リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

若い人向けのただの茶飲み話

2009-01-25 21:47:56 | コーヒーブレイク
 こんばんは
 熊本は美里町の皆さんお元気ですか?
 秋田は美郷町の皆さんお元気ですか?
 いえ別に深い意味はないんですが、今日の朝日新聞で美里町の石橋がのっかってて、そういえば、天神堂さんも美郷町だよなって。
 どーして、変な名前に変えんですかねえ、ってゆうか合併なんかして。砥用町さんも。
 合併しなきゃできない行政は県でやればいいんですよ。県でできないことは国でやる。
 ヒマな人間て、何かいじってないと気がすまないんですよねえ。

 本日のお茶飲み話は若い人たちのお受験勉強。センター試験なんかありましてね、新聞に問題が載ったりしましてですね、わかりゃしませんな。
 数学、物理、化学はおろか、世界史も日本史もわかりゃしない。
 できればできればいいな、なんて思って本屋で参考書をめくってみますんですが、ぜんぜんわかりゃしませんな。
 こんなもん勉強しなくてよかった、とつくづく思います。ほんと、人生無駄にしなくてすんだ、みたいな
 勉強しなくたって、今、何も困ってないもんね。
 これから人生にロスタイムを呉れるって言われても絶対受験勉強になんか使わないし。
   受験はいちおう7科目もやったんですけどね。よく通してくれたもんだと思います。完璧に覚えてないし。結局残ったのは、英語くらいかな。
   
 でも、高校時代、勉強の代わりに一生懸命してた作業だけは残ってる、っていうかね、その頃からこんなだったから。
 う~んん、だから子供のまんまなのかも。
 他人は知らないと思って年齢8ケもサバよんで、但し、いかにもウソのように話してたりするんですが、他人はたぶん4ケぐらいのウソだろうと思われてるんでは、、、、ないか。

 ほんと、無駄な受験勉強はやめたらいいんだよね。将来やりたいことが分かってる人はそれだけしてれば大学に入れるようにしたらいい。あ、母校様はそうだったということで。ありがとうございました。
 で、やりたいことが分かってない人だけ、オールラウンドに受験して教養学部へ行く。
 ほんと、受験制度なんてヒマな奴らがいじくり回すだけで、なんの進歩もないですよね。日本に文部省なんて必要ないでしょ。
 
 とゆうわけで、若い人たちは線香花火のような青春ですから、やりたいことを一生懸命やってくださいませ。中途半端はよくないですし、飯の種を確保しとくのも忘れちゃいけませんけどね。まあ、若ければ人生いくらでもやり直しがきくし。

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人生、1色なのに7色

2009-01-22 21:35:01 | 歴史への視角
 こんばんは。
 このたびは、米国、初めての黒人大統領おめでとうございます。
 皆様にかぎらず、そんなことはどうだっていい3割の方と、憎々しく思っている0.1%以外の方は、みんなが喜んでいる日本はよい国です。

 このブログは特殊なので、「そんな米帝の首領がなんだろうが何がうれしい」という方もいらっしゃいますでしょうが、歴史というものは、それがいつであれいつか、差別に対抗する事実が歴史に登場しない限り差別が続いていくものです。
 米国資本主義がどう変わろうと日本人民には関係ないかもしれませんが、世界史上では、影響力の強い国家で反差別へのメルクマールができるのは、大きな一歩です。米帝がどうのなどと下宿の片隅で呟いているよりは、ずうっと人類の進歩につながる出来事ですから。彼氏が、今後何するかは知りませんけどね。生きている間そこそのことをすれば、黒人が大統領職をまっとうした、というものです。

 さて、そこで終わらないのがこのブログ。ひねくれてましてねえ。
 憎々しく思う0.1%の8割の人は悪い人じゃないんですよ、と普通の人たちへ。
 日本人の0.08%、8万人ぐらいの人にとっては、資本主義者が5分後の敵なのです。あした、資本主義者と戦うために、5分後を費やそうとしている人たち、そんな人にとっては、米帝の首領が誰だろうと、ただの米帝の首領そのものであることに変わりはありません。日々を生きるというのはそういうことです。
 
