リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

退職日の感謝

2014-03-31 20:50:09 | コーヒーブレイク
 みなさまに感謝。

 それぞれに、それぞれの感謝を綴ることができないので、ただ、感謝。
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昔とは、その3

2014-03-30 20:57:01 | コーヒーブレイク
 こんばんは。東京地方さえもひどい春の嵐。桜の花びらの元気な頃でよかった、散らなくて。東京地方中部南部は関東山地に守られて、自然現象にはだいたい無事なんですけどね。

 さて、コンピューターと将棋指しの電王戦第3局。ようやく人間が勝ったとか。
 それにしても掲示板等の将棋ネット情報は言いたい放題。ああゆう奴らは俺らなんかみたいな普通に将棋指しという人間を人間として感じる部類とは発想が違いすぎて、一緒になる気になれん。下品。ないし、人間を動物扱いする毛唐。
 昔っから今まで、スポーツ・趣味の、見世物のような娯楽情報は、観てるほうには闘犬や闘鶏のようなストレスの解消で給料が出てたんですね。人間を動物としか見られん奴らなんか、おりゃあ嫌いだ。わたしには動物が人間とおんなじだけどね。
 (私はときどき嫌みを言いますので、「毛唐」とか「日本国民」とかっていう言葉をそのままに受け取ると誤解になります。誤解されたって別にいいけどね。、、、あ、投げやり)
 
 ま、それはさておき、昔とは、その3。
 もちろん自分でも「その3」まで書くなんて思いもしませんでしたが、やはり、36年ぶりのイベント、まだ言い忘れが。
 なんて追加する意味は、1つは、言い忘れそのもののことで、こんなことが起こるから脳力の減で。
 2つは、タイミング的にもう10年は書く時がないはずのことなので、今書いとくしかないか、と。
 
 といっても、前にも触れたことですが。
 先に人のことは書いたので、書かなかった「過去の環境」。
 過去の環境って、「建物」のことね。って意地になって限定しなくてもいいのですが。(「意地に」って意味は、都会暮らしの想い出は、私の嫌いなはずの建築物だけなので不愉快、というニュアンス。)
 「ここは昔なにそれだった」と思う環境って、建物、海辺、あるいは、街角とか、そんなものがありますよね。
 そんなものの98%って、みんな想い出に彩られた、しかし想い出にしか飾られない、シンプルにいえば「哀しい」環境ですよね。世の中、哀しくない思い出って、100分の2しかないでしょ。
 そして、それらは確認したように、人々の環境でしかない。それが哀しいのは人々が消えてしまったから。それでも、その哀しさが力になる時がある。それは、そんな過去の人々が、あるいは過去の人々のエッセンスを持った次の人々が、今も周りにいるときに。
 そうでないときには、そんな環境の存在意義はない。「ああこの広場でストライキの旗を振ったな」。そうか? そんなことはねえだろう、だって今ここには誰もいないぜ。
 
  上記について、若い人たちはシンプルに、「私の仲間たちは累積して私を形作ってくれるんだ」と思ってくださいませ。
  
  しかし、わたし自身は実はそうではない。もちろん、それに値する想い出の人たちに感謝を。
  しかし、そうでない人々に冷たい視線を。という感情は自分の力にはなるかもしれませんが、過去の環境に、その風景に、価値を与えることはありません。かくて、そんな「環境」の風景には、シンプルな「さようなら」でおしまい。
 
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昔とは、その2

2014-03-29 21:34:41 | コーヒーブレイク
 こんばんは。東京地方、突然の桜開花、明日には5分咲きでしょうか。
 
 私儀、先週に引き続き、退職イベントでしたが、それもようやく終わりました。
 おかげさまで、9割以上の友人方と旧交を温めることができました。っていうか、みんな飲み仲間だったのね。って、いまさらいうか。
 ともかく羞恥心の固まりのような人間だから、飲みに誘ってくれるような方々としかお話ができない、というか、、、まあそれは正確ではないけれど。
 
