リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

うめくさ

2010-04-26 20:42:23 | コーヒーブレイク
 またどなりちらしたんで、人知れずトップ記事を変えようかと。
 でも、今日は忙しいので、気持ちだけ。

 今日の朝日の夕刊は、東京港区のいいお坊さんやいいアウシュビッツの案内人に例のいい身の上相談者と、いい人だらけ。いい人は居てくれるということでよいですね。私とは関係がなくとも。

 私の住まいの付近にもいい人がいるんですよ。
 以前勤めが帰りで、暗い夜道の階段を上ろうとすると、前をじいさんがよたよた危なそうに階段を上る影が見える。
 おい、だいじょうぶかよ、と思うまもなく、もう一人、前にいた歩行者が
「だいじょうぶですか」
「あ、だいじょぶ、ゆっくりいくから」
「気をつけてくださいね」
だって。

 ほお、「気をつけてくださいね」 なんてめったにいえないぞ、とよく見ると、よく見ないでも体格の良い若い男。街行きザック背負ってすたすたと上がっていっちゃった。
 俳優かねえ、、、よほどのうそつきか、めったにいない若い衆か。
 どちらにせよとても感心しました。
   いずれ、いい人とは私は関係がないのがさみしいところです。
 
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2通りの反抗ルート

2010-04-25 21:55:01 | 断片
   題続き:社会の権力を使うか、自分の肉体に支えられた矜持を使うか。

 こんばんは。勉強しようと思ってその前に、とyahooを開けたら、目に入った見出しが以下のようです、勉強意欲をそがれまして。

  見出し。
    「私ゎ」じゃなんでいけないの? 

 見出しが違う? 要するにそういうことです。
 yahoo知恵袋に上記の提起をした者の結論が以下。

 そうよね、みんないかれてるのよね「皆さんが学校の古典で習ってきたように日本語は変化してきてるんです。学校も行ってないんですかね(笑)
 2008/10/13 17:11:13 」

あにいってんだよ、ねーちゃん。

もう1年半経って大きくなってわかったろうが。
学校に行ったやつらほど 「私ゎ」なんて言葉は許さないんだよ。
世の中ったら。

(その1)
それにしても「私ゎ」なんて言葉があるのを始めて知りました。
20歳以上の読者の方、知ってました?
「私ゎ」で、200万件越えのヒット件数ですよ。びっくり。

(その2)
こうゆうのは私の昔の友達たちは好きなんですよね。このネーちゃんの先生も私くらいの世代なんじゃないですか。センセ好きどっせ?(何語じゃ)

(その3)
どうだっていいけどさあ、「学校も行ってないんですかね(笑)」はねえだろ、くそバカ。
オメーはそんな言葉は学校で習ったのかよ。同じガキに習っただけだろ。
どうして自分の言葉に責任がもてないんだ。どうして「あたしたちが使う言葉がそれまでと違っていてなぜ悪い」とシンプルにいえないんだ。学校なんぞという権力の手先に媚びて。
学校に行ってなきゃいけないのか。そりゃあおじさんガッコいってなくて悪かったやね。

 ほんとに近頃のガキはクズだらけだ。読み返すたびに腹が立つ。

  そういっちゃもう「老人」だって。老人で結構さ、
  そんな甘タレどもと一緒にされてたまるか。

   あ、これ「断片」(=「酔言」)ね。まったく、バカ相手にすると後悔しか残らねえ。
   じゃあやめろって? やめるさ。くだらん。
   
   それにしてもみなさん、レジストするなら自分の力でやりましょう。
   そうじゃなきゃ人に使われるだけです。
   あるいはこのネーちゃんのように、将来、人を権力で使うようになるだけです。
     (ああ、人生経験とは! 予言なんざ経験ということですぜ)(後刻のPS:うちの子は違くてよかった。批判の塊とはいえ。権力にすりよったりはしない)
   おめえに力があるのかって? だから、ないよ。ないからいってるんだよ。肉体のない私なんか知ってる人は知ってるように、自分の力じゃ箸の先で飛んじゃうのになんとか土俵際踏ん張ってますぜ。
   
   
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M2が壊れた

2010-04-24 22:06:34 | コーヒーブレイク
 私のMicro-Nikkor 55mm F2.8 が壊れまして。
 って、題と違うじゃないか。

 ほんと、M2といえばライカ以外あるとは思えないのですが、Yahooで検索すると自動車やパソコンがでてきて、ようたく93番目くらいにライカM2がでてきました。それも、私と同じ、「シャッターが壊れた」

