こんにちは。まだ暑くて彼岸花が10日遅れているそうです。にもかかわらず私の目鼻は花粉症、若いので暑気あたりもするうえに喉もやられ、4日にいっぺん風邪薬。これが効くんだ。とても気持ちがいい。
今年は家(マンション)の周りでカラスウリの花が豊作で、葉っぱにでかい天道虫、と思ったけれどコートのような羽に隠れた黄色いスカートは何? と思ったら、クロウリハムシでした。これがとぼけて可愛い顔をしてるんだ。草食だからいい虫。
さてニュース。
おとといは趣味の将棋で私のひいきの木村九段という人が王位というタイトルを取って、とてもうれしい。
「将棋の八大タイトルの1つ、王位戦で、46歳の挑戦者、木村一基九段がタイトルを持つ豊島将之二冠を破って初めてのタイトル獲得を果たし、初タイトル獲得の最年長記録を46年ぶりに更新しました。」(NHK)
人格者なので、将棋の5チャンネル掲示板は「おめでとう」の嵐で瞬く間に千行が費やされ、5ちゃんの住人はみな隔離患者だと思っておりましたが偏見のようでした(「隔離患者」と使うこと自体偏見ですが)。家族のことを聞かれて本人も涙を流してたそうですが、応援のしがいもあります。
次。
「ニンジンの皮もおいしく! 増税に勝つ食べ切り術」(日経)なんてのがあったそうです。2%増税は、野菜の皮まで食って乗り切れと。
会員用記事なので題だけ。アカハタで指摘されてた。ったく。産経以下じゃないかね。40年前は良識の日経と言われていたのに。
さらに。
「関電原発問題で高浜町は「調査する考え無い」金銭授受は元助役が一個人として…」(MBSニュース)
知ってる? 人から聞いて、カネを高浜町が貰ったと解釈したら、町が企業をゆすって関電にあげたんだって。びっくり。これからの高浜町の原発災害に同情の余地などありませんな。まあゆすったかお願いされたかは知りませんが、町の発展を思ってのことでしょう、死人に口なし。しかし、一人でやったというのも経験知にはありませんな。
さて、本題は珍しく年寄り用。
いつもながら、アベはやりたい放題、洗い物しててニュースを後ろで聞きながら、これって、若人は悲惨じゃないかね、と思って。
日米貿易協定、無反応。
温暖化、無反応。
原発裁判、無反応。
反対するという反応が全然ない世代ってなにさ。
「そんなこといっても悪くないし」という人はどうでもよくて、世の中ってそういうものじゃない。基本、自分に悪いことには反対したくなるもんだがね。もちろんヘーゲルが言ったとおり世の中の物事には必ず道理があるので、いくらでも「悪くない」理由などつけられるのだけれど、若人がそんな複雑な社会の事情など分かるはずないじゃないか。結局、そもそもが自分にとっては悪くないと思っているのだろ。そうとしか思えない。
牛肉が安く輸入されようが豚肉が売れなくなろうが海面が上がろうが北極の氷山が消えようが九州にスコールが降るようになろうが公共施設で思想表現が不可能になろうが、まあ別に自分には悪くない。
これは、悲惨。
鉄鎖に巻かれた労働者の最後に残った自由は感受性なのに、それも麻痺すれば、人民は人間でもない。
と、まずは年寄り的反応の前提を書いておきまして。
はたしてそうか?
