リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

暮の記事

2015-12-26 11:18:45 | その他
 こんにちは、暖冬のうれしい今日この頃、クリスマスはお楽しみ?
 私儀、いつもはクリスマスソングとか口ずさんだりするのですが、今年はぜんぜん乗らなかったです。あのイスラム騒ぎでキリスト教にもうんざり。そのうえ、ここんところルネッサンス期の勉強が続いていて、さらにいっそうキリスト教にはうんざりしました。「宗教改革」と呼ばれる殺し合いの出来事ね。
 もちろんこれは宗教の問題ではなく、武力権力の連鎖の問題ですが。
 要は、会社のブラック現象とか軍による虐殺現象のことです。(経営権力は国家の武力で確保された権力です)
 上のいうとおりやらないと自分の命(≒生活)が危うい。で、下っ端はバイトに無理命令して、上のヤツは「オレそんなこと言ってない」、とかうそぶく。うそぶく、って「嘘吹く」って書くんでしょうね。さらに軍隊にはイカレたあんちゃんが必ずいて楽しんで殺す。宗教改革ったって、宗教なんて知ってた民衆なんていやしませんぜ。
 まあ仏教だって起こるんだから西欧人ばかりが野蛮なわけではありませんが。
 
 だいたい、宗教とか、人間のご都合主義の賜物ですよね。 手塚治虫がいうように(いったか?)生命というのは一つです。
 生物というのはお互いに融通無碍な存在なのです(、と断言すると宗教か)。人間なんて生きてる個々の細胞の統合体じゃありませんか。
 ティラノサウルスの本体である諸細胞は、別に凶暴でもなんでもないでしょ? 
 恐竜の牙もクラゲの包み込み消化も、本人たちは別に悪気はなく、たまたま図体が大きくなっちゃったりしたんで仕方なく機能的に効率化させただけで、本来は諸細胞のように、別の細胞と同化しようとする存在形式の一つなのです(、ではないか)。(もちろん、人間の仏教徒がコメを食おうとして雑草を引っこ抜いてひたすらコメに執着するのも、ほうれん草を根こそぎ食ったりするのも、ただの同化(仏教徒への注。雑草もほうれん草も死ぬよ)。細胞内でミトコンドリアが生きていて、せっかく生きてきたのに人間の都合で個別のミトコンドリアはたびたび死んでいくのと同じ。)
 生とか死とか、それは個別な一細胞の(一瞬一瞬の)事情だけで、どうも創造主も、生の喜びとか死の苦しみとか言われても、いやそうじゃなくってえ、と言うような気もする。
 以上、隈仏学でした。
 なお、通りすがりの方へ。隈はこんなことはどうでもいいのです。人間には(こんな存在形式になってしまった)人間としての事情がある。隈の仕事は(仏さんではないので)そちらです。
 
 さて、暮なのでなんか良い話題で終わりたいものだ、と思いますが、これなんか。
 「厚労省はブラック企業の求人広告をハローワークで取り扱わない制度を新設」と、これは今年の2月1日のyahooニュースから貼り付け。これが朝日新聞によると1年ぶりに来年施行されるもよう。別に今日である必要もないニュースですが、朝日もいいニュースを載せたかったのかね。ともかくこうゆう宣伝が大切です。安倍の功になっても。
 ブラックで1年にイエローカード2枚でた企業は、ハローワーク登録拒否の由。新卒だけのようですが。
 実効性はあまりないとか書いてありますが、そう(企業側)議員に思わせておいてさっさと制度を作るのがよろしい。制度の成立はそれだけで強力な力になるのは右も左も一緒。(それが悪いのは、他にもっといい選択肢が取れる場合。現実化できるもっといい選択肢があるなら、不十分なほうはただのガス抜き。) 不十分の文句はあるでしょうが、その後の「法の趣旨の実現」は、平議員の文句で可能、ということです。不十分とかいってないで、次の法制用議案を、次々と考えましょう。実現しなくとも「未来」を提出(宣伝)することが前進なのです。
 
 さて、暮で今年最後の更新です。 
 今年はなかなか着実に時間が使えてよかったです。勉強とかバイトとか、まあ生きてたといって差し支えない、というところ。ここんとこヒマっぽくて嫌ですが。
 ともかく年齢的劣化で勤労すると他に何もできなくなるのが悩ましい。逆に時間があれば着実に研究(思考)成果が出るのも、良いことですが、悩ましい。時間が余るもんで。
 なんか適切な勤労はないもんですかねえ、ってもう何年も探している勘定ですが。