 じゃなくて、ニッコールのマイクロが壊れてたのを発見して、T駅の修理屋のいいおじさんに修理に出し、今日取りにいったら感じ悪いおじさんに引き継がれて、買おうかと思った4800円のレンズも買うのをやめにして持って帰った今日この頃、さてとNikon Fにつけたところ、ニコンFの低速度が動かないのを発見。あんだよ、また修理かよ、と、ペンタックスSPをいじってこれ捨てるやついるんだよな、ばかだねえ、なんて思いながら、次にライカM2をいじるとシャッターが下りない。ええーー、とふたを開けてみるとシャッター幕が千切れている。ああ~~~、、、

 てなわけでライカM2が壊れました。(いつ出るか、今日か明日か、という症状なんですけどね)
 もとはといえば就職して2年目のボーナスで買ったそれ。(1年目はギターとNikon Fを買った)
 修理するんじゃ数万かかるがね、、、(製造は50年前)

 すごいんだぜ、ライカのファインダー。
 買ったとき某所で写してたら寄ってきた子供たちに見せたら、すげええ、って感動してたもん。
  それでもライカM3には劣るというけどね。
 もう、売るかなあ、、、
 使いにくいんだよね、ぜんぜん、、、重くて。形が悪いから重さがズシっときて。(評判とはぜんぜん違うさ、私には)
 レンズも悪いし、ほんとは、、、(評判とはぜんぜん違うさ、私には)
 もう私も退職だしね、まだずいぶんあるけど、、、
 そう思うと淋しいね。
 持ってただけのライカ、、、写したけどね。ファインダーしか良くなかった、、、ファインダーはいいよ、目が悪くともぴったり合う、、、

 つまんないなあ、、、

   ライカM2 949400 ウェッツラー ジャーマニー
   ズミクロン 50mm F2 1316086
   ズマロン 35mm F2.8 2240594
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3種の「ために」

2010-04-23 22:30:00 | その他
 こんばんは、今日も寒かった、ようですが、まあ、昼休み、腕まくりして歩ける間はOKで。

 今夜は食事中、テレビに五島みどりの弟さんとかいう人が出まして。
 バイオリンがうまいといいますが、21歳のバイオリンで楽譜と自然生活以外の表現ができるんかい、いやできやしない。これは理屈なんで、本人の名前も出しませんけどね。
 家人が「この人はハーバード大学で物理もして」とかいうんで、なにいってんだ、そんなものできるものか。えばるんなら卒業してからいえよ、みたいな話だったのですが、その人、テレビで

「福祉のためとかっていいますが、それは自分のためなんですよ!」とか興奮しておっしゃっている。
 いくつだよ。ガキかよ、って21だって。
 (前後の話は知りません。ヒステリックな声がしてテレビに気づいただけで。「後」は頭にきてましたからね)

 21、って、いくつでも、この世にいまだにそんな話題が生きているのか、という感じですが、そういえば、ここの読者の人も高校1年生くらいの人もいるんだろうな、と。とにかく日本の知的状況だと確認しておかなければいけないようです。

 「ために」、という言葉は、生きていれば分かることで大人の人には恐縮ですが、とりあえず2通り、違うんです。

1 「ぼくは、障害者のためにいつも介助をしてあげる」
 
 この人は、ある障害者Aさんが暮らしやすいように車椅子を押して、トイレには尿瓶を出して、ズボンのジッパーをあげて、ビニールのパンツの窓を広げて、、、なかなか出ない、どうしよう、ズボンを汚しちゃわないかな、、、というふうに生きてらっしゃる。
 明日はこの人はAさんのためにどこへいこうか、それを考えて眠りにつきます。
 
2 「ぼくは、障害者のために寄付をしているが、それは単にぼくのためだ」
 
 この人は、お金を募金箱に入れて、今日はチャイコフスキーの楽譜を頭に描いて寝ます。
 
1の場合は、利益の主体は、Aさんとその人で
2の場合は、利益の主体は、本人のみです。おっしゃる通り、「それはぼくのため」ですね。

 この2通りが一緒だ、というのは、2の場合の人にのみ特有の反応です。
 1の人にとっては、2の人は、足を引っ張ってはいないようだが、どうだか分からない人物Bにすぎません。

