リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

政治経済学における「権力構造」の定置(その2)

2023-07-30 14:42:25 | 賃金・価値・権力
 こんにちは。昨日はアクシデントで中断しましたので、早いうちに追加しておきます。
 これは(2023-07-08)の続き。ぶっきらぼうに、中身だけ裸で置いておきます。

 さて、ここで権力構造とは、組織内の権力構造でもなく、疑似構成体、つまり同様の機能連合体の中での権力構造のことでもありません。そうした組織内の権力に対する行為主体の立場には、拙著「解放行動の原理」をご参照ください。
 
 政治経済学上の権力構造とは、支配者の権力が、どう分割照射しているために、被支配者の行動が規制されているか、ということです。といって、支配者の権力など、彼(ら)をプロレスのマットに上げてみれば分かりますが、「本当は」ないも同然です。
 
 つまり、人間に即して踏み込んでいえば、
 ある社会の部位の人民の肉体力が、どれだけ

1 集約される可能性を持ち

2 集約され続ける時間経過を持つか

3 その肉体力集約がどこをめざしているか
  すなわち、次の2過程のいずれかの途上にあるか
   3-(1)既存の支配者によって操られている=自主的に支配者に向かざるをえなくなっていること
   3-(2)既存の支配者への反逆可能な反感を有していること

4 それをどれだけ支配階級が認知しているか

ということによります。
 すなわち、一方で、人民の力の、人民自身の認知と、その支配階級における認知と
 他方で、行為者の行為の次の将来に、人民における彼の行為共同性的賞賛を現象させる社会事象が現象しうる事態を抱えているか、
 という問題です。
 そして、当該社会において、どの構造が人民の力を彼ら自身に認知させ、さらに支配者にその状況を自覚させ、他方で人民の行為共同性を現象させるか、
 そこでの認知化構造と、現象化可能性をもたらす構造とにおける、政治経済学的要因の析出あるいは暴露が、政治経済学の使命なのです。なぜならその知識が新しい人民の歴史を作るから。


 いやほんと、世の中、人のいい人を食い物にするやからばかり。ここに来るのはいい人だけなので、くれぐれもご用心。
 
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アクシデントにつき

2023-07-29 17:56:51 | 断片
 こんにちは。暑かったりなんだったりで、けだるい。昨日なんか外気34度でうろうろしただけでアウト。お勤めご苦労様です。
 もう夏も終わるので(うそ)、最後の桃と、プラムを食べました。プラムなんて西洋あんずかと思ってたら日本スモモなんだって。知らなかった。
 あんずは実家に木があったので好きなのですが、世間では売ってないですね。あんず、そんなに酸っぱい? そもそも知らないか。生食用とかむずかしいこといわなくたって、柔らかくなるまでそこらにほっとけば美味しいよ。
 これからは小粒ブドウの季節。デラじゃなくて、田舎にしかない透明感のある小粒ブドウが、ただ甘いデラウェアじゃなくいちばんブドウの味がするんだよ。問題は、どこにあるんだ、ってことですが。
 
 さて、ニュースによると、
「最低賃金、1002円に 41円上げ、増加幅は過去最大」(共同通信)
 10月からだって。ほんとに反映されればいいことです。東京1,113円、、鹿児島892円、だって。
 9年前東京は890円くらいだったから(その頃の私のバイト代)220円up、月3万円くらいだね。スーパーの生鮮食品値上げさえなければ、そこそこなもんです、って値上げがなきゃそんなに上がってないけど。鹿児島は昔680円くらいで問題になってたから、210円up。上がりゃあ。
 いや、なかなかなもんだ、月3万て。大企業大卒初任給の上げ幅は平均22万5千円強。20万6千円からの2万円アップで、賞与分が5カ月として2万8千円、比較データとしては今春闘前だから、まあそこそこ同じ。同じなら「割合としちゃ」最低のサラリーマンよりはよい、というものです。
 ま、新聞社等は値上げ根拠など興味がないから、真実は不明。政府の方針といっておきましょう。こんなもんはどんな資本主義政党が政府だって変わりゃあしませんが、まあ5千円は変わる幅がありそうです。その分は説得資料を作った厚労省の努力を褒め。
 もちろん学生さん向けには、「問題は、最低賃金者には昇給が(ほとんど)ない、という点。いくつになっても最低賃金。」とわざわざ書いておかないとね。
 