  まあ、そんなこんなで、皆様には良いお年をお迎えください。
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その他の話

2015-12-19 10:55:58 | 断片
 さて、気を取り直しまして、こんにちは。暮れまでもう後2週間を切ってますね。
 本日で橋下も終わり。めでたいことです。もうやることはやりつくしたそうですが、一体合理化のほか何をしたんでしょうね、大阪の方。どんなに大阪人の生活が良くなったか言ってやめたらよいのに。で、言い草は、もう私人だから名誉毀損は許さないって。なんか認識違ってますよね。誰が私人のH某のことなんか気にするものか。わたしゃだいたい橋下以上、名前なんか知らないもの。あくまで橋下というのは政治家なり府知事なりだから知っているだけであります。みんなそうですよ。市井の民、H氏など、そんなものに気を使う暇な東京人はいませんやな。すべて、ある人間が政治の責任者として。マスコミとかにおでになってわけのわからないことをおしゃべりになったからこその反応。これから私人ですね。もう2度とマスコミなんかでないよ、と。ほんと山口百恵さんは偉かったですねえ、「私もそうするんだ」と。偉い! それでこそ大阪の何十万人が支持した人間だ。ぼくも2度とお名前を拝見したくありません。どうぞ末永くお幸せにひっそり暮らしてください。

 そう思うと、美濃部って偉かったな。1967年からの都知事のことです。美濃部亮吉、名前だって知ってますぜ。 ウィキペディアを書いてるガキは何も知らないようですから、もう歴史の中のことですが、東京の川と空気をまともに近くしたのはこの御仁です。ほんと、革命的に地方政治が変わる、ということが歴史にも起きるんだな、としみじみ思います。まあ、そういう時代にいき合わせたということですが、誰かがやるにしても誰かがやらなければいけない、ということです。実際やったのは側近以下の人々ですけどね。なんでも3期目には権力に淀む腐った側近しかいなくなって不評のうちに退職したようですが(まあこういうのは、本人が悪いからそんな側近の行動になる、ともいえます。私はどっちでもいい。ただ、権力保持は2期までにするのが当然)。
 わたしなどご存知のように地方自治反対派ですが、それでもいつの日にかアーサー王が来る日のために、地方権限だけは残しておかなければ、と思います。エクスカリバーですね。
 
 ついで、『夫婦同姓は「合憲」』 問題。まったく見識のない庶民や評論家たちの下で、納得できない見出しですね。なに、「夫婦同姓」って違うしょ。イエの名前の夫婦相続でしょ。なんで親の名前を使うことが夫婦同姓のコトバでくくられるんだ。腹が立つ。夫婦は同姓。夫婦が勝手に決定する。それが当然。子どもの名前は誰がつける? 親です。それが当然。なら新しい家族たる夫婦も夫婦が任意に策定、決める、それがブルジョワ法上、当然。結婚された方はご存知のように、家族って法律上、新しい戸籍をつくるんですよ。
 ま、ここまでは古い読者の方々はご存知のところ。そういやあ、結婚しない人が変えられないのは不平等だ。いっそ20歳で全員苗字を決め直したらよい。まあ、名前なんぞどうでもいいからそこまでわざわざ主張する気はないけれど。
 あ、それと、最高裁ひどいね。女性全員反対、ただ3人で少数否決。思想の違いはちょっとおいて、このまんまじゃあ女性の差別扱いなんかなくなんないじゃないか。最高裁は男女同人数にすべきだね。一人余るところは私がなってあげよう。、

 UFO話を調べてたらずいぶん時間を食ってしまいました。あまりブログに時間をかけるとばちが当たるので、本日はこの辺で。
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UFO?

