リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

心構えの問題

2014-05-31 21:43:52 | その他
 こんばんは、お暑うございます。これでは仕事もはかどんねえ、ところ、学習能力が高いのでそんなことは考慮済み、仕事スケジュールでは想定内。
 本日で4週間もお初にお目にかかった本を読まないという、この50数年間経験したこともない時間を過ごしてしまいました。小学校から図書委員だったし。まあ、本日は退職記念祝いのおまけで娘に「もやしもん」の最終刊をいただきましたが。ともかく、おかげでこちらの次回配本もようやく体裁だけはでき。予定より5,6ヶ月の遅れがありましたが。
 ということで、子供たちに退職を祝っていただきまして(この前は60)、本日は仕事なし。
 来月から再稼動で、6月中に自主校了予定。こんなもん時間にしたら5,60時間ですが、そこは苦労の嫌いな私のことで、1ヶ月。

 
 で、話はうってかわり、先週感じたことには、AB型にとってメールの一斉返信なんて、原則ありえなくありませんか? おそらくA型も。
 ここでO型とかB型にはありえる、というより、「そんなのふつう。なんで悪いねん」みたいなもんかと。A型は、「しょうがねえなあ、そんなことして。でも書いて人に広めるほどのことじゃないし」くらいのもんでしょうか。
 それぞれ受けるほうじゃ感じることが違うのに、誰も彼も同じ言葉でいっぺんにかたつけようなんて、AB的には変。もちろん、原則外はあって、みんな扱い同じだよ、というわざわざの表現のとき。
 ま、どうでもいいけど。でも変。

 
 さて、この2年くらいこのブログ、こんな四方山ばなしが多いですね。大事な話はみんな次回配本分にのっけてしまおうというずっこい意図でここが手薄になる、という事情なのですが。せっかくいらした左翼の方はかたすかし。そんな事情なのでもう少しお待ちいただくと書くとこがないのでまたここに載せるかと。
 で本日は、お若い方々に、ちょっと世間のイデオロギー事情を。

 
 たとえば、中国が、韓国が、北朝鮮が、なにそれといった。なんてマスコミで出ますでしょ。なんだあいつら正気かよ、とお思いでしょうが、あんなのウソ。みんな正気です。みんな承知の上の宣伝。宣伝だらけじゃ政治はできないので、当事者幹部同士だけは、ホンネで話している、というのが現実です。もちろん、使う言葉はタテマエ表現ですけどね。政治屋諸君の論議はみんなそうです。知らぬは人民ばかり。
 同様に、マスコミだって幹部ともなればそんなのは想定内。「こういえば聞いた奴はああいうはず。民衆はこういうだろうからここまでいってもオッケー」。みんなそう。
 想定内の中で収めるように、新聞は構成します。テレビはしらんけどね。おもしろきゃいいんだろうから、結果は変わらないだろうけど。
 というわけで、民衆がそれをまともに受けてなんか反応するのもつまらない、という事情があります。みんな、幹部・裏役は知っててやってやがる。
 で、相手がそうなんだから、ここでほんとうに何かを感じた庶民は彼らの想定外のことをしないといけない。そうでなければみな権力者の筋書き通り。
 で、民衆が想定外のことをすると怒るんだな、これが。とりわけマスコミは例外なく怒る。マスコミ幹部はそんな気で記事を書いてないからね。片方で自分たちは民衆を導いていると思っているから。実際操作してるしね。そこで「おいおまえら、なに反応してるねん」てなもんさ。
 おわかりでしょうか、若い衆。
 政治家の言などみんな茶番。
 それを伝えるマスコミも、堤防としてそれを湾内の波のように整えているだけ。
 現実から何かを感じた若いあなたは、彼らの相手などしないで、自主的に表現を作り上げるのが正しいやり方です。

