リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

秋のつれづれ

2013-10-27 10:44:39 | 不定期=中途半端
 こんにちは、東京地方久しぶりのいい天気。秋はいいなあ
 と思えばもう10月も末近く。熱心な方には、そうです、10.11.12月は次回配本の本体裁化月。概要から草稿へ。
 てなわけで、仕事はおおむね順調、を受けてこのカテゴリーも久しぶりに「中途半端」に(『仕事用に時間等を配分するため、ここは手を抜く』という意味です)。
 順調といいながら、おとといとか、えらく精神的に疲れて昨日はボー。ここんとこ勤務仕事が精神的に楽でずっと自分の神経が繊細なのを忘れていましたが、まだ神経がボケきったわけではないような。
 
 さて、金曜は夜8時過ぎに川崎ヨドバシにいったら、ヨドバシのビルの(「ルフロン」だと)大階段が赤やら青やら黄色やらと光って、あれこんなもんだったっけかな、と思いながらうきうきと階段遊びをしてしまいました。小学校1年くらいのガキが10人ぐらいもいてて、とてもよかった。
 あとで調べたら、日曜とかだとイベント会場とかになるんで私などは知らなかったようです。 てなわけで、ささいな役立ち情報、ルフロン シンデレラステップス。平日夜8時過ぎ、おすすめ。
   しかしいい子は早く帰って寝ろよ。
 
 ついでささいな役立ち情報、「茹で栗は、店で乾燥しているもので中くらい以上の大きさは、茹で時間40分では硬い。」
 ネット情報だと40分が多かったので、ガス代もったいないから40分にしたら、まだ硬い(消化は可能)。追加で20分以上煮て、ちょうどいいくらい。再度、別の店のもので茹で時間1時間で試したけど、少なくとも店売りの栗はやはり1時間以上は欲しいのでみなさまお間違いなきよう。
 アバウトな情報だやってみないとわからないので困ります。
 あと塩は1Lに大さじ半分、はどうも正しそうです、が栗の肌が(てっぺんで)めくれ加減のときは止めたほうがよいようです。塩水が中に浸み込むとうまいとはいいがたい。
 なかなか丁寧な情報でしょう。もう時期外れですが、来年はどうぞ。なんて都会の人間には関係ないかね。
 
 ところで、今日とかここんとこ、新聞にアメリカの無人機の話題が。各国では、「主権侵害だ」とか「民間人とどう区別して攻撃できるんだ」とかで反対してるとか。
 情け無いやつらだね。
 どうして「自分は安全で人を殺すなど卑怯だろう。やめやがれ、このブタ」といえないんだ。
 卑怯じゃないかね、お立会い。そういうのって人間としてやっちゃいけないことだって親に言われなかったかね。
 「各国」なる国家は、「隙あらば俺もやりたい」というところなんだろうね。
 私などアメリカ野郎など、汚らしい豚野郎だとしか思えないんだが。実はわたしゃ豚も嫌いじゃないんで、というか嫌いな獣はほとんどないんで悪口に困るんだけどね。
    ともかく情け無い野郎たちだ。 
    (、、、なんか「戦争はいいが」、といってるように聞こえる?
     そういう理屈の問題じゃなくてさ)
 
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このささいな出来事を感動に繋ぐものとしての文学

2013-10-19 21:37:10 | その他
 こんばんは。もう秋ですね。
 帰り道のカメムシの臭いがなくなる一方、寒いせいか当家に飛び込むカメムシも増えて。
 なんども来られると、当然それなりに愛着がでるというもので、「当然じゃない」すか? いずれにせよ、私にはもう嫌いな虫がほとんど残ってない。
 
