リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

短歌2件

2017-09-30 10:49:32 | その他
 こんにちは。秋晴れが続きます。土日お休みの人は良いですね。もっともまだ季節は中途半端。目がかゆくなくなるときがほんとの秋。それまでは国立博物館の運慶でも。しかし、税金運営のくせに高いですね。自民党が「映画館並みに」というんでしょうが、文化の価値がわからねえ文化省。ああ文科省か、じゃあしょうがねえ。
 なお、可愛いシャンシャンちゃんは12月まで待たないと見れません。パンダの赤ちゃんは夜泣きしないんだよね、多分。可愛いから。

 さて、本日はいやもおうもなく選挙テーマでしょうね。
 そうそう面白いテーマでもありませんが、あいつ何言うか、みたいな興味はおあり? 私は他人にはあるもんで。
 というわけで、いよいよ保守1党政治の始まりです。戦後はようやく終わりました。時代が変わるには1世代じゃ足りないんだね。人が死ぬまでかかるんだ。
 それにしても理念も何もない奴らばかり。いつのまにやら全員改憲派だよ。政治家はみんな舌を抜かれるな、なんて人類不変にして普遍の真理だね。
 その点、小池なんか偉いな、大人になってからは絶対保守を守って。 
 「小池百合子代表(東京都知事)は29日の記者会見で、衆院選に向けた民進党からの合流について、憲法観や安全保障などの基本政策で一致しない場合は「排除する」と明言した。」(JIJI.COM) そうら、バカじゃないだろ。前原とか、2流のバカだ。そんなのを代表にした民進党など、解党当然。というわけで気づいたのが、、やはりIME(日本語辞書)更新してんだね。私のは、本来、word2000のIMEなのだけど。民進党、出たよ。
 元に戻って、結局今のところ、保守と革新の差は「憲法観や安全保障など」だそうです。なんとも情けない差だ。憲法改定されて差は一つ消え、さらに国防軍が増強されたあかつきには、差はゼロかい? 挙国一致国会だね。反米か親米の差になるのかな? で、誰が非正規労働者を守ってくれんだい?
 こっちは偉いぜ、「ゲート前には鳩山由紀夫元首相が駆け付け、市民らと共に座り込み、機動隊が市民を強制的に移動する様子を確認した。、、『米国の言うままに動かされる、まさに現在の日本の政治の姿だ』と指摘した。」(琉球新報)
 おう、腐っても鳩山ではないか。70歳、がんばれ。みんなよってたかって民主党の悪口を言いやがって(私は嫌いです)。根性だぜ。
 というわけで面白くありませんが私は泣きません。ご存知のように想定内。「なんだ、やっとか」と思ってんだろ、って? そうです。ただ急変はちょっとびっくり。理念のない奴らのやることは、時期が読めない。
 
 さて、お口直し。 
 学生さんはわかんないか。「もやし原料豆価格の高騰を販売価格へ転嫁できず、、破産申請へ」(東京商工リサーチ)だと。なんじゃこりゃ。スーパーってそんな偉いのか。偉いんだろうけど。独占禁止法にひっかからないのか。なにもモヤシ1袋、20円、30円で売る必要はないじゃないか。消費者談。
 でも、昔から農業生産者は商人の言い値だったんだってねえ。酒井惇一(「随想・東北農業の七十五年」)。本じゃなくてブログ。面白い。面白いけど長い文が山のようにあるのですごく読みづらい。本にしないかなあ、、、亡くなったら消えちゃうのかなあ、、まあこっちが先かもしれないけど、社会学の若い人に読ませたいものです。元東北大農学部資源経営経済学教授とのこと。モヤシよりこっちの紹介がテーマね。長いけど文章は読みやすいです。山形県農村の昔語りも多くて、年寄りはここには来てないだろうけど、懐かしい人もいるかも。

 次、ネットに話題、鳥居歌集『キリンの子』。そんな人がいたのか。鳥居が姓名。筆名だけど。去年の朝日新聞に載ってたって、知らん。勤務中だったし。
 いつもの詩評論の人のブログがないんで、ご紹介は、 花山周子という歌人の文から。
 
   入水後に助けてくれた人たちは「寒い」と話す 夜の浜辺で
   駅前で眠る老人すぐ横にマクドナルドの温かいごみ
   大きく手を振れば大きく振り返す母が見えなくなる曲がり角
   壊されてから知る 私を抱く母をしずかに家が抱いていたこと
 