 で、この間、なにが困ったって、質問。
 「辞めて何すんの?」
 そんなこといわれたってねえ。
 わたしは単純に、体力、脳力、気力の劣化のため、多すぎる仕事を切るだけなので、新しい仕事をしたいから辞めるわけじゃなくて。
 空手と柔道の部活をしてた人が空手だけやめたって、だれも「辞めてなにすんの」とはきかないよねえ。
 
 といって、そういう本心を語るには、尋く人に普通の人が多すぎて。
 他方では、たしかに勤務仕事をやめるって、量的には「辞めすぎ」だしね。
 それ以上は、私も考えていないし。
 考えていない。そんなこと、やってもみずに机の上で(=机上で)考えることじゃないしね。
 
 てなわけで、仕事をやめるってなかなかなイベントです。
 ほんで、そんな幸せな私めの仲間たち。「過去」とはそんな人たちをめぐるエピソードの環境にすぎないけれど、他方、人は単独にいるわけではなく、かつ単独にいてもそれで人と人の交わりが生まれるわけではない。人嫌いの人は、別に他人と交わらなくとも済む。
 で、人好きな人の交わりは、客観的に言えば、まずは、仕事(=活動)(=生活)の共有からしか生まれない。それはマルクスがくだらぬ言葉を使ったような「労働」なんかではなくてね、「目的のある活動一般」での目的の共有。
 しかもそれだけではだめで、「目的のない活動での共同目標の獲得」。
 要するに、目的のある活動(=仕事)はしょうがないから一緒にやるやね。でも、それだけなら、ただの同僚だね。
 それ以上に、普段たとえば歩いているだけの行為の共有。歩いてるだけだから、そのうち面白いことがあれば、そのこと自体を共有する。「ほら桜が咲いてる、見に行こうぜ」「腹減ったから屋台のたこ焼き食おうぜ」と思わず交流する状況の共有、これが必要だ、といっております。
 分刻みで勤務するだけの職場、来てダベる間もなく追われるように仕事して帰る職場。それはああた、社長の君、早く死んだほうがいいぜ。君を除いた日本国民全員のド迷惑だ。
 
 ま、どうでもいっか。
 そんな暮らしのできた仲間たちと同時に仕事環境にも感謝。(できれば仲間たちの何人かも紹介したいところだけど、わたしなんかの知り合いとなれば、いい目に合うわけがないので残念ながらやめときます。)
 
    かくて、わたくしは2日後にやめていくわけであります。 
 
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昔とは、その1

2014-03-22 21:11:12 | コーヒーブレイク
 こんばんは。まだまだ春浅い東京地方、ほとんどの人はご存知ありませんが、私儀、3月末で勤務仕事をとりあえず終了の予定で。いわゆる退職ですね。
 36年。勤務年数ね。
 ほんとこちらの会社、わたしなんぞを入れていただいて、感謝感謝ですが。
 就活ではこっちから願い下げたところもありますが、まあ、要はほかはどこもかしこも入れてくれなかった、ってわけで。(とりわけ不愉快なのが大学書林。よくまあ、会社生き残ってますね、残念です。まあわたしの心も狭いですが、世間てそんなもんでしょ)
 ともかくも長い間、のはずも、一瞬のようでもある36年。
 やめるということもあって、あちこちで飲み会によんでくれまして。出向もありましたが、昨日もそんな出向先仲間とひとしきり。
 過去、ってなんだ、っていったら、わたしには、「私」以外はすべて「人」ばかり。
 そのときの人の衣装が「過去」ってわけで、それはわたしだけなのかなあ(=どうも9割の人は違いそう)、それ以外の過去なんてもってませんね。

 「過去」は面白くはなかったけど、おもしろかった「人」たち。
 36年、なにが変ってないって、変ってないのは、過去なんて具体的にないから、だから変ってないんだね、と知りました。
 存在したのは人たちだけだから。
 人たちは大部分同じように生きてらして、変ったのはちょっととかずいぶんとか年くっただけ。
 勤務仕事は終了しても、それだけのことではあります。とりあえず、みなさまと会えたことが満足でした。
 