 さて、ここんとこひいきの将棋指し渡辺某がド・スランプで負けてばっかし。不愉快なんで将棋情報で暇つぶしをするのをやめているところ、その代わりに何年ぶりかで小説というのを読んでみました。 
 東川篤哉と原田マハ。
 いやはや。
 退職したら俺っちも小説で小遣い稼ぎしようかと思わせるレベル。こんなんでいいのか。
 上記はもちろんケチをつけている表現ですが、何にケチを、って、いったい何がいいのか。
 東川(ディナー)をまず読んだんですが、ほんと、わたしゃ混乱の極地。
 そか、これは面白がればいいのか、と結論を下すのに、本の3分の2が必要でした。
 原田は、こりゃ文学文章かよ、と思わせるへだぐそさ(デビュー後1年の作とのこと)。
 もう、わたしゃ混乱。
 
 結局、今の人たちは文章でイメージを膨らますなんて芸当はできないんですね、という結論。
 2例で結論を出すな、といわれるでしょうが、それなりに立ち読みはしてて、こいつら(みんな)もう中高年で耄碌したから(村上春樹とか)まともな本を書けないんだろうな、と思ってたのはどうも大間違いだったようです。みなさまベストセラー作家は読者に合わせてるんですね。ものごとというのはみんなお互い様というものでしょう。
 
 と思えば、べつに私だって若いもんの真似ぐらいできますんで、「楽しめよ」といわれたということでまあとても面白いし。、、、「とても」って、いったいどういう段階かな。、
 
 文章に頼らなくとも、展開が面白ければみんな読んでくれる、ということですね。
 「ならいいじゃんか」って、そこが違うんだな。
 
 人間て、くだらない10分に1度のできごとの積み重ねで生きている。
 その出来事が、計算は合わないけど、1日に3度あるんですね。
 人間は、1日に3度のささいで重要な出来事に感動して生きている。
 そんな人生をなんら描いていない。
 面白い本、要するにマンガのような本とは、さっき見せた怪談映画であとのコマーシャルも怖がらせようというものだ。
 (わかんないかな、、、ストーリーテラーのみの才能というものは、著者の書きながら感ずる感動の波をそのまま移していけば本になる。それは波であって、個々の出来事などではない、ということなんですが)
 
 わたしゃマンガ大好きですけどね。
 ちょっと思い返してくださいな。ワンピースで感動なのは個々の絵ではない。トータルな流れだ、といっています。
 
 それはしかし文学ではない。
 生きているわれわれの1日の生活のことではない。マンガの人生へのバックマージンは、子供が思い返す、かすかな社会関係の判断材料にすぎない。
 ま、面白いからいいんだけどね。
 いまどきの小説家の本も面白いからいい、ともいえる。
 
 さて、それでは、私どもサラリーマンのこの面白くなかった今日一日の総括に寄与してくれるものはなんだろう。
 なんにもないさ。
 世間てそんなもんか?
 そんなもんだよ、か。
     私は、そんな表現で、人生を潰すのはごめんだ。架空の世界の幻想で満足のフリをして生きるのはごめんだ。
     
     
     別のことを書くつもりだったけど、文字を埋めてみたら、このことのほうが重要だったので、今日はおしまい。

PS.ちょっと気になるのでしつこいですが。架空世界のストーリーテラーが悪いといっているわけではないのでご注意。筆力がなく、現実世界との交信ができない小説の悪口をいっているのです。筆力とは、修辞の巧拙などではなく、生きている読者の世界のどこに食い入っているか、という問題です。ドラドンボールやコナンが食い入っているのは、現実などどうであろうと存在する人間性そのもの。そんなもの目当ての小説など要らない。マンガで十分、ていうか、マンガのほうが100倍面白い。
 ほんと、このブログをいいたがりの酔っ払いのような少年が通るかと思うと気い使います。
 