 
    なんて心構えのことは、次回配本には書かないので。 
 
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スープな続き

2014-05-24 21:26:30 | その他
 こんばんは。仕事をやめて2週間、図書館にも行かず(本も買わず)、ハイキングもせず、ただひたすら次回配本に向き合う、向き合うだけだけど、向き合ってはいる座禅坊主。でもご飯作るよ。
 なかなか想定どおり。
 仕事とか都会の買い物とかあると意志が弱いもので、どうしても能率低下。
 昨日今日などはプリンターがいかれちまって、例のpx-201。叩いてもひっぱたいても直らねえ、って比喩じゃないところが昭和古代人だねえ。
 で、治らないといまどきだから数千円で買えはするんだけれど、私のパソコンwindows2000で、もうすでに対応プリンターってないのね(300機種中2機種あるけど無線不可)、というわけでそれを知りあれを悩みで2日パーさ。といってももう非対応で買ったけどね。そんなことに2日以上かけられやしないさ、非対応だってさ。
 ってことはパソコン買い換え。そんなこんなで、世の中消費者にカネを使わせるのね。
 わたしとこのお客さんだと左翼なれど9割は中流階級、なんて想定ですけどね、そういう方たちはその手前で流行的に自主購入するから分からないでしょうが、ほんと、カネなんてほかにどうしようもなくて飛んで出ていくんですよ。
 そうやって進歩する、ってそれはうそ。
 ホームユースじゃあ me が絶対ベスト。みんな知らないのね。知る知識があるやつは玄人だからあんな素人のOSは嫌いなのね。セキュリティがどうたらこうたら(インターネットセキュリティじゃなくて)。ホームユースに関係ねえよ。

 
 さて、前回の引き続き。人の考える時間なんて極端に短いって。
 私など昔、「精神分裂って頭の回転が速すぎてショートしちゃうんですよね」 って習いましたが、どうも違う気が。
 頭って誰でもかれでも動きは早いと思うんだな、0.1秒。まあそれが0.001秒でも意味はだいたい同じなんだけど。
 そんなもんが、行動の前提の当初の答えとして、1秒の間に10通りとか1000通りとかつまっている。それらの中で、人の頭は、出てきた当初の答えではなく、2次的に答えを選ぶ。
 初めの答えはおおかた行動の答えとして妥当なんだけど、それを検討するのに100通りとか10000通りとかが検討される、それで初めてこれが答えだよと行為者は頭脳に教えてもらえる。
 そういうもんじゃないか、と。
 これなんか、将棋だと「3手の読み」といって、ド素人のレベルだけどね。ま、そんなもんと思うよ。
 なんだけど、人間の次の瞬間の行為って、10000通りも読んでる? ふつう読まないよね。横断歩道をどう渡るか、それってせいぜい10通り。それ以上方途はしらないもん。
 というわけで、考えって、本当は0.05秒でまず第1次で、0.1秒で派生する出来事を考えて、オッケーなら言語情報部門に渡す。言語情報部門はそれ以外の、「道路、赤で渡りたいけど誰かみてないかな」 とか、羞恥心とか、「かっこつけよう」とかの回路を通して、行為が実現される。
 さて、前に戻って、精神分裂症などか、この過程でそのままでは回路をめぐらさない。このため、強制的に一段落の考慮に繋げるため、あるいはよっぽどでなければ行為に移さないために、薬品を与えて、第1段階の回路に化け学上の抑制を与える。
 
 こうゆうんじゃないかなあ、、、これすべて想像ですけどね。そうとしか思えない。
 わたしなどの洞察力は、はったりマルクスの10倍あるから。エンゲルス並み。

 
 またさて。本日のテーマではないけれど、本当の個人的発見。
 わたしなど、小説風理論書でウサ晴らししてきたけれど、そういう感動を求めて、、ていうルートは別に小説風である必要はないんじゃないか、って。もちろん、アカデミズム形式の論文にはないけれどね。
 今回作の本は、もともと普通の人用なので、引用がどうやら脚注がどうやらとは関係ないし (って前の『行為の集成』だってアカデミズムに関係なくてもよかったんだけど。まあ、間先生への義理かね)、だいたいもとからマルクス主義者以外の理論なんか、何の意義も覚えてないし。
 というわけで、ちょっと「小説ではない形式文での小説系結果の伝達とはどういうものか」 、、、変か。を、考えて実現させようかと思っております。が、これが実は困難。当たり前か。もともとそんな発想、聞いたことがない(評論だとよくあるな) 。ほんと、ひまはあらまほしきかな。
 
