リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

イデオロギーの原理と思想史家

2022-05-28 16:11:05 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。東京地方、昨日は土砂降りの雨が通って行きましたが、今日明日は晴れ、明日は32度とのこと。そのぐらい気温が上がったっていいけど、蚊だけは出てきて欲しくないものです。
 世間はどうも浮かれようとしているようで、田舎道じゃあマスクしていない人々がぞろぞろ。
 いいのかねえ、少なくとも川崎市は連休前レベルからそうは減ってないのに。まあこの辺で道端でしゃべる相手といっても、キチョウかキタテハくらいだけどね。わたしゃ前から外してる。

 さて、ネット情報に一言
・「「さすが海外…!」アメリカの道端で見た、“ワイルドすぎる掃除方法”が衝撃!」
「ホコリが舞うのも気にせず、(落ち葉を風で吹きとばすという豪快な掃除方法にビックリしたあにらむさんでした…!」(マンガ views)
 そか、知らなかったのか。日本でも相当普及してるのだけれど。
 そもそもわたしが一番初めに落ち葉ブロワーを見たのは、10年ほど前、ついでに行った靖国神社の落ち葉清掃。
 いや上記作者が、さすがアメリカ、なんていうものだから。右翼が一番日本的と言うはずの靖国神社で、豪勢に吹き飛ばしてましたぜ。
 
・「国民民主、補正予算案も「異例」の賛成 今回は前原氏も「総合的に判断」」(京都新聞)
 あさましいの一語。そんなに自民党が好きか。もう政治家辞めろ。

・「日本赤軍の重信房子・元最高幹部が出所 反省と謝罪つづる手記公開」(朝日新聞)
 あさま山荘じゃなくて、パレスチナで過ごしてきたその前の世代の幹部。
 若人も御中年も知らないでしょうが、この人はすごい。頭のいい人間はいくらでもいるが、人間のレベルが違う。田中角栄に匹敵する。
 人殺しだ?
 彼女の言、「ウクライナの人民のロシア侵略に対する斗いが、『英雄的』ならば、パレスチナのイスラエル侵略併合に対する斗いもまた、『テロ』ではなく英雄的斗いであると知ってほしい。」と。
 ほうらおっしゃるとおり。日本も世界も、大衆はだれもかれもがそんなレベル。
 彼女(殺人犯ではない)を人殺しと言えるのは、論理上、私くらいのものじゃないか。
 それはいいとして、ところが病気にはなりたくないもので、重信氏(ガンで闘病して)、これからはと聞かれて「能力的にも肉体的にも私に出来ることはない」そうな。まだ76歳、そんな発言は昔の彼女にはありえやしない。情けないことです。
 
 昨日は頭がひりひりして皮膚科に行ったのですがヘルペスと言われて、えー、そこまで痛くないしと思ったのですがお年頃で。で、待合室で待つ間、2歳位のガキが隣の席や床で2,30分したい放題暴れまくり、にもかかわらず、何の意にも留めず読書にいそしむわたし。坊主がものに動じないというのは、単に年齢でボケているのだ、ということがわかりました。
 
 さて、本題。
 その読んでた本が松本健一「原理主義」という右翼思想の研究家の本なのですが、
 思想史というのは、Aという人の考えから自分の関心ポイントを抜き出して、それをBという人以下で同様にした例と一緒に、ビーズ玉に糸を通して腕輪を作るかの如くまとめ、その出来栄えを競う学問です。
 (うん、なかなか正しく表現した)。
 なので、現象の学。そこから立言をされても困ります。
 例:1979年、民社党の和田耕作(1907年生)が「国にたいして、つまり体を張って守っていくとかいう感じが一番少ない。問題にならないほど少ない。、、、国を大事にしなければならぬという言葉がどこにもない、、、法律の文言にもなければ学習指導要領にもない」と言った、と。
 で、これは「”経済大国”の日本それじたいが肯定すべき「原理」として掲げられようとしているのだ。」だと。
 いやああ、それは無理でしょ。これはただのナショナリズム。 
 民社党というのは今の国民民主党。(うん、これも正しい)
 思想史家松本としては、現在の日本大衆の生活エートスは経済大国=経済の安定だ、とつなげたいからそういうのだけれど、そういう無理が思想史家にはついて回る。松本氏は決して頭の悪い人ではないんだけどね。
  