って、おめえが書いたんだろ、ですか? さいで。
でさ、年寄りは、昔、若人のとき、評論家に三無主義とか言われてたのを思い出してください。現実はそうだったですかね、紛争世代後期。違うんだよなあ。
何が違うって、反抗の諸形態が違う。違うから世代が違えば理解できない。60年安保から60年代末組の反抗は、おしゃべり。秩序正しい理論闘争、と言えば聞こえがいいが、学者、評論家の物真似(注、学者はみんな左翼だったからね)。69年以降の世代の反抗は、全ての反権力行動への参加。参加するだけでおしゃべりは無縁。おしゃべりしないから上の世代には分からない。
なんで違うんでしょう? 人間は自分が知っている反権力行動しかできないのです。68年にすでにアホと分かった学者評論家など真似する意義がない。他方世の中では、反学者・教師・評論家はもとより文化のすべてについて、反権力反権威の行動が満ち満ちている。「われわれ」はこの他人の行動を真似してこれに乗ればよかったのです。言葉など要らない。
と、誰も知らなかったことをまた言ってしまった。
もう少しで死んでしまうのも惜しい人だね。隈のことですが、念のため。
で、戻ります。
無反応とはなにか。現在の年寄りたちにとっては、反論のおしゃべりも、デモ・集会もしない、これが無反応。しかし、そうではない(はずだ)。
なんで? 上に述べました。反抗の諸形態が違うのです。
若人の知る自己の権力行使の方法は、アベが行う権力行使であり、各種ネットの投稿攻撃しかないのです(ほかにあったら教えて。家庭内暴力? 通り魔犯罪? 別にばかにしてませんが)。しかして、独裁的であればあるほど権力者は好まれ、年寄りは顔をしかめようがネットの個人攻撃はやまず、年寄りが顔をしかめるだけで使わないから、ネットでウヨクがはびこる。
左翼はこの状況を真剣に把握しなければいけない。武力闘争は常に残るだろうが、もうデモや、なんだら集会の時代ではないのだ。なんていうと老害は、「ではウヨク、自民党をネットで理論的に潰す」くらいしか考えられない。そうじゃないんだと言ったばっかりなのにね。若人だって、アベや抑圧的社会に対して自己権力を行使したいのだ。イデオロギーを並べたてたところでそんなものでは権力行使にならないのは、若人は直感的に知っている。老害は、左翼若人に左翼的なネットプロパガンダの作法を教えてもらわなければ。それもできない老害は部屋にこもって社会移行の青写真でも書いているのがいい。
ま、自己権力の行使とはこういうものだ、と党派的に見本を見せて教えてやるのも、理屈上あるけどね。そんな力量あるんかね。あったら教えて。
今年は家(マンション)の周りでカラスウリの花が豊作で、葉っぱにでかい天道虫、と思ったけれどコートのような羽に隠れた黄色いスカートは何? と思ったら、クロウリハムシでした。これがとぼけて可愛い顔をしてるんだ。草食だからいい虫。
さてニュース。
おとといは趣味の将棋で私のひいきの木村九段という人が王位というタイトルを取って、とてもうれしい。
「将棋の八大タイトルの1つ、王位戦で、46歳の挑戦者、木村一基九段がタイトルを持つ豊島将之二冠を破って初めてのタイトル獲得を果たし、初タイトル獲得の最年長記録を46年ぶりに更新しました。」(NHK)
人格者なので、将棋の5チャンネル掲示板は「おめでとう」の嵐で瞬く間に千行が費やされ、5ちゃんの住人はみな隔離患者だと思っておりましたが偏見のようでした(「隔離患者」と使うこと自体偏見ですが)。家族のことを聞かれて本人も涙を流してたそうですが、応援のしがいもあります。
次。
「ニンジンの皮もおいしく! 増税に勝つ食べ切り術」(日経)なんてのがあったそうです。2%増税は、野菜の皮まで食って乗り切れと。
会員用記事なので題だけ。アカハタで指摘されてた。ったく。産経以下じゃないかね。40年前は良識の日経と言われていたのに。
さらに。
「関電原発問題で高浜町は「調査する考え無い」金銭授受は元助役が一個人として…」(MBSニュース)
