なるべく堅い題、ってことで、でもこれは社会学じゃなくてね、ほとんどコーヒーブレイク。
東京では、出産間近の妊婦が夜中に脳内出血を起こし、都立救急病院等に拒否され続け亡くなってしまった話があります。舛添がこの問題の検討委員会を作るって、あの人はピントを外してばかりですが、やれるだけのことをしようとするのは他の政治家にも見習って欲しいですね。もっとも、もっと勉強して欲しいものですが。
じゃなくて、それで舛添と石原慎太郎がケンカしているのですが (石原いわく、もともと医師を配置できなくなったのは国のせいだ、と。おっしゃるとおりなんですけどね)、当家の新聞の投書で、「私がいたアメリカでは、そんな拒否なんかしなかった。日本でもケンカなんかしてないで力を合わせて解決してくれよ」、というのがありまして。
さて、この投書ですが、何も素人の話を題材にするのも気が引けますけどね、でもみんなそう思うでしょ?
その1 でも行政上ではケンカが必要なんですよ。日本の行政は、資本家と、資本家と資本家と、そして労働者との利害関係の中で精一杯やっている、これは間違いないことです。私は厚生労働省職員でも都庁職員でもありませんけどね。その中で人民を一般規定をしながら制度を進めていくにはケンカをするしかない。一般規定というのは、置かれた条件の中で、全人民の最大多数の最大幸福を追求するということです。今の日本の行政というのは、法の下に、誰もが平等な取り扱いができるように「環境を整える」ことが仕事です。それでできていないものは、邪魔をしている何かを壊すしかない。それが何かは誰にもはっきりとは分からない。しかし、その何かを守っている勢力に対し闘いを仕掛け、闘って壊すしかないのです。 (もちろん。シンプルに社会体制を変える、って手はありますけどね。それをいっちゃあおしまいだ)
組織責任者が仲良くやったら総医療国家しかできやしない。そんな国家もいいけれど、資本主義の世の中で、資本家のおこぼれを食うしかない医者の面倒など、国家を挙げて見られるはずもない。従って、前提の「仲良くやる」ということ自体、責任者の辞職しか意味していない。
いや、いうのはいいんですけどね、いって自分の気持ちがよくなるだけなら、そんなのダメだ、って言われたほうが、その人もなんらか先に進むでしょ。
その2 本によると、たしかにアメリカという国では、その人が言うように「人間的な対応」をする。人間的な「慈悲」に頼らない限り生きていけない国だから。そして、慈悲に頼れない(最下層を除く)下層の人間は、病院の窓口で拒否されたまま中に入ったこともなく死んでいく。馬鹿だぜ、投書者。たかだか、日本ブルジョワジーの手代の出張マンのくせによ。アメリカ人の代表のようなことをくっちゃべるな (こうゆうことをいうから敬遠されるんですね、つい憤りが先に立って)
人間的な対応をすることはなくとも、病院にいるのは日本人間です。看護婦も医者も、遊んでると思われちゃ、おおごまりです。
彼らは、自分にできるなら、人間は、貧乏人でも金持ちでも助けたい、(だけど、私には無理なの、だから他へ行って)それが日本人です。あなたもそうじゃないですか。
だから、馬鹿だぜ、投書者。みんなわかってやってんだよ。でも今の日本人なら、みんなを助けようとする。貧乏人でも金持ちでも。アメリカのカネの亡者やせいぜい気に入った人間の世話しかできない医者たちと、同じに思われたくないやね。ましてや、それに劣るなど。
とゆうわけで、なんとか開業医を病院に呼び戻して欲しいものです。
でも戻らない。待遇が違いすぎるやね。診療報酬一般の問題じゃないんでしょうね。シンプルに言えば、開業医は儲からないように。病院医師は楽できるように。医者の子供は金がかからず医学部にいけるように。こうゆうのは(こうゆうのも)、利潤原則じゃダメなんですよ。
(その後:同様の事例で、「おれんとこの患者ならとにもかくにも執刀する」、と怒ったお医者さんがいたそうな。ほんとだと思いますよ。だから「医者の子供は優先で」といったわけですが。
一方では「そんなことをいっても、俺にはできない、立場があるんだ」、とかね、いろんなこともあるわけです。
それもほんとですよね。生きてるんだから。怒ったお医者さんみたいに、権力を振るえる者は、権力の振るい方を知っているんです。決してどちらもバカにしているわけじゃなくてですね。)
東京では、出産間近の妊婦が夜中に脳内出血を起こし、都立救急病院等に拒否され続け亡くなってしまった話があります。舛添がこの問題の検討委員会を作るって、あの人はピントを外してばかりですが、やれるだけのことをしようとするのは他の政治家にも見習って欲しいですね。もっとも、もっと勉強して欲しいものですが。
じゃなくて、それで舛添と石原慎太郎がケンカしているのですが (石原いわく、もともと医師を配置できなくなったのは国のせいだ、と。おっしゃるとおりなんですけどね)、当家の新聞の投書で、「私がいたアメリカでは、そんな拒否なんかしなかった。日本でもケンカなんかしてないで力を合わせて解決してくれよ」、というのがありまして。
さて、この投書ですが、何も素人の話を題材にするのも気が引けますけどね、でもみんなそう思うでしょ?