 ここでは正しい定式化をしておきましょう。
 
 イデオロギーにはそれ自体の運動形態があるのです。すなわち、当該イデオロギーが所属する陣営の権力に奉仕する方向で変態する。
 もちろんイデオロギーを担うのは個人だから、「その政治陣営内の個人がイデオロギーを進展させる」といっても誤りではないのですが、ただ、それが現象論なのです。
 それは個人が思想に則って語り出すものではなく、個人が環境の、行為論的要請に則って、しゃべり出すものなのです。だからそれは政治陣営内の誰がしゃべってもよい。個人行為者の問題ではないのです。 
 しかも、口に出すのは早い者勝ちです。しかして恥も外聞も関知しないパーソナリティの者がそれを受け持つ。
  
 もともとイデオロギーは、自己への肉体力の集約を求めて、その言辞を広げよう、易しく説こうという性向を呈します。 
 ただその費やす努力には残念ながら、この勝利を決めるものはイデオロギーの価値ではなく、行為者がそう動いた瞬間に見せつけられる未来の、生理性と行為共同性における賞賛と優越なのです。ここで生理性とは経済的利害というよりは、直接の肉体的生存です。
  
 この件が広範にみられるのは権力陣営の広範さから、とりわけ右翼対象なのではありますが、左翼でも同じことです。なぜか。行為論だからです。左右で違うのは、個人行為者が活用する環境要因だけなのです。

 さて、この基本性質は、イデオロギーが奉仕している集合性の危機の大きさに応じて、増大します。支配者の一が危ういからです。それは政治支配者に限らない。生産共同体内においてはすべての支配の甘い汁を吸っている成員の特権上の危機があります。   
 そこで、ある場合において支配権力も大衆の肉体力を取り込まざるを得ない時は、この強化の際に、その時点で大衆の持つ賞賛と優越を自己の支配イデオロギーに取り込む。例えばファシズム期です。ここに松本の言う「原理」が有効になる契機があるのです。

 元に戻って、民社党の件。
 とりわけ、権力のない弱小政党が偉そうな顔をするためには、政権支配者に対抗する権力(=日本共産党)を敵とする立ち位置(日本語で(比喩的にといっておこう)番犬という)を明確にし、政権支配者のエートスを、つまり賞賛と優越を、自己のものとしなければなりません。
 しかしそれは大衆のエートスではない。大衆のエートスでないから大衆に無視をされた。政治的に政党の存在価値を確保したとはいえ、以後40年間無視をされ続けているのはそれが「原理」ではなかったからだ、というのは論理的帰結です。
 思想史というジャンルは、どうにも芸術的出来、不出来の問題なのです。

追加:
・「弥生人そっくりさん」グランプリ決定 大阪府の吉田昌弘さん35歳」(毎日新聞)
 なにをいってんのさあ。二重、面長、濃い眉の弥生人なんているものか。

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社会学と「辺境の防人」

2022-05-21 14:35:49 | その他
 こんにちは。東京地方今日は曇り時たま雨。ここんとこ3,4日青空を見てたのでわたしはいいですが、さっきは俄か(にわか)雨の土砂降り。運動会の親はたまんないね。まだ観客制限中ならいいけど。