  ううん、すなおなひとりごとを。選んだ人のせいではありますが。
 
 花山氏の紹介の続き。
 「濱松哲朗が次のように指摘していて考えさせられた。」「鳥居の歌は、(略)その際立って特徴的な物語にもかかわらず、すんなりと読めてしまう・・・・・・・・・・・のである。」
 
 実はこれらの鳥居の歌は、ネット情報の紹介ものの中でマイナー。
 短歌人というのは詩人じゃないからね。そうそう良いものを選べやしない。
 と思えば、花山周子という人はなかなかの詩人です。ちょっと本人の歌探してネット開けてみた。じゅうぶん。あと、感情が深ければ最高。深くないけど、それは本人のせいじゃない。谷内修三氏に評させたいものだ。これが花山氏のもの、
 
    音楽のように生きたい」英語の授業に眠りつつ聞く
    ゴキブリをたくさん殺しし夜の明け朝焼けを見に家を出でたり
 
 と思えば、前掲2者をブログで評してたのを読んだ東郷雄二という人は、わたくしども詩人とは縁なき衆生だね。たいした和歌人か、そんなこたあ知らないが。
 といって、バカじゃない。氏いわく「花山の構成意識の低さのもうひとつの理由は、花山が「ことば派」ではなく「人生派」の歌人だからである。ことば派は言語の世界が紡ぎ出す形式美を追究し、人生派は日々を送る〈私〉の感情を歌に盛ることを重んじる。」
 わかってらあ。しかし、ここに東郷氏の持つ一抹のコンプレクスを感じるのは私だけだろうか。
 多分そうなんだと思うよ、わたし的、人生派としては。俺らのほうが偉いもん。あっちが偉くてもいいんだけど、コトバ派には自分が偉いと発言する根拠がないんだよね。しかし人生派にはある。根拠は自分だ。人生派は基準は自分しかない。その分歌集は売れないし、大学教授にもなれない。一方、東郷という人は(前)京大教授。だからといって幸せなわけでもないでしょう、人のことは知らないけど。
 人生は、やったことではなく、生きたことに意味がある。随筆本でよく見ませんか? 昔からある言葉です。私もそれに一票。これは長生きしないとわからない。
   テーマが途中で変わったね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記事断片

2017-09-23 16:52:53 | 断片
 こんにちは。いやあどうもこうも目はかいいわ鼻は出るわでどうしようもない。今年は微妙に早いか? 金木犀の匂いもするがこれも微妙に早いか? ずいぶん涼しくなってきてそれはそれでよろしいのですが。

 前回に引き続き、おかげさまで一昨日をもちまして30万閲覧突破、ってあんまり意味のない。ロボット様のおかげですが。先週登録したfacebookだって、google検索から入ってもでやしない。検索に出るのは皆様方のおかげ、でしょう、なんでもご覧いただくと書かなきゃまずい気にはなります。
 が、本日はとくにトピックがピンとこないで困ります。
 たとえばこんな。「野菜系ラーメンは、東京ではタンメン、大阪では五目そばになる」と分析した。」「タンメンを食べたことがあると答えたのは、わずか6人(20%)だった」。(産経新聞)
 へえ。タンメンが大阪にないとは知らなかった、中年以降者には野菜だらけでとてもよい食べ物なのに。中年過ぎると水飲んでも太っちゃうからね。五目そばとは違うのだよ、値段が。120円は違う。タンメンの肉はコマ肉一切れかチャーシュー一かけらって決まってるし。野菜食べないと体重増えるよ。17歳男子大阪全国10位。身長25位。なかなか実証的ですね。
 ついでにこんなニュースもありますぜ。
 「国内の糖尿病が強く疑われる成人が推計で1千万人に上ることが、厚生労働省の2016年の国民健康・栄養調査でわかった。」(朝日新聞デジタル)
 10000000人とは!
 みなさま若い人はご存じないでしょうが、これにかかると目も足も腐って死んでしまう恐ろしい病気です。まあいい加減な説明で9すが。子供時代を過ぎた若い人は35歳くらいまではだいじょうぶでしょうが、肥満大敵。糖尿病死亡率大阪年々改善で35位だからいいほうですが。うどん県も最悪だったのが相当改善。
 これで盲点なのがジュース。「砂糖が多いんだろ、知ってるよ」じゃなくて、でかいペットボトル買って隠し飲みする人いんじゃん。ああやってだらだら飲んで常時糖分にさらされてるとすい臓が疲れちゃうんだってさ、知らないけど。引き出しにお菓子入れてぼりぼり隠れ食べするのと一緒。残業するとおなか減るけどね。中年過ぎた人がやってたら止めたげんさい。
 
