リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

野呂榮太郎の淋しい誤謬

2014-11-30 17:57:20 | その他
 こんにちは。東京地方、平地でも錦織りなす晩秋です、が、休みの日ともなると寒い。若い人はいいね、気が若くて。
 変? いや、若いなんてどうせ気持ちのことだから。気の若い若人は寒いことなんかあるものか。
 じゃあ中高年だって気が若きゃいいだろうって、そのとおりだけど、気が若くないのが中高年さね。
 ま、どうでもいいですが。

 さて、ここんとこ勤めばっかで頭を使わないのでばかになりそう。何か手ごわい本はないかと図書館で探す岩波文庫。
 これなんかどうか、と、漢字ばっかの表題は、野呂 榮太郎「日本資本主義発達史」。
 ほほお、懐かしい、、、むかしむかしの若いころ、明治維新の勉強やったっけな。
 若い方にお教えする意義もないんだろうけど、講座派という日本資本主義を勉強する上では避けて通れない理論集団の旗頭だった人です。そんな大事そうなのに意義がないとはなぜいうか。今ネット検索したらまったく無内容な情報しか出てこなかったから。
 資本主義のしの字も知らない人たちにわざわざ語るにはレベルが高すぎです。
 なので、本日はあえて特別に中高年用ブログ。

 
 いやね、マルクスの知識のあるあなた、野呂ってこんな立派な人だったか、と感心したしだい。
 講座派なんて、明治絶対王政とかってスターリニズムの御用聞きのはずだと思っていたら、そんなことゆうとらん。
 まあ、若き晩年はしらんけどね。
 悪いのは平野義太郎のせいのもよう。「機構」なんざ名前ばっかでなんも面白くなかった覚えが。盛太郎の「分析」はかっこよかったけどね。
 ともかく、エクセレント! 20代でよく書けたもんだ。まさにマルクスくらいには匹敵する秀才。素晴らしい。
 

 すばらしいんだけど、明治絶対王政論に連なる大きな誤りがある。
 それが「所有」理論の陥穽です。まあ、若いんだからしょうがないしねえ。しょうがないけど、すべてのマルクス主義者は自分で考えればおんなじことを言い出すに違いないから(労農派系はなんも考えていない)、本邦初演でベスト理論家野呂栄太郎の誤謬をはっきりさせてあげましょう。
 つまり、土地所有制度を経済体制と履き違えているということです。そんなことだから、封建的な土地所有がある限り日本は資本家による革命を必要とするのだ、などという夢物語へ移行する、と。
 

 そういってやれば、ざわざわざわ、、、となるのが本来の中高年のマルクス主義者。そんなやつはボケボケで既に生存していないだろうけどね。
 正統派マルクス主義者=スターリニストにしてみれば、所有制度=経済制度でなければならないからね。
 なんでそうでなければならないか。
 ソビエト連邦が人民国家であると強弁する理由は他にないから。
 彼らの経済学教科書には所有制度=経済制度論を補強するためになんとかマルクス大先生の片言隻句を探し出す涙ぐましい努力のあとが、、、
 アホのマルクスのことだからどっかにあるだろうとわたしなども思うのですが、これがめったにないようで。彼らがようやく見つけたのが「シュワイツァーへの手紙」とかいう、手紙の一文だと。へっつ。
 マルクスがどういおうと、所有制度は国家を規定する経済制度ではありません。国家が規定する経済施策の一部に過ぎない。所有とは、国家武力が規定するものなのです。
 大地主による土地所有など、国家の中で資本主義という経済制度を維持したまま、経済制度の発展を阻害するものとして、なし崩し的に壊れ、壊されていくものです。それが昭和20年までの大日本帝国の国家方針です。にもかかわらず、マルクスが後生大事にし、ソ同盟が主張する「所有」問題なんだからと国家を規定する「経済制度」と考えるよう強いられた秀才野呂は、自己のマルクス主義経済理論にのっとり、明治国家は絶対王政だ、次に来たるべきはブルジョワ革命、といわざるをえなくなった、というわけです。

 
 もちろん、闘争課題としては反「半封建」は正しいんですけどね。って、これは逆に、労農派の教条主義者が目を剥くような発言。あほどもの相手はいくらスペースがあっても足りない。
 だから「いまの若人にいっても無駄」というわけですが。
 