2015-12-19 10:53:01 | 断片
 こんにちは。ソユーズのニュースによると国際宇宙ステーションが見える時期なんだそうで。
 当家では数日前、晴れの夜明けに家人が見たそうで、今日も午前5時55分、親切に家人が起こしてくれまして、ほらベランダの屋根の下のほう、ということで南の空を見ると、いや明るい、ぎらぎらと輝いて、いやあこんなのが100個も夜空にあったら賑やか過ぎて夜じゃないな。と思ってまた布団に。でももう見れないかも、と5分後、も一度同じ場所にあるのを見て、また布団に。

 で、起きて、さて、ネットの話題はどんなもんかいな、とJAXAのデータを見ると、、、ん?
 12月20日17時26分北北東11度、、、んんん? 見え終わり17時27分。
 そらなんかのまちがいだんべ、と倉敷科学センターのHP。
 「15度以上の高さで見える日
 12 月 21 日
 18 時 9 分ごろ北北西の低い空で見え始め, 18 時 10 分ごろ 北の低い空( 26.7 °) で地球の影に入り見えなくなる」
 えーー。うそ。
 12月19日午前6時前後に、動きもせず、南南東の空にあったったら。高さも高く、今の太陽31度よりもずいぶん高い、たとえば、35度以上。
 高倍率の双眼鏡手持ちで見たからプニュプニュプニュプニュ震えてたけど。

 なんて書くと、どうせ金星だろうとかいわれんだよね。金星が東京で真っ暗の中、南南東の高度35度にあっていいんだね。 ま、いいんです、とかいわれたらおしまいだけど。いわれなくとも、じゃあなんだといわれても困るし。

 その後金星の動きを調べたら、午前6時50分で南東よりもちょっと南で27、8度だった。ちぇ。こんな明るいのかよお、-4等。
 
 でした。いつもの読者の方々へは、項を変えて。
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問題の二つめ

2015-12-12 11:02:35 | 社会学の基礎概念
 こんにちは、晩秋の黄葉も昨日の風で半減、枝々の透き間から青空の見える今日この頃、昨日福岡の人と電話で「いやあ、今日はものすごくあったかくて(東京24度)」なんていったら「えっなに?」と驚かれてしまいました。九州は相変わらずの冬だったんですね。
 今日の朝日土曜特集は、沢内村その後。沢内村から高校でて前の会社に入った子がいて、ぜんぜん自分の村の有名さを知りませんでした、と、周りの若い子に他の年寄りが振ったら、周りの子たちも知りませんでした。あ、皆さんも知らない? 政治によって赤ん坊と年寄りの病気をなくした村です。今は昔ですね。その子が2月の寒い日に(東京は2月に降る)雪が舞うと、やっと冬が来たと破顔して喜んでましたが。ちなみに沢内村というのは山を越えれば秋田の美郷(六郷、金沢)です。ぜんぜん知らない? ま、いいじゃん。

 昨日今日は、消費税据え置き物品、これを軽減税率とか呼ばれても困りますわな。これ以上増税しない、という物品。自民が「譲歩」とか。憲法改定代1兆円也。どっちにせよ財務省が他で搾り取るからどうでもいい、とのたまったそうな。
 ついては橋下が、公明党は義理を果たせよ、とせせら笑っていたそうです。文面は「これで完全に憲法改正のプロセスは詰んだ」ですが。実は公明党への恫喝ですね。陰険な野郎だ。参院選はどうなりますかね、ほっといても18歳以上が増えたから改定票が増大したでしょうしね。創価学会の年寄り票と合わせると自民万全でしょうか。

