リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

日の出時が一番寒い

2017-03-25 14:20:26 | 断片
 こんにちは。時々春の今日この頃、寒さのおかげで梅見に行く気にならず、先週の日曜、まあ多少は残ってるだろうと高尾梅郷に行ってまいりました、ら、寒さのおかげでちょうど満開。日ごろのウサが晴れました。普通の梅見だとちょこっといって屋台物食べて終わっちゃって物足りないものですが、高尾から木下沢までのハイキング、というよりお散歩コース、梅満喫で、東京近辺の方におすすめです。
 ほんとは同じ意味で往時の青梅の梅公園がよかったのですが、梅の病気で全部切り倒したそうで、これはとても残念なことでした。
 なお、帰りのバスは休日混むので注意。臨時が出るとはいえ、臨時も乗れない。なるべく小仏に近いバス停からどうぞ。また逆コースは、感激が薄れるのでお勧めできません。
 以上、ためになるブログでした。
 
 いえ、最近調子はよかったんですが、今日は乗らない。
 調子がいいといっても就業中につき1日に1件くらいの小立言追加くらいですが、それにしてもまだ追加立言がある、というのも驚きですね。実力のない人が法律とか真似っこして糊とハサミで作った文て、いくら手直ししても、まだ、そこ間違ってたか、みたいなことあるでしょ? あれも不思議だけど、その類の現象でしょうか。まあ謙虚に言えば、人間「分かった」と思っても全部が分かったわけではない、一部が分かっただけでも分かった気になるものだ、というか。
 
 ま、ニュースに行きますと、道徳教科書、って、いいじゃん、なに、正直に節度に礼儀に郷土愛だと。ウソをつき放題の政治家を牢獄に入れたり、カネの亡者の資本家に神罰が下ったり、尊大なクソ爺が泣いて悔い改めたり、島根県でも地元選出代議員が出られるのが社会の掟だ、と子どもを教育するんだよね。いいじゃん。
 、、、ば~~か。恥を知れ。
 (文部)官僚というのも社会のクズだね。ナチスのガス室看守と何も変わらん。
 そのうえそれを恥と思っているやつがゼロなのが許せない。ガス室看守の1割は胸が痛かったと思うんだけどね。
 
 で、共謀罪だって。
 またまた天に唾。自民党も公明党も、20年後自分に降りかかるとは思ってないのだろうが、能天気なやつらだ。どうせ困るのは共産党だけだ、と思ってるんだろうが、世の中そういうものではないのは治安維持法を見れば一目。
 もっとも、歴史は結局勝利する。
 常に体制の危機には共謀罪が添え物になるのだから、反対は当然だがべつに困るものではない。矛盾が現実に極大化してゆく現象に過ぎない。人の世は日の出の直前が一番寒いのだ。
 もっとも、時期がまだ早いので余裕でうまいこと使われそうなのがいけない。
 反対はいいが、治安維持法を持ち出すしかないような思想で究極的に勝てるはずもない。そんな泣き言では戦う武器にならん。運動上の反省もしないとね。
 
 ついで雑知識。前回の田中真知(2006)は面白かったけど、同工異曲的「「植物」という不思議な生き方」蓮実香佑作(2005)を読むとあれあれ、という気になる。ほとんど同時期だが前者で舌足らずでわからなかったことがもっと詳しく書いてある、というのは、後者がタネ本なのではないか。もう返しちゃったので、巻末参考文献にあったか知らないけど。参考文献にあったってやりすぎ。おんなじなんだもの。
 
 さらに本日の一言ご紹介、本郷和人。奥さん本郷恵子。先週新聞に出てたね、「上皇」話で。本人はなかなか人が好さそうで、こういうの弟子にしたいな。
 趣旨は、黒田権門論に対して、”いや、鎌倉幕府は十分に武力オンリー政権だ”という。
 もちろん京都の史学はいつも言うようにどうしようもないんだけど、(いまだに観念論。政治思想団体に宗旨変えしたほうがいい) こちらはこれで同工異曲、あるいは同じ欠陥のような。政権なんだから、どれだけ人民労働力を集約し左右しているかが基本。それ以外は見かけに過ぎない。彼氏に限らず、いまだに唯物史観はだめとか唯物史観の最低限の理解もなく言ってる若い「学者」 が多すぎ。こういうのは「いまだに」 とはいわないか。実質批難しているのは、人民史観やいつ存在したのか知らないが前衛党史観ばかり。ともかく共産党史学の悪影響は強すぎだな。