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「貧困の哲学」が訳されてました

2014-11-24 10:04:04 | その他
 こんにちは、本日も月曜ですね、一週間カゼで。そもそも土曜日仕事だけど。
 昨日は快晴の秋なのでカゼだけどハイキング。そこらの駅前ハイクですが、尾根道でふと下をみれば幅20センチの道の両脇は斜度80度、高さ100メートルの崖。さっき、小学校入ったかどうかの兄弟のガキが飛び跳ねて歩いてくのと出会ったぞ(親も後ろにいた)。親はなにをやってるんだ、こんな道を。と思いました。ほんと生きてるなんて毎日の偶然ですぜ。

 
 さて、この前テレビ見てたら、国会解散で万歳してるのをやってました。なんだあいつら、クルクルパーか、と思いましたが、さらに詳しく放送が再度流れ、なんだらかんだら「ギョメイギョジ」とかいってバンザイをしている。なんだこいつら、ウヨか。
 と納得はしましたが、ネット話題になったようで、自民党以外のやつらも普段やるそうな。やっぱクルクルパーでした。
 ネットもアホだからあれは出陣の掛け声だとかしたり顔で書いて。出陣というのは、エイエイオーっていうんだよ。組合ならガンバローだな。ギョメイギョジにバンザイはテンノーヘーカバンザイ以外あるわけねーだろーが。

 
 ついでさて、この前図書館にいったらプルードンの「貧困の哲学」がおいてありました。これは今までぜんぜん訳のなかった本で、ほー、これはこれはと期待してしばらく立ち読みしました。なにしろ,wikiの知ったかぶり情報にもありますようにマルクスが書いたそこそこの本である「哲学の貧困」は「しかしマルクスはプルードンをかなり曲解して批判している」とのことで、この訳者のHPだったと思うけどまともそうなプルードン学者もそう書いておりましたし。
 と思って中開いたら、なにこれ、でしたぜ。曲解とかそんな解釈をわざわざしなきゃいけないレベルじゃないじゃん。無視で十分。
 なるほど ”「哲学の貧困」はマルクスがプルードンの名声を利用しようとした売名行為”という評が当たっている。本の論旨がぜんぜん関係ないの。
 「貧困の哲学」の自分に関係あるところだけ取り出して、それがさも全体であるかのごとく、「哲学の貧困」などとぎょうぎょうしい題をつけて売ろうとした、と。情けねえやつだ。前から思っていたが。

 
 で、若い人へのこの文の趣旨
 その1 「哲学の貧困」はよい本だが、プルードンとは関係がない。
 その2 「貧困の哲学」はくだらない本だ。意味不明な本。どこがアナーキズムだ。斉藤悦則というこの訳者の論文でも読んでるほうが良い。
   にもかかわらず、本の自画自賛評に ”時代を超えて生きる名著”とか書いてありやんの。冗談じゃないぜ。これが時代を超えたらわたしの本など何十世代まで超えるぜ。 もちろんその程度超えることは前から知ってたけど。
 その3 かといってプルードンをけなしているわけではありません。なんたって彼は活動家ですから。わたしは活動家は、人殺しや裏切り者以外は、それだけで評価しますので。それも当然ですよね。同じ一つの人生だし。

  (後日、これ題間違えて書いてた。『哲学の貧困』だって。いやはや失礼)

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非主体的ゲイジュツ

2014-11-17 08:28:16 | その他
 こんにちは。土日更新しなかったのでご心配をおかけしましたが、、、ってちょっといってみただけ。誰も心配しないね。
 でもむかしさあ、ある人が友達がブログの更新しないんでたずねていったら亡くなっていたという話もありますよ。ま、わたしに限って、ないことですが。
 ともかくもカゼで。わたしに限ってなさそうな事態ですが、4月末と11月の中旬には風邪を引きます。鼻が出て、熱が出て、エスタックを飲んで、しばらくしつこいセキが出るという。花粉症のたぐいでしょうが、きのうはよわりめにたたりめ、巨大な雑草刈り作業がありまして。

