リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

「行為の集成」読者の皆様へ

2012-11-29 20:48:21 | 「行為の集成」
 こんばんは。本日、万能書店(デジタルパブリッシングサービス)様から「行為の集成」売上報告が届きました。
 既報の通り、なぜか、以上に、著者売上単価もいただき、皆様にはありがたいことという以外に言葉がございません。(税務署に知れても何一つ怖くない金額なのが残念かもしれませんが)
 最近は、次回配本のため本ブログに手抜きが見られるところでございますが、皆様には笑って許してくださることと存じます。
 ともかくも、遅ればせながら、ありがとうございました。


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役に立たない感想、その3

2012-11-26 20:55:24 | 不定期=中途半端
こんばんは。東京地方、今日もほんとに寒かったですね。実は今日は勤務仕事がない日なので、 気温19度ならもしかして次期本骨組み完成か、なんて夢も見たのですが、ぜーんぜん (寒いと何一つできない)。天気予報官てなんも謝らないで、どんな気持ちなんでしょうかね。(「人それぞれ」という答えが正解、というつまんない問題でしょうが)
 とはいえ、このブログも何も罪もない方々が、「役に立たない」というのに訪問してくれて。そりゃ感想レベルでもなんか書かなきゃ、なんて。

 てなわけで、現実・理想問題。オカマの安倍が、野田の安倍・国防軍化論批判が「旧社会党だ」って。
 野田も、泣いて首相辞めた奴にいわれたかねえセリフだろうなあ、と思いながら。安倍なんて、幕僚長に決断を迫られたらおしっこちびっちゃうでしょ。それに、旧社会党も、野田のような軍備増強派と一緒にされたくもないでしょうし。

 結局、名前は何でも現実は自衛隊は増強されるし、大衆もそう思っている。
 これに刃向かえるのは、別途に共同性を使用して「自衛人民軍」を作るんだ、と思ってる(共産主義者の)奴らと、原則に殉ずる派のアナキストだけなんですよね。
 わたしなんざただの大衆派ですので、勝手にしやがれ、と思うだけで。
 もちろん、「国防軍」化すれば、早晩、自衛隊員の人たちも、どんどん死んでゆくし、自衛隊員のお母さん方もどんどん不幸になってゆく。そりゃ「勝手にしやがれ」の中身の一つですけどね。

 で、結局、どうすりゃいいんだって、って、そりゃ私の現実では、現状維持がいいんじゃないですかね。わたしゃもうすぐ退役だし。
 お前は日本経済を考えてるのか、って、資本家の行く末など考えてません。冗談、ぽい。
 現状でちゃんと配分すれば、生産力は今以下で充分なのは、失業者数みりゃわかることでしょ。不肖私だってそのくらいには左翼ですよ。
 
 要するにね、世の中、われわれの生き死にを決めているのは資本主義の体制なのだから、あるいは資本主義日本国家なのだから、バカじゃなければ、軍備は増強したいのさ。
 だからって、「そうでいい」と人民がいうのは、自分で自分の首を絞めるもの。
 なんでもそうさ。現実に呼応して次の未来を決める人民は、すべて自分の首を絞めているのだ。
 こういうのは、左翼の人間はわかるからいいとして、ふと来ていただいた普通の方たち、世の中というのはそういうものなんですよ。
 
 
 ここで、一般化してお教えできると、「役に立つブログ」復活というところですが、あにはからんや、私は自分のポリシーのほうが大事。今日も感想に終わります。
 
 今日はともかく「緒論」の組み立てを終えないと、年末までに(予定の「組み立て」が)終わりません。「緒論」てのは「序言」のようなもので。
 それで終わんのかよ、という気もしますが、今回は4章立ての予定なのでだいじょうぶでしょう。
 
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唄を忘れたカナリアは?

