リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

『歴史としての支配』その他の本のお知らせ

2016-04-30 16:54:47 | 「歴史としての支配」
 隈の『歴史としての支配』が「現在入手できません」というサイトがあるそうです。詳細は不明ですが。
 こうした場合、その他の隈の本を含めまして、本人から送れますのでご一報ください。
 下記アドレスから星をアットマークに変えてください。
 dantes★to.707.to
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『歴史としての支配』 内容一覧

2016-02-06 12:24:48 | 「歴史としての支配」
 というわけで、2月10日発売予定ですが、ネットに題名が挙がってきていますので、内容というか目次を上げさせていただきます。
 なお、隈のHPの「本の紹介」ページに、もう少し言葉で書いた概要ものせてありますので、そちらもご参照ください。

 以下、

**********

 本論は、人間が営んできた自由の進展の歴史過程を再構成することで、第1に、全体社会の変更という、人間史に必然的な未来を明らかにし、第2に、人間が獲得すべき支配なき絶対自由の社会の道を示す。
 ついで、人間がこれまで受け続けた疎外からの脱却の過程を描くことで、人間が持ちうる二種の意義を明らかにする。第1に普通の生活を続ける人間であることの意義と、第2に、これと等価に存在する、変革の意志を持つ人間であることの意義である。
 本書は、社会科学の書であり、従ってその上なお、人間存在の書であろうとしている。


はじめに
緒論 
 第1節 社会科学の応用と社会の変革
 第2節 本理論の基礎である「行為の基本原理と原則」
第1章 支配と歴史の法則 
 第1節 支配  
 第2節 支配の下の人間
 第3節 人間が作る歴史の法則―行為論的唯物史観
第2章 資本主義の支配 
 第1節 資本主義における支配、または自由   
 第2節 資本主義制度下の行為者
 第3節 資本主義国家の歴史的法則、または腐朽
第3章 資本主義が内包する将来社会、または支配からの解放
 第1節 内在する変更傾向の発現
 第2節 社会変更への過程
 第3節 支配からの解放から人間の解放への論理過程
おわりに


 さいごの第3節の「から」「から」は後で気づきました。ひどいもんですが、そのときは冗談にと思ったかもしれません。人知れぬ冗談をいうのは、癖で。
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本来の疎外理論の立場

2016-01-30 13:31:56 | 「歴史としての支配」
 こんにちは。重たい冬空はいやですねえ。
 アルバイト再開後2週間、さてこの間の自分の仕事は、と見直してがくぜん。原稿用紙1ケタしか進んでない(ポイントしか書かないせいもあります)。この生活はどうもダメだ、と決めここに記録。物事が終わるとすぐどうだったっけ、と忘れちゃうんで。

 さて、相変わらず世間では、わざわざ一言添えるべきことはトリビアなことしか起きず、本日はマニアックな方むけ本読み関係で、佐藤優を褒めます。
 
 まずは、広松渉の『エンゲルス論』 。 これはすでに勤労時間入りで気晴らし用に意味もなく漫画の代わりに借りたのですが、どうも腑に落ちない点があって。まあ、どうせ気晴らしだから、と思いつつ、でも蔵書検索に引っかかった佐藤優の本も読んでみよう、どうせ気晴らしだし、と「共産主義を読みとく いまこそ廣松渉を読み直す『エンゲルス論』ノート」 を借りました。
 ら、おおすごい、佐藤優の面目直しの優れ本。面目って、とりあえずわたしの悪口分だけですが。 ともかく、腑に落ちなかった点がきれいにさばけている。本の題がおおげさでインチキに近いですが、要するに「エンゲルス論ノート」。
   《腑に落ちた主な点》
 1 広松の論だと、清教徒若きエンゲルスがやけに簡単に信仰離脱してしまっていて、なんじゃこりゃ、と思うわけですが、佐藤に言わせると、実は解脱なんかしてなかった、死ぬまで信仰者だった、と。まあ、この要約は端的に言いすぎですが、なるほどの説明を加えております。
 