 ついでに食べ物話題、「神奈川県大磯町が町立中学校2校に昨年1月導入した、配達弁当方式の給食に多量の 食べ残しが出ている問題」(朝日デジタル)ちょっと画像みて。弁当だよ。介護食弁当。こんなの毎日食えねえよ。これじゃ避難生活だよ。いまどき避難生活でも何とか工夫するぜ。温かい味噌汁つけるとか。残すほうも残すほうだがこんなのを給食と言い張るほうも言い張るほうだ。みんなメシがゼニで買えると思ってやがる。作る奴もアルバイトで作ってやがるし。
 社食の飯は毎日食えても、コンビニ弁当でさえまずいのに、ああゆうまぜこぜ介護食弁当なんか最悪。学生さんもそうでしょ。毎日B定食は食えるだろうけど。
 ちなみに本当の給食は、「○○区 中学校 給食」で検索ください。東京はいい。
 
 本日はC派のサイトで非雇用化政策があるというのを教えてもらいました。ほほう、そんな政策があるのか(請負で雇用しないので労働法外、とのこと)。それは決して悪いばかりのニュースじゃないな。新しい見えない戦線が生まれる予感。そういう戦線論はわたしのテリトリー外だけれど、敵は敵で自分の首を絞めそうに思われます。ちょっと展望が見える。
 というわけで、本日も原稿訂正作業に戻ります。進行には胃腸は使わないのだけれど(ほんとに頭使うと、胃痛系になるものです)、それなりに頭が一杯になりまする。

 p.s. その後、あの豚野郎がまたなんかやって。豚野郎への憤りは、北朝鮮人民への同化感情ですが、一方、あの豚野郎が消えれば北朝鮮人民はまともな暮らしが送れる、と思うと、アメリカ勝利的一方的戦争もなんのその、という気になりませんか? ならないところがさすがに当ブログの訪問者様ですが、わたしゃなります。それで北朝鮮人民の幾万人かが子供も含めて死ぬわけですが、人間の感情ってそういうもんじゃないところが恐い。トランプも家族愛はあるでしょうが、実際、幼稚園児同士のケンカの結果は何が起きるものなのか、、、正直な子供大人としては、なんとも。

 あ、ついでに。今大好きな、ぶらタモリ番組をやってるのですが、ほんとに高野山(3回目?)の坊主どもは嫌い。自分でこんな嫌いとは思わなかった(のでもう一目も見ていない)けれど、こういう気持ちが全ての私の仕事の源泉なのですよね。
 と思うと、やはり、私の後に続くアナーキストが欲しいな。次回の、その次の作品に載せますが、マルクスは根本的に間違ってます(未発表の指摘です)。それを利用したエンゲルスも、私と一緒にスターリストだな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日で10年

2017-09-16 11:08:38 | その他
 こんにちは。日本列島台風縦断ですね。近くの大きなザクロの木、今年は無残に実が半分以上鼠色になってしまいました。食べ物の収穫は賭けですね。

 本日のニュースは、「がんばってるね」3件。
・「NFLで選手による抗議行動続く シーホークスのベネットら国歌斉唱時に整列せず」(スポニチアネックス)  白人至上主義反対のもよう。頑張ってるね
・「全米大学フットボール界の奇跡 “心眼”で得た渾身の1点」(スポニチアネックス)
 こちらは目が見えないフットボール選手が1点を入れた、という話。こっちも頑張ってるぜ。
 不思議なことに、この二つを同時に褒める成人は少ないのだよね。反体制が嫌いか渡世の人情が嫌いか。思うにストレスを跳ね除けようとして生きてると心が曲がってしまうんだよね。残念なことです。毎日無理してないでストレスはただ発散するだけでいいのにね。
 
