こんにちは。そろそろ暑さを我慢する体力も限界な今日この頃
いつも悪口をいう図書館でなにも本がないので子供コーナーでライトノベルズを覗いていて発見したことに、
ライトノベルってどこが小説と違うか御存知?
そんなもの読んだことがない? いや、なかなか面白いもんですぜ。
それはいいんですが、つまり、なにが子供本か、という理由ですね。想像できます?
じゃ~~ん、わかりました。生きてる大人がでてこないんですね。
成人の登場人物は人間ではなく、みんな役割しか行為しない。
いくら子供向けでも、悪漢やら校長やら兵士やらは不可欠な登場人物ですが、みんなその役割しか果たさない。人間の日常の悩み一つ持ち合わせておらない。あるいは悩みをもっていても、それは「悩みをもっている悪漢」という役割しかない。要は、「こどもが書いた本」、ないし、「こどもでもわかる本」。
ま、中をのぞいてごらんなさいな。そのとおりだから。
だからなに、ってわけでもありませんが、その1、やはりマンガと一緒ですね。 小説とはいいがたい。
マンガの何が悪いということではありませんが、私の中で、それらは小説といいがたいという理由が解ければいいんです。
その2、そういやあ、私の書くものも大人がでてこないよな、とも思って。
ま、わたしゃ永遠の子供で結構だから。
わたしの友人たちもみんなそんなもんで。類・友。
わたしは大人だ、という方は、多分私の友人ではありません。そういう方はここには来ないけどね。
ま、大人でもいいけどさ、私にはうそはやめてほしいんだよね。 こっちが大人対応しなきゃいけないのはまっぴらだから。
さて、本日のテーマは、国家という日常。
いままでのは前段かよ、って? 長すぎた? だいじょぶ、本文短い。
ほら、中国やら韓国やらの領土話さ。
インテリの人には分からないだろうけど、ああゆう事態は庶民は頭にくるの。なんだあいつら痛い目に合わせてやれ、みたいな、ね。わたしは庶民だからわかるの。
一方、実は、国家関係者にしてみればあんなことはくだらないことなんだよね、そんなことは日常対応しているんだから、たとえば外務官僚ならわかる。(わかるのは、「現在の状況」だけだけどね。) 現在はそっとしておきたいのが、すべてを勘定に入れた両国関係者のスタンス、ってもんさ。そういう総合的な正しさをわからずに外野でぎゃあぎゃあゆう私ども大衆は、ド迷惑な限り。なにもできゃあしないくせに。言いたいことを言って選挙票を得ればいいバカ政治屋に操られているだけ、ってもんさ。「いきたかったら戦車買って陣地作って銃撃戦してみろよ、できゃしねえくせに」
ところが一方、ガキのように他愛のない嫌がらせをする(船で無人島に上陸しただけで何か偉いか?) のが何か価値のあることをしたと思うのが人間というものでもあって。結局、そいつが武力行使の権限を持ってたりすると、嫌がらせが昂じて戦争になったりする。マスコミはどんどん囃(ハヤ)してくれるしね。
でさ、話の本体は、かくのごとく、国家関係というのは国家がある限り国家人民から離れることはできないというわけで。
戦後日本が静かだったのは、圧倒的に日本の経済が順調で、一方、周りの力が低度だったのでケンカにならなかったからにすぎない。
爛熟した資本主義諸国家というものは平衡に向かう。
平衡の果ては戦争か革命か。まあ、懐かしいことばですが、古いが正しいテーゼが新しい意味を持って生き返るわけですね。
ま、外務省は最後まで戦わない道を考えるでしょうが、これから数十年、われわれは外務省が大衆に敗れる日が来ることを忘れてはいけない、ということです。
いつも悪口をいう図書館でなにも本がないので子供コーナーでライトノベルズを覗いていて発見したことに、
ライトノベルってどこが小説と違うか御存知?
そんなもの読んだことがない? いや、なかなか面白いもんですぜ。
それはいいんですが、つまり、なにが子供本か、という理由ですね。想像できます?
じゃ~~ん、わかりました。生きてる大人がでてこないんですね。
成人の登場人物は人間ではなく、みんな役割しか行為しない。
いくら子供向けでも、悪漢やら校長やら兵士やらは不可欠な登場人物ですが、みんなその役割しか果たさない。人間の日常の悩み一つ持ち合わせておらない。あるいは悩みをもっていても、それは「悩みをもっている悪漢」という役割しかない。要は、「こどもが書いた本」、ないし、「こどもでもわかる本」。
ま、中をのぞいてごらんなさいな。そのとおりだから。
だからなに、ってわけでもありませんが、その1、やはりマンガと一緒ですね。 小説とはいいがたい。
マンガの何が悪いということではありませんが、私の中で、それらは小説といいがたいという理由が解ければいいんです。
その2、そういやあ、私の書くものも大人がでてこないよな、とも思って。
ま、わたしゃ永遠の子供で結構だから。
わたしの友人たちもみんなそんなもんで。類・友。
わたしは大人だ、という方は、多分私の友人ではありません。そういう方はここには来ないけどね。
ま、大人でもいいけどさ、私にはうそはやめてほしいんだよね。 こっちが大人対応しなきゃいけないのはまっぴらだから。
さて、本日のテーマは、国家という日常。
いままでのは前段かよ、って? 長すぎた? だいじょぶ、本文短い。
ほら、中国やら韓国やらの領土話さ。
インテリの人には分からないだろうけど、ああゆう事態は庶民は頭にくるの。なんだあいつら痛い目に合わせてやれ、みたいな、ね。わたしは庶民だからわかるの。
一方、実は、国家関係者にしてみればあんなことはくだらないことなんだよね、そんなことは日常対応しているんだから、たとえば外務官僚ならわかる。(わかるのは、「現在の状況」だけだけどね。) 現在はそっとしておきたいのが、すべてを勘定に入れた両国関係者のスタンス、ってもんさ。そういう総合的な正しさをわからずに外野でぎゃあぎゃあゆう私ども大衆は、ド迷惑な限り。なにもできゃあしないくせに。言いたいことを言って選挙票を得ればいいバカ政治屋に操られているだけ、ってもんさ。「いきたかったら戦車買って陣地作って銃撃戦してみろよ、できゃしねえくせに」
ところが一方、ガキのように他愛のない嫌がらせをする(船で無人島に上陸しただけで何か偉いか?) のが何か価値のあることをしたと思うのが人間というものでもあって。結局、そいつが武力行使の権限を持ってたりすると、嫌がらせが昂じて戦争になったりする。マスコミはどんどん囃(ハヤ)してくれるしね。
でさ、話の本体は、かくのごとく、国家関係というのは国家がある限り国家人民から離れることはできないというわけで。
戦後日本が静かだったのは、圧倒的に日本の経済が順調で、一方、周りの力が低度だったのでケンカにならなかったからにすぎない。
爛熟した資本主義諸国家というものは平衡に向かう。
平衡の果ては戦争か革命か。まあ、懐かしいことばですが、古いが正しいテーゼが新しい意味を持って生き返るわけですね。
ま、外務省は最後まで戦わない道を考えるでしょうが、これから数十年、われわれは外務省が大衆に敗れる日が来ることを忘れてはいけない、ということです。