リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

雑感2件

2013-04-29 21:51:08 | その他
 こんばんは。連休前半、いかがお過ごしでしょうか。私はこの数年ですと、「でも私は」というところですが、今年は久しぶりのゴールデンウィーク。記憶にないほどの東京地方の大連休の好天の中、昨日は丹沢までハイキングに行ってきました。帰りがけに生ビールを飲んで。これであと1ヶ月は世間でどんなレジャー話があってもうらやましくない。なんとも安上がりの体質で。

 さて今日も楽しい話を探しましたが、ありませんね。で、雑感2つ。
 
 (その1)
 さっきyahooでみたところ、都知事の猪瀬が、オリンピック招致で下記のように発言したようです。
 「イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけで、互いにけんかばかりしている」。
 ま、記事は続いて
 『トルコのクルチ青年スポーツ相は、記事が掲載された翌日、ツイッターでコメントを発表し「発言は公正ではなく、悲しいことだ。オリンピック精神に反している。イスタンブールはほかの立候補都市に対して否定的な声明を出したことはないし、これからも出さない」としています。そのうえで、「われわれは日本の人々を愛しているし、日本人の信仰心や文化を尊重している。そして若者も、高齢者も同じように尊重する」としています。』
 ほんと、軽薄で。なにを考えてもなく、また覚悟もしていない、ネットウヨ相似形ですね。
 わたしなんざ、猪瀬の文を読んで、すぐに訪朝した井上正義を非難している石川県自民党の諸君を思い浮かべましたが。『日本諸県で人々が共有しているのは日本国家の首輪つきのスピッツの遠吠えばかり。自分は死にもしないくせに「殺せ殺せ」といっている』 だね。
 でもこおゆう軽薄、ネットウヨのごときド軽薄が存在しうる世の中だから、私のようなアナーキストもぷらぷら発言できてるってこともありましてね。まことにご同慶の至りです。
 だいたい、人間の1割は権威者の言でどっちにでもいける鉄砲玉。猪瀬氏なんてのもそうと想像できますが。本来は、政治局員の命令でテロリストにでもなった人間でしょうね。
 そんなのが1千万都民の長になれるのに、日本人、どこが不幸か、みたいなもんですな。 

 (その2)
 なんでも私のようにコロコロ職場を替える人間のことは、もう世間でちゃんと名前が付いていて「ユーティリティ・プレイヤー」というんだそうで。おお。かっこいい。ま、「便利屋」ですが。いや、日陰者の人生で、こんなにメジャーな存在になったのは生まれて初めてで嬉しかったです。
 という私の感想をよそに、新聞に載っていたユーティリティ・プレーヤーさんは、「10年で6回異動させられて、もう転職したほうがよいのか」、と悩んでいるそうな。
 よくわかんねえな。あっちこっちいけて面白いじゃん。ちなみに私は、同じ席に座っていたのはこの10年で2年だけ。しかも この10年、同じ仕事をしたことはゼロ回。
 それも極端な気はしますが。 
 なんでも便利屋では自分が評価されてない気がするんだそうな。まあ、出世街道的にはそうなのかもね。でも、人生って仕事してる3,40年のことと思ってないし。
 
 だいたい、歴史の中では、人の評価って、人間の未来への貢献度から決まるしかないやね。
 会社にとってよき人間とは、便利屋かもしれないけど、現在生きてるフリなわれわれにとってよき人間とは、友として、先輩後輩として、付き合うに値する人間のことでしょうね。社長・重役になった「私」を評価するのは、誰かな? 大学の同級生? 奥さん?
 私の知らない世界の話ですね。 
 一方、ある国家機構の中で未来まで伝えられる人間てゆうのは、その国家のシステム全体上で、どれだけ人民の生活に寄与したか、ということですね。各種首相や経団連会長、ナショナルの社長とか、まあ、「私」が生きている生活に寄与した死人は評価されますな。
 これはわかる。
 さて他方、未来を作る人間の営為の志向は、それがどんな汚いものであろうと、新しい「今ある」未来にどれだけ寄与したかで決まる。
 猪瀬が生き損なった人生ですね。
 ほんと、少なくとも経験上日本人は無責任で、極悪非道な悪鬼どもも、そんな悪鬼は痛くもかいくもない未来人にはよき評価の対象だ。
 これも経験上よくわかる。
 ほんと評価が欲しければ、歴史に抗するウヨ以外は、100年も経てばどんな奴でも英雄だ。