 
 (もっとも、「私」を巡る過去はあって。それは一瞬の累積として、どこも「昔」なんかではなく存在し増え続けてまして。それもわたしだけなのかなあ(=どうも9割の人は違いそう)、わたしには、他の人は自分の過去なんて持ってないようにみえます。わたしらしい悪口ですが)
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図書のなかのマンガ

2014-03-15 21:49:33 | 断片
 こんばんは。いよいよ春が近づいている今日この頃、、、
 と書いて自分に違和感を感ずるのが、わたしの「今日」はそんな一般論でもないよな、みたいな感慨、、、

 ま、どうでもいいのですが、本日ネット検索して不愉快なのが、ページの題目に現れる、例の小保方さん問題が虚偽だとかいう。わたしは昔yahooにお世話になったのであれですが(あれってなんじゃ)、こんなときはgoogleを使うのがいいですね。
 
 なにが不愉快って、マスコミ屋連中、自分の金儲けのために騒ぎ立てておいて、都合が悪くなりゃ ”この巨大な問題を徹底解明を!” なんちゅう扱いですわな。
 なにが徹底解明だ。関係ねえだろ、おめえら。新聞社の寄付金でも使いこんだっていうのかよ。えっらそうに。
 
 ま、理系でこんないいかげんな論文を出すというのも初めての認識ですが、社会「科学」なんかじゃ当たり前。社会学以外のジャンルじゃ、それ以外(=いいかげん以外)ありえんちゅうスタンスなのにさ。お前ら、東大法学部教授の論文に「徹底究明」を求めたことが一度でもあんのかね、自分たちのカネ儲けとは関係ない理系論文ばかりじゃねえか。弱えと見りゃ食いつきやがって。ハイエナが。
 俺はお前という記者のことを怒ってるんだぞ。反省しろ!!
(上記内容は、表面上の引用文は狭い学者社会を生き抜くのに必須だから明記するだけで、初めから結論ありきの文をどうごまかすかだけのただの作為論文といっている。)
 
 なんて怒ってもそれは99%の読者の方々には関係ないので、すぐにやめちゃうんですけどね。わたしは元来、さだまさし如きよりもやさしい人間で。
 ただ職場でもいわれんですが、つまんないことに意地を張るという。
 まあ意地っ張りですが自分のことで意地を張ったことは過去、ゼロなんですけどね。(ほら、今回もそうじゃん) ゼロったって、べつにどうでもいい他人にそんなことわかって欲しくないし。 
 
 で、どうしようかな、今回の「ため」。
 
 このところ、「名探偵コナン」に入れ込んでまして。職場の近くの図書館グループにはあるんですが、住まいの川崎市立図書館グループにはぜんぜんなくて。恥かしくないのかね、川崎の司書。選書眼もないからマンガならなんでも一緒くたなんだね。
 ほんと一言多い。
 ま、その点偉い某区立。
 わたしとてただで入れ込んでるわけではなく、コナン君、なかなかなベストセラー要素をもっていてその資料的分析が面白い。ベストセラー要素って、アレクサンドル・デュマみたいな話ね。
 じゃあ、デュマ読めばいいじゃん、ていうことじゃなくてね、何でも苦労した人は分かるように、ベストのものを見たってわからねえ、反標本がないとわかんないんだよね、人間て。ああやっちゃいけねえ、こうやっちゃいけねえって。
 コナンちゅうのは1編をそのまんま見りゃなんちゅうこともない子供だましのマンガだけど(推理マンガというなら「金田一少年」の方がずいぶんとまとも。)、そうじゃない。これはマンガ絵形式の小説。さらに、詩的でもあって、青山剛昌という人が文字で万感を込めんしてと「1」コマを描くというのが、わたしのような詩人くずれの中高年にはなんとも共感的で。
 これで、「かんけえねえ」のが子供相手のエピソード「推理」編。
 こんなもんなきゃ図書館のお世話もかけず自分で古本屋でセットで買うんだけどね。
 ただ、それによって2割にやせ細った小説マンガの大きさがどれだけ父デュマに迫れるかというと、それは覚束かず。やっぱその他のガキ用のマンガ編の群も必要なわけですな、本質的には。「本質的には」というのは、それにしても長々とやりすきだぞ、ということをいっておりますが、まあそれこそ外野の勝手な言い分。書いてる本人は必死ですからね。
 (ついでに一言多く言うと、なにが「小説」的でいいかって、ひとびと人生を賭けてるとこがいいね、男っぽくて。なにが男だよ、って、いやみっぽいけどね。いや、ここんとこじゃ上野千鶴子せんせ、嫌いだけどなかなか男っぽくていいよね、女性の方もそうでなくちゃって気がするんだが)
 