2012-11-20 21:21:30 | 不定期=中途半端
 こんばんは。しばらく役に立たないブログ、寒波とはいえ手がかじかむほどではない東京地方、私の仕事がいまいちの進行状態、11月中にせめてあと1回、連休があればいいのですが(、ない)。 といって私も長年生きてますので、計算済みではあります。
 本題は比喩ではなく、単純に、あなたならどうしますか? という話。
 歌詞:西条八十、大正7年。大正デモークラシーですね。
 
 明治時代だったらカナリアをどうしちゃったか、って?
 明治時代にカナリアを飼ううちはただの貴族、成金貴族ですから、表現者の身分足りうる家長等は自分じゃエサなんかやっていません。世話は女中や女中同然の妻がやるもんですな。
 「カナリアが唄わなくなった? そんなものいらん。捨ててきてしまえ!」
 権力者などそういうものです。ていうか、私も同じようなもので。ボロになった服は捨てます。部屋(タンス)、狭いんで。 服と生き物は違う、というその違いは、何か、ま、ちょっと考えてください。
 
 で、ともかく、私も長生きしてますからそういうことがわかる。
 社会科学者は、そういう年寄りのモノローグを、理論化する必要はないですが、かならず頭にとめておくべきですね。
 
 で、なにをいいたいかって、今の日本は(いまだ)相当良い国だ、というわけで。ペットにさえ十全な心配りができる。ゴミ箱の中で浮浪児が死ぬ国とはえらい違いだ(中国のことです)。
 そんな日本を断固変えたい資本家のイヌ共。
 世の中うまくできておりまして、自民党でも社会党でもできないことが民主党にでき(ex.何倍もの増税)、さてこんどは民主党にも自民党にもできないことが第三極とかいう党でできる。ま、そんな党自体はちっこく存在していればよくて、手を下すのはだれでもいい。共産党も小さいからといって自己卑下することはない。
 どうせ誰が勝ってもやるというわけですが、趣味的には安部はやめてほしいね。オカマのようで。(ご存知のようにオカマ嫌いの差別主義者。ニューハーフさんには中立) ともかく、この12月の選挙は誰が当選しようが、日本の右翼化を主導する(=民主制が誇るべき人民の平準制から、下層階級への収奪、そして軍備拡張と権力者の意思貫徹)。
 
 そんな過程はまだるっこしくもバカみたいですが、ま、人間のやることはそんなもんですな。ていうか、それが上部構造というものですな。
 ここんとこロシアの勉強をしてますが、さすがに1党独裁国で(注意:正確ではないですよ)、日本より少しだけスムーズのようですが、それも少しだけですね。
  
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役に立たない感想 その1

2012-11-16 21:01:52 | 不定期=中途半端
 こんばんは。今日は、題どおりの感想。
 早く帰宅してニュース系をみていたら、あの安部が(「安倍」か知らない)偉そうにくっちゃべって。
 世襲政治家は、おれらと違わない世代のくせに、「自己批判」て言う言葉を知らないんだね。
 それならそれで、もっと昔の日本語を知らないかね。「恥知らず」。
 泣きながら辞めた、てめえの過去はどうしたんだ。
   何党だっても見てるほうが恥ずかしいやね。
 なんとかいう首相も(名前知らない)、こりゃ組みやすいとおもったんだろうね。

 どっちもどっちとしても、男の庶民なら現首相の勝ちだね。

 すんません、これだけの感想で。
 何を謝っているかというと、名前を選んできてくださる方は、どうせ隈などそんなやつだ、でいいんだけど、ほんとgoogleが信用なくて。昔からだけどね。こんなのも検索画面に出してしまう。知らない方でもご足労しちゃうじゃないか。おら、安部の数十倍も恥ずかしいよ。

    てなわけで、この題は、年末まであと最大6回は続くかも。
    意味ない? いやだから、生きてる印だって。

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人の世で2番目に役立つものは?

2012-11-11 21:05:07 | 不定期=中途半端
 人の世で4番目に役立つものは、働く人々だ。
 
 人は悪口を言い合いながら、それぞれの労働を他人と取り替えてゆく。
 
 人の世で3番目に役立つものは、心を歌う詩だ。
 
 人は悲しいときに他人の詩を歌って、悲しい詩人に慰められる。
 
 人の世で2番目に役立つものは、悲しい詩を歌う詩人だ。
 
 彼は心を詩に捧げて、悲しい生を死ぬ。
 
 人の世で1番役に立つものは、隣にいる彼だ。遠くにいる彼女だ。
 
 彼らは、死ぬほどの悲しみを凍結させる。
 
 
     悲しい詩人と離れるならば
     死んでしまえ、役に立つブログ。

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禍福はあざなえる縄のごとし

2012-11-04 21:08:14 | 不定期=中途半端
 こんばんは。秋の良い休日、私は遠くへは狙いを定めないと行かないので、今日は紅葉にはまだ間のある東京地方、まずは単純に余裕(ばかり)の一日で。もちろん、自分の仕事はちゃくちゃく、って、ぐうたらだからそのレベルで。
 