 と、いうように、四方も八方も美人には生きられない人間は、ともかくも未来を生きようとする選択を取るのが一番評価の歩留まりがよいのです。
    まあ、私は首にもしないで給料をくれるところが一番好きですけどね。
 
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痩身術

2013-04-24 21:04:37 | 断片
 こんばんは。本日は、ときどきする、テーマの「波」変更画面。けがらわしい人間以下物の話をすると私のブログが汚れるんで、なにか美しい話を。
 と思って新聞を捜してもなにもありゃあしない。シュワルツェネッガーの新しい映画は面白そうだ、と思っただけ。追い討ちをかけてテレビじゃ死亡被害児親が、てんかん子の世話をした親に巨額の賠償を迫ったり。ほんとにそういう方々も人の子の親なのか。こんな人々には、「それも悪いとは言わないが」というだけだ。
 いったいなんのための民事訴訟だろうか。(刑事訴訟は終わっている)ハンデを持った子を持った親に、『ほっときゃお前の子は害悪を垂れ流すんだからそのまま施設にでも入れていろ』という主張を確定させることが、あえてはっきりいうが、そんなことが死んだ子のためになると思っているのだろうか。

 あああ、せっかく美しい話題で雰囲気を変えようと思ったのに。
 もっともこれはどちらも「人間の親の哀しい定め」、ともいえるね。
 もちろんそんな感傷がテーマなら、4行上で「あえて」失礼な言い方はしないけどね。おれは教唆者に下卑た意図を感ずるんだね。
 
 ま、そういうことで、変換テーマは、やせ方。
 
 なんでも知らなかったんだけど、今日読んだ新書によると、「炭水化物は脂肪にならない(といったほうが実践的)」 なんだそうで。
 それはどうゆうことかというと
 1 でんぷんは、人間、頭脳ではでんぷんエネルギーしか使えないので、グリコーゲンとして貯えられる。
 2 ところでグリコーゲン化には水分がくっつくので肉の重さが3倍増える。
 
 これの意味するところは、
 1 正月で餅を食い過ぎれば平気で体重が3倍比率増になる。「正月3キロ太っちゃった」なんていうのも、別に不思議ではない。
 2 逆に、ちょっとダイエットすれば、筋肉を壊してでもグリコーゲンが燃やされるので、すぐに3倍比率の効果がでる。しかし、それで喜んでも意味はない。そんなダイエットは、筋肉を減少させ、筋肉貯蓄グリコーゲンを欠乏させるだけなので、頭脳保護のため、一時の波が収まればすぐに復帰される=体重も復帰する。
 
 というわけで、体重の減少には脂肪を燃やさなければならない。それには一時ではなく、コンスタントにカロリーを減らしていくしかない。脂肪の燃焼は、「体を動かすこと」にある。、、、
 と、この辺で、立ち読みも飽きてしまった。
 なので、今となっては理由は不明ですが、脂肪を摂らないで体を少しづつ動かし続ければ1年経てば思いもよらず脂肪が減って=痩せている、そうです。そして痩せるにはその王道しかない。
 というのを新書で書いてあって、ああ、これは僕の知らない事を書いた良い本だね、と思いましたが、まさか医学の新説ではないと思い著者も忘れてしまいました。
 
 ポイントは、デンプン摂取は体重が重くなる、が、だからといってそれ自体怖くはない。脂肪の摂取が怖い(たんぱく質も怖くない)。またダイエットによるカロリー消費=デンプン消費は体重は減りやすいが、体重は減ったようでもそれでは体は痩せない。
 ということです。
 