 さて本日の不満。そんなテーマはありませんが。
 去年の春買った靴、つぶれちゃったよ。また靴の悪口かよ、って、1年半はきゃ当たり前? 
 当たり前なら勝手に誇っていてください。ずっとはいてたわけじゃなくて、6mmのカカト靴底を2回取り替えた、「だけ」か、「も」、のあいだに、かかと上部がちぎれた。
 信じられるかね、だんなさん。
 ふつう、紳士靴はかかとの上部には皮がはってあってさ、破けたりしないんだよ。
 それが、ああた、0.1mmもないビニールさ。その下は布。スニーカーじゃあるまいし。
 買ったときのバイトさんの対応がよかったんでお知らせしたくはないけれど、特にお若い貧乏人には8千円は大金。チクらざるをえないね。
 SBD7761 SARABANDE
 はあ。3ヶ月で捨てる人にはいい靴です。

 
 本日は、以下に前回の補足をして終わっておきます。体温まだ1.5度オーバー。

 
 では、「非主体的」な芸術とはなにか。
 「作ろう」として作る芸術です。
 お題に合わせた詩、短歌。
    俊太郎や大岡信。
 塗ったくる絵画。
    キャンバス上での色構成品、すべて。
 作例探しの写真。
    アマチュア写真家、ごくろうさま。
 すべて、あたまでこね回して本人の感動のないもの。
    「できたぞ!」 って感動がある? あ、さいでっか、それは僥倖。

 レジャーである芸術。
 幸せな芸術。
 そんなゲイジュツは、見て、聞いて、楽しむ以外の感動はない、が、それだけはある。
 即状況被刺激的感動。
 

 それが何で悪いか、って? 悪くないさ。なぜけなされるかもわからないのだからいいんじゃないの?
 なぜ自分の名前が歴史に残らないかもわからずに死ぬだけだから。
 お幸せに。

   (谷川の幸せ詩集、2億光年が残る理由は昔言いました)
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芸術的主体性の原理

2014-11-09 21:31:46 | その他
 こんにちは。もう立冬とか。わたしなど、蚊に(も)好かれるたちで駅で立っているといつものことながら顔の周りで蚊がうろついていたり。そういうときは必ず刺されているのですが、今回はもう刺す気にもなれないようです。蚊もたいへんです。

 
 さて、昨日はひょんな縁で朗読劇(フジテレビアナウンサー他)というものを見てきました。「イキヌクキセキ」森浩美原作、(その他)というの。
 東北の震災の話で、なんでも昨日がフィリピン台風被害1周年なんだそうですが、そのチャリティ。
 ネット情報の(別の劇団の)あらすじは脚色をしてあるのかどうも悪化しているようですが、こちらは情景はわかりにくいものの、筋立てはシンプルで、良いようです。
 まあ筋立てがどうのというより、関係者がいっしょうけんめい人間のことを考えていることに感動しました。(わたしの偏見では)「金もうけのフジ・サンケイグループ」 という気のするところですが、どうしてどうして。ここんとこ(ヒマがあるので)アクセスする、反吐の出る将棋掲示板ほかのネット関係者とはエラい違いです(こんなやつらが将棋ファンなら私はファンでは決してない)。
 ともかくも、水準に達する芸術、ごくろうさまでした。

 
 つぎに、さて、あまり書かない美術の話題。
 物事の内容の伝達というのは、ある一瞬の違和感で決まるものです。あるいは決まらないといけない。
 外界の物事の様子の伝達というのは簡単に、そのクニの単語にすればいいわけですが、一見誰もが知っているかのように思われている物事の、その基盤の情報の伝達というのは、なまじ表面的に知っているその共同体の成員には、「違和感」なくしては伝わらない。もっと細かく言うと、その「違和感」は、共同体成員間の「違いによるな」と思わせるものではなく、「こいつ何いってんだ」という、異次元の「異和感」です(なんて苦労してるのはword2000だと「いわかん」がでないため)。要は、みんな同じにわかっているつもりのことが実は人によって違うのだけれど、それにどこで気づくか、ということで。
 で、本題は画家石川滋彦氏の本。この人は風景画の一応の大家のようで、某勤め先所在区の図書館で古いものですがともかく気に入って日曜画家用の本を2冊借りてきました。
 で、その中で彼氏いわく、"風景の構図は4号の扱いと30号の扱いは違う。
ある日本の屋根は、適当に書けば4号ならもつが、30号ではもてあます。もっともっとしっかりした表現が必要になる”
 ううううむむむ
 30号なら「イギリス風景画のようなそのまま具象画」になるか、えたいの知れぬ「モネのような印象画」になるか、の2通りだ、といっている、以外に解せません。
 だから日展だがね。(ト、バカにしている)  あるいは日曜画家。