 次、皆様には関係がない、
「ジェネリック医薬品、メーカー再編促し安定供給を強化…200社近くの大半が中小」(読売新聞オンライン)。
 ジェネリックと本物の違いは?
 今のわたしの薬痾の元凶にジェネリックがあったので調べてみたら、薬効諸成分の名前は一緒で、甘味や溶けさせる成分等だけが違っていました。ああほんとに一緒なのか、と思いましたが、成分列挙の順番が違うので、構成比率は違うのかもしれません。
 以上。

 次、先週書いた、「子供は水に浮ければいい」問題、
「相次ぐ水難事故、知っておきたい「イカ泳ぎ」とは? ネットで増える「子どもに水泳を習わせたい」の声」(ENCOUNT)
 ほらほら知ってる人は知っている。仰向けに寝てさ、手足を逆平泳ぎでゆらゆらさせれば、そこそこ進むのさ。
 とはいえ、波が飛び散ると鼻の穴に入って、そう長く我慢できるもんじゃないので、海用にいちおう鼻波への耐性くらいはできてないとね。
 
 (ここで中断)
 
 アクシデントのため午後いっぱいあっちこっちして、今帰宅。何が疲れたって、目。なにがなんでも視力をなんとかしたい。
 もう夜でしょう。
 今夜は隅田川の花火大会。コロナ前まではいつも雨だったのに今日はカンカン照りの夜。
 若い時には社内みんなで押上の後輩のうちに押しかけて、そこから花火見に繰り出したものですよ。河川敷がないから、見てると上から火の粉が降ってくるんだ。面白かったなあ。みんなが仲間だった一瞬。
 
 眼も見えないし、本日終了。

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彼らが地獄へいかず誰がいく

2023-07-23 19:57:35 | 戦争推進者たち
「クラスター爆弾の供与は、ウクライナ政府の要請を受けて、この3、4か月間、アメリカ国内で議論が続いてきました。クラスター爆弾を供与すれば長期的にウクライナの人達に被害を与えるリスクがあるからです。」(NHK)

「アメリカ政府は7日、ロシアの侵攻と戦うウクライナを支援するため、クラスター弾を供与すると発表した。」(BBC)

「ロシア国防省は22日、ウクライナ軍が南部ザポリージャ州でクラスター爆弾を使って攻撃を行ったと指摘。ロシアメディアの記者4人が負傷」(TBS)

「ドイツの公共放送「ドイチェ・ウェレ」は22日、ウクライナ東部ドネツク州で取材をしていたカメラマンがロシア軍のクラスター爆弾によって負傷したと明らかにしました。」(TBS)

「▼クラスター爆弾の何が問題なのか
●広範囲に散らばる無差別兵器
クラスター爆弾は、広大な範囲に、無差別に子爆弾を撒き散らします。子爆弾はサッカー場の何面分もの面積に散らばって落ちるため、その地域にいる人は軍人であれ民間人であれ、無差別に犠牲になってしまいます。犠牲者の98%が民間人であるというデータがあります。
●犠牲者の多くは子ども
クラスター爆弾の子爆弾は片手でひろえるほど小さく、さまざまな形、色をしたものがあるため、特に子どもの興味を惹いてしまいます。
●不発率の高さ
子爆弾の中には使用時に爆発せず、不発弾となるものがあります。不発率は投下される地上の状況によって異なりますが、畑や森林に投下された場合は不発率が30?40%になることもあります。これらの不発弾が地雷のように地上に残されるため、住民は畑や土地を利用できなくなり、また子どもたちは遊び場を奪われます。そのため、紛争後の生活の再建にこれらの不発弾が大きな脅威となります。」(地雷廃絶日本キャンペーン)

 四の五のとはいわぬ。これで明らかだろう。
 ザレンスキーは自国の子どもたちの命を、生命を、悪魔に売ったのだ。もともと想定の下に、南部ザポリージャ州の子どもたちの命を、計算どおりに。おお。
 そして、ドネツク州の子供たちの命を不可抗力の名の下に。
もちろん悪魔でも、魂を扱っている限り、いたいけな子供の命は天国に返すであろう、戦争推進者たちの魂と引き換えに。