 この2通りがなんで一緒なの???
 単に、2の人間は、自分が社会の道筋に沿って生きていることを暴露しただけだ。何を興奮して偉そうに。道筋に沿った行動なのだから自分は福祉をやっている、と思い込んでいるだけだ。
 福祉とはそんなもんじゃない。自分のためにやるもんじゃない。やれるもんじゃないんだ。明日を特定人物とともに生きるためにやるのだ。

 ついで、しかし、2の人も確かに福祉をしている。
 その募金のカネは福祉に流れるからね。ともいえる。
でさ、
【他称福祉関係者は、そのカネを(障害者でなく)自分のために使えるのさ】
っていってごらんよ、2のやつがどれだけバカほざいてるかわかるでしょ。
 福祉職業者が自分のために働いてるとしたら、だれが何のために給料くれるんだ???

 空語、空語、空語、空語、

 空語を言っても恥ずかしくもないやつがこの70年闘争を他人の血でけがしまくったのだ。
   、、、「この」、じゃないか。
   
   こいつは何も現実のことを言葉で形にしてはいないのだ。
   何もしたことのないガキには、しゃべることもできないし、自分の生で楽譜を読むこともできやしないさ。


3 さて、もひとつ「ために」がある。
 『貴族Cのために、君の命を捧げよ』、という「ために」だ。
 そんなことをいっても貴族Cははじめからノホホンと暮らしているのだが、、、
 つまり、自分のためにでもなく、貴族Aのためでもない、それをいえば、世間が賞賛してくれ、ヤクザDも褒めてくれ、左翼Eに対抗できる、この時点で自分のためになる「ために」だ。
 何の実感もない口先だけの 3
 まだ貴族Cだか障害者のためだかに、自分のイメージを持って行動した2のほうがましさ。なにもしてないという自覚があるからね。
 
 
 ところで、さっきから、話が長くなるのは、自分の行為は自分の「ために」する、という、言うのも無駄な普遍的前提が認識されていないことが理由ではあります。そんな前提を言葉にすることで、社会への自分の態度をごまかされてたまるか、ということです。問題は次の段階の社会への具体的行動なのだ。そこで、はじめて「ために」という単語が言語体系に生まれる。行為する人間に意味があるのは、具体的人間、障害者Aや貴族Cであり、彼らと生きる人間なのだ。バカは社会罪で死刑にしたほうがいいんじゃないか。
 なんつうと、そりゃあいい、と無政府主義者は死刑になるけどね。

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意志薄弱

2010-04-17 16:32:11 | その他
 こんにちは。本日は朝起きて外を見ると芝生が一面の桜の花びら絨毯
ではなくて、積もった薄雪が雨で融けてあちこちに穴があき、花びらに見えておりました。
 って、何月だよ。春だよ春。

 一昨日、昔の虫歯の詰め物がポロッと取れ、2,30年前の物だからそんなこともあるだろうと思いながら、ネットで探すと東京とはいえ辺鄙な町に、なんでこんなにあるんだろうと思うほど歯科医院がありました。歩いて5分以内にざっと6軒。儲けてやがんな。
 サトい歯医者にとっ捕まると余計な金儲けをされてしまうので、会社の近くであまり流行ってなさそうな歯医者を探して行ってきました。
 歯医者は選ばないといけません。私儀、たまに親知らずが少し痛くなるんで、5,6年前、その時分の会社の近くの歯医者にいったら、悪いところはないが歯石がついてるわなんだわ、といわれて美容に8日間も通わされました。どうも断るのが苦手で。
 そんな苦労をしても、1,2ヶ月で歯石等は元に戻って(歯磨きぐらいしております)、儲けさせただけです。で、なるべく商才のない歯医者に行こう、というわけで。

 だいたい、内科と外科以外で、医者が役に立った覚えがない。以下、例。

ア) 3,4年前、また別の会社の時には、アレルギーで皮膚科に行ったら先客の子供が無理やりアレルギー検査を受けさせられていたので(検査代で儲けるのは知ってまして)、ここは意志を固く、と私の番のときは断れました。ら、翌年、また同じ医者に行ったところ当番の医者が変わっててこっちの希望も聞かずにあれよあれよとアレルギー検査をされてしまいました。計5千円くらい取られた。ぬすっとじゃ。
そんな検査をしても何の役に立たないのはもちろんです。

