リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

コーヒーブレイク・その2

2007-12-03 21:47:09 | コーヒーブレイク
 マイ・フェイボリット・シング、Nikon F.

 写真も趣味です。
 ニコンの良さは他の人の言うとおりで、別に付け加える必要はないんですが、せっかくですから写真の理屈を。
 
 写真ていうのは、かなりの人が言うように、時間を切り取るものです。
 この目の前にある外界、これは一瞬後に変わってしまうことは分かっている。
 これが変わる前に保存する。
 これが写真です。

 だから、別に写真機など何を使ってもいい、はず。
 はずなんだけど、これが違う。
 ある写真機は1000回のシャッターチャンスに1回壊れる。この1000回目は、私には大事な瞬間だ。
 ある写真機は巻き上げが長くて一瞬が過ぎてしまう。
 ある写真機は重たくって、現場に持っていけない。
 ある写真機はシャッターを押したのに、ボケボケで何がなんだかわからない。
 そこでニコン。
 それだけのものですが、それだけのものなのです。

 もっとよく写るものもある。大口径ツァイス・プラナーの人工色。これはきれいだ。
 しかし、一瞬後に変わる景色は人には大事だが、一瞬後に変わる色が好きなのはデザイナーだけだ。
 絵描きは、色を超えたものを見る。
 だから変色した絵でも人の心を打つ。
(おっと、別にデザイナーに恨みはありません)

 一瞬に大事なものはピントだけ。
 ま、言いすぎですけどね。
 とにかく、ピントの合った写真を常に提供するのがニコン。

 写真は、自分が何を見ているかを伝えるものです。これを伝えるために絞りを開けたりフィルターをかけたり、あるいは『極端には』フレーミングで強調したりする。
 これは「極端な」場合で、そもそもフレーミングとは画面の配置をどうするか、ということですが、本当は自分はファインダーで見ているのですからフレーミングがどうとかという技巧は関係がない、ファインダーで見たこの瞬間を伝えるのが写真です。
 もちろん、プロは画面配置はうまいですけどね。それは過去の感動をなぞっているだけで、世間ではそういうのをサロン写真といいますし、とってる写真師もそれは否定しないはずです。
 写真というのは自分がファインダーで見た感動を伝えるものです。
 それができるのが、ニコンF。

 もっとも、感動を感じない心調じゃ話にならないですけどね。そんな心調でもカメラを持って歩くと、ちょっと心が軽癒するものです。
 
 てなわけで、ご想像のとおり、実は仕事が外的要因のため、ちょっとヒマ。
 ちょっとヒマくらいが人間的ですよ。


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