 日本のマルキストたちがなにをいうか、人はよく目を見開いてみるがよい。

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視点選択の現実(その6)

2023-07-22 17:27:26 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。今日はミンミンゼミが初めて鳴きました。カナカナは明け方に聞いてましたが。ところで10日前からジーっていってる音は何の音でしょう、アブラゼミにしては地味で、ずっと鳴き虫だと思っておりましたが。 
 さて皆様におかれましては、暑い中だいじょうぶ? 日曜日はくそ暑い中、某Tデパートへ行ってきましたが、涼しいのなんのって。こりゃ働いてる人はたまんないのか、若いからなんともないのか。なんともモヤモヤのまま帰ってきました。みなさま、今の職場で冷房が効いてないからといって悪いばかりとは思えません。
 うちの学校は暑くていや? いや暑い時は、「先生、やめて食堂行ってアイスコーヒー飲みながら授業しましょう」といえばよい。コーヒー代はもちろん先生持ちです。いいねえ、学生は。
 冷房問題にして「問題を矮小化」したかもしれない。要は、なんとか元気を保てるといいね、という。ここに来た若い人たちの大部分は、テーマ検索1回目で過ぎ去っていく方たちで、悪いけど関係ないや、と思っておりますが、2回目以降、再度以上来た方たちは大切なお客様。ほんと、お体を大切に。
 生きているといいことなんか沢山ありますし。いや、「そんなことはない」とかじゃなくて、これから生きての話ね。この知識は年寄りの勝ち。

 ネット情報はここのところ子供が死んだニュースの見出しばかりで。気が滅入るので開かないけれど。
 こんなのは明るい。
「大阪万博「やりたくない」 費用高騰に人手不足…ゼネコンから悲鳴」(朝日)
建設業界さえやりたくないならやめてしまえばいい。災害復興用にいくらでも資材も人手もいるだろう。これは明るい。

「函館市教育委員会は7日、市立小学校39校の全校で今年度のプール授業を中止すると発表した。バスの運転手が不足し、プールのない学校の児童が近隣校に移動できなくなったのが理由だ。」(読売)
 函館なんか寒いんだからやめたがいい。なんて明るいんだ。泳げなければ危険な川遊びもしないだろう。代わりに温水プール借り上げで1日だけ水に浮く練習をすればいい。浮かべば後は危険がわかる年齢になってからいつだって泳げる。と思ったら、函館には民間プールもめったにないね。要するに泳げなくていいんじゃ?
 
「100万円のVIPシートも! 夏祭り・花火大会で観覧席の“有料化”進む」(日テレ)
ねぶたが100万、阿波踊りが20万だってさあ。祭りってみんなで祭らなきゃ意味ないんじゃないかい?
 まあそれもよし。みんな一緒なんかじゃないことが少しずつバレていくから。
 差別の祭りへの普遍的な仲間幻想もここまで。

 さて、イヤミの羅列はこの辺で。本題。

 先週は社会史派の新しい歴史本を取り揃えてしまって、薬で傷んだやる気をさらにいっそう低下させてしまったので反省。年寄りは古い世界から新しい流行りへ浮気してはいけない。
 というわけで、本日のとっかかりは降旗節雄「歴史と主体性」という古い本。「科学とイデオロギー」についてのマルクス主義運動が命派との論争本で、私(たち)としては既に決着をつけたテーマですが、
(「社会科学の視座と方法」(その1)2023/03/11 以降「論理の行為論的基礎」(その5)2023/04/15 まで。題がいいかげんなのでご注意)
 彼氏が躍起になって言うし、彼と論争してるほうも何もわかっていないていたらくで呆れかえったので、蒸し返しの(その6)。
 この論争者たちはマルクス主義者同士なのですが、両方とも、科学というものが一つだと思い込んでいる。つまり「資本論」は科学で真理なのだ、神聖不可侵だ、と信じ込んでいる連中。ところで威勢だけはいい主義者は、降旗がその不変のマルクスの真理を勝手に変えている、と言い、降旗氏は、科学をわきまえていないのは君たちだ、といいつのる。両者ともわかってないから、まあ消耗なこと。