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スープなカレーの意味

2014-05-17 20:55:48 | その他
 こんばんは。相変わらずの良い気候を大事に使おう、と努力はする今日この頃、 
 今日の献立は、スープカレー。勤務してた飯田橋じゃあ、おもてなしランチ(札幌のじゃなくてエスニック)。
 で、外でスープカレーなど食べたことがない家人に「これご飯にかけて食べるの?」と言われて思うには、いや、おっしゃるとおり、これぶっかけ飯。さて、日本の世間ではどんな気持ちでこんなものを誉めそやしているんだろうな、って。
 いったっけ、前、天津いって食堂で若いお姉さんが後ろ隣のテーブルでまかない飯のぶっかけご飯、どんぶりで掻きこんでて、なんともアットホームな気がしました、って。なにをぶっかけたって、シンプルに言えば、わたしが食べてる小魚煮のスープだけ、と一緒の醤油汁ね。ごはんはお米だけど。
 う~~ん、スープカレー、ぶっかけ飯だし。今晩おいらは鶏肉とか豆とか入れたけど、そんなもん、普通的には入ってなかろう、って話しで。まあ豆くらいあってもいいけど。
 いやカレーだっておんなじだけどね。
 ようは、醤油かけごはんだから。
 なんて偉そうに、おれらちゃんと醤油ごはん食べてたぜ、なんていってるけど、おれらでさえ戦後人、その下は「米」の飯だしね。
 何を言いたいかって、お料理紹介人、も少し真剣になってもいいんじゃないかなあ、というおこごと。もちろん紹介した本人は「そんなことお前なんかにいわれるまでもない」 というのが経験則だけど、それが商売メディアに入るとすべて消えてなくなる。その2次的加工メディア者の方々に言っております。ま、こういうのは時代が決めることだけどね。
 ともかく、きゃあきゃあいって食べるには、サーブする現地お姉さんの屈折した気持ちをいったん、数秒くらい、通すことがいるんじゃないかね。そのうえで、「ほんとおいしいね」 っていいたいやね。
 
 さて、不真面目になって、ようやくヒマです。
 といってもヒマじゃないんだけど、はたから見たらどう見てもひまなんでしょうか。
 しかしじつはそんなことはない。
 他人に見える「ヒマ」が5時間分のひらめきをささえる。なんてまあ偉そうな。
 
 人間が考える、って時間にしたら2秒だとおもうんですけど、如何? そのまえ、ぼーーっとする時間は、私は長いけど。

 っていうか、0.1秒の思いつき、それが言葉になるのがさらに1.9秒、というか。それを忘れないように覚えるのに1分かかるけど。
 だいたいわたしなど2秒以上考えるということがない。みなさんも一緒ですかしら。このブログとか、書いてても秒などなしにさらさらと文字が出てくるだけだし。
 といってみると、過去、試験とかでも考えたことないし。ってゆうか、考えるようなものは解けたためしがないし。一番考えるのがパソコンのエラーかなあ。それも2秒考えて、試行錯誤するだけだし。

 というわけで、今週の仮説、人間て2秒以上考えやしない。
   わかんねえなあ、他人のことは。数学100点のやつとかいたしね。
    (p.s.題変えました。「な」いれたり。普通の方がこられても、で。)
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生活者視角の陥穽