 というわけで、とりわけ40歳を過ぎたあなた、コナン、セットでお奨め。 一方、こどもには無駄なので、勉強でもスポーツでもさせてください。マンガ一般とノベライズは、人生を論じてないから図書だとは認められませんからね。(というわけで、題にコナンを出すと関係ない人が来そうなので、ぼかしました)
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人為的な制度の変更手段

2014-03-08 21:30:48 | 社会学の基礎概念
 こんばんは。いやはやここのところ体調悪くて失礼を、なんて自分だけの思いでしょうが。
 おかげさまでようやくシンプルな後期花粉症的喉疾患だけになって。
 それにしても、今回、医院内科医というのもどうだかな、という気がしますね。わたしは病院内科医、小児科医、外科医を尊敬しておりますが。
 市井の医者系というのは、「空気通す」で生きてる耳鼻科医とか、目のシステムも理解していない眼科医とか、歯肉疾患も知らない歯科医とか、対収入比で許せない人々ばかりですが、それに内科医もいれちゃいたいくらい風邪系一つ治せない。たかだか風邪症状くらいどうにかして欲しいものです。薬貰っても治らないので(今回抗生物質ナシ) わたしゃもう一生治らないのかと思ったくらいです。
 
 なのに今わたしが元気なのは、って、そりゃウイスキー・ロック様のおかげですね。
 ルゴール液なんて、数時間に1回うがいしたって焼け石でしょ。医者に原液で喉肉抉り取ってもらえば別ですが。
 それよりウイスキーダブル2杯あれば1時間に10回以上咽頭を殺菌してくれますから。それこそ、根絶やしでしょう。ウイスキー様々。(といったら、それは酒飲みの自己弁護だ、ともいわれましたが。でも論理的じゃないですかね。)(なお、日本酒は効きません。経験的には、マイナス要因)

 
 で、この間、ふとほんとかよ、と思ったのが、落語家が言う
 『ご飯を食べるのに梅干を見てすっぱくなるのをおかずにしてご飯を食べる、まぁ、いろんなけちんぼうぶりが並んでいるのがこの「しわい屋」である』
 http://blog.livedoor.jp/babatune06/archives/52237246.html様参照。

 ほんとかよ、というのは、うそだろ、という意味ですが。
 読者の方々は梅干を「見ると」つばきがでますか?
 わたしは。その1、過去数十年、梅干を見てつばきがでたことなどございません。
 しかし、その2、病中の先日、梅干が食卓に出て、「ああこの匂いなら、ごはん1杯食えるな」と思いました。ポイントは、見た目じゃなく酸の匂い。その時点で「見て」なかったし。
 見ただけで味が喚起されるなんて下町の方々は高級なんですね。
   もちろんただのいやみですが。
   落語家って、常に人の言った言葉のオウム返し、イデオローグ=デマゴーグですよね。だから悪いとは言いませんが。
   