・「年末年始手当、住居手当、夏期・冬期休暇、病気休暇が時給制契約社員にまったく支給されないことは労働契約法20条に違反し、各手当の不支給には不法行為が成立する」東京地裁勝訴。非正規の条件も正規と同じにしろ、と東京地裁。やったじゃん。多少でも集めりゃおっきいし。がんばってるね、郵政産業労働者ユニオン。
 このユニオンは昔の社共連合かね。ともかく、少数派が本当のことを主張するのが運動ですよ。こんどの本で隈理論体系も8割終わるけど、根本はそれ。少数派が本当のことを主張するのが歴史を変える根本契機。
 「しかし」だの「だけど」だの、多数を取りたがるやつらはうるせえ、ってもんだ。問答無用。全部おためごかしの保身。人間の社会というのはそういうものです。口先だけのおめえらさえいなくなれば、支配業務担当者と本当のことを主張する人間たちとの連携が勝利するのだ。「支配業務?」 世の中そういうものです。革命を当日に遂行するのは、事務担当者(旧下級官僚)と武力事務担当者(旧兵士あるいは旧治安部隊)と、それから本当の労働者派の3者共同です。そんな基本も誰にも習っていないパルタイ主義者たち。

 で、これは情けないニュース。
 「民進党は12日午後、、、5人の衆院議員が、、離党を検討していることを受け、対応を協議した。」
 うろたえてるね。どうしようもねえ奴ら。前原とか、どうして「出ていきたかったら出てけ!」って言えないかねえ。追ん出しちゃえばいいじゃん。もちろん自分が出てもいいんだが。
 頭首の役割は決然と政治理念を掲げることでしょ。それに従えないなら出て行け。
 もちろん、そんな理念なんてないんだが。なくたってそういうもんでしょ。
 それを聞いて庶民は、「よし、命懸けてるな。なら俺も乗ろうじゃないか。間違ってるかもしれないが一蓮托生、頑張ってこうぜ」っちゅうもんじゃないのか。私は庶民感覚を手放さないのが自慢。と、したときにはそうだぜ。少なくとも男だろうが。ってのはまあ、おいとくとして。
 辞めたがるほうもよほどのバカか生粋の自民党だね。町議会や市議会じゃあるまいし、てめえにしがらみで票くれたやつなんか2000人だけだよ。あとは民主党だか維新党だかのゆえをもって票を入れたに過ぎない。こんどはあの土井とかの票が目当てか? あ、土井じゃないか、何だっけ、都知事。土井たか子と似てるよね。あと韓国の前大統領とかにも。ともかく理念もへったくれもない、権力に群がる蛆虫だね。
 
 などと毒づきながら、このブログは本日でめでたく10年を満了。3652日。初めは宣伝ゼロだからロボット検索様しか来なかったけど。今はボットっていうのかね。半年くらいは実名から辿れたんだよね。会社に(インターネット)パソコンが入るんで、ルートを消したけど。
 もう10年経ったかと思いつつ、そう思うのは普通でしょうね。でもその頃の勤務仕事を思い出すと、あれ、まだ10年か。とも思ったりします。この10年中は長くても1年しか同じ勤務仕事をしてなかったせいか記憶がダブらない。10年て、勤務人生の1/4だしね、というと、人生ってなげえな、とも思うし。10年前はgooブログは99万個だったけど、今は270万だって。でも頭打ちだよね。昔訪ねたホームページやブログ、どんどん消えて。自分より若い人たちのはずなんだけどねえ。ツイッターとかで足りんのかねえ。
 今週、フェイスブックというのに入ってみました。アカウントが欲しかっただけだから無更新。これもよくわからないけど、随筆書くとこじゃないよね。お友だち会話なら会って話せばいいじゃんと思うのは変なのか。会ったほうが楽しいよね。
 
 さて、無理やり本日のためになるブログ。
 いろいろと「偉人伝」とか見ますと、人間どっかで10年を費やすのがいいと思われます。
 将棋だって、8歳から10年一生懸命やればプロ4段でしょう。もっともそこで止めると凡百だけど。普通に研究者だと本気になって10年で学者商売に入れば、あとは流れだしね。って、流れるしか時間ないよね。もっとも一流の学者は15歳から15年だけどね。ソムリエ世界一田崎真也も世界一同等の実力まで15年といえるかと。私もそう、13歳から必死に生きて27歳まで。後は流れだよね。って、もうその時分には流れるくらいしか持ってる時間ないのね。若人の皆さんも気をつけてください。10年とか15年とか必死にやって、俺何やってんだろう、と疑心が浮かんでも、あとは普通に家庭生活を送れるからだいじょうぶ。10年で世間並み、15年で一流。それ以上は毛唐じゃないわれわれ、身体が持たないから想定しないでいい。