 さて、退職して、アルバイトがどうのといってもやはりだんだん人間関係が薄くなるので、昔のことも自然と思われます(自発。思ほゆ、ってやつね)。ふと思いついたので検索。
 唐突ですが、ここで、社会運動上で、「原則的にこれが正しいからそう行動する」と社会的に発言するAさんがいるとして、「そんなの違うんじゃないの、さすがにここでは周りのことを考えたがいいよ」、というBくんがいるとして、さて、その通りに実行行為したAさんはいいとして、納得できないBくんは次の自分だけの場面では、あんな間違いを二度とおこしてはいけない、と思って、妥協理論を社会的に発言したりするのではないかなあ、と思いました。
 もちろん、部外者のCである私は、心の中で原則的発言を支持するにせよ、それを主張しては生活してはいけない。社会的に発言する、ということは、それでも生活していくというそれぞれの覚悟と自信があるんだろう、という、要するに自称研究者には理解できない過程があるんだろうなあ、と感じ入るだけですが。
 東京地方、南部の年寄り連中はご存知か、の、佐久間登喜子さんと本多伸行くん(私の知り合いではない)のことです(後日。もうみんな引退だから苗字をプラス)。まあこういうマイナーなブログだからいえることですが。
 さらに部外者のお客様方には、そういう理論の別れは、何一つ現実の制度には影響しない、ということだけ述べておきます。原則的正しさを主張する、必ず社会に必要な人が一人いて、妥協的正しさを述べる、これも必ず社会に必要な人が一人いるだけ。それはそれぞれに正しいし、だからって制度は何も変わりはしない。それらはすべてイデオロギーとしてしか機能しない。それは(どちらでも)運動の敵対者だなどというヨタをいうのはイカレポンチだけ。
 つまり、複数の人の間は、社会的発言の場において、環境の矛盾と超自我の持ちようによって、選択的方針の差異を惹起させます。これが支配社会での矛盾であれば、戦術の分裂を引き起こす、ということです。この場合、3種類に理念型化しましょうか。
 まず第1の人。人は生きていけさえすれば、賞賛に身をゆだねることができます。自己の超自我の作りに応じて、他人にはおかまいなしに、「自己の信ずる」論理的正義を行為しうる。それはひどく大変なことですけどね。超自我というのは、内容は別として、しかし、これに反するといつまでも強度のストレスがある(残る)心の構えのことです。
 第2の人は、他者への同情の下に、現実的救済と、それをめぐる賞賛と優越を糧に、論理的正義を超えた選択をします。これは勇気がちょっとあればあまり大変ではありません。
 第3に、他者への同情のない人間で利害の無関係なものは、表明された「2」に対して反対の意を表し論理的正義を表明することで、賞賛と優越を手にすることができ、これを実行します。これで、論理的正義派として、自己の正当性をアピールすることもできます。要するにこのために他人事のくせにわざわざ表明するんですけどね。これは一番簡単。誰にも責任を取らずにすむし。
 この3種類が現実の理念型、支配がからむ環境の矛盾には、いずれも引き起こされる対応です。だってそれぞれの立場に立って一人ひとりの人間が生きているんだから。そして一人の人間は一つの立場しか生きられないから。
 さて、これが現実です。理論ではなく現実です。包帯のような嘘を見破っただけじゃあ学者にしかなれません。もっともまずそのレベルができる学者もいやしませんが。ともかく、現実の認識から問題の解き方が始まる。そして私の次(々)回作も始まります。しつこいか。この現実は、だからなんなのか。この矛盾が他の何の事態を引き起こすのか、どうしたらこの矛盾を運動者内部で最低限に収めるのか、あるいはどうすれば結果として矛盾でなくなるのか、これらが問題であり、これらに手をつけてはじめて「理論」が始まります。
 もっとしつこく言ってしまえば、こういう発言には私の先輩などからは心の中で批判の声さえ出るかもしれません。「何をゆうとるんよ。大言壮語はやめい。」
 そうではなくて。私はご存知の通り自分が真理だとは一度もいったことはありません。そうではなくて、正否を判断する、その物事の段階が違うのです。学者は現実は明らかにできる。でも現実とはそれに携わっている人間は、もっと深く、どうしようもなく納得的に、知っているものです。そんなときに「本当の」学者の役割とは何か。それは現実を明らかにすることではありません。現実を知っている生活している人間がその自分にないものを欲しがる、それは何か。それは学者の現実分析の論文の最後の1ページ、学者が自分の論文の価値を明らかにするために付け加えるそのわずか半ページの予想やら願望やらの結語の「真理」が欲しいのです。
 おわかりでしょうか?
 現実なんかではない、その現実をなんとかできる、改善できる、その結語の正しさを確保する「理論」が欲しいのです。もう一度言うと、結語の正しさを確保できる、それは現実分析なんかではない。理論です。
 なんか、本気出しちゃって、これがテーマのようですね。でもそうじゃなくてただの問題の析出。

 どちらでも正しいのに選択肢があればケンカの理由もないのに二人が別れる結果が生じる、というのは寂しいですね。これは一般論で、当該の話ではありませんが。ただネットを広げて、あの伸行くんが妥協に走っていくのをみるのはどうにもやりきれないものです。誰がやってもいいことは他人にまかせればいいのに。結局信頼できる人間がまた一人消えることになった。いや、なんで妥協すんのかな、と思って後ろを振り返っただけなんですが。まあ、とりあえずお二方ともお元気でいることを祈りたいですが。
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イデオロギーは30年経って花開く

