リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

「概念的把握」作業の問題点(その1)

2024-05-18 15:54:05 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。春真っ盛り。初夏まっさかり? いやあ、「夏」は禁句、自律神経に悪い。
 ともかく、あっちこっちに花が咲いて良い季節で。みなさまにはお仕事だけじゃもったいないけど、そうは休めず、で。どうもGWって昔から中途半端な時期だと思うな、今時分、休みがいいのに。
 
 今日のニュースもたいしたことない。
「空飛ぶクルマ、都内で初飛行 操縦士乗せ高度10m、観客拍手」(共同通信)
 って、写真を見たらなんともヘリコプターより大げさ。まあ安全てことかね。
 災害地物資輸送ならドローンより信頼がおけそうなので許す。
 
「発表前日のツーショットを独占撮! 電撃引退の宇野昌磨…選んだのは恋人・本田真凜とずっと一緒の日々」(FRIDAY)
 いや、フライデーの写真なんだけどさ、宇野が本田に「連れられて」て可愛い。
 こういう可愛さがスケートダンスには余計だったんだよね、まあ幸せに暮らすのがいい。彼、900gの未熟児だったんだって。大事にしてあげよう。

「ロコ・ソラーレ吉田夕梨花が結婚発表 お相手はスピードスケート日本代表・新濱立也 姉の吉田知那美らメンバー祝福」(スポーツ報知)
 おめでたいけど、一時代が終わったな。といってもまだ6、7年しか経ってない? そんなもんかねえ、、
 
「「共同親権」 DV・虐待被害者 置き去り
参院法務委 民法改定案を可決」(赤旗)
「自民、公明、立民、維新の賛成多数で可決」って、なに立憲民主党。男の票稼ぎか? 今日は本会議で成立したって。
 弱い者の味方をしない党は、リベラルでも左翼でもない。 どうせ嫌いだけどね。

「与野党は「伝統重視」で足並み 国民の理解がカギ」(産経新聞)
 これじゃ主題がわからねえ。変な見出し。
 主題は皇位継承。
 「安定的な皇位継承策などに関する与野党協議が17日、衆参両院正副議長のもとで始まった。伝統に背を向けた近視眼的な議論を避け、先人から託されたバトンを後世へと引き継げるのか。国民の理解を深めることが重要な責務となる。」
 サンケイだからいうのは構わないが、なんで国会と国民の意見が違うんだ?
 もちろんわたしにはわかってるが、新聞がそんなことを書くのは変だろうが。「国民の意見をないがしろにする国会議員たち」とかの見出しにしろよ。
 

 さて、本日は本の紹介が先にあるんで、ニュースははしょり。
 本は松田卓也「間違いだらけの物理学」
 いろいろ面白い話が載ってますが、ショックなのが
   【「太陽にゴミを捨てられる」は間違い!】 
 だってさ。ええ~~てなもんです。ここで「ゴミ」とは放射性廃棄物ですが、それは技術的にも費用的にも端にも棒にもかからない案だと。
 知らなかった。太陽でなくとも宇宙に捨てられるかと思ったら、ロケット打ち上げはいつも成功するわけではないと。いわれてみればおっしゃる通り。世界の上で廃ウランをぶちまけたら、原発崩壊の類じゃないカタストロフ。
 
 で、これは前振り。この本は、「「飛行機がなぜ飛ぶか」分からないって本当?」を松田氏がネットでしゃべってたのを使おうかと、でもネットじゃ文献じゃないんで、松田氏の著作を調べて読んだ本。
 飛行機が浮かぶについてはそこらの教科書等の説明は単純に間違ってるんだってさ。ほんとうは翼周りの空気の循環によるのだと。
 「ここに循環があると“仮定する”と、大変よく説明できるのです」というわけで、それは眼で見えない。数式は昔からあるんだけど、「非線形」だからとけやしないんだそうな。 近似式を解くだけ。
 しかし、近似式は実験とあっている。
 かくて
松田:数学者、あるいは「全てを疑え」という科学哲学者の目からすれば「飛行機が飛ぶ理由は、まだ完全に分かっていない部分がある」と見えるのかもしれませんが、工学者としては、計算と実験がほとんど合っているのですから「完全に分かっている」と言ってかまわないと私は思います。
 んだそうな。
 なるほど。
 