 2 わたしには広松の相互関係主義は全く意味不明、なぜマルキストがそんな無規定的な話をするのか想像不能だったのですが、佐藤の整理によると、実は広松は「本来の人間」なしで科学理論を作りたかった、その志向の先の苦肉の策なんだそうです。へええ。まあこれは知ってる人は知ってるのかなあ。でもそれが分かりやすく説いてある。佐藤の議論はわかりやすくてよいですね。 そういえばわたしなど、18歳のみぎり読んだ『マルクス主義の地平』か『『唯物史観の原像』だかで(両方ともとうに捨てた)、エンゲルスを見直したうえ(サルトリアンだったのでエンゲルスはアホと聞かされてました)、「本来の人間」 論はだめ、と刷り込まれたんでしょうねえ、広松のことを著作・論文で褒めたことがないのは失敗だったかも。おかげさまで、というべきか。
 
 3 これは広松とは関係がない佐藤の趣味ですが、疎外理論者の多くが持つ、宇野の「労働力は本来商品として生産せられるものではない」のに「労働力が商品として売買せられ」る論への賞賛。まあ、これは近似点はわかるけど似てるだけだろと思っていましたが、佐藤の説明はわかりやすい。あっそうなの、みたいなもんで。
 
 ともかく感心。上記には当たり前のことを省いてありますが、普通の人向けでは他にもいろいろ。広松のエンゲルス論は私のようなエンゲルスファンにはわかりやすいですが、普通の人はぜひ佐藤の当該書をセットでお読みください。「共産主義」 なんか読み解いてないですけどね。佐藤のいいところがとてもよく出た本。キリスト教の知識、体験と、主体的な読み込みとその我が物化のことです。
 
 佐藤にはこんどホロコーストのプロセスを書いて欲しいなあ。絶対借ります。わたしなど「肉食人種」と揶揄するしか理解不能なところがありすぎで。
 
 というわけで今日のお題、本来の疎外論とは。
 およそ科学では広松の言うとおり「本来こうあるべき人間」 などという根拠のない話を始めてはいけない。しかし、始めたくはないが、一方で現実に人間には疎外というものが存在する。まあそんなもののない幸せな人間もいるのでしょうが、そんな人々はわたしとは関係がない。さて、では「本来」 論なしの疎外理論というのはありうるのか?
 残念ながら佐藤優があるわけがないといい、広松も見つけられなかった「本来の人間」なしの疎外論。
 それは「あるべき」人間の姿ではなく、現にある人間から引き出すしかない。
 『「引き出す」といって、疎外されてるんだから、ないところから引き出せるわけがないじゃないか、、、』
 
 数少ない『行為の集成』 の読者の方がお分かりですが、それは「行為」という過程そのものの分析からでてくる。 
 かくて、本来の疎外理論、すなわち、「神」にも、「関係」の無規定性にも逃げない疎外理論は、隈にしかできていないことが判明します。
 被支配者を襲う疎外の解明とその解消の理論、それは隈著 『歴史としての支配』 をご覧ください。2月10日発売予定です。
 
 以上宣伝でした。
 
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『歴史としての支配』

2016-01-21 20:49:22 | 「歴史としての支配」
 本日は、ブログというよりもご紹介。
 さて、「出きたのに出きない」とか、「いやホームページに出したよ」とか、「都合によってHPのページは閉鎖中」とか、この2年間いろいろ雑音を重ねました、『行為の反逆』、改め『歴史の中の行為』、改め『歴史としての支配』。お待たせしました、合同フォレスト・合同出版の皆様のご努力をいただき印刷所へ。まずは、ネットに出現のご報告です。発売予定日 2016年2月10日。 

 皆様におかれましては、できうれば冷やかしでよろしいのでちょっと手にとっていただければ幸せです、って、書店の店頭にはでないのでご注文になりますが。でも『行為の集成』の半額で、暴利もなにもなし。(注:そうはいっても『行為の集成』も申し上げましたようにもうけは数円の予定でした)
 ネット上、内容紹介が出てませんが、皆様にはご承知のように、 
 
 《今日も現実に生きている生活者の行為とは何か?
 有史以来の支配社会の歴史の中で、人間が受け続ける疎外とそこからの脱却の道筋の真実を、今明らかにする、隈 『歴史としての支配』。
 同時に、歴史の中で人間の歩むべき道をも、明らかにする。》
 
 、、、これじゃあよくわからないか。HPから拾ってきましたが。もうすこし具体的に書かないとね。
 ただ、仕事が「早く寝たい」と言うので、本日はパス。
  (現物が出来上がりましたら、その折に載せさせていただきます)
 