イ) 2,30年前は、なんか耳の調子がおかしかったので耳鼻科へ行ったら、鼻の形が悪いせいだから空気を通すとかいって10回くらい通わされました。
なんじゃそれは。

ウ) 3,40年前は、なんとか結膜炎とかいわれて、小学生で身体検査のたびに目医者に通わされました。身体検査って、春やるじゃないですか。私は昔から花粉症なのでその頃は目医者には儲け時です。いくら通ったって、直るとかいうもんじゃないし。ばかばかしい話だった。

エ) 20年前、会社の身体検査で大病院の目医者へいけといわれて行けば、視力以外は悪くはないが、とコンタクト屋に連れてかれるし(ほんと、意志が弱くて)、作ったコンタクトは冷蔵庫で腐りました。

 などなど、金儲けばかり。皮膚薬とか薬の世話にはなっても、湿疹の投薬なんざぼくにだってできるぞ。もっとありますが切り上げます。

 だいたい内科、外科(産科・小児科)以外の医者なんて、そんな必要なんですかね。
 看護士さんに内科病院への振り分け技術と投薬権をあげて、あと歯科技工士さんがいれば、雑多な医者は要らないんじゃないか。意味もなく医療行為を受けさせられて、なんで貧乏人が金持ちに寄付して回る必要があるんだ? そんなカネがあったら大病院勤めの多忙な医者を楽させてやりたいものだ。
 
 みなさま、医者へは充分に警戒心を持って、行ってください。
 
 で、昨日の歯医者は、ヒマそうな歯医者を選んだカンはあたって、さんざん脅されイヤミをいわれながらもじっと耐え、歯の再接着だけで帰して貰うことができました。879円でした。
 
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マイ・ワールド

2010-04-11 16:15:11 | その他
 こんにちは
 今日はようやく花見ができました。
 近くの公園で、ソメイヨシノと花壇のチューリップ他。
 もちろん東京じゃ遅すぎの花見ですが、その分公園は独占状態。青い空にはらはらと散る花びら。十分十分。ようやく春です。

 さて、今日は、文化的に写真のことでも。
 林忠彦という、中高年のカメラファンには名の知れたポートレート作家の本を借りてきまして。
 太宰治がバーの椅子に足上げて酒飲んでる写真を撮った人です。坂口安吾の紙くずだらけの書斎を撮った人とか、織田作之助が革ジャンで煙草吸ってる写真撮った人とか。
 なんつうと、なんて古い話を、という感じですが、その頃は20代。もっとも、そのまま死んでしまった人でもあります。
 本人も、お前の写真は被写体の名声で持ってる、といわれるのが一番いやだったような。
 
 わたくしなどにはシンプルに偉い人でしたから本を借りてきたのですが、どうも、そんな悪口ももっとものようだ、というのが結論で。
 本人の特徴、ないんだもの。
 同じ頃の仲間だと、風景の緑川陽一、花の秋山庄太郎、女優の大竹省二、ロマンの植田正治、みんな自作写真が2枚並べば、作者が当てられる人たちじゃないですか、って、なんです。
 ところが、この人の写真は何がなんだか。
 自分のワールドがない、有名な人には稀有な種類。
 やっぱ、被写体次第の人だったのか。
 どおりで、コンタックスのAEの賛美宣伝なんかして。実体はミノルタAEなのにね (じゃなかった、ヤシカ。ミノルタはライカでした。花見の酒が、、、) 。浪費癖でお金が欲しかったようです。ニッコールで十分の写真しか撮らないくせ。
 
 なんか自分の作品にワールドがない芸術家ってねえ。
 私が本人なら淋しいなあ、、、本人はどうでもよいのかもしれないが。
 
 ということで、一流どころは(先に挙げた人に限らず)みんな自分の世界を作っていることを改めて発見したところです。
 やはり、良くも悪くも、人にカネを払ってもらうには、個性を確立させることが必須なような。
 私もサラリーマン仕事で、○○(本名)ワールドと呼ばれたことがあります。悪口だったと思いますけどね。
 
 
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民主国家勝利的分裂

2010-04-04 21:39:22 | 断片
 いや、お寒い中、お花見の人は?
 さすがに今日は、めった、いませんでしたね。
 あたしゃ、来週のボタン桜見物かな。ボタン桜って、いかにもサラリーマンの憩い的悲哀がありますよね。東京じゃあわざわざ見に行きませんもの。勤務中わき見桜、てなもんですね。