2014-05-10 15:40:47 | その他
 こんにちは。いい陽気ですね。こんな季節は大事に使わないと。おかげさんでわたくしは優雅に使えるこの数日、ようやく残す身辺整理もあとわずか。
 今日は昼に珍しくお好み焼きにしようと思いネット検索して発見したのですが、驚いたことに、東京のお好み焼き屋というのは関西風お好み焼きに席巻されてしまったもよう。
 しょうじきびっくり。
 そういやあお好み焼き、月島行ったのが最後かも、、、それもずいぶん昔か。
 高校御用達の渋谷の「こけし」とかもう1軒もないようだし、府中でさえこの前通ったら、跡形もなし。 
 ネットじゃあ、あほな若いのは「東京風お好み焼きなんか存在しない」とかいってみたり。知らないっていうのは怖いものなしだね。
 お好み焼き屋で、みんなでわいわいやって自分たちでお好み焼きを焼いてビール飲むなんて、最高のお祭り騒ぎじゃないのかねえ。
 関西風も悪いとは言わないが、(人になんぞ作ってもらって)ありゃあせえぜえ2,3人で食うもんさね。関西って俺が俺がで(わしがわしが、か) あんがい団体行動嫌いなのかもね。
    というわけで、きょうは関西風という、実質、「キャベツ焼き」を作ったのでした。こんなの東京的にはなんかねえ、、、
 
 さて、本日の怒りはイスラム野郎、「イスラム過激派「ボコ・ハラム」が3週間前にナイジェリアで200人以上の女子生徒を拉致」。やり場のない怒りというやつね。
 イスラム野郎が言うには、「なんで俺が悪いんだ。俺が悪いはずがない。イスラムにそむく西欧女を売り払っただけだ。それをイスラム教徒の同志の誰が悪いというんだ(いいや、いいはしない)」
 金が欲しいだけのくせに偉そうなこといいやがって。「カネ」というよりは、正しくは、自分がそういう生活に組み込まれている、というわけだが。
 まあ、大衆というのはそういうものです。みんな自分が生きることにせいいっぱい。それがなにが悪いのか、ってことで。十分悪いのだが。
 
 ここでも何回か言及しましたが、吉本隆明という男がいまして。生活者が一番偉いといい続けて死んでしまいました。
 わたしなども思春期時、吉本の生活者礼賛論にはずいぶん力づけられたものですが、ただ私は単なる中原中也主義者であって、なんら大衆主義者ではありません。
 吉本のような生活者論は、それはそれで人民へ支配を仕掛けてくる前衛エリートに対抗するという意味で大変意義があることではあったのですが、残念ながら間違っています。吉本は大衆は正しく歴史を動かすと思っていますが、それが間違いなのです。
 大衆とは、(残念ながら) 決して正しいことはしていない。
 イスラム大衆が生徒少女をカネのためにかどわかす。それは生活のためだ。これが大衆の、表現化する、論理です。大衆はやむにやまれず生きている。日本大衆だとて同じことです。それは、当たり前の前提であって、決して次に進む一歩ではありません。これが誤った道を辿り続けた吉本の「超転向」の観念的基礎なのです。

 すべて大衆はやむにやまれず生きている。しかしそれが当然だと思ったら残るのは「この世そのもの」、この資本主義社会そのもの、この支配社会そのもの、というだけです。なんてくだらない明白な「論理」でしょう。
 吉本の如きエリートは知らず、大衆の本体はそんな吉本が観念した生き方などしていない。やむにやまれず生きるために支配を受け、あるいはその支配をネグレクトし(=無視し、あたかもないかのごとく取扱い)、不本意ながらほかにしょうがなくて、それを忘れるかのごときスタンスで生きるのが大衆、あるいは大衆の良心派なのです。だれだって、「そんなことはしたくない」んだ。(注:ほんとは「だれだって」、じゃない。人々の1割は「したい」んですよ、若人は間違えないように。ただ、だからって、それは一部の人間です)
 そんな現実そのまんまな人々のありようもわからない、あるいは、大衆の中で資本家モドキのホリエモン・ユニクロ主義者だけが大衆だと思っているエリート吉本、残念ながらもう死んでしまった吉本と、そのエピゴーネンの滑稽さといったら。

 中原中也主義者にとっては、こんな事情は知るも知らないもない、それが日常なのだから。
 汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかる。力なき一(いち)負け組大衆としては、大衆仲間を売り払っていく理不尽な権力に歯向かいたいが、これに組みできる大衆などいやしない。中也はトボトボと俯いて歩くしかない。

