「神道」が抜けてましたんでおまけです。
私が使っている「本当の宗教」っていうのは、「民間信仰」というものの基礎のことを言います。
この民間信仰が、支配者とくっつきますと、まず「民族宗教」と呼ばれるものとなりまして、これは、部族の酋長みたいな人が、「わしは神の子孫だぞ」とえばりかえる状態を指します。これが爛熟すると、伊勢神宮成立以前の最古代の天皇と神道みたいなものになります。
武力で一番なんだから神の子孫でなくてよさそうなのですが、残念ながらいくら武力をもっていても自然にはかなわない。武力などいくらあっても作物も取れないし狩の獲物も逃げていく。果ては病気にかかっても誰も治してくれない、という世界では、神さんが一番えらい。
そうすると支配者は2番目には偉くないといけない。それには神様の縁者である必要があるわけです。
「権威付け」っていいますかね。
「権威」というのは、「その人間のいうことが、事実であってもなくても、事実と同様に行為の将来に適用するのが自分にとって最善の方法である」という認識を指します。
神様のいうことは聞かないと、飢えたり洪水に遭ったりして死んでしまうわけです。
この場合、酋長なり巫女なりの言葉は、規範イデオロギーとは異なり具体的な行為の指示となります。ですから、前提として、酋長と庶民は同じ具体的な状況にあらなければならない。それでは、状況の異なる諸地方を支配するには言葉が足りない。
かくして神道が国家神道になるためには、資本主義社会という同一の生産関係を前提として、天皇を取り込んだ国家法の存在を待たなければならなかったわけです。
こんな話ばっか、しかも4つめではつまりませんね。
コーヒーブレイクも、閃かないと書けないんで、ためにならない四方山話ですが。
自動車を見るのが好きでして、通勤時はそこそこの名のある一般道で主にトラックを眺めて通勤してきたのですが、最近、首都高を眺めたら、なんじゃ、おんなじ車ばっかり通るぞ、ってなもんで、ようするに昼間の首都高って、ミニバンだらけなんですね。エスティマとかじゃなくって、ミニミニバン。といってキューブでもない、座薬みたいなかっこのやつ。
ミニミニバン、カッコ悪う。昔、よく軽のライトバンに乗せてもらってましたが、あっちのほうがまだかわいい。
なんで後ろに狭っこくなるフォルムと窓枠ばかりなのかね。それよりも、何でみんな形が一緒なの? まあライトバンも形は一緒だからそんなものと思えばいいのかねえ。でも業務用なら社名も書けばいいじゃん。
土日だとみかけないミニミニバンなんで、ほんとに流行ってんのかどうかわかんないんだけど。
(注)
【権威】とは、私がいつもお世話になるウィキペディアでは、
「権威(けんい、Authority)とは、自発的に同意・服従を促すような能力や関係のこと。威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる能力・関係である権力とは区別される。」
とあります。
まあ、こういうウィキペディアはどなたかが親切に政治学の教科書から抜き書きしてくださっているんでしょうから悪口をいってはいけませんが、政治学というのは、目に映った現実をそのまま文字にすればオッケーな学問ですので、あまり信じてはいけません。
そんな催眠術師のような能力なんぞ、誰も持ってはいません。
以下;
「古代ローマの「auctoritas」に由来する語で、助言以上命令以下であり、自発的に同意・服従を促すような能力・関係を一般的に指し示す。ただし、「自発的に」とはいっても「同意・服従」への圧力がかかっているわけで、完全に自由意志で結論を下せるわけではない。」
(これもねえ。
私も若いときは、初めて「ああそうだったのか」と物事を教えてもらった特定の学者や評論家には「権威」を感じまして、その人の評論なら正しそうで、寝っ転がりながらも姿勢を正して読みましたが、これに「同意・服従」への圧力があったとは思いがたいですけどね。概念というのは歴史的なものなので、一般規定だよ、という顔をすると、そこでから先は誤謬になっちゃうんですけどね。)
「他者に対して権威的であるためには、その両者がある種の価値体系、規範を共有していることを前提とする。その上で、その価値体系、規範における上位の人・地位・組織などが権威を帯びることになる。」
(これも、そんなこともありませんで、見ず知らずの人でも、旅先で道に迷ったとき、身なりもよく、眼光炯炯、いかにも自信ありげな人に、「こっちですよ」といわれたらそっちへ行きませんか? こういうのは権威だと思いますが、こんなもん価値体系・規範の共有といわれても困りますね。そりゃあ拡大解釈すればなんでも当てはまりますが、それでは発言の意味が消えます。)