 で、科学は研究主体の価値意識でいかようにも表現できること、ただし、結果としての因果連関の法則は、歴史的一時点においては普遍にして不変の真理であることは既に述べたのでいいません。
 本日のお題は、なぜ価値意識によって違う或る一視点を、誰にでも普遍な視点であると思い込んでしまうか、について。
 
 まず第1に、人間が認識する「世界」には秘密があります。それは「世界は登場物で出来ている」ということです。当り前ですね、だが、誰も気づいてはいない。世界を構成するものは客観的に独立して存在する原子構成物なんかではない。すでに行為主体が「独自に」認識せざるを得ない意味を内在する、あるいは行為主体に喚起させる、特定物の集合である。
 ということに人が気づくためには、その系を述べなければならないでしょう。「系」とは、まあ「そこから導かれるもの」ですね。
 
 第2に、系の1は、このため、「或る世界を語るものは、その登場物を限定することで世界を確定してしまう」ということです。世界を語る行為主体にとって、意識しているいないを問わず、その世界は彼が特定した限定性を持った構成素で出来ています。そんなもの、他人と「同じ世界」ではありません。

 第3に、系の2は、その登場物がどう動作するか、行為主体、つまり観念者が知っている、ということです。どう動作するか観念できないならば、たとえ視界や聴覚世界に現れてもそれが意味連関を持った像をなすことはありません。初めから「自分だけがその内実まで知っている」から、他人にわからないのが当然だというアタマがない。わからないほうがバカだと思い込んでいる。
 
 第4に、系の3は、従って、観念者が自分で生きてもいない世界、あるいは「先生に教えてもらっていない」世界のことなど分かりはしない、この登場物の動作は、自分が生きている意味を持って、または「先生に教えてもらった通り」に動作し、意味を持つということです。これがかみ合わない観念生活者相互の「論争」というものの虚しさの源泉です。
 
 第5に、系の4は、その表象がどれだけの自分にとっての行為論的な意味を持つかということを観念者が知っている、ということです。これはいうのもヤボですが、教授の言うことを聞いておけばアカデミズム生活は安泰であり、方や、組織内生活者は理論指導者の言うことを聞くのが地位の条件だ、ということです。
 
 題6に、系の5として、従って、主体的な研究者は、自己の生きてきた世界にのみ従い、既存のアカデミズムや前衛教義にとらわれてはいけない。まるで無駄だからです。それは他人の生であり、他人の教義です。決して自分のモノにはならず、自分及び自分の仲間たちの利益にはなりません。
 
 とね。

 まったく無関係な話し。無地のシーツで上下の不明なものがあるでしょ? で、ネット情報によると
 「シーツの上下にある折り返し部分をヘムといいます。大きいヘムと小さいヘムがありますが、一般に大きいヘムを頭側にします。本記事は株式会社サイオ出版の提供により掲載しています。」
    https://www.kango-roo.com/learning/4406/
なんて書いてあるんだけど、ほんとだと思う?
 足元は重くする(大きいヘムにする)ほうが常識じゃないかね?
 どっちでもいい? おっしゃるとおり。
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オカルト(その18;生命の哀しい志向)

2023-07-15 13:54:48 | オカルト(途中から)
 こんにちは。東京地方猛暑、中の、今日はましな日、明日からまた37度だとか、これで今夏は終わりにしてほしい。
 こんな暑いのに昭和記念公園プール(という東京西部で一番広いプール施設)がコロナ下営業中止のまま廃業だって。38年の歴史とか。プールなんてあっちもこっちもなくなっているのに、また一つ。
 思えばうちのガキたちは幸せな子供時代を過ごしたものだ、ピカピカの遊園地もあり、プールもいくつもあり、といっても気づかないだろうけど。なんでも失って初めて気づくものです。
 もっとも真岡市では一万人プールとやらが営業開始したとニュースでやっていたから、一般化してはいけないのかもしれない。50周年だって。おめでとう、いつまでもあるといいね。50年前遊べなかった真岡のスポーツマンの同級生は水泳はやらなかったみたいだよ。