 昨日は退職者はバラの花を見に横浜イングリッシュガーデンというところに行ってきました。すごい。高齢者で花盛り、って花か? まあいいや、いいとこでしたよ、お薦め。
 バラはどうでも、いかにもイギリスの庭で、これは2時間くらい居座る価値あり。
 昨日はちょうど盛りでしたが、4月下旬の咲き始め頃なら空いてそうです。6月は奥にある紫陽花が咲いてしまうのでだめ。紫陽花はもうつぼみがふくらんでました。論外。
 想像によると秋バラの10月頃の、ちょっと茶色いハーブとかが出始めた頃が良さそうですが、ベンチに居座ってピーターラビットでも読む気だと蚊よけがいるかも。11月になると万聖節のカボチャが置かれてしまうというのでだめ。
 問題は入場料で、バラの花時期の変動制。昨日は700円かと思ったら1200円取られてしまいました。しかも高齢者の花盛り、って他人事ですが。
 でも古河庭園に150円払うなら、800円でもしょうがないかも。
 子供はだめ。背が足りません。雰囲気にも足りない。
 バラの花を見ればいいだけで東京地方の方なら、旧向ヶ丘遊園バラ園、あれだけ咲いてて無料です。子供は芝生を駆け回ってください。
 
 そういえばここ(横浜の)って古河電気だったの。同じ古河財閥だね。

 次。
 ネットの不思議なニュース。
「春大卒、就職率95.8% コロナ禍2年連続低下―厚労・文科省」(時事通信)
 そんなわけないんだけどね。「大卒就職率 推移」で検索すれば、どの表見たって、就職率8割超えたらいいほうだよ。われわれの時なんか男だけで数えても75%。
 もちろん残りの25%が全部親のすねをかじったわけじゃないけどね。私の仲間はだいたい塾の教師で一人前に食べてました。いつだって統計はいい加減なもの。にしてもニュースもいいかげんなもの。
 
 さて、本日の読書コーナー、まとめ部分用の「忘れたもの探し」で借りた、45年前の武井邦夫「梅本克己論」、新しい本なんてなんの存在価値もない。
 これはまとめには不要だったけど景気づけによろしかったです。
 なんでも梅本氏、「哲学者は辺境の防人でなければならない」といったそうな。
 「人間は互いに人間を救わねばならない。、、、 辺境にとりのこされ、極寒に凍える人間はなきか!、、、辺境の極寒に、ひとり、死と対面せしめられたるもののみが、哲学者であろう。少なくとも、かかる者のうちからのみ、哲学は生まれでねばならない。」
 威勢がいいねえ。いまどきの社会学者たちに聞かせたいものだ。
 社会学は哲学じゃない? 昔は社会学は哲学のうちさ。東京文理大だって哲学科だったし、京都大もつい最近まで哲学科社会学専攻でしょ。社会学は哲学の科学の部分が分化した、と諸君らも思うであろうから、この梅本氏のはなしは社会学のことでなければならない。
 社会学徒全部が防人だったら相当な武力だよね、弱そうだけど。

 ま、ともかく、次回作最終章の流れは確固なものとなりました。
 
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(戦推者)徹底的に他人事

2022-05-21 14:25:03 | 戦争推進者たち
 今日の朝日の天声人語。
 弟よ死ぬなと言った与謝野晶子を称揚したうえで、人々はみな平和を願っているはずだが、戦争時には「政府は挙国一致をあおり、世論も過熱するからだ。いままさにロシアの国内で起こっていることである」などとしらばくれて書いている。口先男には自己反省の機能はついていないのか。それは、今まさに日本で起こっている、お前らがやっていることだろうが。なぜ「ウクライナ兵士よ、死ぬんじゃない」と言わない・「ウクライナ人よ、家族で幸せに暮らそう」と言わない。
 きれいごとの無責任さ加減には呆れ果てるを通り越してしまう。
 
 なお、高橋純子アサヒ編集委員を除く。アホを装って自己責任を果たしている記事はちゃんと読みました。与謝野晶子くらいに偉いです。アホのマネをしなきゃ通せないくらいは身過ぎ世過ぎでしょうがありません、頑張ってください。
 