2015-12-05 21:16:12 | 社会学の基礎概念
 こんばんは、皆様お元気でいらっしゃいますか? もう12月、師走ですねえ。ここのところ働いてもいないのに時間が光陰で困っています、困りゃあしませんが、どうせ人生こんなもの。いや、ともかく師走でわたしも忙しく。(ちなみにアルバイトは短期間きざみなので、また年明け働いてるかも)
 しわすというのは朝鮮語だと思いますが、いずれにしても漢字の当て字は日本の仕様。若い衆はわかんないでしょうけど、中高年にとっては、年の瀬というのはあれこれと義理があるものです、人情は別として。まあ、それも私ら中高年が死んだらただの古語になる事由でしょうねえ。
 以上、ためになるブログでした。
 うそ。まだ続きます、が、はじめにいっときゃあ気楽、ということで。
 
 えーと、まずは男の趣味、道具関係。うちの魔法瓶(ジャー)が壊れまして。タイガー、4年前仕様。周りが熱くなってお湯は5分でぬるくなる、真空空間の崩壊のようですが。いつもと違って型番をさらけださないのはどこのメーカーでも一緒みたいだからですが。サーモスも象印もこの数年はぼろぼろのもよう。chiebukuroとかご覧になると分かりますが、例によっていい加減な回答者が、うちのは20年前のだけど全然オーケーだから変だとか。ったく。このコーナーの回答者って資格ないからやですね。
 うちも4年前に買い換える前のは10年以上前ので、機能はオーケーだったのですが、家人が汚くなって見栄えがしないからって買い換えたのが間違いでした(正しく言うと電気ポットに変えたら電気代がバカ高くなって保温のみにまた変えた)。ほんとに日本の20世紀末の工業製品は、あと100万年経っても最高級品です。で、結局象印に買い替えはしましたが。タイガーのほうが使いやすいぞ。
 
 さて、本日のメインのとっかかりは、ヨアヒム・シルト、著「ドイツ語の歴史」。
 ドイツの統一期のイメージを固めたいと思って読んだ本ですが、のように私はこれでも実証主義者、大量の情報で理論の周りを固めていますので私の抽象理論は有効なわけです、というのはどうでもいいですが、といいたいように今日もNHK7時のニュースがいろんなことをいってましてもっと述べるべきことがあるのですが、井戸端話で言うほどに端から忘れてしまって人類的な罪悪感を覚えます、って、要するに酔っ払っている、ということですが。
 で、シルト。
 読んでてびっくりが、下記の例文。
「ドイツとドイツ人の不倶戴天の敵、ユダヤ資本主義とアジア的拝金主義」に抗して「ユダヤとユダヤ人の無節操にして厚顔無恥な敵対と大資本の恐るべき災厄のもとに苦しんでいる諸君」
「自らの中にアーリア人の血が流れ」る者は「キリスト教社会主義者たれ!」だそうです。
これはヒットラーの演説ですが、
 うそ。
 ヒトラーなら驚くものか。1903の帝国議会議員選挙のキリスト教社会党のミュンヘンでの選挙ポスターのテクスト。どこからみてもナチスの宣伝ビラじゃありません? ちなみにヒトラーの政権奪取は1933年。
 ヒトラーはキリスト教社会党党首のルェーガーというやつの手法に心酔したそうです。
 
 というわけで、本日のテーマはこのように政治党首のようなバカ(たち)は事前に存在したイデオロギーを引き継いで、事前の時点で市民権を得たイデオロギーを、見事に現実化する、という立言。30年前からこれいいな、と思った中年(そのとき若者)と、あらたに引き入れられた20代、これ別の資料でわざわざこんなことに出すものでもないですが要するにナチスの進出期の支持者は20歳代なんですわ。で、このコラボレーションが選挙世代的には良い。これは右でも左でも。ロシア革命も基本は20年です、その前(05年革命運動)や日本諸一揆は15年ほどですが、これは実力行使的な良さの進展でしょうね。選挙制度が入ると年代ラグが増えるようにシフトする。なんてことは論文には書けないので皆様あてだけ。
 というわけで本日のほんとうの趣旨は、今現在自分だけえらそうに中韓を侮蔑非難しているストレス解消者たちのこと。あなた一人、あなた個人の言のおかげで、そのコトバを利用して、20年後、対中、対韓での殺し合いが始まるわけです。もちろんそのときの一人しかいない君の子供も虐殺されます。やったね、俺はやったぞ! ですか? それでも結構ですが、ただし、自分が発した言葉はよく覚えておくように。

 (上記、分かりにくくてもだいじょうぶ。わたしはあと10年は言い続けますから) 
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