 さて、なんでも与謝野という右翼が自民党を割って出たそうな。
 日本て、分裂が多くてよいですよね。

 イギリスやアメリカで、2大政党を割るやつなんていませんな。
 みんな根性なしで。
 割ったら永遠に国家権力が手に入りませんものね。

 欧米のようなエリートや金持ち(貴族)しか政治をしないところというのはそうなるんですよ。
 小学校の社会科がやっとな人民は、口出しできないんですよね。
 何が欧米個人主義か。
 個人権力配下主義ですな。
 権力さえ握れば、個人の主義主張などどうでもいい、とゆうより、始めっからそんなものはないんです。

 かたや、さすが民主日本ですね。
 権力から離れたとなれば、よし、チャンス、おらがやったる。老いたりとはいえ、坂本竜馬ですな。理想的個人主義者がなんだ、と思いませんか?

 自由な日本。
 かたや、優秀とはいわないが、会社員と同じくそれなりに職務を全うしている官僚が、機械的なところは全部引き受けている。あんたが大臣になった? ほう、なんでもいってごらんよ、言われたとおりこなしてみせるぜ。
 こりゃどんな口先政治家だって、ガッツさえあれば日本国頭領。

 あたしゃ、ほんとよい国だと思うんですけどね。

 そういう人民性がそういうシステムを作ったんですな。
 そう、いくら左翼が分裂しても、国家は困りゃあしない。国民も困りゃあしないですしね。
 困るようになるときが来るまではね。
 それまでは偉そうな顔をして理論家ぶっても、与謝野と一緒さ。
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世代か性格か

2010-04-03 21:49:25 | 断片
 こんばんは。今日は東京地方、よきお花見日和
 と思って夜桜見物をして雨でひどい目に会った人はごく少数かしら。
 私は行いがよいのでスルーしましたが。

 ためになるブログ、東京地方のお花見1位は、井の頭公園ですね。
 昼よし、夜よし、現地宴会よし、流れ食事よし。特化すれば他にもいろいろありますけど、総合1位は揺るがないところ。


 さて、と。それはそれ、本日は一部の方、向けで。
 ふとした検索の途中でImpという雑誌が出てきまして、そのふとした検索でKさんという在日韓国人3世という人のブログがでてきまして、って、そのKさんの内容はどうでもよいので名前を書かないわけですが

 そこで思うに、
 1 世の中、変な人っているんだよなあ、みたいな。
   自分は正しいことを言っているんだけど、言葉を再構成すれば、そりゃ正しいことになるんだけど、でもそんな現実は、周りの人にはなかった、という。
   よく苦情を他人に言いつける人ってそうじゃありませんか? 会社員の皆様。
   なんかねえ、、、なんとも複雑な心境。

 2 その人は34歳なんだけど、その人に古い新左翼みたいな人が「新左翼は韓国侵略を意識してきた」というんだけど、Kさんは、そんなことはない、って、聞かないんだよね。
   そーか、30歳代ってそーなんだねえ、何にも知らないんだよねえ、、、
   みたいな。
   私やY派と世間で呼ばれている党派以外の新左翼は、みんな中国韓国侵略加害者自己(変?)を踏絵みたいにしてきたんだけどねえ、そんな運動の歴史は抹殺されたんだねえ、、、私は違うからいいんだけど、それも淋しいやね、、、(私は倫理派だから、そんな口先の偽善姿勢にはかかずりあわなかったけどね。なんだよ倫理派って、って? その後の口先人間の歴史をみればわかることさ)

 3 そんで本人、ただの民族主義者だって。
   華青闘だっていちおう社会主義者だったのにねえ、、、
   なんの思想の根拠があって、民族主義で左翼と話せるのかねえ、、、優しくなった左翼。
   
 でも、そういう変な人が、ある時期には、文化とフィットする。
 闘争の文化の時代にね。それは人間全体の進歩のときでもある。
 ただ、今は日常の時代、というだけ。
    だからわたくしのように日常にどっぷりと使っている人間は、批判をする気はないんだけどね。
 しかし、なんかやるせないね。そこそこの意識がある人なのにねえ、、、もったいないというか、自分でもうちょっとなんとかしろよ、というか、、、
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