 うん、ちょっとは役に立ちそうな。
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資本家イデオロギー

2013-04-23 20:50:56 | 断片
 あいさつなしで、今日はユニクロの柳井 正。なにが「ただし」だ。人間のクズが。

 ネット転記。
「ファーストリテイリングは全世界で働く従業員の賃金体系を統一する方針を明らかにしました。」
 わたしんとこは朝日新聞なので、このユニクロ資本家柳井のインタビュー全部が書いてありました。
 「世界で同じ仕事をしている人間は同じ金額を得るのが当然だ。人間は1億円の収入者と100万円の収入者に分かれる。100万円は少ないというが、世界ではみんなそれで頑張っている」
 だと。
 怒りはありますが、こんな人間のクズに大事なエネルギーをぶつける必要もない。全部、後日、日本の資本家にお返しするとして、
 こういうのが机上の空論、ほんとにばかな岩田規久男と同じですね。
 日本人民は、過去の労働の集約として各種機械その他の生産力を持ちながら海外進出をし、貿易上の優位に立っている。日本の労働者の平均労働力は、ベトナムの労働力と同一はおろか何倍もの生産性を持っている。サービス会社でさえ日本で同等に働けるサービス労働者などトータルにはいやしない。そのトータルの中で日本人民は、製造業に、サービス業に、農林漁業に、公務に、いそしんでいるのだ。どこの生活が東南アジア人民と同列になれるのだ。そんなことを真面目な顔をして言えるのは、日本では岩田規久男くらいだ。
 それをなにか根拠があるごとくのこのいいよう。
 たかだかのサービス会社にすぎない弱小ユニクロ1社など、日本帝国主義の足の小指の爪にさえあたらない。そんな弱小が、しかしいうことはいっぱしの資本家だ。労働者をどうやって低賃金にするか=どれだけ資本家が儲けられる論陣を張れるか。
 本当は、今日本の労働者全体が100万収入者になれば、日本経済はたちゆきはしない。労働者が100万なら農業者の年収は20万であり、その子女はもう高等教育も受けられない。
 そんなことはどうでもいいのだ。この非国民の=グローバルな資本家は、なんとか先陣を切って「先進資本家」の栄誉が欲しいのだ。
  
 ”え、なに、これ理屈でしょ? 難しくいうと違う? 俺は経済学者じゃないからさ、ま、勝手にやってくれや。
 俺? 4200億円持ってるよ。でもこれは年収100万円の奴らに分ける金じゃないよ。あんたもお人よしだね。なんでバカな奴らに10円でもあげなきゃいけないんだい? 自分の収入は自分が労働者を騙して儲けた大事な金さ。騙されるやつらが悪いのさ。”
 
 上等じゃねえか。最近、裏切り者のような資本家だらけだからさ。根っからの資本家、歓迎よ。しかし、そこまで言うやつ……(以下削除しました。ここ書き換えてあったはずなんですが、修正更新してなかったんですね。「準匿名でケンカ売るのは卑怯だ」、という趣旨です。大変ご迷惑をおかけしました)
 
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将棋コンピューターさようなら

2013-04-20 21:27:27 | 断片
 こんばんは。東京地方、外は相当寒い模様ですが、コンクリート製の強み、まだまだ当家の中はぬくぬく。
 本日は、ビジネス靴下が穴開きで払底したところ、雨の中自転車でスーパーに行くのはあきらめ、ネット買いに走りました。
 紳士のみなさまは靴下をどのように手に入れているのでしょうか、今回、通勤途上のスーパーは既にあれこれ寄ったのですが、大衆用の柄つきの薄い靴下など、ゼロであることに気づきました。知ってます? 日本国中ジミ臭いのが流行りなんですね、私以外の日本人て趣味とかセンスとかに無縁な人種なんでしょうか。都会の近縁に住んでて靴下までネットの世話になるとは想像外でした。(3足千円です。が、イギリスデザインを標榜)。私が買うワイシャツはどうにか1ブランドだけイトーヨーカドーで扱ってますが、すでに下着も靴もネット様頼み。スーパーってどなたが客なんですかね。みんな「あるはずの流行」品しか売らなくて。計画経済批判なんてブルジョワ族の児戯ですね。
 いや、あとジジイ共の幼児戯ね。 知ってます? 5本指靴下って。スーパーじゃ富士山のような5本指の山。ずっと家で寝てろ。胸糞が悪い。(私は爺いを憎んでまして)
 
 といっているのを聞いて、おやと思った常連の方、いつもありがとうございます。そう、ここんとこ、わたし土日休みっぽいでしょ? 休みなんです。また仕事がちょいと変わって。
 毎年毎年、よく仕事が変るが大丈夫か、というところですが、ご安心ください、か、残念でした、か、それがなかなか勤務成績は良いことになっておりまして。

 さて本日は上記のように休日なところ、おあつらえ向きの勉強サボりの口実に電王戦、つまり、コンピューターとプロ将棋棋士との対戦があって、危惧どおりコンピューターの勝ち。あ~あ。人間よりコンピューターの方が上か、、、
 ま、これで決着がついてスッキリということはありますが。
 で、その間ずっと2ちゃんでの騒ぎを読んでまして、はあはあ、こりゃ人間だな、と。買った負けたと騒いでいるのは結局人間だけ。コンピューター自身は楽しくも何ともないよな、と。
 