 
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酔って思う思い出

2013-10-12 21:16:41 | 断片
 こんばんは、今日も暑かったですねえ。今はようやく北風が吹き荒れて、これが収まると東京地方、秋のようです。

 さて題はうそですけどね、これで酔ったといったら毎日一歩も進めない。昨日は(まだしも)普通の人間の対応が資本主義に沿わされている理不尽さに、ああそうか、そこが私がマルキストと違うとこなんだな、これは生来違うという以外ないな、と一人で納得した感動で行を作りましたが、とりあえず明日あさって休みなもので、このチャンスを時間創成に生かすべくおっかけで文章を作ってしまうと、
 上 昌広。
 知らないしょ、こんな人。わたしゃ知りません。朝日新聞に書いてあったから追随で書くだけ。
 この男が朝日のおとといだかの夕刊でインタビューされてて。
 いわく、”地元志向は人間の本来性だから、最近の若者の性向にあてはめてはならない”
    いや、私も公平なものだ、客観的に書けてる。
 「人間なんてそうじゃないの?」 とか、素人同士がお茶飲み話で話すそういう話じゃなくて。「東大特任教授」なる肩書きでしゃべってんだから。
 「にゃろめ、いいかげんな野郎だ」とまずは反応して、で、このぐらいのいいかげんさだと、私がどうするかは当該本人の心がけによらせるのですが、どうも検索するとたいした心がけをしていない。
 というわけでいわせてもらえば、こういう社会科学も理学もわからない人間に、たかだかの感想の機会を与えるたあどういう了見かね、朝日新聞。
 朝日新聞に対しても、私はこの2,3年でその他の文化レベルには目をつぶり終わったし、天声人語の書き手が代わったおかげで日々の悪い刺激もなし、何も文句を言う気はないのですが、こりゃひどいな。インタビュー発案は前の天声人語の編集員だろ。図星? 
 
 いわく、 ”2013年度の東京大学学生の3分の1は東京都出身だから、こういう地元志向は、歴史を越えた圧倒的な人間の流れだ”、だとさ。
 わけわかんねえよ。それなら東大生の半分は関東地方外出身だ、というのに、どこが「圧倒的な地元志向」なのかね。関東地方内でもいいや、で、真岡高校区域から毎日東大へ通えというのかね。それで「圧倒的な地元志向がわかる」というのはどんな田舎の出身者なのだ。地元から通えなきゃおんなじなんだよ。真岡から下宿代10万円仕送りするってのは大変なことなんだよ。下宿代が庶民の親にとってどういう意味を持つのか知らねえのさ、朝日の高給取りには。もちろんこいつも。
 まあ、医者ごときになるようなブルジョワの常識のなさは、おいて、学問的ディシプリンとして、40年前おらっちが入った大学では専攻9人中、都内出身はおらっちと女が一人だど。関東地方だと9人中4人だけどね。そういう事態の想像力もありゃしねえ。
 そんな歴史的な比較数値を挙げずに”歴史を越えて圧倒的”たあ、税金大学以外員なら笑うしかないぜ。しかし、こいつは税金大学員なんだからおりゃ怒っちゃうぜ。 
 (記事を読んだ人へ。偏差値の高い名古屋人は基本的に名古屋大へ行く、と昔のそのころの名古屋出身級友がいっていた)
 こうゆう評論でお茶を濁せる東大特任教授というのもいいかげんなもんだが、そういうやつを選んでインタビューすること自体、見識が疑われるんだよ、朝日新聞。
 
 なんて思って、そうそう学問は実証性、ってことでふと懐かしく検索をかけてみると、ありゃありゃ大変、間先生の名前で検索すると、このブログが上位に。
 せめて教授という呼称を使わなかったのがまだしもで。「教授」をつければ検索にでてこないから普通の学問関係者には関係ないところでしょう、か。まあ、せめて、ホッと。なんといってもこんな奴が弟子じゃ、それは学問業界関係者としては不本意だと、サラリーマン隈、よくわかります。
 「ところで間先生って誰?」 って、『教授』って単語使っちゃったからもう言わない(検索で引っかかってしまうと嫌)。私にとっては助教授でいいんですけどね。(教授になったらずいぶんふけちゃって) 「助」だろうがなんだろうがそれで私の気持ちが変わるもんじゃないし。ただ、それは学問業界関係者としては不本意だと、サラリーマン隈、よくわかります。
 それにしてもお弟子さんがた、もう少し、給料外でも発信したらいかがかと。検索したらこんなブログに引き込まれちゃうんじゃ先生に顔が立たないね。
 なんて先輩にはいいません。いってる? うそ。いってない。
 
