないうちは花だね。「ないうち」というのは褒めてるね。正しくは「落ちぶれてから」やっと花が咲く、というわけだ。
 なんて、ちゃちゃをいれちゃいけないね、っていれるために書いたんだけど。
 と書いても若い人にはわかりゃしないね。狭山も三里塚も、もとはといえば全左翼共闘さ。あたりまえ。前衛の問題ではなく人民の問題だからね。そのうちパラサイトが自分の問題だと勘違いし出す。
 ま、人の仕事は人それぞれ。
 
 また長くなりました。飽きたけど、また朝日の土曜版が国保を。いわく
 1 自治体が国保の赤字を税金で補填すれば、会社の健康保険者は、他人の国保料を税金で払ってることになる。
 2 国民健康保険加入者にはもっと保険料を出させて、給付と負担の関係をわきまえさせろ。
 わたしゃ何も分からない記者かと思ってましたが、ただのクルクルパーだったんですね。
 
 →1 (そもそも制度上、国保は公費(=税金)で半分負担してる、ってほんとに知らないのかなあ。)サラリーマンが偉そうに。お前らの必要でもない給与所得控除を返上してからいえよ。国民健康保険の、(自営業ではなく、) 「自由業者」はフルフルに税金を払ってんだぞ。年収500万のサラリーマンなら150万円控除だからそれだけで自由業者より年額45万円儲けているはず。何が「サラリーマンは収入が透明」だ。
 →2 貧乏人は貧乏人同士で助け合え、ってか。いいなあ、お前らは高給取りで。ようするに「われわれは高給取りなんだから貧乏人と一緒にされちゃあかなわねえ」、ってことじゃないか。金持ちが累進課税を払わない理屈と何も変わらない。話はケーキの値段じゃないぜ。保険料を払えるかどうかというのは命がかかった医療受診の問題なんだぜ。少しでも知的な人間なら、ふつうそういう時は、「みんなで助け合いましょう」、っていわないか? サラリーマンなど単に昔の経緯で優遇されているだけだ、ということを認識しろ。お前らの金なんか要らないからさあ、正々堂々と「統合だ」っていえよ。みんな一緒、平等公平、新聞記者も八百屋のおじさんも日本国民全部同じ保険料率の制度にしろよ。給付と負担もわきまえさせてさ。いやだ? なんでいやだよ。胸に手を当てて自分の気持ちをふかーく考えたほうがいいぜ。みんなが医療を使えば使うだけキミの保険料を上げれば満足なんだろ?
 ったく。これが朝日だってさ。

(p.s.頭に来てあなたがたのことを忘れてました、共産党も悪口をいえない零細企業資本家の、その下の被雇用労働者の皆様。皆様も国保ですよね。貧乏人はみんな国保です。なにもしらねえやつが自民党の入れ知恵で記事なんか書くんじゃねえよ。)

 
 さて、お口直しというか、これが本体。高江の沖縄人民に負けないように宣伝。といっても朝日新聞にも幾人かはいる良心人の受け売り。
 朝日の夕刊にあった詩句に、はっと驚いて。
 
 
     ぼくらの風      近藤宏一

  健ちゃん
  萎えたその手にハーモニカは持てるか
  いや 持たねばならない
  その唇にドレミは唄えるか
  いや 唄わねばならない

  外には風が吹いている
  外を吹く風は冷たい木枯らしだ
  木枯らしは萎えた手の皮膚をいため足のひびわれに血をにじませる
  そして ぼくらにはぼくらの風が吹いている

  ああ ぼくらの心を吹く風よ
  それは決して冷たくない
  ……
 
 
   ハンセン氏病の隔離園での詩。
   
 技術的には「もっとうまく」修正できますが、谷川俊太郎ならやるだろうか、しかし、こういう詩に畏れおののかないやつは決して詩人ではない。
 
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2016-09-03 10:39:23 | その他
 こんにちは。もう夏は終わりということでいいでしょうか。であるならばようやく書き入れ時。冬が来るまであと3ヶ月が勝負。もっとも昨夜も暑くて息ができないほど。通勤運動もしてないからねえ。
 
 さて、まずは前回の続き。どういうつもりかまた土曜特集で国民健康保険。一体何がしたいんだろうねえ。クイズのネタ作りだろうか。
 北海道が医療費がダントツに高い、といったり
 「だってそうじゃん」、て、だから何だっていうのか、ってことです。次に進まなきゃ意味ないじゃん。北海道がダントツに高いのはすぐ入院するから。基本だよ。
 だれがあの広大な北海道でめったにない病院に、病気の体で通院するんだ、って。しょうがないでしょ。冬は凍死するんだし。
 ほんで神奈川県が保険料(税)一番高いって、どんな意味? 神奈川県川崎市は保険料、安さ筆頭だよ。東京都世田谷区と比べてご覧よ。
 医療費は、同じ年齢構成で同じ入院率なら、病院の多さと医院の多さで決まるの(医者が儲かれば医療費は高くなる)。保険料は、それプラスその自治体にどんだけ金持ちが多くて、さらに自治体が税金をどれだけつぎ込むか、で決まるの(金持ちが多ければ保険料率はびっくりするくらい安くなり、しかも自治体が東京都のようにがばがば金を投入すればこれも安くなる)(なお、現在貧乏自治体には国費を増加させている)。そんなことも教えないで、いったい何がいいたいのさ。
 例外をいえば、40年前に習ったときは沢内村の保健婦活動が有名で、自治体の努力で医療費は安くなる、とかいったけれど、そんなもん、象徴としての意味しかない。誰だって中年までは病気になったら都会で病院に行きたいさ(中高年になると家族責任もなくなってそういう気も減少する)。
 長くなりました。新聞は公器なんだから、意味のあることをいって欲しい。
 わたしは医療保険料は基本全国民一律計算、ただし、地域別に医療機関ベッド数等に応じて料率を勘案する、というのが正しいと思います。会社は応分に国に医療税を払う、ということですね。
 
 いや、ほんとなが。
 ちょっと気分を変えて、小池都知事、やるじゃん。なにもできなかった舛添とはえらい違いだ。選んだ甲斐があるよね、わたしゃ関係ないけど。築地移転遅れでカネがかかるって、お祭り騒ぎはそういうものさ。どうせ議員解散選挙費用分は捨てるカネだからね。ま、善意の負担増加者には補償でもしてやってくんさい、わたしゃ関係ないけど。
  
 さて本日は、狭山裁判再審請求新証拠おめでとうがメイン。おめでとうは変か。でもNHKニュースじゃずいぶんの取り扱いだったからよさそうなんじゃない? 万年筆のインクは入れ替えてない。証拠の供述とは違う、って趣旨ね。
 そもそもあれは無実ですよ。
 わたしは筆跡偽造の特技があって、見本のある20字までは5分あればそっくりに書き換えられます。
 その人がこれから書くであろうとする50字の文も、20分あれば誰が見てもその人のもののように書けます、がそれが限度(そんなもん、なんに使うんだとか、まあまあ)。200字も300字も真似してへいへいと書けるわけない。さらにこのわたしの天才をもってすれば筆跡の特徴など一目瞭然。狭山で使われた脅迫状は絶対に被告のものではない。
 むかし松本清張もいってたけどね。それで彼氏を見直しました。
 それでは皆さんがんばってください。陰ですが応援しております。
 ところでwikiは恣意的だね。ま、これに限ったことではないけど。知ってる人には偏見つきで、知らない人には長すぎてわかんねえしさ。あれじゃ、庶民には他人事のイメージしか残らないね。
 
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