 というわけで本日もお客さんの日なので、失礼。
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ようやく春、でも花粉症の分だけ

2017-03-18 21:29:44 | 断片
 こんばんは。今日もやむを得ず外出。なかなか忙しい。なので短い時間でやっつけないといけません。ここんとこ、いつもそう。やっつけ。そのうえ本日はとうとう花粉症に襲われ、外出のため薬を飲んだらいっぺんに体調悪し。まったく。

 というわけで本日的ニュースから。
 近日では、日本、情報衛星打ち上げ成功のよし。新聞では見ませんでしたが、朝NHKでやってました。
 この前読んだ飯柴智亮という人の「2020年日本から米軍がいなくなる」という本によると、全て軍事の決定的能力というのは敵武力の位置情報の把握によるんだそうで、日本も着実に進めていますぜ。「風立ちぬ」。相変わらず日本の三菱ですな。三菱重工発。
 なんでも中国の長期戦略は米国のミサイル誘導衛星を一掃することだそうで。これを壊滅させれば米国の核戦力がゼロになる(に等しい)んだそうです。色んな知識がある私。
(飯柴氏によると、トランプのような右翼がいう諸国からの軍事引き上げ策は金がないからだ、ともいっておりましたが、誰でも得て不得手があるもので、なんでも信じちゃいけません。)

 ついで、最近の朝日新聞はオリンピック準備のタバコ攻撃。なんだよ、おためごかしに。本人は勝手に死ぬからいいんだよ。周りにいればおんなじだって? ウソをつけ。いまだに悩まされてる家族がいたら、それはその前にDV該当者さ。弱いやつとみりゃあ痛めつけ痛めつけ、これでもかこれでもか。人間落ちぶれたくはないもんだね。
 ま、本人さんも治そうと思うと偉そうに医療費がかかるとか言われるから、肺ガンでも粛々とお亡くなりになるのがよろしいよね。
 あ、ご本人さん、私はタバコに同情的ですがやめなきゃ肺ガンになりますから。そこは誤解なきよう。今は忙しくてストレスを感ずる暇がないだけ。中高年で駆け足がパタッと止まったときがあなたの最期。
 
 ああ忙し。
 
 さらに、朝日新聞、朝刊1面の自社目次だと本日土曜版の特集は、小樽、とのこと。まず頭に「それは写真に期待が持てるな」というところ。
 で、土曜版めくったら今日は白井伸洋氏。ご期待に沿って、なかなかの芸術写真。よかった、けど、それだけですので誤解なきよう。本来の?白井氏の写真は知りませんが、朝日グラフに載ってこそ報道カメラマン。載れるかね? ま、朝日グラフはもうないんですけどね。
 
 さて本日のためになるブログは、今週も雑知識。
 田中真知氏、「へんな毒 すごい毒」。の中から。
 いわく、葉緑体は日光を利用し二酸化炭素からエネルギーを取り出すことに成功し、海中に大量の酸素を放出。さらに酸素を使うミトコンドリアと提携し、「植物」として巨大化することに成功した。が、動けない植物にはその日光(紫外線)が活性酸素を生み出し危険となる。
 そこで抗酸化物質を自ら生成し身体を守る。それを「いいものがある」 と生成能力の弱い動物たちが頂戴する。しかして、植物は動物に必須である。
 どうです、なかなか説得的ではないですか。え? お若いの、知らない? 抗酸化物資摂取の要というのは、中年おばさん以上では必須の知識ですぜ。
 なお、植物は動けないので身体を守るべく、全ての植物が「毒」を持つ。
 この毒で大方関係ない奴らを遠ざけられるのだが、しかし、特殊対応的に処理した動物(昆虫)はいて、彼らだけがその植物と付き合うことができる。
 実質、今西的棲み分け論ですな。そうは書いてないですが。なかなか納得的です。

 と、駆け足。
 人生急いでなんになる、というところですが、せっかく来ていただいて、なんでえ、未更新か、といわれるのもつらく。その分未整備ですが、ま、こうやって生きてきたということで、私らしく。
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雑件