    ま、不本意ながら役に立たないブログ、昨日と合わせ技で今週は終了。
    p.s. それも後味が悪いので、本日の役に立つブログ、「マルちゃん正麺カレーうどんがうまい!」 関東では有名なインスタントカレーうどんまるちゃんが変りました。あの紙のようなうどんが、うどんになった!
今週から売出しです。私はもともとあの紙のような何かも嫌いじゃなかったですが、元のカレー味が嫌いでなければぜひお奨めです。
 (それにしてもスープの味って変らないね。ラ王しょう油味、ってチキンラーメンのスープだよね)
 
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世の中で5番目に悲しいはずのこと

2013-10-11 21:19:55 | 断片
 こんばんは。ちょっと欄外な記事で。
 世の中で1番目に悲しいのは家族が死ぬこと。2番目に悲しいのは恋人と離れること(微妙な言い方ですね)。3番目に悲しいのは親しい人間に死なれること。
 さて、ところで、私にとって5番目に悲しいのは(4番抜けてる? 世の中そんなもんでしょ)、といえば、同僚の間違いを真剣にフォローする人間らしい人間に、利害関係を持って相対することです。と断言。
 悲しいというよりも情け無いというほうが正しいかもしれませんが、しかし、私的にはほかに選択肢のない行動なので、不可避なことをせざるを得ない哀しさ、という意味ではあります。
 
 何いってんだって、レジ間違えられてさあ。 
 それでサービスカウンターに向かうのはしょうがないとして(損額128円)、それに真剣に謝らなきゃいけない姉ちゃんも仕事だからそうとして、なんかやでさあ。
 適当に謝られたらもっとやだけどね、って、実は私の顔怖いんだよね。人間ルシフェル、みたいなもんだし。ま、これじゃキチガイのバイトじゃなきゃ普通に謝るしかないし。
 
 そんなふうな、人間が普通に暮らせない世界を嫌うのが、単純左翼と違った、本来の「アナーキスト」。いいじゃんか、間違ったって。誰だって間違えるさあ。お前だってそうさあ。
 ま、左翼の世界の到来は150年後と(私的に)いっておりますが、アナキストの世界は500年後だからねえ、後を引き継ぐアナキストの方、そんなわれわれの感性を引き継いでいかれるよう。
 
    東急ストアM店のお姉さん、お幸せに明日も頑張ってください。
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 社会的「偉人」という観念過程

2013-10-05 20:47:01 | その他
 こんばんは。今日など東京地方、とてもちょうどよい気候で。これでなにもできないんじゃ言い訳のしようもない、とはいえ、ほんと中高年化するといろんな言い訳があるもんで。
 どうも何かあるとそのテーマにとらわれちゃってね。一段落してもボーっとしてやがる。他のテーマに移れない。 酒飲んで(飯食って)風呂入って、ようやく白紙に。困ったもんさあ。
 
 さて本日は変な題だね。
 2,3日前、小泉がいまさらのように原発廃止を。ラーメン屋で読売新聞読んださ。
 問題は、その趣旨。
 さすがのプロパガンダ。私がいつも言うように、”正しいことと宣伝すべきことは訳が違う”と。彼氏いわく。
 ”ほんとうはとりあえず原発の世話にならざるを得ないのだが、『将来的に原発ゼロ』というスローガンではなにもできはしない。ここは、『原発廃止』だ。”
 だとさ。
 危ない奴を首相から下ろしてよかった。
 ま、そういうことでさあ。
    あぶないあぶない。おっしゃるとおりさ。
    今の自民党は保守官僚が教えてやってもなにもできねえで助かるけどね。何だね、解雇特区たあ。その案、引っ込めたってさ。一点突破の全面展開。失敗した自民党の代わりにお教えするが、若き左翼よ、どんな前提をつけてもいい、どんなかけらでもいい、世の中、現実に存在した者勝ち(させた者勝ち)なんだぜ。
 
