学問入門的なテーマで、社会科学では実験ができないから科学ではない、というのがあります。
自然科学では、仮説を出して、実験として、その仮説過程が現実に現れるように環境を整えてやると現象が再現できることを客観的に示す、それによって仮説が証明できるから科学として認められる。が社会科学では現実に社会を動かすことができないから、経験科学とはいえない。
というわけです。
なんだかねえ。評論家のキレイ事ですね。どこのどなた様がそんな完璧な実験をおやりになってらっしゃるんでしょうか? 実験仮説なんて穴だらけじゃないですか。やみくもに実験を繰り返し、あげくは、偶然できた結果を論文誌に書いてノーベル賞をお受けになる人ばかり。
一方、社会科学は動き続ける現実が眼前にあります。
この眼前の現実の動きを仮説によってまとめながら、次の展開を予想する。
展開どおりであればこの仮説はどうも正しい。
その正しさは、ノーベル賞級の実験よりは確からしいものです。そうたくさん仮説が立てられるわけじゃないですからね。10の仮説の1は正しい、か、どれも正しくないが次の社会的実験の基礎にはなる、誤った仮説です。
とゆうわけで、社会科学というのは本質的に、実証的なんです。empiricalって書きますけどね。
さらにいうと、統計処理できれば実証的というのも子供レベルのキレイ事ですね。
そういうのは単に測定的measurableであるにすぎません。内容がなきゃ科学じゃないですからね。
で、ここんとこの興味は、国家権力が現代の宗教=大学教授・学識者を動員してセットした新規医療制度がどう動くか。新聞の論説委員もちゃんと取り込んだのにねえ。薄情なもんさ。あたしゃもちろん反対派ですが、小泉の頃はそりゃスターリンもびっくりの革命的論議だったですぜ。
前の首相があほで、、、って名前も忘れてウィキペディアしてしまいました。弱みを見せたら食いつくのが若い人間に限らず、戦後日本人でんがな。
ま、興味深く拝見。こういうのは歴史家が評論する頃にはウソだらけになっちゃうからね。
自然科学では、仮説を出して、実験として、その仮説過程が現実に現れるように環境を整えてやると現象が再現できることを客観的に示す、それによって仮説が証明できるから科学として認められる。が社会科学では現実に社会を動かすことができないから、経験科学とはいえない。
というわけです。
なんだかねえ。評論家のキレイ事ですね。どこのどなた様がそんな完璧な実験をおやりになってらっしゃるんでしょうか? 実験仮説なんて穴だらけじゃないですか。やみくもに実験を繰り返し、あげくは、偶然できた結果を論文誌に書いてノーベル賞をお受けになる人ばかり。
一方、社会科学は動き続ける現実が眼前にあります。
この眼前の現実の動きを仮説によってまとめながら、次の展開を予想する。
展開どおりであればこの仮説はどうも正しい。
その正しさは、ノーベル賞級の実験よりは確からしいものです。そうたくさん仮説が立てられるわけじゃないですからね。10の仮説の1は正しい、か、どれも正しくないが次の社会的実験の基礎にはなる、誤った仮説です。
とゆうわけで、社会科学というのは本質的に、実証的なんです。empiricalって書きますけどね。
さらにいうと、統計処理できれば実証的というのも子供レベルのキレイ事ですね。
そういうのは単に測定的measurableであるにすぎません。内容がなきゃ科学じゃないですからね。
で、ここんとこの興味は、国家権力が現代の宗教=大学教授・学識者を動員してセットした新規医療制度がどう動くか。新聞の論説委員もちゃんと取り込んだのにねえ。薄情なもんさ。あたしゃもちろん反対派ですが、小泉の頃はそりゃスターリンもびっくりの革命的論議だったですぜ。
前の首相があほで、、、って名前も忘れてウィキペディアしてしまいました。弱みを見せたら食いつくのが若い人間に限らず、戦後日本人でんがな。
ま、興味深く拝見。こういうのは歴史家が評論する頃にはウソだらけになっちゃうからね。