知ってる? 人から聞いて、カネを高浜町が貰ったと解釈したら、町が企業をゆすって関電にあげたんだって。びっくり。これからの高浜町の原発災害に同情の余地などありませんな。まあゆすったかお願いされたかは知りませんが、町の発展を思ってのことでしょう、死人に口なし。しかし、一人でやったというのも経験知にはありませんな。
さて、本題は珍しく年寄り用。
いつもながら、アベはやりたい放題、洗い物しててニュースを後ろで聞きながら、これって、若人は悲惨じゃないかね、と思って。
日米貿易協定、無反応。
温暖化、無反応。
原発裁判、無反応。
反対するという反応が全然ない世代ってなにさ。
「そんなこといっても悪くないし」という人はどうでもよくて、世の中ってそういうものじゃない。基本、自分に悪いことには反対したくなるもんだがね。もちろんヘーゲルが言ったとおり世の中の物事には必ず道理があるので、いくらでも「悪くない」理由などつけられるのだけれど、若人がそんな複雑な社会の事情など分かるはずないじゃないか。結局、そもそもが自分にとっては悪くないと思っているのだろ。そうとしか思えない。
牛肉が安く輸入されようが豚肉が売れなくなろうが海面が上がろうが北極の氷山が消えようが九州にスコールが降るようになろうが公共施設で思想表現が不可能になろうが、まあ別に自分には悪くない。
これは、悲惨。
鉄鎖に巻かれた労働者の最後に残った自由は感受性なのに、それも麻痺すれば、人民は人間でもない。
と、まずは年寄り的反応の前提を書いておきまして。
はたしてそうか?
って、おめえが書いたんだろ、ですか? さいで。
でさ、年寄りは、昔、若人のとき、評論家に三無主義とか言われてたのを思い出してください。現実はそうだったですかね、紛争世代後期。違うんだよなあ。
何が違うって、反抗の諸形態が違う。違うから世代が違えば理解できない。60年安保から60年代末組の反抗は、おしゃべり。秩序正しい理論闘争、と言えば聞こえがいいが、学者、評論家の物真似(注、学者はみんな左翼だったからね)。69年以降の世代の反抗は、全ての反権力行動への参加。参加するだけでおしゃべりは無縁。おしゃべりしないから上の世代には分からない。
なんで違うんでしょう? 人間は自分が知っている反権力行動しかできないのです。68年にすでにアホと分かった学者評論家など真似する意義がない。他方世の中では、反学者・教師・評論家はもとより文化のすべてについて、反権力反権威の行動が満ち満ちている。「われわれ」はこの他人の行動を真似してこれに乗ればよかったのです。言葉など要らない。
と、誰も知らなかったことをまた言ってしまった。
もう少しで死んでしまうのも惜しい人だね。隈のことですが、念のため。
で、戻ります。
無反応とはなにか。現在の年寄りたちにとっては、反論のおしゃべりも、デモ・集会もしない、これが無反応。しかし、そうではない(はずだ)。
なんで? 上に述べました。反抗の諸形態が違うのです。
若人の知る自己の権力行使の方法は、アベが行う権力行使であり、各種ネットの投稿攻撃しかないのです(ほかにあったら教えて。家庭内暴力? 通り魔犯罪? 別にばかにしてませんが)。しかして、独裁的であればあるほど権力者は好まれ、年寄りは顔をしかめようがネットの個人攻撃はやまず、年寄りが顔をしかめるだけで使わないから、ネットでウヨクがはびこる。
左翼はこの状況を真剣に把握しなければいけない。武力闘争は常に残るだろうが、もうデモや、なんだら集会の時代ではないのだ。なんていうと老害は、「ではウヨク、自民党をネットで理論的に潰す」くらいしか考えられない。そうじゃないんだと言ったばっかりなのにね。若人だって、アベや抑圧的社会に対して自己権力を行使したいのだ。イデオロギーを並べたてたところでそんなものでは権力行使にならないのは、若人は直感的に知っている。老害は、左翼若人に左翼的なネットプロパガンダの作法を教えてもらわなければ。それもできない老害は部屋にこもって社会移行の青写真でも書いているのがいい。
ま、自己権力の行使とはこういうものだ、と党派的に見本を見せて教えてやるのも、理屈上あるけどね。そんな力量あるんかね。あったら教えて。