 
 人間が造る創作物とはそういうものじゃないだろうが。
 (って、前の将棋‐コンピュータ論議と趣旨は一緒)
 「君のやり方じゃ描けないから方法を変えろ」って、それは本末転倒。
 絵が芸術である限り、詩と同様にある個人である人間の感動を伝えるためになくてはならないものである限り、ある方法は固定してその方法が伝えるべき情報を基に感動を再構成すべきだろうが。
 われわれ個人が伝えるものは風景や人物という対象の有様ではない。
 たとえば写真のない時代に江戸城を伝えたいならば、それは伝えたい人間が職業絵師にその実在の写し絵の制作を依頼することであって、江戸時代の感動者がその実在状態を絵で書くことではない。
 そんなことは今の写真家なら良くわかることだと思いますが。
 江戸城に感動した1庶民が写真機を持って、あるいはスマートフォンを持ってなすことは自分の「感動の所以」 を、フィルムに、あるいはデータに落とし込むことです。
 決して8インチの乾板フィルムを持ち出して江戸城全体を克明に写し取ることではありません。
 といえばシンプル。
 このシンプルなことを数秒で読んだだけで違和感として感じ取るわたしはえらい。
 「そんなのあたりまえだろ」、とわかった皆様は、この事態は、すべての芸術分野に、あるいは正しく言えばすべての人間の趣味分野に、つまり、ある人間が生きていてこの自分の生の一瞬を止め、その感慨を誰かに語ろうとする作業のすべてに、該当する真理であるということもわかってくださると思われます。

 
 が、といってもこちらの方、20年前に亡くなってしまったようで。ほんと、長生きしていろんなことがわかるようになっても、苦情を言いたい相手はみんな死んじまうんだよね。
 みなさま若人も、年寄りは死ねばいいわけですが、中高年は大事にするように。
 
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埋め草

2014-11-02 15:17:53 | 断片
 こんにちは。連休いまいちな天気? まあ東京地方、紅葉はまだなのでいいです。
 昨日は久しぶりに勤めに出て、体調がすぐれてよかったです。お金をもらって運動ができるのはたいへんよろしい。ま、責任ないので気疲れないということでもあり。もっともこれで1ヶ月もやれば、時間がなくていやだとか思うんだろうね。

 
 というわけで、面白いことなく。天気いいとまたちがうんだけど。
 とはいえ、書かないのもなんだな、といつも思って。
 ホームページ、季節の壁紙を変えようとしたら、いつもの無料壁紙供給ページの「壁紙見本の部屋」、ずっと更新がなかったのだけど、とうとう開かなくなってしまった。
 あ~~あ。
 こうゆう状況がいやで。

 
 こちらのサイト、もう8年くらい壁紙使わせていただいておりましたが、この4年ほど更新なく。
 なんで開けとかないのかなあ、サーバーが有料なのかなあ。
 タダでもホームページつぶしたとこ(人)、たくさんあるやね。内容が古くても、たずねて掘り返すと興味深いのになあ、、、
 壁紙の人は元気なのかなあ、いまどきホームページでもないのかねえ、とくにああゆう自家製壁紙がフィットするようなとこはみんなブログになってるしねえ、わたしとこみたいに人柄(想像)を気に入って無理やり使う、なんて異常だしね。
 、、、などなど。
 と、他人に思わせるのもいやだから、今日も書いてみました。

 
 断捨離ですかね。
 わたしも人の悪口を書くのも、ぼうようとしてると気が乗らなくてね。
 永田和宏の岩波新書新刊、いいですよ。本人の歌もいいけど、見る目も評言もきもちがいい。

    p.s.見本の部屋開いた。。。? 3日間開かないの確認したんだけどなあ、、、
      ま、そういう趣旨で。
 
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