 『荒地』がどうした。偉そうな権力主義者共が。そんな自称「(前衛)詩」を書いた者たちが、じゃあ、酔っ払いと資本家と共産党幹部、その他のなんになって生き続けたというのだ(いいすぎ。ただのインテリ業多い)。そんなやつらは、なにもできなかった(うえに裏切った) 己れらを思い浮かべれば、偉そうに他人をけなすより悲しみにうちひしがれるものだろうが。 、、、なんつっても、ともかく、吉本死んじゃったからなあ、、、


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老後計画的人生訓

2014-05-03 21:18:14 | コーヒーブレイク
 こんばんは。皆様におかれましては楽しい連休など? わたくしも本日ようやくアルバイトも終わり、とてもうれしい。アルバイト、どうもこちら側の犠牲とあちら方の私のいない場合の苦労を秤量しますと、こちらの方が3,4倍重そうな。これは割が合っていないというわけで早々に退散。早々といっても人材切り替えの4月の1ヶ月はクリアというわけで。
 うれしいといってもそう簡単ではなく、まあ、だいじょぶかなあ、という気持ちもありまして。結局、事務屋というのは基本的にはその組織内で重宝されるものなんですよね(=でしか重宝されない)。

 おかげさまの教訓、その3 (1や2は面倒なので不問)。
 「短気な人間に関しては、人生、いつになっても10年計画で未来を構築なんて事態はありえない」
 ほんとこんなこと知ってもしょうがないかと思いますが。
 ただ、まだ余命のありそうな私としてはなかなか大きな、自分で知った人生訓。
 結局私には、あくせくと、目先のことをクリアしていってその過程で死んでしまう、という人生しかないようで。
 そうでない理由なんてのも確かにないし。
   人間、老後はいつかヒマになる、って誰が決めたことかな?
     もちろん私には誰もいってないし。
    
 それにしちゃあお前は悠々としすぎている、って、
 だから。体力のたの字もあったことがない私、目先のことをあくせくし続けるのは疲れるから悠々とあくせくするわけです。なんの矛盾もない。
 
 ほんとこんなことどうでもいいね。
 1万人にお一人様へのためになるブログでした。
 
 さて、と、昨今のニュースで、覚えようと思っても(酒を呑んでいて)覚えられない状況の中、ほんとシンプルにはいろいろなやむに立つこともよぎるんですが、忘れちゃうんで。忘れないというと、ウクライナ的国家分裂状況、これは新聞の見出しで。
 こういうのは、国家内に経済的地域矛盾があったとき、国家というのは経済を除けば武力にすぎませんから、いくらでも地域が破裂するという。隈的二分法の有効性の証拠みたいなものですね。国家支配権力とそれに取り込まれ追随する経済権力。
 ためしに沖縄にきれいな顔(比喩。アメリカや中国じゃだめ、といっているだけ(=事実認知原理の大きさ))と経済力を抱えた国家が武力介入すれば、「オキナワ自立国家」論などすぐ実現的になる、という話ですな。
 北海道アイヌは、本質的には同等だけれども、すでに人的=文化的に遅い、100年遅い、てなわけで。
 こっちの話のほうが役に立つ?
 残念ながらこんな評言の基礎はもう30年も前から左翼にはポピュラーなもので、「地域の差別が民族闘争を生む」 みたいな。これはわたしのアタマの成果じゃない。
 初めに言ったのはだれなんだろうねえ。なんでもコロンブス。あたりまえじゃん、と思っても、それまでの「パラダイム」(この場合思想中心主義)を変えた。思想中心主義は、新だろうが旧だろうが、左翼は基本、前衛主義者、間違ってようが当然のパラダイムだったからねえ(、、、今でも)。
 で、30数年前、だれがはじめに広めたんだろうねえ(もちろんいつの時代でもささやく声で正しいことを唱え続けた人間(たち)がいるんだよ、でもその瞬間にだれかが広めたんだね。まあ他人のことなら正しく評価するのはちょっと頭が良ければできるからね)。
 なにしろわたしは青春のみぎり、差別だの地域だのというのには興味がなかったもので。まあ、その辺の小ブル雑派のだれかと推定しますが、宣伝家にすぎないとはいえ、立派。
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