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1割の人が変な理由

2022-05-14 13:53:55 | 断片
 こんにちは。東京地方でも田舎では雑草が草生を謳歌する今日この頃、天気が悪い。
 NHKの南予報士によりますと「走り梅雨」だそうで。梅雨の前触れ。しかし5月末には晴れる、というのでほんとかなと「お天気ポータル」サイトで本州のいくつかの都市のデータベースをひらいてみました、ら、去年なんてどこもほとんど梅雨がないのがわかりました。ええええ。ほんとかね。もっともどこでも5月に走り梅雨はあって、これから月末近くまでジメジメが続くようです。

 で、今日のアサヒ新聞生活記事によりますと、梅雨の前にカビよけでクローゼットの整理をしろと書いてあります。クローゼットだと。生意気だね、衣装ダンスだろ。ブルジョワ新聞はしょうがねえ。昔はファンシーケースといったもんだ。柄がなぜかファンシーだったからね。
 ともかくわたしも季節の箪笥の整理をして、春の青空のような水色のセーターがあって、もう30年、数回しか着ていない。外出にセーターなんか着ないのに買ったのが間違いだったんだね。
 ともかくその長崎屋ブランドのおしゃれなセーターを鏡の前で着てみたら、いや、これが全然似合わない。くすんだ高齢者貌に爽やかな水色が似合うはずもない。ショック。
 残念ですが、古着の集団回収に出しました。
 みなさまもこれから若くは絶対になりませんから、若い買い物をしてはいけませんぜ。
   、、、それにしても、顔に似合わない衣服があるとは、、差別じゃないかい。
 
 明日は沖縄返還50年とのこと。「50年前は云々」という展開になりそうですが、沖縄返還が決まったのは51年前なので、左翼的にはあまり記念の出来事がない。たしかに左翼的「旗日」として残ってはいますが。
 50年前の当日は「無条件返還の願いを破り」アメリカのベトナム戦争の基地として云々、と、ベトナム反戦デー化しておりました。まあ条件付きでも返還は返還で無下に反対もできず、無視するくらいが反対の意思表示という事情があったのでしょう。
 というわけで、もともと変わるはずがない条件なのだから、これ以上上乗せして言っても評論にすぎず、皆様にお教えすることはございません。
 だいたい、50年なんかひと昔にしかなりません。50年でできることは人一人が生きることくらい。
 
 さて、今日の本題も世間話。
 今週のマンガの代わりの本、最近人嫌いなので、人嫌いのよしみで中島義道(哲学者)の通俗本を借りてみました。
 いや、ききしにまさる人間。こりゃシンプルに発達障害じゃないかね。
 わたしも他人のことは言えないが、これはひどい。
 といいながら、こういう大人は人生で案外多かったよ。しゃべってるときの目が特徴的なの。表情が消えて覗き込む感じでね。どうしゃべったらいいのかわかんないんでしょ。伝達事項がきまっていればいいのね、だから仕事のことは普通にしゃべれるんだけどね。中島氏も普通に考えれば支離滅裂なんだけど、多分、言い方がわからないのだと思う。
 で、問題は、って大した問題じゃないけど、彼が変か、彼を変だというこっちが変か。
 の前にいっておけば、変と他人に言われて泣くのは変でない人だけだからご安心を。その証拠にわたしゃ他人に何と言われようが興味はないし、かえって褒められたと思うくらいだ。
 