 これはついで。スポーツ欄みてたら「日本バレーボール協会新会長に就任した嶋岡健治氏」とかありました。前の会長が木村 憲治。二人ともバレーボールオリンピック金メダル。二人とも目黒区立第十一中学校。安直な学校名ですね。私の母校です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サルトル的自然弁証法把握への批判

2017-09-09 14:57:23 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。東京地方、今日は久しぶりに一日青空。昨日の天気予報では「明日は何をするにもいい日です」といってました。ほんとのことを言うと、歩くには暑いし、泳ぐには寒いし、どっちつかず。洗濯日和ではありました。
 
 今日は北の建国記念日とか言ってましたが、幸か不幸かどうやらブタもヤクザも嘘つきで確定のようですね。さんざん脅かしやがって。頭の先から口の先まで全部真っ黒なやつらだ。という比ゆはよくないのが残念。
 マンガの代わりに「原子爆弾」というブルーバックスを借りてきましたら、広島のウラン原爆ってぶっつけ本番なんですって。よくやったなあ。わるくやったんですが。
 長崎のプルトニウム原爆も実験後3週間で本番なんですって。日付を見直してしまいました。なんかめちゃくちゃですね。恐いもの知らずというか。日本も原爆なら半年で作れそう。
 
 ところでよく私儀、「マンガの代わりに」というフレーズを使いますが、私だけかと思ったらそんなことないことに気づきました。社会主義経済学の勉強で中国経済に及んで、某所の図書館蔵書検索をしたところ。「中国経済」「分類332.22」「2015.6~」で検索。出てきた本の名前は、、、
 「中国経済はどこまで死んだか」「中国経済まっさかさま」「中国経済はどこまで崩壊するのか」「断末魔の中国経済」「余命半年の中国経済」だってさ。
 ばっかばかしいったら。中国経済が断末するわけないでしょ。まっさかさまに落ちて、じゃあ中国14億人の面倒どこでみんのさ。
 みんな中国の悪口いってウサ晴らししてんだね。マンガと一緒。
 おかげさんで読む本なんてありゃあしない、ので言い訳ができて助かりますが。

 さて、例によって週後半のテーマはなく。
 火曜の朝日コラム、天声人語が珍しくひどい。 ”人手不足で給料が上がりそうだ、これはこれまで「裏を返せば働く人を踏み台にした安売り経営が、はびこってきたということだ」”だと。 これじゃ、『これからは多少まともになる』 といってるようじゃないか。少なくとも99%の年寄りは読んでそう思うと思うぞ。若いやつは新聞なんか読んでないし。今の天声人語は人がまともだから悪気はないんだろうけど、
 自称人手不足は、何度も言うように、正規雇用を減らして最低賃金者に換えようとするから、その中でも3Kの職種が文句言ってるだけなの。行きずり人は信じないだろうから数字を挙げておこう。
 私が20秒で検索したところ、総務省統計局によると2010から2014までの5年間で(全国統計なので直前のがない)対前年の増減人数で、年寄りの労働力はおいて
  20~59歳までの正規雇用者の減、計101万人。
  20~59歳までの非正規雇用者の増、計109万人。
 まともな労働者で5年で100万人が首切られたまま浮かばれず、結局200万人が動いてるのさ。
 いったいどこが人手不足さ。これでは正規雇用の100万人分の賃金が「多少」 非正規に流れ「そうだ」、という以外ないだろうが。プロレタリアート全体から見ればどんどん「働く人を踏み台にした安売り経営」 が社会を覆っていき続けているのだよ。
 なお、この統計局の解説もひどいもんで、ホントとウソのぎりぎりの線で書いてある。(旧)厚生省と労働省婦人局以外の国家公務員というのはそういうものなんだけどね。よほど慣れてないと読み間違うから、疑問はいつでも聞いてください。

 というわけで、本日は次回配本から落としたテーマを、代わりに。エンゲルスの自然弁証法礼賛。あまり関係ないことを書いて人を驚かすのは止めようと思って削り。
 といって自然弁証法の説明をすると長くなるので、これは省略。結果として、おたく用です。

