リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

賞味期限超過+α

2019-08-31 14:33:13 | 歴史への視角
 こんにちは。東京地方、秋の長雨が始まったようで。なんか夏休みが終わった気がしますが、ここらの子供はもう今週からランドセルしょって授業してて、可哀想にね。子供の頃は夏休み終わるのは淋しかったですね。高校の頃は学校が始まってうれしかったですが。

 さて、今日はたいしたことがありませんで。まあ悪口の種はいろいろメモしましたが、引用して貼り付ける量に引き合う意義かというと、それもくだらない。
 先に役に立つことだけ言っておきましょう。
 
 その1。
 明日は防災の日、貯蔵缶詰の点検もなさることでしょうが、去年の暮れにご報告したアキモトのパン缶、最後に残っていたものを食してみました。製造後、58ヶ月です。ちょっと化学物質の味がしてきました(本当は賞味期限37ヶ月)。まあこの辺が限界かもしれません。胃腸への影響ではどなた様も無事かと思われますが、肝臓や神経系に毒かも。わたしはどうせ先が短いのでかまいませんが。
 なお、先日パン缶追加品を買いましたが,amazonから買うと、口コミ通り、残りが2年2ヶ月(26ヶ月)しかありません。お気をつけください。防災フェアで、東急ハンズとかで買うのがいいのでは?
 
 その2。
 カップヌードル3月12日賞味期限、先週発見。たかだか5ヵ月半超過、と思いながらも、ネット情報ではすぐにもまずくなるようなことが書いてあって、私らしくもなく躊躇(ちゅうちょ)。開けてみてやはりもともと得体の知れない加薬は気持ち悪いので捨てて、麺だけ食べました。麺だけならぜんぜんオッケー。つゆ? 捨てました。
 ついでに一緒に見つけた6月12日期限のスーパーPB(日清食品製造)。これは(別の日)余裕で食べましたぜ。塩辛くて味はいわないとして、多少化薬が硬いくらいでつゆも問題なし。
 というわけで、結論はやはり評判どおり、カップ麺は期限後3ヶ月は越えないようにしましょう。
 
 その3。
 食べ物ではありませんが、アースノーマット。他と併用してたので4年目に入ってましたが、これは使用期限表示なし。なんでも3年以上OKなら書かなくていいそうで。で、うちのアース、蚊も気分が悪いようで隣の部屋等に逃げはするようですがどうも不安、と思っていたらつけてて刺されたので、買い換えました。そしたら刺されなくなったから違いがあるようです。4年経ったものは私は勧めませんよ。
 その際知ったのですが、エアコンて換気されないって知ってた? 昔エアコンを持ってた友人から「換気で真空になるのでドアが開かなくなる」ときいたので「そうか」と信じてましたが、実は換気されないって。初めて知りました。殺虫薬品も部屋に充満するので、お気をつけください。
 
 あとはくだらないなあ、、、感想のメモはあるけど、「バカ」か「よかったね」なので、今日はここまで。それではまた来週。
 
 というわけで、以下は個人的感想。まずは引用。 
 「アフリカ南部モザンビークで、日本の農業支援事業が小規模農家の土地収奪につながっているとして、アフリカ開発会議(TICAD)に合わせ北部ナンプラ州から来日した農民団体代表コスタ・エステバオさんが見直しを求めている」
 「エステバオさんが被害を訴えているのは、ナンプラ州で国際協力機構(JICA)が進める「プロサバンナ事業」。JICAは、モザンビークの農民について、小規模で技術も伝統的なものに限られ、生産性は高くないと考えている。JICAによれば、「適切な農業技術の導入により生産性・生産量の向上を図る」ことが事業の狙いという。」 
 「現地では小さな農家の土地が収用され、ブルドーザーで整地されては、輸出用の大豆農場に変えられている。「モザンビーク政府は各種国際フォーラムの場で『いくらでも土地はあるので投資してほしい』と外国に呼び掛けている。しかし、余っている土地はない。土地をめぐる紛争さえ起きている」と主張。」(時事通信)
 
 こうゆうの知ってる? 社会学の若い人は知らないでしょう。歴史学や地理学のほうがわかるはずだと思われますが。
 ときどきここでも書くように、封建以前や後進国の包括国家というのは「国家」じゃないんだよね。これは宣言だけ国家。「領域宣言国家」と個人的に呼びますが、実は支配権力者が掌握しているのは領主層だけ。「反抗するなら武力を送るぞ。『剣か、それともパンをよこすか』」という低劣な脅しで下位の領主(首長・族長)を掌握しているだけの国家なのです。そしてこの低劣な脅しが、全部人民にそのままパスされる。こういう自称国家では人民はいい迷惑で、何一つ見返りのないまま、常に「国家」によって生産手段を取り上げられる。
 他方、資本投下国家人民は、「あの後進国を助けて金持ちにしてやった」「文明国にしてやった」と、英雄気取り、善人気取りをする、というわけです。
 これが資本の原始的蓄積であり、現在は後進国での原始的蓄積の基本です。原始的蓄積は別に「羊に食われる」ばかりじゃないのです。
 ということが、さてどれだけの読者にとって当たり前なんだろうか、というのが個人的な問題。実はこの手の事情は、私の次の論考原文では既に前提なんだよね。前提だからわざわざ書かない。私の論の本体ではないから書くだけムダだもん。
 のだけれど、これは教科書に載ってないので参考文献がいる、ともいえる。しかし、植民地に毛の生えたような時代はともかく、こうした新しい話題を扱う日本の書物はどれも、JICAの兄弟のJETRO・アジア経済研究所製なので、個別地域の刺身のつまくらいにしか載っていない。個別地域じゃ説得力が薄く、もう少しまとめて書いてもらえば参考文献に載せやすいのですが。だいたいこっちは当たり前だと思っているのでわざわざ参考文献に引くのもいやだ。
 というわけで、このレベルの文献はネグっちゃおう、と思っていたところ、ちょっと反省がいるかと言う気がもたげてきて、面倒この上ない。
 ま、感想というより、ぐちかな。
 
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