 なにが勝とうが、結局、今の制度は、対象が人間がする戦いだから騒ぐんだよな、ということで。
 と思うと現在の日本の将棋というのは健全なものです。人間同士の勝ち負けにカネを払っているわけで。
 
 近世以前人やら資本主義人の関心というのは、そういう具体的な人間の感情ではなく、カネや優越の動きですからね。
 闘奴隷だって闘犬だって闘鶏だって闘カブトムシだって、勝ち負けが飼い主なり賭けている自分なりだから周りが騒ぐ。
 そのうちコンピューター将棋選手権がメジャーになることがあるとしたら、それはその勝ち負けに人間の感情が移入される根拠がある場合に限り、そこで趣味を越えてカネがとれるようになる。
 今回などは伊藤というコンピュータ使いの非社交性がバレてしまって一騒ぎでしたが、まあ、食えるほどにカネを稼ぐというのは、すくなくとも表に出る人間は人間社会に社交的に巣食う必要がある、というわけですね。
 
 ま、というわけで、もう将棋遊びにコンピューターはお呼びでなく、将棋コンピューター技術者も激減せざるをえない。人間は、改めて人間の将棋を遊びだす。
 すべて世はこともなし。
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梯明秀の功

2013-04-13 21:18:59 | 社会学の基礎概念
 こんばんは、東京地方、春爛漫です。仕事先の周りでも私の好きなツツジや藤の花がすでに咲き乱れています。例年より2週間は早そう。今年は桜には不十分でしたが、新緑には、恵まれるかも。
 
 さて本日は理論系。
 左翼論壇では、資本論について哲学者が「これは哲学の根本の書だ」とかひいきの引き倒しをすることでも有名です。って、以後この話なので、その他の方々はまた来週。
 
 で、そういう人々の9割の根拠は、なんのことはない、「資本論でプロレタリアートの役割が解明せられたのだから、われわれプロレタリアート及びインテリゲンチャはその結論通り生きなければならない」という話で。
 
 こういう単純素朴な幽霊話はいまさら語る気にもなれないところで、といって語らないと先へ進まないのでいうと、
 要するに、「人間はこれこれの規定性を負っている」という以上の話ではない。
 幽霊話というのは、自分は論理とは違う地平において安全を確保してから、なんとか偉そうに他人に命令したいという権力主義者の妄想という意味ですが。「幽霊」とは、現実に生きていない、概念で固めた或るモノということね。
 ところで人間が負っている規定性というのはいろいろあるんでありまして、そのトータルが人間です。
 たとえば、人間はどうしても他の生物を食わなければ生きていけない。
 「だから人間は、資本主義者の行いと同様に、他人と競争して劣等な他者を食いまくっていかなければいけない」
 というのも哲学者が述べたがる「真理」というものですな。
 
 そんなバカな話はねえ。人間とは生きているおいらのことだ。てめえに指図されておいらが資本主義者になる必要など金輪際ありゃあしねえ。
 という、「先ほどの左翼あて答え」と逆に同様な理屈が存在するという明快な事実が、そうした9割越えの自称「哲学者」への答えになります。
 
 さて、過去の日本に梯明秀という哲学者がいまして、懐かしいでしょう、ご同輩、その人も上記の幽霊話はしつこく語る。率直に言えば、その語り口のおかげで歴史に残った人で、これからも東大教授を押しのけて歴史に残るんじゃないかな。とにかく人間、「エッ!」と思わせたほうが勝ち、ほんとうはどう間違っていたって、なに言ってるかわかんなきゃ負けはしないんだから。

 ま、そんなことではなくて。
 ここまでは若人は知らないと思うんだよね、しかしてよく反芻はしてくんさい。このくらいのレベルは若いときに抑えとかなきゃね。

 今いいたいのはそうではない。
 梯の本当の貢献は、「本人は気づいていないけれど」、資本論は彼が思い込んだような「論理の書」では「ない」が、『探求の方策の書』ともなりえ、それを簡単に言葉に置き換えて見せたのが梯の生涯の唯一ではあるが、逆に、かつて他人ができなかった、そしてそれ以後も誰も追随していない、仕事であったということです。
 アルチュセール? ば~か。みたいなもんですな。
 こればっかりは、政治局員や東大教授のごとき、未熟な他人さえ脅しておけば自分で何をしなくても済むような人種にはわかるものではない。ましてや口先毛唐になんかわかりゃあしねえ。せめてこの隈が記録しといてあげなければね。