 で、世間の人間が一様に分布しているとします。
 そうすると、感覚の違いや育ちの違いはどうしてもあるから、世間の人々に「自分と違う人」が出てきます。そうすると次に、それに比べれば「自分と同じ人」というのも分化します。最後に、2つに分かれれば、どっちつかずの「その中間」というのも出る。で、それらは人間(の性格)が一様に分布していれば3分の1づつになるでしょう。
 さて、ところがその一方、自分が正しいのだから必ず過半数は自分と同じだと思う。ま、最低でも3分の2は自分と同じだと思うでしょうね。もっとかもしれないけど。
 この過程は、自分と同じ人々で起こると同時に、自分との中間と規定された人間でも起こり、評価として表現される。(もちろんこの過程は、「自分と反対の人間」の中でも起こっているのだが、これは範疇外なので無視される)
 さて、これを足し合わせると、自分と自分に近いはずの人間とで、全く重ならない外れ者の人間が12分の2残ることになる。「中間の人」は「違う人」の中にも自分と同じものを見つけるだろうから。1.67割ね。
 この1割強は「どの陣営」でも起こっていることなので、だれにとっても「1割の人間は変だ」というテーゼが適合する。
 かくて普遍的に、1割(から2割)の人間は自分たちとは違うのです。
 その事態は、かえって人は平等に(一様に)生まれている、ということの証明でもあるのです。

 ま、半分以上冗談。

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舌の運動

2022-05-07 13:38:12 | コーヒーブレイク
 こんにちは。連休遊べた? 東京地方、1日おきに晴れたり曇ったり(雨が降ったり)そうこうしてるうちに近くのツツジ群落の季節が終わってしまってました。この付近は東京地方じゃ一番雨がよけるところで今日も助かってますが(多分、多摩川のおかげ)。
 世間はまだ順調にコロナの低下が続いているもようで、このまま終わればいいのですが。

 退職者は家ごもりを続けておりますので、人にも会わないのですが、憲法記念日に隣町に買い物に出たおり、旧知の退職者に肩を叩かれました。マスクしててよくわかるものだ。彼はもう82歳とのこと、共産党の地域幹部だったので世間話に「メーデーは?」と聞いたら、雨の中行ってきたよ、だと。当日は憲法集会に顔だけ出しての帰り道だそうで、偉いもんだね。共産党でもいい人はいい人だからね。裏切り者よりはずっとましだ。
 ほんと、コロナが落ち着いたら家でくすぶってちゃいけないね。
 
 今週はも一人、感心、
 家人が話したフィリピンのフィリピンの中産階級は、アフリカの貧困を同情心をもって語るんだと。へえ、50年前の、フィリピンを見る日本人のようだ、と感心。
 と思えば、最近の日本人の堕落ときたら。てめえのことしか考えない。
 ウクライナだ? へ。
 
 これはここでは語らないきまりで、今日はコーヒータイム。
 
 1か月ぶりに口と舌の運動のyoutubeカラオケ。
 1か月ぶりの4番目に選んだのは「カスバの女」、まあふつうの人は知らないね。
   ここは地の果て アルジェリヤ
   どうせカスバの夜に咲く、、、
 アルジェリ「ヤ」だもんね。
 
 3番目は「Emmenez-moi」(わたしを地球の果てまで)連れて行ってくれ
 アルジェリヤ人、違った、アルメニア、シャルル・アズナブール、中年の。
 
 2番目は? 「ウエディング・ベル」くたばっちまえ、アーメン。
 傑作だよね、でも、シュガー、ネット検索上、あんまし幸せじゃないのね。とても残念、、、、

 さて、一番初めに歌ったのは?
   武器を取れ 市民よ!
   隊列を組め!
   進め 進め!
   彼らのけがれた血を
   われらの田畑に浸みこませよ!

 いや、下品。
 ご存じのはずはありませんが「ラ・マルセイエーズ」フランス国歌。これが国家の歌とは。
 君が代とはえらい違いだ。
 私は国家は大嫌いですが、この国歌なら自分の国でも歌っちゃうかもね。
 シトワイヤンに貧農は入ってないでしょうが、世の中、時代というものがあります。別に 恥ずかしくはない。
   歌はミレーユ・マチューのがお勧め。

 と歌ったのはもう2週間前、それから歌わず。
 それなりに気持ちが忙しくて。無駄に時間ばかり使ってるなあ、、、

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