2017-03-11 16:52:53 | 断片
 こんにちは。花粉症はいかがですか? 東京地方は最盛期とのことですが、当方今年はとても軽い。以前はデスクに置いた箱ティッシュが2箱はなくなったのですが、そういう意味ではぜんぜん。まあ、老人化でも良いこともないとね。
 そういえばこの前はベランダにヒヨちゃんが来て、サクラソウを全部食いつくされました。プリムラね。ジュリアンかな。これにヒヨドリが来て花びら食うの。散らすんじゃなくて、一株の花全部を跡形もなく。なかなかスマートな体形のヒヨドリでしたが。ヒヨドリは甘い物好きなんだそうですが、花なんかうまいか。
 幸いプリムラも今は完全復活。前より一杯咲いていますが、そう思うと、花を食われて花が死んでしまう「花くいライオン」のはなしがいまいちになってしまう。たぶん、葉っぱも食べてしまったのでしょう。わたしなど用心深いからそこまで書き込むけどな。
 
 さて、本日はほとんど例のないおめでたいニュース、南スーダンから自衛隊撤退、だって。
 よかったよかった。誰も殺さず殺されず。自衛隊の栄光の日々は続く。国防軍に名前を変える日までは安泰でしょう。それもあと2、3年ですが。アベがアッキードとかいうやつで辞めなきゃ。とにもかくにも誰であれ死なないことが一番。
 だいたいこの前も書いたけど、第三国が部族抗争のどっちかに肩入れすることがそもそもの間違いだ。なんの権利があってそんなことをするんだか。そもそも部族抗争の元は西洋文明入手のためのカネなんだから、自国の資本家にその国の民族資本から手を引かせるとかが良心のある政治家の行動でしょう。ま、そんなことしやしないけどね。
 
 またさて、本日の感心、大橋俊夫氏というリンパ液専門家の本の雑知識。
 いくつも知らなかったことを知りました。
 1 なぜ尿にタンパクが出ると身体がむくむのか。
     タンパクというのはアルブミンのことで、これがないと体液が血管やリンパ管に取り込まれないのでむくむんだそうです。
 2 なぜ蚊に刺されると腫れるのか。
     アルブミンが集まってリンパ液をそこに集めるんだそうです。
 3 なぜ栄養失調の子はおなかが膨れるのか。
     タンパク質不足でアルブミンが作られず、その結果体液が血管やリンパ管に取り込まれずおなかに溜まって膨れるんだそうです。
 へええ、知らなかった。
 ついでに、リンパ管は皮下脂肪を通っているので、免疫を運ぶリンパ液を体中に巡らすには、周りの脂肪が柔らかくなるように身体を温めるのがよいんだそうで。お風呂のことね。身体じゅうに巡らすのに30分以上浸かってるのがよいとのこと。
 なるほどなるほど。そういうことか。 ただし、もう読んで日が経っているので、「記憶によると」ですが。
 なかなかリンパ液に関しては興味深い良い本です。ただ埋め草の健康談義が評論なので減点。しかして、本の書名は関心のある方にお任せします。

 話は変わり、もう本を書くのはこれでおしまい、と思っておりましたが、先日風呂でぼうっとしてて思うに、実は若人は、本当に自由の社会なんて構想できないんじゃないか、と。マルクス主義でさえ知りもしない子どもたちが、アナキズムなどわかるわけもありません。 
 今の若人の世間なんて、勝手なことばっかり言ってるやつらに、それに媚びることで一生を形作ろうというやつらばかり。
 まあそれでよいやつらに興味はありませんが、「カントの批判三部作」相当の次に、最後に価値観的に、「永遠自由のために」を書いて消えようかと。 ネコとネズミで。
 (「ネコとネズミ」は隈理論の主人公)
 余談ですが、(みんな余談ですが)この前広松渉を見てたら、広松も自作を三批判相当で書き上げたかったようです。残念でしたね。私はあと半年かな。で、さらに「永遠平和のために」相当というわけで。
 カントは偉いです。
 
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随想

2017-03-04 17:23:06 | その他
 こんにちは。沈丁花の季節です。蕾のまま2ヶ月の白木蓮も咲き出しました。が、けして温かくはなく。東京地方では15日過ぎるとコートはいらないはずですので、冬はあと1週間です。そうして、梅見のタイミングは今年も消える、というわけで。
 