 ともかくも、支配とその解消に関係することは全て載っています。「1冊でかよ」 ってそうなので、ちょっと読みづらい。まあこのブログのようなもので、よろしくお願い申し上げます。
 
 
 それにしても、こう麗々しく世間様の前に出たのも初めてで、これならもう少し抑えて文章を書けばよかった。というか、書ければよかった、というか。できなかったことを後悔しても始まらないので後悔しないようにしてまして。でもブログに他人の悪口をさんざん書いた翌日の心境。ここ(ブログ)だとふつう、「トップページ変更」と宣言して埋め草を載っけるところです。
 『行為の集成』は、その元本たちがあって、そちらで発散してますから、したり顔でアカデミックに書けてよかったんですが。
 でも、ということは、今回は、前回元本たちに分散してしまった面白さが、読者の方々にもろに伝わってくるともいえます。私の元本たち、ほんと面白いですよ。

 ともかくもこういう本ができた良し悪しはトータルで評価せざるを得なく、人の悪口を書き飛ばす根性がないと書けない本だ、ということでまとめておきます。こういう仕事はアタマの良し悪しではなく、根性でするものですから。
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新刊『歴史の中の行為』できました

2014-10-25 09:25:37 | 「歴史としての支配」
 こんにちは。

 常連の方にはおまたせしました。もちろんお待ちではないでしょうが、いちいち現状を報告されるのもうっとおしい、出すなら早く出せよ、という意味でお待たせの隈最新刊、『歴史の中の行為』発表さる!、、、「え~~、題違うし、、、」 なんて、おにいさん、いいっこなし。
 予定の『行為の反逆』は官憲の圧力に負ける中高年旧構改左翼や右も左もわからない商業中立ねえさんの存在により出版をあきらめました、って何の意味か。ともかく生まれない子はわたしが大事に守ります。だれにも触らせるもんか。
 というわけで、改題 『歴史の中の行為 ―人間の絶対自由の社会へ』 です。
 どこが違うって、そりゃ題以外は主観的にしか違わないのですが、主観を除いたら詩人なんざ存在価値はありません。
  って、わたしゃ詩人じゃなかったでしたっけ。
  
 ともかくも、本書、ロハで、隈のホームページにて公刊です。ロハってタダってことね。
 これもいまだにリンクの仕方もわからない、のか、はじめからリンクできないのかもわからない。ブログってホームページと作りが違くてよくわからない。
 さしあたり隈のホームページへのリンクがこのブログの左端にありますので(「ブックマーク」というところです)、そちらからトップページ経由で移動してくださいますか?
 隈のホームページのトップページまでいっていただけば、そこにダウンロードサイトへのリンクを作りましたので、トップページからすぐいけます。

 (その後:それもなんなので「教えて!goo」で引いたら、
  なんだ、リンクの仕掛け、すぐあんじゃん!
  7年間知らなかった。(しかもHTMLエディターが付属してたって。ぜんぜん知らん)

  というわけで、『歴史の中の行為』配付ページ、こちらです。)

 しかも、スマートフォンで見れるかのように。
 「かのように」って変な言い方? 見れると思うんだけどねえ、、、なにしろわたし、携帯もスマートフォンも持ってないのでよくわからない。PDFなのでスマートフォンの方はそれ専用のソフトが、付属しているか、またはそれぞれの機種にフリーで用意されているようです。

 ま、ともかくも、ご自由にダウンロードしてくださいませ。
 出版とか言わずに初めっからこうすりゃよかったのかもね、本にしたって、わたしには1冊何円(一ケタ) かしか入んない予定だったしね。
 ただ、紙の本のほうが圧倒的に読みやすい。前著『行為の集成』は文章が難解なので紙の本でないと無理。
 今回のは前と比べたら雲泥に読みやすいです。とくにアナーキストの方にはお薦めです。(上のリンク開くとすぐ「アナキズム」なんて単語が飛び込んできて、どっきりしました。わざとホームページの日陰に隠しておいたのですが) ぜひご一読を。
 プリントアウトもできますよ。

(P.S. すいません、加筆修正後が本になったもので、現在PDFは取り下げております。出版社さんに迷惑が掛かるもので。悪しからずご了承ください。なお、ご希望の方はメールでご連絡ください。)
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