 これは余談。原発の話ね。
 もっとも私は原発本質賛成派だから、たとえ正しかろうが、こういうのを聞くと悲しい。
    砂漠の民衆はどうすればいいのか、、、
 
 さて、そんなことは悲しもうが怒ろうが、原発は存続するからいいのだが、いや日本はどうでも世界的に存続するから考える気にもならないというわけだが、小泉が偉人というわけではないが、後世に伝えられる偉人というのは、そんなバカでも、かくのごとき適性は有している、ということで、ちょっと確認しておきましょう、こういう誰一人知らないことを教えるのが好き。
 
 「偉人て、なに?」って、そりゃ評論家が「偉い」って書くことで自分のおまんまが食えるようになるその対象のことさあ。当該人の実力程度を問わず。
 
 で、偉人は何を元に決められるか。
 
 その1 偉人とは頭の良し悪しではない。
 その2 同様に、頭をどれだけめぐらかせるかという、思考の深さの問題でもない。
 その3 社会的偉人は、必ず権力過程に関与するのが存在要件である。
 その4 社会的偉人は、他の権力関与者以上に、当該国家人民の自由の将来を把握している。
 その5 社会的偉人は、当該国家人民の自由の将来を拡大する方向で賛成の手を挙げる。
 その6 社会的偉人は、その思考能力、言語能力、その他の能力の保持如何に関わらず、あらゆる自己の努力により、99%の歴史的事例において自己の能力を超えて、人民の自由を拡大する方向性を、声高に、また権力の放射範囲内で最大限に、表現する。
 
 やさしくいうと、「たいていの社会的偉人はバカで犯罪者だが、その当時の自分が共同性を有する人民の期待に応えて歴史を人民が潜在的に望む方向に進める。」
 
 お判りか。
 誰だってわかるやね。
 でもいわれなきゃ気づかないというわけさ。
   これ読んだ人、だれか気づいてた?
   気づいてっこないやね。
     偉人てさあ、たとえば、坂本竜馬とか大久保利通とか伊藤なんとかとかのことさあ。いやさ、小泉も、首相時代の悪政の実績によって、平成史家の間ではそのうちそうなるさ。もっとも、人民はあいつが何したか知らない(新聞の片隅の記事なんて読んでない。都合の悪いことは最左翼の新聞(朝日新聞のことさあ)も取り上げない)ということはあるけどね。
     
 ま、いいたいことは、その過程はあなたの会社で社長が「次の契約を決める」、あるいは「迫られた企業合併に合意する」といった、通常、日常の過程にすぎないんだ。ということです。だれも大学教授や評論稼業家のように何ヶ月も悩むわけではない。やりたいことと、客観可能性が合致すれば、わずか1週間の揺れで済む話だ。
 なにが「偉人」だよお。 まあ、いいんだけど。それでも、ほんのちょっとだけが違う。 
 社会は、平凡に過ぎていきます、たとえ明治維新期だろうと。 
 誰が偉人でもない、平平凡凡の時間経過。 
 何が違うって、偉人は潜在的に命を掛けている。
 それを命を掛けていない後世の評論家が見ると偉人になる。
 
 でも今日の役に立つブログ、ポイントは、人民の潜在的期待を表現すれば、どんなばかでも、偉人になるということでね。
 それは右翼だからできないとか左翼だからできるということではない。
 小泉は右翼だからそんなやつのいうことをきいちゃあ人民の自由は究極的に疎外されるのだ、とか、そのはずだ、とかいったってしょうがないことなのだ。彼は庶民の期待を身に付け、庶民は彼の言に自分の期待がこもっていることを確認する。
 
 そこでさ、自民党一般など、幸いなるかな根性ナシで、何もできゃしないのさ。
 いやさ、右翼でも左翼でも同じこと。 
 「そんなこと教えてもらっても殺されちゃうからできない」という判断であれば、それは君は偉人ではない、という、しごく単純な話をしました。
 
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