 当家のニュース。レンジをIHヒーターに替えました。電磁ヒーター。高齢者世帯ではガスのつけ忘れも頻繁で危ないので。なんだ、もうボケかよ、という前に、ボケてからじゃ遅いんだよね、実家で母がボケて危ないので電気に替えたら、操作がわからないまま死んでしまった。息子が帰ってきたからと、お茶を沸かそうにも、火が点けられないのだから。
 電気容量の変更もあるし基本料金も高いので、若い方々に薦めはしませんが、旧盆で帰った際には、ちょっと親とかおばあちゃんの様子を見たほうが。アクリルのモコモコセーターとか怖いしね。
 ただ、一人暮らしでしたらしょうがない。ひどくやり方が違うので、替えたおかげで料理しなくなったらそちらの方が怖い。ボケてしまう。いわゆるお嫁さんとかがいる家に限ります。
 
 カナダの懐かしいニュース。
 レストランで酒飲んで酔っぱらったから車を置いて帰ったら、翌日車に「思いとどまってくれてありがとう」って置手紙があったってさ。ま、いいんだけど、その店の名が「Original Joe's」と。
 オリジナルジョーズ! おお懐かしい。横浜関内のイタ飯屋。創業1953年。
 懐かしくて検索したら食べログにちゃんとある。さすがに老舗は変わらずあるんだ、と思えば、「閉店」と注がついてた。
 あ、そ。ないのね。
 じゃ関内フレンチ、「シュミネー」は?
 ないの。もう何もかもなくなったのね。
 懐かしいじゃなくて、淋しいニュースでした。
 
 とはいえ、シュミネーという店が高島町(という横浜近くの田舎)にはある。食べログの内観写真見たら、おお、シュミネーじゃん! 調べたら38年前に引っ越し、はいいけど、息子さんの店かね。大昔、職場で行ってもみんな独身貴族だからフレンチも食べられたさ。なにしろ。11人で平均年齢25歳の職場。2人40,50がいたけど置いていった、失礼。でもみんな退職。死亡者までいて。お店が残っているだけすごいともいえる。

 さて、本日は新暦お盆。
 そろそろネタがなくなってきたオカルト。
 本日は何の根拠もなし。
 って、いつもはあるのか、といわれれば、預言者には霊感が根拠である、といえるであろう。
 
 さて、宇宙生命は1である。
 しかし、この物質世界の誕生地に押し流された生命は、物質の隙間に自己の居場所を作らざるを得なかった。彼は山のように自分の位置を見つけた。しかしそれはほんの小さな占拠だった。もともと1である生命には、できれば全部で一つになりたい志向が埋め込まれている。生命は統合を試みた。あるものは結合を、あるものは他の取り込みを。
 結合や取り込みは回を重ね過程が増大するたびに、専用の過程として現象しだす。「食べる」である。
 その結果できた生命体は、合同を、つまり、食事を、生の営みに加えてしまった。さらに統合を積み重ねる。かくて生じたのが恐ろしい顔をした恐竜である。
 しかしその本質は、細胞の、ただの統合である。何も罪を重ねているわけではない。元はといえば哀しい統合過程なのである。食い続けて大きくなるという手段がまるで無駄な過程だと他者が思うだけである。
 
 この過程の統括が、1生命個体に一つの「霊」である。霊も、物質と生命の合間に潜む、単一現象体ではあるが、その役割の中で生命が個別化している時間の間は、やはり個別化せざるをえない。ここに、体の細胞がいくら個別に死のうと平気でいる単一で個別の「霊」が生まれるというわけである。

 というわけで本日のオカルト、(幽)霊を感じはしないけれど、人が思いつかないことを知る、こういうのは霊感というしかないでありませう。

 ところで橋本幸士「物理学者のすごい思考法」の孫引きによると、葉緑体が緑なのは日光中の緑の波長がエネルギーが強すぎて植物の体に悪いから(緑色を)反射してるせいだって。彼氏は納得していたが、これって論理かね? こんな程度の思考で済むならみんな物理学者になったらいいよ。ほんの少しのエネルギーで済むなら黒ネズミ色にしてもいいし、もっと欲しかったら面積を広くしてもいい、いやもっと効率的にというなら緑だけを吸収してもいいがね。要するに、葉緑体が緑の理由はなにも答えてやしない、できれば緑は避けたいはずだという気持ちの提示。そもそも褐色体というものさえあるというがこれは何?
 