 中身は、サルトルがけなしたような、「自然界および人間界の一切の実在を貫く大法則としての自然弁証法というものは、エンゲルスの主張するような科学的法則ではなく、独断的な形而上学的法則なのであり、そのようなものは存在しない。」方式の悪口、これの批判ね。これは、「エンゲルスの挙げた例は間違っている」という言葉でエンゲルスを批判した気になる人々への批判『でも同じである』。

 そもそも自然科学は、物質そのものを見出そうとしているのではない。研究者にとって眼前の物質がどのような性質を持ったものか、どのような意義があるものか、を研究するものである。しかしてそれは、研究者にとっての物質なのであり、同時に研究者と同じ人間にとっての物質なのだ。この物質の性質は、従って、人間にとっての性質であり、この人間にとっての物質の性質を発見するものが科学である。神にとっては鉄も水素も同じ、名前の分別もしてはならないもの、かもしれない。これはあくまで人間にとっての性質である。さらに、これは「性質を作り出している」のではない。「発見している」のである。
 さて、これを言い直す。
 この物質の性質は、従って、人間にとっての性質であり、この人間にとっての物質の性質を発見するものが科学の方法である。物質はこの方法によって発見されるし、発見した方法によって説明される。(もっとも説明はどうやってもいいんだけどね。)

「そんなことをいってもエンゲルスが『自然弁証法』という本で挙げたその発見なるものは間違っているではないか。もちろんその方法も間違っている」って?
 なんという観念論!
 認識は常に改められていく。そのための弁証法ではないか。絶対のものなどはないんだよ。発見はどんどん深化されなければならないのだ。

(本来の弁証法、一応説明し説きましょう)
 弁証法は、常に、不十分な人間認識の、すぐに行為せざるを得ない人間の効率上やむをえない方法設定事情である。
 行為主体である人は、「こうである」はずの前の行為結果の記憶から、次の行為を選択する。
 ところが今度のその結果は想定外である。 「おや、おかしい」
 正である行為結果の認知に対して、反である行為結果が出る。 「なぜだ?」
 人は思考し、試行し、その結果として新たな認知を得る。
 これが、弁証法の正反合である。

 人間はそう認識するしかない。(「だって、物質が姿を変えてしまう」 という要素が一つのポイント)
 「それなら弁証法はただの一つの認識方法ではないか」といわれるだろうか。 
 いや、「ただの一つの」認識方法ではないんだ。なぜないか? その方法が正しいのは認識主体の問題ではないからだ。認識主体の問題であれば研究者が変わればいくらでも「正しい」認識方法があるはずだ。しかしそうではない。結果の出る認識方法はこの方法しかない。ではなぜこの方法に特定されるのか。
 
 ということで、やっと最後の分かれ目にまいりました。この特定的な事情をどう表現するか。
 一番妥当に響くのが、個人行為者からすれば『人間の自然状態である存在様態から見る、外界という自然に対する関係』が弁証法的だから、です。しかし、これも間違っている。「関係」そのものはぜんぜん弁証法ではない。関係は固定されていて動かない。じゃあなんて言おう。
 『人間にとっての自然が弁証法的なのだ。』 というのが文法的には正しい。「弁証法的」というのは形容詞である。
 「物自体」という自然のことではない。人間が手に取った段階で、その自然は弁証法的なのだ。これは観念教義ではない。人間の主体的実践により把握される実践世界での自然の姿なのだ。
 分かります? ほんとうに実践的だったのは、サルトルではなくエンゲルスなのです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出話

2017-09-02 16:20:58 | 断片
 こんにちは。昨日おととい、とても涼しい。私の好きな北の窓からの夜風も外気温24度を切ると、子供の頃からですが、いい匂いがするのです。なんの匂いだろうと思ってたのですが、もしかすると、空気の匂いじゃなくて、「風」の匂いかも、とフッと思いました。空気が「動く」刺激を匂いだと誤解しているのでは、と。なんかありそうじゃん。知らないけど。