 で、その次が問題で、なので、労働貴族でも労働者階級がとりあえず革命勢力なんですよねえ。
 と、唐突に。
 失業者は、好きも嫌いもあまりなく(ほとんどなく、と書くと分かりやすいですか)、資本家に取り入らなければ食べていけません。資本家とケンカする気持ちになれるのは、本工労働者だけです。日頃、「このやろうめ」と思う気持ちで素直に心を満たせる条件というのがあるわけです。失業者はいくら資本家が嫌いでも、そこで何とか生きていく、まずはその気持ちで心を満たさなければなりません。
 だからといって、お互いに張りあっててもマイナスばかり、というのが人生なんですけどね。
 いざ、行動ともなると、本工労働者なんて、若年公務員や零細企業員しかまともな行動は起こせませんからね。偉そうなことはいいっこなし。でも、統括者がいないと、そんなことが「わかんない」んですよね。ここもポイントで、実はわかんないんじゃなくてね、我慢ができない。なんで俺が引かにゃあならんのだ、みたいな。おれは体張って運動してんだぞ、偉いんだぞ、てなもんで。
 かくて、大統領です。山本義隆みたいなのが必要なんですよ。内容がどうだではなく、象徴として祭られた人間が調整する。「みんなが支持するあいつがああゆうんだから、しょうがない、大衆がついてるからなあ」。じゃなくてえ。だからそれが人生なんだったら。
 そこがわかんないんだよなあ、そのへんのじいさんチビッコには。

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国内消費か輸出振興か

2009-01-17 22:09:39 | 賃金・価値・権力
 あるいは、「聞きたいこと、聞きたくないこと」
 あるいは、「経済学は退歩している」

 題をどうしようかと思ったんですけどねえ。
 私は社会学研究者だから、わざわざ経済学の題はつけたくないところですが、余りにも経済学が低水準でねえ。

 どうも資本主義者のブレーンが「日本の生産物は外国が買って成り立っているんだから、人民の一部に(クビとかなんとか)ひずみがきても我慢しろ」とかいっているようです。ブレーンて「糠味噌」って意味でしたっけ?
  、、、あ、古うう。

 かたや、資本主義者以外の人たちは、公明党も含めて、「国内需要を高めなければ不景気は乗り越えられない」といっております。

 なにをいっているのか。
 50年前の日本の経済学ってマルクス主義一辺倒だったのですよ。近代経済学=今の経済学は、50年前は、一橋大学と慶応大学で、細々と暮らしていた。東京大学の近代経済学者には、「周りのマルクス主義者につぶされてなるものか」という使命感しかなかった、って感じのはずです。
 でも、というか、だからというか、その頃は近代経済学者も経済がどう動いているかは分かっていた。一方での生産、他方での「消費では決してなく消費配分」これが経済の要であることを知っていた。だからこんなバカなことは言わない。まあ、両経済学のもとは同じアダム・スミスですしねえ。
 第1に、消費物資は日本では足りている、従って、これを買ってもらうために、人民にカネを渡さなければならない。これが経済の第1要件です。
 消費物資が足りてるって? みんな外国産ではないか!
 だからね、どっちもどっち。検索して確かめるのはかったるいからしないけど、国内国外の需要比率は半分半分なのですよ。国外の需要というのは、国外に売った金を使わなければいけないんで、相当程度イコールで国外分の物資の需要になるんです。両方の需要は両方とも日本経済には重要なのです。
 とりわけ残念なことに、必須消費物資が外国産なのです。(だから、食料自給率を高めるのは、最重要の課題の一つです)
 だから、第2に、現在の生活レベルを急激に落とさないためには通商経済も現状維持しないといけない。
 ここで第1と第2は、直接には矛盾などしてはいないのです。
 要するに貧乏な人間にカネを渡し、足りている消費物資を消費してもらう。
 消費してもらえば、国内分の生産資材が回っていく。国内分の生産資材が回れば、輸出分の製品が仕上がる。
 これが売れるか売れないかは、製造資本家次第さあ、別に安くしたら売れるわけではない。売れるほど安いってことは赤字だってこと。赤字では国益にはならない。他国のいないスキにシェアをあげようとする企業エゴ以外には意味がない。外国に買う奴がいなければ元から売れないのだから日本の貧乏人民と一緒に現在ある消費物資をおとなしく消費していればいい。売れないものは、世界にいらないんですよ。

 基本は、国民国家は一蓮托生ということです。自分だけうまくやろうなどと、そいつあ非国民でしょうが、ねえ右翼の方たち。
 私はアナーキストだけど、アナーキストって、非国家民のふりをしてて実は共同体主義者なんですよ。(まあ、「アナーキストの9割」、ぐらいにしておきましょうか。)仲間主義者ですからね。

 いや、こんなことは、経済学を20年もやればだれでも知ってるんだよね、近代経済学10年くらいの勉強経歴じゃわからないけど。もちろん野党でも経済担当幹部に限っては知っている。
 だけど、いわないのさ。お互いどちらかに利するから、ってことだけど、直接には、支持者が聞きたくないのさ。そんなホントのこと聞いたって面白くも何ともない。みんなストレスまみれの日常の中で、なんとかストレスを解消しようと思って政治家の言うことを聞いてるの。「本当の」つまんないことなんか聞きたいわけがない。かくて、政治関係者は、正直に、人々が聞きたいウソを言う。中島みゆきの世界だね。
 とゆうわけで、読者の方々は、25歳を越えた人間の言うことを信じちゃいけないよ。
 おらっちは、年齢が止まっちまったけどね。
 
 さて、本題です。
 2兆円は派遣・フリーター100万人(記憶だともっと少ない。あ、パートは別)に200万円づつ渡せよ。それで資本家共も1年間後顧の憂いなく合理化できるだろうが。
 来年もあるって? たかだか2兆円。国家予算はいくらあるの? この前もいったし。個人財産の上澄みだけで2兆など玉手箱のようにでてくる。

P.S.その後、ネットしましたら、国内消費は海外分よりずっと多いというが結論に近そうですね(統計が難しい)。
  さらに、派遣人数は200万越えというのが定説みたいです。なんでも不精するといけないなあ、、、
  まあ、派遣についていえば、緊急の実需要としては上記のような気も。
  なんて、ぬくぬくしてる人間がいってはいけません。
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自由論者(その2)

2009-01-11 22:51:41 | 行為
 前回の続きです。

 リバータリアン、英語のリベルテール(仏語)みたいなもんですが、には、3つ意味があるようで、一つはアナーキスト穏健派、一つは右翼資本主義者、最後に「自由論者」って訳す、へんな人たちがいます。って、英語の本見てたら訳のわかんない「libertarian」ていう単語が出てて、なんじゃこりゃと思って調べただけですが。今回は、この自由論者にまつわる解説です。

 ロバート・トッド・キャロル様によりますと、下記のようになってまして
 http://www.genpaku.org/skepticj/freewill.html

「伝統的に、自由意志の存在を否定する者は、運命や超自然的な力や、あるいは物質論的な要因を、人間の行動を決定する要因と見なしている。
(つまり、世の中のことは神様が決めているから、人間の入る余地なんかない、ってことです)

自由意志の信奉者は自由論者とよばれることもあるが、
(つまり、この「自由論者」が、第3のリバータリアン)

彼らは人間の行動以外の世界がすべて、外的要因による不可避的な帰結かもしれないが、人間の行動そのものは独自のものであって、行動主体によってのみ決定可能であり、神や星々や自然法則で決定されるものではないと信じている。
(だそうーで)

自由意志にかんする伝統的概念は、モラル行動における人間の責任という形而上学的命題において、西洋哲学の主流になっている。」
(つまり、世の中のことが誰かが決めたことなら、悪いことをしたって、そいつは何も悪くないじゃないか、ということです)

 以上。詳しくは、皆様のお勉強におまかせしまして、とにかく

 この手の話でなにが不愉快って、『運命がなんだって? 人間の行動は独自だって? 余計なお世話だ。関係ねえだろ、おめーらにとやかく言われる筋合いはねーや』ってことです。

 要するに、西洋世界は、ルネッサンスまで、キリスト教に保護された奴隷体制により、お上にたてつくなんて考えられない世界だったわけです。その中では自由などありえなかった。 しかし、技術と産業の発達で社会も変わりそうもいってられない、奴隷でない人間達が現れた。こいつらをなんとか取り込まなければ、国家支配の道具たるキリスト教はお役目不履行になる。
 かくて、とりあえず、運命はあるけど、個人の自由もあるよ、としゃべるように、支配階級のお墨付きが要求された、それが第3のリバータリアンなのです。つまり、自由にしろ、不自由にしろ『いずれにしても、世界はそう決まってるんだよ、私という権威者がいうのだから間違いない。証拠が欲しいだって? 不信心者め。地獄に落ちるぞ。』
 自由などとは片腹痛い。奴隷制度の思想です。

 ただ、批判してるだけだとわかりにくいですよね。
 もう一度、行為者、つまりあなたや私個人に帰るとわかります。
 今、私が自由かどうかは、このブログ原稿をアップロードできるかどうかです。
 アップロードできれば私は自由だ。それが『運命に定まっててほんとは私は不自由だ』ろうがなんだろうが、「勝手にしゃべってろ、バカ」ってもんでしょ? 違いますか?
 アップロードを誰かが妨げれば私は自由でない。『アップロードを妨げられようと、アップロードをしないことを決定したのはお前だから、本質的にお前は自由だ』って? 「勝手にしゃべってろ、バカ」。

 この手の論議が20世紀まで続く。西洋哲学というのは、根本的に奴隷制度の思想なのです。




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自由論者(その1)

2009-01-11 22:46:31 | 行為
 こんばんは。
 正月にはゆっくりしすぎで体調を崩してしまいました。いつもなんですが。
 出勤すると体調が良くなるのはおじさん症状ですねえ。

 ここんとこはろくな情報がありません。派遣やら火事やらイスラエルやら。
 派遣問題は、できないなりに周囲の日本人に助ける気持ちだけはありそうで、まあまあのところはありますが、イスラエルには腹が立ちます。やっぱりユダヤ人て旧約聖書の時代から頭おかしい人種じゃないか、って気が出てきます。当然、ネットでも相当出ますよねえ。私も一般大衆ですので、感覚が違ってなくてうれしい。

 左翼がこんなこといっていいのか、というと、そりゃあよくない。こうゆうことをいってると、吉本隆明みたいにただの資本主義者になってしまいます。私が言っているのは「そう言いたい気がでてくる」ということで、そこに「言われたくないなら虐殺やめろよ」、という根拠があるということです。
 別に日本だって同じですね。日本鬼と呼ばれたくなかったら、ウヨのように悪口で返さないで、そう呼ばれない行いをしたらいい。まず、引き起こされている感情は、お互い知らないといけない。
 そういえば、イスラエルのユダヤ系住民の9割以上が虐殺に賛成だそうです。評判悪いですよねえ、私はこれからアウシュビッツの話を聞くたび、今の事態を思い出すと思いますしね。そういう人が他にもたくさんいるだろうってことですけど。

 ただ、一応左翼のつもりなんで言っておきますと、戦争って、本来、始まってしまえば人民の9割以上が賛成するもんなんですよ、負けないうちは。生理性の極致ですからね。別にイスラエルだからってわけじゃない。私だって始まってしまえば人殺しぐらいするかもしれない。同じ共同性内の罪のない人間が誰か死にますからね、9割以上の人って頭に来ると思いませんか? それが100人対1人だろうと、生身の怒りは理屈じゃないし。自分の生存物資が尽きてそれどころじゃなくなるまでは。
 だからいいとはいってないですよ。戦争は、やめるものではなく、やめさせるものです。アメリカは遊んでんじゃねえよ。
 という意味では、アメリカって戦争したことないともいえます。実態は戦後60年間戦争をし続けているわけですが、第2次大戦後は、ただの下層階級が10万人くらい死んでるだけですしね。1年で2千人死んだだけです。2千人投資すれば済む一大ビジネスですね。そりゃ反対運動も起こせますよ。しかし本当にアメリカが国を挙げて戦争したら、地球にはゴキブリしかいなくなる。核戦争後、美しい青き地球は何色になるんでしょうか?
 まあ、戦争というのは、煽りが生まれる前提を作った奴と、煽った奴と、戦争を決定した奴が責任者です。

 さて、本題です。
 自由の概念について。
 ……前置きとまったく違うし。
 くだらないことをいってしまったので、ただの場なおしです。要するにイスラエルに腹を立てて、ユダヤ教嫌いが出たってとこですね。が、とにかく。
 
 まず、隈理論のおさらいです。自由とは何か。
 「人間は、自己のある行為の完成を求めて行為する。従って、行為の本来は個人の持つ「自由」であり、種々の後発的環境的制限からの解放への志向である。
 もう少し簡単にいえば、人は好き勝手なことをしたい。もっとも、都会の人間が砂漠の真ん中で「さあここならお前は自由である。好き勝手にしろ」といってもふつう楽しくはない。人は、他者の間で、従って他者のために必然的に生ずる種々の制約の中で、自分の認知に沿って思い通りの行為ができたとき、生理的に満足する。」(『変革の規制』より)
 これが自由です。
 
 これを抑えてもらって、項を変えて次にいきます。






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不景気と農村共同体

2009-01-01 21:22:21 | 歴史への視角
 明けましておめでとうございます

 今年はなんとなく、このブログを定期的にご覧になっていらっしゃる方もいるような気配も覚えまして、少し改めましてごあいさつを。
 
 正月早々ですが、農村的共同体の意義。
 皆様、ここに来て面白い話があるだろうなどと誰も思ってらっしゃるわけはないですよね。ただ、gooからいらっしゃる方がいるので、ほんと題に気を使います。なるべくつまんない題はないか、みたいな。
 
 世の中には、新聞やネットに載らない、でも言われてみればそうだ、という情報がありまして、(私は社会学研究者ですので、こんな歴史話に私の見解だとか言うつもりもないのですが)戦後60年、日本は今だけが不景気ではなかった。昔から不景気はいくらでもあったけれど、今生き残っている企業の元幹部、今の会長連中は、昔不景気があったことなど、大学の統計学の授業でしか習ったことはない、はず。そんな慶応大学での元幹部は知らないけれども、でも現実に人は苦しんできたわけです。
 そのときには、派遣業界はなかった。
 でも、同じく、膨大なパートタイム労働者がいた。出稼ぎ、パート、その他の形態を持った農業労働者とその家族です。戦後20年まで、そうした人たちが、不景気の安全弁となっていた。そういう人たちは、不景気となれば甘んじて国へ帰り、都会へ出る前以上に肩を細めて時が過ぎるのを待っていったし、あるいは家庭へ戻り、横暴な夫の酒をなんとか工面する生活に戻っていった。でも、とりあえず、屋根はあり食べられはした。
 もちろん帰ろうにも帰れない人たちは「たくさん」いましたが。
 資本主義には、爛熟度の時期により、そういう選択肢もある。
 
 同様に、中東国家では、同一国家の農村からの出稼ぎの代わりに、周辺国家の農業地域からの労働者が働き、不況ともなれば、そういう人たちは国へ帰る。
 もちろん、帰れない人たちは、同じように「たくさん」いるわけです。帰れない人たちには、その数だけの変化のある、不幸がある。
 
 というわけで、現在、日本では、およそ社会の束縛の集約形である農村生活者が1割を切って、子供達は自由を求めて親の元を離れて。それはそれでよいことなのだけれど、今までなら生きてはいけた不景気という事態が生死に関わることになる。これは日本では初めてといえば初めてな事態なわけです。
 
 ここはアナーキストのサイトでして、国家の次に行為者の自由を束縛するのは農業労働です、ということを普通の人にはまず抑えてもらわないと困りますが、(農業家長は自由だからねえ、間違って農村主義者になる左翼も多い昨今、でも家長だけじゃ米は作れんとよ)。ことは自由の問題ではない、命の問題だから。
 
 別に社会学じゃないけど、わたしもおじさんなんで、ちょっと「出身家庭」の意義を語りました。
 お正月ですからねえ。


                                   下記、くずコメ。↓ご注意。
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