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あるべき政治経済学の構成は(その1)

2023-07-08 17:05:04 | 賃金・価値・権力
 こんにちは、昨日は七夕。といってもこの辺ではお飾りの笹は片りんもみられません。前住んでた近くの町では川のフェンスに笹を差し掛けて並べてるって、センスに疑問があるけど、まあないよりまし。こいのぼりも泳がないし、困った田舎村だ。
 今日は都会の入谷では鬼子母神の朝顔市が最終日だそうで。もうしぼんでるけどね。しかし率直に言えば、朝顔なんて買うもんじゃないがね。種まいときゃいくつも次々に生えるし。この「次々」が取り柄だと思うぞ。次々に咲いて次々にしぼんで。ただ、この祭りは都会の風情というもの。田舎の寺でやっても、なにそれ、だね。
 
 ここいらの田舎では、空き地を囲ってノカンゾウを植えていたのが綺麗に咲いていました。
 空き地を囲って植える花がノカンゾウってとこが田舎だね。
 ノカンゾウって、シンプルな野ユリの赤いやつ。雑草。囲ったって周りの雑草を抜かないから、見た目そのまんま雑草。東京でも線路の土手とかに生えてます。なかなかよい。
 
 『萱草に寄す』って立原道造の詩集ね。ワスレグサと読むの。1日でしぼんじゃうから、ってワスレグサ。こういう伝説は話半分ね。朝顔だってハイビスカスだって、翌日も咲くときはあるさ。まあいいけど
 
    ささやかな地異は そのかたみに
    灰を降らした この村に ひとしきり
    灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
    樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた、、、、
    
 教科書にあったでしょ。今は詩なんて載せないか。
 立原の場合の萱草はユウスゲみたいだけどね、黄色い萱草。ニッコウキスゲとかの夕方版。
 いいねえ、七月お盆の地方ではキスゲもベニスゲも実家に帰れば見れるね。そんな地方ないか。
 
 さて、現実逃避は終わって、ってどっちが現実かは別として、本日のお題は前回(週)の続き。
 政治経済学で扱える規定性は、社会科学的題材をどこまで包括しうるか。

 政治経済学で扱える規定性とは、当然に、資本主義経済に基づく消費物資の入手と、資本主義経済を選択している支配階級の調整にかかわる、人民の行為論的将来の規定性です。資本主義の存在は、消費物資の豊富さを追求する支配階級を基盤としているからです。 
 そもそも「経済」学なるものは、擬制なのです。経済学とは片方に支配者の行為として現象する支配過程と、他方に人民の生活過程として現象する被支配過程とで出来ているものです。
 すなわち、或る消費物資の生産は、その生産者であり消費者である人民Aにとっては彼の生活です。ただしそれが生活全部ではないのは、彼がその生活物資を奪われるから、彼が「支配されているから」です。そして彼の人生は一つであるから、この2つの混合した過程は「被支配過程」なのです。(その支配過程への盲目が、昔、一部で流行った「生活過程論」の誤りです。)
 他方、この生活物資を奪う支配者にとって、やはり或る消費物資の生産は生活ではありますが他方、それ以上にその他者による「生活過程」は支配者にとっては支配の本体、支配過程なのです。
 このため経済学に必然的に追加されるのが、支配者と被支配者をつなぐ、人民における「権力構造」論です。これが或る時代の新自由主義のイデオロギーにつながります。

 さて、ここまでが原理論です。しかし原理論は内容をもっていません。原理の現象は時代によって、あるいは構成素の流出入によって、変化します。ここで宇野弘蔵とは別の意味で、段階論が必要となります。どちらかといえば岩田弘・鈴木鴻一郎の趣旨に近い。
 