 さて、なぜこんな話をする必要があるのか?
 マルクスの意図はおいて、「資本論の労働価値のめちゃくちゃな「論証」は、案外目くじらを立てることでもないのか」という疑問が湧いて。資本論第三巻まで読めばトータルとして現実把握になるのだから、ま、いいか、ですむのではないか、ということです。そういえば物理学だってやっているはず、と思い出したのが上の話。労働価値説で現実と合ってんだから文句はあるまい、というわけで。
 もっとも若人は宇野経済原論で正しく認識してくださいませ。上記はもっと大きな観点からみれば些細な問題に過ぎない、ということです。
 
 で、もっと大きな観点、本日は社会科学作業としての「概念的把握」。ヘーゲルの言葉遊びの話ではありません。
 これにつきましては本ブログで、マルキストが当然のように持ち上げる「概念的把握」が、実践につながらない静的な状態であることを何回かいいました。本日は、それ以前に、「概念的把握」自体が抜きがたく持っている性格を問題にします。

 人の世の諸概念の内実は、その言葉を使う優勢な人々によって規定されます。これは誰もが当然と思うことでしょう。言葉は使う人のもの。ではその概念を分析すればどうなるか。その優勢な人々の規定性が現象してきます。この状態が、いわく概念的把握です。
 (「優勢な」とはアメリカ社会科学でよく使う、「内実は問わないが社会で立場が上になっている」という意味です。内実を問わないのが大事)
 と、本日の言いたいことは半分言いました。
 
 概念的把握で現れてくることは、その言葉を使う優勢な人々の規定性、経済学概念でいえば、資本家と国家におべんちゃらを使う評論家、他称学者の規定性です。 
 いわく、生産、消費、分配、交換。まことに「経済学」です。
 K.マルクス「経済学批判への序説」(岡崎次郎訳)『経済学批判』所収、大月書店、1966.
 そう、マルクスの資本論があまりにも狭小な世界なので何でかと思って、出版はされたけど草稿である「経済学批判」のほうをめくったら、ごまかしようもなく書いてあった。
 まったく人民とは関係のないことをしかも関係のないように書いてあるので気づきました。
 何だ、ブルジョワ、ヘーゲルの徒ではないか。
   いまさらだね。
 
 仮にその露わになるはずの規定性に意味があるとしたらそれは、その規定性の、第1にイデオロギー意義、第2に理論が常に引き受けている因果連関の評価による。つまり第1に、われわれ支配者は労働者の貧窮にはなんら関与しておらず、我々資本家は労働者と対等の交換契約をしているにすぎない、という自己弁護と、第2に、これを正当ならしめる観念構築です。これもなんどもいいますが、因果連関は立場次第でどうとでも書ける。
 
 そんな都合の良い結論が内包されている、社会に優勢な彼らの使う「概念」について、われわれ人民はそこに現れた規定性を真に受けることができるでしょうか?
 これ以上いうのも馬鹿のようですが、そんなものは人民には一切関係がないのです。

 さて、本日の残った半分。
 では人民にはなにがあるのか。人生の事実そのものです。
 私の好きな滝沢克己、「「歎異抄」と現代」、三一書房、1974.p74の表現より。

 もともと概念の把握などという作業の意味は、人間の情報一般の中においては、説明の便宜上都合がよい、というものでしかありません。へいこらするのは、資本家と国家におべんちゃらを使う評論家、他称学者にまかせておけばよい。
 人民には、上級国民とは異なり、説明の体系の伝統などというものはありませんが、その代わり、仲間に普遍的な彼(当初は単数)の生活体験というものがあるのです。
 かくてわれわれは、指示語としての言葉はやむを得ないものとして使用しつつも、その言葉が通例指す現実については、普遍的なプロレタリアートの人間的規定性を分析することになります。それがブルジョワ思想家の言う「概念的把握」と同等の位置になる、ということです。 
 ブルジョワに重要な生活上の事実は労働者の生産であり、消費のための購買です。さらに自分の取り分と労働者へのおこぼれの額であり、交換という名の強制的雇用です。
 人民に必要な生活上の事実は、自分の生産手段の行方であり(毎日働いてるのに明日で首になっちゃうよ)、かつかつの毎日の消費の内容です(またキャベツが買えないよ)。さらに賃金をいくらもらえるか、なのですが、それが、「交換」!!! なんだそれは。
 
 本日は、概念的把握など人民とは一切関係がない、というところまで。次回は、じゃあどうしろというのか、の話。
 
 ううむ、こんなシンプルに「概念的把握」をけなした人間は、少なくとも歴史上世界にいないな。
 未来には、いるかもしれないが。
 
 
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