 ということを以前述べたかと思って検索したんだけど、引っかからないんで、おや不思議、と思いながら(改めて)記載しておきます。
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歳と思考様式

2013-04-06 21:00:11 | 断片
 こんばんは。春の嵐、九州は通り過ぎましたか。わたしとこは戦々恐々。さいわい今日明日休みなんで、「恐」の「スーツ濡れ」はスルーできますが、嵐の音は嫌いです。
 「風が嫌いなんて変」 とかじゃなくて、風は好きですよ、海岸の堤防道の手すりにつかまっているなら。しかし、マンションの家の嵐は一瞬先の未来がどうなるか不明なのでいや。

 とかなんとか、「てやんでえ、今日は書かないっていったじゃねえか、どの面下げて、、、」ってしらんぷり。
 実は勉強が進んでない代わりの埋草。そう心の狭いことをいわないで。

 さて、本日は研究志向人間あて。「勉強人間も年代でやれることが違うんだよなあ、、、」 という感想。
 文系では「10年やれば専門家だ、教授には負けない、勝てるとは言わないが」という言葉がありますね、そりゃたしかにおっしゃる通り。10年て、結局30歳ね。
 とりあえず30歳で専門家になって、そこで確立した自分の道を「深める」。掘って掘って掘り尽くすわけですな。掘るといっても中には横に掘る人もいて、まあそれはそれで個性として。
 で、40歳。
 40歳というのは理系では一区切り。数学やらなんやらの純粋理論では、そこが限界的節目にも扱われるようで。
 
 しかし、それはそれ。そんなのが理論の確立なわきゃあないよな、そりゃ「お前、もういいからジャマ。のいとれ」、というだけの低レベルなドングリ同士の措置だな、と思って。
 文系でも研究ってそういうもんです。
 43歳まではしつこく新しい理論に食いついていきますが、それ以降は、「だから人生どうなんだ」、という次元に入る。いいかえれば「こういう私の理論は全体の中でどうなんだ」、という発想に転換される、ということですね。ちょうど頭もボケてきているから、物事は単純化され図式化される。
 その結果、50代の中高年教授は、「あの人はほんとうに分かっている」 と評される。それは若い衆から見れば穴だらけの「理論」ですが、しかし実はその穴は実用的には「わざと開いている」 穴に過ぎない。
 「わざと」なんて若い人には信じられない、「ただのバカだろ」 と思うでしょうが、しかしそれはそんなにウソではない、というのが人生奥深いところです。

 と、まあ、以上はお風呂で髪を洗っているときに思いついただけですが。ちょっといっておけば、思いつきなんて必ずそんな場面です。中高年ではそんなの日常茶飯事。若い研究者の方も見習って、1日中いつもいつも考えてなきゃいけませんぜ。もっともわれわれ中高年にとっては一どきには1つのことしか考えられないせいですが。

 以上、もとはといえば、マルクス『剰余価値学説史』をめくったせいで。マルクスってバカじゃないけど、ほんとうにどうしようもない人だったんだなあ、なんて思うだけの成果。まあ、なまけものの開き直りではあります。

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ほらバブルさ

2013-04-05 21:36:00 | その他
 こんばんは。東京地方、明日あさってと暴風雨のような。それ以前に桜が私の好きな花吹雪も見せずに散ってしまいました。 雨のせいかなあ、とにかくいつのまにかソメイヨシノの季節は過ぎ

 本日はだめ押しの軽い埋草、って、要するに、「今週土日更新しません」、てことですが。
 実は仕事が、寒さやら花粉症やらなんやらで進んでないんですよね。さすがに危機感をもちまして。

 で、本日のテーマ、新聞的にはなんでも日銀が流通カネを2倍にするとのこと。2倍にして2%の物価上昇を見込むって、だれがそんな経済学を教えるのかねえ。そりゃカネがそのまま市場には出られないにしてもさ。
 
 というわけで若い方あての基本。今後経済はどうなるか。
 カネが多くなってそれを一番利用するのは、もちろんそれで利益を得る人。推理小説の基本ですね。じゃあそれは誰かというと、カネが目の前を通るだけで手数料が入る株屋と不動産屋。証券会社と財閥地所会社ですね。ついで儲かるのが、カネを借りさせて儲かる高利貸、つまり金融会社。です。要するに金融資本がこぞってカネを動かすのに力を貸すわけです。
 そうするとカネが社会を駆け巡り、どんどん物価が上がる。
 といっても製造製品が増えるのならめでたく全部の物価が上がりますが(めでたくといってもただのインフレです。インフレの悪は、高校の政治経済の教科書をどうぞ)、製造製品が増えるかどうかは買う人次第。ところで買う人ってあなたのことですがあなたは今より一層買いますか? 私の推測では買いませんね。だって、以上の記述に「買いたいものが増える」ってファクターはありませんから。
 買いたいものが増えるには、まずは物価を越えて給料が上がる、あるいは給料がどうであれ、とにかく買いたい便利なもの、特効薬の美人薬、そんなものが発売されなければいけない。
 