 ニュースといえば週の初めは話題がなんやかんやあるんだよね、北朝鮮がミサイル飛ばしたのはまだ今週です。ほんと反革命の豚が。おかげさんで日本はどんどん軍備増強さ。わたしなど普通の感覚を維持しているので、ざけんな日本もミサイル飛ばすぞと脅かせ、と思うさ。持ってないの知ってるけど。ふつうそういうときは、じゃあ作れ、って思うじゃん。いくらでもないんだから。役に立たない偽空母作るより高密度技術は経済効果があると思うぞ。
 (いきずりの方へ。作れといってやしません。みんな思うだろ。っていっております。)
 ったく反革命め。てめえの遊びで隣国の人民を窮屈にさせて。人民は負けないが。
 現状つまんない概算要求だしてるけどね。自衛隊もやる気ないんだよね。米軍艦隊もやる気ないからあちこちぶつけて沈没寸前だし。いらないもんは捨てろや。平和はいいやね。
 ともかくまずは参謀が一致して戦略を一貫させないと。
 と、普通思うぞ、ってだけですが。
 
 民主党は前原。ただ政権が欲しいだけのやつらじゃあどうしようもねえ。
 まあ、しばらくはこんなもんだな。
 
 公務員65歳定年。だから60過ぎたらみんなボケだって。およそ思考を広くめぐらすなんてムリ。でてきた案の意思決定しかできないのは社長みりゃわかるでしょ。何言ってあげても端から忘れるし。目も、見るのが面倒だからいい加減にやっつけるし。尻もどんどん重くなる。隣りにいたら迷惑この上ない。

 さて、ネットニュース。パンダの子が可愛すぎる。東京(近辺)もんには上野動物園のパンダが(情報的に)に別格だな。石原が中国にカネを払うのを拒否したおかげで、東京近辺人はこんな面白いものを見れなかった。和歌山白浜はいつもいるのかね。それもすごいね。

 というわけで、原稿校正にそこそこ頭を使う今日この頃。時間は1日単位で過ぎていきます(1時間など時間ではない)。本日は思い出話でお茶を濁します。
 一昨日、高校の同窓会報が来て、広げたら倫社の教師が亡くなったとのこと。菊田芳治先生。あんまり高校を変わんなかったみたいだから偶然でも知らないでしょうね。正規授業は取ってないけど、新聞部の顧問だったから知り合い。口出しゼロだったけど。優しいからね。学者なんだけど、その点、学閥向きじゃなかったんだね。正規授業じゃないけどそのころは高校紛争の解放期だから、授業にも特別講義がいくつかできて、氏のは倫理特講。7、8人で方法序説(デカルト)とか読んでました。なぜか卒業後、渋谷のサントリーバーで飲んだことがある。昔は酒は20歳以上なんて馬鹿なことはいわなかったし。
 正規の倫社の授業は相沢一好という先生で、かなり前に亡くなられ。こちらはユニークで、正規の倫社の授業は「共産党宣言」と聖書。無教会派クリスチャンなのさ。聖書は抜き刷りだったかな。昔は受験勉強は自分でするもんだったから授業は自由なの。日曜はなぜか12、3人の生徒と一緒に1日鎌倉文学散歩講師とかして、横浜の安記でお粥(は大嫌いなんでラーメン)を(おごってもらって)食べたりしました、昼の鎌倉蕎麦は自前だったけど。
 高校の関係教師はだいたい亡くなって、生きてても話すわけじゃないんだけど、淋しいね。私なんか高1では自覚的にアナーキストだったので、教師は敵の一種だと思ってたから主体的に付き合いたくなくて、とても損をしたと思います。
 なので、本日のためになるブログ、皆様は敵でも何でも年寄りからは話を聞いたほうがいいですよ。年寄りは伊達に長生きしていない。教師は教えるの好きだしね。たまに高校の先生でも呼び出してみたら? いつまでも生きてるとは限らないですよ、と穏便に表現。

 そういえば、今週初め、神奈川県の「宮ヶ瀬湖の貯水量は、平成13年管理開始以降最低を記録」で、ダムの「湖底に沈んでいた旧道(左)が現れた」写真が載ってて。この道が、別の高校生仲間の12、3人と一緒にハイキングした道なのね。仲良いね。他にもあちこち団体で行って、思えば豊かな高校生活かも。思わないからしょうがないけどね。今日は一生懸命思い出して、そういえば、と驚いただけです。

 ついでに音信不通者を見たら、高校の時の民青のキャップの名前が。M山君。2こ上だけど、私は昔から心が広いので知っている。私も1年次はそこそこお付き合いしました。第五福竜丸維持募金運動とかね。彼氏の卒業の一言文集は「山宣のように」だったぜ。ネットで検索したら元気で、小学校の校長とかになったみたいだけど(管理職)、まともに(そこそこ誠実そうに)仕事し続けてるみたいだから、ま、いっか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする