リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

教育委員会制度とは

2011-06-30 21:48:20 | その他
 こんばんは。もう夏かよ、の東京地方、今日は疲れたので定時退社。早く(2)連休欲しいなあ、とゆうわけで、今日が今週分かも、って、とにかく休みたしと体が申しております。

 さて、本日の朝日新聞によりますと、誰でもいいんですが、誰かが大阪の橋本のバカについて、教育委員会制度の生まれた意義をないがしろにするなとおっしゃっております。
 だれが言ってもいいので名前はいいとして、実際、おっしゃるとおり。この教育委員会制度は、自称他称の「民主主義」の問題ではなくて、人間の人間としての倫理の問題で。
 
 「人間の倫理」って、ここで展開したことはありましたっけ?
 あまりにも基本的な話は、いったかいわないか忘れてしまうんで。 
 さて、ところで、これが普遍的にあるんですね。
 宗教家の人たちは肯定するのでしょうが、ここの読者にはそんな人たちはいないとして、ちょっと社会科学的にヒネたやつだと、「そんなものあるわけねえだろ」とかいうんですが、残念でした、ヒネ切るとそんなものもあることがわかる。
 
 それはおいて
 戦後日本とは、人間にとって十全の意識のルネッサンスの対象、というか初めの誕生なんかないので、理念による現実の初めての生産ですね、よい制度が多々できたものですが、その一の制度が教育委員会制度。わたしは小学校で「これはよいものだ」と士官学校出の極右の教師に教わりました。極右でも、戦争で殺されかけると、なにが大切かは分かるものです。竹之内誠蔵先生。いい先生で。
 
 いや、たしかにこれは政治志向者にはうっとおしくて、だいたい教育委員なんてバカばかりだし、しかも権力者の任命制度。結局、支配権力者のいうままじゃないか、とまあ現実はおっしゃるとおりですが、その理念は違う。
 現実とは、この場でも、るる述べ続けているように、生活大衆にはどうにもならんことばかり。
 このどうにもならん現実を子孫によって変えられるべく、自分たちで時限爆弾のように種を仕掛けようではないか、というのが教育委員会の理念です。
 その深謀遠慮の制度に向かって、さも自分たちだけが正しいかのごとく意思を通そうとする政治家とその取り巻き、さらにその任命をありがたがり、権力を振るって「わしゃあ国家に貢献したぞ」と、しわくちゃ顔で得々とする無能な教育委員たち、ってまあ、それだけでも国が滅びて当然です。
 
 とはいえ、いくら教育委員がバカでもそういう制度だけは残すべきです。左翼のみなさん。他人事だと思わないように。あんたは別に偉くない。ただの生活の下僕だ。
 未来の社会にとって偉いのは、倫理を胸にした、若人のみ。
 
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幽霊都市と社会学応用理論

2011-06-26 21:47:44 | 断片
 こんばんは、お暑うございますところで頭も動かず、あと3ヶ月、理屈論議の勉強は、暑さでわやかよ、と一瞬思いましたが、本日はまだしもで。

( さて、すばやい方はご覧になったようにここには電器製品へのある種悪口が500字位あったのですが、その後、現象が変わりましたので、いったん消させていただきます、あしからず。電器製品はよくわかりません。 で、)
 
 なんて話は、一種どうでもよく。
 
 また悪口の記事だから、このカテゴリーは酔言=断片にしておきますが(トップページ変更はしません。最近休むヒマがなくて)
 「飢餓・都市・文化」柏書房、1993。
 という、まあ、よくいって都市社会学の本がありまして
 藤田弘夫という人が3分の1の著者で。
 あと2人の著者はどうでもいいのですが、藤田さんという人はユニークで。 って、中身はとんでも学に近く、都市が幽霊のように自立して歩き出す、びっくりものの話ですが、といっても読者Aさんがそれに気づいたら、まあ、学問の道に入る資格はあります、位の初歩的な話、でも学者も気づかない話ですが。
 問題はそんなことではなくて、この慶応大学教授さん、バカではないので、都市での人民反乱は影響力があるが、農村の人民反乱は影響力がない、みたいなテーゼを繰り出して、はいはい、それはそれでよい指摘です。
 
 地域社会学というのは、基本的には「家族」のような領域社会学なので、やれ農村で何が起こった、都市でははにほれが緊喫の課題である、とかいう話題になるのです。
 しかし、幽霊社会学はそうではなく、基礎理論の一種ですから人間が存在する限り、「都市」は影響しつづける。それはとんでも学ではあれ、資本主義社会では、ある種、実用的な話でもありつづける。
 
 もちろん読者様のようなわたくしの関係者はご存知のように、世の中の現象というものは、「規定性」を表示しない限り、なんら人間のためには役に立たないものでして。規定性とは「定義」ではなく、人間が触れられる、操作可能的な存在要因のことです。
 しかし、幽霊都市に規定性などない。「都市一般」が持つ何かだとおっしゃるしかなくなる。
 
 というわけで、このたびの私の応用理論に、ひとこと付け加えなければいけないんだな、と教えてもらったところです。
 共同性の中身について、消費物資の生産以外に、支配権力者に与える影響をもつ、集合性がある。
 それはわたくしなどはばかに近いから(なんて謙虚なんだろう)、人民の運動一般としてしか捕らえてないけれど、確かに、支配者が消費物資生産共同性ともつ関係と、支配者が消費物資供給生産共同性(商人・産業・金融資本主義者およびその配下、プラス生理的恐喝者である都市民と取り持つ共同性(この事情は相対的に「農村」的下位支配者へも通じる)、とは、現実の影響力からすれば1項、取り立てて論議すべきである、と、教えてもらった気がするところです。
 
 先達はありがたいことです。
 が、決してこの本の幾分でも信じないように。
 (歴史的)支配者(支配システム)を排除した都市なんて歴史的にゼロ(意義)だよ。
 本書ほかの2著者は、そこを取り繕ってくれるんだけれども、それって、悪いけど(謙虚だねえ)批判もしないで取り繕えること自体、取り繕う人の頭や学問の程度も示してるよね。 
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褒め言葉

2011-06-19 22:04:04 | 断片
 こんばんは。昨日は他人の悪口には至らないなりに酔っ払っていたようで、それに気が付いてカテゴリーも「その他」から「断片」に変えました、というところでトップページ変更

 だいたい本なんて40分で読むもの(読むのをやめるもの)ですが、ここんところ1冊に2時間くらいかけてるのが「民族移動と文化編集」NTT出版。
 11人くらいの対談等の編集で、どうでもいい人たちが多いとはいえ、中で社会科学的に興味深いのが佐口透さんという人(中央アジア史研究)。すいません、今まで知らなくて。(なお、他に、自然科学的に大貫良夫という人と片山一道という人は面白かった。それと、司会の高橋秀元氏はいんてりだね)。
 とはいえ、佐口さん、1993年出版の本に1916年生まれというと77歳ですか。よっぽど立派な人なのでしょう。
 
 で、何がいいかといいますと
 1 この辺の時代の戦中派というのは、実によく人民の身体的生存の意義をつかんでいて、
 2 ついで、それにしてもその中で思想の、というよりは人間の思いを、貫こうとしている、
   そういう人民を見ようとも思っているし、自分でもそこに自分と対象の歴史過程への思いを反映しようとしている、そういう時代の人なんですね。
 
 ここで、何をいいたいのかといいますと、本書はとてもよくできた本でお金を出して買っても良いと思うのですが(例によって図書館の貸し本)、それは11人+司会、とてもよく勉強されている。一般の学者と違い、そこらの横文字本の横引きや、世間のアンケート結果を連ねているわけではない。
 の中で、佐口さんという人が本当の勉強をされている人だと思うのですね。
 勉強というのはそれによってお金を儲けるものではない。(授業料という)見返りがなければ飢え死にしてしまうしかない行為です。
 にもかかわらず、なぜ勉強するのか、それは本人が生きるために勉強するのです。
 
 1943年学徒出陣、27歳で後輩達を見送った佐口さんという人は、それ以後死ぬまでよく勉強した人だと思うのですよ。
 だから思想家になる人は、こういう人の理論を勉強して、しかしどこが悪かったのか、を見極めるべきだと思いますね。
 これマジ。
 ほんと、人の欠点を見つけるのは、勉強としていちばん簡単ですからね。対象が優れていれば優れているだけ結果が期待できる。この場合、対象が有名でないからお金にはならないけどね。
 
 という話をわざわざするのは、その前の図書館からの借り出しで(って3日前)情けない学徒出陣見送り派を読んだからでもありますが。それも中高年力で名前を忘れてしまいましたので(たぶん、ローマ政体とかの政治学者)悪口を言わずに済みます。
 
  以上、トップページ変更でした。
 
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そんなに命令が好きですか

2011-06-18 21:43:16 | 断片
 こんばんは。嵐の前の静けさ、真夏の前のここちよさ、会社にいくと暑くて困ってますが、とりあえず田舎の吾が家。まだ過ごしよい季節。

 本日はテレビなんか見ちゃいまして、花巻わんこそば紀行をやってました。100杯やら500杯を食べる話。
 さすが、テレビですね。映像付ですから、どんだけ椀にソバが入っているか分かる。
   なにあれ。空気くわせてんのかね。汁ばっかじゃ(塩分ばかりで)血圧に悪いよ。
 わたしが青春のみぎり、盛岡の著名なワンコソバ屋では百数十杯が記録でした。(壁に貼りだしてある直近日の順位高位は、40杯ほど)
 ちなみに私は十数杯、酔っ払ってたとか二日酔いだったとかの理由はありますが。
 
 とにかくも。
 なんであんなにヨイショするんでしょうね、人々。(食い物に誇りがあったら、日常の1杯を(頑固に)1杯分とするでしょう。昔はそんな人たちばかりでした)
 同僚が、あちこちの店で店員が客に揉み手をするのはやめさせたいと申しておりましたが(腕を胸まで持ちあげて挨拶をするんだそうで)、私は店員なんてみてないので知らないのですが
 会社でももう私よりの高年齢者も少なくなって、年下の人々の弱腰といったら。
 これではモンスターのような性格破綻者に立ち向かうには、権力しかない。
 というわけで、世の中で強いのは部長以上とお茶坊主、ということになるわけで。
 
 世間で、菅の代わりに強いリーダーが必要だ、とかいってると聞きますが、(ってなにしろテレビを見ないので、今日ネット検索してたら香山リカがあげつらってました。中身はくだらない)、うそですねん。
 そういう人の要求に即して言えば、強いリーダーじゃなくて、強い権力機構の活性化が必要なんですな。資本主義国家は活性化させれば完璧に強いですぜ。
 菅なんて中高年ですから遠慮なく強い。へなちょこなコンジョ無しのネット悪口屋に文句を言われる筋合いなんかありゃしない。
 それでもバカにされてるのは、社会機構がバカにする行為だけを許しているんですな。
 そこをわきまえないといけません。
 
 人民は権力もないのに権力者であるはずの人間をバカにすることだけは覚える。
 しかし、そんなものは、良心的な権力者にはいざ知らず、理屈抜きのヤクザには屁でもない行為だ。
 明日、菅の代わりに自衛隊を掌握した人間が首相になったら、それで終わり。 
 「2000年代の初めに、いい時代があったねえ、、、」
 昔話に語り継がれるでしょう。

 ほんと。コイズミが何したって、そのときは何も言わないでよわっちょいのが首相になると手のひらを翻して自民党の悪口を言った何百万人の年寄り達は、ありゃ、死に損こないの年寄りの暇つぶしだからって、誰が知ってるかね。

 、、、って今日の話題はそうじゃなくて、ただの心配。
    会社の中年層も若年層も、ひたすらキチガイども(モンスター近似)に媚びるだけ。
    そんなんでいいのかよ。
    
    今の55歳未満は理念なんてないからね。自我の理想なしに闘うのは、それは無理かも。
    「理想というものを学校で教えない」、とは今は日教組憎しの保守しかいいませんが(昔は共産党もいったけど、今は彼らも言わない)、それ違うんじゃないかい、と、無政府主義者としてもあえていわざるをえないのではないか、と思いますねん。
    
    とくに心配は女性の方たち。
    いつの時代にもいる女キチガイの存在に頼ってると(「ああいう人が代弁してくれてんだろうな」と誤解すると)、近い将来、痛い目に会いますぜ。男はいわゆる「野蛮人」ですぜ。
    
       (さすがに差別用語が飛び交ってるのは気にして。   
        近い将来、精神障害や非商品経済国を褒めておかなければ。)
 
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幻になった大吟醸

2011-06-16 21:56:57 | コーヒーブレイク
 こんばんは。
 今晩は、ようやく新著発行見通しのお知らせ。
 今月末を目途とのこと。
 長くてちょっと (じゃなくて、ずいぶん、めいっぱい) 精神的に疲れました、が。

 まあ、そういうことはここんところのお客様には関係なく。

 で、これも関係は薄いですが、マイ・フェイボリットシング。今日は日本酒。

 引越したもんで酒屋さんも変わって(売ってる酒も変わって)。どうも秋田新政純生酒の味が、新潟地酒、某、みたいな気がして。
 そうでしょ、新政酒造さん。(こういうのは、(よくて)杜氏で変わる)
 って、若い方は想像しにくいでしょうが、経済成長期に育った酒飲みというのは、時が経ち給料も入るのに伴って、うまい酒を飲もうという気になるもので。
 昔は、清龍(池袋近辺の居酒屋、というか大衆飲み屋)二級酒、1合170円でしたけどね。
 これがくそ甘くって。サッカリン入りですね。(いや、砂糖といっておけば反論はつかないんしょうが)
 飲んだことのない1級は、1合190円で。
 (で、念のためネット検索したら「蔵元居酒屋 清龍 池袋本店」だって、もう笑いすら通り越しますがな。そういう過去の自分の歴史を抹殺する会社は、それだけで4流。人間も一緒と思いませんか?)
  
 ま、そんなこんなで、就職して2年も経てば、添加物のないお酒を買える身分となったのでした。
 
 で、1位、30年前の高清水1級。これはすぐに、って2,3年で、幻の酒と相なりました。新聞にでたくらいです。デマ新聞(朝日)ですが(今日もデマ新聞には怒ってますがやめます)。30年前の数年後もある(あったん)ですが、蔵元生産量とあわないという記事で。ま、そんなもんで。
 
 2位、30年前の新政1級。少し味が強いんで減点、さらに、これには、手に入れ易さがはいってます。これもすぐなくなりました。
 
 3位、40年前の剣菱1級。もうないですね。この間(かん)、3回味を確認しました。
 
 4位、30年前の白瀑1級。これは添加物もなくよくできてました。が、今はもうありません。
 (日本酒造とラーメン屋ってすごく似てる気がしますね。これはもう精神論以外のないものでもなく。
 だからやりがいがあるっていうのか、ま、それはそれ)
 
 みたいに並べると、私の嗜好傾向もわかるでしょうかね。
 
 悪いですが、たとえば象徴的に言うと「獺祭」みたいな味の濃いのはパス。
 そういうのは、ちょっと日本酒呑みの酒とは違うんじゃないか、とさえ思うのですが。
 (ビールが好きの人の酒)
 そうすると同様に、石川県、山形県産の自称他称の銘酒が順位を落としていきます。
   といっても地元消費のお酒はおいしいかもしれませんが。
   (そういえば、菊水辛口カップ酒が1番という評価もあります。たしかに悪くないです。)
 
 さて、1位(昔の高清水)は普通の本醸造ですが、どこでも不思議な世界というのがありまして、その上があります。
 
 じゃあーん、不思議な酒2位。30年前の八海山大吟醸。これはうまい、日本酒。
 いまどきの八海山大吟醸なんかを想像してもらっちゃ困りますね。ほんと、その頃の作成者は生きてないでしょ。
 さてはて、不思議な酒1位! 知る人ぞ知る30年前の大吟醸! それは!
   それは、それは、、、わかんないんだよね、銘柄。
   こちとら給料もらってたったって、貧乏で大吟醸なんて知らない世界の話だし。
     妙高山あたりの地図のイメージだけが残っている、しかし不思議な葡萄酒。
        まじ、葡萄酒。
           その味を探して30年、いまだ発見できず。

 どなたかさま、昔そんな日本葡萄酒があったとご存知の方はぜひ教えてくださいませ。

 (はるかにその後、どうも香露、大吟醸であるようなことが判明。あまりに高いうえに時期物で、まだ確かめてはおりませんが。 16.10.22記事参照)
   
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カレーの正しい作り方

2011-06-12 20:17:06 | コーヒーブレイク
こんばんは、皆様お元気ですか。

 昨夜は中学校(≒小学校)のプチ同窓会で、6,7年ぶりにみなさんの顔を見てきました。
 ぜんぜんわかんなくてねえ。思い出に浸れない。
 そりゃ、ン十年も経ってるから、とかいうことでは実はなくて。
 高校や大学の同窓会と違うことに、顔はもちろん覚えがないのだけれど、声に、さらにぜんぜん覚えがないの。声変わりしちゃってさ。当たり前だけれど。
 そりゃわかるわけないって。
 まだしも女は声が似ているけれど、それでも違っちゃう人もいてね。のどやられるからお酒には注意したほうがいいですよ。

 なんていったけど、高校も大学も同窓会に出たことなくて。
 出た大学なんてもうないしね。十数年前、やはりミニ同窓会に出ただけ。
 60歳とかになると何か会をするのかしら、って、大学は浪人とかあって60歳がいつかなんて決まってないしね。

 さて、ここんとこ何かと忙しいのに反比例して、世間ではたいしたことは起きていず、って要するに考えるひまがないという事ですが、それでもなかなかのヒットは
 
 「原発事故調「骨抜き」の動き 経産省画策、首相が拒否

 東京電力福島第一原発の事故調査・検証委員会(事故調)について、政府の国家戦略室が
経済産業省の影響下に置く構想を菅直人首相に提示していたことがわかった。
首相の辞任表明後に提示したもので、首相は原発を推進してきた同省が事故調の
「骨抜き」を画策したとみて拒否した。」
てなニュース。

その1 ほーら菅、ちゃんとやるじゃん、自民党にゃできやしないさ。

その2 腐ってやがるな、経済産業省の官僚ども。
    といって、菅にさえ彼らをパージすることはできない、ということですね。
    

 えー、てなわけで、本日のためになるブログ。
 
 「安いカレールーには相応の作り方がある」
  唐突すぎるか。
  
 本日は、あると思ったフォンドボーディナーカレーの買い置きがなくて。
 ビーフシチューのブレンド用に買ってあったハウスジャワカレー(値段半額)で肉玉ねぎカレーを作ったところ、これが塩辛い。
 当家では塩をほとんど使わないので、よくわかるわけなのですが。
 
 安い製品はひどいなあと思ったのですが、これはこちらが悪いのか、箱には玉ねぎのほかにニンジンとジャガイモをいれて味を沁み込ませよ、と書いてある。
 そか、ジャガイモやニンジンに沁み込むべき塩が余計に入っているのだな、とヒンズーな作り方をしたことを反省。
 
  カレー屋さんもだてに製品開発はしてませんよね、半生をかけてるんだもんね。
 
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普遍的政権への普遍的悪口

2011-06-04 22:52:56 | 歴史への視角
 こんばんは。まだ我慢の範囲内ですが、そろそろ暑くなりだして。
 さきほど帰って朝日新聞を読みましたところ、うっとおしいこの時節にさらにうっとおしく「菅がやめないのは仁義にもとる」とかの主張が。
 ってなんで?
 って、私に聞かないで。
 なんで、って理屈を、「読者Aたるこっちは疲れてるのに、ちゃんとわかるように書けよ」と思いながら新聞読んでもぜんぜん読み取れない。

 察するところ、読売や毎日には、きちんとした右翼ポリシーからやめろと書いてあるのに、朝日はそこが書けないんでしょうなあ。朝日の読者もバカにされたもんです。1面、2面、3面。記事が長いだけでなんの理屈もありません。
 よっぽど、上から物申されたんでしょうね。
 それを、(昔から朝日は一緒)茶坊主たちがさらに下に下ろして。
 滑稽千万。
 朝日の諸君には、他人の悪口をいうよりも、自分の姿を鏡に映せ、というしかないものです。

 (注:私が民主党も菅も支持していないのは、過去記事の通り。)
 
 こういう話題を皆様のためのものにするには、「マスコミの構造とは何か」、とかを述べるんでしょうが、マスコミなんざくだらない話なんですよ。酔狂な人は私は本に書いたからそちらをどうぞ。
 
 そうじゃなくて、一般論として、政権というのは、普通に動くと菅政権のようになるんですね。
 若い方は良く見ておいたほうがいい。なかなか現物は見られません。
 自民党政権のようなどこからカネが出てるかわからないとこだと、先に疑念が立って素直に理解できませんからね。

 (ここでの趣旨は、『やる気のある「主意的な」権力者が、やろうとしてやれないことと、やりたくないけどやらざるを得ない、ということがある、というか政府というのは経済界に買収されていなければそれしかない、、、ってどっちにしろ主意的には何もできない。今の政府はその見本市だ』ということです。ついでにいえば、悪口言うのはある程度まで、自由自在、勝手放題、「主意的」にできる、ということもあります。ますこみであれば、売れ行きに影響が出ないまでは、っていう制約ですね。
 で、このブログの( )は、既にお気づきの方もいらっしゃると思うとおり、1,2日あとの追加分です。それ過ぎりゃあきらめちゃいますから。
 というわけで、以上は、以下、分かりにくいことの解説でした。)
 
 ここで私が言う政権とは、革命後ソビエト政権や、革命後中共政権のことです。(といって、誤解があるなら、ドゴール政権やケネディ政権といってもいいけれど、後2者はさほど知りません)。
 それらがこの日本の政権ととても似ている、ということが分かるには、大学教授のように本読んで、理屈をこねようとしてもダメでして。現に、彼らにはわからないということが証明してますね。
 現実。
 私のような観念論者の、しかしとりえは、なにしろ現実を知っている、ということでして。
 

    昨晩は疲れでブログをただの酔言にしてしまったので、ちょっと役に立つようにしたところです。
    政権の普通の動きと革命政権、という認識は、そんじょそこらの政治主義者達にできるもんじゃあありませんぜ。だいたい、彼らは知識すらないし。 

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題2人

2011-06-03 23:05:30 | 断片
 こんばんは。東京地方この頃は、寒くってすごくよい。この日々を大事にしなくては。
 
 さて、大事にすべき今日は、朝日新聞、なかなか面白い話題が多かったのですが、例によって酔っ払ってますので記事内容は端から消えて、残ったのが西脇順三郎と汐見稔幸。
 こうゆう名前というものを出すのは少しずっこく。記憶を保ちやすいものでして。
 ま、ずっこくとも、明日、あさって、その次と、ちょっと忙しいので、この辺でお茶を濁すと
 
 まず西脇順三郎。
 詩人ですねん。昔若かった。
 新聞いわく、「1933年、詩壇に登場、それまでの必死に生きる詩人の歌に対し、言葉遊びの詩を作り、衝撃を与えた」(このブログのカッコは引用符ではありませんで。いいかげんです。覚えきらんように書く新聞が悪い。私は正直に新聞の印象どおり書いております、っていいかげんすぎるか。ま、そういうことです)、ってうそに決まってますねん。
 新聞屋と違って詩人は他人の評価に惑わされやしませんがな。
 
 西脇が順調に名を売ったのは1950年代以降、慶応大学教授の地位を得てからでんがな。
 「旅人かへらず」。おっしゃる通り、きれいですねえ、詩。人にいわれずともそう思いますよ。
 しかし、私などは憎しみさえ覚えます。何して暮らしてんねん。
 まだ谷川(俊太郎)がマシ。不思議な現象です。単に性格の問題でもありますが。
 
 ついで、元東大教授。
 教育学者兼評論家ですねん。一貫して。
 人がいいので私は好きですが(苅谷(剛彦)なんぞより100倍はマシ)、本日の記事は
 「昔、ある人が『小学校1年で通信簿1の人で、小学校6年のときに通信簿5になった人はいない研究結果がでた』というのにショックを受けて、幼児教育に精を出した」てな話。
 幸せな東大教授なことで。
 
 前提が違うね。
 その1 小学校1年で通信簿1に象徴される家庭では、通信簿5は一般的には無理でしょ。
 科目が算数だって体育だって同じことさ。それは個人の問題じゃない、ってわかりきりすぎてて。何を驚くのさ。
 
 その2 だからってなんなんだね。
 そういう結果を持つ人もいるし、そうでない人もいる、それがどうした、そういう人の将来に何の関係があるんだね。
 (なんて、こっちは関係ないと思って反語のつもりだけど、「いやそれはこれとこれとこれと」、なんて列挙されたら、あたしゃ呆れてひっくり返っちゃうね。)
 
 こっちは、何が驚いたって汐見がそんなことを言うこと自体驚いたのさ。
 ひごろ、「いろんなお子さんがいるからそれに沿って育てなさい」、みたいにいってる人間がね。あーーーあ、ため息。
     だから通信簿5(の人間)は嫌いさ。わたしゃ関係ありません。
     やっぱ、ある程度普通の人しか社会の真理は述べられないよね。
     
 
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