 てなわけで、株は上がり、土地も上がる。こんなもんはカネを持ってる奴が出そうと決めれば払うもんで、商品の魅力の如何を問いませんからどんどん上がる。
 バブルでんな。
 製造業製品は魅力がないので上がらない、それが黒田の「バブルにはならない」という根拠でしょうが、それは「インフレになりにくい」、の間違い。バブルとインフレの違いもわからないのでは?
 ま、カネの行き先はちゃんとある。その行き先の商品は上がりつづけて、ふと手元不如意になった人間が、なんでこんなに払わなきゃならないんだ、あっちの水がああまいぞ。こっちはやあめた、と思った瞬間バブルははじけとぶ。株も土地も工業製品とは違い、最低限の需要、という線はありませんから、下がり止る必要などありませんからね。
 するとその瞬間に、もしかして買う人も増えるんじゃないかと幻想を持って事業拡大した借金まみれの製造業者は、資産も一瞬に半減し、借金を払えず電車に飛び込む。
 バブルです。
 
 そんな20年前の悪夢を平気な顔して導く黒田という男は、要するに、要するに、、、ええと要するになんなんでしょうね。ただの口先野郎だけではなさそうですな。
 あなたなら悪魔といいますか? クズ官僚といいますか? ただの資本家の救世主ですかね?

 で、本日のテーマ。貯金のある人は、今使うか、バブルがはじけるまで待つか、2通りにしたら? という老婆心で。わたしゃ引越しをしたのでもう預金はありませんが、皆様は決してバブルのさなかに株屋や不動産屋に巻き上げられませんよう。使うのに乗り遅れたら持って我慢が得策です。 私の前回バブルの教訓。教訓は痛い。


 P.S, とはいえ、最後のおすすめはそうは自信はないのでそのへんはよろしく。バブルじゃなくてインフレ政策を5%も進められれば影響は大きすぎ。わたしゃ社会学では世界一ですが、カネ儲け経済学にはとてもうといです。
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選挙票には政策的加重を

2013-04-03 20:45:56 | その他
 こんばんは。東京地方、本日は雨にひどい風のようで。早朝はそれほどでもなくスーツが濡れていやなだけでしたが、みなさまごくろうさまです。
 さて本日は、軽い埋め草、というか、あわよくば次の土日の連休の更新をパスしようと。まあ、いろいろで。
 
 というのも朝日新聞に竹内幹という一橋の助教授がよいことを書いていて、これはぜひ褒めてあげようと
 
 いわく、”選挙の年寄りの票と若者の票は差別をつけよ。それが本来の選挙たるべきだ(?)。”
 「若者が1人1票なら、数の多い年寄は数を頼んで卑怯だから0.5票にする」、という意味ね。
 付けたクエスチョンマークは本人の立ち位置がいいかげんなせいで、正当性の理屈がないため。わたし的には情け無いですが、まあ、価値観のない若いもんとしてはそんなレベルでしょう。
 
 ともかくも、地域差の存在や社会の方針の存在をわきまえない「平等な一票」などというはやりのザレごとに叛旗を翻し、年寄りしか読まない中央公論に文を寄せたのは偉い。わたしなんか、こんな差別化は考えもつかなかったよ。賛成に0.5票いれます。
 
 この0.5票というのは皮肉でなく、まずは若者が選挙にいけよ、ということで。現行制度でも若者みんながいけば3倍票の価値くらいにはなるぜ。
 本人の意思で選挙力を弱くしているのに、なんで他人がおせっかいに助力をするのか、という意味の半票減です。ほんと、入学式についてく親、就職セミナーに出る「親」と一緒のレベル。
 10歳を越えて甘やかせばスポイルされる。時代を問わぬ真理ですぜ。
 逆に、ヨイヨイの年寄に2票与えて、若者の背水の陣を期待したほうがいいな。

 とはいえ、私はこの差別化には気づきませんでした。さすがの評論家です。脱帽。
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