 もっともわたくし儀、病中といっても1日も休まなくてすむので、ぜんぜん同情をひかない。「Kさんは年に似合わずなぜか元気」ですんでしまう。元気じゃねえよ。
 
 さあて、本日の話題、今回はこちらへ来るはず人では多いはずの左翼あてで。
 このまえテレビ見てたら、中国人左翼が、中国人国家右翼に対し
 「80年代までは国家中央は『国内階級闘争を』と主張していたが、そのころは中国には階級などなかった。しかしその後『階級闘争』の語は消えた。言葉は消えたが、それ以後、中国には階級が出現した」
 と不平をいってらっしゃいました。
 
 でさ、また誰も知らないことをいっちゃいましょうか。
 
 (これは、中国共産党高級幹部の陰謀ではなくて)
 階級というのは「支配」システムの現象形態です。
 しかし、この現象はシステムそのものではなく、「制度」によって形作られていますので、支配階級とその権力的=法律的組織体が変更になってもすぐに現象が変化するわけではない。
 制度を変化させるのは、運動を通じなくてはならないからです。
 
 ここで資本主義では人民にその任を負う必要はない。ほっといても資本家たちが自主的に行動の自由を主張するからです。そしてその自由は、過去の制度をまたたくまに切り崩していく。
 しかし、国家計画経済ではそうではない、国家は資本家に割り当てを行うが、資本家は自由の意思のもとにサボタージュを行う実力さえある。極論すれば、国家はなにも変えることはできない。(問題が、地主と「旧地主制度」でも同じこと。土地所有権を国が取り上げても、地主制度にまつわる関係は消えない。)
 毛沢東はそこをよく理解していた。本当に理解していたのは参謀Aかもしれませんが、毛沢東を頂点とした人々は、ともかくも、人民の運動なしに「階級現象」を変えることはできないと知っていた。かくて、「民主」国家武力は、その武力の実体である人民に命ずる。「いうことをきかない資本家階級を(あるいは農村有力者を)支配下に置け」
 それが、レーニンおよび毛沢東の実践的苦悩、あるいは彼および彼が、そして他の新しい権力者Aが、生きていく中で背負った憎悪です。
 
 で、その後、制度が計画経済的にあるいは資本主義計画的に、矯正されれば、階級などあろうがなかろうが国家には関係がなくなる。かくてそんなスローガンもなくなる。たまたま階級があるから文句も出やすいが、しかし、国家イデオロギーの本質はそこではない。
 
 
 という左翼あての言葉も、分かるのは今じゃ左翼が100人いて1人でしょうけどね。
 ま、1人はわかるはずなので書いておきます。
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春近いので

2014-03-02 17:16:49 | 不定期=中途半端
 こんにちは。本日は、きのうまでの仕事からきたストレス性花粉症的咽頭炎により熱がありやる気が出ません。花粉症って鼻炎から目炎に移って、40年も経つとのど粘膜に移行するんですよ。発症後40年経った人が少ないので知られてはいませんが。って自分のことだけですが。きのうは仕事中、39度は行った気が。ちょっと休憩しようと思ったら、仲間に「もう限界だからちょっと休む。よろしく」なんていわれて、まあ、早いもん勝ちだから。
 
 ともかく、というわけで今日はお休み。
 
 まあいいわけに、ちょっとは一部の人に役に立つブログ。
 王将戦5局、ひいきの渡辺9段が勝ったようだけど、レベルの低い観戦掲示板によくでてくる将棋ソフトって、考えてみるとインチキだね。
 コンピューターソフトにその時点の形勢判断なるものをさせて、今どっちが優勢とかいってるんだけど、そんなんありえないね。コンピュータ計算上では「こっからならこっちが100%勝つ」というのがありうる唯一の形勢判断だよね。どっちが優勢なんてアナログな話は、人間の物まねをさせているだけ。
 なにを根拠にそんな話ができるのか。そりゃ評論を売り物にする将棋ソフトがあったっていいけど、それと正確無比な神的「コンピュータ的計算」とはまったく関係ないし。
  
 まあ今ごろ分かったか、といわれそうですが、わたしゃぜんぜん興味なくて。

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