 さて、本日も役に立つブログ、自分の仕事中でもあり、またごまかしのような話題。
 
 世の中、悪いことや悲しいことが起きても、何が悪いかなどわからないもので。
 なんてことは、私のように長生きした者でないと言えないかと。

 つまり、人間は、一定時間では一つの行為しかできないものでして。
 
 まあ、注釈をつけると、人間の行為は、なんであろうと、1回一つだろうといわれるかもしれませんが、そうでもなく、たとえば、ある男をぶんなぐる一瞬は、いろんな意味があるもので。
 1 ストレス解消とか、 2 隣の女性に「男らしいのねえ」、と賞賛される予定とか、 3 暴行罪逮捕の初めの一瞬とか。
 その瞬間にはいろいろ意味がある可能性があるけれど、人間の関係は、10分間とかで区切ると、その行為の意味を一つにしてしまう。 1 ストレスか解消されたが、2 隣の女性に野蛮だと嫌われたうえ、3 相手のパンチが目に入り、目の周りがズキズキする、とか。

 まあ、これは注釈で、ともかくも、10分なり1日なりで区切ると、ある人間の行為は、自分にとっては一つに確定してしまいます。それが 「なんてひどい」とか、「なんで俺ばかり」みたいな気持ちに固まってしまう。

 というふうに、毎日は自分にとって一つのことの累積でできてはいますが、人間てものは、それを前提に、明日も生きていかなければならない。そういうのを生きて「行く」っていうんでしょうね。
 「野蛮」と嫌われようと、それを「背負って」生きるのが人間。ちょっと表現はおおげさですが。
 そして一生懸命生きている限り、「野蛮」は、他人とは替え難い価値を背負った人間が出来上がることに変り、「目の周りの痛さ」は、3年後の、恋人を守るためのケンカで相手の目にパンチを食らわせる経験知となる。人間の生きてきた過去は、必ずそんな(あるいはそれ以上の)価値がある、というのは中高年の経験知というものですが。
 しかして
 「禍福はあざなえる縄のごとし」。あるいは、「人間万事塞翁が馬」
 ポイントは、まず、人間の行為は、この過程を逃れることなんかできない。だって、行為は一つしかないんだもの。そして、ポイントの2、そういう現在を過ごした人間には、必ず、違う将来がやってくる。それが「未来」というものだから。

 これが、ストレスの少ない生き方に役に立つ知識。今はどーんなに悲あしくとも、このつらさがあったおかげで、次の時代は必ず自分にとって都合よく回る。心じゃなくて、体が痛いのや腹が減っているのは困りますけどね。
 
 なんていっても、「てやんでえ、順調に生きたお前にいわれたくねえ」という応答もありそうで。
 もちろん、私はそういう応答をする人のほうが好きですが。 
 とはいえ、ここは公の場(?)。マジに対応するのもへらへらしているのもどっちもどっち。

 それでは役に立つブログ、話題を変えて(それもなんですが)、得意の料理。
 大根の葉は煮ても焼いても苦いしょ? そう思わない人は置いといて。
 わたしゃ苦い。カブの葉はいくらでも料理できるけど、スーパーで買う大根の葉(スーパー的には「茎」ともいう)は、どのスーパーでも苦いぞ。
 そこで、オイスター炒め。
 大根の葉を一度煮て、それをサラダオイル、塩、胡椒。最後にオイスターソースを絡めてできあがり。
 苦くないから。
 これはセロリの葉料理のときネットで見つけたんだけど、後で見たら大根の葉でもネットに載ってた。でも、そういう利点を書いてくれないと私のようなオイスターソース嫌いには通じないよね(セロリの葉では書いてあった)。
 まあ、そのへんが、応用理論の存在価値かね。
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