私が使っている「本当の宗教」っていうのは、「民間信仰」というものの基礎のことを言います。
この民間信仰が、支配者とくっつきますと、まず「民族宗教」と呼ばれるものとなりまして、これは、部族の酋長みたいな人が、「わしは神の子孫だぞ」とえばりかえる状態を指します。これが爛熟すると、伊勢神宮成立以前の最古代の天皇と神道みたいなものになります。
武力で一番なんだから神の子孫でなくてよさそうなのですが、残念ながらいくら武力をもっていても自然にはかなわない。武力などいくらあっても作物も取れないし狩の獲物も逃げていく。果ては病気にかかっても誰も治してくれない、という世界では、神さんが一番えらい。
そうすると支配者は2番目には偉くないといけない。それには神様の縁者である必要があるわけです。
「権威付け」っていいますかね。
「権威」というのは、「その人間のいうことが、事実であってもなくても、事実と同様に行為の将来に適用するのが自分にとって最善の方法である」という認識を指します。
神様のいうことは聞かないと、飢えたり洪水に遭ったりして死んでしまうわけです。
この場合、酋長なり巫女なりの言葉は、規範イデオロギーとは異なり具体的な行為の指示となります。ですから、前提として、酋長と庶民は同じ具体的な状況にあらなければならない。それでは、状況の異なる諸地方を支配するには言葉が足りない。
かくして神道が国家神道になるためには、資本主義社会という同一の生産関係を前提として、天皇を取り込んだ国家法の存在を待たなければならなかったわけです。
こんな話ばっか、しかも4つめではつまりませんね。
コーヒーブレイクも、閃かないと書けないんで、ためにならない四方山話ですが。
自動車を見るのが好きでして、通勤時はそこそこの名のある一般道で主にトラックを眺めて通勤してきたのですが、最近、首都高を眺めたら、なんじゃ、おんなじ車ばっかり通るぞ、ってなもんで、ようするに昼間の首都高って、ミニバンだらけなんですね。エスティマとかじゃなくって、ミニミニバン。といってキューブでもない、座薬みたいなかっこのやつ。
ミニミニバン、カッコ悪う。昔、よく軽のライトバンに乗せてもらってましたが、あっちのほうがまだかわいい。
なんで後ろに狭っこくなるフォルムと窓枠ばかりなのかね。それよりも、何でみんな形が一緒なの? まあライトバンも形は一緒だからそんなものと思えばいいのかねえ。でも業務用なら社名も書けばいいじゃん。
土日だとみかけないミニミニバンなんで、ほんとに流行ってんのかどうかわかんないんだけど。
(注)
【権威】とは、私がいつもお世話になるウィキペディアでは、
「権威(けんい、Authority)とは、自発的に同意・服従を促すような能力や関係のこと。威嚇や武力によって強制的に同意・服従させる能力・関係である権力とは区別される。」
とあります。
まあ、こういうウィキペディアはどなたかが親切に政治学の教科書から抜き書きしてくださっているんでしょうから悪口をいってはいけませんが、政治学というのは、目に映った現実をそのまま文字にすればオッケーな学問ですので、あまり信じてはいけません。
そんな催眠術師のような能力なんぞ、誰も持ってはいません。
以下;
「古代ローマの「auctoritas」に由来する語で、助言以上命令以下であり、自発的に同意・服従を促すような能力・関係を一般的に指し示す。ただし、「自発的に」とはいっても「同意・服従」への圧力がかかっているわけで、完全に自由意志で結論を下せるわけではない。」
(これもねえ。
私も若いときは、初めて「ああそうだったのか」と物事を教えてもらった特定の学者や評論家には「権威」を感じまして、その人の評論なら正しそうで、寝っ転がりながらも姿勢を正して読みましたが、これに「同意・服従」への圧力があったとは思いがたいですけどね。概念というのは歴史的なものなので、一般規定だよ、という顔をすると、そこでから先は誤謬になっちゃうんですけどね。)
「他者に対して権威的であるためには、その両者がある種の価値体系、規範を共有していることを前提とする。その上で、その価値体系、規範における上位の人・地位・組織などが権威を帯びることになる。」
(これも、そんなこともありませんで、見ず知らずの人でも、旅先で道に迷ったとき、身なりもよく、眼光炯炯、いかにも自信ありげな人に、「こっちですよ」といわれたらそっちへ行きませんか? こういうのは権威だと思いますが、こんなもん価値体系・規範の共有といわれても困りますね。そりゃあ拡大解釈すればなんでも当てはまりますが、それでは発言の意味が消えます。)