 今週はとても非生産的。なんのテーゼも増えなかったし、読み易す化もほとんど進まず。まあスランプというのはいつの世にもあり波のようなものなので、気にしないで雑知識でも蓄えて時間が過ぎるのを待つのがよいのです。「雑知識」も集まれば巨大な戦力です。
 あるいは人によっては、「雑交渉」と言い換えてもよく、この方が皆様には分かりやすいでしょうか。諸営業活動は言うに及ばず、諸学問も世の中の名声の構成素の9割はこれです。いや、ほんと、口に出す趣旨はやっかみのストレス解消でもありますが、事実は事実。諸伝記の雑知識が教えてくれます。
 
 というわけで、今週は世の中、共謀罪とか宅急便労働者収奪とかいろいろあるところですが、まあ普通のリベラルな方々におまかせでよいでしょう。
 問題は、社会的に許容された左翼の理論構成。まるでリベラルで労働者的でない。過激派は別として、という意味ですが。本来、労働者は搾取を受け続けろ、という攻撃なのですから、左翼であればこれに応えて労働者の反撃を組織しなければ、なんの意味もない、にもかかわらずそうはならない。「普通の人」 も危ういよ、とか、宅配「業者」 も大変だ、とか。なにをいってるんだよ。
 こういうのは社会学を越えた応用事例ですので私のテリトリーではありませんが、誰の役目であっても少々いらつく事態ではあります。過激派のように、ただ口でそういえばいいというものではありません。そんなもん、誰も聞きゃしませんから。
 私もそういう役目につく日があるでしょうかね。
 
 さて、本日はそうではなく、ただの随想。名づければ『「心象」風景とは』。いちおう、ここは哲学や心理学のブログではないので、「随想」レベルに落として。
 行為主体にとって風景そのものは、実は心象風景です。
   ふむふむ、我ながらなかなか気持ちのよい一文ですね。
 通勤途上の景色、旅行中の景色、それらは決してなんらか「客観的な」 ものではありません。すべて、それを見ている自分の「心」を通してのみ、存在しているのです。
 いつも見る道端のネコについて、昨日の自分にとってのネコと今日の自分が見ているネコとは同じネコではありません。
 ある会社の廊下は、新入社員の時と課長の時と退職後たまたま訪れた時とで、そもそも異なる風景的意味を持ちます。
   ほら、具体的に言っていくと、当たり前でしょ。当たり前のことをいってるだけです。
 いわゆる「心象」と異なる点は、いわゆる「心象」が指示する事態が自分の「そのときの気持ち」であるのに対し、つまり、「悲しいときは風景に悲しみが投影される」 といった意味であるのに対し、そうではなくて、一般論では、風景の枠組みが既に自分の感情的認識に投影されて作られる、という意味です。もちろん、感情以外の心も投影されて作られるのですが。冷たい雨の時はその冷たさも修正的に投影される、というわけです。
 この当たり前さは、気づかれないけれど、十分、日常を規定します。
 他者に提出された見慣れたはずの風景は、新たに意味を突きつけてきます。写真のことです。一方、自分が切り取らんとする見慣れた風景は、まず切り取る行為において自分の枠組みから外れることはできません。
 「何だ、写真論か」 というと、さにあらず。
 ついで、同様に、日々の出来事も、実は出来事ではありません。ある出来事は、出来事の連続の一片であり、スナップショットによる切り取りです。
 「今日は美術館に行ったよ」 「昨日は課長に怒鳴られた」 という出来事は、けしてそのままでは行為者に対して意味を持ちません。
 「今日の美術館」 とは、あるときは残業で詰めきりの時に日曜の午後、会社帰りにヤケッパチで行った「美術館」であり、二度と思い出したくもありません。「昨日の課長の怒鳴り声」 は、あとで同僚連中に、よくやった、さすがだね、と褒められた抗議の際のものであり、おかげでその後の1週間は楽しく過ごせた思い出の怒鳴り声です。
 人は、物事を切り取っているようでも、決して切り取ってはいないのだ、という随想。まあ、具体的には「人の伝記」のことだとでも思ってください。
 人間は、個人として、その生について、トータルなものなのです。
 このトータルさに、異種的に、驚きをもって、追加されていくものが、他者の生なのであります。
 
 さて、雑知識ですが、レジ袋ってリサイクルされると思います?
 (すでに例の)反論マニアの武田氏によるとレジ袋って、それ自体、廃品製品だそうですが。
 ってゆうか、川崎市のプラスチックゴミ、って正直なところは、何と何だけが、リサイクルされるんでしょうね。
 さんざん宣伝してプラマーク分別とかやってるけど、トレイだけのような気がして(あとは燃す)、すごい疑い。
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