その1 でも行政上ではケンカが必要なんですよ。日本の行政は、資本家と、資本家と資本家と、そして労働者との利害関係の中で精一杯やっている、これは間違いないことです。私は厚生労働省職員でも都庁職員でもありませんけどね。その中で人民を一般規定をしながら制度を進めていくにはケンカをするしかない。一般規定というのは、置かれた条件の中で、全人民の最大多数の最大幸福を追求するということです。今の日本の行政というのは、法の下に、誰もが平等な取り扱いができるように「環境を整える」ことが仕事です。それでできていないものは、邪魔をしている何かを壊すしかない。それが何かは誰にもはっきりとは分からない。しかし、その何かを守っている勢力に対し闘いを仕掛け、闘って壊すしかないのです。 (もちろん。シンプルに社会体制を変える、って手はありますけどね。それをいっちゃあおしまいだ)
組織責任者が仲良くやったら総医療国家しかできやしない。そんな国家もいいけれど、資本主義の世の中で、資本家のおこぼれを食うしかない医者の面倒など、国家を挙げて見られるはずもない。従って、前提の「仲良くやる」ということ自体、責任者の辞職しか意味していない。
いや、いうのはいいんですけどね、いって自分の気持ちがよくなるだけなら、そんなのダメだ、って言われたほうが、その人もなんらか先に進むでしょ。
その2 本によると、たしかにアメリカという国では、その人が言うように「人間的な対応」をする。人間的な「慈悲」に頼らない限り生きていけない国だから。そして、慈悲に頼れない(最下層を除く)下層の人間は、病院の窓口で拒否されたまま中に入ったこともなく死んでいく。馬鹿だぜ、投書者。たかだか、日本ブルジョワジーの手代の出張マンのくせによ。アメリカ人の代表のようなことをくっちゃべるな (こうゆうことをいうから敬遠されるんですね、つい憤りが先に立って)
人間的な対応をすることはなくとも、病院にいるのは日本人間です。看護婦も医者も、遊んでると思われちゃ、おおごまりです。
彼らは、自分にできるなら、人間は、貧乏人でも金持ちでも助けたい、(だけど、私には無理なの、だから他へ行って)それが日本人です。あなたもそうじゃないですか。
だから、馬鹿だぜ、投書者。みんなわかってやってんだよ。でも今の日本人なら、みんなを助けようとする。貧乏人でも金持ちでも。アメリカのカネの亡者やせいぜい気に入った人間の世話しかできない医者たちと、同じに思われたくないやね。ましてや、それに劣るなど。
とゆうわけで、なんとか開業医を病院に呼び戻して欲しいものです。
でも戻らない。待遇が違いすぎるやね。診療報酬一般の問題じゃないんでしょうね。シンプルに言えば、開業医は儲からないように。病院医師は楽できるように。医者の子供は金がかからず医学部にいけるように。こうゆうのは(こうゆうのも)、利潤原則じゃダメなんですよ。
(その後:同様の事例で、「おれんとこの患者ならとにもかくにも執刀する」、と怒ったお医者さんがいたそうな。ほんとだと思いますよ。だから「医者の子供は優先で」といったわけですが。
一方では「そんなことをいっても、俺にはできない、立場があるんだ」、とかね、いろんなこともあるわけです。
それもほんとですよね。生きてるんだから。怒ったお医者さんみたいに、権力を振るえる者は、権力の振るい方を知っているんです。決してどちらもバカにしているわけじゃなくてですね。)