 段階論とは、その規定の中身で、その論者が欲する因果連関を説明しなければなりませんが、ここではとりあえず、その枠組みだけ提示しておきます。段階は4つです。

 第1 資本主義前史時代
 消費物資=富に目のくらんだ国家=支配階級と、異国民=人民を犠牲にした消費物資増大化の歴史です。
 原始的蓄積。
 
 第2 資本主義国家
 本来の資本主義国家は、支配者と国家下流階級=中産階級=資本家との提携の歴史です。
 植民地主義的侵略。

 第3 世界資本主義内国家の誕生
 国家は、資本家の奴隷たる人民を、消費物資増大のため国家構成員として取り込んだ。この時点において過剰資本は、他国において自己を処理させるべく、資本家を叱咤する。
 帝国主義的侵略。

 第4 単一世界資本主義
 後進諸国の国内植民地主義の再生産
 後進諸国において、前史資本主義化が進行する。ただ前史との違いは、それ以上の資本主義的進展を許さないところです。人民はどこまでも異国民です。
 腐臭漂うカオス。

 さて、では「現在」がどうなっているか。それは宇野経でいう「現状分析」ではありません。現状分析は(岩田等と同じく)段階論に吸収されています。その代わりに(運動的)「総括」がはいります。この論では対抗権力が被支配過程に埋まってしまうので、その変革的意義を取り立てて記しておこうという意味です。
 
 と、全体像まで見え透いてしまう解説。
 しかし、完成まであと2年弱余裕があるのさ。
 


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人間にとっての矛盾の3形態

2023-07-02 13:55:08 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。
 こんにちは、ってなんだ? って、そんなこといわないで。昨日のブログはあまりにむ無内容かと思って、お口直し。こうしてクッションを入れておけば、より大きな「来週期待」が仮に遅れてもいいかも、と。
 
 で、すぐ本題。
 人間にとって、観照の愉しみのためではなく行為に道筋をつけるべき「矛盾」とは、以下の3通りです。
 
1 ある概念を構成している規定性が複数あること。初めの人間の認識反応は「変すぎる」です。
 これは別に、いわゆる反対しあうような矛盾ではなく、ただ2個(以上)あって相入れない、というだけのこと。これは弁証法的な叙述で解決されます。

2 或る現実の事態が、そこから行為するときに、行為主体にとって相反する状況を生む状態。
 これは他者や他者群によって引き起こされるわけで、主に支配状態の反映であり、まれにジェンダーの問題を原因とします(愛しているのに、かえって嫌われる)。
 いずれにしてもこれはコトバの問題ではなく、他者や他者群の変更に向かうしかありません。

3 人間の行為というものが、ある状況に対して同じ反応を予定するものについては、その対象を一括して把握してしまおうとすること。隈行為論ではこれを対象の象徴性と呼びたいと思っております。(例:お前も人を殺せという「日本」と、「友達みんなが住む」日本がダブることによる行動分裂、あるいは言説分裂。)
 しかし、これは解決されない。人間は認知して行動する生き物だから。あえていえば、現実が、行為主体から離れて、解決してくれます。

 以上の3通りです。

 が、ここに、違う用例も生ずることがあります。
 いちばん巷で見かけるのが問題の中に2通りのコトバの意味を隠す、数学的(ギリシャ的)パズルです。
 しかし、社会論の中にもよくでてきます。これら3通りの事例の認識時に、行為主体がその状況を、当初の概念における自己矛盾と認識し、そこでとどめて修辞し続ける事態です。
 その結果は、概念「〇〇」の自己矛盾、となります。

 というわけで、現在借用中の阿部照男氏の「生産的労働と不生産的労働」。
 こうした「生産的労働」テーマというのは、残念ながらマルクス主義の内部論争の域を出ることがありませんので、私にもみなさまにも関係のないところですが、著者阿部氏的には著者の論の根底にある、という「労働の自己疎外」論。こういう論が出るから「労働」物神は悪いところしかないのです。
 本来、支配に取りこまれてしまった生産行為が労働=賃労働であるはずなのに、阿部氏もそこまでは実質的には認識しているはずなのに、いうには
 「労働は喜びであるとともに苦しみである」という矛盾、と納得してしまう。そこから苦しみの根源である、あるいは賃労働の根源である、通時代的な(生産)行為における支配の解明に食い込んでいこうとしえないのが「労働」物神=マルクス主義経済学です。あるいは人民が常に行っている「労働」の認識に至れない講壇社会主義といったほうがいいかもしれません。阿部氏にとっては、歴史は嫌な労働を他人にやらせようという人間行為でしかない。論のストーリーをどうするのも演者の自由です。しかし、その理論なるものは、それだけの解釈に過ぎない。 
 
 皆様にこんなことを言ってもしょうがないけれど、すぐ本を返してしまいますのでその前にケリを、と。
 皆様には、論頭に上げました矛盾の3形態を、それとしてご理解ください。「矛盾」「矛盾」と騒ぐ内実が分かりやすくなると思います。
 
 と、想定より元気でしょ。今回の薬、まともだった。少し頭痛いけど、理由なんてわかりゃしないし。

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来週期待

2023-07-01 15:52:10 | 断片
 こんにちは。いよいよ本梅雨。暑くて蚊が出て。
 今日お休みの方は雨だけど、まだ涼しくていい、と思えるのも悪くありません。雨で風が少しひんやり。明日は晴れでよしあし、洗濯してあとはなんとかしのいでください。
 ところでこんなとこにくる男性のお客様は、失礼ながらどうせ貧相でしょ? あ、気にしてる? それは失礼。でさ、そうすると下着Sじゃん。売ってないしょ? (Mは、胴囲76センチ以上) わたしゃいつも通販のBVDブリーフだから知らなかった、でもそれなりにトランクスなんかも持っててさ、で、つぶれかけのイトーヨーカドーなんかもうゼロ。そりゃつぶれるわな。
 どうしろっていうのかね。いまどきは繊細な男ってそんなに希少価値なのかね、そうだとは思ってたけど。で、みんなデカパン穿(は)いてるのかね。ズリ落ちて困るだろ。
 いや、通販があるからいいよぉ、って思ったら通販でも存在しないって知らなかった。BVDもグンゼもなし。あるのはセリーヌとユニクロだけ。あらあらまあまあ。どこが豊かな日本なんだろ。みんなこのパターン、例外には見ないふり。儲かるものしか売らない。ほんと、ヨーカドーつぶれろ。
 しょうがないから嫌いなユニクロにするか。ハイ、貧乏人は安いものしか買わない。 
 
 およそつまらない話で。なにしろ交感神経抑制でシャキっとしない。本を読んで対応を考えるくらい。
 本といってももう底さらい状態で、なかなかまともな相手が現れない。今週は菊地夏野って社会学者の「日本のポストフェミニズム」。といっても「フェミニズム」反応じゃなくて、「新自由主義」がジェンダーに関係するとあるので、隈段階論の「注」くらいになるかと思って借用。 
 たら、もう(新自由主義に限らず)言葉の切れ端対応に終始して。実証学者だから悪い人ではないのですが。
 社会科学ならさ、新自由主義の言説がどういう社会構造から生まれるのかを論じて、だから、現在のジェンダー問題が新自由主義と相関しているように見えるのは、新自由主義の言説のせいではなく、同様の社会構造に起因する事象なので相関的に見えるのだ、と述べるべきなのだよ。
 
 なんてわざわざ書いたのは、自分にやる気が出ないので、次週用に種を蒔いておこうと、小利口な考えからしたことであります。 
 つまりは政治経済学で扱える規定性とは、マルクス・エンゲルスのごとき「生産関係」やウェーバーごときの「利害」は越えるにしても、さて、どこまで包括しうるか、という問題であります。あまり上部構造に手を広げるのも原論じゃなくなっちゃうし。 
 なお、なぜ同時期に「菊地夏野」と「菊池夏野」が存在するのか、という問いは具体的人間のレベルなので、社会科学ではありませんが。
 
 まだ3時だけど、もうやめた。 
 さすがにもう薬とはお別れと思ったのですが、逆に薬が一つ増えてしまったよ。漢方薬だからいいけど。
 この3週間で体重が3%減りました。半年で5%下がると医者対応なんだってさ。たしかに食欲不振なだけだから、3%くらいジュース飲みゃ増えちゃうからね。
コメント
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